冒険者にとって『
『Lv1』から始まり、下界に於いて神々が観測した最大等級である『Lv9』。
神の血を受け止めた器は、人の身を超えた偉業によって昇華し、その肉体を神々のソレへと近づけていくことを意味する。
即ち、人の身で神に至る御業。
神々が刻む『
それを成せる人間が、果たしてどれほど存在するか。ましてや短期間における器の格を一段階でも上げるなど、それこそ人の業ではない。
それは熟練の冒険者であればあるほど、それがどれほど人智を超越した行いであるかを理解させられることとなる。
妥協という名の諦めへと終着し、そして大半が人としての生を終えるのだ。
だからこそ――リュー・リオンは目の前の光景を驚きを隠せないでいた。
「彼は本当に、ダンジョンに潜り始めて一年ですか」
二つの騎影、二つの戦場が衝突を繰り返す。
大気へ波及する衝撃。
闇を弾く蒼い光と影に溶ける緑肉によって縦横無尽に描かれる軌跡。
騎影が交錯する度に轟音が鳴り響き、この貯水槽を支えいくつも乱立する石柱が地鳴りの如き悲鳴を上げて軋んでいる。
眩く尾を引く彗星の如き光は血の残り香を纏う緑の影を喰い破り、互いの主の獲物を捉えんと宙を駆ける空中戦と大地を掴む地上戦を展開する。
「――――!」
「おおおおお――!」
黒鉄の刃は剣士の得物として甲高く鬨を上げ。
白き剛腕は獲物を噛み砕かんと猛々しく吼え上げた。
それは錯覚か、幻覚か。
その広大な影の中を無数の蒼光の尾羽と竜鱗の華が飛び交う様は、夜闇の『嵐』に打たれる木々を彷彿させた。
「――
「戦闘中に考え事とはなぁ!! 『
心の臓に向けて放たれる掌低。
この高速戦闘において一寸も狂うことなく放たれる、絶死の一撃。
彼――アルノ・レンリは現オラリオにおいて最強に片足を突っ込むLv5の冒険者である。
そんな彼が己より『膂力』においては格上だと断じた怪人の
だがそれでも、彼は避ける素振りすら見せない。
刹那すら遅延する高速のさなか。
琥珀の瞳と、空色の瞳がかち合った。
「ハァッ――――!」
ぎゅんっと、リューは一気に距離を詰める。
彼女の持つスキル『
基礎ステイタス、発展アビリティ、魔法に連なる恩恵を刻まれた彼女だけが持つ力の名称。
速度を攻撃力へと補正する効果と、精神力を消費することで『力』のアビリティを強化する効果をこの一瞬において彼女は手に持つ木刀にその全てを相乗する。
迅雷の如き斬閃が、黒い闇に浮かぶ怪人の腕を一閃した。
「……っこの、硬度は……!」
腕を伝う衝撃はその怪人の異常な堅牢さを前に、リューの腕の中で荒れ狂い暴発した。
思わず木刀を手放しそうになる痛覚を前に、彼女は戦慄を隠せない。
本来であれば必殺となる一撃は、その表皮の感触と共に弾かれる。
骨を砕き腕を断ち切る筈だった攻撃は、都市最強に迫る膂力を秘めた白い怪腕を僅かに減速しその軌道を変更するだけに留まった。
「邪魔立てを……! 追え、
「――――っ!」
人外染みた
アルノの回避は完了している。であれば、次の標的が誰になるかなど言うまでもない。
全力の後退を余儀なくさせられる波状の多段攻撃。回避の一寸先には食人花の牙が石床を刻み、一秒後には粉々となった足場がその末路を忠実に再現した。
故に躱す。
躱す躱す躱す躱す。
怪人との距離を突き放され、援護が間に合わぬ間合い。
縦横無尽に飛び交う蕾。白鷹と怪人の間を突き抜ける疾風をその牙で貫き呑み込まんと多頭の首を以て広大な貯水槽に蛇行を描く。
「……!? 全て、躱しきっただと……!?」
それでも届かない。
檻の如く張り巡らされた蔓の間を、疾風が羽を得た妖精のように飛んでいる。
開かれた牙をぎりぎりまで引き付けて躱し、伸ばされた
自身で作り上げた包囲網を容易に突破した事実に驚愕する怪人を前にリューは木刀――ではなく、腰に携えていた二振りの小太刀を十字袈裟に振り抜いた。
