寒波激しく、朝の天気予報では雪が降る為防寒着の着用を強く推奨される今日この頃。
僕こと――教師、緑谷出久は雄英高校が冬休みを迎えるということで、休み期間中の心得について壇上でスピーチを行おうとしていた。
「やっぱりなにを話そうかな?」
生活指導の教員が壇上で話をしている最中、出久は頭を整理しながら独りごちる。現在指導員が話している内容は主に生活習慣についての注意喚起で先程まで考えていた内容とダブっていた。
その上次は自分の番なので早く纏めないといけない。内心、出久はかなり焦っていた。
「緑谷、どうしたんだ?そんなに張り詰めて」
焦燥感に駆られ思考の海に浸っていると、それを引き戻すように脳内に低く男性的な声が木霊する。意識を現実へ移し、言葉の発生源を探すとその人物はすぐ隣にいた。
「あ!相澤先生!えっと、実はスピーチの内容を迷っていて⋯⋯」
「あー、もしかして考えてた内容今のと同じだったのか」
「はい⋯⋯」
悩む出久を見兼ね声を掛けたのは特徴の捕縛布を首元に巻いた全体的に清潔感のない教師――相澤消太だ。過去学生時代の出久の担任を務めた教師であり、彼の恩師である。
そんな恩師と時を経て社会人として共に働けているのは出久にとって僥倖だった。ただ、過去と現在でも関係性はあまり変わらない。
嘗てと同じようにこうして一方的な相談に乗ってもらっているため自覚はあるが、出久は教師面でかなり甘えてしまっている。
未だ甘えてしまう自分を未熟教師が恥ていると、相澤は「簡単なことだろ」と前置きし、
「お前は
「そう、ですかね?」
「あぁ必ずな。もう少し自信を持て緑谷。お前は教師であり、皆が認める英雄でもあるんだ。だからビシッと言ってやれ」
「⋯⋯はい!」
恩師に背中を押されて、出久は壇上へと上がっていく。先刻の不安げな表情は消え、晴れやかな笑顔を浮かべる彼の胸中は会場の誰にも分からない。
しかし、彼はどんな逆境に立たされても決して笑みを絶やさず、立ち向かう。それがヒーローの在るべき姿だと示して。
「では、僕から皆さんに改めて敵の⋯いえ、
そして、ヒーローではなくとも世界をより良い方向へ導いていく伝達者として彼はこの仕事を、教師を続けているのだ。
▽
「くぅぅ〜〜。これで今日も終わりか」
デスクの立ち並ぶ職員室で出久は固まった腰を高く伸ばす。時刻は六時頃で、窓の外を見れば空はちょうど薄明刻で雄英の近くの住宅街が明かりとして街を照らしている。
しかし、今日に限ってはその光に当てられる人々の姿は街路にはない。朝から激しさを増した吹雪がまだ続いているためだ。
「⋯⋯温かい飲み物でも買っていこう」
見るだけで体が堪える光景に出久は吐息すると自販機に寄ろうと決意する。デスクを立ち、まだ残業している職員の人達に一言挨拶すると、職員室を去る。
「明日の天気予報チェックしておこう」
雄英内にある自販機を目指して歩きながら、ポケットから端末を取りだして天気を確認する。
『天気予報士の雲行です。明日の天気は続く雪となりそうで、月の初旬から中旬に掛けてこの天気が続くという予報が出ています』
「やっばり変わんないかぁ。今朝も続くって言ってたし」
予報内容は今朝と同じで変わりはなく、出久は秘めていた淡い期待を砕かれ意気消沈。絶望に浸りながら自販機の前に立ち、慰めの缶コーヒーを選択した。
蓋を開けると早速口を付けるが、熱いのでチビチビと飲み始める。
『――雪が溶け、凍った影響で今日はスリップ事故が多発しています。これから帰宅する皆様は十分にご注意ください』
「怖いな⋯⋯駅まで気をつけよう」
付けっぱなしだった端末からそんな情報が耳に入り、少し背筋がゾッとしてしまう。帰宅に使う駅までの道は車の交通量が多く、危険も多い。
何か嫌な予感が直感を揺らしたが気に留めず出久は雄英の正門まで出る。
「さっむ!」
無事帰路に着いたのはいいものの、寒波と吹雪のダブルコンボにより出久の体は寒さに縮み上がっていた。明日はベットから起きられないかもしれない。
「カイロとか持ってくるんだった」
言葉を口にしながら白い息を吐くと出久は自身の手荷物に癖で手を伸ばそうとしたが腕を浮かせた所で止まった。所持している鞄、否、アタッシュケースには物を入れるスペースなど存在していない。
