キチガイ を含む記事
2024年05月05日
子供いじめという漫画が「子ども」表記のバカどもをよく表現している(笑)
5月5日は「こどもの日」。古くは、この日は菖蒲や蓬(よもぎ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降には、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い、町人の中でも武者人形や鯉幟を立てる様になった。
昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。
「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。
子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。

画像は「子供いじめ(クリックすると大きくなります)」という漫画。今では当たり前に使われている「子ども」表記が如何にアホらしいかが分かる。漢字表記の「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、「子ども」ではなく「子供」と表記すると示されている。
マスコミを中心に、左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることは知らないのだろうか。自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由である。共産党は「子供とは大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どということも知らないのか。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を平仮名併用の「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで弄んでいると捉えられても致し方ない。
「子供」と同じく「婦人」というのも、珍左翼どもやジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもらの企てに因って公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは、共産主義逞しいインチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会で「看護婦」は「看護師」、「女優」は「俳優」、「婦人警官」は「女性警察官」、「保母」は「保育士」などとと呼ぶ様になった。
看護師の「師」という字は、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよなぁ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派を自任する自民党議員や保守派が「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや珍左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミというのは左翼どもであり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカどもと見て好い(苦笑)
「保守とは?」とよく聞かれる。正統の保守とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度といった、先人が受け継いで来た世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行く使命を有する者である。
「日本とは何か」「日本人であるとは」「日本に生を享けた奇跡」ということを考えたことはあるだろうか。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今こそ、祖国日本について考え、日本人であるという証を示すことが保守の精神でもある。
本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。祖国日本の歴史や伝統、先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が先の戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、敗戦で失われたものがあるなら、それを何としてでも取り戻したいと思う日本人としての熱き心である。
まぁ難しいことは扨て置き、正統の保守とインチキ保守を簡単に見分ける方法は「子ども」表記もそうだが、皇族に対しての「さま」付けや「天皇制」「天皇ご一家」などの共産党用語を使ってるかどうか。尊皇無き保守では欧米のソレと同じ。
現在の我が国が直面している全ての問題は、国民の多くが「日本人であることを見失った」ことに起因していると考えている。つまり、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした日本人としての生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱は起きている。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。
「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。
子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。
画像は「子供いじめ(クリックすると大きくなります)」という漫画。今では当たり前に使われている「子ども」表記が如何にアホらしいかが分かる。漢字表記の「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、「子ども」ではなく「子供」と表記すると示されている。
マスコミを中心に、左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることは知らないのだろうか。自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由である。共産党は「子供とは大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どということも知らないのか。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を平仮名併用の「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで弄んでいると捉えられても致し方ない。
「子供」と同じく「婦人」というのも、珍左翼どもやジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもらの企てに因って公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは、共産主義逞しいインチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会で「看護婦」は「看護師」、「女優」は「俳優」、「婦人警官」は「女性警察官」、「保母」は「保育士」などとと呼ぶ様になった。
看護師の「師」という字は、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよなぁ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派を自任する自民党議員や保守派が「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや珍左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミというのは左翼どもであり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカどもと見て好い(苦笑)
「保守とは?」とよく聞かれる。正統の保守とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度といった、先人が受け継いで来た世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行く使命を有する者である。
「日本とは何か」「日本人であるとは」「日本に生を享けた奇跡」ということを考えたことはあるだろうか。欧米主導の西欧時代の終焉が叫ばれている今こそ、祖国日本について考え、日本人であるという証を示すことが保守の精神でもある。
本来の日本人なら心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。祖国日本の歴史や伝統、先人達に対する尊敬や愛着の想いである。例えば、我が国が先の戦争に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、敗戦で失われたものがあるなら、それを何としてでも取り戻したいと思う日本人としての熱き心である。
まぁ難しいことは扨て置き、正統の保守とインチキ保守を簡単に見分ける方法は「子ども」表記もそうだが、皇族に対しての「さま」付けや「天皇制」「天皇ご一家」などの共産党用語を使ってるかどうか。尊皇無き保守では欧米のソレと同じ。
現在の我が国が直面している全ての問題は、国民の多くが「日本人であることを見失った」ことに起因していると考えている。つまり、何処で生き、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか、子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか、そうした日本人としての生き方を見失ってしまったことから、現在の混乱は起きている。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:33|Permalink│Comments(0)
2024年03月15日
慢性的不如意だし酒の誘いを断ってたらめっきり誘われなくなった(笑)
酒席というのは失敗も多いが得るものの方が断然多い。最近は慢性的手元不如意だし、酒の誘いはなるべく断わることにしていたら、誘われなくなった(笑)
余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。
偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)
「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。
日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)
江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。
下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。
酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。
謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。
謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。
会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)
酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。
「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。
正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。
酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。
タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
余程の仲じゃない限り、酒は身銭を切って飲むものと思っている。「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。酒は奢って貰うより、奢ってやった方が気分が好い。
偉そうな相手に気を遣って飲むくらいなら一人でチビチビやってる方が気楽で好い。亡父にも「ただ酒は飲むな。卑しくなる」と口煩く言われたことも影響しているのだろうが、酒は身銭を切って飲むことに価値があるし、その方が断然旨い。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来は酔ってバカになる為に飲むもの。酒を飲むと肚を割って話せるし、酔った心地好さは酔った者じゃなきゃ分からないし、何よりバカになれる。世の中バカになれるほど愉しいものはない(笑)
「酒は飲むべし酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」との坂本龍馬の訓えは蓋し正論。正気ではとても出来ないことを、酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来るし、一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。
日本酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうことだろう。バカと言っても酒乱は論外である。酒に飲まれて暴れている様じゃ酒飲みの資格はない。酒を呑むなら落語に出て来るチョッとマヌケで明るい酔っ払いが世の中を明るくする(笑)
江戸時代には「酒道」は武士の作法や嗜みの一つだった。酒を飲まない右翼人がいるが、武士の嗜みに乏しいばかりか人生を損していることさえも気付かない。
下戸というのは、贔屓にする様な店は無いから男としての魅力も半減する。酒を酌み交わし、互いの礼儀やケジメを正し、仲間とより一層の連帯感を高めるのが「酒道」の神髄というもの。つまり酒に溺れるというのは酒道では以ての外である。
酒に吞まれたり、酒で身を滅ぼすというのは愚の骨頂。酒を飲んでも乱れず、平常心を如何に保つということこそ大事。酒豪の武将と言えば上杉謙信だろう。
謙信は愛用の特大盃に並並と酒を注いでは、梅干しを肴に盃を飲み干したという。賑やかで明るい酒宴を好み、折々家臣らと談笑し酒を酌み交わしていたという。
謙信は酒を酌み交わし乍ら部下をよく観察していた。酒を飲んで大言壮語やら、酒を飲んで気が大きくなって我を忘れる様な部下は信用せず側近にはしなかった。
会社の飲み会などで、「今日は無礼講だ」というのを勘違いして、羽目を外していないだろうか。上司はそんな無様に酔っ払ってる貴方を観察してますよ(笑)
酒を飲めない人というのは「体質的に酒を受け付けない」とかいう人が多いが、愚生からすれば体質に合わないというより、酒を飲む訓練(練習)が足らないだけ。
「男というのは贔屓の店や、好きなジンの名前を覚えとけ」とは池波正太郎だったか。何より、酒を飲まない男というのはどうしても人間が小さく見えてしまう。
正気というのは世間体を気にしているということ。それではストレスが溜まるし、身体に悪い。下で仕える者より、上に立つ者おいうのは人一倍神経を使うもので、逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということである。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているもの。打開策が浮かばないなら手っ取り早いのが酒だ。気の利いた料理やや贔屓の店で心地好く呑んで陽気に騒ぐ。
酒は愉快に飲むのが一番だ。暗い酒は身体を壊す。適度に愉快に飲む酒は正に「百薬の長」なのである。「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みというのはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでるのがいるから困ったものだ。
タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、周りから嫌われているのだが本人は自覚していない。「タダほど高いものはない」という様に、タダで飲めたとか、タダでやれたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来ますよ(笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:22|Permalink│Comments(0)
2024年02月19日
君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)
インチキ宗教や拝み屋でも信者がいるのに、正統右翼浪人を自任する愚生の支援者は年々減る一方。要は「強烈な努力」と、何より維新者としての「本気さ」が足らないのだろう。連絡が来たと思えばボランテイア的な困り事相談ばっか(苦笑)
愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。
相談相手も困ってるのは分かるが、タダでやってやると相談の際にはあったであろう感謝の気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ。
ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評ブログを綴っているが、同じ様な内容だし、タダで読めるし、アップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」である。
身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)
例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。
こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。そう考えれば、凶弾に斃れた安倍晋三という政治家も偉かったということだ。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果、ガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だったのだ。
現代に於いても、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。現代の正論も後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。
目先の事しか考えないそんな時代に、SNSなどで必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。
今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は善い人だ」とか「あの考えは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)
大勢というのはいつの世もマスコミや一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのである。「オレは人が好い」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、暴露系ブログの「汚れた顔の紳士達」。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に不似合いで醜いもの。笑顔で自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。
女房が「アナタ、私の目を見なさい」とか「オレの目を見て話せ」という刑事が使う手だな。話を聞き乍らも目を伏せ、要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れて、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前。当たり前だから感謝されない。
右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。
四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は暇だと好からぬことを考えてしまうので、徒然なる儘に政治思想や由無し事をブログやSNS綴って余計なことは考えない様にしている。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
愚生の性格上、困り事や相談事を聞くと報酬なんぞより、その相手側の卑怯さや狡さが我慢出来ず自分事の様に感じてしまうのが長所であるが悪い癖でもある。
相談相手も困ってるのは分かるが、タダでやってやると相談の際にはあったであろう感謝の気持ちが薄れるのは確か。本当に困ってるのは愚生の方なのになぁ。
ブログも4つやってるが最近はどうもヤル気が失せている。政治批評ブログを綴っているが、同じ様な内容だし、タダで読めるし、アップされるのが当たり前の様に感じてる節がある。因みに「当たり前」の反対語は「有り難い」である。
身近な者や身近に存在する人の意見というのは、いつも聞けるということもあって中々耳に入ることはない。「近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えがあるが、それに近い気がするな(笑)
例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて、当たり前に存在してるから有難く感じないもの。それと同じで、身近な人からの意見や苦言は疎んじられたり軽んじられるが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするものだ。
こうしたことを分かり易く喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家もまた偉いヤツほど殺されている。そう考えれば、凶弾に斃れた安倍晋三という政治家も偉かったということだ。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、偉人といわれる多くはバカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそう。「天動説」が当り前だった時代に「地球が太陽の周りを廻ってる」などとはキチガイの戯言だった。結果、ガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。これが当時の大勢であり正論だったのだ。
現代に於いても、当たり前だとか正論だと思っていることはマスコミに因って創られてるものばかり。正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。現代の正論も後の世には、間違いや非常識とされ批難されることも無きにしも非ず。
目先の事しか考えないそんな時代に、SNSなどで必死に「これが正しい」と吠えたところで理解してくれないのは当然のこと。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理でもある。
今のあやふやな世の中に於いて、「あの人は善い人だ」とか「あの考えは正しい」などというのは、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い(笑)
大勢というのはいつの世もマスコミや一部の扇動者に因って創られるもので、単に平均的意見に過ぎないのである。「オレは人が好い」とか「善人だ」と周りに吹聴してるヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
そんな紳士面した地元の名士の裏の顔を暴いてるのが、暴露系ブログの「汚れた顔の紳士達」。政治批評の数倍の閲覧者はいるが、支援者どころか会費さえも払わずタダ読みしてる連中ばっかで、コピーして配ってる輩もいるのには厭きれる。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツ、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に不似合いで醜いもの。笑顔で自分を誤魔化そうとしているに過ぎず、逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。此方が話をしてる最中に、此方の目をじっと目を見ているヤツもダメだ。そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。
女房が「アナタ、私の目を見なさい」とか「オレの目を見て話せ」という刑事が使う手だな。話を聞き乍らも目を伏せ、要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
愚生にしても、同じ様な薀蓄や能書きを連日綴ってると、有難みも薄れて、軽んじられてしまうのも当たり前といえば当たり前。当たり前だから感謝されない。
右翼の本分とは、日本の純粋性を曇らすもの、それは「共産主義」であろうが「資本主義」「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義思想に断固として対峙する覚悟であるが、愈々その覚悟も慢性的不如意で挫けそうにもなる。
四書の一つ「大学」に「君子必慎其独也 小人閑居為不善」という教えがある。君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが、小人は他人の目がないと悪い事をするとの意味。小人の愚生は暇だと好からぬことを考えてしまうので、徒然なる儘に政治思想や由無し事をブログやSNS綴って余計なことは考えない様にしている。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:53|Permalink│Comments(0)
2024年01月08日
国體破壊が目的であるハッピーマンデーを粉砕しよう!
今日は成人の日。国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。本来、成人式は「小正月」の1月15日に行われていた。
昭和23年に公布・施行された「祝日法」では、成人式は1月15日と決められた。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来である。
皇居では、神道の儀式の一つである男子皇族の「元服の儀」が小正月の15日に行われていた。「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生することとなった。
平成10年の「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」である、所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い、夫夫の月の第二月曜日に行うこととなった。
抑々「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、共産主義者に因る国體破壊が目的であり、左翼陣営というのはこうした既成事実を積み重ねることに拠って、我が国の歴史や伝統、文化、更には皇統を否定する論拠とするのが常套手段でもある。
況してや、成人式を前倒しして日曜日にやる自治体も多い。「ハッピーマンデー」なんぞ無意味どころか百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させて、新暦と併用すれば祝日の意味も国民には分かり易くなるだろう。
皇統断絶と国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は「女系天皇」と「宮中祭祀」の妨害であるのは明らか。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。
祭祀は女性天皇では適わない。また祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。
戦前の祝祭日の殆どが神道の祭日だった。現在は半数近くになってしまったが、多くの日本人が、神道に由来する祝祭日を単なる休み(休日)としか考えていないのは悲しいことだ。今こそ祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。
「成人の日」を1月15日、「海の日」を7月20日に戻し、建国記念の日を「紀元節」、春分・秋分の日を「春季・秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」との名称に改め、4月3日の「神武天皇祭」及び10月17日の「神嘗祭」を復活させることは国體の精華を取り戻すことでもある。「憲法記念日」や「山の日」は必要なし。
「こどもの日」の本来の趣旨は、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた母に感謝する日」であった。だが、この「母」にいつもの性的変質者のオバハンらが騒ぎ立て「親」と偏向されることとなった。
昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日。
我が国の母の日は皇后陛下の御誕生日である「地久節」の日にするべきである。母の日然り、クリスマス然り、米国の価値観の押付けは数多に及んでいる。
「日本はフジヤマ、ゲイシャガール、ハラキリの低開発国だ」とする米国は、占領下に於いて戦後民主主義教育を始め、日本弱体化政策実行し日本人の矯正を謀った。
日本国憲法が米国製というのは余程のバカでない限り知ってるが、「労働三法」と呼ばれる法律にしろ、教育委員会制度にしても日本を実験台にしたものだ。
現憲法を始めとして、悉く失敗した米国の策謀を有難く思い、それを当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇している日本というのは滑稽という他はない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
昭和23年に公布・施行された「祝日法」では、成人式は1月15日と決められた。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来である。
皇居では、神道の儀式の一つである男子皇族の「元服の儀」が小正月の15日に行われていた。「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生することとなった。
平成10年の「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」である、所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い、夫夫の月の第二月曜日に行うこととなった。
抑々「ハッピーマンデー」なる愚策こそ、共産主義者に因る国體破壊が目的であり、左翼陣営というのはこうした既成事実を積み重ねることに拠って、我が国の歴史や伝統、文化、更には皇統を否定する論拠とするのが常套手段でもある。
況してや、成人式を前倒しして日曜日にやる自治体も多い。「ハッピーマンデー」なんぞ無意味どころか百害有って一利無し、早々に改定を図るべきだ。旧暦を復活させて、新暦と併用すれば祝日の意味も国民には分かり易くなるだろう。
皇統断絶と国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は「女系天皇」と「宮中祭祀」の妨害であるのは明らか。宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。
祭祀は女性天皇では適わない。また祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝う日であって、祝日は単なる休日ではないのだ。諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。
戦前の祝祭日の殆どが神道の祭日だった。現在は半数近くになってしまったが、多くの日本人が、神道に由来する祝祭日を単なる休み(休日)としか考えていないのは悲しいことだ。今こそ祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。
「成人の日」を1月15日、「海の日」を7月20日に戻し、建国記念の日を「紀元節」、春分・秋分の日を「春季・秋季皇霊祭」、勤労感謝の日を「新嘗祭」との名称に改め、4月3日の「神武天皇祭」及び10月17日の「神嘗祭」を復活させることは国體の精華を取り戻すことでもある。「憲法記念日」や「山の日」は必要なし。
「こどもの日」の本来の趣旨は、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた母に感謝する日」であった。だが、この「母」にいつもの性的変質者のオバハンらが騒ぎ立て「親」と偏向されることとなった。
昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日。
我が国の母の日は皇后陛下の御誕生日である「地久節」の日にするべきである。母の日然り、クリスマス然り、米国の価値観の押付けは数多に及んでいる。
「日本はフジヤマ、ゲイシャガール、ハラキリの低開発国だ」とする米国は、占領下に於いて戦後民主主義教育を始め、日本弱体化政策実行し日本人の矯正を謀った。
日本国憲法が米国製というのは余程のバカでない限り知ってるが、「労働三法」と呼ばれる法律にしろ、教育委員会制度にしても日本を実験台にしたものだ。
現憲法を始めとして、悉く失敗した米国の策謀を有難く思い、それを当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇している日本というのは滑稽という他はない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:50|Permalink│Comments(0)
2023年12月31日
今年は当該ブログは一日も欠かさずアップしてみたが・・・
「徒然草」の書き出しは「つれづれなるままに 日ぐらしすずりにむかひて 心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」と綴られている。ブログやSNSも似た様なもので、毎日起こる意味もない由無し事を綴っては、もの狂おしく一喜一憂しているというのも空しいものである。
吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。
今年は期することがあり、政治思想の当該ブログは元旦から一日も欠かさずにアップしてみた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というが、遣り過ぎというのは厭きられるということを痛感した。やはり、何事も程程が肝要ということだ(笑)
「預言者郷里(世)に容れられず(新約聖書ルカ福音書四章)」という言葉がある。優れた人物は、故郷や世の中では受け容れられないことが多いという喩えである。「受け容れられない」というより「受け容れたくない」というのがホンネだろう。
「受け容れたくない」という気持ちにしても、批判にしても、往往にして嫉妬から出てることが多く、友人知人など身近な者が出世したり、カネ儲けで成功したり、優れていればいる程ヤキモチを焼くのは人間の性というもなのかも知れない。
見方を変えれば、批判や嫉妬というものはその人の実力を認めてる裏返しでもあるから、一々気に留める必要もないのは分かってはいるが、やはり批判は気になるものだ。批判を受け入れることで気付くこともあり、批判と賛同は表裏一体である。
「人は故郷を離れて貴し」という。また「 近くの坊さんえらくない」という喩えもあれば、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という諺もある。
身近な者や身近な人の意見というのは中々耳に入ることもない。例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて有難く感じないもので、それと同じで身近な人からの意見や苦言は軽んじられることが少なくない。愚生のブログも似た様なものか(笑)
だが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするもの。愚生のブログを偉人と比べるのは僭越だが、例えばキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほど殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くは「バカ」とか「キチガイ」扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイは「天動説」が当り前だった時代に、地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかったのは当然のことといえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは「世を誑かす者だ」として宗教裁判に懸けられた。
これが当時の大勢であり正論だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ず。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。
何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもな。「あの人はイイ人だ」とか「あのことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方がイイだろう。
大勢の意見や正論というのはいつの世も創られるもので、単に平均的意見に過ぎない。愚生にしても、ブログやSNSでいつもいつも同じ様な薀蓄や能書きを綴ってると、有難みも薄れるし、軽んじられてしまうのは当たり前のことでもある。
まぁ、愚生は預言者ではなく無頼派右翼。「郷里に受け容れられず」というより「近きは糞の香」くらいにしか思われてはいないのは何となく気付いている。毎日毎日、同じ様な主張を垂れ流されてうんざりした人も少なくなかったかもなぁ。
読めばかなり勉強になると自負してるが、文章は長いし、難解な漢字も登場するから、「難しい」とロクに読まないで拒否してる人も少なくない。「読書百遍義自ずから見る」という様に繰り返し読むことで、真意を得ることが出来るだろう。
顧みれば、今年も怠惰な一年があっという間に過ぎ様としている。右翼団体の活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しつつ、微力乍ら天皇国日本を盤石の安きに置くべく程程に獅子吼して行くつもりです(笑)
今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々及び御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。
令和五年 皇紀二千六百八十三年 師走臘日 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
吉田兼好の様に、職を辞し精神の自由を求めれば生活は困窮するし、暮らしを楽にしようとすれば心が拘束される。愚生も右翼浪人という生き方に限界を感じつつも、この身在る限りせめてその精神だけは一維新者として自由で強く在りたいと思う。
今年は期することがあり、政治思想の当該ブログは元旦から一日も欠かさずにアップしてみた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というが、遣り過ぎというのは厭きられるということを痛感した。やはり、何事も程程が肝要ということだ(笑)
「預言者郷里(世)に容れられず(新約聖書ルカ福音書四章)」という言葉がある。優れた人物は、故郷や世の中では受け容れられないことが多いという喩えである。「受け容れられない」というより「受け容れたくない」というのがホンネだろう。
「受け容れたくない」という気持ちにしても、批判にしても、往往にして嫉妬から出てることが多く、友人知人など身近な者が出世したり、カネ儲けで成功したり、優れていればいる程ヤキモチを焼くのは人間の性というもなのかも知れない。
見方を変えれば、批判や嫉妬というものはその人の実力を認めてる裏返しでもあるから、一々気に留める必要もないのは分かってはいるが、やはり批判は気になるものだ。批判を受け入れることで気付くこともあり、批判と賛同は表裏一体である。
「人は故郷を離れて貴し」という。また「 近くの坊さんえらくない」という喩えもあれば、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という諺もある。
身近な者や身近な人の意見というのは中々耳に入ることもない。例えば、近所の神社仏閣というのは身近過ぎて有難く感じないもので、それと同じで身近な人からの意見や苦言は軽んじられることが少なくない。愚生のブログも似た様なものか(笑)
だが、その軽んじられてる意見が正論だったり事実だったりするもの。愚生のブログを偉人と比べるのは僭越だが、例えばキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほど殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くは「バカ」とか「キチガイ」扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイは「天動説」が当り前だった時代に、地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかったのは当然のことといえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは「世を誑かす者だ」として宗教裁判に懸けられた。
これが当時の大勢であり正論だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ず。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。
何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもな。「あの人はイイ人だ」とか「あのことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方がイイだろう。
大勢の意見や正論というのはいつの世も創られるもので、単に平均的意見に過ぎない。愚生にしても、ブログやSNSでいつもいつも同じ様な薀蓄や能書きを綴ってると、有難みも薄れるし、軽んじられてしまうのは当たり前のことでもある。
まぁ、愚生は預言者ではなく無頼派右翼。「郷里に受け容れられず」というより「近きは糞の香」くらいにしか思われてはいないのは何となく気付いている。毎日毎日、同じ様な主張を垂れ流されてうんざりした人も少なくなかったかもなぁ。
読めばかなり勉強になると自負してるが、文章は長いし、難解な漢字も登場するから、「難しい」とロクに読まないで拒否してる人も少なくない。「読書百遍義自ずから見る」という様に繰り返し読むことで、真意を得ることが出来るだろう。
顧みれば、今年も怠惰な一年があっという間に過ぎ様としている。右翼団体の活動が岐路を迎えているが、今後も組織に与せず、新たな運動形態を模索しつつ、微力乍ら天皇国日本を盤石の安きに置くべく程程に獅子吼して行くつもりです(笑)
今年一年、拙ブログを閲覧して頂いた方々及び御支援を賜った皆様方に心より感謝を申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある一年と成ります様に御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。
令和五年 皇紀二千六百八十三年 師走臘日 佐久間五郎拝
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:56|Permalink│Comments(0)
2023年12月01日
誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返しでもある
SNSでは匿名を好いことに誹謗中傷や罵詈雑言なんてのは当たり前。SNSではそれが普通なのだろうが、SNSと雖も礼節は大事だと思う。意見の違う相手を説得したり、諭したいのなら尚更のこと。意見が違うというだけで人格を否定する様な書き込みも見受けられるが、そんなことでは身近な者さえも感化出来ないだろう。
批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。
愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。
書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)
ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。
こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)
「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。
「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)
往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。
大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。
往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。
愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。
新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。
「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)
現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。
「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。
当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。
SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。
分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。
五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。公論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。
政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。
今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。
SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。そんな便所の落書き程度の雑言なんぞ「気にするな」と言ったところで気になるのが正直なところ。
愚生へも以前よりは減ったが「爆サイ」などの掲示板サイトに、正体不明の輩から「あれやこれやと悪口が書かれています」との通報を聞き覗いてみたことがある。
書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部の人しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)
