気のいいおっちゃんになりたい
2021/06/24
人はどう足掻いても歳をとっていく。中身の部分を全く変えないことが出来たとしても、外見は老いていく。それにつれて人からの見られ方もどんどん変わっていって、全く中身が変わっていないとそれ相応の見られ方をする。例えば、子供の頃は元気で明るい奴だったが、歳をとってもそのままでいたらどうだろう。歳に見合わないくらいうるさい、子供っぽい奴だと思われるのではないか。つまり、ぼくらは年相応の振る舞いを求められていて、いつまでもこのままではいられない、ということだ。
じゃあ、どういう大人になりたいか。子供の頃は「どういう大人になりたい?」なんて聞かれたら、「プロ野球選手!」とか、「パン屋さん!」とか、職業で答えていた。だが、それはあくまでレッテルの一つであって、どういう人間かを表すものではない。大人と呼ばれる年齢になってから、「どういう大人になりたいか」なんて聞かれる機会はそうない。そうなれるなら既になっていて、今考えるにはもう遅いからだろうか。ならば今、その更に少し先、どういうおじさんになりたいかを考えてみようと思う。
ここでタイトル、「気のいいおっちゃんになりたい」。大人になるにつれて、若者に迎合することが難しくなってくるだろう。文化の違いやプライド、受け入れられるものと受け入れられないもの。「自分の時代はこうだった」なんて話を説教くさく言うようにはなりたくない。だからと言って、何も喋らず、若者から距離を置かれるような人間にもなりたくはない。気のいいおっちゃんとは、気さくで、若者には付かず離れず、何かを言われたら明るく返す。そんな人間のことだ。
ただ、一歩間違えると、「うるさい、お調子者のジジイ」になってしまう可能性がある。たまに街中でも店員さんに絡んでいるオジさんを見たりする。アレは、本人は気さくでいるつもりでも、側から見れば迷惑者だ。そうならないために大事なことは、「付かず離れず」ということ。自分語りするとか、そういう方法でのコミュニケーションを図らずに、「ありがとう」とか、「ごちそうさま」とか、そんな基本的なコミュニケーションをちゃんと取ること。その積み重ねが大事なのだ。
こんなことを考えたのも、仕事先にいわゆる「気のいいおっちゃん」が来たからだ。「この商品はある?」とかそういうことを聞かれて、嫌な気持ちになる時とそうではない時がある。その違いはなんだと考えた時に、一番は感謝の気持ちだと気づいた。「ありがとう」と言われるかどうかだ。「そんなことくらいして当たり前でしょう」なんて言われるとすごく嫌な気分になる。あの「気のいいおっちゃん」も、ちゃんと「ありがとう」って言って帰っていった。歳をとるのが仕方のないことならば、せめてああいう人間になりたい。


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