海の加護があらんことを?


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作:柘榴ぷぁふぇ
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とある海洋国家


アニメ5期を見て興奮のまま書き始めました。


 

水が落ちる音。波紋。広がっていく円形。

少女は今日も舞い、唄を歌い続ける。

 

 

 

海に浮かぶこの国には、はるか昔から語り継がれる物語がある。

 

曰く、初代の王が神の怒りに触れたため、年がら年中、豪雨や津波に見舞われる呪いを受けたという。

曰く、国でいちばん美しい娘を生贄に差し出せば、その呪いは解けるのだという。

曰く、神が愛した精霊が人間と恋に落ちたせいで、神は嫉妬に狂い、海を荒らしたのだという。

曰く、その精霊と人間の間に生まれた血が、今もなお、舞と唄を神に捧げ続けているのだと。

 

……けれど、そんな話は今ではすっかり古いおとぎ話になっている。

国は豊かで、港はいつだってにぎやかだし、神々の怒りや嫉妬も、みんな遠い昔に忘れ去られたかのようだ。

 

だけど、それでも。

 

「お師匠さま……じゃあ、なんで私たちは今日も歌うの?」

そう問いかけたのは、純粋な疑問からだった。

 

師匠は、わたしの額に落ちかかる髪をそっと払いながら、静かに微笑む。

 

「それはね、私たち潮吟士(ネレウス)が、神様と約束したからさ。

海が穏やかであるように、豊かであるように、舞と唄を絶やさないこと。

それが、私たちに流れる血の役目だよ。

さあ――雑談はおしまい。稽古を始めるよ」

 

わたしにそう告げた師匠は、まるで海の底でゆらめく光そのものだった。

青い髪が、陽の光に濡れた水草のようにきらめき、

瞳は、水面に浮かぶ月をそのまま閉じ込めたように、美しく静かだった。

男性の身でありながら、女神でさえ裸足で逃げ出すような端正な顔。どこか、この世の人ではないような――そんな現実離れした美しさを宿している人だ。

 

 

 

わたしたち潮吟士(ネレウス)は、海の精霊に愛された者。

青の髪と銀の瞳を持って生まれた、潮の子。

この国が再び水の怒りに呑まれぬよう、唄い、舞い、祈ることで、国と海の均衡を守るのが役目とされている。

けれど、所詮わたし達は人間(ヒューマン)

そんな水精霊のような権威は持っていない。

 

 

 

 

石畳の練習場は、昼の光を反射して白く輝いている。まるで海辺に打ち寄せる波が乾いた砂を濡らす、その刹那のように。

わたしは、その中心に静かに立っていた。

 

「始めなさい」

 

ただ一言。

それだけで、呼吸が深くなる。

 

右足を踏み出す。

踵が石を打ち、鈍い音が小さく響いた。

次いで左足を滑らせるように出し、両腕をゆっくりと広げていく。

 

――その瞬間、空気が変わった。

 

石畳の表面に、淡い光が走る。

やがて、足元から薄い水膜が滲み出すように広がり始めた。

それはまるで、波のような弧を描いて、舞台の全体に満ちていく。

 

一歩、また一歩。

決まった舞の型に沿って踏み込むたび、波紋が生まれ、幾重にも重なってゆく。

白い石は、次第に透き通る水鏡と化し、そこにわたしの影が、まるで水底の魚のように揺らいだ。

 

「……綺麗に波を保ちなさい」

師匠の穏やかな声が、潮騒のように響く。

 

「はい……」

わたしは静かに息を整え、さらに一歩を踏む。

すると、波紋が丸く均等に広がり、透明なリングとなって、足元から遠くへと伸びていく。

波紋は決してぶつかり合うことなく、規則正しく広がり続ける。

 

それはまるで、わたしが海の表面そのものを踏んでいるかのようだった。

 

わたしは唄い始める。

低く、ゆっくりと。

最初は囁くように、そして徐々に力強く。

声が、波紋に命を吹き込んでいく。

その度に、足元の水面は柔らかく揺れ、光を孕んだ小さな泡が音に合わせて浮かび上がる。

 

「神様は、こういう時の唄を聴いているんだ」

師匠が、後ろで静かに呟く。

「舞も唄もどちらも祈り。それを忘れないように」

 

「……はい」

わたしは頷き、さらに腕を伸ばした。

指先が緩やかに風を裂き、その軌跡に淡い水の光が瞬く。

 

長く続けてきたこの稽古は、ただの舞踊ではない。

海と語らうためのもの。海を愛し、同時に恐れる者たちの、太古から続く祈りだ。

 

波紋はまだ続く。

踏み込むたびに、水面は静かに震え、やがて――

練習場そのものが、限りなく静かな入り江のように思えた。

 

「……よし、そこで止めて」

師匠の声で、わたしは最後の一歩を踏み、そっと息を吐いた。

 

波紋が、静かに止まる。

足元の水鏡は、石畳に戻りつつも、その表面には薄く光が宿っている。

師匠はそんなわたしを見つめ、わずかに頷いた。

 

 

 

 