ブログにはメールアドレスを明記している。メールを寄越せば好いのにそんな度胸は無い。ある事ない事、人格否定の雑言をよくもあれだけ書き込めるものだ。
こういうコメントを入れて来た人物が掲示板サイトへの書き込みの当人だったり、意外と身近な人物かもな。感心するのは、ブログをよく読んでるわ(笑)
「『汚れた顔の紳士達』は、野村秋介の『汚れた顔の天使たち』のパクリだ」とか書いてあったが、野村秋介の「汚れた顔の天使たち」の元元のタイトルは「塵中に人あり」で、その後にタイトルを変更したが、愚生のタイトルの方が古い。
「汚れた顔の天使たち」は、フランス映画「汚れた顔の天使」のパクリだろう。因みに「爆ちゃん吼える」は、ビートたけしの「たけし吠える」のパクリです(笑)
往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返しでもある。羨ましさやヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えばその実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ様な書き込みに一喜一憂する必要も無い。
大勢の意見とは「正論」というより「平均的意見」に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱え様ものなら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。
往往にして人というのものは理屈ではなく、単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するものだ。反抗的且つ歪な先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。
愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障ることもあるだろう。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。
新約聖書・ルカ福音書四章に「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉がある。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩えである。何事に於いても評価するのは後世の人というのが常。
「受け容れられない」というよりも「受け容れたくない」というのがホンネでもある。例えば身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うだろう(笑)
現代に於いても批判されたり、軽んじられてる意見こそが後に正論だったり事実だったりするもの。喩えるなら、キリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
歴史を見てもそうだが、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。
「天動説」が当り前だった時代に、「地球が太陽の周りを廻ってる」と説いたガリレオ・ガリレイの科学などは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果、「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。
当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転し乍ら太陽を周回してるなどと誰も思うまい。世間からは「気が狂った」と思われたのは気の毒でもある。
SNSなんてのも同じで、当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもの。「後悔」とよく言ったものだ。そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれる訳は無いだろう。
分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いし、マスコミの垂れ流す意見が正しいと思いこんでいるのだから結果的にそうなってしまうのは自明の理。
五箇条の御誓文では「万機公論に決すべし」と教えているが、公論が正しい訳ではない。公論とは常識や日本人としての心構えがあってこそ成り立つもので、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなのだから公論でも間違いは起こる。
政治というものは、世論に迎合することなく国家観を重んじ乍らも、時には国民目線とかけ離れた国家観や歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。
今の世の中というのは「あの人は善い人だ」とか、「あの人の言ってることは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違った固定観念だと思った方が好い。
SNSをやってると、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となってるのは見方を変えれば実力が備わってきた証しである。堂々と我が道を行け!呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:16|Permalink│Comments(0)
2023年09月11日
犯罪を撒き散らす不良外国人を積極的に受け入れ様とはキチガイ沙汰だ
元寇の沈没船とみられる船体を、琉球大学教授らが長崎県沖で発見し話題となったのは12年程前のことだった。文献や絵画とは違い、沈没船が「神風」を証明する証拠と成り得るものと期待したのだが、その後は全く報告されず終い。
アジア大陸を支配していた元と高麗の連合軍が朝貢と従属を求め日本に攻め入った。「文永の役」と「弘安の役」では「神風」が吹荒れて元寇を追い払った。
元寇襲来を知ることは、我が国の主権を護る上でも重要。中共のスパイ船「魚政201」や「魚政35001」など現代の元寇が尖閣諸島で挑発行為を繰り返している。
主権侵害や領海侵犯の度に、外務省は「遺憾の意」を表し抗議しているが、警告を無視する船舶は武力を以て対抗するべきだが、「どうせ撃てない」と分かってるシナ人らは更なる強圧行為に奔る。外交では、相手国にナメられたら終わり。
今や、チンギスハンやフビライハンのモンゴル帝国時代以上の領土拡大を、「我が国の歴史的領土」と主張する中共こそ地上最大の「帝国主義国」である。
中共やシナ人の蚕食を赦してはならない。今や世界にシナ人不法移民が大量に溢れ出ている。溢れ出る先は、日本や韓国など近隣のアジア諸国に止まらず、南・北米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアと、地球の隅々にまで及んでいる。
シナ人犯罪者の多くが密航や偽造パスポート、成り済ましなどで不法に相手国に入国しては、行く先々で文化衝突を繰り返し、犯罪を撒き散らしている。来日外国人の犯罪の中で、シナ人の検挙件数が突出しているのは周知の事実だろう。
警察白書では、令和2年(2020年)中の来日外国人に因る刑法犯の検挙件数に占める共犯事件の割合は35.5%と、日本人(12.5%)の約2.8倍に上っている。国別ではベトナム人がトップで、シナ人は第二位と依然国内犯罪の多くを占めている。
移民大国である米国に密入国するシナ人は年間約50万人以上という。彼らは中南米に潜行している不法入国者で、最終目的地は北米大都市のチャイナタウン。
そのチャイナタウンで最も規模が大きいのがニューヨークとサンフランシスコ。シナ人に因る抗争、恐喝、暗殺、殺人事件が頻発しており、サンフランシスコではチャイナマフィアはイタリア系マフィアにとって代わる存在だという。
南米でもチャイナマフィアの勢力は拡大しており、シナ移民の巻き起こす凶悪犯罪が後を絶たない。南米のチャイナマフィアのボスはブラジルのサンパウロを拠点としているらしく、毎年年末になるとみかじめ料を要求するらしい。
みかじめ料を払わないと店を壊されたり、店主が殺されたりするのは日常茶飯事。アルゼンチンには台湾系の移住者が5万人程いたのだが、マフィアの過酷な取り立てに耐えられず北米に逃亡し、残っている台湾系住民は1万人程だという。
先日、都内の居酒屋が「中国人へ!当店の食材は全て福島産を使っています!」と黒板に書いたらシナ人が大騒ぎしてたが、米国や中南米の多くの店内にはカービン銃が置いてあり、「チャイニーズに注意」と書かれた紙が貼られているという。
今や日本の永住者の数は「在日」を抜き「シナ人」がトップに膨れ上がった。日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を遥かに超えるのではなかろうか。最近ではベトナム人や難民を自称するクルド人の犯罪が顕著になっている。
令和5年1月での不法滞在外国人の数は実に7万491人に及ぶ。不法滞在者の国籍は第1位がベトナム、第2位が韓国、第3位タイ、第4位中国、第5位フィリピン、以下、インドネシア、台湾、スリランカ、マレーシア、カンボジアと続く。
以前は、特別在留者である在日朝鮮人やシナ人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人やクルド人の勢力が拡大している。
「国を持たない最大の民族」と言われるトルコ系クルド人。 強制送還に抵抗する理由に「戻れば命の危険が」という。そんなことを言ってないで、命懸けで祖国を建設しろよ。珍左翼と連携して政治活動してるクルド人の強制送還は当たり前のこと。
世界の国々の多くが、シナ人移住者に警戒しているのに、驚くことに我が国では不良外国人を受け入れて、岸田首相の「国の宝」発言には開いた口が塞がらない。更に日本人の大学生を蔑ろにし乍ら、シナ人留学生の厚遇おは厭きれるばかり。
河野太郎の「中国人の皆さんが国籍を取って新しい日本人を作って行かなければならない」との発言はキチガイの戯言と断じる他は無い。国内ではチャイナタウン構想が後を絶たないが、ゴキブリ並みに繁殖するシナ人の警戒を怠るべからず。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
アジア大陸を支配していた元と高麗の連合軍が朝貢と従属を求め日本に攻め入った。「文永の役」と「弘安の役」では「神風」が吹荒れて元寇を追い払った。
元寇襲来を知ることは、我が国の主権を護る上でも重要。中共のスパイ船「魚政201」や「魚政35001」など現代の元寇が尖閣諸島で挑発行為を繰り返している。
主権侵害や領海侵犯の度に、外務省は「遺憾の意」を表し抗議しているが、警告を無視する船舶は武力を以て対抗するべきだが、「どうせ撃てない」と分かってるシナ人らは更なる強圧行為に奔る。外交では、相手国にナメられたら終わり。
今や、チンギスハンやフビライハンのモンゴル帝国時代以上の領土拡大を、「我が国の歴史的領土」と主張する中共こそ地上最大の「帝国主義国」である。
中共やシナ人の蚕食を赦してはならない。今や世界にシナ人不法移民が大量に溢れ出ている。溢れ出る先は、日本や韓国など近隣のアジア諸国に止まらず、南・北米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアと、地球の隅々にまで及んでいる。
シナ人犯罪者の多くが密航や偽造パスポート、成り済ましなどで不法に相手国に入国しては、行く先々で文化衝突を繰り返し、犯罪を撒き散らしている。来日外国人の犯罪の中で、シナ人の検挙件数が突出しているのは周知の事実だろう。
警察白書では、令和2年(2020年)中の来日外国人に因る刑法犯の検挙件数に占める共犯事件の割合は35.5%と、日本人(12.5%)の約2.8倍に上っている。国別ではベトナム人がトップで、シナ人は第二位と依然国内犯罪の多くを占めている。
移民大国である米国に密入国するシナ人は年間約50万人以上という。彼らは中南米に潜行している不法入国者で、最終目的地は北米大都市のチャイナタウン。
そのチャイナタウンで最も規模が大きいのがニューヨークとサンフランシスコ。シナ人に因る抗争、恐喝、暗殺、殺人事件が頻発しており、サンフランシスコではチャイナマフィアはイタリア系マフィアにとって代わる存在だという。
南米でもチャイナマフィアの勢力は拡大しており、シナ移民の巻き起こす凶悪犯罪が後を絶たない。南米のチャイナマフィアのボスはブラジルのサンパウロを拠点としているらしく、毎年年末になるとみかじめ料を要求するらしい。
みかじめ料を払わないと店を壊されたり、店主が殺されたりするのは日常茶飯事。アルゼンチンには台湾系の移住者が5万人程いたのだが、マフィアの過酷な取り立てに耐えられず北米に逃亡し、残っている台湾系住民は1万人程だという。
先日、都内の居酒屋が「中国人へ!当店の食材は全て福島産を使っています!」と黒板に書いたらシナ人が大騒ぎしてたが、米国や中南米の多くの店内にはカービン銃が置いてあり、「チャイニーズに注意」と書かれた紙が貼られているという。
今や日本の永住者の数は「在日」を抜き「シナ人」がトップに膨れ上がった。日本国籍取得者や不法滞在者を加えると100万人を遥かに超えるのではなかろうか。最近ではベトナム人や難民を自称するクルド人の犯罪が顕著になっている。
令和5年1月での不法滞在外国人の数は実に7万491人に及ぶ。不法滞在者の国籍は第1位がベトナム、第2位が韓国、第3位タイ、第4位中国、第5位フィリピン、以下、インドネシア、台湾、スリランカ、マレーシア、カンボジアと続く。
以前は、特別在留者である在日朝鮮人やシナ人、フィリピン人、ブラジル人などが暗躍していたが、今では不良ベトナム人やクルド人の勢力が拡大している。
「国を持たない最大の民族」と言われるトルコ系クルド人。 強制送還に抵抗する理由に「戻れば命の危険が」という。そんなことを言ってないで、命懸けで祖国を建設しろよ。珍左翼と連携して政治活動してるクルド人の強制送還は当たり前のこと。
世界の国々の多くが、シナ人移住者に警戒しているのに、驚くことに我が国では不良外国人を受け入れて、岸田首相の「国の宝」発言には開いた口が塞がらない。更に日本人の大学生を蔑ろにし乍ら、シナ人留学生の厚遇おは厭きれるばかり。
河野太郎の「中国人の皆さんが国籍を取って新しい日本人を作って行かなければならない」との発言はキチガイの戯言と断じる他は無い。国内ではチャイナタウン構想が後を絶たないが、ゴキブリ並みに繁殖するシナ人の警戒を怠るべからず。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:33|Permalink│Comments(0)
2023年09月01日
山口組三代目・田岡一雄著「田岡一雄自伝 電撃篇(徳間書店)」
大正12(1923)年 9月1日に起きた関東大震災後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人が暴動を起こした」などというデマが流され、「そのデマを信じた日本人に因って、東京や横浜では朝鮮人が殺害された」という風聞も流された。
処理水の海洋放出でもそうだが、デマを流す者、そのデマを信じた者というのは始末が悪い。そこに「反日」や珍左翼どもの革命謀略運動が重なるから悪質となる。
デマとは「流言飛語(りゅうげんひご)」のことだが、本来は「流言蜚語」と書く。確証のない噂話や根拠のない煽動的な宣伝をいうが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で、忌み嫌われる語彙だ。因みに、ゴキブリのことは漢字で「蜚蠊」。
処理水の海洋放出にデマを垂れ流してる連中というのは正しく蜚蠊。何故にこういう蜚蠊や蛆虫が湧いて出るのかといえば、自公政権が腐ってるからだ。中共が大騒ぎしてるなら、政権内の親中派や媚中議員が赴いて説得すりゃ好いのに右往左往。
韓国政府は静観してるが、韓国野党の三国人紛いのキチガイぶりには厭きれるばかり。戦後、韓国朝鮮人は「三国人」と呼ばれた。三国人とは差別ではなく戦勝国でも日本人でもない台湾人や朝鮮人などの旧日本人を「第三国人」と准えたものだ。
三国人の横暴を全て否定するものではないが、敗戦後の三国人の暴虐ぶりを見れば関東大震災後の一件は事実だったのではと思えて来る。「日帝36年」の恨みを晴らさんとばかりに、朝鮮人の横暴や暴動、殺人事件は筆舌を絶するものだった。
山口組三代目・田岡一雄著「田岡一雄自伝 電撃篇(徳間書店)」では、戦後の三国人がどういう振舞いをしたかを詳細に描いている。その一部摘記する。
・・・その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、
これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは
欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は
国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。
これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、
婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。
終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、
昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、
大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては
難くせをつけ半殺しにし、
無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、
略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、
街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が
彼らに拉致されて暴行殺害され、
同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり
彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす
不祥事さえもちあがった。
すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、
署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである・・・
田岡一雄は、在日朝鮮人を山口組本家の幹部(執行部)には登用しなかったという。「朝鮮人には日本古来の武士道精神や日本精神を理解させるのは到底無理だ」と分かってたからだというが、戦前戦後の彼らの民族性を知っていたからだろう。
日韓併合以降、朝鮮人は日本人となったがその民族性は変えることは出来なかった。事大思想が根底にある韓国人を日本人に矯正することは不可能だった。
大韓民国という祖国の無かった彼らは日本と戦争をした事実は無い。日韓併合以降、日本人と共に朝鮮人も台湾人もアジア開放に立ち上がったというのが真相。
だが、日本が大戦で敗れると朝鮮人らは掌を返したが、同じく日本に統治された台湾では「日本の統治時代の歴史教育は実に公正に教えており、台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。この違いは一体何なのだろう。
日本がポツダム宣言を受諾し武装解除すると、戦勝国を気取り「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地に於いて横暴の限りを尽くしたのは田岡組長の自伝の通り。
GHQの占領下にあった我が国は、こうした三国人に因る横暴に対処することも出来ずに傍観せざるを得ず、従順に受け容れた。その結果、「隣国が嫌がるようなことはしない」という摩訶不思議な近隣諸国条項が国是となり現在に至っている。
未来永劫、我が国が加害者であり侵略者であり、三国人やシナ人が弱者で被害者であるかの様な戦後の歴史認識やタブーを、徹底して検証しなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
処理水の海洋放出でもそうだが、デマを流す者、そのデマを信じた者というのは始末が悪い。そこに「反日」や珍左翼どもの革命謀略運動が重なるから悪質となる。
デマとは「流言飛語(りゅうげんひご)」のことだが、本来は「流言蜚語」と書く。確証のない噂話や根拠のない煽動的な宣伝をいうが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で、忌み嫌われる語彙だ。因みに、ゴキブリのことは漢字で「蜚蠊」。
処理水の海洋放出にデマを垂れ流してる連中というのは正しく蜚蠊。何故にこういう蜚蠊や蛆虫が湧いて出るのかといえば、自公政権が腐ってるからだ。中共が大騒ぎしてるなら、政権内の親中派や媚中議員が赴いて説得すりゃ好いのに右往左往。
韓国政府は静観してるが、韓国野党の三国人紛いのキチガイぶりには厭きれるばかり。戦後、韓国朝鮮人は「三国人」と呼ばれた。三国人とは差別ではなく戦勝国でも日本人でもない台湾人や朝鮮人などの旧日本人を「第三国人」と准えたものだ。
三国人の横暴を全て否定するものではないが、敗戦後の三国人の暴虐ぶりを見れば関東大震災後の一件は事実だったのではと思えて来る。「日帝36年」の恨みを晴らさんとばかりに、朝鮮人の横暴や暴動、殺人事件は筆舌を絶するものだった。
山口組三代目・田岡一雄著「田岡一雄自伝 電撃篇(徳間書店)」では、戦後の三国人がどういう振舞いをしたかを詳細に描いている。その一部摘記する。
・・・その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、
これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは
欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は
国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。
これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、
婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。
終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、
昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、
大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、
徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては
難くせをつけ半殺しにし、
無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、
肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、
略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、
街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。
昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が
彼らに拉致されて暴行殺害され、
同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり
彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす
不祥事さえもちあがった。
すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、
署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである・・・
田岡一雄は、在日朝鮮人を山口組本家の幹部(執行部)には登用しなかったという。「朝鮮人には日本古来の武士道精神や日本精神を理解させるのは到底無理だ」と分かってたからだというが、戦前戦後の彼らの民族性を知っていたからだろう。
日韓併合以降、朝鮮人は日本人となったがその民族性は変えることは出来なかった。事大思想が根底にある韓国人を日本人に矯正することは不可能だった。
大韓民国という祖国の無かった彼らは日本と戦争をした事実は無い。日韓併合以降、日本人と共に朝鮮人も台湾人もアジア開放に立ち上がったというのが真相。
だが、日本が大戦で敗れると朝鮮人らは掌を返したが、同じく日本に統治された台湾では「日本の統治時代の歴史教育は実に公正に教えており、台湾の近代化にかなり役に立った」という論調で書かれている。この違いは一体何なのだろう。
日本がポツダム宣言を受諾し武装解除すると、戦勝国を気取り「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地に於いて横暴の限りを尽くしたのは田岡組長の自伝の通り。
GHQの占領下にあった我が国は、こうした三国人に因る横暴に対処することも出来ずに傍観せざるを得ず、従順に受け容れた。その結果、「隣国が嫌がるようなことはしない」という摩訶不思議な近隣諸国条項が国是となり現在に至っている。
未来永劫、我が国が加害者であり侵略者であり、三国人やシナ人が弱者で被害者であるかの様な戦後の歴史認識やタブーを、徹底して検証しなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:11|Permalink│Comments(0)
2023年08月17日
8月15日の「終戦記念日」という呼称を改めなければならない
8月15日を「終戦記念日」と呼ぶのに違和感を覚える。その後も戦争は続いていたし、何故に終戦なのか。15日は「戦没者を追悼し、平和を祈念する日」であるなら、「平和祈念日」とか「戦没者追悼の日」と呼ぶべきなのではないだろうか。
国家の為に尊い命を投げ出された英霊に感謝の誠を捧げることは、今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、8月15日に靖國神社の英霊のみに拘ることは、戦火で斃れた一般の方々の死を軽んじている気がしてならない。そう考えればやはり、「終戦の日」ではなく、「戦没者追悼の日」の呼称の方が相応しいと思う。
政治家や保守派らが靖國神社に参じて英霊の死を悼む。だが、靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、死を悼む施設ではない。戦前は護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄は、之に優るものは無し。
自称愛国者や営業保守派らは総理大臣の参拝を熱望し、「何故に参拝しないのか」「中韓に遠慮する必要はない」との疑問を投げかける。中韓に遠慮する必要はないが、愚生からすれば「何故に8月15日なのか」という疑問しか浮かばない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知だが、犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。
原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、保守派が靖國神社のみに拘れば拘るほど、違和感を持つ国民がいても不思議ではない。
政治家にしろ、保守派や自称・愛国勢力にしろ、軍事オタクにしても、或いはキチガイ共の「反天連」にしろ、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいるだけだ。
総理大臣は靖國神社で斎行される春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。ところが、容共の三木武夫が例大祭ではなく8月15日に私的参拝する。だが、三木の前首相の田中角栄も、三木の後の福田赳夫も大平正芳も例大祭に参拝している。
三木が8月15日に参拝し、似非保守である中曽根康弘が公式参拝したことで靖國神社が政治問題化されて行き、その結果として、それまで続いていた歴代総理大臣の参拝までもが中止になったという経緯に刮目して理解しなければならない。
中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の靖國参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。陛下の御親拝を実現させ英霊の御霊を鎮めることこと肝要である。
靖國神社の建立の趣旨を理会すれば英霊への追悼や鎮魂ではなく、国家に殉じた英霊の功績を未来永劫に亘り顕彰することに重きを置かなければならない。
左翼どころか右翼陣営も今や自虐史観に侵されていることすら自覚していない。自覚していない故に8月15日を「終戦記念日」として靖國神社に赴く。熟熟、自虐史観、戦後民主主義教育の象徴でもある「終戦記念日」という呼称を改めなければならないと痛感する。以前、この問題を地元紙に投稿した。原文は次の通り。
〈今年も8月15日がやってくる。一般には「終戦記念日」と呼ばれているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。常々、終戦記念日より「平和祈念日」と言った方が好いのではと思っている。8月15日には、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖国神社や護国神社に出向くことが戦没者を追悼することではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知している。だが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。広島・長崎の原爆投下や全国各地への空襲などによって亡くなられた方々も多く、保守派が「終戦記念日」に靖国神社に拘れば拘るほど、平和を祈念するという趣旨から離れて行く気がしてならない。〉
天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、今上陛下に於かれましては、靖國神社に関する雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀う。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
国家の為に尊い命を投げ出された英霊に感謝の誠を捧げることは、今を生きる我々の務めであり義務でもあるが、8月15日に靖國神社の英霊のみに拘ることは、戦火で斃れた一般の方々の死を軽んじている気がしてならない。そう考えればやはり、「終戦の日」ではなく、「戦没者追悼の日」の呼称の方が相応しいと思う。
政治家や保守派らが靖國神社に参じて英霊の死を悼む。だが、靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、死を悼む施設ではない。戦前は護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げて来た。殊に特筆すべきは、靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられた。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄は、之に優るものは無し。
自称愛国者や営業保守派らは総理大臣の参拝を熱望し、「何故に参拝しないのか」「中韓に遠慮する必要はない」との疑問を投げかける。中韓に遠慮する必要はないが、愚生からすれば「何故に8月15日なのか」という疑問しか浮かばない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知だが、犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。
原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐などに因って亡くなられた方々も多く、保守派が靖國神社のみに拘れば拘るほど、違和感を持つ国民がいても不思議ではない。
政治家にしろ、保守派や自称・愛国勢力にしろ、軍事オタクにしても、或いはキチガイ共の「反天連」にしろ、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいるだけだ。
総理大臣は靖國神社で斎行される春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。ところが、容共の三木武夫が例大祭ではなく8月15日に私的参拝する。だが、三木の前首相の田中角栄も、三木の後の福田赳夫も大平正芳も例大祭に参拝している。
三木が8月15日に参拝し、似非保守である中曽根康弘が公式参拝したことで靖國神社が政治問題化されて行き、その結果として、それまで続いていた歴代総理大臣の参拝までもが中止になったという経緯に刮目して理解しなければならない。
中韓からの抗議に屈するなというのは心情的には理解するが、その対抗手段として靖國神社を政治利用するのは如何なものか。政治家の靖國参拝なんぞはっきりいってどうでも好い。陛下の御親拝を実現させ英霊の御霊を鎮めることこと肝要である。
靖國神社の建立の趣旨を理会すれば英霊への追悼や鎮魂ではなく、国家に殉じた英霊の功績を未来永劫に亘り顕彰することに重きを置かなければならない。
左翼どころか右翼陣営も今や自虐史観に侵されていることすら自覚していない。自覚していない故に8月15日を「終戦記念日」として靖國神社に赴く。熟熟、自虐史観、戦後民主主義教育の象徴でもある「終戦記念日」という呼称を改めなければならないと痛感する。以前、この問題を地元紙に投稿した。原文は次の通り。
〈今年も8月15日がやってくる。一般には「終戦記念日」と呼ばれているが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。常々、終戦記念日より「平和祈念日」と言った方が好いのではと思っている。8月15日には、「国民一人一人が夫夫の場所において戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖国神社や護国神社に出向くことが戦没者を追悼することではない。現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは承知している。だが、先の戦争で犠牲となられたのは、戦陣に散り靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。広島・長崎の原爆投下や全国各地への空襲などによって亡くなられた方々も多く、保守派が「終戦記念日」に靖国神社に拘れば拘るほど、平和を祈念するという趣旨から離れて行く気がしてならない。〉
天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、今上陛下に於かれましては、靖國神社に関する雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀う。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:57|Permalink│Comments(0)
2023年08月16日
陛下、「深い反省」と言うなら靖國神社へ御親拝を!
靖國神社周辺での騒がしい8月15日が終わった。愚生も昔は「終戦記念日」を何の疑いも無く使っていたが、よくよく考えれば「終戦記念日」とは、「(無謀な)戦争が終わってめでたい、めでたい」ってことなんじゃね~のと気付いた(笑)
「終戦記念日」と国民が信じて疑わなくなっってしまった。「終戦」とは、GHQに因る戦後民主主義の影響だろう。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、「平和祈念日」や「戦没者追悼記念日」の方が好いのではなかろうか。
全国戦没者追悼式で陛下は、宮内庁の奸臣どもが作った恒例の「深い反省」の下で、全国民と共に戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し追悼の意を表した。
「深い反省」とは、国策として戦った戦争に負けてしまったことの反省か。 不戦の誓いを新たにすることは諒とするが「深い反省」は止めた方が好い。
「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。
「深い反省」という、その誤った国策の中で自らの命を投げ出された英霊も加害者だと言ってる様なものである。そんな馬鹿なことはあるまい。「深い反省」というのなら、国策に殉じた英霊の御霊を鎮める為にも御親拝遊ばされるべきだと思う。
陛下を利用しての反戦の主張など、陛下を政治利用してる現状は、正しく天皇が現憲法下での傀儡として国事行為を行う為だけの存在であることを憂う。
8月15日は、「国民一人一人が夫夫の場所に於いて戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが大事なのではない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然であるが、先の大戦で犠牲となられたのは靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐、自裁などで亡くなられた方々も多い。
所謂「終戦記念日」に、右翼陣営や自称・愛国者、営業保守や政治家が靖國神社のみに拘れば拘るほど、それに違和感を持つ国民がいても不思議ではない。キチガイ集団「反天連」にしても、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいる様にも感じる。
超党派の議員連盟「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」のメンバー67名が参拝した。国会議員衆参合わせ713名中、たった67名だから一割にも満たない。
60人そこそこで恥ずかしくもなく「みんなで」などと言えたものだ。「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」などという仰仰しい名前は変えた方が好い。
高市早苗経済安全保障担当大臣、荻生田光一政調会長などが参拝した。高市大臣は「国策に殉じられた皆様の御霊に哀悼の誠を捧げて参りました」と語った。
靖國神社は、国家の礎として尊い命を投げ出された英霊の功績などを広く知らせる為の顕彰する社である。「顕彰」とは、広く世間に知らせることである。
英霊の死を悼み、悲しむ追悼施設ではない。「鎮魂」ならば、国策に殉じた英霊の御霊は陛下の御親拝に拠って鎮められるしかなく、臣民が出来ることではない。
悲しい哉、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、日本国憲法下では第20条違反に問われる行為でもある。 20条第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。
つまり、首相や閣僚の靖國参拝がこの条項に抵触していると断じられても致し方ないのである。自民党幹部は「総理や大臣と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」とも述べている。
この「個人なら参拝は問題ない」という言い回しは、逆を言えば「総理や大臣の参拝には現憲法上問題がある」ということを自覚しているということでもある。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。
「A級分祀論」や「国立追悼施設建立」なども同じく靖國神社への圧迫干渉であり、信教の自由を保障する政教分離規定の「憲法20条」違反でもある。大臣の靖國参拝訴訟が起こされ違憲判決が下されたならば即刻、現憲法を改正すれば済むこと。
憲法改正が困難というか実質的に不可能な中で、容易に靖國参拝が可能になる方法がある。それは、靖國神社の国家護持を図る上で「宗教法人格」を見直すことであり、先ずは靖國神社の宗教法人を外すことから進めることも一考だろう。
問題は「靖國神社は宗教なのか」ということである。確かに現在「宗教法人」となっているが、これはGHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した関係当局の緊急避難行為であり、実態は宗教ではない。
宗教とは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけ。
自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げているが、国民が期待する保守政党として当然の主張であろう。
然し乍ら、自民党が安定多数の議席を確保しても公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に因る廃案以来、自民党からは「靖國神社法案」は提出されることはなくなった。これ即ち、自民党のヤル気の無さと保守政党として瓦解した証左。
靖國神社の国家護持、そして陛下の御親拝始め、閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、遺族や大多数国民血涙の悲願である。靖國問題に対する民心の帰趨は明らか。
自民党は保守政党とは程遠くなった。であるならば、自民党内保守や「みんなで靖国神社を参拝する会」の超党派議員が靖國神社に集い、靖國神社の下で、日本再生の気概を示す意味でも「靖國神社法案」のスローガンを高々と掲げるべきである。
悲しい哉、国会議員の8月15日の参拝は保守票目当てのパフォーマンスに過ぎない。右翼団体を始め自称愛国者や営業保守派、政治家の靖國神社を軽んじるパフォーマンスとキチガイ反天連の行動が続く限り、陛下の御親拝は遠退くばかりなり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「終戦記念日」と国民が信じて疑わなくなっってしまった。「終戦」とは、GHQに因る戦後民主主義の影響だろう。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、「平和祈念日」や「戦没者追悼記念日」の方が好いのではなかろうか。
全国戦没者追悼式で陛下は、宮内庁の奸臣どもが作った恒例の「深い反省」の下で、全国民と共に戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し追悼の意を表した。
「深い反省」とは、国策として戦った戦争に負けてしまったことの反省か。 不戦の誓いを新たにすることは諒とするが「深い反省」は止めた方が好い。
「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。
「深い反省」という、その誤った国策の中で自らの命を投げ出された英霊も加害者だと言ってる様なものである。そんな馬鹿なことはあるまい。「深い反省」というのなら、国策に殉じた英霊の御霊を鎮める為にも御親拝遊ばされるべきだと思う。
陛下を利用しての反戦の主張など、陛下を政治利用してる現状は、正しく天皇が現憲法下での傀儡として国事行為を行う為だけの存在であることを憂う。
8月15日は、「国民一人一人が夫夫の場所に於いて戦没者を偲び、心から黙祷を捧げる」ことが大事で、何も靖國神社や護国神社に出向くことが大事なのではない。
現在の平和や繁栄が戦没者の犠牲の上で成り立っているということは当然であるが、先の大戦で犠牲となられたのは靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。原爆投下や全国への空襲、暴行や陵虐、自裁などで亡くなられた方々も多い。
所謂「終戦記念日」に、右翼陣営や自称・愛国者、営業保守や政治家が靖國神社のみに拘れば拘るほど、それに違和感を持つ国民がいても不思議ではない。キチガイ集団「反天連」にしても、8月15日の靖國を単に利用し弄んでいる様にも感じる。
超党派の議員連盟「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」のメンバー67名が参拝した。国会議員衆参合わせ713名中、たった67名だから一割にも満たない。
60人そこそこで恥ずかしくもなく「みんなで」などと言えたものだ。「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」などという仰仰しい名前は変えた方が好い。
高市早苗経済安全保障担当大臣、荻生田光一政調会長などが参拝した。高市大臣は「国策に殉じられた皆様の御霊に哀悼の誠を捧げて参りました」と語った。
靖國神社は、国家の礎として尊い命を投げ出された英霊の功績などを広く知らせる為の顕彰する社である。「顕彰」とは、広く世間に知らせることである。
英霊の死を悼み、悲しむ追悼施設ではない。「鎮魂」ならば、国策に殉じた英霊の御霊は陛下の御親拝に拠って鎮められるしかなく、臣民が出来ることではない。
悲しい哉、総理大臣や国務大臣が靖國神社への参拝することは、日本国憲法下では第20条違反に問われる行為でもある。 20条第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。
つまり、首相や閣僚の靖國参拝がこの条項に抵触していると断じられても致し方ないのである。自民党幹部は「総理や大臣と雖も個人の信条は優遇されるべき」との認識を示し、「個人の意思で参拝するのであれば、個人の判断だ」とも述べている。
この「個人なら参拝は問題ない」という言い回しは、逆を言えば「総理や大臣の参拝には現憲法上問題がある」ということを自覚しているということでもある。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。
「A級分祀論」や「国立追悼施設建立」なども同じく靖國神社への圧迫干渉であり、信教の自由を保障する政教分離規定の「憲法20条」違反でもある。大臣の靖國参拝訴訟が起こされ違憲判決が下されたならば即刻、現憲法を改正すれば済むこと。
憲法改正が困難というか実質的に不可能な中で、容易に靖國参拝が可能になる方法がある。それは、靖國神社の国家護持を図る上で「宗教法人格」を見直すことであり、先ずは靖國神社の宗教法人を外すことから進めることも一考だろう。
問題は「靖國神社は宗教なのか」ということである。確かに現在「宗教法人」となっているが、これはGHQが国家と神道の分離を謀った所謂「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した関係当局の緊急避難行為であり、実態は宗教ではない。
宗教とは「教祖」と「経典」と「布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無い。祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているだけ。
自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」ということを幾度となく掲げているが、国民が期待する保守政党として当然の主張であろう。
然し乍ら、自民党が安定多数の議席を確保しても公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了に因る廃案以来、自民党からは「靖國神社法案」は提出されることはなくなった。これ即ち、自民党のヤル気の無さと保守政党として瓦解した証左。
靖國神社の国家護持、そして陛下の御親拝始め、閣僚、自衛隊等政府機関の公式参拝は、遺族や大多数国民血涙の悲願である。靖國問題に対する民心の帰趨は明らか。
自民党は保守政党とは程遠くなった。であるならば、自民党内保守や「みんなで靖国神社を参拝する会」の超党派議員が靖國神社に集い、靖國神社の下で、日本再生の気概を示す意味でも「靖國神社法案」のスローガンを高々と掲げるべきである。
悲しい哉、国会議員の8月15日の参拝は保守票目当てのパフォーマンスに過ぎない。右翼団体を始め自称愛国者や営業保守派、政治家の靖國神社を軽んじるパフォーマンスとキチガイ反天連の行動が続く限り、陛下の御親拝は遠退くばかりなり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:04|Permalink│Comments(0)
2023年08月01日
天皇の存在が「主権の存する国民の総意に基づく」とは何事ぞ!
