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Conversation

増山議員を初めとする3人の維新のメンバーが非常に厳しい処分を受けたことについて、兵庫県の有権者から「戦っていた彼らを切り、維新は保身に走った」と批判されています。 党のガバナンスが効かないということは政党政治にとって非常に深刻であることから、厳しい処分となったわけですが、彼らが百条委員会で取り組んできた姿勢を思い起こせば、党から離れるのは非常に残念だと感じています。きっと彼らも断腸の思いがあるでしょう。 一連の斎藤知事の事案について、維新は何か間違っていたことがあったのか、どうすべきであったのかを振り返りたいと思います。 百条委員会での維新は戦っていたといえます。当初、維新は、パワハラ問題は専門家で構成される第三者委員会が有効であると考えたため、百条委員会の設置には反対でした。 そのため他会派から「真相究明に反対する維新」と評価されながら、百条委員会が始まりました。 私が百条委員会設置の背景に政局があると感じていたのは、以前お伝えした通りです。徐々に百条委員会の目的が、「パワハラ問題」から「内部通報が有効かどうか」に変わり、斎藤知事を辞めさせたいという空気の中で、メディアや県民から齋藤知事は批判されました。知事を推薦した日本維新の会も同じく、悪いと叩かれていました。 このことで維新の県議会はもちろん、兵庫維新の会、日本維新の会の本部は悩んでいました。以前も書いた通り、日本維新の会は斎藤知事に対して、パワハラが認定されるまでは不信任は出さないとしましたが、斎藤批判の声は一向に止むことなく、ついに斎藤知事に「出直し選挙」を打診し、不信任決議案を出したのです。 パワハラを認定する前に不信任を出したことは、失敗だったという批判があります。しかし、齋藤知事が県民に支持され、世論が変わったのはこの後ですから、あの時の大衆の空気に逆らうことが果たしてできたのかどうかです。維新の会は数回にわたって党内で議論をしましたが、政治集団としての結果的判断は「知事出直し」でした。 党が苦悩するうちに始まった知事選挙、齋藤候補に対する想いや清水候補を維新公認や推薦にできなかったことなどで、一丸となれませんでしたが、我々執行部の判断に迷いがあったことも関係しています。 百条委員会で守秘義務を破ったことが問題になりました。他党の党首に助けを求めたことは党人として良くなかったと思います。その結果、維新の判断は規律を重視した結果となりました。 しかし、岸口議員と増山議員の性根は「改革派が負けてはならない」ということであって、それが「一縷の望み」でもありましたから、除名、離党勧告はやはり非常に残念です。 百条委員会は、証人喚問や資料請求、現地調査など行政に対して強力な調査権限を持ちます。 行政を監査する百条委員会の法的な意義は、つまるところ議会制民主主義の確保にあると思っています。 真相究明を目的とする百条委員会が、その結論を出さずに知事に対して不信任を出すということ。 百条委員会で諮ることを止めて選挙という形で県民に再び問うこと。 これらを選んだ時点で、百条委員会はもはや機能していなかったのです。 百条委員会の最終案が合意されたと聞きました。 パワハラの認定については、「パワハラ行為と言っても過言ではない不適切なものだった」との文言に留まりました。 21億6000万円もの税金をかけて県知事選を行った結果、県民の信託を得て再任した斉藤知事に対し、再び百条委員会を開催し、同じ結論を出している。 この一連の流れこそまさに、県政を停滞させたのではないでしょうか。 政治家は役人と違い、これまでやってきた価値観と新しい価値観を熟考し、変えていくことですから、改革することが政治家の本分です。「言葉を発し、そして行動する」、「維新スピリット」を無くさないように心掛けて活動していきます。