バイト先の公民館に、素敵な男が居た。
その男は、いつも信じられない量のプリントを持っている。
ころころ変わる生徒に合わせて、適宜プリントを差し出す。
なんて、中学生想いなのか。
彼、とても優しそう。
素敵だわ。こんな人といっしょに過ごせたら、きっとQOLが爆上がりだわ。
授業後、私は彼に話しかけてみた。
「お疲れ様です。今日も生徒多くて大変でしたね」
彼はプリントを睨みつけながら言う。
「お疲れ。あいつら、このままのペースで合格できるんですかねぇ。心配だわ。もっと基礎のところのプリントを持ってきてあげないと。で、俺の担当2人内容被ってるから2枚刷ってこねえとな。そっちはどうかい?」
私は何も言えなかった。
私はただ、宿題をしている生徒をぼーっと見ているだけで、質問があれば答えるくらい。
生徒がこのままのペースで受かるかなど、考えても居なかった。
ここは進学塾ではない。そこまで考える必要はないと思っていた。
彼は、生徒が帰った後も、プリントを睨みつけて、生徒のことをずっと心配して、生徒のことを想っている。
なんて仕事熱心な方だろうか。たかがバイトなのに。
素敵な眼差し、ほどよい高さの背、ちょっとだけ流している前髪。
名札には「しゅんき」と書いてある。
この人、素敵だわ。
しゅんき、良いわね。
公民館を出たところで、車にそそくさと乗りこむ彼を引き留め、話しかけた。
「すみません、ちょっと私あまりこういうバイト慣れてなくて。相談とかしたいので、連絡先交換させてもらってもいいですか」
彼は「はいはいはいはいはい」と言ってすぐにQRコードを出し、すぐにLINEを交換してくれた。
「なんかあったら、いつでも言ってくれて良いから」と言い残し、彼はすぐに車に乗り込み、いの一番に公民館を出た。
なんて立ち回りのうまくて手際の良い男だろうか。
私は家に帰ってからもずっと、彼のことが頭から離れなかった。
頭の中で
「LINE交換してもらっていいですか」
「はいはいはいはいはい」という音声がずっと流れる。
彼、彼女とかいるのかな。
きっといるだろう。
私なんかには、到底無理だわ。しゅんきと付き合うなんて。
とりあえず、彼の情報を収集しなければ。
翌週のバイトから、彼の話している言葉をなるべく盗み聞きすることにした。
彼は何も知らず、中学生と楽しそうに喋っている。
「最近掃除の時間ずっとみんなで元カレの愚痴大会してて…」
「ははは。そうなんだ。でもな、本人に言えないようなことはな、あんまり声に出して言ったらよくないんだ。な。本人の目の前でも堂々と言えるようなことじゃなけりゃ、喋るな。でもな、先生は元カノとか一切いないし、今付き合ってる人もいない。君らは中学生できちんと恋愛出来て素晴らしい」
なんと、彼は一度も人とお付き合いしたことが無いみたいだ。
ビッグチャンスだわ。
彼は20歳前後だろう。あのくらいの年で恋愛経験が無いのなら、焦っているだろう。早いうちに一度は恋愛をしてみなければと思っているはずだ。
こちらから仕掛ければイチコロさ。
彼をオトすために、もう少し盗み聞き。
「お腹減ったよね。みんな何か食べた~?先生ここ来る前ちょっとバタバタしててさ、今日晩飯まだなんだよね。いっつも先食べてくるんだけど」
「今日ハンバーグだった。先生何食べるの?」
「先生はな、もう帰って飯つくるとか親につくってもらうと大変だから、とんかつ食べに行くわ。和幸っていう店がいちばん好きだな~。」
いいこと聞いたわ。和幸に誘うことにしよう。
さすがに今日は無理だけど、今度連れていこう。
「先生…先生?」
いけない。
しゅんき達の会話を盗み聞きするのに夢中になって、
自分の担当の生徒に呼ばれているのに気づいていなかった。
「あぁ、ごめんごめん。なんだった?」
「これわかんない。教えて!」
生徒に問題の解説を要求された。
え…なにこれ…難しい…。
高校受験の過去問らしいが、複雑な図形が描かれていて、どうやって解けばいいのかわからない。
「ちょっと待ってね」
私は他の先生に助けを求めることにした。
あまり他の先生に喋りかけたこともないし、せっかくならしゅんきに助けを求めよう。
「しゅんき先生、すみません、ちょっといいですか」
「はいはいはいはいはい」
「この問題なんですけれど、ちょっとこの子に教えてやってもらっていいですか」
「はいはいはいはいはい。図形ね。入試ね。多分相似とか三平方とかその辺でしょ」
彼はこなれた様子で、手際よく解説を進めていく。
「よし!これで出来るようになったな!またなんかあったら呼べ」
「はい。先生ありがとうございます」
あっという間に解決した。
私は何が起きたかわからなかった。
それくらい一瞬で理解させていた。
授業後、帰宅してから私はやはりしゅんきのことが気になる。
彼にLINEを入れることにした。
「しゅんき先生、今日もお疲れさまでした。私正直高校入試レベルの数学でも若干できない問題あって、今日助けていただいて助かりました。とても教えるのが上手で、私にも今度生徒への対応とかいろいろ教えていただきたいです。しゅんき先生ともっとお話してみたいので、今度お食事でもどうですか」
すぐに返事が来た。