LGBT法に続き同性婚を謀る左傾化著しい自民党は、憲法改正を騙り保守票を取り込もうと必死だが、無党派層の多くのネトウヨが自民党を支持することはあるまい。況してや公明党と連立を組む自民党が改憲どころか議論さえ進まないだろう。
抑々、自民党が謀る憲法改正は第九条が本丸。然し、第九条を改正することに因って現憲法が絶対化する危険を孕む。矛盾だらけの現憲法は、改正して治るレベルではなく破棄するのが最善。何より、現憲法の最大の不条理は第一章「天皇」だろう。
天皇陛下の現憲法上に於ける御地位、或いは権限は「国民統合の象徴」という実にあやふやな表現の下で実行されている。国民の多くも「天皇とは何か」「どの様な御存在なのか」ということを知らぬ儘に、諸外国の国王の如く認識する始末である。
学校では「象徴天皇」だけで、天皇の意味を教えない。天皇が日本の歴史の中で果たして来られた役割や在り方を学ぶべきである。そうしなければ いつの日か、左翼陣営の思惑通りに「天皇はいらない」という議論にまで発展して行くだろう。
随神の道である神道の教えを実践する天皇にとって、最も大事なものは「祭事」であり、本来は「国事行為」よりも優先されるべきものなのだが、「祭事」は現憲法に因って「天皇家の私事」とされた儘放置され続けているのが実情である。
現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。これ即ち、未だ占領政策である「神道指令」の呪縛から解放されずにいるということの証左でもある。これを政治の怠慢、不作為と言わずして何と言おう。
米国製の日本国憲法というのは国の基本法として体を為していない。憲法というと第九条ばかりが議論されるが、九条よりも天皇の章「第一条」が酷いのだ。
第一条は所謂「主権在民」「象徴天皇制」を謳っている条項で、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る。日本共産党や反天皇勢力の珍左翼やキチガイどもは、この第一条のこの「総意」に噛付き、それを論拠に天皇の存在を否定し、「天皇は憲法違反の存在である」と断じて憚らない。
卑しくも天皇の臣民たる国民が、陛下の御地位、御発言、御行為等を彼是批判することは誠に以て不遜不敬、不屈至極であり、断じて赦されるものではない。
国體変革、革命謀略の大反逆心を謀る共産党の行為を苦々しく思い、怒りを覚える国民が殆どだろうが、残念乍ら共産党の「総意」の屁理屈は法治国家日本の憲法上の解釈は正論なのだ。だが、抑々、天皇陛下は憲法以前の御存在であらせられる。
憲法が在って天皇が存在せられるものではなく、歴史が明らかに証明するところであろう。我が国は天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本など断じて有り得ない。明治天皇が、教育勅語の中で「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。
共産党は天皇の存在を否定し乍ら「天皇制」という言葉を使用する。「天皇制」とは共産党の造語であり、天皇は天皇であり「制度」ではない。強いて言うのならば、現在の憲法下での国事行為が政府の都合の好い「制度」となっていることだ。
共産党ら左翼自体の「天皇制反対」というのは、見方を変えれば「日本という国は天皇制の国家である」ことを暗黙に認めている証左でもあり、だからこそ「天皇制廃止」を声高に叫ぶ。共産党こそが、天皇の偉大さを知ってるからに他ならない。
日本共産党委員長の志位和夫が、「元号は時をも君主が支配するとの考えから来ている。国民主権の原則に馴染まない」と述べ、「元号法」の廃止を訴えたのも余りにも天皇の存在が大きいからだ。そんな経緯もあって、共産党が謀る天皇廃止運動は巧妙化している。その一歩が「女性天皇」や「女性宮家」の創設である。
憲法第二条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と在る。天皇廃止を叫ぶ勢力は、現憲法第二条を楯に皇室典範の改悪と愛子内親王こそ「世襲」であるとし、初代・神武天皇から百二十六代の今上陛下の皇統が「男系」と連綿と続いていとる厳然たる事実を否定する。
世界に類の見ない固有の歴史と伝統を、憲法以前の御存在で荒らされる天皇を「法律」ということを以て改革するとは何事か。最近では、共産党はLGBTやSOGI(ソジとはセクシャル・オリエンテーションとジェンダー・アイデンティティーのこと)に躍起になり、LGBT法に続き同性婚や民法の改正、更に戸籍法廃止を謀る。
男系男子の歴史を否定し、「女性天皇及び女系天皇こそ多様性」などとほざいている。歴代天皇には8人10代の女性がいるが、ローマ教皇の歴史に女性はいないし教皇を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。多様性に程遠いバチカンに抗議したのか。
LGBT法は日本の歴史・伝統・文化に対する共産革命の序章である。天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在が日本共産党であり、行政内に侵食し、悪害をバラ撒くあらゆる共産主義を根絶させねばならない。創価学会もまた然り。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
抑々、自民党が謀る憲法改正は第九条が本丸。然し、第九条を改正することに因って現憲法が絶対化する危険を孕む。矛盾だらけの現憲法は、改正して治るレベルではなく破棄するのが最善。何より、現憲法の最大の不条理は第一章「天皇」だろう。
天皇陛下の現憲法上に於ける御地位、或いは権限は「国民統合の象徴」という実にあやふやな表現の下で実行されている。国民の多くも「天皇とは何か」「どの様な御存在なのか」ということを知らぬ儘に、諸外国の国王の如く認識する始末である。
学校では「象徴天皇」だけで、天皇の意味を教えない。天皇が日本の歴史の中で果たして来られた役割や在り方を学ぶべきである。そうしなければ いつの日か、左翼陣営の思惑通りに「天皇はいらない」という議論にまで発展して行くだろう。
随神の道である神道の教えを実践する天皇にとって、最も大事なものは「祭事」であり、本来は「国事行為」よりも優先されるべきものなのだが、「祭事」は現憲法に因って「天皇家の私事」とされた儘放置され続けているのが実情である。
現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。これ即ち、未だ占領政策である「神道指令」の呪縛から解放されずにいるということの証左でもある。これを政治の怠慢、不作為と言わずして何と言おう。
米国製の日本国憲法というのは国の基本法として体を為していない。憲法というと第九条ばかりが議論されるが、九条よりも天皇の章「第一条」が酷いのだ。
第一条は所謂「主権在民」「象徴天皇制」を謳っている条項で、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る。日本共産党や反天皇勢力の珍左翼やキチガイどもは、この第一条のこの「総意」に噛付き、それを論拠に天皇の存在を否定し、「天皇は憲法違反の存在である」と断じて憚らない。
卑しくも天皇の臣民たる国民が、陛下の御地位、御発言、御行為等を彼是批判することは誠に以て不遜不敬、不屈至極であり、断じて赦されるものではない。
国體変革、革命謀略の大反逆心を謀る共産党の行為を苦々しく思い、怒りを覚える国民が殆どだろうが、残念乍ら共産党の「総意」の屁理屈は法治国家日本の憲法上の解釈は正論なのだ。だが、抑々、天皇陛下は憲法以前の御存在であらせられる。
憲法が在って天皇が存在せられるものではなく、歴史が明らかに証明するところであろう。我が国は天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本など断じて有り得ない。明治天皇が、教育勅語の中で「世々その美を済せる国體の精華」と御諭しになったところであり、万邦類い無き「天皇国日本」の真姿である。
共産党は天皇の存在を否定し乍ら「天皇制」という言葉を使用する。「天皇制」とは共産党の造語であり、天皇は天皇であり「制度」ではない。強いて言うのならば、現在の憲法下での国事行為が政府の都合の好い「制度」となっていることだ。
共産党ら左翼自体の「天皇制反対」というのは、見方を変えれば「日本という国は天皇制の国家である」ことを暗黙に認めている証左でもあり、だからこそ「天皇制廃止」を声高に叫ぶ。共産党こそが、天皇の偉大さを知ってるからに他ならない。
日本共産党委員長の志位和夫が、「元号は時をも君主が支配するとの考えから来ている。国民主権の原則に馴染まない」と述べ、「元号法」の廃止を訴えたのも余りにも天皇の存在が大きいからだ。そんな経緯もあって、共産党が謀る天皇廃止運動は巧妙化している。その一歩が「女性天皇」や「女性宮家」の創設である。
憲法第二条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と在る。天皇廃止を叫ぶ勢力は、現憲法第二条を楯に皇室典範の改悪と愛子内親王こそ「世襲」であるとし、初代・神武天皇から百二十六代の今上陛下の皇統が「男系」と連綿と続いていとる厳然たる事実を否定する。
世界に類の見ない固有の歴史と伝統を、憲法以前の御存在で荒らされる天皇を「法律」ということを以て改革するとは何事か。最近では、共産党はLGBTやSOGI(ソジとはセクシャル・オリエンテーションとジェンダー・アイデンティティーのこと)に躍起になり、LGBT法に続き同性婚や民法の改正、更に戸籍法廃止を謀る。
男系男子の歴史を否定し、「女性天皇及び女系天皇こそ多様性」などとほざいている。歴代天皇には8人10代の女性がいるが、ローマ教皇の歴史に女性はいないし教皇を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。多様性に程遠いバチカンに抗議したのか。
LGBT法は日本の歴史・伝統・文化に対する共産革命の序章である。天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在が日本共産党であり、行政内に侵食し、悪害をバラ撒くあらゆる共産主義を根絶させねばならない。創価学会もまた然り。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 04:50|Permalink│Comments(0)
2023年07月16日
中共へのODAやシナ人留学生への厚遇はまるで援助交際(笑)
中国共産党の外交担当トップの王毅共産党政治局員が、林芳正外相との会談で「日中平和友好条約締結45年となるのを契機に、新時代の要求に相応しい両国関係の構築に共に力を尽くすべきだ」と如何にも上から目線で呼びかけた。
一方では福島第一原発の処理水の海洋放出に反対し、日本側に放出断念を迫る。林外相は反論した様だが、処理水放出にイチャモンを吐けるなら、黄砂対策やPM2・5の大気汚染対策、感染症といった問題が解決されていないことに抗議するべきだ。
1978(昭和53)年8月12日、「日中平和友好条約」が締結された。 遡ることこの6年前の1972(昭和47)年9月29日、時の内閣総理大臣・田中角栄は中華人民共和国(共産党政権)を中国の唯一の政府と認めた上で、「日中共同声明」を発表した。
「日中平和条約」は「日中共同声明」を踏まえてのもので、内容は基本的に日中共同声明の文面を踏襲したものとなっている。中共は条約締結に因り、賠償金請求を放棄する代わりにODA等の巨額な経済援助を引き出すことに成功した。
我が国が先の大戦で戦ったのは中華民国。戦争していない国との「平和条約」とは摩訶不思議だが、中共に阿る輩が絶えないのは日本の政治の堕落の現れ。
「平和友好条約」には、「主権・領土の相互尊重」「相互不可侵」「相互内政不干渉」が記述されているが、尊重してるのは我が国だけで、尖閣への主権侵犯、靖國神社への内政干渉など中共側が公然と条約を蹂躙しているのは歴然たる事実である。
「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。だが、両国民の交流促進と言いながら我が国からの一方的なものに過ぎない。
我が国が先の大戦で戦ったのは蒋介石率いる「中華民国」であり、毛沢東の中国共産党でも戦後4年経ってから建国された「中華人民共和国」ではない。 我が国は、GHQからの統治が明け主権を回復した昭和27年4月28日、中華民国と「日華国交条約」を締結しており、この時点で日華両国の和解は成立しているのだ。
干戈を交えていない中共に賠償の請求権など存在しないし、放棄するのは当然だが、何故に開発援助として莫大なODAを拠出しなければならなかったのか。
それにしてもODAとは巧く考えたもので、中共側に流れたODAの中から一体幾ら日本の政治家側へキックバックされたのかは不明だが、「日中共同宣言」にしろ「日中平和友好条約」にしろ、日本の政治家の利権構造が生んだ弊害である。
因みに、田中が日中共同宣言で、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」と述べたことで、中共の強請り、タカリが止まらなくなったのは歴史の示す通り。 日中共同宣言当時、「中国残留孤児の帰還」ということが理由とされたが、田中を始めとした容共派が目論んだのは、シナ大陸の利権の独占だったということはその後の優遇政策を見ても明らかだ。
国際条約の「日華国交条約破棄」は道義国家として決して許されるものではなく、「日中共同宣言」での田中の歴史認識が悪しき前例となり、河野談話や村山談話に継承され、現在も受け継がれている。「日華国交条約」の破棄は明らかな憲法98条違反。だが、時の総理大臣が憲法を蹂躙しながら、その罪を責められたことは無い。
敵対行為を繰り返す中共や、「反日」をヒステリックに叫ぶ韓国との平和条約を「平和条約不履行」を理由に破棄し、国交を断絶すべきだと思うが、マスコミを始めとした売国勢力はシカトを極め込んでいる。中共へのODAは既に3兆6000億円を超える。昨年度も300億円を拠出しているが、そのうちの多くは技術援助。
黄砂対策やPM2・5の大気汚染対策、感染症といった問題に使われてるとは思えない。円借款は基本的には回収可能だが技術協力は無償。ODAの他に旧日本軍が遺棄したとされる「遺棄化学兵器」の処理にも日本からの資金が投入されている。
過日、オランダ・ハーグで開催された化学兵器禁止機関(OPCW)執行理事会で、この化学兵器廃棄処理事業の期限を延長計画を報告し了承された。2022年での完了を目指すというが、中共政府がこの打ち出の小槌ともいえる「遺棄化学兵器」の処理事業を手放すとは到底思えない。中共からの無心は続くだろう。
遺棄化学兵器の処理は1997年発効した化学兵器禁止条約に基づき、2000年から実施している。だが、本来、我が国がやるべきことではない。抑抑、科学兵器(毒ガス弾)は「遺棄」ではなく「接収」というのが正しい。
広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」であり、「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と在る。所謂「遺棄科学兵器」は、旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされているが、明らかな誤解と誤謬であり、日本政府が莫大な処理費用を拠出する義務はないし道義的な責任もない。
中共政府は、「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器だ」と主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求している。だが、問題とされる化学兵器なるものは毛沢東の共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が、旧ソ連から継承したもので、その管理責任が中共政府に在るのは歴史的経緯、国際的常識からして明らかである。
日本軍(関東軍)は、昭和20年8月9日未明に、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻した旧ソ連軍に降伏し、武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく、旧ソ連軍に「接収」されたというのが事実。継承された瞬間から国際法上、現在の管理責任は中共政府に在り、日本が本来責任を取る謂れはない。
日本国民の血税であるODAを、中共政府は先の大戦での賠償として捉えており、感謝する気持ちは皆無など持ち合わせてはいない。ODA事業や遺棄化学兵器処理事業に、営利至上主義の売国企業と朝貢的対中経済支援に奔る政治家どもが群がっているのが現状で、やはり対中経済援助は即時中止しなくてはならない。
我が国内を見れば、シナ人への優遇政策は相当なもの。例えばシナ人留学生には一人当たり、年間250~380万円の予算が組まれ学費は免除、月々の生活費も保証されている。4年間で平均1100万円以上の血税が使われている。
政府の予算は約2700億円以上に膨れ上がっているが、岸田政権下で外国人留学生を更に拡大しようとはキチガイ沙汰だ。これ以上何を支援するというのか。これではまるで援助交際ではないか。そこまでして何を得ようとしているの(苦笑)
我が国の対中、対韓外交を見れば実に隔靴掻痒の感は拭えない。だが、かといって「国交断絶」は言うは易く行うは難しというのが現実。ならば、せめてODAや経済援助で貸したカネは即刻回収し、その後は関わり合わないのが一番。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
一方では福島第一原発の処理水の海洋放出に反対し、日本側に放出断念を迫る。林外相は反論した様だが、処理水放出にイチャモンを吐けるなら、黄砂対策やPM2・5の大気汚染対策、感染症といった問題が解決されていないことに抗議するべきだ。
1978(昭和53)年8月12日、「日中平和友好条約」が締結された。 遡ることこの6年前の1972(昭和47)年9月29日、時の内閣総理大臣・田中角栄は中華人民共和国(共産党政権)を中国の唯一の政府と認めた上で、「日中共同声明」を発表した。
「日中平和条約」は「日中共同声明」を踏まえてのもので、内容は基本的に日中共同声明の文面を踏襲したものとなっている。中共は条約締結に因り、賠償金請求を放棄する代わりにODA等の巨額な経済援助を引き出すことに成功した。
我が国が先の大戦で戦ったのは中華民国。戦争していない国との「平和条約」とは摩訶不思議だが、中共に阿る輩が絶えないのは日本の政治の堕落の現れ。
「平和友好条約」には、「主権・領土の相互尊重」「相互不可侵」「相互内政不干渉」が記述されているが、尊重してるのは我が国だけで、尖閣への主権侵犯、靖國神社への内政干渉など中共側が公然と条約を蹂躙しているのは歴然たる事実である。
「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。だが、両国民の交流促進と言いながら我が国からの一方的なものに過ぎない。
我が国が先の大戦で戦ったのは蒋介石率いる「中華民国」であり、毛沢東の中国共産党でも戦後4年経ってから建国された「中華人民共和国」ではない。 我が国は、GHQからの統治が明け主権を回復した昭和27年4月28日、中華民国と「日華国交条約」を締結しており、この時点で日華両国の和解は成立しているのだ。
干戈を交えていない中共に賠償の請求権など存在しないし、放棄するのは当然だが、何故に開発援助として莫大なODAを拠出しなければならなかったのか。
それにしてもODAとは巧く考えたもので、中共側に流れたODAの中から一体幾ら日本の政治家側へキックバックされたのかは不明だが、「日中共同宣言」にしろ「日中平和友好条約」にしろ、日本の政治家の利権構造が生んだ弊害である。
因みに、田中が日中共同宣言で、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し、深く反省する」と述べたことで、中共の強請り、タカリが止まらなくなったのは歴史の示す通り。 日中共同宣言当時、「中国残留孤児の帰還」ということが理由とされたが、田中を始めとした容共派が目論んだのは、シナ大陸の利権の独占だったということはその後の優遇政策を見ても明らかだ。
国際条約の「日華国交条約破棄」は道義国家として決して許されるものではなく、「日中共同宣言」での田中の歴史認識が悪しき前例となり、河野談話や村山談話に継承され、現在も受け継がれている。「日華国交条約」の破棄は明らかな憲法98条違反。だが、時の総理大臣が憲法を蹂躙しながら、その罪を責められたことは無い。
敵対行為を繰り返す中共や、「反日」をヒステリックに叫ぶ韓国との平和条約を「平和条約不履行」を理由に破棄し、国交を断絶すべきだと思うが、マスコミを始めとした売国勢力はシカトを極め込んでいる。中共へのODAは既に3兆6000億円を超える。昨年度も300億円を拠出しているが、そのうちの多くは技術援助。
黄砂対策やPM2・5の大気汚染対策、感染症といった問題に使われてるとは思えない。円借款は基本的には回収可能だが技術協力は無償。ODAの他に旧日本軍が遺棄したとされる「遺棄化学兵器」の処理にも日本からの資金が投入されている。
過日、オランダ・ハーグで開催された化学兵器禁止機関(OPCW)執行理事会で、この化学兵器廃棄処理事業の期限を延長計画を報告し了承された。2022年での完了を目指すというが、中共政府がこの打ち出の小槌ともいえる「遺棄化学兵器」の処理事業を手放すとは到底思えない。中共からの無心は続くだろう。
遺棄化学兵器の処理は1997年発効した化学兵器禁止条約に基づき、2000年から実施している。だが、本来、我が国がやるべきことではない。抑抑、科学兵器(毒ガス弾)は「遺棄」ではなく「接収」というのが正しい。
広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」であり、「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と在る。所謂「遺棄科学兵器」は、旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされているが、明らかな誤解と誤謬であり、日本政府が莫大な処理費用を拠出する義務はないし道義的な責任もない。
中共政府は、「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器だ」と主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求している。だが、問題とされる化学兵器なるものは毛沢東の共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が、旧ソ連から継承したもので、その管理責任が中共政府に在るのは歴史的経緯、国際的常識からして明らかである。
日本軍(関東軍)は、昭和20年8月9日未明に、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻した旧ソ連軍に降伏し、武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく、旧ソ連軍に「接収」されたというのが事実。継承された瞬間から国際法上、現在の管理責任は中共政府に在り、日本が本来責任を取る謂れはない。
日本国民の血税であるODAを、中共政府は先の大戦での賠償として捉えており、感謝する気持ちは皆無など持ち合わせてはいない。ODA事業や遺棄化学兵器処理事業に、営利至上主義の売国企業と朝貢的対中経済支援に奔る政治家どもが群がっているのが現状で、やはり対中経済援助は即時中止しなくてはならない。
我が国内を見れば、シナ人への優遇政策は相当なもの。例えばシナ人留学生には一人当たり、年間250~380万円の予算が組まれ学費は免除、月々の生活費も保証されている。4年間で平均1100万円以上の血税が使われている。
政府の予算は約2700億円以上に膨れ上がっているが、岸田政権下で外国人留学生を更に拡大しようとはキチガイ沙汰だ。これ以上何を支援するというのか。これではまるで援助交際ではないか。そこまでして何を得ようとしているの(苦笑)
我が国の対中、対韓外交を見れば実に隔靴掻痒の感は拭えない。だが、かといって「国交断絶」は言うは易く行うは難しというのが現実。ならば、せめてODAや経済援助で貸したカネは即刻回収し、その後は関わり合わないのが一番。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 04:53|Permalink│Comments(1)
2023年06月20日
マイナンバーカードを導入したのは好いがこの杜撰さには厭きれるばかり
マイナンバーカードは、行政サービスの簡素化や、在日外国人の生活保護や脱税を防止する目的で導入した。だが、口座を取り違えたり、別な人の住民票が出たり、他人の年金情報が閲覧できるなどのトラブルが相次いで信用を失ってしまった。
このトラブルの責任は何処に在るのか。当然、担当大臣である河野太郎の責任は免れないが、岸田首相か叱責の声は聞こえない。ワクチン担当大臣の際にワクチンの無害を訴えて乍ら、実害が出たら遁ズラしたのと同じく詭弁を弄して逃げるだろう。こんなのがポスト岸田だとか、首相候補というのだから国民の不幸は極まれり。
デジタル庁の発表に由ると、マイナカードの申請数は約9700万枚(人口比77%)に上る。一方で、公金受取口座の登録数は約5500万(人口比61%)。現実として、「給付金を支給するにしても役に立たない」というのが専らの評判である。
こうした事情から、ネットなどでは「マイナンバーカード返納運動」が始まっている。読売新聞社説には、「廃止方針をいったん凍結し、国民の不安を払拭するのが筋だ」と述べ、健康保険証の廃止は一度凍結するべきだと主張している。
マイナンバーカードと健康保険証の統合は医療関係者の大多数が反対だというし、世論調査でも国民の多くはマイナンバーカード導入に懸念を示している。要は、どういう目的でマイナンバーカードを導入するかの説明が為されていないことに尽きる。
岸田首相はマイナンバーカードの利便性を訴えるだけでは国民は納得しまい。尤も、政治家から「在日外国人への生活保護の不正受給や脱税防止などが狙い」などと口を吐いたものなら、いつもの人権派からキチガイの如く糾弾されるだろう。
「マイナンバーカード義務化は違法」「マイナンバーカードは監視社会」「個人情報が盗まれる危険」など批判してるのはいつもの珍左翼や活動家が多い。個人情報が盗まれるというが、そんな大事な個人情報ってのは何なんだろうな(笑)
「共通番号(マイナンバー)法」が成立したのは平成25年のこと。平成27年10月に各個人に共通番号通知されて、28年1月から制度の運用が始まった。昨年からキャッシュカード型のマイナンバーカードへの移行を推進しているが普及率は未だ低い。
「マイナンバー法」は、年金や介護など社会保障給付と納税に関する情報を一つの番号で結び付けて把握することで、行政サービスの向上が図れるというメリットがある。更には、殖え続ける生活保護の不正受給や脱税を防止の狙いもある。
昨年導入された「在留カード」に拠り、外国人も住民票に本名で管理される様になった。「マイナンバー制」の義務化に拠って、在日らの「通名」を駆使した脱税や不法行為も根絶出来れば実に好いことだが、そう容易いものではなかろう。
マイナンバー導入反対派の煽りに因って、導入義務化を不安視する国民が殖えている。更にこうした批判を避ける為に「通名禁止」だった筈のマイナンバーカードは、LGBT法案成立もあってLGBTの通名が原則認められることとなったという。
山本太郎ら活動家の煽りは原発事故を利用した反原発運動と同じ。今回のトラブルに便乗して騒いでいるのは、外国人犯罪に寛容な左翼活動家だと思われる。
生活保護や国民健康保険制度を悪用する外国人が増殖した。生活保護の受給目当てに偽装離婚したり、書類を偽造したり、詐欺行為や私文書・公文書偽造は朝飯前。役所が不正の兆候を問い糺すと「日本語が分からない」との言い逃れるという。
外国人が警察官に職務質問され、在留カードの提示を求めても、下手くそな日本語で「帰化して日本人になったから持ってない」などと平然と応えるという。最近では不良外国人が、数万枚の偽造の在留カードを売買して摘発されている。
マイナンバーカード導入に「世界の多くはマイナンバーカードを廃止している中、日本だけが・・・」というのがある。LGBT法案や同性婚問題でも「G7の中で日本だけが」との声が上がったが、「世界で」という屁理屈は胡散臭げなものばかり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
このトラブルの責任は何処に在るのか。当然、担当大臣である河野太郎の責任は免れないが、岸田首相か叱責の声は聞こえない。ワクチン担当大臣の際にワクチンの無害を訴えて乍ら、実害が出たら遁ズラしたのと同じく詭弁を弄して逃げるだろう。こんなのがポスト岸田だとか、首相候補というのだから国民の不幸は極まれり。
デジタル庁の発表に由ると、マイナカードの申請数は約9700万枚(人口比77%)に上る。一方で、公金受取口座の登録数は約5500万(人口比61%)。現実として、「給付金を支給するにしても役に立たない」というのが専らの評判である。
こうした事情から、ネットなどでは「マイナンバーカード返納運動」が始まっている。読売新聞社説には、「廃止方針をいったん凍結し、国民の不安を払拭するのが筋だ」と述べ、健康保険証の廃止は一度凍結するべきだと主張している。
マイナンバーカードと健康保険証の統合は医療関係者の大多数が反対だというし、世論調査でも国民の多くはマイナンバーカード導入に懸念を示している。要は、どういう目的でマイナンバーカードを導入するかの説明が為されていないことに尽きる。
岸田首相はマイナンバーカードの利便性を訴えるだけでは国民は納得しまい。尤も、政治家から「在日外国人への生活保護の不正受給や脱税防止などが狙い」などと口を吐いたものなら、いつもの人権派からキチガイの如く糾弾されるだろう。
「マイナンバーカード義務化は違法」「マイナンバーカードは監視社会」「個人情報が盗まれる危険」など批判してるのはいつもの珍左翼や活動家が多い。個人情報が盗まれるというが、そんな大事な個人情報ってのは何なんだろうな(笑)
「共通番号(マイナンバー)法」が成立したのは平成25年のこと。平成27年10月に各個人に共通番号通知されて、28年1月から制度の運用が始まった。昨年からキャッシュカード型のマイナンバーカードへの移行を推進しているが普及率は未だ低い。
「マイナンバー法」は、年金や介護など社会保障給付と納税に関する情報を一つの番号で結び付けて把握することで、行政サービスの向上が図れるというメリットがある。更には、殖え続ける生活保護の不正受給や脱税を防止の狙いもある。
昨年導入された「在留カード」に拠り、外国人も住民票に本名で管理される様になった。「マイナンバー制」の義務化に拠って、在日らの「通名」を駆使した脱税や不法行為も根絶出来れば実に好いことだが、そう容易いものではなかろう。
マイナンバー導入反対派の煽りに因って、導入義務化を不安視する国民が殖えている。更にこうした批判を避ける為に「通名禁止」だった筈のマイナンバーカードは、LGBT法案成立もあってLGBTの通名が原則認められることとなったという。
山本太郎ら活動家の煽りは原発事故を利用した反原発運動と同じ。今回のトラブルに便乗して騒いでいるのは、外国人犯罪に寛容な左翼活動家だと思われる。
生活保護や国民健康保険制度を悪用する外国人が増殖した。生活保護の受給目当てに偽装離婚したり、書類を偽造したり、詐欺行為や私文書・公文書偽造は朝飯前。役所が不正の兆候を問い糺すと「日本語が分からない」との言い逃れるという。
外国人が警察官に職務質問され、在留カードの提示を求めても、下手くそな日本語で「帰化して日本人になったから持ってない」などと平然と応えるという。最近では不良外国人が、数万枚の偽造の在留カードを売買して摘発されている。
マイナンバーカード導入に「世界の多くはマイナンバーカードを廃止している中、日本だけが・・・」というのがある。LGBT法案や同性婚問題でも「G7の中で日本だけが」との声が上がったが、「世界で」という屁理屈は胡散臭げなものばかり。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:54|Permalink│Comments(0)
2023年06月08日
LGBT法案が衆議院内閣委員会で審議入りし即採択か
「LGBT法案」は、衆議院内閣委員会で審議入りし即日採択されるという。性的指向というより、同性愛者や変態の性的嗜好や性癖を理解し増進しようとは狂気の沙汰であり正にキチガイの所業。LGBT法案の可決は自民党崩壊の序章となるのは必至。
LGBTの次は皇位継承に口を挟み、女性天皇や女系天皇を謀ることは必至で、自民党どころか国體破壊の濫觴となる。自民党の左傾化が留まることを知らない。
こうした国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論もせずに、安っぽいムードだけでやれ「世界の流れ」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか、「欧米ではこうだ」とか「差別」だとか「人権」が実に曖昧な次元で語られる。
抑々、日本国憲法第十四条第一項には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。それを態々LGBT法案を可決させる理由は何なのか。
LGBTQ推進派は、憲法第二十四条、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」という条項の「両性」を、「同性は否定していない」などとして憲法解釈で遣り過ごし、御粗末なLGBT法案を成立するつもりなら本末転倒である。
自民党がLGBT法案に積極的なのは、支持団体の「自由同和会」の意向が大きい。同和団体の怖さを知ってる自民党議員は有無を言わずに賛成するわな。理解増進というより同和利権と同じ「利権増進法」。「差別」を利用した差別ビジネスである。
何時ぞや、自民党の簗和生代議士の「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」との発言に、LGBT推進派が噛付いて「差別だ」「人権が」と大騒ぎしたのを思い出す。「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」という意見は大正論ではないか。
LGBTという性的変質者は、性的嗜好を優先する余り脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。
LGBT法案が可決されれば、愚生は差別主義者と断じられるの必至。まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると、自らの代で終えようとするLGBTは人類滅亡過程の進化の序章とも言えるのかも知れない(笑)
「性的マイノリティ」を隠さない社会を目指せと言うが、差別や人権を主張する前に立ち止まって自分の置かれてる立場を冷静に見つめることも必要なのではないか。
