外の猫どんどん回収運動のスタート地点
Xでずいぶん長文をたくさん投下してしまったが(持っててよかった青バッジ)、既に数名には詳細も相談しているところであり、タイトルの通り、制度や仕組み、実現に向けた各種設計を進めている。
「設計」というとプログラムや建築物を作ったりする「モノづくりに向けた工程」と思う人もいるかも知れないが、制度を設計する、仕組みを設計するというのは、プロジェクトを起ち上げ進めるうえでもっとも重要な思考のプロセスであり、これを怠るとプロジェクトの主旨やミッションを見失いがちになる。
この取り組みに関する記事に限っては「カテゴリ」を設けて、客観的な進捗の確認や評価がしやすいようにしていくので、是非多くの方にウォッチしていただき、気付いたことがあれば積極的に意見を出してほしいと思っている。
「外の猫どんどん回収運動」の第一義は、その名の通り「外にいる猫をどんどん屋内にしまう」という取り組みだ。
誰でも見たことがあるだろう。
汚れた毛並みで、何かを待つようにじっと佇む外の猫を。
何かで怪我をして、かさぶたが黒く変色してしまった外の猫を。
悪天候の日に、餌やり場で人間を信じて待ち続ける外の猫を。
交通量が多い車道で、隙を狙って大急ぎで道を走り抜ける外の猫を。
そして不幸にも、事故に遭っていのちを落としてしまった外の猫を。
イエネコという種類の動物が本来どういう環境で生きるのが正解なのか、それを差し置いても、街の中で危険にさらされながら生きていくことが正解ではないと私は思う。
私と猫の原体験
子どものころ祖母が猫好きで、「くろ」という名の黒猫を飼っていた。
くろはもともと近所で飼われていたが、飼い主が亡くなり、祖母が引き取り飼い始めたのだった。
祖母の家に遊びに行くと、祖母は必ず私にくろの餌を用意するように言った。
メーカーなどは忘れたが、ウェットフードに鰹節をまぶしたものを与えていたと思う。
トイレの世話は祖父がやっていた。
今の価値観や適正飼養の考え方からは外れるが、くろは窓を開けていても、縁側でじっと日に当たり、家から出ることはなかった。
祖母によく懐き、夜は活発で、いたずらもしない賢い猫だった。
思い返すと、あの時代(40年以上前)にしては祖母はとてもよくくろの面倒を見て、最期は自分の部屋で看取っていた。
くろが死んでしまってから10年近く祖母は猫を飼わなかったが、ある日数匹の猫が家に入ってきた。
1匹は妊娠していて、上がり込んだその日に子猫を産んでしまった。
祖母は子猫を取り上げ、母猫に寝床を用意して動物病院へ連絡していた。
このときちょうどゴールデンウイークで、私も生まれたばかりの子猫たちを目にして、その小ささにとても驚いた記憶がある。
祖母宅に入ってきた猫のうち1匹はすぐにどこかへ行ってしまったが、母猫を含めて3匹の成猫と、4匹の子猫が残った。
祖母はそのころ大型犬を2頭飼っていて、面倒が見切れないと言い里親を探すことにした。
2ヶ月程度だったと思うが、成猫の病気の検査やワクチン、不妊化手術などを経て、無事に子猫を含めたすべての猫の里親が決まったのだ。
最後の1匹を里親さんに渡すとき、祖母は「元気でね」と泣いていたし、一緒にいた私も泣いてしまった。
何度も祖母に「私が面倒みるから飼えばいいのに!」と詰め寄ったが、祖母は
「毎日来れないでしょう」
「ご飯をあげるだけがお世話じゃない」
「人にわたったほうが幸せになることもある」
と窘めるのだった。
これが、私と猫の原体験だ。
なぜ猫をどんどん回収したくなったのか
一言で言えば、上述の状況で外に置かれている猫を「見てられない」という気持ちがある。
そしてそこから踏み込み「ボランティアさんが円滑に活動できる仕組みづくり」をしたいと思うようになった。
ボランティアさんが「円滑でない」のは、保護活動のアナログな面もそうだが、保護活動そのものに対する社会からの誤解も大きいと感じた側面もある。
「ボランティアなんだから無償でやれ」「支援を要請するな」という意見も、一面的に見れば分からないでもない。
誰に頼まれたことでもないのだから人に頼るな、というのが主張の根拠だろう。理解できる。
だが一方で、行政が拾いきれない社会問題に対して、自分の時間と金を犠牲にして活動しているボランティアさんはもっと敬意を持たれるべきだし、社会問題をボランティア任せにしてすべて丸投げ、というのはいささか無責任ではないか?というのが私の意見だ。
外に猫がいる。適正な状態ではない。
保護して里親に繋げたい。できれば社会から野良猫と言う存在がいなくなってほしい。
だが様々な制約、事情があり自力では難しい。
そういうボランティアさんが、活動をあきらめることなく、かつより活動しやすい土壌を作っていきたい。
活動の活性化と効率化は保護実績の向上につながり、結果として外の猫を減らし、猫全体の幸福度向上につながる。
誰を幸せにすれば全体が幸せになるか。
これを考えた結果、この仕組みづくりが必要と思い、さまざまに思考を積み上げている状態です。
どうせ形にならずに飽きて終わるんだろうけど、回収して去勢して終わり?
現実問題として糞尿被害があるのに「これ以上増えないから我慢しろ」ってのは貴方の自己満足でしかない