ベテラン杜氏への聞き書き調査結果について II
保存会では、昨年に引き続き、文化庁 令和6年度文化庁伝承事業補助事業のご支援をいただき、5人のベテラン杜氏から、酒造りを志したきっかけ、修業時代、技について、後世に残すべく、聞き書き調査を行いました。
また、当会顧問の鮫島𠮷廣氏に「技術者から見た焼酎杜氏の手わざ」の特別寄稿をいただき、日本初の女性一級酒造技能士の椎谷和子氏については、令和7年1月26日に金沢市で開催された伝統的酒造りシンポジウムトークセッションより採録いたしました。
これらの内容は、麹造りや山廃・生酛造りなど酒造りの技術・ノウハウにとどまらず、労働環境変化への対応など広範囲にわたっており、伝統的酒造りの継承と発展のため大変貴重な資料となりました。
ご協力頂きました杜氏の方々、また彼らが所属する(した)杜氏組合や勤務する(した)酒蔵の関係者の方に、大変感謝申し上げます。
酒造りに取り組む姿勢や様々な技術的なヒント(こつ)について、是非参考にしてください。
昨年の5人と併せて、冊子を作成中です。完成しましたらお知らせします。
取材・文:鹿熊勤氏
1 高橋藤一(たかはし・とういち), 山内杜氏組合
昭和20年、秋田県山内村(現・横手市山内)生まれ。昭和39年より酒造りに出る。昭和51年より杜氏。北仙醸造(秋田県)、吉井酒造(青森県)、出原酒造(秋田県)、京野酒造(秋田県)を経て、昭和59年より齋彌酒造店(秋田県)へ。山廃造りに通じ、「櫂入れをしない」「濾過をしない」「割り水をしない」という常識破りの“三無い技術”も確立。
現在、齋彌酒造店専務取締役。金賞受賞歴多数。平成24年黄綬褒章。
2 菅原敬夫(すがわら・たかお), 南部杜氏組合
昭和10年、岩手県稗貫郡石鳥谷町(現・花巻市)生まれ。17歳から酒造りに出る。男山(北海道)、石越醸造(宮城)、川島酒造店(青森)、鈴木酒造店(福島県)を経て、昭和36年より石越醸造杜氏に。平成19年同製造部長。平成20年同顧問。平成27年に明利酒造(茨城)杜氏。南部杜氏協会会長、日本酒造杜氏組合連合会会長などを歴任。全国金賞入賞歴多数。平成15年現代の名工として表彰。平成18年黄綬褒章受章。
3 佐藤寿一(さとう・じゅいち), 会津杜氏組合
昭和10年、福島県大沼郡沼沢村向(現・大沼郡金山町向)生まれ。昭和35年、25歳のときに初めて酒造りに出る。昭和36年より会津若松の末廣酒造に出る。昭和49年、39歳で末廣酒造の杜氏になる(社員杜氏)。昭和60年、全国新酒鑑評会で金賞。以後5年連続で金賞となるなど受賞歴多数。平成29年、82歳で引退。昭和60年現代の名工として表彰。平成21年度黄綬褒章。
4 田村豊和(たむら・とよかず), 但馬杜氏組合
昭和10年、兵庫県美方郡八田村(現・新温泉町)生まれ。昭和26年、16歳より酒造りに出る。宮崎酒造(奈良)、北村酒造(同)、大元酒造(岡山)を経て、昭和40年、30歳の時に福岡酒造(同)へ杜氏として出る。当時の岡山県の酒蔵では最年少の杜氏。昭和45年、利守酒造(同)へ。かつて酒米として使われていた雄町の復活、千年前の甕仕込みの再現などにも取り組む。平成24年春まで42年間利守酒造で杜氏として働く。全国金賞多数。
平成9年現代の名工として表彰。平成18年但馬杜氏組合長、
平成20年兵庫県杜氏組合連合会長、
平成21年兵庫県産業功労賞、黄綬褒章。
5 宿里初男(やどり・はつお), 黒瀬杜氏
昭和24年、鹿児島県川辺郡笠沙町黒瀬(現・南さつま市笠沙町)生まれ。17歳で焼酎造りに出る。小野富酒造(大分県)、薩摩酒造(鹿児島県)、山元酒造(同)で経験を積む。一時東京へ働きに出るものの帰郷し平成4年から再び薩摩酒造へ。火の神蒸溜所、頴娃(えい)蒸溜所で勤務。平成19年から令和5年まで杜氏を務める。令和6年、薩摩酒造退職。
平成19年鹿児島県本格焼酎鑑評会総裁賞受賞、平成23年同総裁代表賞など受賞歴多数。
特別解説 技術者から見た焼酎杜氏の手わざ
鮫島𠮷廣(さめしま・よしひろ)
昭和22年鹿児島県加世田市(現・南さつま市)生まれ。京都大学農学部卒。ニッカウヰスキー、薩摩酒造常務取締役研究所長兼製造部長、鹿児島大学農学部附属焼酎・発酵学教育研究センター教授などを経て、2013年より同大客員教授。日本醸造協会技術賞、南日本文化賞などを受賞。著書に『焼酎の履歴書』、『焼酎の科学』(共著)など。
日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会 顧問
採録 椎谷和子(しいや・かずこ) 新潟県
昭和16年、新潟や原郡新発田町や・(現・新発田市)生まれ、25歳から市島酒造(現・王紋酒造)で働きはじめる。51年、日本初の一級酒造技能士取得。平成15年まで同社で酒造りに携わる。
令和6(月分年文化庁長官表彰。功績概要『昭和51年に日本初の女性一級酒造技能士となり、女性蔵人として初めて責任的立場を与えられ活躍した。古くは女人禁制と言われた酒造りの世界において女性活躍の場を切り開き、酒造りにおける「ジェンダー平等」の達成に大きく貢献している。』


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