マイノリティとは少数派であり、少数派の意見を認めることこそ真の民主主義であるかの様な主張こそ本末転倒と言う他は無い。現代の怪しげな雰囲気に便乗して、弱者や貧困を訴えさえすれば「保護されるのは当たり前」的な風潮は如何なものか。
弱者というのは弱い立場だから弱者といのだろうが、その昔、作家の曽野綾子は、老人だから面倒見て貰えるのが当たり前だとか、住む場所が無いから救済してくれるのが当たり前という卑しい連中を「老人業」とか「難民業」と譬えた。
最近はこうした「老人業」とか、原発事故を利用した「被災者業」に加えて「貧困業」が流行り、訳の分からぬLBGTが恥ずかしげも無く登場して「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張する。
因みに、「当たり前」の反対語は「有り難い」というのを知ってるだろうか。救済されるのが「当たり前」だと思ってる連中というのは、助けてやったところで、当たり前ではない恩恵に「有り難い」とか「ありがとう」と感謝することは全く無い。
我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻で、乞食根性丸出しで「優遇しろ」やら「カネをくれ」の大合唱は実に醜い。貧困や弱者を生業にしようとする連中に共通するのは、国を支えようという気持ちなんぞ毛頭ないことだ。
流行りの「SDGs」も「LGBTQ+」も「アイヌ新法」も「困難女性支援法」も過去の同和利権と同じ利権漁り。LGBT法案を巡り、自民党の売国性が露わになったことで、コアな保守支持層を敵に回した。次期総選挙は竹箆返しに遭うだろう。
「夫婦別姓」「選択的夫婦別姓」「LGBTQ+」「SDGs」「アイヌ新法」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「子ども権利条例」「困難女性支援法」「協働参画社会」「無防備都市宣言」「永住外国人へ地方参政権付与」「外国人住民基本法案」「女性宮家」「女系天皇」の全てが左翼活動家の陰湿な策謀の実行である。
左翼勢力の謀るこれらの姦計に対峙するべき自民党が、逆にこうした策謀を推進する始末で、敵は外患ではなく、正に内憂に在り。自民党粛正は待ったなし。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
LGBTの次は皇位継承に口を挟み、女性天皇や女系天皇を謀ることは必至で、自民党どころか国體破壊の濫觴となる。自民党の左傾化が留まることを知らない。
こうした国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論もせずに、安っぽいムードだけでやれ「世界の流れ」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか、「欧米ではこうだ」とか「差別」だとか「人権」が実に曖昧な次元で語られる。
抑々、日本国憲法第十四条第一項には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。それを態々LGBT法案を可決させる理由は何なのか。
LGBTQ推進派は、憲法第二十四条、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」という条項の「両性」を、「同性は否定していない」などとして憲法解釈で遣り過ごし、御粗末なLGBT法案を成立するつもりなら本末転倒である。
自民党がLGBT法案に積極的なのは、支持団体の「自由同和会」の意向が大きい。同和団体の怖さを知ってる自民党議員は有無を言わずに賛成するわな。理解増進というより同和利権と同じ「利権増進法」。「差別」を利用した差別ビジネスである。
何時ぞや、自民党の簗和生代議士の「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」との発言に、LGBT推進派が噛付いて「差別だ」「人権が」と大騒ぎしたのを思い出す。「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」という意見は大正論ではないか。
LGBTという性的変質者は、性的嗜好を優先する余り脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。
LGBT法案が可決されれば、愚生は差別主義者と断じられるの必至。まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると、自らの代で終えようとするLGBTは人類滅亡過程の進化の序章とも言えるのかも知れない(笑)
「性的マイノリティ」を隠さない社会を目指せと言うが、差別や人権を主張する前に立ち止まって自分の置かれてる立場を冷静に見つめることも必要なのではないか。
マイノリティとは少数派であり、少数派の意見を認めることこそ真の民主主義であるかの様な主張こそ本末転倒と言う他は無い。現代の怪しげな雰囲気に便乗して、弱者や貧困を訴えさえすれば「保護されるのは当たり前」的な風潮は如何なものか。
弱者というのは弱い立場だから弱者といのだろうが、その昔、作家の曽野綾子は、老人だから面倒見て貰えるのが当たり前だとか、住む場所が無いから救済してくれるのが当たり前という卑しい連中を「老人業」とか「難民業」と譬えた。
最近はこうした「老人業」とか、原発事故を利用した「被災者業」に加えて「貧困業」が流行り、訳の分からぬLBGTが恥ずかしげも無く登場して「我々は優遇されるのが当り前だ」と言わんばかりに威張り、居直り、権利ばかりを主張する。
因みに、「当たり前」の反対語は「有り難い」というのを知ってるだろうか。救済されるのが「当たり前」だと思ってる連中というのは、助けてやったところで、当たり前ではない恩恵に「有り難い」とか「ありがとう」と感謝することは全く無い。
我が国の貧困問題は経済的な問題よりも精神的貧困の方が深刻で、乞食根性丸出しで「優遇しろ」やら「カネをくれ」の大合唱は実に醜い。貧困や弱者を生業にしようとする連中に共通するのは、国を支えようという気持ちなんぞ毛頭ないことだ。
流行りの「SDGs」も「LGBTQ+」も「アイヌ新法」も「困難女性支援法」も過去の同和利権と同じ利権漁り。LGBT法案を巡り、自民党の売国性が露わになったことで、コアな保守支持層を敵に回した。次期総選挙は竹箆返しに遭うだろう。
「夫婦別姓」「選択的夫婦別姓」「LGBTQ+」「SDGs」「アイヌ新法」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「子ども権利条例」「困難女性支援法」「協働参画社会」「無防備都市宣言」「永住外国人へ地方参政権付与」「外国人住民基本法案」「女性宮家」「女系天皇」の全てが左翼活動家の陰湿な策謀の実行である。
左翼勢力の謀るこれらの姦計に対峙するべき自民党が、逆にこうした策謀を推進する始末で、敵は外患ではなく、正に内憂に在り。自民党粛正は待ったなし。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 04:26|Permalink│Comments(0)
2023年06月07日
「こども」は「子ども」ではなく「子供」です
国会での質疑もあり、文科省は平成25年6月、公用文中の「子ども」との表記を「子供」に統一したが、今でも「子ども」表記が改められず平然と使用されている。マスコミなんぞ文科省の指導なんぞ無視し平然と「子ども」表記を続けている。
「こども」については、漢字の「子供」ではなく、「子ども」との表記を使うのは、「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させるし、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。 こうしたキチガイ的屁理屈を並べているのは、いつものアホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもだ。
誰が「お供え物」「お供する」などを連想するというのか。こうした左翼陣営の屁理屈を疑いもせずに、多くの国民は「子ども」表記に慣らされてしまったのだが、行政や保守派であるべき自民党の議員までもが御粗末にも「子ども」使用している。
ネットで「子ども」表記に関して揶揄交じりのこんなのを目にしたので、声に出して読んでみたら「子ども」表記のバカさ加減が分かるというもの。
「親も子どももももが好き」
「子どもはどの子もどの子も子どもらしい」
「もう子どももどうもだめ」
「どもる子どももどもらない子どもも子どものうちは子どもどうし」
「親子ともども子どもみたいでもどかしい」
「ドコモはどこも子どもでいっぱい」
「もと子の子どもももう子どもじゃない」
「男子は女子どもとばかにしないでね」
「この椅子もこの子の子どものころのもの」
「この子どもどこの子?」
どうですか、読み難いでしょ。これを漢字にすると実に読み易くなる。
「親も子供も桃が好き」
「子供はどの子もどの子も子供らしい」
「もう子供もどうもだめ」
「どもる子供もどもらない子供も子供のうちは子供どうし」
「親子ともども子供みたいでもどかしい」
「ドコモはどこも子供でいっぱい」
「もと子の子供ももう子供じゃない」
「男子は女子供とばかにしないでね」
「この椅子もこの子の子供のころのもの」
「この子供どこの子?」
「子供」は「子ども」ではありません。「子ども」使用は文科省並びに国家に対する反乱であり、左翼勢力や革命分子に与する単なるアホと見做すしかない。
「男女共同参画社会(共参社会)」にしろ、「協働」の町づくりにしろ、総理府や国立婦人教育会館に巣食う全共闘世代と共産主義に入れ込んだの女革命家らが共同謀議的に考案したものなのだが、これを自民党政権下でろくろく議論もせずに疑いも無く導入し、今では担当大臣がいて防衛費よりも高額な予算付いてるだから呆れ甚し。
「共参社会」とは「共産社会」であり、「協働」とは「共同」ではなくコミューン、つまり共産主義のコミュニティ集落というのがその語源の基となっている。
「協同」というコラボレーションの意味ではない。こうした共産党の造語がマスコミなどを通じて巷に氾濫し、それを国民が疑いも無く使用している実態は、我々が想像している以上に左翼が権力側や行政権と連結してしまっているという証左だ。
文科省の決定を無視し乍ら、一方では外務省局長通達の「中国」使用や、生活保護の局長通達を遵守していることとはどういうことか。一貫性が無いではないか。
「中国」呼称についても、我が国を属国、朝貢国と見做す中共は、日本にだけは、自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいが為の強要でしかない。
「支那」という言葉の禁止という理不尽な言い掛かりが始まったのは、我が国がGHQの支配下にあった戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。中共は形式上、連合国の一員で戦勝国であり、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。
外務省は反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「今度は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との指示を出すに至った。
主権恢復前とはいえ、中共からの異常な主張に諾々として従い、言論機関にこれを強制し、現在に至っているのだが、一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型だろう。
三島由紀夫は嘗て、自著「祖国防衛論」で次の様に指摘している。
「共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」
今、周りを見渡せば、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、それらを連結されてしまった。正に三島が憂いた現実がそこに在る。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「こども」については、漢字の「子供」ではなく、「子ども」との表記を使うのは、「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させるし、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。 こうしたキチガイ的屁理屈を並べているのは、いつものアホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもだ。
誰が「お供え物」「お供する」などを連想するというのか。こうした左翼陣営の屁理屈を疑いもせずに、多くの国民は「子ども」表記に慣らされてしまったのだが、行政や保守派であるべき自民党の議員までもが御粗末にも「子ども」使用している。
ネットで「子ども」表記に関して揶揄交じりのこんなのを目にしたので、声に出して読んでみたら「子ども」表記のバカさ加減が分かるというもの。
「親も子どももももが好き」
「子どもはどの子もどの子も子どもらしい」
「もう子どももどうもだめ」
「どもる子どももどもらない子どもも子どものうちは子どもどうし」
「親子ともども子どもみたいでもどかしい」
「ドコモはどこも子どもでいっぱい」
「もと子の子どもももう子どもじゃない」
「男子は女子どもとばかにしないでね」
「この椅子もこの子の子どものころのもの」
「この子どもどこの子?」
どうですか、読み難いでしょ。これを漢字にすると実に読み易くなる。
「親も子供も桃が好き」
「子供はどの子もどの子も子供らしい」
「もう子供もどうもだめ」
「どもる子供もどもらない子供も子供のうちは子供どうし」
「親子ともども子供みたいでもどかしい」
「ドコモはどこも子供でいっぱい」
「もと子の子供ももう子供じゃない」
「男子は女子供とばかにしないでね」
「この椅子もこの子の子供のころのもの」
「この子供どこの子?」
「子供」は「子ども」ではありません。「子ども」使用は文科省並びに国家に対する反乱であり、左翼勢力や革命分子に与する単なるアホと見做すしかない。
「男女共同参画社会(共参社会)」にしろ、「協働」の町づくりにしろ、総理府や国立婦人教育会館に巣食う全共闘世代と共産主義に入れ込んだの女革命家らが共同謀議的に考案したものなのだが、これを自民党政権下でろくろく議論もせずに疑いも無く導入し、今では担当大臣がいて防衛費よりも高額な予算付いてるだから呆れ甚し。
「共参社会」とは「共産社会」であり、「協働」とは「共同」ではなくコミューン、つまり共産主義のコミュニティ集落というのがその語源の基となっている。
「協同」というコラボレーションの意味ではない。こうした共産党の造語がマスコミなどを通じて巷に氾濫し、それを国民が疑いも無く使用している実態は、我々が想像している以上に左翼が権力側や行政権と連結してしまっているという証左だ。
文科省の決定を無視し乍ら、一方では外務省局長通達の「中国」使用や、生活保護の局長通達を遵守していることとはどういうことか。一貫性が無いではないか。
「中国」呼称についても、我が国を属国、朝貢国と見做す中共は、日本にだけは、自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたいが為の強要でしかない。
「支那」という言葉の禁止という理不尽な言い掛かりが始まったのは、我が国がGHQの支配下にあった戦後の混乱期の昭和21年6月迄遡る。中共は形式上、連合国の一員で戦勝国であり、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要してきた。
外務省は反論も出来ず、従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「今度は、理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」との指示を出すに至った。
主権恢復前とはいえ、中共からの異常な主張に諾々として従い、言論機関にこれを強制し、現在に至っているのだが、一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型だろう。
三島由紀夫は嘗て、自著「祖国防衛論」で次の様に指摘している。
「共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」
今、周りを見渡せば、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、それらを連結されてしまった。正に三島が憂いた現実がそこに在る。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 06:11|Permalink│Comments(0)
2023年06月04日
六四天安門事件(天安門事件)で亡くなられた民主活動家の死を悼む
1989年6月4日、北京市の天安門広場に民主化を求めて学生らが中心となり10万人が集結。デモの輪が広がっていく。このデモに危機感を抱いた鄧小平中軍委主席はデモの鎮圧を決定し、軍隊がデモ隊を鎮圧し多数の死傷者を出した。
インチキジャーナリストの池上彰は、「天安門広場の中で大勢の学生が殺されたかのような報道がなされたり・・・・その後、天安門広場では一人も殺されていなかったことが判ります」と大嘘を平気で語ってるが、親中派というのはキチガイばかり。
中共政府からは未だに犠牲者の数は公表されていない。米国はこの事件を「虐殺」と報じ、世界も中共の人権問題を危惧する。然し、中共は同胞を弾圧し虐殺を謀り乍らその正当性のみを主張する。正しく共産主義者の冷酷さを如実に現している。
天安門事件で逮捕・投獄されるも、「中共政府の一党独裁の廃止こそ人民を救う」という信念で活動を続け、弾圧と制裁に怯むことなく民主化運動に取り組んだ劉暁波氏が、ノーベル平和賞を受賞したという意味をもっと知るべきだろう。
独自の経済体制を構築し米国と共に世界を牛耳る中共だが、未だに共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権を人民に与えることは無い。
「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海、そして台湾の併呑を謀る中共の野望は尽きることはない。
中共は戦勝国として、尖閣諸島周辺の自衛隊に拠る防衛も侵略行為と断定すれば、国連憲章第53条、第107条を理由に一方的な武力行使が可能となる。
先の大東亜戦争で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後独立した中国共産党ではない。中共が戦勝国として常任理事国であることが不条理なのだ。
抑々、未だに共産党一党独裁が続いているのは、我が国から中共に投じたODAなどの朝貢外交が大きいが、それらを人民に我が国の貢献を知らされることはない。
親中派は「一衣帯水」だとか「同文同種」とその理由を述べるが、共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体が国益を大きく損なっている。
米中の貿易戦争は妥協点を見出すことが出来ていない。習近平は、トランプ政権時代に関税引き上げに抗する為にレアアース(希土類)の輸出制限を示唆した。
尖閣列島での漁船衝突事件の際にレアアースの輸出規制を行ったのは記憶に新しいが、米国にも同じ手で対抗するらしい。レアアースなどの鉱物資源の多くはモンゴルに存在する。要は、内蒙古の侵略を自らが認めている様なものだろう。
清朝末期からモンゴル高原の遊牧地帯に入り込んだ漢族が、痩せた土壌を開墾しては放棄した結果、砂漠化した。毎年飛来する「黄砂」もその影響である。
この砂漠化した地下に莫大な鉱物資源が確認されると、原住民のモンゴル人は「過放牧禁止」や「生態回復」という欺瞞の環境政策を理由に強制的に立ち退かされた。鉱物開発権は一切の法的手続きを無視し、漢族官民が利益を独占している。
我が国は、中朝韓が断じる様な先の大戦でアジアを侵略したのではない。アジアを侵略し搾取していた連合国に対して戦ったのだ。戦後、多くの植民地の解放が実現したことは、大東亜戦争が大義ある戦いだったことの証明でもあろう。
それでも尚、我が国がアジアの人々に謝罪し続け、その罪を償う必要があるというなら、最大の過ちは、戦後、中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは世界の共産主義を失くすこと以外にない。共産主義の撲滅は自由主義陣営の悲願である。
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
インチキジャーナリストの池上彰は、「天安門広場の中で大勢の学生が殺されたかのような報道がなされたり・・・・その後、天安門広場では一人も殺されていなかったことが判ります」と大嘘を平気で語ってるが、親中派というのはキチガイばかり。
中共政府からは未だに犠牲者の数は公表されていない。米国はこの事件を「虐殺」と報じ、世界も中共の人権問題を危惧する。然し、中共は同胞を弾圧し虐殺を謀り乍らその正当性のみを主張する。正しく共産主義者の冷酷さを如実に現している。
天安門事件で逮捕・投獄されるも、「中共政府の一党独裁の廃止こそ人民を救う」という信念で活動を続け、弾圧と制裁に怯むことなく民主化運動に取り組んだ劉暁波氏が、ノーベル平和賞を受賞したという意味をもっと知るべきだろう。
独自の経済体制を構築し米国と共に世界を牛耳る中共だが、未だに共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権を人民に与えることは無い。
「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海、そして台湾の併呑を謀る中共の野望は尽きることはない。
中共は戦勝国として、尖閣諸島周辺の自衛隊に拠る防衛も侵略行為と断定すれば、国連憲章第53条、第107条を理由に一方的な武力行使が可能となる。
先の大東亜戦争で我が国が戦ったのは「中華民国」であり、戦後独立した中国共産党ではない。中共が戦勝国として常任理事国であることが不条理なのだ。
抑々、未だに共産党一党独裁が続いているのは、我が国から中共に投じたODAなどの朝貢外交が大きいが、それらを人民に我が国の貢献を知らされることはない。
親中派は「一衣帯水」だとか「同文同種」とその理由を述べるが、共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体が国益を大きく損なっている。
米中の貿易戦争は妥協点を見出すことが出来ていない。習近平は、トランプ政権時代に関税引き上げに抗する為にレアアース(希土類)の輸出制限を示唆した。
尖閣列島での漁船衝突事件の際にレアアースの輸出規制を行ったのは記憶に新しいが、米国にも同じ手で対抗するらしい。レアアースなどの鉱物資源の多くはモンゴルに存在する。要は、内蒙古の侵略を自らが認めている様なものだろう。
清朝末期からモンゴル高原の遊牧地帯に入り込んだ漢族が、痩せた土壌を開墾しては放棄した結果、砂漠化した。毎年飛来する「黄砂」もその影響である。
この砂漠化した地下に莫大な鉱物資源が確認されると、原住民のモンゴル人は「過放牧禁止」や「生態回復」という欺瞞の環境政策を理由に強制的に立ち退かされた。鉱物開発権は一切の法的手続きを無視し、漢族官民が利益を独占している。
我が国は、中朝韓が断じる様な先の大戦でアジアを侵略したのではない。アジアを侵略し搾取していた連合国に対して戦ったのだ。戦後、多くの植民地の解放が実現したことは、大東亜戦争が大義ある戦いだったことの証明でもあろう。
それでも尚、我が国がアジアの人々に謝罪し続け、その罪を償う必要があるというなら、最大の過ちは、戦後、中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは世界の共産主義を失くすこと以外にない。共産主義の撲滅は自由主義陣営の悲願である。
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
cordial8317 at 05:51|Permalink│Comments(0)
2023年05月07日
「遠きは花の香 近きは糞の香」の喩え通り身近な者の意見は軽んじられる
今年になって一日も欠かさず拙ブログ「爆ちゃん吼える」を揮っている。「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」との言葉を肝に銘じてやっている。覚えたことを相手側に教えることは難しいが、新たな気付きもあって勉強になる。
ブログ末尾に会費並びに購読料や御支援を記してるが、今年会費を振り込んでくれた方は一人だけ。タダで読めるから当たり前になってしまって、有難いという気持ちは無いのだろう。「当たり前」の反対語は「有難う」と知ってる人は少ない。
協賛会員300000円を振り込んでくれる奇特者は未だ現れない。まぁ当たり前だがそんな殊勝な人は死ぬまで現れないだろうな。果報は寝て待つしかない(笑)
「預言者は郷里(世)に容れられず」という言葉がある。優れた人物というのは、世の中では受け容れられないことが多いという喩えだ。批判というのは往往にして嫉妬からのものが多く、出世したりすればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というのは実力を認めてる裏返しでもある。
「人は故郷を離れて貴し」とか「 近くの坊さんえらくない」という諺もあるし、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えもある(笑)
身近な者や身近な人の意見というのは当たり前だから耳に入ることも少なく、近くの神社仏閣というのも身近過ぎて有難く感じないもので、軽んじられることが多い。だが、その軽んじられてる意見が正論だったり、真実だったりするものだ。
キリストは愛を説いて十字架に、日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家も偉いヤツほど殺されている。古来、審理を説き、ものの道理を訴えた者は世の中に居られない。バカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそうだ。「地動説」だった時代に「天動説」を唱えればキチガイ扱いされるのは当たり前で、誰も地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかった。結果、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。
これが当時の世論の大勢だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も少なくない。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、バカの世論が結果として正論となる。
「あの人は良い人だ」「あの人の言うことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い。「オレは良い人間だ」「善人だ」「人の為」と吹聴するヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
愚生の経験からすれば、笑顔を浮かべてるヤツや愛想の好いヤツというのは意外と性格が悪いのが多い。作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、悟られない様に誤魔化そうとしているに過ぎず、ブスっと無表情のヤツの方が信頼出来る。
返事なんてのもそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは意外と聞いていない。話をしてる最中も、じっと目を見ているヤツもダメだ。
相手の話しを聞きながらも時々目を伏せて、メモしたり、同意した内容があれば目を上げ、相手方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
報道されてるニュースでも論評でも何事も、たまには違う角度から穿った見方をすることも必要で、現在の常識や多くの正しいと思われている意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた価値観だったりすることが多いものなのだから。
まぁ、日々垂れ流している愚生の薀蓄や能書きも、預言者の喩えではないが、「郷里に容れられず」っていうより、連日同じ様な記事を綴ってると軽んじられるもので、「近きは糞の香」くらいにしか思われていないんだろうなぁ。呵呵大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
ブログ末尾に会費並びに購読料や御支援を記してるが、今年会費を振り込んでくれた方は一人だけ。タダで読めるから当たり前になってしまって、有難いという気持ちは無いのだろう。「当たり前」の反対語は「有難う」と知ってる人は少ない。
協賛会員300000円を振り込んでくれる奇特者は未だ現れない。まぁ当たり前だがそんな殊勝な人は死ぬまで現れないだろうな。果報は寝て待つしかない(笑)
「預言者は郷里(世)に容れられず」という言葉がある。優れた人物というのは、世の中では受け容れられないことが多いという喩えだ。批判というのは往往にして嫉妬からのものが多く、出世したりすればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というのは実力を認めてる裏返しでもある。
「人は故郷を離れて貴し」とか「 近くの坊さんえらくない」という諺もあるし、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えもある(笑)
身近な者や身近な人の意見というのは当たり前だから耳に入ることも少なく、近くの神社仏閣というのも身近過ぎて有難く感じないもので、軽んじられることが多い。だが、その軽んじられてる意見が正論だったり、真実だったりするものだ。
キリストは愛を説いて十字架に、日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家も偉いヤツほど殺されている。古来、審理を説き、ものの道理を訴えた者は世の中に居られない。バカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。
ガリレオ・ガリレイもそうだ。「地動説」だった時代に「天動説」を唱えればキチガイ扱いされるのは当たり前で、誰も地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかった。結果、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。
これが当時の世論の大勢だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も少なくない。
正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、バカの世論が結果として正論となる。
「あの人は良い人だ」「あの人の言うことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い。「オレは良い人間だ」「善人だ」「人の為」と吹聴するヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。
愚生の経験からすれば、笑顔を浮かべてるヤツや愛想の好いヤツというのは意外と性格が悪いのが多い。作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、悟られない様に誤魔化そうとしているに過ぎず、ブスっと無表情のヤツの方が信頼出来る。
返事なんてのもそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは意外と聞いていない。話をしてる最中も、じっと目を見ているヤツもダメだ。
相手の話しを聞きながらも時々目を伏せて、メモしたり、同意した内容があれば目を上げ、相手方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
報道されてるニュースでも論評でも何事も、たまには違う角度から穿った見方をすることも必要で、現在の常識や多くの正しいと思われている意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた価値観だったりすることが多いものなのだから。
まぁ、日々垂れ流している愚生の薀蓄や能書きも、預言者の喩えではないが、「郷里に容れられず」っていうより、連日同じ様な記事を綴ってると軽んじられるもので、「近きは糞の香」くらいにしか思われていないんだろうなぁ。呵呵大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 06:37|Permalink│Comments(0)
2023年05月05日
五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句
今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。
「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。
五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。
「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。
制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。
昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。
「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。
普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。
五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。
「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。
制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。
昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。
「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。
これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。
普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 04:56|Permalink│Comments(0)
2023年02月06日
LGBTQなどの「性的マイノリティ」って性的変質者じゃね~の???
