第二次世界大戦中は田舎は普通に暮らしていたのでしょうか。 もうなくなってしまいましたが、昭和6年生まれの 親戚のおじいちゃんによく昔の話を聞かされましたが、

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思ったよりたくさんの回答がつき、 皆様ありがとうございます。 ひとつひとつ今から読ませていただきます。 回答ありがとうございました。

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戦争は、とかく悲惨な話のほうが大衆受けがいい、という事情もあるのかも。 戦争中なのに平和な生活を描いて、傑作が作れるのはよほど技量のある人だけでしょう。 平和だと「ドラマ」がないですからね。

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他の方も書かれていますが供出ですね。 当時は水飲み百姓制度も健在で田畑を持たぬ百姓は大変だったと聞いています。 庄屋など多くの農地を持つ者も国の供出が厳しかったが、その下の水飲み百姓はもっと過酷だったと聞いた。 米を食せぬ事は無かったが、芋の蔓はおかずで柿の皮の干したものはおやつだった。 都市部が空襲に遭えば町の親戚が疎開で口が増えてもっとヒモジクなったと聞いた。 真面に食事が出来るようになったのは、敗戦後のGHQによる農地解放政策(水飲み百姓制度の廃止)で安価で田畑が購入できてからだったそうです。 昭和の水飲み百姓制度は両親が庄屋で使われ、息子は軍需工場務め、子供は挺身徴用だったそうで。女学生だった母は挺身隊として泊で軍需工場(パラシュートの裁縫)に勤めていて、父と義理姉が山越え、谷超え、おにぎりを差し入れしてくれたそうです。あのおにぎりの差し入れが無ければ餓死していたと思うと言っていました。

大戦中は、強制的に供出米として農協を通じて出された。 野菜の芋類を主に食べた。米は米選機から落ちたくず米を鶏と同じく食べた。 馬は麦の殻スフを稲わらと混ぜて食べた。 家族は、10人兄妹と父母、祖父母に男女の若い手伝い人がいた。長屋門離れた部屋には、疎開家族を住まわせた。 総勢20人ぐらいの大家族でした。 県都には、終戦間近にB29の空襲で大火が有った。 B29の帰還中で1トン爆弾を落とされた街も有った。 終戦時は、進駐軍がジープで田舎に来ると情報から若い娘は、蔵の縁の下に隠れさせた。 鎧槍宝石などは裏山に埋め隠す。 進駐軍はやはり東京で歓楽街でパンパンと遊びまくった。闇市街は朝鮮系が仕切り戦後のヤクザの原形が出来たようです。東京から田舎に買出しによく来た。 米麦や卵を買って帰る。 麦1合とパン1個交換、卵10円と高価でしたね。 産めや増やせやで子供を生まさせたて子供等を戦地に送り込んだ。 我家も戦死者がいます。 戦争は負けちゃ悲惨です。 おんな子どもは、一番可愛そうだね。

田舎と言っても、農家でない職業の家はそれなりに苦労しました。 販売されている食料の絶対数が激減するわけで、畑作業するのが当たり前。 20才以下の栄養を摂るべき年代の子はモロに成長に悪影響出ていました。兄弟姉妹が多い家では、戦中世代だけ明らかに身体つきが貧弱で寿命も長くないです。

まあ、正直なところ、「関係ない」みたいな人たちも結構いたでしょうね。 「兵隊」は国民の義務といったところで、20歳になった男性の1~2割程度しかならない訳です。 例えば、小中学校のクラスが50人だとして、男女半数づつだとすれば、3人ほどですよ。 そこに引っかかると、その後も10年くらいは再び呼ばれることは有り得るんですが、そうでなければまず呼ばれることもありません。 まあ、戦争が激化して、その時代に20歳になる層なら、最終的には8割以上が呼ばれちゃう訳ですが、例えばご指摘の、終戦時に14歳とその親、30歳後半で兵役経験がないとすれば、だれも戦争には引っかからない、小さな村落なら、「誰も出征していない」なんてことも有り得たでしょう。 そうなると、当時はテレビはないし、ラジオを持っていない家も普通でしたから、今までと何も変わらない、とも言える生活は当然にあった筈です。 例えば「空襲」なんかにしても、関東から東海地方だと、日常茶飯事でしたが、一度も無かったような都市は全国に無数にあります。 むしろ「爆弾が落ちた場所」の方が圧倒的に少ない訳です。 だから、あの「広島」でさえ、「空襲警報が出ていても、誰も気にしていなかった」と私の知っている被爆者の方は仰っていました。 有名な話で、「小倉」なんか、原爆を持った飛行機が上空で3回も落とそうと旋回していた訳ですが、ほとんどの人は知らない訳ですよ。 このお話みたいに「そういえばアメリカの飛行機が飛んでた」みたいに終わっている訳です。 ある意味、逆に「貴重な証言」かもしれませんね、普通、「そんなことない、大変だった」とか言う人の方が多いですからね。 空襲が無かった都市なんてのも無数にあるのに、妙な屁理屈つけて「○○だから空襲されなかった」的な与太話も多いですからね。