アートの感動をすべての人へ 障がい者の鑑賞支援に助成

公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 活動支援部 助成課のスタッフたち

 東京都は、誰もが芸術文化に触れることができる環境づくりに力を入れている。背景の1つは、2025年秋に予定されている世界陸上と聴覚障害者のアスリートによる国際スポーツ競技大会「デフリンピック」開催だ。芸術文化の分野でも鑑賞サポートへの助成を通じ、アクセシビリティー(利便性、使いやすさ)を高めようとしている。公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京の佐藤泰紀・支援プログラム担当係長をはじめ、舞台手話通訳者、舞台制作者に、最新の取り組み状況を聞いた。

舞台で手話通訳する田中結夏さん

インタビューに答える舞台手話通訳者の田中結夏さん

 「わくわく感を思い出した」

 2月のある日、都内の小田急線下北沢駅東改札口から徒歩で約3分にある本多劇場で、タカハ劇団の「他者の国」(脚本・演出、高羽彩)が上演された。公演期間は4日間、うち2日間の昼の部は鑑賞サポート付きだ。
 開演に合わせ、舞台に向かって右側の袖に、1人の女性が登場。演者がセリフを話し始めると、その女性は、あたかも自分が演者になったかのように、全身を使いながら手話で通訳を始めた。客席の一角では、女性の手話を見たり、貸し出しされたバリアフリー字幕タブレットや音声ガイドを利用したりしながら、舞台上の演者の動きを追う観客がいた。
 その舞台に立っている女性が、田中結夏さんだ。俳優として活動しながら、2023年5月に、文化芸術専門の手話通訳事業を手がける任意団体「となりのきのこ」を立ち上げた。「埼玉の高校の舞台芸術科で勉強した際に出会った先生から、とても影響を受けました。先生からは『人間を知ることが役者の基礎となる』と教わったり、『役者になって安定的に稼げる人は少数だ』などの刺激的な講義を受けたりと、この先生からもっと演劇を学びたいと思うようになった」と笑いながら語った。
 大学卒業後、もう一度、演劇の勉強をしたいと、アルバイトをしながら都内の演劇学校に通い始めると、役者としてすでに活動していたろう者の女性に出会い「手話という言語に魅了された」という。
 田中さんは「同期生の彼女の人柄が素敵だったので、もっと話してみたいという思いと、彼女が話している手話という言語が美しく魅力的だった」と振り返る。そこから、ろう者の人たちと作品をつくってみたい、一緒に仕事をしてみたいと思い始めた。田中さんは「手話は英語や日本語などと同じ言語です。文化へのリスペクトを持ちながら、引き続き、一生懸命に勉強します。手話を学び続けながら、多様な言語、文化を持つキャスト・スタッフと1つの作品を創作していくことは楽しいです」と話す。
 舞台手話通訳者は、台本を読み込み、理解した上で手話に翻訳するほか、稽古にも参加し、キャスト・スタッフと一緒に作品を仕上げていく。上演当日は、他の手話通訳者と交代で出演することもあるが、1人体制で舞台に立ち続けることもあり、「大変ではないと言ったら嘘になりますが、それを上回るくらい楽しいです。作品や出演者の魅力を届けたいという思いで取り組んでいます」と話す。
 あるろう者からの言葉が心に残っているという。「田中さんの手話でセリフ、効果音の情報が理解でき、演劇を堪能できました。久しぶりに、生で劇を観ることができ、あのわくわく感を思い出しました」。