これは、別の仕事の際に使うスーツ入れだからだ。出来ればこのスーツが使われないような日常が続けばいいなと、出久はケースを憂い気に見ながら帰路を歩いていく。
すると、
「わ〜い!雪だ!真っ白で綺麗だなぁ!」
「本当だ!すごい、手にいっぱい持てるよ!」
自身のいる反対側の歩道で小学生ぐらいの小さな子供がはしゃいでいた。凍えるような寒さを忘れて無邪気に遊ぶ二人の子供を見て出久はほっこりと頬を緩ませた。
ジャリジャリとした積雪を掌一杯に掬いあげて雪玉を作った子供二人は互いに投げつけながら楽しんでいる。その光景に出久は幼少期の、幼馴染との雪合戦の記憶を重ねていた。
ほんわかとした空気感に幾らか体の芯が暖まったと感じ、出久は微笑を浮かべながら子供達から目を離す。誰もが安心して過ごせる世の中を築ければいいな、とそんな理想を想いながら。
――そんな晴れやかな心に緊張が走ったのは一瞬の出来事だった。
「止まって、止まってくれぇぇぇ!」
背後から耳を突くクラクション音と叫びがし、出久は瞬時に振り返る。凍った一本道の道路、子供達に今にも追突しそうな制御を失ったトラックが突っ込んで来ていた。
子供達はクラクション音に縮み上がり、道路の真ん中でへたり込んでいた。
――コスチューム『
「危ないッッ!!」
刹那の思考が最後、出久は全力で疾走し二人の子供を歩道へ突き飛ばす。ヘッドライトの光が視界全部を覆った瞬間、出久の意識はテレビの電源を切るが如く暗転した。
▽
暗闇の世界に小さな音色が鳴り響く。上下も左右もない空間でその音は広がっていく。聞こえる反響は綺麗で、透き通るような、だけど力強い『鐘』の音。
鐘が揺れる度、世界が揺れ動く。まるで起きろと急かすように。
「⋯⋯丈⋯か?」
揺らいだ世界は色を反転させ、沈む意識は鐘のような音に釣られて浮上していく。
「⋯⋯丈夫⋯ですか!」
浮上した先で世界は徐々に鮮明になった。視界には鮮やかな色が映り、鐘のような音は声の高い誰かの言葉へと変わっていく。
「⋯⋯大丈夫ですか!」
優しく響いた鐘の音が最後、脳内から音色が消え五感の全てが覚醒した。
「⋯あっ」
視界がクリアになり目の前光景を認識した直後、出久は抜けた声を出す。咄嗟に出たというのもあるが白髪の少年が心配そうにこちらを覗いていたため、反応してしまった。
「どうもありがとう、大丈夫だよ」
「よ、よかったぁ〜。あっ!どこか痛いところとかあったりしませんか?」
少年にそう言われ、出久は体を捻らせて具合を確かめるがそれらしい損傷や痛みすらない。先の事故を想像したら外傷がないことに違和感を覚えるが、一先ず出久は微笑むと、
「大丈夫!どこも悪くないよ」
少年の安堵を思い出久はサムズアップをしながら元気いっぱいなアピール。少年は余程緊迫していたのか吐息するとヘナヘナと地面に座り込んだ。
「状況的に、多分君が助けてくれたんだよね?本当にありがとう。突然トラックが突っ込んで来てたのに的確な判断が出来るなんて、君はすごいね!」
追突寸前なあの状況でまだ子供なのにも拘わらず自分を無傷で救出する技量は目を見張るものがあり出久は興奮気味に言葉を並べる。
しかしそんな出久に対し少年は照れたような困惑したような複雑な感情をすると、
「えっと、その、嬉しいんですけど⋯⋯とらっく?ってなんですか?」
低姿勢だった体を起こし少年は疑問を口にしながら苦笑した。少年のそんな常識外れの疑問に出久は思わず動揺し瞳孔を震わす。
「えっ、トラックって大型自動車のことだよ?荷物を積んで休む間もなく道路走ってる――」
「おい!そこの兄ちゃん、起きたんなら馬車に乗りな!特別に乗せてやる。早くしろ、これ以上待たせるようなら料金取るぞ!!」
愕然とした声色で出久が語っていると、少し離れた場所から男性の怒号のような声が割り込んでくる。
発言からしてかなり待たせているようだが、聞き捨てならないワードが脳内を先行し出久は内容が頭に入ってこなかった。
――馬車、そんな物が今の時代にある訳、
「嗚呼!ヤバい。取り敢えず早く行きましょう!」
「えっ⋯⋯あ、うん」
少年の慌ただしさに釣られて出久は走る小さな背中を横目に横に落ちていたケースを拾い上げて初めて辺りの状況を見渡した。視界に広がる光景は目を疑うような大自然。