荒井勝喜首相秘書官が、LGBTQなどの「性的マイノリティ」や同性婚を巡って、「見るのも嫌」と発言したことで差別と断じられて更迭された。LGBTQは日本語だと「性的少数派」。少数派という言い方が然もイイ人っぽいが、要は性的変質者だろ。性的少数派ならロリコンやSMも立派な性的マイノリティじゃね(笑)
いつぞや杉田水脈が「LGBTQなどの性的少数者は生産性が無い」とか「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」「女性ならいくらでも嘘が吐ける」と発言し“差別”だとして糾弾されたが、愚生にはホンネや正論にしか聞こえない。
LGBTQは性的嗜好を優先する余り、脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。杉田じゃなくても生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。
LGBTQの性癖や同性婚を毛嫌いするのは差別じゃなくて、それこそ素直な感情だと思うがなぁ。差別さえも赦す、大らかさこそ今の日本には求められる(笑)
まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると自らの代で終わりとするLGBTQは人類滅亡過程の進化の序章と考えられる(笑)
荒井秘書官を執拗に糾弾してるのは、いつもの左翼のクソどもや共産党ばかり。左翼マスコミやインチキジャーナリストどもに煽られた一部のLGBTQもいるのだろうが、多くの性的少数者は性的嗜好を表沙汰にはせずにひっそりと生きている。
「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」との杉田のツイートも、チマチョゴリやアイヌのコスプレをした女性への違和感を指摘しただけ。チマチョゴリやアイヌの衣装を着てる連中こそ既得利権に群がり差別を助長している。
ジェンダー平等や性的マイノリティを如何にも権利であると騒いでいるのは、「男女共同参画社会」を実行した変態のクソども。最近では、国家解体の策謀は更に進化してSDGsや子どもの権利などで、補助金を引き出そうと躍起になっている。
「協働のまちづくり」も左翼の共同謀議だが、それを疑いなく推進したのは自民党というのも嗤える。「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにある。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。
地方自治体や町集落の住民が協力して地元の連帯と絆を深めるのは大いに結構なことだとは思うが、「協働」や「男女共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、つまりコミュンテルン(国際共産主義運動)の創造であり、世界革命の実現を目指す組織に似たり。
共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。
「協働」と同じく「男女共同参画社会」は、「共産(共参)社会の実現」が目的である。これら亡国的企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案して、その実行を謀った。
「持続可能な開発目標(SDGs)」も似た様なもの。世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ。SDGsは、世界の共産主義者に因る新手の左翼運動ではあるまいか。
SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが実に胡散臭い。
LGBTQの同性婚を推進してるのは、このキチガイども。この連中の目的とは、性的マイノリティを利用し、如何にして我が国の伝統や文化を破壊してやるかだけ。性的マイノリティは「我々を利用しないで欲しい」というのが本音だと思う。
LGBTQ推進派は、日本国憲法第二十四条、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」との条項の改正を目論んでるのだとしたら改憲派だな(笑)
違憲である自衛隊が、自衛隊法で合憲と解釈されたことと同じく、LGBTQ派に慮って憲法解釈で遣り過ごし、御粗末な法案を成立すつもりなのか。現憲法は、国家の基本法としては御粗末で使い物にならないってことがこんなことでも分かる。
いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、誰もが疑うことがない。その「カタチ」は実に陰湿になり、巧妙にカタチを変えた左翼の究極の目的は「女性宮家論」「女性天皇」「女系天皇」であり、国體破壊と皇統断絶である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
いつぞや杉田水脈が「LGBTQなどの性的少数者は生産性が無い」とか「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」「女性ならいくらでも嘘が吐ける」と発言し“差別”だとして糾弾されたが、愚生にはホンネや正論にしか聞こえない。
LGBTQは性的嗜好を優先する余り、脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。杉田じゃなくても生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。
LGBTQの性癖や同性婚を毛嫌いするのは差別じゃなくて、それこそ素直な感情だと思うがなぁ。差別さえも赦す、大らかさこそ今の日本には求められる(笑)
まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると自らの代で終わりとするLGBTQは人類滅亡過程の進化の序章と考えられる(笑)
荒井秘書官を執拗に糾弾してるのは、いつもの左翼のクソどもや共産党ばかり。左翼マスコミやインチキジャーナリストどもに煽られた一部のLGBTQもいるのだろうが、多くの性的少数者は性的嗜好を表沙汰にはせずにひっそりと生きている。
「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」との杉田のツイートも、チマチョゴリやアイヌのコスプレをした女性への違和感を指摘しただけ。チマチョゴリやアイヌの衣装を着てる連中こそ既得利権に群がり差別を助長している。
ジェンダー平等や性的マイノリティを如何にも権利であると騒いでいるのは、「男女共同参画社会」を実行した変態のクソども。最近では、国家解体の策謀は更に進化してSDGsや子どもの権利などで、補助金を引き出そうと躍起になっている。
「協働のまちづくり」も左翼の共同謀議だが、それを疑いなく推進したのは自民党というのも嗤える。「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにある。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。
地方自治体や町集落の住民が協力して地元の連帯と絆を深めるのは大いに結構なことだとは思うが、「協働」や「男女共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、つまりコミュンテルン(国際共産主義運動)の創造であり、世界革命の実現を目指す組織に似たり。
共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。
「協働」と同じく「男女共同参画社会」は、「共産(共参)社会の実現」が目的である。これら亡国的企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案して、その実行を謀った。
「持続可能な開発目標(SDGs)」も似た様なもの。世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ。SDGsは、世界の共産主義者に因る新手の左翼運動ではあるまいか。
SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが実に胡散臭い。
LGBTQの同性婚を推進してるのは、このキチガイども。この連中の目的とは、性的マイノリティを利用し、如何にして我が国の伝統や文化を破壊してやるかだけ。性的マイノリティは「我々を利用しないで欲しい」というのが本音だと思う。
LGBTQ推進派は、日本国憲法第二十四条、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」との条項の改正を目論んでるのだとしたら改憲派だな(笑)
違憲である自衛隊が、自衛隊法で合憲と解釈されたことと同じく、LGBTQ派に慮って憲法解釈で遣り過ごし、御粗末な法案を成立すつもりなのか。現憲法は、国家の基本法としては御粗末で使い物にならないってことがこんなことでも分かる。
いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、誰もが疑うことがない。その「カタチ」は実に陰湿になり、巧妙にカタチを変えた左翼の究極の目的は「女性宮家論」「女性天皇」「女系天皇」であり、国體破壊と皇統断絶である。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 16:52|Permalink│Comments(0)
2023年01月15日
成人の日はやはり「小正月」の1月15日に戻すべし!
今日は小正月。元旦を大正月と呼ぶのに対して15日を小正月と呼ぶ。その年の初めての満月の日に一家の行く末を託す男子の「元服」を行ったのが成人式の由来。
この「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生するきっかけを作った。
「元服の儀」という屁理屈より、「その年の初めての満月は15日に限らないから第二月曜が好いのでは」と言えば、「なるほど」と支持する国民が出ていたかも。
平成10年に施行された「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」の所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い夫夫の月曜日に行うこととなった。
この「ハッピーマンデー」は、我が国の歴史・伝統・文化の否定を目的として施行されており、左翼陣営はこうした策謀を積み重ねることに拠って国體否定の論拠とするのは常套手段。「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。
こんな愚策は祝日法の再改定を図るべきだが既成事実化された。成人式は祝日だからという理由でハッピーマンデーの成人式に国旗を掲揚するなど以ての外だ。
国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は、天皇が執り行う「宮中祭祀」の妨害である。その宮中祭祀の中で特に重要なものは正月元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。勤労感謝の日がそう。
天皇にとって最も大事なものは国事行為ではなく、神道の最高の地位にいる祭主として行う「祭事」である。宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として、新嘗祭の未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼や、元旦の四方拝の一部を縮小した。
陛下の負担軽減を図るなら祭事を優先し、現憲法下での国事行為や公的行為こそ軽減すべき。宮内庁の獅子身中の虫でもある奸臣どもが、陛下の御高齢を理由に宮中の祭事を取り止めることこそ、陛下を利用した国體破壊の序章ではなかろうか。
「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などというものと同一であり、天皇の政治利用であり、国民を誑かす最たる策謀である。
天皇の祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、祝祭日とは国民が共に祝う日であって、祝祭日は単なる休日ではないのだ。
諸外国に比べて、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる伝統文化はない。戦前は祝祭日の多くは神道に由来するものが多く、現在でも約半分が神道の祭日である。
「成人式」にしても皇室の「元服の儀」に由来するものだ。多くの日本人が、祝日を単なる休みとしか考えていない。祝日の意義を教えて行かねばならない。
最近は、ハッピーマンデーと言いながら、成人式を前倒しして日曜日に執り行う自治体は少なくない。これ即ち、祝日法の意義が失われている証左である。
国家の中枢に入り込んだ左翼らが謀った、こうした国體破壊を目的とした愚策を実行して来たのは、共産党ではなく自民党で政権だというのは実に御粗末なことだ。
故安倍元首相は、「自国に誇りの持てる教育を施す」と訴えて政権復帰を果たしながら、道徳教育より英語教育の充実を図って、唯只管に経済至上主義に奔った。
改憲の国民投票を理由に成人年齢を18歳に引き下げ様としているが、成人式の趣旨と目的は、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことであって、大人になった自覚が無い連中を祝い励ます意味はない。
例えば、道徳教育を施すことが大事ではなく、道徳や公共の福祉というものを自覚させて、それを自らが実行させる精神を涵養することこそが大事なのだ。
成人式は別に自治体だけがやることではなく、企業や家庭でも、成人として自覚した若者を祝い励ますことが謳われている。大人になった自覚が無ければその若者に苦言を呈し、諫めることは必要であり、国や地方自治体に頼るのは大間違い。
成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたことでも「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を祝う意味があるとも思えない。
イベント化した自治体の式典は意味が無くそろそろ止めた方が好い。親や上司など周りにいる人達が成人になった若者を見守ることこそ日本再生に繋がって行く。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
この「男子の元服」というのが、性差別を叫ぶジェンダーフリーを叫ぶキチガイどもの怒りを買って、所謂「ハッピーマンデー」が誕生するきっかけを作った。
「元服の儀」という屁理屈より、「その年の初めての満月は15日に限らないから第二月曜が好いのでは」と言えば、「なるほど」と支持する国民が出ていたかも。
平成10年に施行された「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」の所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い夫夫の月曜日に行うこととなった。
この「ハッピーマンデー」は、我が国の歴史・伝統・文化の否定を目的として施行されており、左翼陣営はこうした策謀を積み重ねることに拠って国體否定の論拠とするのは常套手段。「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。
こんな愚策は祝日法の再改定を図るべきだが既成事実化された。成人式は祝日だからという理由でハッピーマンデーの成人式に国旗を掲揚するなど以ての外だ。
国體破壊を目論む左翼陣営の究極の目的は、天皇が執り行う「宮中祭祀」の妨害である。その宮中祭祀の中で特に重要なものは正月元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。勤労感謝の日がそう。
天皇にとって最も大事なものは国事行為ではなく、神道の最高の地位にいる祭主として行う「祭事」である。宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として、新嘗祭の未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼や、元旦の四方拝の一部を縮小した。
陛下の負担軽減を図るなら祭事を優先し、現憲法下での国事行為や公的行為こそ軽減すべき。宮内庁の獅子身中の虫でもある奸臣どもが、陛下の御高齢を理由に宮中の祭事を取り止めることこそ、陛下を利用した国體破壊の序章ではなかろうか。
「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などというものと同一であり、天皇の政治利用であり、国民を誑かす最たる策謀である。
天皇の祭祀こそ、決められた日の決められた時間にすべきものであり、祝祭日とは国民が共に祝う日であって、祝祭日は単なる休日ではないのだ。
諸外国に比べて、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる伝統文化はない。戦前は祝祭日の多くは神道に由来するものが多く、現在でも約半分が神道の祭日である。
「成人式」にしても皇室の「元服の儀」に由来するものだ。多くの日本人が、祝日を単なる休みとしか考えていない。祝日の意義を教えて行かねばならない。
最近は、ハッピーマンデーと言いながら、成人式を前倒しして日曜日に執り行う自治体は少なくない。これ即ち、祝日法の意義が失われている証左である。
国家の中枢に入り込んだ左翼らが謀った、こうした国體破壊を目的とした愚策を実行して来たのは、共産党ではなく自民党で政権だというのは実に御粗末なことだ。
故安倍元首相は、「自国に誇りの持てる教育を施す」と訴えて政権復帰を果たしながら、道徳教育より英語教育の充実を図って、唯只管に経済至上主義に奔った。
改憲の国民投票を理由に成人年齢を18歳に引き下げ様としているが、成人式の趣旨と目的は、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます」ことであって、大人になった自覚が無い連中を祝い励ます意味はない。
例えば、道徳教育を施すことが大事ではなく、道徳や公共の福祉というものを自覚させて、それを自らが実行させる精神を涵養することこそが大事なのだ。
成人式は別に自治体だけがやることではなく、企業や家庭でも、成人として自覚した若者を祝い励ますことが謳われている。大人になった自覚が無ければその若者に苦言を呈し、諫めることは必要であり、国や地方自治体に頼るのは大間違い。
成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたことでも「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を祝う意味があるとも思えない。
イベント化した自治体の式典は意味が無くそろそろ止めた方が好い。親や上司など周りにいる人達が成人になった若者を見守ることこそ日本再生に繋がって行く。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 06:08|Permalink│Comments(0)
2022年12月05日
何事も両目をカッと見開いて物事の真意を吟味したいものです
当り前だが人間には目玉が二つある。だが、「明き盲(めくら)」という言葉がある様に、多くの人は世の中の事柄を片目(一面)でしか見ていなかったり、理解力が乏しかったり、自分で判断もせずに大勢に流されてしまう人ばかり。
伊達政宗や前田利家、柳生十兵衛、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、歴史上で大成した人物には隻眼(せきがん)が多いが、片目の方というのはその不自由さ故に物事の見方や事象を冷静に見て判断するからではあるまいか。
世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。
徳川時代に日本にやってきた外人は、日本人の丁髷を見て、日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せているとびっくりしたという。それに尾鰭が付いて「チョンマゲ、ハラキリ、フジヤマ、ゲーシャ」などの変な日本人観が生まれた。
そういう日本人も来日した外人を見て、背の高い赤毛の天狗が来たとびっくりしたというからお互い様だが、人の見る目と噂というものは存外そんなもの(笑)
もう直ぐ大東亜戦争の開戦記念日を迎えるが、先の大戦に突入する頃は「対米開戦已む無し」の声が大勢を占め、当時の国会議員の中で反対したのは大日本愛国党総裁で当時参議院議員だった赤尾敏ら少数議員だったというから嗤えない。
当時の多くの国民は「神州不滅」を信じ「戦争反対」の意見を吐くものなら周りから「非国民」と罵られ、憲兵にしょっ引かれて酷い目に遭わされた。右翼は好戦家に思われがちだが赤尾の行動に見る様に俯瞰した意志と行動こそ大事。
つまり、いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。
反原発派らが目の敵にする原発だってそうだ。第一次オイルショックを経験した日本は、基幹エネルギーに原発を選択する。そして我が国は高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。
こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思ったのは事実で、今更、原発を批判するのは筋違いだろう。そうした恩恵の全てを否定して「原発の無い時代に戻せ!」とか「故郷を返せ!」というのは本末転倒と言う他は無い。
民主主義は多数決だが、数の多い意見が正しいとは限らないし、同様に善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。大衆から「キチガイ」や「変人」と呼ばれてる人から見れば、大衆こそが変人に見えてるのかも知れない(笑)
「世評なんぞ気にかけるな。人間の評価など十年毎に浮き沈みするものだ。大奸物、大逆物と言われた勝麟太郎も今では伯爵という華族様の勝安芳様と言われる様になった。世評など変わるものだし、信じるものではない」とは勝海舟。
人間の賢愚、美醜、善悪など、そう簡単に決められるものではない。その時代の価値観や何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿ってどうにでも、どっちにも動き流されるものなのだ。
ヒトラーは「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」と叫ぶ。
そしてこう訓える。「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。
我が国の政治が大衆迎合主義に陥るのは、マスコミに誘導された大衆に媚びるばかりで強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことに尽きる。
議論し合うことは必要なことではあるが、大事なのは意見が対立した場合に上に立つ者の意志と実行力が結果を左右する。これは組織も会社も同じこと。社長や役員がだらしなければその会社に未来は無い。さっさと辞めるに限る(笑)
世評なんぞ懼れるに足らず。坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えているが、事を成すには強い信念を持つべし。
時代の怪しい風潮や大勢の意見に流されることなく、明き盲にならず、何事にも両目をカッと見開いて、その中身を吟味し判断する癖を付けたいものだ。呵々
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
伊達政宗や前田利家、柳生十兵衛、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、歴史上で大成した人物には隻眼(せきがん)が多いが、片目の方というのはその不自由さ故に物事の見方や事象を冷静に見て判断するからではあるまいか。
世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。
徳川時代に日本にやってきた外人は、日本人の丁髷を見て、日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せているとびっくりしたという。それに尾鰭が付いて「チョンマゲ、ハラキリ、フジヤマ、ゲーシャ」などの変な日本人観が生まれた。
そういう日本人も来日した外人を見て、背の高い赤毛の天狗が来たとびっくりしたというからお互い様だが、人の見る目と噂というものは存外そんなもの(笑)
もう直ぐ大東亜戦争の開戦記念日を迎えるが、先の大戦に突入する頃は「対米開戦已む無し」の声が大勢を占め、当時の国会議員の中で反対したのは大日本愛国党総裁で当時参議院議員だった赤尾敏ら少数議員だったというから嗤えない。
当時の多くの国民は「神州不滅」を信じ「戦争反対」の意見を吐くものなら周りから「非国民」と罵られ、憲兵にしょっ引かれて酷い目に遭わされた。右翼は好戦家に思われがちだが赤尾の行動に見る様に俯瞰した意志と行動こそ大事。
つまり、いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。
反原発派らが目の敵にする原発だってそうだ。第一次オイルショックを経験した日本は、基幹エネルギーに原発を選択する。そして我が国は高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。
こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思ったのは事実で、今更、原発を批判するのは筋違いだろう。そうした恩恵の全てを否定して「原発の無い時代に戻せ!」とか「故郷を返せ!」というのは本末転倒と言う他は無い。
民主主義は多数決だが、数の多い意見が正しいとは限らないし、同様に善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。大衆から「キチガイ」や「変人」と呼ばれてる人から見れば、大衆こそが変人に見えてるのかも知れない(笑)
「世評なんぞ気にかけるな。人間の評価など十年毎に浮き沈みするものだ。大奸物、大逆物と言われた勝麟太郎も今では伯爵という華族様の勝安芳様と言われる様になった。世評など変わるものだし、信じるものではない」とは勝海舟。
人間の賢愚、美醜、善悪など、そう簡単に決められるものではない。その時代の価値観や何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿ってどうにでも、どっちにも動き流されるものなのだ。
ヒトラーは「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」と叫ぶ。
そしてこう訓える。「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。
我が国の政治が大衆迎合主義に陥るのは、マスコミに誘導された大衆に媚びるばかりで強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことに尽きる。
議論し合うことは必要なことではあるが、大事なのは意見が対立した場合に上に立つ者の意志と実行力が結果を左右する。これは組織も会社も同じこと。社長や役員がだらしなければその会社に未来は無い。さっさと辞めるに限る(笑)
世評なんぞ懼れるに足らず。坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えているが、事を成すには強い信念を持つべし。
時代の怪しい風潮や大勢の意見に流されることなく、明き盲にならず、何事にも両目をカッと見開いて、その中身を吟味し判断する癖を付けたいものだ。呵々
※ブログコメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 07:37|Permalink│Comments(0)
2022年10月09日
日本国憲法は「平和憲法」でも「世界の宝」でもありませんよ(笑)
戦争放棄を定めた日本国憲法を「平和憲法」だとか「世界の宝」だと妄信する左翼ども。是非は別に、憲法の平和理念を忠実に守って来た日本国民というのは、別な意味で尊敬される価値はあるのかも知らんが、我が国の戦後の平和は日米安保条約や米国の核の賜物であり、現憲法を授けてくれた米国にこそ感謝するべきだわな(笑)
誤(護)憲派は「平和主義の理念を守る」と叫ぶ。自衛隊の存在を認めることなく、国家の防衛を怠りながら何が「平和主義」か。自民党に対しては「戦争を出来る国にしようとしている」などと「平和」という言葉を武器に国民を誑かし続ける。
我が国が目指すべきは「戦争出来る国」ではなく「戦争しても負けない国」であり、自らの国家の防衛や国防の義務を放棄した現憲法は無用の長物と化す。
過去には「憲法九条にノーベル平和賞を」という活動もあったが、呼びかけ人は自称・主婦の鷹巣直美。この女は名うての左翼活動家。誤(護)憲運動とは、左翼どもの共同謀議的且つ幼稚な革命戦略というのが正しく、騙されてはならない。
抑々、現日本国憲法というのは実に矛盾だらけ。憲法第九条の「戦争放棄に関する条項」は、第二次世界大戦後、国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、我が国を始め、アメリカやイギリス、フランス、イタリアなど多くの国が締結している。
然し、戦争放棄の国際条約を結んでから世界から戦争が無くなったかというと、皮肉なことに条約とは全く正反対の道を歩んで往った。普通は、理想と現実は違うということを理解するのだが、誤(護)憲派の脳ミソは普通とはかなり違う様だ。
「平和主義」を憲法で謳っている国は八十ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは我が国と同じ戦争放棄の規定がある。
誤憲派のバカどもは、日本国憲法を「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、これこそ無知と驕り以外の何ものでもない。「憲法九条にノーベル平和賞を」というキチガイ沙汰も同じく、無知と驕り高ぶりから出た破廉恥行為でもある。
第九条第一項で、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」と明記している国家としての理想像は理解出来るものだ。
だが、第二項で「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」との防衛力の無条件放棄には理解に苦しむ。「交戦権これを認めない」という表現は日本国民自ら使うべき日本語でもない。
九条を読めば、小学生でも自衛隊は憲法違反の存在だと分かる。自衛隊は「自衛隊法」に則って合法的に創られてはいるが自衛隊は憲法上は違憲の存在である。ならば単純に憲法を見直せば好いことだろう。憲法解釈や改正か護憲かという不毛空論の議論を続けるのではなく、国家の防衛や国防の意味と重要性こそ議論すべきだろう。
悲しい哉、首相や閣僚の靖國神社への参拝は、政教分離を謳った第二十条違反であり、また所謂「A級戦犯分祀論」も靖國神社への政治介入であり同法違反である。
「私学助成金制度」は明らかな第八十九条違反だろう。公金その他の財産は、国とは関係のないものに使用してはならない。つまり、私立学校への助成は違憲なのは明らか。在日への生活保護や外国人留学生への厚遇などの公金の流用は言語道断。
我が国が主権を回復した昭和二十年四月二十八日、米国との「日米平和条約」締結に続いて中華民国と「日華国交条約」を締結した。道義国家としては当然の行為である。だが、昭和四十七年九月二十九日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。
田中は中国共産党を唯一の政府であると認め、一方的に我が国が締結した「日華国交条約」を破棄したのである。田中の行為は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、主権国家として決して赦されるものではない。田中が強行した「日華国交条約」の破棄は明らかな憲法第九十八条違反である。
九十八条には、「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」と明記されているのであるが、この田中の憲法蹂躙はマスコミからも野党からも、況してや護憲派からも未だ嘗て一度足りとも問われたり糺されたことはない。
第九十六条には憲法改正の条項が在る。「国会議員の三分の二以上が発議し国民の過半数の同意」で憲法改正が出来るととされており、改憲は可能となってはいるのだが、これに基づき発議すれば、憲法九十九条違反に抵触してしまうのだ。
何故なら九十九条には、「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」との規定がある。ということは、総理大臣の改憲発議自体が、国務大臣として憲法を遵守していないことに問われ憲法違反に問われてしまう。
戦後、自民党政権下で不毛空論の憲法論議の末に「現内閣では憲法改正は致しません」との答弁が繰り返されて来たのは、この九十九条を問われた結果である。
現憲法の最たる矛盾は第一条だろう。「天皇は象徴である」と規定するが、「主権の存する国民の総意」があって象徴としての天皇が成立する。日本共産党や左翼どもが公然と反天皇を叫び、「我々が反対しているから天皇は象徴ではなく、憲法違反の存在である」との主張は、現憲法に照らし合わせれば残念ながら正論なのだ。
現憲法の「無効論」を訴えている声も聞こえてくる。矛盾だらけの日本国憲法は、第九条などの部分改正するより、制定過程を鑑みて破棄した方が手っ取り早い。自民党や営業保守が謀る憲法九条改正は究極の護憲運動であると断じて好かろう。
現憲法は米軍から言わせれば大日本帝国憲法第七十六条に基づいた改正であり、ならば再改正し、大日本帝国憲法に戻すことこそ我が国體の正義に敵うものだ。況してや自民党は改憲が党是ではない。自民党の新憲法草案を訴えないのか不思議だ。
成文憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年制定のアメリカ。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。昭和二十二(1947)年制定の日本は15番目。ところが、世界最古の憲法を持つ米国を始め、何れの国々も時代に即し改正しており、一字一句改正されていない日本国憲法は今や世界で最も古い憲法である。