インタビューに答えるアーツカウンシル東京の佐藤泰紀さん

視覚支援機器を用いた展示物の鑑賞

 「150万円を上限に対象経費の全額を助成」

 鑑賞サポートを実施するには、費用がかかる。新型コロナウイルス禍を経て、観客数が以前の水準に戻らない劇団が多い中、演劇制作に関連する経費とは別に、鑑賞サポートのための費用の捻出は難しい。このため今回のタカハ劇団の鑑賞サポートも、「東京芸術文化鑑賞サポート助成」を活用して、実施された。
2024年度に新設されたこの制度は、東京都内の芸術団体、民間団体、劇場・ホールなど幅広い団体が対象となり、より多くの公演や展覧会等で鑑賞サポートが実施され、あらゆる人が充実した鑑賞体験を得られることを目指している。
 アーツカウンシル東京で助成の実務を担当する佐藤さんは「鑑賞者、参加者を対象とするアクセシビリティーの向上を目的とした取り組みに対し、150万円を上限に対象経費の全額を助成しています」、具体的には、手話通訳、点字翻訳、バリアフリー日本語字幕、アクセシビリティーの環境を考える専門家の配置など、「誰もが芸術文化の鑑賞に参加しやすく、申し込みもしやすくする取り組み。また、美術館の展示、劇場やホールでの公演などを鑑賞しやすくするために、主催者が実施するサポートなどが助成対象です」と話す。

貸し出しされた「UDCast LIVE」の字幕タブレット

アクセシビリティーという考え方

 東京都はこれまで、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」開催のレガシーとして、障がい等の有無にかかわらず、芸術文化をはじめとしたさまざまな社会活動に誰もが参加しやすくなるための制度を整えてきている。そのような取り組みが進む中、都は2022年度から2030年度までの長期計画「東京文化戦略2030」を策定。それによると、4つある戦略の1つに「誰もが芸術文化に身近に触れられる環境を整え、人々の幸せに寄与する~人々のウェルビーイングの実現に貢献する~」が定められている。その方針の下、「東京都とアーツカウンシル東京は『クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー』という事業に取り組んでいます。東京都内には、東京文化会館、東京都庭園美術館など計11の都立文化施設があります。2016年に「障害者差別解消法」が施行され、国や地方公共団体は障がい者への合理的な配慮が義務づけられ、手話対応、点字案内、鑑賞するための支援機器の導入など、環境を整備しています。鑑賞サポートに対する助成もその一環と位置付けられています」と経緯を振り返った。
この助成については「制度を活用していただくことを通じ、芸術文化のアクセシビリティーに対する理解の促進や、ノウハウの蓄積につながることを目的にしています」と強調する。
 佐藤さんは「アクセシビリティー」という言葉が重要だ、という。Access(アクセス=近づく・アクセスする)という言葉に、Ability(アビリティー=能力、~できること)を掛け合わせた、Accessibility(アクセシビリティー)は「(製品やサービスなどを)利用できる、アクセスできること」という意味になる。つまり、障がい等の有無、その度合いなどにかかわらず、「あらゆる人たちが芸術文化にアクセスできる環境をつくり出すことが目標です」と話す。
 東京芸術文化鑑賞サポート助成を受けようとする申請団体は、東京芸術文化相談サポートセンター「アートノト」によるアクセシビリティー講座「鑑賞サポート入門」の受講が条件となっている。内容は、「基礎知識編」「視覚障害者編」「聴覚障害者編」の3つのオンライン動画で構成。佐藤さんは「初めて鑑賞サポートの導入を検討されている方は、何から準備すればよいのか、わからないことが多いかと思います。この講座を受講いただければ、取り組みにあたってのヒントが得られるでしょう」と話した。

インタビューに答える「momocan」(モモカン)の半田桃子さん

「タカハ劇団」の「他者の国」で、手話通訳を行う田中結夏さん(右端)

 「客席の多様性が演技を豊かにする」

 鑑賞サポートの普及に力を注ぐ女性がいる。小劇場運営のサポートや商業演劇の制作進行に加え、俳優や劇作家・演出家のアーティストマネジメントを手がける株式会社「momocan」(モモカン)代表取締役の半田桃子さんだ。香川県高松市出身の半田さんは、大学進学で上京し、演劇サークルに入り、この世界と出会った。サークルでは、「あまり人前に出てしゃべるのが得意ではない」ため、舞台監督や照明、制作など〝裏方〟として活躍した。
 卒業後は会社の営業職として約1年働いたが、「知り合いの方が舞台制作部員を募集しており、『やりませんか』とお誘いを受けました。演劇をやっていきたいという思いが自分の根っこにあったので、迷わず転職しました」と笑いながら話す。
 2020年に独立した後、タカハ劇団の主宰である高羽彩さんから、「タカハ劇団で鑑賞サポートをやりたいので、手話を使う役を登場させたい」と相談があり、そこから鑑賞サポートに関わることになったという。「鑑賞サポートについて、当時はその大変さをよくわかっていませんでした。バリアフリー字幕や音声ガイドなどを手がけるPalabra(パラブラ)の方からアドバイスを受けました。鑑賞サポートは、やろうと思えば、さまざまなメニューがありますが、Palabraの担当者からは『いきなり全部をやろうとしないで、できるところからやればいいんですよ』と言われ、肩の荷がおりました」と振り返る。
 ただ、当時は鑑賞サポートに特化した助成制度はなく、公演全体に対して助成がされていた。半田さんは「鑑賞サポートに限定した助成制度は、より導入がしやすくなり、本当にありがたいと思います」と強調。「演出家は公演をする際、予算をかけたい力点が人によって違ってきます。舞台美術に、あるいはキャストやスタッフに...、予算があるのならば、自分の作品が少しでもよくなる方向にお金をかけたい、と考える人が多いようです。その発想は、自然なことでしょうが、鑑賞サポートに特化した助成制度が誕生したことで、鑑賞サポートを導入しましょうと、私は演出家を説得しやすくなりました」と語った。