眼下には透き通る程綺麗な小川や奥には高さを競い合うような木々の生い茂る山々、目についた人工的な建物は古風過ぎる木製の家が立ち並ぶ農村部だけだ。
「僕⋯⋯どこかにワープしたのか?」
出久は足を止め呆然と景色を見ながら思い至ったことを呟く。意識が途絶えてからの記憶はないが、そう暫定する他出久は考えられなかった。
状況整理にワープを材料にすれば、無傷なことも大自然の中にいる事も辻褄が合うのだ。ただ、引っ掛かる部分も多過ぎた。
それは、今の日本の地理的にこの様な大自然は存在しないことと、自分をワープさせた張本人が名乗り出ないことだ。
前者の大自然は海外の何処かの大陸だと言われても会話が日本語なのはおかしい。咄嗟に出る言葉が母国語以外なのは有り得ないだろう。
後者に関しては白髪の少年が張本人の可能性。これは限りなく低いと出久が考察した所で道に怒号が響く。
「早くしろ!!ノロマが!」
「――ッ!すみませんッ!」
盛大に謝罪を口にした出久は馬車の後ろに備え付けられた荷車へと飛び乗る。御者の「ッたく」という小さな悪態を皮切りに馬車は運行を始めた。
荷車内には本来は商業用なのか、壺や備品といった品々が積まれていて肩身は狭い。それに出久はそんな骨董品の品々と馬車に乗り合わせている状況自体に違和感がありまくりだった。
「お兄さん本当に大丈夫なんですか?もしかして足に違和感があったりするじゃ⋯⋯?」
「あっ、大丈夫だよ。ちょっと思う所があって足を止めてただけなんだ、急かせた上に無用な心配を掛けてごめんね」
「いえいえ!謝るなんてそんな⋯⋯!足に異常がなくてよかったです」
出久は対面に座している少年に話し掛けられてから気が付き、頭を下げて真摯に謝罪すると、少年は少し焦った様子で両の掌を振って謙虚に振る舞った。
常識の範疇を知らないこと以外は人の出来た良い子だなと出久は感想を抱きつつ疑念を晴らす為、疑問の核心に迫る。
「⋯⋯君に二つ質問していいかな?」
「えっ、えぇ、いいですよ」
「じゃあ一つ目は、ここは何処か教えて欲しい。二つ目は僕を事故から助けたのは君かそれとも別の誰かだったか覚えている範囲で全然構わないから教えて欲しい」
教師として教鞭を執っているからか、出久は相手が年下の子供場合、声色は優しく穏やかなものへ変化する。
白髪の少年も出久の焦燥感のない言葉にじっくりと時間を掛けて思考を回していた。だが、ハッキリとした答えは出てこず、
「えぇと、すいません。僕、小さな集落の出で地理とかあんまり詳しくないんですけど、今この馬車が向かっている行き先なら分かります。迷宮都市オラリオです」
「なるほど、迷宮都市オラリオ⋯⋯へっ?」
「二つ目の質問は、分かりません。僕は無傷の貴方が――」
「――ちょちょ待って!!?」
真摯な様子で自身の質問に答えていく少年に出久は上半身を飛び立たせて赤い紅玉ような目玉の前で手でストップのハンドサインを作る。
突然の静止の合図に少年は若干引いていたが、それでも「どうしました?」と心配の色を隠さず出久に話し掛けた。
「ご、ごめん。もしかして、だけど、これは僕の想像の遥か上を行っている状況かもしれない。もしそうなら本当に最悪だけど」
緑谷出久は物事を見極める能力が高い。故に、内側で積もっていた違和感が形を現すのも早かった。だが、まだ確信は得られていない。
「最悪なこと?今の会話でそんな要素はなかったと思いますけど、一体なにが?」
深刻そうに頭を抱える出久に少年は愁いの表情を覗かせる。そんな親身に寄り添う少年に出久は最後の希望を託して問い掛けた。
「君は、超人社会、またはヒーロー社会。飛行機、車、日本、ユーラシア大陸を始めとした六大陸。この中で一つでも聞き覚えのある単語はあるかな?」
「えっと⋯⋯」
数十秒の沈黙の後、白髪の少年は口を開いた。
「――ない、です」
「マ、マジでか⋯⋯」
全否定されたショックが大きく出久は小さく呻きながら、両膝を床に落とし頭を掻き毟る。そして行き場のない絶望と抱きながら、出久は確信を得た。
自分は全く別の世界に来てしまったのだと。
「マジかよォォォ――――!!!」
――理不尽は突如として訪れる。これが齢二十五歳にして真に実感した事柄。
――そして、この世界に来た僕の最初で最後の挫折だ。