虎のソナタ

新米記者に「おい、ピカピカ…いや、なんだっけ」 古屋コーチ、そりゃないですよ〜

日本ハムの主砲として1985年のシーズン、大暴れした古屋コーチ。ボンバーの愛称で親しまれた。
日本ハムの主砲として1985年のシーズン、大暴れした古屋コーチ。ボンバーの愛称で親しまれた。

 鳴尾浜で2軍の居残り組の若手とサターホワイト投手の取材をしていたわが女性記者臼井杏奈に背後から声がかかった。「おい、そこのピカピカ…いや、なんだっけ…」。臼井が振り向くと古屋英夫2軍チーフコーチ。「いえ、ピヨピヨです…」と臼井。あ、そうそう、プヨプヨじゃなかったよなぁ…。

 実はこの欄でまだ新米記者の臼井を「ピヨピヨ女性記者」と紹介してきた。それで古屋コーチは最近、鳴尾浜に足しげく通ってくる臼井のことを思わずプヨプヨ…いやピカピカ…と呼んだ。そして苦笑しながら「すまん、ピヨピヨか」。

 それで臼井は編集局の窓際席に電話してきて「古屋さんはいつも丁寧に教えてくださるので尊敬してましたのにピカピカなんて…」とピヨピヨがおかんむり? なのだ。

 おいおい臼井よ、参考まで教えておくがこの古屋コーチは1985年、ホラ、阪神が吉田阪神が『日本一』になった年、パ・リーグの日本ハムで4番を打って3割、33本塁打、96打点をマークしたスゴイ打者だぞ。この年の7月9日、後楽園で「史上最後の300勝投手」といわれたレジェンド左腕鈴木啓示投手(317勝)が先発して三回に古屋さんに痛烈な長打を浴びた。その時、鈴木投手は外野から戻ってきたそのボールをソッとポケットにいれて…自らマウンドを降りて…そのまま帰阪し、宝塚の恩師西本幸雄元監督宅を訪れて『引退決意』を報告したのだョ。「彼は実に正確に私の配球を読みました…」と。

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