限界独身中年男性のための「ていねいな暮らし」マニュアル
アラサー、アラフォーの独身中年男性が、なぜかちょっと良い食器や家具を揃え始めたり、自炊に凝り始めたりといった光景を目撃したことはないだろうか。
確かに少々の手間や贅沢は暮らしに彩りを与えてくれるものだ。独身中年男性の生活はどうしても殺伐としたものになりやすい。身の回りの物に手間とコストをかけ始める。それは一見すると大変ポジティブな行為に見える。
しかしみなさんはご存じだろうか。「ていねいな暮らし」を志す独身中年男性は、実のところ「素敵な暮らしがしたいな☆」的な明るくハッピーなマインドではなく、「この暮らしを変えなければ…」という切実かつ強迫的な心理の元おしゃれな家具や食器を見繕っていることに。
本稿は「ていねいな暮らし」を志す限界独身中年男性たちの知られざる哀しい心理とその方法について、その当事者である筆者が綴らせてもらう。
独身中年男性の限界な日々
独身中年男性の生活は仕事を中心に回っている。育児や家族サービスに煩わされることがない独身中年男性は企業にとって貴重な戦力だ。
転勤や出張、トラブル時の緊急対応、産休や育休に消えていく同僚の穴埋めなどなど。「家庭」を持たない独身中年男性はフレキシブルな対応に駆り出されやすい。特に穴埋め人員のリソースに乏しい中小企業では、独身中年男性は会社にとってかけがえのない戦力となっていることも珍しくはない。経営サイドからすれば独身中年男性ほどありがたい存在はいないのだ。
そして独身中年男性の側も、経営サイドのラブコールに応えてしまうことが多い。家族もおらず、これと言った趣味もなく、友人関係や恋愛面関係も希薄な独身中年男性にとって、会社共同体は「役割」を持てるほぼ唯一の場であり、頼られるとつい応じてしまうのだ。もちろん出世やらキャリアアップにそこまで関心があるわけでもないのだが、「まぁ特にやることも無いし…」という消極的な理由からうっかりスケジュールを仕事で埋めてしまう。
労働、労働、労働…。といってもこの不景気の折だ。大金と呼べる額が手に入るわけでもない。蓄えた小金を海外のインデックスファンドに預けつつ、5万円・10万円程度の額で仮想通貨なども買ってみたりするが、FIREなど夢のまた夢、近い将来に現実化するであろう両親の介護なども考慮すると自由に使える金額など知れたものだ。
小金はある。暇はない。気力は段々失せていく。そんな毎日が続いていくと、次第に独身中年男性たちの「暮らし」は荒んだものになっていく。
食事はほとんどが外食。朝にウィダー in ゼリーを流し込み、昼はオフィス近くの蕎麦屋、夜は居酒屋か定食屋。平日はほぼ会社と家の往復にのみ費やし、帰ってきてベットに倒れこみYouTubeとTwitterを眺めてたらいつの間にか寝る時間が来る、好きなゲームの続編が出ても手をつける時間も気力がなく、辛うじて通勤電車の中でソシャゲのデイリークエストを消化し、土日休日は大半を睡眠に費やした後、夕方からサウナに行って平日の疲れを取る。
そうした生活を送るうちに少しずつ何かが「薄れて」いく。「壊れて」いくのではない。「薄れて」いくのだ。もちろん身体は加齢によって少しずつ言うことを効かなくなっていくのだが、そういうことではなく、なにかとてつもなく大切な「何か」が少しずつ希薄になっていくのだ。
その「何か」とはたとえば「希望」とでも言うべきものかもしれない。「可能性」とも言える。「未来」とも言える。「夢」かもしれない。単純に「若さ」なのかもしれない。もしかすると「自分自身」かもしれない。しかしとにかく、大切な、極めて大切な何かが、少しずつ薄く透明になっていくのだ。
その希薄化がある閾値を超えたとき、独身中年男性たちは往々にして決意する。「そうだ、ていねいな暮らしをしよう」と。
希薄化 vs ていねいな暮らし
つまるところ「ていねいな暮らし」とは、限界独身中年男性にありがちな「希薄化」に抗うためのアプローチなのだ。
