見つかったのは1925年6月に創刊されたラジオ専門紙「日刊ラヂオ新聞」のうち、1925年7月のおよそ1か月分です。
この中には、NHKの前身の1つ「東京放送局」が1925年3月にラジオの放送を開始したあと、1日およそ8時間の本放送を始めた7月12日のものも含まれていて、天気予報のあとに「君が代」の演奏、そして放送局の初代総裁、後藤新平のあいさつがあったことを示す番組表が掲載されています。
英語講座の放送開始を伝える記事では「ユーモアたっぷり」などと見どころが紹介されているほか、「放送短評」というコーナーでは「近頃は洋楽が多すぎはしないか」といったリスナーの意見が投稿されています。
また、ラジオを自作していた人向けに部品メーカーの広告も掲載されています。
創刊当時のものは国会図書館にも残っていませんでしたが、放送史研究家の川崎隆章さんがインターネットの古書店で見つけて購入したということです。
川崎さんは「一般向けの新聞として家庭でも読まれていたようで、ラジオとリスナーの関係は今も昔も同じようだったことがうかがえます。資料を通じてラジオと世の中の結びつきを調べたい」と話していました。
見つかった新聞は東京 港区の三康図書館に寄贈され、4月4日まで展示されています。
きょう放送100年 当時のラジオ専門新聞 創刊時1か月分見つかる
日本でラジオ放送が始まって22日で100年となります。その100年前に創刊され、番組表やリスナーの声などを掲載していたラジオ専門の新聞のうち、創刊当時のおよそ1か月分が見つかり、東京都内の図書館で展示が行われています。
日本のラジオ放送開始は
日本のラジオ放送は、1923年の関東大震災で深刻な情報の断絶や混乱が起きたことなどから正確な情報を速やかに広く伝えることの重要性を求める声が広がり、始まったとされています。
NHKの前身の1つ、東京放送局は100年前の1925年3月1日から東京 芝浦の東京高等工芸学校の仮のスタジオで試験放送を開始。その後、国の検査を経て、3月22日に初めてのラジオ放送が始まりました。
第一声は「ああ、あー、聴こえますか。ああ、あー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」と放送局のコールサインを伝えるものでした。
当時、契約者数はおよそ3500人、聴取料は1か月1円で、多くは鉱石ラジオで聞いたとされていて、NHKはのちに放送が始まった3月22日を「放送記念日」と定めています。
そして同じ年の7月12日、東京放送局は東京の愛宕山に局舎を完成させ、1日およそ8時間の本放送が始まります。
その後、ラジオ劇や子ども番組、英語講座などが始まってラジオは一般家庭に広がっていきました。
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