ミュージカル「SIX」で鑑賞サポートについて案内するスタンド(半田桃子さん提供)

 記念すべき日

 2月5日、東京・EXシアター六本木で、ミュージカル「SIX」(シックス)が上演され、半田さんはX(旧ツイッター)に「日本で記念すべき日でした」と記した。
 この日の「SIX」公演は、劇場約920席のうち、約50席の鑑賞サポート席が完売したからだ。舞台手話通訳が付き、字幕ガイドの貸し出しが行われた。
 半田さんは「これほど大きな規模のミュージカルで舞台手話通訳がつき、鑑賞サポート席が満席となるのは初めてのことではないか。会場は盛り上がり、多くのサポートが必要な方がミュージカルを楽しんでおられました」と話す。
 この日の舞台の右袖には、冒頭に出てきた田中さんの姿があった。実は、半田さんは、田中さんとともに、事業者に向けて昨年夏ごろから、舞台手話通訳をつけてもらおうと、働きかけていたのだ。一方で、公演主催者は以前から鑑賞サポートの実施を課題として持っていた上、「SIX」のロンドン公演では舞台手話通訳が日常的に行われているため、日本公演でのさまざまな鑑賞サポートの実施を検討していた。その思いと「日本でも舞台手話通訳を広めたい」という半田さんと田中さんの思いが一致したことが、今回の助成制度の活用につながったという。
 「この助成制度をご存じない団体の方も少なからずいますので、少しでも活用していただき、サポートが必要な方々に、舞台芸術の感動を届けていきたい」と意気込みを語る。
 長年、舞台を見続けてきた半田さんは「手話や字幕・音声ガイドなど多様な方法で楽しむ方が客席で観劇されていることを実感すると、出演する俳優の意識も変わり、熱量の高い舞台になることが多いです」と指摘する。鑑賞サポートを実施する際、開演の約1時間前に劇場内で、サポートが必要な方たちを対象に「事前舞台説明会」を開く。作品への理解が進んだ観客の反応が舞台上の俳優に伝わり、その反応を観客が受け取り、「観客と俳優との『気』のキャッチボールのようなものが生まれやすい」と話す。

「一歩を踏み出す」

 東京都とアーツカウンシル東京は、昨年の11月に第4弾となる採択事業決定とともに、2024年度の申請受付を終了したことを公表した。それによると、助成は計47団体、62の企画が採択されたという。分野別では、演劇公演が32公演と一番多く、ミュージカルの8公演が続いた。
佐藤さんは「鑑賞サポートを利用できる席を確保しても、それを利用する方が来場しなければ、興行的にマイナスとなってしまう可能性があります。鑑賞サポートの準備をするだけではなく、サポートが必要な方々にどのように情報を届けるのか、どのように来場してもらうのかという現場側の課題も聞こえてきます」とした上で「鑑賞サポートの導入には予算やノウハウの面などさまざまなハードルがあるかと思いますが、芸術文化団体の皆さんが一歩を踏み出すきっかけとしてこの助成制度を活用していただくことで、鑑賞サポートはインフラのように必要なものであるという考え方が、社会へ広がっていくことに少しずつでもつながっていけば」と力を込めた。