稽古が終わり、師匠がふいに、遠くの水平線を見やりながら言った。

 

「イニス。あとひと月で、海神様がこの国においでになる」

「……!」

わたしは顔を上げる。

それは、この国にとって久しぶりな事だ。

「その時に、わたしたちネレウスの唄と舞を奉納するよ。本番だ。……失敗は許されない」

 

海の神がこの国に降りる。

わたしはその重さを、子供ながらに感じていた。

けれど、それでも……

 

「はい。がんばります」

きっと、今までよりもっと長い時間、師匠と稽古ができる。それがわたしは、少しだけ嬉しかった。

 

 

 

 

 

本番までのある日。

その日も、練習場の石畳は朝露に濡れていた。

まだ陽が登り切らぬ薄明のなか、わたしは一人で薙刀を構えている。

 

両の手に、柄の冷たさが馴染んでいく感覚。

師匠から譲り受けた稽古用の薙刀は、わたしの背丈よりも長く、扱うのはまだ難しい。

けれど、今はこの重みが心地よかった。

 

「もう来ていたのかい」

背後から、穏やかな声。

振り返ると、師匠が水色の羽織を風にたなびかせながら、静かにこちらを見ていた。

 

「もっと寝ていてもよかったのに」

「……練習したくて」

わたしは短く答え、また正面を向く。

 

構えを正し、両手の位置を直す。

薙刀の切っ先が、わずかに揺れる。

まだまだ不安定だと、自分でも分かっていた。

 

「唄や舞だけでは……足りないと思うんです」

わたしはそのまま、ぽつりと呟いた。

「神様に唄を届けても、誰かを助けるだけの力がなければ、この国は守れない……」

 

師匠はしばらく何も言わなかった。

けれど、その足音は静かに近づき、気づけばわたしの正面に立っていた。

 

「イニス」

呼ばれた名前に、わたしは顔を上げる。

 

「お前がその薙刀を手にする理由は、誰にも強制されるものじゃない。けれど……本当にその覚悟があるのなら」

師匠は静かに手を伸ばし、わたしの構えを直した。

肘を少し引き、重心を低く。

「……なら、私が教えよう」

 

わたしは無言で頷いた。

胸の奥で、潮騒のようなざわめきが強くなる。

それは、唄でも舞でもない、自分自身の「願い」から生まれた音だった。

 

師匠はわたしの後ろに回り、背に手を添える。

「風を切りなさい。薙刀は水のように、流れるように振るうものだよ」

「……はい」

 

わたしは薙刀を振るう。

その重さはまだ、わたしには大きすぎたけれど――

振り下ろした瞬間、風が切り裂かれた感触が手に伝わる。

 

「今のは良かったよ」

師匠の声に、少しだけ胸が熱くなる。

 

わたしはもう一度、構えを取る。

海神がこの国に来るまで、あと一月。

その時までに、わたしはもっと強くならなければならない。

 

唄うだけでは守れないものがあると知っているから。舞うだけでは届かない祈りがあると、感じているから。

 

わたしは唄う。

そして、薙刀を振るう。

それがわたしの「祈り」の形だと、そう信じていた。

 

 

 

 

そして、時は流れた。

 

その一か月のあいだに、この国にはひとつの大きな祝福が訪れる。

王家に、待望の姫が生まれたのだ。

 

わたしたち潮吟士(ネレウス)は、その命の誕生を祝うため、王城に招かれた。

真珠貝を思わせる白い大理石の広間に、薄青の帷がゆるやかに風に揺れている。

香草の煙がたちのぼり、祝福の儀式は静かに進められていった。

 

「……今日の唄は、特別だよ。

この子のために、最初の祈りを捧げよう」

師匠はそう言うと、わたしに目を向けた。

「イニス、お前が先に唄いなさい」

 

「わ、わたしが……?」

驚いて言葉が詰まる。

でも、師匠は優しくうなずいた。

「そう。この国の未来に唄を捧げるのは、お前の声であるべきだ」

 

わたしは深く息を吸い込んだ。

そして、両手を胸の前に合わせると、そっと目を閉じる。

 

――わたしの声が、静かに広間に満ちていった。

それは、小さな波紋のように、やわらかく空気を震わせ、光の粒を運んでいく。

師匠達が後に続き、やがて二重、三重に重なる旋律が、祝福の空間を満たしていった。

 

揺籃の上には、まだ小さな王女様――アスフィ・アル・アンドロメダ。

その小さな命が、やわらかな光に包まれるのを、わたしは夢見るように見つめた。

 

この国の未来を、この子が担っていくのだろう。

わたしは、ふいにそんなことを思った。

 

 

 

 

やがて唄い終わったわたしは、そっと目を開ける。

静かな広間に、海風が吹き抜けるような静寂が訪れる。

ふと、視線が祭壇の上の揺り籠へと向かう。

まだ目も開いていない、小さなその赤子は、けれど、不思議と安らかな寝息を立てていた。

 

「……よく似合っていたよ、イニス」

師匠が、柔らかく言った。

「この子は、きっとお前の声を忘れない」

 

その言葉の意味が、このときはよくわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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