憲法とは国家の基本法であり、時代の流れに応じて変えて行くものであり、不可侵ではない。環境問題、情報公開、プライバシー保護、尖閣列島や竹島に見られる主権問題など、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。
そうした社会に適応出来る様にすることは何も平和に逆行することではない。寧ろ、矛盾だらけの憲法を後生大事に崇めている方が平和に逆行する。三島由紀夫が嘗て、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えていたが、正に護憲派こそ無防備の害そのもの。
我が国と国民を危険に曝す誤憲派の「平和主義」という綺麗ごとが我が国の在るべき姿を失する結果となっていることは余程のバカじゃない限り理解している。
「憲法九条にノーベル平和賞を」というキチガイ沙汰を見れば、如何に誤憲派が我が国を蝕んでいるかが分かるというものだ。「平和主義」の理念を守れば平和が訪れる時代ではなく、況してや憲法九条が我が国を守ってくれている訳でもない。
国際情勢や近隣アジアや朝鮮半島情勢が不穏な今、平和というのは米国依存ではなく、我々日本人自身で命懸けで創り出すものでなければならないのだ。
護憲とは米国製の憲法を未来永劫に護って行こうということであり、究極の親米派と言っても過言ではない。護憲は誤憲というのはそういうことだ。日本人は魂なき繁栄に現を抜かし、まやかしの平和をいつまでも貪っていろということなのだ。
日頃、「反米」のポーズを採り乍ら、護憲を唱え、自虐史観にどっぷり漬かっている左翼どもこそが、その実は究極の親米派であることすら自覚していない。
今こそ日本衰退の元凶である日本国憲法の「平和主義」という偽善を取っ払い、国民の三大義務に国防を加え、真の平和と対米自立を創造しなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
誤(護)憲派は「平和主義の理念を守る」と叫ぶ。自衛隊の存在を認めることなく、国家の防衛を怠りながら何が「平和主義」か。自民党に対しては「戦争を出来る国にしようとしている」などと「平和」という言葉を武器に国民を誑かし続ける。
我が国が目指すべきは「戦争出来る国」ではなく「戦争しても負けない国」であり、自らの国家の防衛や国防の義務を放棄した現憲法は無用の長物と化す。
過去には「憲法九条にノーベル平和賞を」という活動もあったが、呼びかけ人は自称・主婦の鷹巣直美。この女は名うての左翼活動家。誤(護)憲運動とは、左翼どもの共同謀議的且つ幼稚な革命戦略というのが正しく、騙されてはならない。
抑々、現日本国憲法というのは実に矛盾だらけ。憲法第九条の「戦争放棄に関する条項」は、第二次世界大戦後、国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、我が国を始め、アメリカやイギリス、フランス、イタリアなど多くの国が締結している。
然し、戦争放棄の国際条約を結んでから世界から戦争が無くなったかというと、皮肉なことに条約とは全く正反対の道を歩んで往った。普通は、理想と現実は違うということを理解するのだが、誤(護)憲派の脳ミソは普通とはかなり違う様だ。
「平和主義」を憲法で謳っている国は八十ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは我が国と同じ戦争放棄の規定がある。
誤憲派のバカどもは、日本国憲法を「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、これこそ無知と驕り以外の何ものでもない。「憲法九条にノーベル平和賞を」というキチガイ沙汰も同じく、無知と驕り高ぶりから出た破廉恥行為でもある。
第九条第一項で、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」と明記している国家としての理想像は理解出来るものだ。
だが、第二項で「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」との防衛力の無条件放棄には理解に苦しむ。「交戦権これを認めない」という表現は日本国民自ら使うべき日本語でもない。
九条を読めば、小学生でも自衛隊は憲法違反の存在だと分かる。自衛隊は「自衛隊法」に則って合法的に創られてはいるが自衛隊は憲法上は違憲の存在である。ならば単純に憲法を見直せば好いことだろう。憲法解釈や改正か護憲かという不毛空論の議論を続けるのではなく、国家の防衛や国防の意味と重要性こそ議論すべきだろう。
悲しい哉、首相や閣僚の靖國神社への参拝は、政教分離を謳った第二十条違反であり、また所謂「A級戦犯分祀論」も靖國神社への政治介入であり同法違反である。
「私学助成金制度」は明らかな第八十九条違反だろう。公金その他の財産は、国とは関係のないものに使用してはならない。つまり、私立学校への助成は違憲なのは明らか。在日への生活保護や外国人留学生への厚遇などの公金の流用は言語道断。
我が国が主権を回復した昭和二十年四月二十八日、米国との「日米平和条約」締結に続いて中華民国と「日華国交条約」を締結した。道義国家としては当然の行為である。だが、昭和四十七年九月二十九日、田中角栄は「日中共同声明」に調印。
田中は中国共産党を唯一の政府であると認め、一方的に我が国が締結した「日華国交条約」を破棄したのである。田中の行為は終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、主権国家として決して赦されるものではない。田中が強行した「日華国交条約」の破棄は明らかな憲法第九十八条違反である。
九十八条には、「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」と明記されているのであるが、この田中の憲法蹂躙はマスコミからも野党からも、況してや護憲派からも未だ嘗て一度足りとも問われたり糺されたことはない。
第九十六条には憲法改正の条項が在る。「国会議員の三分の二以上が発議し国民の過半数の同意」で憲法改正が出来るととされており、改憲は可能となってはいるのだが、これに基づき発議すれば、憲法九十九条違反に抵触してしまうのだ。
何故なら九十九条には、「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」との規定がある。ということは、総理大臣の改憲発議自体が、国務大臣として憲法を遵守していないことに問われ憲法違反に問われてしまう。
戦後、自民党政権下で不毛空論の憲法論議の末に「現内閣では憲法改正は致しません」との答弁が繰り返されて来たのは、この九十九条を問われた結果である。
現憲法の最たる矛盾は第一条だろう。「天皇は象徴である」と規定するが、「主権の存する国民の総意」があって象徴としての天皇が成立する。日本共産党や左翼どもが公然と反天皇を叫び、「我々が反対しているから天皇は象徴ではなく、憲法違反の存在である」との主張は、現憲法に照らし合わせれば残念ながら正論なのだ。
現憲法の「無効論」を訴えている声も聞こえてくる。矛盾だらけの日本国憲法は、第九条などの部分改正するより、制定過程を鑑みて破棄した方が手っ取り早い。自民党や営業保守が謀る憲法九条改正は究極の護憲運動であると断じて好かろう。
現憲法は米軍から言わせれば大日本帝国憲法第七十六条に基づいた改正であり、ならば再改正し、大日本帝国憲法に戻すことこそ我が国體の正義に敵うものだ。況してや自民党は改憲が党是ではない。自民党の新憲法草案を訴えないのか不思議だ。
成文憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年制定のアメリカ。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。昭和二十二(1947)年制定の日本は15番目。ところが、世界最古の憲法を持つ米国を始め、何れの国々も時代に即し改正しており、一字一句改正されていない日本国憲法は今や世界で最も古い憲法である。
憲法とは国家の基本法であり、時代の流れに応じて変えて行くものであり、不可侵ではない。環境問題、情報公開、プライバシー保護、尖閣列島や竹島に見られる主権問題など、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。
そうした社会に適応出来る様にすることは何も平和に逆行することではない。寧ろ、矛盾だらけの憲法を後生大事に崇めている方が平和に逆行する。三島由紀夫が嘗て、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えていたが、正に護憲派こそ無防備の害そのもの。
我が国と国民を危険に曝す誤憲派の「平和主義」という綺麗ごとが我が国の在るべき姿を失する結果となっていることは余程のバカじゃない限り理解している。
「憲法九条にノーベル平和賞を」というキチガイ沙汰を見れば、如何に誤憲派が我が国を蝕んでいるかが分かるというものだ。「平和主義」の理念を守れば平和が訪れる時代ではなく、況してや憲法九条が我が国を守ってくれている訳でもない。
国際情勢や近隣アジアや朝鮮半島情勢が不穏な今、平和というのは米国依存ではなく、我々日本人自身で命懸けで創り出すものでなければならないのだ。
護憲とは米国製の憲法を未来永劫に護って行こうということであり、究極の親米派と言っても過言ではない。護憲は誤憲というのはそういうことだ。日本人は魂なき繁栄に現を抜かし、まやかしの平和をいつまでも貪っていろということなのだ。
日頃、「反米」のポーズを採り乍ら、護憲を唱え、自虐史観にどっぷり漬かっている左翼どもこそが、その実は究極の親米派であることすら自覚していない。
今こそ日本衰退の元凶である日本国憲法の「平和主義」という偽善を取っ払い、国民の三大義務に国防を加え、真の平和と対米自立を創造しなければならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 04:46|Permalink│Comments(0)
2022年05月05日
「子供(こども)の日」に対する男女共同参画社会やジェンダー平等の悪影響
5月5日は「こどもの日」。古くは、この日は菖蒲や蓬(よもぎ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降には、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い、町人の中でも武者人形や鯉幟を立てる様になった。
昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。
「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。
子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出している。だが、今でも改められることなく、与党の自民党議員までも未だに「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらは、「子供」や「こども」ではなく敢えて「子ども」表記を使うのは、「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合、漢字だと「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」というのは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。
この場合の「ども」は、漢字だと「共」となるが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様な言葉遊びを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてる自民党議員や自称保守派どもというのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営に因る共同謀議的大愚策でもあるのなのだが、こうした策謀を改めることなく、保守を標榜する自民党政権下で実行された揚げ句に担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたジェンダーフリーを曲解し理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらは今や総理府や政府中枢に入り込んで行政を蝕んでいる。
男女共同参画社会では「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字である。
これは、漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義である。
普段、声高に「反戦」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。
「子ども」表記を続けているのは間違いなく共産党か左翼、マスコミに煽動されてることに気付いていない無自覚左翼か単なるアホと見て間違いないだろう。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。
「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。
子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。
文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出している。だが、今でも改められることなく、与党の自民党議員までも未だに「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)
日本共産党やマスコミらは、「子供」や「こども」ではなく敢えて「子ども」表記を使うのは、「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。
「お供する」というが、その場合、漢字だと「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」というのは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。
この場合の「ども」は、漢字だと「共」となるが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。
こうしたマヌケなギャグの様な言葉遊びを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてる自民党議員や自称保守派どもというのもまた嗤うしかない。
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営に因る共同謀議的大愚策でもあるのなのだが、こうした策謀を改めることなく、保守を標榜する自民党政権下で実行された揚げ句に担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。
こうしたジェンダーフリーを曲解し理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらは今や総理府や政府中枢に入り込んで行政を蝕んでいる。
男女共同参画社会では「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字である。
これは、漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。
その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。
その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。
因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義である。
普段、声高に「反戦」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。
「子ども」表記を続けているのは間違いなく共産党か左翼、マスコミに煽動されてることに気付いていない無自覚左翼か単なるアホと見て間違いないだろう。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 05:55|Permalink│Comments(0)
2022年04月16日
未だに「子ども」表記してる自民党公認候補ってバカなの(笑)
昨日、某書店に行くと今夏の参院選福島選挙区に自民党候補として立候補する星北斗に遭遇したのでパンフレットを貰ってみた。「星は、相手を見下し、人に頭を下げることが出来ない」と聞いていたが、ニコニコして愛想が好かったな(笑)
国政選挙に限らず、立候補者の公報や政策ビラなどに「子供」と表記してるか「子ども」なのかが、その候補者の政治哲学や思想信条を知る判断の目安としている。
平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられるものに、「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と漢字の表記する様に示されている。
マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党議員や自民党公認候補どもが安倍政権下の下村文科大臣が下した通達を無視して、未だに「子ども」表記を使い続けてることはアホかマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由だという。共産党は、「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」とトンチンカンな主張している。
何処の誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」と書く。仏壇の供物と同じく、「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもあると思う。
悪党や政治家らを悪意的に、「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。抑々「ども」というのは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どである。
この場合の「ども」は、漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」の漢字を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つだ。
こうした流れは、インチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。
古代文字である甲骨文字や、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。未だに男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく、「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは、「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。つまり、マスコミは左翼勢力であり、未だに疑うことなく使ってる自民党議員どももまた余程のバカと見て好いだろう(苦笑)
こうしたパンフレットを作ってる秘書や職員、広告代理店がバカなのだろうが、「子ども」表記に違和感を覚えない候補者もそれ以上のバカに違いない。些細な事柄にも気が付かないようでは議員になっても碌な仕事は出来ないだろう。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 09:30|Permalink│Comments(0)
2022年03月01日
「ブタペスト覚書」を信用して核兵器を放棄したウクライナの悲劇
米国の核兵器を国内に配備し、日米共同で運用する「核共有」政策の導入について、安倍元首相がフジテレビの報道番組で「議論すべきだ」と発言したことに対し、似非平和団体らは「安倍の発言は非常に危険」と猛反発の声が上がっている。
ロシア軍の侵略に加担したベラルーシのルカシェンコ大統領は、ロシアの核共有を謀る為に憲法を改正し核保有配備を容認した。キチガイに刃物どころか核兵器とは狂気の沙汰。そんな中で岸田首相は核共有議論さえ封じ込むとは御花畑過ぎる。
日本は「非核三原則」を掲げているが、余程のバカではない限り米国の核があって平和が維持されてると思っている。非核三原則を金科玉条の如く奉りながら、一方で「日本を守って下さい」とは余りにも都合が好過ぎるというものだろう。
我が国の近隣諸国は中共やロシア、韓国、北朝鮮と我が国を仮想敵国とする危険な国ばかり。核兵器こそ外交戦略上的には最大の武器となる。近隣諸国の脅威に対抗する安全保障措置として米国の核共有を完全否定する岸田は外交音痴の極み。
インドやパキスタンの紛争が治まったのも、イスラエルや北朝鮮が核武装に奔ったのもそうした認識からであり、金正恩が何百万人もの餓死者が出ても歯牙にも掛けず核保有に固執するのは「核武装こそが国益だ」と確信しているからに他ならない。
国連総会で日本は「核兵器は非人道的なものだとして如何なる状況でも使用すべきではない」と、核兵器の不使用を訴えていながら、一方で米国の核抑止力(核の傘)に頼る我が国の安全保障政策は、その整合性に矛盾しているのは明らか。
こうした矛盾に日本政府は「声明全体の趣旨が日本の安全保障政策や核軍縮の取り組みとも整合性が取れる内容になった」としているが、これは我田引水的解釈に過ぎない。ならば、米国の「核の傘」への依存体制からの脱却を図るべきだろう。
岸田が外務大臣時代「世界で唯一の戦争被爆国である我が国としては、核兵器を使用することの悲惨さを、国と世代を超えて語り継い行くことを通じて、核兵器のない世界の実現に向けて国際社会の取り組みを主導して行く考えだ」と語っている。
「世界で唯一の戦争被爆国」として核の悲惨さを語り継ぐのは勝手だが、核共有議論を否定することは次元が違う。日米安保体制の下で国家の防衛という大本を米国に依存しながら、国際社会の取り組みを主導することなど到底出来る訳はあるまい。
「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」「核兵器は最強の外交官」「核兵器は最大の戦争抑止力」との認識は世界の常識と言っても過言ではない。核兵器こそが外交交渉をする上での最高且つ最大の武器になり、戦争を回避させる最大の効果を齎す。
世界で唯一の戦争被爆国である我が国が、国際社会の安全保障の取り組みを主導すると言うならば、「常任理事国を始め、世界中の核兵器が無くなるまで、世界が核兵器使用という愚かな行為が成されない様に監視し、世界平和を構築する為にも、我が国は限定的核武装を視野に防衛体制を見直したいと考えている」と訴えて然り。
心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけだ。それにも拘らず原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本である防衛を米国に依存し続けているこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。
核共有を否定し、実質的にも米国の「核の傘」からの脱却を訴えたからには、「日米安保条約」を解消し、自主防衛の確立を急ぎ、そして核武装こそが「アジア諸国や世界の平和と安定に貢献出来るものだ」との認識を共有すべきである。
プーチンのウクライナへの侵略を招いた要因は、ウクライナが核放棄したことだ。ウクライナは1994年、米国・英国・ロシアなどと「ブダペスト覚書」を締結。
当時、ウクライナは世界3位規模の核保有国だった。この核兵器を放棄する代償として、領土の安全性と独立的主権が保障されることになった。1800余基の核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を全てロシアに返還・廃棄し、非核化を完了した。
ブタペスト覚書は国連安保理が保証した国際的合意だが、覚書に署名した米国と英国は軍事的介入に躊躇している。核保有を放棄させながら、約束を反古してるのは正義に反する行為である。ウクライナのゼレンスキー大統領の落胆は大きい。
我が国も日米安保条約を信じているが、ウクライナ情勢を他山の石と捉えて万が一に備えるべきだ。核兵器を保有するどころか、米国の核共有議論さえも否定したノー天気な岸田首相の言行を近隣の腹黒い国々は、ほくそ笑んでいるに違いない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
ロシア軍の侵略に加担したベラルーシのルカシェンコ大統領は、ロシアの核共有を謀る為に憲法を改正し核保有配備を容認した。キチガイに刃物どころか核兵器とは狂気の沙汰。そんな中で岸田首相は核共有議論さえ封じ込むとは御花畑過ぎる。
日本は「非核三原則」を掲げているが、余程のバカではない限り米国の核があって平和が維持されてると思っている。非核三原則を金科玉条の如く奉りながら、一方で「日本を守って下さい」とは余りにも都合が好過ぎるというものだろう。
我が国の近隣諸国は中共やロシア、韓国、北朝鮮と我が国を仮想敵国とする危険な国ばかり。核兵器こそ外交戦略上的には最大の武器となる。近隣諸国の脅威に対抗する安全保障措置として米国の核共有を完全否定する岸田は外交音痴の極み。
インドやパキスタンの紛争が治まったのも、イスラエルや北朝鮮が核武装に奔ったのもそうした認識からであり、金正恩が何百万人もの餓死者が出ても歯牙にも掛けず核保有に固執するのは「核武装こそが国益だ」と確信しているからに他ならない。
国連総会で日本は「核兵器は非人道的なものだとして如何なる状況でも使用すべきではない」と、核兵器の不使用を訴えていながら、一方で米国の核抑止力(核の傘)に頼る我が国の安全保障政策は、その整合性に矛盾しているのは明らか。
こうした矛盾に日本政府は「声明全体の趣旨が日本の安全保障政策や核軍縮の取り組みとも整合性が取れる内容になった」としているが、これは我田引水的解釈に過ぎない。ならば、米国の「核の傘」への依存体制からの脱却を図るべきだろう。
岸田が外務大臣時代「世界で唯一の戦争被爆国である我が国としては、核兵器を使用することの悲惨さを、国と世代を超えて語り継い行くことを通じて、核兵器のない世界の実現に向けて国際社会の取り組みを主導して行く考えだ」と語っている。
「世界で唯一の戦争被爆国」として核の悲惨さを語り継ぐのは勝手だが、核共有議論を否定することは次元が違う。日米安保体制の下で国家の防衛という大本を米国に依存しながら、国際社会の取り組みを主導することなど到底出来る訳はあるまい。
「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」「核兵器は最強の外交官」「核兵器は最大の戦争抑止力」との認識は世界の常識と言っても過言ではない。核兵器こそが外交交渉をする上での最高且つ最大の武器になり、戦争を回避させる最大の効果を齎す。
世界で唯一の戦争被爆国である我が国が、国際社会の安全保障の取り組みを主導すると言うならば、「常任理事国を始め、世界中の核兵器が無くなるまで、世界が核兵器使用という愚かな行為が成されない様に監視し、世界平和を構築する為にも、我が国は限定的核武装を視野に防衛体制を見直したいと考えている」と訴えて然り。
心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけだ。それにも拘らず原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじ、国家の大本である防衛を米国に依存し続けているこの歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。
核共有を否定し、実質的にも米国の「核の傘」からの脱却を訴えたからには、「日米安保条約」を解消し、自主防衛の確立を急ぎ、そして核武装こそが「アジア諸国や世界の平和と安定に貢献出来るものだ」との認識を共有すべきである。
プーチンのウクライナへの侵略を招いた要因は、ウクライナが核放棄したことだ。ウクライナは1994年、米国・英国・ロシアなどと「ブダペスト覚書」を締結。
当時、ウクライナは世界3位規模の核保有国だった。この核兵器を放棄する代償として、領土の安全性と独立的主権が保障されることになった。1800余基の核弾頭とICBM(大陸間弾道ミサイル)を全てロシアに返還・廃棄し、非核化を完了した。
ブタペスト覚書は国連安保理が保証した国際的合意だが、覚書に署名した米国と英国は軍事的介入に躊躇している。核保有を放棄させながら、約束を反古してるのは正義に反する行為である。ウクライナのゼレンスキー大統領の落胆は大きい。
我が国も日米安保条約を信じているが、ウクライナ情勢を他山の石と捉えて万が一に備えるべきだ。核兵器を保有するどころか、米国の核共有議論さえも否定したノー天気な岸田首相の言行を近隣の腹黒い国々は、ほくそ笑んでいるに違いない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 08:30|Permalink│Comments(0)
2022年02月27日
憲法第九条を盲信する護憲派の平和ボケは不治の病なんだろうな(苦笑)
ウクライナへのロシアの侵略を目の当たりにしても日本人は対岸の火事の如くに感じ、連日流される娯楽番組に興じている。誤憲派勢力は戦争を遠巻きに見ながら、現憲法を平和憲法と疑わない。我が国の平和ボケは不治の病なんだと痛感する。
過去に、タレントのフィフィが「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」との揶揄は名言だと思う。
当り前だが人間には目玉が二つある。だが、多くの人は世の中を片目でしか見ていないのかという意見や、自分で判断もせずにマスコミの煽った大勢に流される。
歴史的偉人を見れば伊達政宗や柳生十兵衛、前田利家、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、隻眼と言われた人の方が物事を冷静に見てたりもする。
6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際にその矢が右目に刺さり失明した双葉山。土俵に上がったら必ず受けて立った。受けて立つ理由を聞かれた双葉山は「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」とその理由を述べている
障害を克服した人というのは物の見方や考え方が違う。その点、五体満足に生まれた故に何事にも「当たり前」という甘えが生じて自ら努力しなくなる。当たり前の反対語が「ありがとう」だが、現在の平和にも何人が感謝しているのか疑問だ。
現代では、自分で見聞きしたものよりも、マスコミの意見やSNSで数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける風潮がある。
江戸時代、日本にやってきた外人は丁髷を見て「日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せている」と吃驚し、そこに尾鰭が付いて変な日本人観が生まれた。
そういう日本人も、来日した外人を見て「背の高い、赤毛の天狗が来た」と吃驚したというからお互い様だわな。人の見る目と風評なんてのはそんなものだ(笑)
大東亜戦争に突入する頃、国会議員の多くは対米戦争已む無しの声が大勢を占め、反対したのは当時は参議院議員だった大日本愛国党総裁の赤尾敏ら少数だった。結果論ではあるが、当時、共産党の策謀を見抜けなかったのが敗戦の要因だった。
多くの国民も神州不滅を信じ、「戦争反対」の意見を吐くものなら「非国民」として憲兵にひっぱられ酷い目に遭わされた。大衆の多くは無知で愚かであり操縦し易い。人々が思考しないことは、政府にとってはこれほど好都合なことはない。
原発運動だってそうだ。「反原発」に踊らされてる多くは無知な大衆。煽ってるのは山本太郎や菅直人ら現役国会議員と小泉純一郎や細川護熙ら元アホ首相。
第一次オイルショックを経験した我が国は、基幹エネルギーに原子力発電を選択する。技術立国を目指す日本には必要なエネルギーだった。その結果、高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。
こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思った。今更、現代の安っぽい価値観で原発事故を論い目の仇として批判するのは筋違いも甚だしい。原発を再稼働せず、小型軽水炉開発などの新エネルギーを認めないで日本が存続するとは思えない。
ウクライナ情勢が激しさを増せば、それでなくても値上がりし続ける燃料高騰は止まるところを知らない。トリガー条項を発動したところで一時的なものでしかない。ロシアのウクライナ侵攻はエネルギーを考える上でも重要な教訓でもある。
我が国はロシアや中国共産党の様な独裁国家ではなく民主主義を選び、国民には言論の自由が保障されている。多数決が民主主義の基本だが数の多い意見が正しいとは限らない。同様に、善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。
多くの大衆の意見に逆らえば「キチガイ」や「右翼」などと詰られ人格さえも否定される。だが、キチガイ側から見れば大衆こそが変人に見えたりする(笑)
批判されたり、軽んじられてる意見こそが正論だったり事実だったりするもの。喩えるならキリストは愛を説いて十字架に架けられた。天動説のガリレオもそう。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノということか(笑)
坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えている。人間の賢愚、美醜、善悪など簡単に決められるものではない。何事も極一部の人間の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も流される存在なのだ。