「わかりました。ぜひぜひ。今週は木曜日以外だったら空いてます」
すぐに日程を決めた。
私は
「明日の19時に駅前のとんかつ和幸に来てください」と送った。
彼は
「了解です」と返してくれた。
待ち合わせの日。
いつもは公民館とは言え塾のようなバイトだからカチッとした格好をしている。
でも、今回はしゅんきをオトさなければ。
小洒落た格好で行ってみよう。
小洒落た格好で私はお店に向かった。
店に着くと、一足先に彼がいた。
「空いてるみたいだから。はいはいはいはいはい」
「奥行け奥」
奥の席に誘導され、
彼はすぐメニューを取った。
「何が良い?私は毎回『ひとくちヒレカツ御飯』食べるから。ね」
私は「ん-、じゃあ、私もそれで」と、とりあえず同じものを頼むことにした。同じにしておけば、なんか親近感とか沸くかもしれないし、好みがいっしょだと思ってもらえてお近づきになれるかもしれない。
店員がおしぼりと温かいお茶を持ってきて「ご注文は後程でよろしいですか?」と言った。
しゅんきは即座に「今いいですか。ひとくちヒレカツ御飯2つと、あと、お冷2つもらっていいですか。すみません」と言った。
わたしは驚いた。
わざわざ水を頼んでくれるなんて。
みんな、言葉にはしないけれど、温かいお茶を出されるよりは水が良いよなと、薄っすら思っている。
それを察して、こちらには何も言わず水を頼んでくれるなんて。
やはり、塾での振る舞いもそうだが、手際が良くて、立ち回りが素敵で、なんて気の利く男だろうか。素敵。
注文してひと段落すると、彼は言った。
「いやー、とんかつ和幸で待ち合わせって言われたときすごいビックリして。私、この店めちゃくちゃ好きでさ。すごい気が合うな~って思って」
私は「えーー!そうなんですね!!びっくり!」と、盗み聞きしたことはなかったことにして言った。
「いや~、このあたりに数ある飲食店の中からここを選ぶか!と思って。センスあるよ。うん。センスあるって言うかね、センスが私と合ってる。うん。他の店が悪いわけじゃないんだけどね」
しめしめ。彼は私とセンスが合うと勘違いしている。
順調だ。
このペースで行けば、かんたんに恋に落とせる。
そんなことを喋っていると、あっという間にとんかつが到着。
私は「いただきます」と小声で言った。
するとしゅんきは
「いただきますってちゃんとわざわざ言う人って本当に素晴らしいなって思うんだよね。たまに見かけるけど。私そのたびに、あぁ~『いただきます』って、そんな言葉あったな~って思い出す。うん。自分でひとりのときとか言わないもんね。ちゃんと思い出して、時々言わないとね」と言った。
私の何気ない「いただきます」で己を顧みることができる。素敵な方だ。
そういえば、以前彼が生徒に
「いやいや、ありがとう。先生のほうこそ沢山勉強させてもらったよ」なんて言っているのを見たことがある。
どんな人からも学びを得て吸収して成長しようとしているその姿。
私も見習わなければ。
会うたびに、彼の素敵な生き方に惚れる。
そんなことを思いながら、食べすすめた。
彼が言った。「味噌汁頼むけど、なんかおかわりいる?」
私は「いや、良い」と言った。
彼は、私がちょうど定食を全て完食するまでの間に、味噌汁を4杯飲んだ。
私は「ごめんなさい。私食べるの遅くて、暇でしたよね。すみません。味噌汁4杯も飲ませて」
彼は
「いやいや。しじみの味噌汁私大好きで。いつもこれくらい飲みますよ。全然ゆっくり食べてもらって」と言って笑った。
よかった。私も本当は味噌汁が大好きだ。
何杯でもおかわりしたいと思う。
でも、あまり飲みすぎると変な奴だと思われるかもしれないと思って、あえておかわりはしなかったのだ。女性がそんなに大食いだと嫌がる男の人も多いだろうし。
でも、しゅんきはいつも味噌汁を4杯飲むらしい。
しゅんき、意外と私に似ているところもあるのだな。
私は、本当は自分もたくさん飲みたかったということを打ち明けた。
そして、何杯飲めるか勝負することにした。
しゅんきは
「いいよ、とりあえずこっちは4杯飲んだから、そっちが4杯飲むまでちょっと待ってやる」と言った。
私は急いで4杯飲んだ。
しゅんきは
「いや!ちゃんとしじみ食べないと!実を残さないで!磯野貴理子に嫌われるよ!あの人、ホンマでっか!TVで結婚したい男の人はどういう人?って聞かれたときに『しじみの味噌汁のしじみを全部食べる人』って言ってたよ!」などと言っている。
面白い。
「あはは!よくおぼえてるね!貴理さんってなんか良い人そうだよね。私もホンマでっか毎週みてる~」
しゅんきとの会話は楽しい。
しゅんきの言うジョークは面白い。
ふたりでたくさん笑いながら、喋りながら、どんどん味噌汁を飲んだ。
ふたりとも6杯で限界だった。
しゅんきが言った。
「なんか、私達、気が合うね。お前はちゃんと、話の本筋をとらえてそこを面白がってくれてる。話しやすい。楽しい。よく笑ってくれるし」
しゅんきは、話の本筋をとらえて喋れる、よく笑ってくれる人間が好きみたいだ。
なんだか、しゅんきが、私のことを、好きな女を見るような目で見ている気がした。
これはいける。
次食事に誘えば、そろそろ付き合えそうだ。
私達の恋は、まだ始まったばかりだ。
