それ以降、「4位以下なら社会人」と拒否の姿勢を見せながら、結局入団した選手がいた。ドラフト直後は拒否姿勢を見せながら、一夜明けて気持ちを整理したのか、入団した選手もいた。阪神側も会社も、当人に指名を伝えておらず、困惑して寮に〝立てこもった〟選手もいた。当時のサンスポの見出しは「隠し玉、隠し過ぎた!」。それでも、最終的には入団へ。
こうして、46年間、誰一人、入団拒否を貫いた選手がいない、史上まれにみる、愛される(?)球団になっている。もっとも46年間には、どうみても阪神ファンではない東日本の高校生が、担当スカウトに「阪神ファンです」と言わされて、相思相愛を強調。他球団の横やりを防いだパターンもあった。一時は入団選手が阪神ファンばかりで、「阪神は強行、冒険せず、必ず入団する阪神ファンしか指名しない」という噂まで流れてしまったことも。
ある年には「もし他球団が強行指名してきたら、ドラフト指名直後の会見が、その場で社会人の○○入団発表会見に切り替わる」と、阪神のスカウトがドラフト会場で必死で情報を流す場面にも遭遇した。いろんな苦労と、裏技と、情熱で継続されてきた「タイガース、100%入団」伝説。それは、それで評価しなければいけないのかも。
ことしも多彩な選手がやってくる。甲子園の地元がいる。阪神ファンもいた。言わされたのではなく、本当だろう。そして評価は数年経たないと分からない。誰にも…。そう、ドラフトは「運」だ。「4球団競合の末に抽選」で佐藤輝が入っていなかったら、「外れ外れ1位」の近本がいなかったら、「外れ1位」の森下が来ていなかったら、ことしの優勝はなかったのだから。
■上田 雅昭(うえだ・まさあき) 1962(昭和37)年8月24日生まれ、京都市出身。86年入社。近鉄、オリックス、阪神を担当。