ヒトラーは「大衆は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。何故なら彼らは小さな嘘は自分でも吐くが大きな嘘は怖くて吐けないからだ」「必要不可欠なのは一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すれば好い」と訓えている。
我が国の政治は大衆迎合主義であり愚衆政治となるのは、悪意はないが、無批判で無関心な現状維持にだけにしか興味のない大衆が、マスコミによる世論誘導を疑うことなく受け容れて、それが正しいものだと錯覚してしまっているからだ。
政治議論は必要なことではあるが、ヒトラーが訓える様に大事なのは上に立つ者(指導者)の意志と実行力である。如何せん、我が国にはそうしたリーダーはいない。第三次世界大戦勃発という乱世を治められる政治家がいるのだろうか。
ウクライナの侵略は我が国にとって対岸の火事ではない。マスコミの流す胡散臭げな主張に流されず、何事も両目をかっと見開いてその中身を吟味し、強固な意志と実行力を以て国民生活を安寧に導く真の保守政治家の出現を待望して止まない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
過去に、タレントのフィフィが「平和ボケとは、まともな情報が流れてこなくて、娯楽ばっか与えられて、いつしかモラルすらこだわらなくなって、それを平和と思い込まされてて。水面下でうごめく危機に気づか無くて、いや気づか無いように教育されて。気が付けば、時すでに遅しの状態のこと」との揶揄は名言だと思う。
当り前だが人間には目玉が二つある。だが、多くの人は世の中を片目でしか見ていないのかという意見や、自分で判断もせずにマスコミの煽った大勢に流される。
歴史的偉人を見れば伊達政宗や柳生十兵衛、前田利家、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、隻眼と言われた人の方が物事を冷静に見てたりもする。
6歳の時に友達と吹き矢で遊んでいる際にその矢が右目に刺さり失明した双葉山。土俵に上がったら必ず受けて立った。受けて立つ理由を聞かれた双葉山は「目が悪かったので、自分から突っかけるのは不利だと思った」とその理由を述べている
障害を克服した人というのは物の見方や考え方が違う。その点、五体満足に生まれた故に何事にも「当たり前」という甘えが生じて自ら努力しなくなる。当たり前の反対語が「ありがとう」だが、現在の平和にも何人が感謝しているのか疑問だ。
現代では、自分で見聞きしたものよりも、マスコミの意見やSNSで数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける風潮がある。
江戸時代、日本にやってきた外人は丁髷を見て「日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せている」と吃驚し、そこに尾鰭が付いて変な日本人観が生まれた。
そういう日本人も、来日した外人を見て「背の高い、赤毛の天狗が来た」と吃驚したというからお互い様だわな。人の見る目と風評なんてのはそんなものだ(笑)
大東亜戦争に突入する頃、国会議員の多くは対米戦争已む無しの声が大勢を占め、反対したのは当時は参議院議員だった大日本愛国党総裁の赤尾敏ら少数だった。結果論ではあるが、当時、共産党の策謀を見抜けなかったのが敗戦の要因だった。
多くの国民も神州不滅を信じ、「戦争反対」の意見を吐くものなら「非国民」として憲兵にひっぱられ酷い目に遭わされた。大衆の多くは無知で愚かであり操縦し易い。人々が思考しないことは、政府にとってはこれほど好都合なことはない。
原発運動だってそうだ。「反原発」に踊らされてる多くは無知な大衆。煽ってるのは山本太郎や菅直人ら現役国会議員と小泉純一郎や細川護熙ら元アホ首相。
第一次オイルショックを経験した我が国は、基幹エネルギーに原子力発電を選択する。技術立国を目指す日本には必要なエネルギーだった。その結果、高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。
こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思った。今更、現代の安っぽい価値観で原発事故を論い目の仇として批判するのは筋違いも甚だしい。原発を再稼働せず、小型軽水炉開発などの新エネルギーを認めないで日本が存続するとは思えない。
ウクライナ情勢が激しさを増せば、それでなくても値上がりし続ける燃料高騰は止まるところを知らない。トリガー条項を発動したところで一時的なものでしかない。ロシアのウクライナ侵攻はエネルギーを考える上でも重要な教訓でもある。
我が国はロシアや中国共産党の様な独裁国家ではなく民主主義を選び、国民には言論の自由が保障されている。多数決が民主主義の基本だが数の多い意見が正しいとは限らない。同様に、善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。
多くの大衆の意見に逆らえば「キチガイ」や「右翼」などと詰られ人格さえも否定される。だが、キチガイ側から見れば大衆こそが変人に見えたりする(笑)
批判されたり、軽んじられてる意見こそが正論だったり事実だったりするもの。喩えるならキリストは愛を説いて十字架に架けられた。天動説のガリレオもそう。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。
古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノということか(笑)
坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えている。人間の賢愚、美醜、善悪など簡単に決められるものではない。何事も極一部の人間の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も流される存在なのだ。
ヒトラーは「大衆は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。何故なら彼らは小さな嘘は自分でも吐くが大きな嘘は怖くて吐けないからだ」「必要不可欠なのは一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すれば好い」と訓えている。
我が国の政治は大衆迎合主義であり愚衆政治となるのは、悪意はないが、無批判で無関心な現状維持にだけにしか興味のない大衆が、マスコミによる世論誘導を疑うことなく受け容れて、それが正しいものだと錯覚してしまっているからだ。
政治議論は必要なことではあるが、ヒトラーが訓える様に大事なのは上に立つ者(指導者)の意志と実行力である。如何せん、我が国にはそうしたリーダーはいない。第三次世界大戦勃発という乱世を治められる政治家がいるのだろうか。
ウクライナの侵略は我が国にとって対岸の火事ではない。マスコミの流す胡散臭げな主張に流されず、何事も両目をかっと見開いてその中身を吟味し、強固な意志と実行力を以て国民生活を安寧に導く真の保守政治家の出現を待望して止まない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想などは mr.cordial@live.jp へ御気軽にメールを。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 06:34|Permalink│Comments(0)
2022年02月04日
福島第一原発事故で福島の子供を利用する我田引水的反原発運動を嗤う
国連放射線影響科学委員会が発表した2020年版の調査報告書では、福島県内で発症した甲状腺癌について「被曝が原因ではない」との見解を示している。
小泉純一郎、細川護熙、菅直人、鳩山由紀夫、村山富市ら国賊五人組の行動は、福島県の風評被害を招き、福島県民への差別と偏見を助長するだけ。今回の軽挙妄動を猛省を促したいが、確信犯的反原発派の国賊五人組は反省すらしないだろう。
細川は数年前、デモクラTVに出演して都知事選についてのインタビューに答えた。講釈師ばりに見て来た様なウソを吐いたというのは昨日のブログでも曝した。
「数日前に私は見たんですけども、ロシアの国防軍が出した極秘資料というものが出てきてね。それを見たんですが、福島でこないだ暮れに、12月31日だったかな、爆発があったという小さな記事が出ましたね。その数日前から実は水蒸気が上がっていて『何かおかしい』という話があったのを私も確かに覚えているんですけども。あれは完全にメルトダウンを起こしているということを、いろいろ分析をしていて。それでアメリカはヨウ素を15000袋だったかな、既に2月の始めに配るという手筈を始めたということとかですね、それから、いま北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物の大量死が続出していると、これはまさにその福島の影響であるということとか。いろんなものが出てきているわけです。これはまあ凄い話だと思いましたね」。バカ殿・細川の頭の中が放射線で壊死したとしか思えない(笑)
原発事故後、福島市から逸早くトンズラした木村雄一というアホがいる。木村は福島市内でライブハウスを経営していたが、震災後に福島県から佐賀県に逃亡した自称・被災者。木村は避難先から参院選選に「緑の党」の比例代表に出馬した。
木村の様な自主避難者には「災害救助法」に則り生活費などが保障されている。故郷を見捨て、避難した自治体に世話になっていながら被害者面して福島を貶めてるケースは後を絶たない。木村は公示日、九州電力本店前で第一声を上げた。
木村は、福島県南相馬市の人から聞いたことだとして、「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と訴えた。単なるデマを鵜呑みにして見て来た様なウソを垂れ流した。細川のシロクマやアザラシのデマと同じ。
木村の演説を聞いたキチガイ支持者どもが拍手喝采。更に木村は、福島県西郷村では2012年夏以降からも奇形の子が生まれていると断言し、「チェルノブイリの再来」だと煽って、「それを言うために僕は立候補したんです」と悦に入った。
以前、日本生態系協会会長の池谷奉文なるアホが講演会で、原発事故に便乗して「福島の人とは結婚しない方がイイ」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」などとの発言してバッシングを受けたがコレと同類。
原発事故後に福島県や福島県民に浴びせられた差別や偏見の全ては事実無根のデマでしかなかった。デマというより全く根拠の無いで悪質な流言蜚語だったが、彼奴らは謝罪するどころか頬っ被りをして逃亡。小泉ら国賊五人組も卑怯さでは同列。
福島県の風評被害の全て反原発派によるデマから発生していると言っても過言ではなく、その被害は甚大だ。今までも反原発のヒステリーから殊更に放射線の恐怖を煽る発言や表現はあったが、アホ元首相五人組の主張はその完結編と言うべきか。
彼奴らの主張に科学的根拠はなく単なる己の安っぽい知識と軽薄な主張ばかりで、胡散臭げな研究から行き着いた妄想に過ぎない。「子供達を放射線から守れ」と子供をも利用して反原発を叫ぶ放射脳という精神異常者達にはホトホト厭になる。
民主党政権下で決定した「年間1m㏜(ミリシーベルト)以下」という数値を根拠に、住民の安心と安全の為に進められた除染作業の結果は、反原発派のデマもあり「福島県は除染しなければ住めない危険な土地」とのレッテルを貼られた。
原子力規制委員会は、放射線防護対策の年間被曝線量は「20m㏜以下」との提言を行ったが、民主党政権下の「1m㏜」の基準が見直されてはいない。この非科学的な「1m㏜以下」という数値が国民の放射線への間違った認識とそれに伴う風評被害を齎し、復興どころか復旧をも阻んで来た元凶と言っても過言ではない。
民主党政権は原発事故発生時にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を隠蔽し「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。
福島第一原発事故の刑事責任を巡り、東電旧経営陣3名が業務上過失致死傷で強制起訴されている。起訴内容では、原発事故で避難を余儀なくされた双葉病院の患者と介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者44名の死亡責任を問われている。
双葉病院周辺は放射線量も低く、避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、動かしてはいけない重篤な患者を強制的に移動させた死亡させた。この責任は東電元幹部らではなく、当時首相で災害対策本部長だった菅直人である。
双葉病院の患者とドーヴィル双葉の入所者44名の死因は、強制起訴裁判で語られている様な「津波を予見せずに対策を怠ったこと」が原因ではなく、民主党の非科学的な「1m㏜」という基準と「20キロ圏内」という愚策が決定的な原因である。
摩訶不思議なことに、混乱と被害拡大を生んだ災害対策本部長であり最高責任者であった菅直人は未だ逮捕されてはいない。菅は原発事故を他人事の様に捉えて、福島県内で甲状腺癌が発症してる原因は原発事故であるかの如く喧伝している。
願わくば、菅を始め、福島県の風評被害と福島県民への差別を助長し続ける小泉、細川、鳩山、村山らクソ共どもを根こそぎ逮捕拘留し刑務所へ送りたいものだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
小泉純一郎、細川護熙、菅直人、鳩山由紀夫、村山富市ら国賊五人組の行動は、福島県の風評被害を招き、福島県民への差別と偏見を助長するだけ。今回の軽挙妄動を猛省を促したいが、確信犯的反原発派の国賊五人組は反省すらしないだろう。
細川は数年前、デモクラTVに出演して都知事選についてのインタビューに答えた。講釈師ばりに見て来た様なウソを吐いたというのは昨日のブログでも曝した。
「数日前に私は見たんですけども、ロシアの国防軍が出した極秘資料というものが出てきてね。それを見たんですが、福島でこないだ暮れに、12月31日だったかな、爆発があったという小さな記事が出ましたね。その数日前から実は水蒸気が上がっていて『何かおかしい』という話があったのを私も確かに覚えているんですけども。あれは完全にメルトダウンを起こしているということを、いろいろ分析をしていて。それでアメリカはヨウ素を15000袋だったかな、既に2月の始めに配るという手筈を始めたということとかですね、それから、いま北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物の大量死が続出していると、これはまさにその福島の影響であるということとか。いろんなものが出てきているわけです。これはまあ凄い話だと思いましたね」。バカ殿・細川の頭の中が放射線で壊死したとしか思えない(笑)
原発事故後、福島市から逸早くトンズラした木村雄一というアホがいる。木村は福島市内でライブハウスを経営していたが、震災後に福島県から佐賀県に逃亡した自称・被災者。木村は避難先から参院選選に「緑の党」の比例代表に出馬した。
木村の様な自主避難者には「災害救助法」に則り生活費などが保障されている。故郷を見捨て、避難した自治体に世話になっていながら被害者面して福島を貶めてるケースは後を絶たない。木村は公示日、九州電力本店前で第一声を上げた。
木村は、福島県南相馬市の人から聞いたことだとして、「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と訴えた。単なるデマを鵜呑みにして見て来た様なウソを垂れ流した。細川のシロクマやアザラシのデマと同じ。
木村の演説を聞いたキチガイ支持者どもが拍手喝采。更に木村は、福島県西郷村では2012年夏以降からも奇形の子が生まれていると断言し、「チェルノブイリの再来」だと煽って、「それを言うために僕は立候補したんです」と悦に入った。
以前、日本生態系協会会長の池谷奉文なるアホが講演会で、原発事故に便乗して「福島の人とは結婚しない方がイイ」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」などとの発言してバッシングを受けたがコレと同類。
原発事故後に福島県や福島県民に浴びせられた差別や偏見の全ては事実無根のデマでしかなかった。デマというより全く根拠の無いで悪質な流言蜚語だったが、彼奴らは謝罪するどころか頬っ被りをして逃亡。小泉ら国賊五人組も卑怯さでは同列。
福島県の風評被害の全て反原発派によるデマから発生していると言っても過言ではなく、その被害は甚大だ。今までも反原発のヒステリーから殊更に放射線の恐怖を煽る発言や表現はあったが、アホ元首相五人組の主張はその完結編と言うべきか。
彼奴らの主張に科学的根拠はなく単なる己の安っぽい知識と軽薄な主張ばかりで、胡散臭げな研究から行き着いた妄想に過ぎない。「子供達を放射線から守れ」と子供をも利用して反原発を叫ぶ放射脳という精神異常者達にはホトホト厭になる。
民主党政権下で決定した「年間1m㏜(ミリシーベルト)以下」という数値を根拠に、住民の安心と安全の為に進められた除染作業の結果は、反原発派のデマもあり「福島県は除染しなければ住めない危険な土地」とのレッテルを貼られた。
原子力規制委員会は、放射線防護対策の年間被曝線量は「20m㏜以下」との提言を行ったが、民主党政権下の「1m㏜」の基準が見直されてはいない。この非科学的な「1m㏜以下」という数値が国民の放射線への間違った認識とそれに伴う風評被害を齎し、復興どころか復旧をも阻んで来た元凶と言っても過言ではない。
民主党政権は原発事故発生時にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を隠蔽し「原発周辺20キロ圏内」という避難指示を下した。
福島第一原発事故の刑事責任を巡り、東電旧経営陣3名が業務上過失致死傷で強制起訴されている。起訴内容では、原発事故で避難を余儀なくされた双葉病院の患者と介護老人施設「ドーヴィル双葉」の入所者44名の死亡責任を問われている。
双葉病院周辺は放射線量も低く、避難指示を解除し治療を優先すべきだったにも拘らず、動かしてはいけない重篤な患者を強制的に移動させた死亡させた。この責任は東電元幹部らではなく、当時首相で災害対策本部長だった菅直人である。
双葉病院の患者とドーヴィル双葉の入所者44名の死因は、強制起訴裁判で語られている様な「津波を予見せずに対策を怠ったこと」が原因ではなく、民主党の非科学的な「1m㏜」という基準と「20キロ圏内」という愚策が決定的な原因である。
摩訶不思議なことに、混乱と被害拡大を生んだ災害対策本部長であり最高責任者であった菅直人は未だ逮捕されてはいない。菅は原発事故を他人事の様に捉えて、福島県内で甲状腺癌が発症してる原因は原発事故であるかの如く喧伝している。
願わくば、菅を始め、福島県の風評被害と福島県民への差別を助長し続ける小泉、細川、鳩山、村山らクソ共どもを根こそぎ逮捕拘留し刑務所へ送りたいものだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 07:57|Permalink│Comments(0)
2022年01月10日
主権恢復への道は祝祭日を本来の在るべき姿に戻すことから始めよう!
本日は「成人式」。平成11年、「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイや左翼らの策謀である、所謂「ハッピーマンデー」に因って第二月曜日に移動させられ摩訶不思議な祝日が誕生するに至った。
その年の初めての満月を祝う小正月(15日)に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来。我が国の祝祭日の約半分が神道の祭日である。戦前は殆どが神道の祭日。如何に我が国が天皇国日本というのが理解出来る。
平成30(2018)年、民法改正案が可決成立し、今年4月1日より成人は20歳ではなく18歳となる。来年の成人式は、18~20歳が合同開催となる。
国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。
成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたニュースを見ると「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を励ます理由もないと感じる。
愚生の成人の日は、実家から送って貰った紋付き羽織袴を下宿の三畳一間の部屋で着替えて靖國神社に詣でたのを昨日のことの様に思い出す。玄関を出る際に下宿屋の婆さんが驚いてたっけ。あれからもう40年かぁ。人生とは正に光陰矢の如し。
「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」を「ハッピーマンデー」としたのは、国體破壊を謀る左翼陣営の悪知恵だが、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らがこれに同調し施行されたことは御粗末の極みである断じる他はない。
戊辰戦争に敗れて以降、異国の地で艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に明治天皇が東北各地を巡行し、その旅を終え帰港した7月20日が「海の日」であり、歴史的意味があることを忘れるな。
「海の日」は単なる休日ではない。ハッピーマンデーから簡択しなくてはならない。「体育の日」は、アジアで且つ有色人種国で初のオリンピックを開催したという歴史的偉業である。10月10日というこの日以外に何の意味があるというのか。
「ハッピーマンデー」とは、天皇と繋がる祝祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らか。最終的には11月23日の「勤労感謝の日」と、2月11日の「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いである。
祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からんが、左翼陣営の狙いは、伝統と文化の否定であり、「宮中祭祀」の妨害にあることは明らかある。正に「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。
宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。何故か「勤労感謝の日」に摩り替えられ、歴代天皇にとって最も大事なものは代々受け継がれてきた祭事が軽んじられる。
祭主としての天皇が重んじる祭祀こそ、決められた日の、決められた時間に斎行するべきものであり、国民が共に祝うべき祝日は単なる休日ではないのだ。
諸外国に比べ、我が国は統一国家としての歴史は長く、祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、悲しい哉、多くの日本人が、祝祭日を単なる休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。
祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題である。建国記念の日を「紀元節」とし、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」に名称を替え、勤労感謝の日を「新嘗祭」とするなど本来の名称に戻さねばならない。
同時に屈辱の日である「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」。10月17日を「神嘗祭」として復活させることは、戦後体制(ヤルタポツダム体制)からの脱却と主権恢復の意味からも重要である。
末尾に当たり、本日「成人の日」を迎える若者よ、大人になった証しとして、両親に感謝を込めて花束に「ありがとう」の一言を添えて贈ってみては如何だろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントや御意見、メッセージなどは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
その年の初めての満月を祝う小正月(15日)に、一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来。我が国の祝祭日の約半分が神道の祭日である。戦前は殆どが神道の祭日。如何に我が国が天皇国日本というのが理解出来る。
平成30(2018)年、民法改正案が可決成立し、今年4月1日より成人は20歳ではなく18歳となる。来年の成人式は、18~20歳が合同開催となる。
国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。
成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたニュースを見ると「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい成人を励ます理由もないと感じる。
愚生の成人の日は、実家から送って貰った紋付き羽織袴を下宿の三畳一間の部屋で着替えて靖國神社に詣でたのを昨日のことの様に思い出す。玄関を出る際に下宿屋の婆さんが驚いてたっけ。あれからもう40年かぁ。人生とは正に光陰矢の如し。
「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」を「ハッピーマンデー」としたのは、国體破壊を謀る左翼陣営の悪知恵だが、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らがこれに同調し施行されたことは御粗末の極みである断じる他はない。
戊辰戦争に敗れて以降、異国の地で艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に明治天皇が東北各地を巡行し、その旅を終え帰港した7月20日が「海の日」であり、歴史的意味があることを忘れるな。
「海の日」は単なる休日ではない。ハッピーマンデーから簡択しなくてはならない。「体育の日」は、アジアで且つ有色人種国で初のオリンピックを開催したという歴史的偉業である。10月10日というこの日以外に何の意味があるというのか。
「ハッピーマンデー」とは、天皇と繋がる祝祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らか。最終的には11月23日の「勤労感謝の日」と、2月11日の「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いである。
祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からんが、左翼陣営の狙いは、伝統と文化の否定であり、「宮中祭祀」の妨害にあることは明らかある。正に「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。
宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」である。何故か「勤労感謝の日」に摩り替えられ、歴代天皇にとって最も大事なものは代々受け継がれてきた祭事が軽んじられる。
祭主としての天皇が重んじる祭祀こそ、決められた日の、決められた時間に斎行するべきものであり、国民が共に祝うべき祝日は単なる休日ではないのだ。
諸外国に比べ、我が国は統一国家としての歴史は長く、祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、悲しい哉、多くの日本人が、祝祭日を単なる休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。
祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題である。建国記念の日を「紀元節」とし、春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」に名称を替え、勤労感謝の日を「新嘗祭」とするなど本来の名称に戻さねばならない。
同時に屈辱の日である「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」。10月17日を「神嘗祭」として復活させることは、戦後体制(ヤルタポツダム体制)からの脱却と主権恢復の意味からも重要である。
末尾に当たり、本日「成人の日」を迎える若者よ、大人になった証しとして、両親に感謝を込めて花束に「ありがとう」の一言を添えて贈ってみては如何だろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメントや御意見、メッセージなどは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
cordial8317 at 07:35|Permalink│Comments(0)
2021年11月15日
金大中拉致事件後に北朝鮮が次々と拉致を実行したのは何故か
横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮工作員に拉致されてから44年が経つ。こうした不条理が何故に放置されてしまったのか、その責任は我々の無関心が大きい。
横田めぐみさんが拉致されたのは、「金大中拉致事件」から4年後の昭和52(1977)年11月15日未明のことだった。金大中事件と日本人拉致は無関係ではない。
「金大中事件」とは、1973(昭和48)年8月8日、大韓民国の民主活動家で、後に韓国第15代大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られソウルで軟禁状態に置かれた5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。
横田めぐみさんに続き、田口八重子さん昭和53(1978)年6月。地村保志さん、濱本富貴惠さん同年7月。蓮池薫さん、奥土祐木子同年7月。市川修一さん、増元るみ子さん同年8月と、日本人が北朝鮮工作員に次々と拉致されることとなった。
こうした日本人拉致の背景には、韓国要人である金大中が日本国内から拉致されたという主権侵害及び犯罪行為にも拘らず、日本政府が拱手傍観を極め込むどころか、首相であった角栄が拉致そのものを容認し、その見返りとして金銭を授受していたことも見逃せない。この田中の対応が拉致事件の要因になったと考えられる。
横田めぐみさんが、角栄の故郷である新潟から拉致されたことは偶然だとは思えない。北朝鮮の実行犯らは、拉致が国家に対する主権侵害でありながら政治的決着を謀った事の推移を知った上で敢えて日本人を狙ったのではあるまいか。
金大中拉致事件後の1973年11月2日、田中角栄首相と金鍾泌首相(当時)との会談で、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが、近年の外務省保管の機密文書の公開で明らかになっている。
あろうことか、角栄は朴大統領側から政治決着の見返りとして金銭を授受している。現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議が「少なくとも現金4億円を受け取っていた」と証言していることでも、金銭授受があったのは明らかだろう。
バカ娘の真紀子は、事前に角栄は「殺人をしないことを条件に、金大中を拉致することを了承済であった」と驚くべき証言をしている。KCIAは在日ヤクザに金の暗殺を依頼していたが、田中の意向を汲んで暗殺を取り止め拉致を実行した。
真紀子は、故土井たか子や福島瑞穂、辻本清美らと同じく日本人拉致事件を否定し続けていた一人だが、父親が金大中拉致を容認したことを知っていた真紀子が頭脳明晰ならば日本人拉致が北朝鮮の工作員に因るものだと気付くだろう。
尤も、真紀子は「拉致の問題を解決しなければならないなんて、そんなこと、余計なこと言えるか、森友問題、加計問題やったらイイじゃないですか」と、拉致問題に取り組む安倍を批判していることでも頭脳明晰どころかキチガイそのもの。
抑々、自民党が野党に転落し、真紀子が外相に就く。北朝鮮の金正男が日本に密入国した際に、拉致問題なんぞ眼中にない真紀子は直ぐに送還してしまった。
送還せず、拉致交渉の駆け引きとして密入国で逮捕した上で、毅然と対処していたら拉致問題は今とは違う展開が図られていただろうに返す返すも残念至極。
旧社会党や真紀子を始めとした拉致否定派というのは、拉致事件は国家に対する主権侵害であるという認識が決定的に欠落してるからに他ならない。
拉致問題が未だ解決の糸口さえも見つからないのは一体何故なのか。思うに、拉致が国家に対する主権侵害であるという重要性に対する認識不足と、何故に拉致されたのか、事件に至るまでの真相把握の欠如。つまり、日本人同胞が外国人工作員に因って拉致されたという認識が決定的に欠如しているからと断じて好かろう。
愚生の身内にも行方不明者がいる。佐久間則房という従兄弟だが、故郷の岩代町(現二本松市)小浜から上京し北千住に住んでいた際に消息が分からなった。
以前、公安に調べて貰ったことがある。免許の更新もせず、その昔は建造物侵入罪で検挙されたことがあるというがその後の足取りは掴めなかった。建造物侵入罪で検挙されたのは、左翼に傾倒していた時期もありそれと関係しているのかと思う。
行方不明になる前に故郷小浜に戻った従兄弟は、愚生の母親と会って「北朝鮮でカネになる仕事が見つかったから行ってくる」と語ったという。母が訝しく「何の仕事なの?」と聞くと「死体を洗う仕事です」と答えたそうだ。
従兄弟の場合は拉致とは違うが、拉致実行犯の辛光洙は職業斡旋という名目でも日本人を騙して北朝鮮へ送り込んでおり、従兄弟もその手口に乗ってしまったのではないだろうか。こうしたケースと同じ被害者は他にもいると思う。
従兄弟も生きていれば70歳を疾うに超している。急転直下拉致問題が解決されることを切に望んでいる。従兄弟が拉致認定されていなかった曽我ひとみさんと同じく帰国を果たし、唯一の姉弟である姉と逢わせてやりたいと願うばかり。
※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!
