法曹臣民でございます。

昨日のMマンライブを仕事帰りに拝聴しておりましたところ、呼ばれたような気がしましたので、一言所感を申し上げます。

一般的な経験則に鑑みますと、実名の人物と同定し得る状況──たとえば「Mマン=実在のY氏」であると第三者から容易に認識される場合──では、侮辱行為によって被害者が被る精神的苦痛(恥辱感)が一層深刻化しやすい傾向にございます。その結果、慰謝料を算定する場面において、そうでない場合よりも増額されやすいと考えられます。

類似論点として、名誉感情侵害による慰謝料の額を検討する際には、表現がどの程度拡散されたかという事情も重視されます。たとえば、東京地裁令和4年(ワ)第24035号事件の判決では、フェイスブック上のコメント欄への投稿(「チョン」などと中傷。)について「その一般的な広がりには一定の限度が認められる」と指摘し、損害額を抑制する要素として評価しております。逆に言えば、もし拡散範囲がより広大となれば、それに伴い損害額が増大し得るという論理が導かれます。同様に、当該侮辱が「Y氏本人に対するもの」と多数の人々が認識すればするほど、増額事由となる可能性が高まるものと推察されます。

なお、今回試しに令和5~6年に言い渡された判決(〇某事件も含む)を概観してみたところ、かなり厳しい表現であっても名誉感情侵害が認められないことがあるなという印象です。私には相当馬鹿にしているように見える投稿でも、「なんか貶そうとはしてるが、言ってる意味がよくわからないので棄却」という事例もありました。被告側が多数の棄却事例を丁寧に整理し、丹念に主張立証を行えば、結論に変化が生じる余地がある、とも感じた次第です。

ところで、民事訴訟の現場でも、実は私たちの日常生活の中で培われた社会常識、経験則が随所で機能しています。裁判官は「通常の感覚をもつ人ならば、このような事態に直面したとき、どれほど精神的打撃を受けるだろうか」「このような書き込みの媒体と内容であれば、通常それほど拡散しないだろう」といった社会通念に基づいて判断を下しているわけです。

したがいまして、社会常識を欠き、一般的な思考枠組みから逸脱している人物にとっては、「なぜそのような結論になるのか理解しづらい」という事態も生じ得ます。その結果、裁判所の判断基準や論理展開を汲み取ることができず、当事者として自らの訴訟活動において説得力ある主張立証を行えずに、敗訴を余儀なくされる可能性も否定できないと考えます。

肝心なのは、「己がどう思うか」ではなく、「裁判官のような公正かつ知的な人物がどう考えるか」を冷静に想像し、それに基づいて行動することです。

蓋(けだ)し、畢竟(ひっきょう)独自の見解を縷々(るる)述べたにすぎませんが、その余(よ)について論ずる時間もありませんので、以上をもって私からのコメントとさせていただきます。

いつも解説ありがとうございます。

やはりここは中川先生の腕が試される裁判にはなりそうですが・・・

まあ固定ポストに反省文までは無理かな。

・・・

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