自分自身が希薄化していく。そうなると生活もさらに荒んでいく。食事がますます雑になり、休日は寝るばかり、酒の量が増え、部屋はゴミ箱に…。典型的なセルフネグレクトだが、このような生活を年単位で送れば肥満の加速や健康診断の要チェック項目という形で身体に影響が返ってくる。
そこで踏みとどまることができた幸運な独身中年男性が、「ていねいな暮らし」というセルフケアに立ち返ることができるのだ。ちょっといい食器。ちょっといい家具。ちょっとだけ凝った自炊。ていねいな暮らし。そうしたプロセスを経ることで、独身中年男性は少しずつ「自分を大切にすること」を思い出していく。
それはある意味で、女性にありがちな「ていねいな暮らし」とは真逆のベクトルを向いているのかもしれない。女性紙を彩るカリスマ専業主婦や有名インスタグラマーが提唱するような「ていねいな暮らし」は、一種の地位財という側面が強い。つまり自分がどれほど経済的に豊かで、有り余るほどの可処分時間を持っているのか、それを他人に見せびらかすことが目的だ。そのために睡眠時間を削り、(逆説的だが)「生活」を犠牲にする者も珍しくない。
一方で独身中年男性の「ていねいな暮らし」は、ひたすらに自分自身をケアすることが目的となる。セルフネグレクトから脱却し、自分を犠牲にする生活から抜け出すために「暮らし」を改善する。そのため細部のクオリティは女性の「ていねいな暮らし」とは比べ物にならないほど低いのだが、動機自体はより健康的と言えるかもしれない。
かつて「全ての男は消耗品である」と断言した作家がいたが、この言葉に頷く男性はきっと多いだろう。男とは闘う性であり、殺す性であり、つまりは殺される性でもある。自己犠牲を尊ぶのが男性性の本質だ。
しかし長い人生を闘い抜くには攻撃ばかりではなく防御も必要だ。捨て身の突撃ばかりでなく、補給と休息が必要なときもある。筆者は自己を犠牲にする男性的な精神性を高く評価しているが、それでも時には身を守ることが必要になることもある。
特に昨今はケア役割を外部に委託しにくい時代だ(その割には稼得役割から一向に開放される兆しが見えないわけだが)。男性的な役割を貫徹するための現実的な手段としても、男性もセルフケアについて学ばなければならないのだ。
ということで「ていねいな暮らし」の具体的な方法論を見ていこう。
限界独身中年男性のための「ていねいな暮らし」マニュアル
まず心に刻み込む必要があるのは「ていねいな暮らし」の目的は「ていねいな暮らし」ではないということだ。
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購入者のコメント
16引っ越しを機に形だけていねいな感じを出そうとちょっと広い部屋借りてちょっといい家電用意してちょっといいお茶買ったりして
結局全部ダメになってコンビニのパスタとおにぎりで腹を満たし続けるみたいな生活になり完全に破綻したことを思い出しました
実家に戻って頼りたく無かった両親に生活を外注して情けなくも相当まともな日々を送ることができるようになったので役割分担ってすごいなと思うばかりです
あと何年もつかわかりませんが
とりあえず乾太くんをお買いなさい、いつでも洗濯ができるからQOLが向上します。
狂人ノートを読み返すと、これは本当に心に染みる滋味のある記事だなぁと感じました。
他人のない環境でセルフネグレクトになりがちなのはまさにそうですね。
こういう時、一昔前なら母親が無理やり部屋に入ってきて掃除しながら「誰かいい人いないの!?」とぷりぷり怒っていたのでしょうか。
これも失われて久しい伝統ですね。
母親も父親も亡くしてしまうような年齢からは、意識しなければ希薄化の一途を辿る事でしょう。
酒を控えろ、部屋を片付けろと説教されるよりもこうして労るように提案してくれる貴方の記事が本当に心に沁みて、涙が出ます。
女性だと(しかもフェミの!)ジェーン・スーが同じこと言ってたなあ。
極右と極左、フェミとアンフェ、突き詰めるとどちらも良く似てくるという事か🤔
(でもやっぱり時間とお金に余裕のある人向けの処方箋、ですね🥺)