横田めぐみさんが拉致されたのは、「金大中拉致事件」から4年後の昭和52(1977)年11月15日未明のことだった。金大中事件と日本人拉致は無関係ではない。
「金大中事件」とは、1973(昭和48)年8月8日、大韓民国の民主活動家で、後に韓国第15代大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られソウルで軟禁状態に置かれた5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。
横田めぐみさんに続き、田口八重子さん昭和53(1978)年6月。地村保志さん、濱本富貴惠さん同年7月。蓮池薫さん、奥土祐木子同年7月。市川修一さん、増元るみ子さん同年8月と、日本人が北朝鮮工作員に次々と拉致されることとなった。
こうした日本人拉致の背景には、韓国要人である金大中が日本国内から拉致されたという主権侵害及び犯罪行為にも拘らず、日本政府が拱手傍観を極め込むどころか、首相であった角栄が拉致そのものを容認し、その見返りとして金銭を授受していたことも見逃せない。この田中の対応が拉致事件の要因になったと考えられる。
横田めぐみさんが、角栄の故郷である新潟から拉致されたことは偶然だとは思えない。北朝鮮の実行犯らは、拉致が国家に対する主権侵害でありながら政治的決着を謀った事の推移を知った上で敢えて日本人を狙ったのではあるまいか。
金大中拉致事件後の1973年11月2日、田中角栄首相と金鍾泌首相(当時)との会談で、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが、近年の外務省保管の機密文書の公開で明らかになっている。
あろうことか、角栄は朴大統領側から政治決着の見返りとして金銭を授受している。現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議が「少なくとも現金4億円を受け取っていた」と証言していることでも、金銭授受があったのは明らかだろう。
バカ娘の真紀子は、事前に角栄は「殺人をしないことを条件に、金大中を拉致することを了承済であった」と驚くべき証言をしている。KCIAは在日ヤクザに金の暗殺を依頼していたが、田中の意向を汲んで暗殺を取り止め拉致を実行した。
真紀子は、故土井たか子や福島瑞穂、辻本清美らと同じく日本人拉致事件を否定し続けていた一人だが、父親が金大中拉致を容認したことを知っていた真紀子が頭脳明晰ならば日本人拉致が北朝鮮の工作員に因るものだと気付くだろう。
尤も、真紀子は「拉致の問題を解決しなければならないなんて、そんなこと、余計なこと言えるか、森友問題、加計問題やったらイイじゃないですか」と、拉致問題に取り組む安倍を批判していることでも頭脳明晰どころかキチガイそのもの。
抑々、自民党が野党に転落し、真紀子が外相に就く。北朝鮮の金正男が日本に密入国した際に、拉致問題なんぞ眼中にない真紀子は直ぐに送還してしまった。
送還せず、拉致交渉の駆け引きとして密入国で逮捕した上で、毅然と対処していたら拉致問題は今とは違う展開が図られていただろうに返す返すも残念至極。
旧社会党や真紀子を始めとした拉致否定派というのは、拉致事件は国家に対する主権侵害であるという認識が決定的に欠落してるからに他ならない。
拉致問題が未だ解決の糸口さえも見つからないのは一体何故なのか。思うに、拉致が国家に対する主権侵害であるという重要性に対する認識不足と、何故に拉致されたのか、事件に至るまでの真相把握の欠如。つまり、日本人同胞が外国人工作員に因って拉致されたという認識が決定的に欠如しているからと断じて好かろう。
愚生の身内にも行方不明者がいる。佐久間則房という従兄弟だが、故郷の岩代町(現二本松市)小浜から上京し北千住に住んでいた際に消息が分からなった。
以前、公安に調べて貰ったことがある。免許の更新もせず、その昔は建造物侵入罪で検挙されたことがあるというがその後の足取りは掴めなかった。建造物侵入罪で検挙されたのは、左翼に傾倒していた時期もありそれと関係しているのかと思う。
行方不明になる前に故郷小浜に戻った従兄弟は、愚生の母親と会って「北朝鮮でカネになる仕事が見つかったから行ってくる」と語ったという。母が訝しく「何の仕事なの?」と聞くと「死体を洗う仕事です」と答えたそうだ。
従兄弟の場合は拉致とは違うが、拉致実行犯の辛光洙は職業斡旋という名目でも日本人を騙して北朝鮮へ送り込んでおり、従兄弟もその手口に乗ってしまったのではないだろうか。こうしたケースと同じ被害者は他にもいると思う。
従兄弟も生きていれば70歳を疾うに超している。急転直下拉致問題が解決されることを切に望んでいる。従兄弟が拉致認定されていなかった曽我ひとみさんと同じく帰国を果たし、唯一の姉弟である姉と逢わせてやりたいと願うばかり。
※コメントは会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方はパスワードを教えますので mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを!
cordial8317 at 07:14|Permalink│Comments(0)
2021年06月03日
愛子内親王殿下を即位させることで皇統断絶の完遂を目指す
衆院内閣委員会で立憲民主党の玄葉光一郎(福島3区)が憲法第二条の「世襲」に関し質問。加藤勝信官房長官は「天皇の血統に繋がる者のみが皇位を継承することと解され、男系、女系の両方が含まれる」と答弁した。
驚くべきというか、この認識には厭きれるしか無い。敬宮愛子内親王殿下を含めて現皇室には「男系」しかいない。「女系」というのは何を指しているのか。これは現憲法が未来永劫継承される認識であり、女性宮家成立後の皇統を論じている。
安倍政権下で成立した「退位特例法」には、皇位継承問題を施行後速やかに行う旨が附帯されている。反天皇と皇統断絶に与する共産党や立憲民主党は「女性天皇」へ蠢き出し、保守派を自任する自民党がマヌケにも「女系」容認を謀る。
女性は天皇になれる。だが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。
多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。
「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないが、そうした議論もせずに「女性天皇」や「女系天皇」の話を持ち出すこと自体が異常だ。
改憲論議にしても第九条ばかりで、第一章の「天皇」の条項が議論されることはない。第七条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と明記されており、天皇は以下の項目を行っている。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第一章に明記される公務の代行は皇太子(現皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。
野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。
女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、安易に女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることこそ女性差別である。
過去に八人の女性天皇が存在した。その全ては男系の「女性天皇」であり、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり第一子を儲けた場合、それは男系ではなくなる。
「女系天皇」論は、愛子内親王が御成婚遊ばされ嫡子が授かれば、その子は「女系」となる。内閣委員会の議論は、ここまで踏み込んでいるのだが、愛子内親王の御相手が一般人だったらどんなことになるかは想像しても分かるだろう。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった意味はそういうことだ。
秋篠宮悠仁親王殿下が継がない限り皇統は潰える。自民党保守系グループが「女系天皇」や「女性宮家」は、日本の伝統や皇室の終焉に繋がると指摘し、旧宮家の皇籍復帰を提言したが、女性皇族との養子縁組の項目は違和感を覚える。
有志議員らは「特例法で可能」との認識を示すが姑息さは拭えない。旧宮家の皇籍復帰は憲法第十四条に抵触する恐れもあり、如何に皇統を維持して行く上で現憲法が我が国の国柄をも損なっていることを広く国民に訴えるべきだ。
憲法以前の御存在であらされる天皇を皇統無視の現憲法の範囲内で収めようとするから更なる矛盾が生じる。現憲法第二条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。
つまり、上皇陛下から徳仁陛下への皇位継承は合憲だが、秋篠宮皇嗣殿下への皇位継承は世襲とはならない。第一条の「国民の総意」を理由に天皇を違憲の存在とする左翼勢力は、皇統断絶を謀る上でも皇嗣殿下の即位は憲法第二条違反と叫ぶだろう。
男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、全共闘世代でもあり「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共と性的変質者らだ。
男女共同参画社会は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」や「女系天皇」論は、祖国日本の解体を目論む左翼勢力に因る反天皇運動である。ジェンダーフリー(平等)という怪しい世論の動きに騙されてはならない。
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いておりますが、コメントやメッセージ及び御批判等はmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
驚くべきというか、この認識には厭きれるしか無い。敬宮愛子内親王殿下を含めて現皇室には「男系」しかいない。「女系」というのは何を指しているのか。これは現憲法が未来永劫継承される認識であり、女性宮家成立後の皇統を論じている。
安倍政権下で成立した「退位特例法」には、皇位継承問題を施行後速やかに行う旨が附帯されている。反天皇と皇統断絶に与する共産党や立憲民主党は「女性天皇」へ蠢き出し、保守派を自任する自民党がマヌケにも「女系」容認を謀る。
女性は天皇になれる。だが、女性が天皇に就くというのは普通の生活は送れないということを意味する。女性天皇論者は、天皇としての国事行為や祭事の重要性を理解していないから安易に語れる訳で、天皇を軽んじてる証左でもある。
多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第四条の第二項よる委任か摂政のみが可能である。
「摂政」を置くにしても皇室典範と憲法に基づかねばならず、女性宮家を創設し国事行為を担わせるのならば憲法第四条を改正しなければならないが、そうした議論もせずに「女性天皇」や「女系天皇」の話を持ち出すこと自体が異常だ。
改憲論議にしても第九条ばかりで、第一章の「天皇」の条項が議論されることはない。第七条は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と明記されており、天皇は以下の項目を行っている。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第一章に明記される公務の代行は皇太子(現皇嗣)殿下しか成し得ないということ。女性皇族は精精「外国の大使及び公使を接受すること」や「儀式に参加する」ことくらいで、何より天皇としての祭祀を代行することは出来ない。
野党やマスコミが天皇を慮るかの如く「公務の御負担を女性宮家を創設ですることで軽減する」と訴えてはいるが、国民を誑かす詭弁の何ものでもない。
女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の大御心でもある。そうしたことを理解せず、安易に女性が天皇に成れないのは女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることこそ女性差別である。
過去に八人の女性天皇が存在した。その全ては男系の「女性天皇」であり、敬宮愛子内親王が天皇に即位されてもそれは男系の女性天皇となる。愛子天皇が御成婚となり第一子を儲けた場合、それは男系ではなくなる。
「女系天皇」論は、愛子内親王が御成婚遊ばされ嫡子が授かれば、その子は「女系」となる。内閣委員会の議論は、ここまで踏み込んでいるのだが、愛子内親王の御相手が一般人だったらどんなことになるかは想像しても分かるだろう。
「旧皇族と結婚すれば問題ない」という声もある。ならば皇籍復帰を先に行うべきであり、本末転倒とはこのこと。若し御相手が元皇族でなかったらどうなるのか。過去八人の女性天皇が嫡子を産まなかった意味はそういうことだ。
秋篠宮悠仁親王殿下が継がない限り皇統は潰える。自民党保守系グループが「女系天皇」や「女性宮家」は、日本の伝統や皇室の終焉に繋がると指摘し、旧宮家の皇籍復帰を提言したが、女性皇族との養子縁組の項目は違和感を覚える。
有志議員らは「特例法で可能」との認識を示すが姑息さは拭えない。旧宮家の皇籍復帰は憲法第十四条に抵触する恐れもあり、如何に皇統を維持して行く上で現憲法が我が国の国柄をも損なっていることを広く国民に訴えるべきだ。
憲法以前の御存在であらされる天皇を皇統無視の現憲法の範囲内で収めようとするから更なる矛盾が生じる。現憲法第二条は「皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」と記されている。
つまり、上皇陛下から徳仁陛下への皇位継承は合憲だが、秋篠宮皇嗣殿下への皇位継承は世襲とはならない。第一条の「国民の総意」を理由に天皇を違憲の存在とする左翼勢力は、皇統断絶を謀る上でも皇嗣殿下の即位は憲法第二条違反と叫ぶだろう。
男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、全共闘世代でもあり「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共と性的変質者らだ。
男女共同参画社会は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であり、「女性宮家」や「女系天皇」論は、祖国日本の解体を目論む左翼勢力に因る反天皇運動である。ジェンダーフリー(平等)という怪しい世論の動きに騙されてはならない。
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いておりますが、コメントやメッセージ及び御批判等はmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
cordial8317 at 06:20|Permalink│Comments(0)
2021年02月27日
ジェンダー平等(ジェンダーフリー)主義を嗤う
脳科学者だかタレントだか分からない茂木健一郎という男がいる。以前は常識的な学者だと思っていたが徐々に無自覚左翼ぶりが露呈して来た。こうした無自覚ぶりが左翼マスコミにとっては非常に使い勝手が好い様でマスコミによく登場する。
中日スポーツの記事に由ると、茂木は自身のブログで、俳優の松山ケンイチが、妻で女優の小雪を「嫁」と表現したことについて、「嫁という呼び方」と題して批判的な自説を垂れ流した。因みに記事の「女優」はアウトだろうな(笑)
茂木は「嫁」という字が「女」が「家」というのが気に入らなかったのだろう。「嫁」がダメなら当然「家内」ってのもダメだわな。「奥さん」もヤバそうだし。相手に遜って「愚妻」とか言ったものなら激怒されるのは間違いない(苦笑)
茂木らジェンダーフリーに与する連中にとって「かみさん」と呼ぶのがベストなのだろうか。「亭主」の立場である男よりも女性の方が上になってるし満足だろう。
つ~か、「嫁」に違和感を覚えるなら「姑(しゅうと・しゅうとめ)」はどうなんだ? 要は、単なる言葉遊びと男女共同参画社会の曲解にしか感じない。
昔から俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様もかみさんも同じだろう。そう考えれば、男社会だが嫁や女性を尊重していた社会だっとことが分かるというものだろう。
ジェンダーフリーを叫んでる性的変質者らにとって「婦人」「夫人」もダメ。「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と「婦人」という言葉を抹殺し、「子供は親の供え物じゃない」と「子ども」表記を強要している。
平成25年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることなんぞ知らないのだろう、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。
「子供」と同じく「婦人」も公文書から消されてしまった漢字の一つ。今では看護婦を「看護師」、婦人警官は「女性警察官」、女優も男優も「俳優」と呼ばなくてはならない。前出の中日スポーツの「女優」表記は恐らく勘違いだろうな(笑)
この「婦人」はインチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「婦」ではなく「師」と呼ぶ様になった。この「師」という漢字には、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリの部位は、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、「嫁」に異を唱え、「家内」や「奥さん」という言葉を抹殺しようと謀るジェンダーフリー論は我が国文化にとって百害あって一利なし。
「子ども」表記に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践しているマスコミや保守派というのは滑稽極まりない。未だに「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼どもや単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない(苦笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
中日スポーツの記事に由ると、茂木は自身のブログで、俳優の松山ケンイチが、妻で女優の小雪を「嫁」と表現したことについて、「嫁という呼び方」と題して批判的な自説を垂れ流した。因みに記事の「女優」はアウトだろうな(笑)
茂木は「嫁」という字が「女」が「家」というのが気に入らなかったのだろう。「嫁」がダメなら当然「家内」ってのもダメだわな。「奥さん」もヤバそうだし。相手に遜って「愚妻」とか言ったものなら激怒されるのは間違いない(苦笑)
茂木らジェンダーフリーに与する連中にとって「かみさん」と呼ぶのがベストなのだろうか。「亭主」の立場である男よりも女性の方が上になってるし満足だろう。
つ~か、「嫁」に違和感を覚えるなら「姑(しゅうと・しゅうとめ)」はどうなんだ? 要は、単なる言葉遊びと男女共同参画社会の曲解にしか感じない。
昔から俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様もかみさんも同じだろう。そう考えれば、男社会だが嫁や女性を尊重していた社会だっとことが分かるというものだろう。
ジェンダーフリーを叫んでる性的変質者らにとって「婦人」「夫人」もダメ。「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と「婦人」という言葉を抹殺し、「子供は親の供え物じゃない」と「子ども」表記を強要している。
平成25年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることなんぞ知らないのだろう、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。
「子供」と同じく「婦人」も公文書から消されてしまった漢字の一つ。今では看護婦を「看護師」、婦人警官は「女性警察官」、女優も男優も「俳優」と呼ばなくてはならない。前出の中日スポーツの「女優」表記は恐らく勘違いだろうな(笑)
この「婦人」はインチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「婦」ではなく「師」と呼ぶ様になった。この「師」という漢字には、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリの部位は、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、「嫁」に異を唱え、「家内」や「奥さん」という言葉を抹殺しようと謀るジェンダーフリー論は我が国文化にとって百害あって一利なし。
「子ども」表記に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践しているマスコミや保守派というのは滑稽極まりない。未だに「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼どもや単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない(苦笑)
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 08:53|Permalink│Comments(0)
2021年02月15日
酒飲んで得し、酒飲んで損し、酒止めて徳し(笑)
新型コロナが収束するまで酒は自粛している。というのは嘘で、ここんとこは自宅で酒1合とウイスキーのハイボールを数杯と休肝日の様な日が続いている(笑)
東日本大震災以降というか、団体を辞してから碌々金策も講じていないので慢性的手元不如意が続いてるし、酒の誘いはなるべく断わることにしている。
「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。ホント、他人のカネで飲んでも大して美味いとも思えないし、自宅でチビチビやってる方が気楽で好い。
亡父にも「タダ酒は飲むな。卑しくなるから」と口煩く言われたことも影響しているのかも知れないが、酒は身銭を切って飲むことに価値があると思っている。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来はバカになる為に飲むものだ。世の中バカほど愉しいものはないが、酒を飲むとそのバカになれるのだ(笑)
正気ではとても出来ないことも酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来る。一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。酒呑んでネエチャンを口説くなんてのは酒の勢いだ。酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうこと。
バカと言っても酒乱は論外で、酒に飲まれてる様じゃ酒飲みの資格はない。落語の与太郎じゃないが、チョッとマヌケで明るい飲みっぷりが好い。
先日もヤクザからの誘いを断った。右翼やヤクザとの酒席ぐらいつまらないものはない。どいつもこいつも、自分を大きく見せようと建前や美談ばかり。
そんな先輩方の話は一応真面目に聞いたフリをしてるが、愛想笑いで誤魔化し、冗談を発したかと思えばシャレにならないくらいつまらないものばっか。
酒も飲まずに天下国家を論じ、自説に悦に入ってるてる自称・国士を偶に見かけるが、そんな先生方を揶揄うと面白いが、相手は酒を飲んでないから、シャレで言ったことまでも真に受けて、後々までも根に持たれるから困ったものだ(笑)
体質的に酒を受け付けないなら未だしも、飲めないのは訓練が足らないだけ。何より酒を飲まない男というのは魅力を感じないし、人間的にも小さく見える。
「酒を飲まない人は人生の3分の2を損してる」とは蓋し正論。唯、酒というのは楽しいばかりじゃなく、呑み過ぎて失敗なんてのは数知れず。失敗から人生を学ぶというが、そういう意味では酒は身近な師でもある(笑)
ストレスは程好い酒で憂さ晴らしするのが手っ取り早い。ストレスが溜まれば何より身体に悪い。そんな時に頭をからっぽにするのに手っ取り早いのが酒だ。
上に立つ者は人一倍神経を使うもので、ストレスも溜まるのは当たり前。逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということだ。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上に立つ者は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているものなのだ。
気の利いた店や贔屓の店で陽気に呑む。暗い酒は身体を壊すから愉快に飲むのが好い。愉快に飲む適度の酒は正に「百薬の長」なのである。だが、愉しい時間を切り上げるのは難しく、ついつい飲み過ぎていつものパターンに陥る(笑)
「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みとはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでいるのがいる。タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、店からも仲間からも嫌われているのだが、当の本人は自覚していない。
「タダほど高いものはない」という言葉があるが、タダで飲めたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来る。酒でも女でも同じこと。女と遊ぶのも、若い頃なら未だしも歳を重ねてカネも使わずに遊ぶなんてのは愚の骨頂だ。
歳相応の遊び方もあるし、それなりにカネを使うことを知らなきゃダメだ。地元郡山市の名士には素人女を騙して愛人にしたり、従業員に手を付けたり、子供を孕ましたりしている輩もいるが、遊び方が小者なら経済人としても小者ばかり。
酒の切り上げ方というのが難しい。気の利いた店で心地好く飲んで、勘定する際に「心付け」を渡して切り上げることが出来れば酒道のかなりの有段者だ。
世話になったテイケイの会長ほどに過分な心付けを渡せないまでも、ポチ袋にホンの気持ち程度のカネを入れて渡す気遣いは欲しいものだ。酒の道は奥が深い。
愚生も慢性的不如意ではあるが、財布には大中のポチ袋を3個程は持ち歩いている。高が「心付け」なのだが、これが意外に渡すのは難しいもので、これを何気に渡すことが出来ればもう男としても大人としても一丁前だ。
「お釣りは要らないよ!」とか言ってチップを渡している人がいるが、アレは野暮というもの。釣り銭は受け取り、別に準備してたポチ袋を渡すのが好い。
喩え、千円、二千円の僅かな心付けは有難いもの。心付けは相手に対しての気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した時には覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。
「情けは人の為ならず」というが、何事にも気遣いは大事だと思っている。然し、心付けをしても何も感じ入ることのない店も在る。いつぞや、世田谷区奥沢の有名寿司店で勘定後にポチ袋を渡すと受け取ったのは好いが無視されたっけ(笑)
酒癖は悪い、カネも払わず、大威張りした揚句にスケベってのは嫌われますよ。まぁそんなとこで、つれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
東日本大震災以降というか、団体を辞してから碌々金策も講じていないので慢性的手元不如意が続いてるし、酒の誘いはなるべく断わることにしている。
「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。ホント、他人のカネで飲んでも大して美味いとも思えないし、自宅でチビチビやってる方が気楽で好い。
亡父にも「タダ酒は飲むな。卑しくなるから」と口煩く言われたことも影響しているのかも知れないが、酒は身銭を切って飲むことに価値があると思っている。
酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来はバカになる為に飲むものだ。世の中バカほど愉しいものはないが、酒を飲むとそのバカになれるのだ(笑)
正気ではとても出来ないことも酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来る。一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。酒呑んでネエチャンを口説くなんてのは酒の勢いだ。酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうこと。
バカと言っても酒乱は論外で、酒に飲まれてる様じゃ酒飲みの資格はない。落語の与太郎じゃないが、チョッとマヌケで明るい飲みっぷりが好い。
先日もヤクザからの誘いを断った。右翼やヤクザとの酒席ぐらいつまらないものはない。どいつもこいつも、自分を大きく見せようと建前や美談ばかり。
そんな先輩方の話は一応真面目に聞いたフリをしてるが、愛想笑いで誤魔化し、冗談を発したかと思えばシャレにならないくらいつまらないものばっか。
酒も飲まずに天下国家を論じ、自説に悦に入ってるてる自称・国士を偶に見かけるが、そんな先生方を揶揄うと面白いが、相手は酒を飲んでないから、シャレで言ったことまでも真に受けて、後々までも根に持たれるから困ったものだ(笑)
体質的に酒を受け付けないなら未だしも、飲めないのは訓練が足らないだけ。何より酒を飲まない男というのは魅力を感じないし、人間的にも小さく見える。
「酒を飲まない人は人生の3分の2を損してる」とは蓋し正論。唯、酒というのは楽しいばかりじゃなく、呑み過ぎて失敗なんてのは数知れず。失敗から人生を学ぶというが、そういう意味では酒は身近な師でもある(笑)
ストレスは程好い酒で憂さ晴らしするのが手っ取り早い。ストレスが溜まれば何より身体に悪い。そんな時に頭をからっぽにするのに手っ取り早いのが酒だ。
上に立つ者は人一倍神経を使うもので、ストレスも溜まるのは当たり前。逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということだ。
下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上に立つ者は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているものなのだ。
気の利いた店や贔屓の店で陽気に呑む。暗い酒は身体を壊すから愉快に飲むのが好い。愉快に飲む適度の酒は正に「百薬の長」なのである。だが、愉しい時間を切り上げるのは難しく、ついつい飲み過ぎていつものパターンに陥る(笑)
「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みとはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでいるのがいる。タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、店からも仲間からも嫌われているのだが、当の本人は自覚していない。
「タダほど高いものはない」という言葉があるが、タダで飲めたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来る。酒でも女でも同じこと。女と遊ぶのも、若い頃なら未だしも歳を重ねてカネも使わずに遊ぶなんてのは愚の骨頂だ。
歳相応の遊び方もあるし、それなりにカネを使うことを知らなきゃダメだ。地元郡山市の名士には素人女を騙して愛人にしたり、従業員に手を付けたり、子供を孕ましたりしている輩もいるが、遊び方が小者なら経済人としても小者ばかり。
酒の切り上げ方というのが難しい。気の利いた店で心地好く飲んで、勘定する際に「心付け」を渡して切り上げることが出来れば酒道のかなりの有段者だ。
世話になったテイケイの会長ほどに過分な心付けを渡せないまでも、ポチ袋にホンの気持ち程度のカネを入れて渡す気遣いは欲しいものだ。酒の道は奥が深い。
愚生も慢性的不如意ではあるが、財布には大中のポチ袋を3個程は持ち歩いている。高が「心付け」なのだが、これが意外に渡すのは難しいもので、これを何気に渡すことが出来ればもう男としても大人としても一丁前だ。
「お釣りは要らないよ!」とか言ってチップを渡している人がいるが、アレは野暮というもの。釣り銭は受け取り、別に準備してたポチ袋を渡すのが好い。
喩え、千円、二千円の僅かな心付けは有難いもの。心付けは相手に対しての気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した時には覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。
「情けは人の為ならず」というが、何事にも気遣いは大事だと思っている。然し、心付けをしても何も感じ入ることのない店も在る。いつぞや、世田谷区奥沢の有名寿司店で勘定後にポチ袋を渡すと受け取ったのは好いが無視されたっけ(笑)
酒癖は悪い、カネも払わず、大威張りした揚句にスケベってのは嫌われますよ。まぁそんなとこで、つれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
cordial8317 at 07:37|Permalink│Comments(0)
2020年05月31日
未だに「子ども」表記を続けているナンチャッテ保守ども(笑)
Twitterで自民党に鞍替えした細野豪志のツイートでの「子ども」表記が目に留まったので苦言してみるも効果なし。フォローするのを止めた。細野に限らず、無自覚左翼から抜けきれないナンチャッテ保守どもが余りにも多過ぎる。
平成25年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出しているにも拘らず、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。
これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派であるべき自民党議員どもらが「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミはつまり左翼勢力であり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカと見て好い(苦笑)
「子供」でも「子ども」でもどっちでも好いだろうと思う勿れ。こうした小さなミスにも気が付かないようでは議員になったところで碌な仕事は出来ないだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
平成25年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出しているにも拘らず、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。
これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派であるべき自民党議員どもらが「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミはつまり左翼勢力であり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカと見て好い(苦笑)
「子供」でも「子ども」でもどっちでも好いだろうと思う勿れ。こうした小さなミスにも気が付かないようでは議員になったところで碌な仕事は出来ないだろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:28|Permalink│Comments(0)
2019年11月15日
「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げるキチガイども
日没後、篝火と灯籠の薄明かりが灯される中で、陛下は廻立殿で身を清め、御祭服に着替え、悠紀殿へと向かう。宮内庁官長の先導で、侍従らが敷く葉薦の上を静々と進まれる陛下の頭上には、菅蓋が差し掛けられていた。
弥弥、陛下が悠紀殿の中へ進まれると帳が閉じられる。中を窺い知ることは事は出来ないが、奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられたという。
大嘗祭に我が国の悠久の歴史を感じ、随神の道こそが日本人の教えであることを痛感する。それを示し導いてくれる存在こそが天皇である。
神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。
神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。
神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。
日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。
人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。
古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。
我が国は天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のこと。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。
大嘗祭の反対集会があったという。我が国には共産党を始め反天皇勢力が存在する。その多くは天皇の存在を「天皇制」と断じる。だが、天皇という存在は天皇であって天皇制という制度ではない。天皇制とは共産党の造語である。
反対集会の参加者らは「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げ、「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い巨大な神殿が建てられた」と訴え、性悪にも「台風での被害者に充てろ」と災害や被災者をも利用する。
現憲法下では、その是非は別として宗教色の濃い祭祀や祭事に公金を投入することは認められてはいない。大嘗祭の規定は現憲法や現皇室典範に明記されてはおらず、儀式の簡素化や憲法解釈で誤魔化しても違憲の誹りは免れない。
左翼勢力が天皇を批判する論拠は現憲法だが、皇室予算は限られており、況してや天皇の祭祀が「私事」とされてしまった現在、その費用の捻出を皇族に賄わせるとでも言うのか。ならば憲法第八条の改正か撤廃しか方法は無い。
憲法で定められている国事行為だけを行うのが天皇の務めではない。天皇が重んじるのは悠久の歴史の中で行われてきた祭事である。
創価学会を始めとしたインチキ宗教団体が何千億、何兆円の非課税の布施を集めてる中で、天皇が祭祀予算の困窮を呼び掛けたらどれほどの寄付金が集まることか。左翼勢力が皇室への税金投入に反対するなら護憲では辻褄が合わない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
弥弥、陛下が悠紀殿の中へ進まれると帳が閉じられる。中を窺い知ることは事は出来ないが、奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられたという。
大嘗祭に我が国の悠久の歴史を感じ、随神の道こそが日本人の教えであることを痛感する。それを示し導いてくれる存在こそが天皇である。
神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。
神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。
神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。
日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。
人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。
古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。
我が国は天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のこと。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。
大嘗祭の反対集会があったという。我が国には共産党を始め反天皇勢力が存在する。その多くは天皇の存在を「天皇制」と断じる。だが、天皇という存在は天皇であって天皇制という制度ではない。天皇制とは共産党の造語である。
反対集会の参加者らは「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げ、「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い巨大な神殿が建てられた」と訴え、性悪にも「台風での被害者に充てろ」と災害や被災者をも利用する。
現憲法下では、その是非は別として宗教色の濃い祭祀や祭事に公金を投入することは認められてはいない。大嘗祭の規定は現憲法や現皇室典範に明記されてはおらず、儀式の簡素化や憲法解釈で誤魔化しても違憲の誹りは免れない。
左翼勢力が天皇を批判する論拠は現憲法だが、皇室予算は限られており、況してや天皇の祭祀が「私事」とされてしまった現在、その費用の捻出を皇族に賄わせるとでも言うのか。ならば憲法第八条の改正か撤廃しか方法は無い。
憲法で定められている国事行為だけを行うのが天皇の務めではない。天皇が重んじるのは悠久の歴史の中で行われてきた祭事である。
創価学会を始めとしたインチキ宗教団体が何千億、何兆円の非課税の布施を集めてる中で、天皇が祭祀予算の困窮を呼び掛けたらどれほどの寄付金が集まることか。左翼勢力が皇室への税金投入に反対するなら護憲では辻褄が合わない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 07:33|Permalink│Comments(0)
2019年04月01日
未だに「子ども」表記を改めない自民党議員ども(苦笑)
地元紙の折込に入っていた自民党県議団の公報を見てたら、相変わらず子育て支援や人づくりの政策に「子ども」表記をしていたのには厭きれた。「子供」の漢字を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)
平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、明確に「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に未だ確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党県議までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由だ。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。確かに遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合には、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」だ。仏壇に供える物と同じく、「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、つまりは子供への敬意が足らない証左だろう。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、子供を侮蔑し見下していると捉えられても致し方ない。
「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。
これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いないだろう。つまりマスコミは左翼勢力であり、疑うことなく使ってる自民党議員どもは余程のバカと見て好いだろう。呵々大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。
現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には、明確に「子供」と表記する様に示されている。
マスコミを中心に未だ確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党県議までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。
「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由だ。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。
誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。確かに遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合には、漢字二字で表記するのが正しい。
「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」だ。仏壇に供える物と同じく、「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、つまりは子供への敬意が足らない証左だろう。
悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。
この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、子供を侮蔑し見下していると捉えられても致し方ない。
「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。
これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。
この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。
甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。
また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。
普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)
「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。
「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いないだろう。つまりマスコミは左翼勢力であり、疑うことなく使ってる自民党議員どもは余程のバカと見て好いだろう。呵々大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:32|Permalink│Comments(0)