「キサマ、何者だ……!」
「それに答える義理はない。どういう理由で存在しているかは知る由もありませんが、お前は此処で倒されろ――『
「!? その名を――」
紙一重の攻防のさなか、敵意が集束する。
怪人は顔中の血管を浮かび上がらせ割り込んだ妖精を睨むも、彼女は冷たく切り捨てた。
本来であれば、己と眼前の敵では勝負にならないことをリューは理解している。
技量は勝るともその力量には明確な差があると彼女は弁えていた。
正面からこの怪人と向かい合えば、それこそ羽虫のように捻り潰されることだろう。
だからこそ、『駆け引き』の一つとして今の言葉を投げかける。
致命傷にすらなり得ない、攻撃にたり得ない攻勢。
針に糸を通しただけの、切っ掛けにもなり得ない『隙』。
ダンジョンに潜り始めて一年。
されど『最強派閥』の片翼、その一角を拝命する剣士。
『
「【フレスベルク】」
蒼い光が暗闇の中で眩く点滅する。
離れた間合に合わせて唱え、命じた言の葉。
死者を照らす霊魂が如き蒼い灯火が虚空へ無数に浮かび上がる。
整列するいくつもの切先、
翼を撃つ大鷹の様に、その尾羽が怪人に向けて飛来する。
「ッ!? 詠唱を――ぬううッ……!?」
その物量はまさしく地上へと降りていく氷天。
蒼い軌跡はその道筋にある水分を氷結させ、疑似的な吹雪を生み出した。
怪人にとって直前まで意識をリューに向けていたことが災いした。
万全ではない状態で受けたその圧倒的な面攻撃を前に、怪人は抗うことを許されない。
魔法による制圧射撃は背後で控えていた食人花すら巻き込み、尋常じゃない堅牢さを誇る身体を以てしても防御という後手に回らざるを得ない。
そしてその殺戮の雪原の中を、自由に駆けまわれる唯一の男が此処には居る。
「がぁっ!?」
蒼く吹き付ける氷刃の乱舞の中を、蒼い外套が疾走した。
一息の肉迫と共に鯉口より怪人の肩に向けて黒き鋼が袈裟に斬り上げられる。
腰溜めより無拍子で露わになった刀身は暗闇になお残る小さな光を集め、陽炎の様に揺らめく。
その速さにより怪人はおろかリューですらも眼で追うことは難しい。
「ぐ、がぁ、ああああぁあ!!?」
怪人の苦悶が響き渡る。
魔法の一斉掃射に加え、推定『Lv6』という格上に対し痛手となる斬撃が無数に浴びせられる。
胸、肩、首、脚、腕。
胸部を裂き、首を切り付け、肩は袈裟に振り抜かれる。
予断を許さない絶速に晒される剣の領域においてなお寸分違わず振るわれる白羽の雨。
我武者羅に、晒した隙を逃さんとする駄目押しにすら見える連撃は、その正確性から来る完成された暴力の化身であった。
「お、のれぇ……! 調子に――!」
「――【フレスベルク】」
「なっ……!?」
魔法の掃射と剣技に生じた間を攻めんと唸りを上げた怪人はしかし、紡がれた魔法の名を前に驚愕と痛みが同時に襲ってくる。
剣技と共に
その一つ一つが違う軌道を刻み、氷原の奏者たるアルノを躱すように放たれる。
その事実が示すところはつまり、戦闘開始時から永続して戦場を飛んでいる彼の第一魔法はその全てが
「無詠唱魔法に、並行詠唱……!」
精神力を消費するという観点から発動には身動きも取れなくなる程の集中状態を要する魔法。
相対する敵は僅かにでも速度と斬撃の精度を落とせば、その時点で死が確定するこの迷宮都市においても埒外とされる怪物だ。
眼前で繰り広げられる戦闘がどれだけ非凡な光景か、リューは同じく『並行詠唱』の使い手だからこそ、その異常性を理解出来てしまう。
「――恐ろしく堅い。いや、植物の堅牢さと肉の柔軟性を確立している、と言ったところですか」
そして、何よりも驚愕すべきは。
この場に展開される高速戦闘において、既に音を上げている怪人に対し
「
鏃が突き刺さり、度重なる斬撃によってずたずたの四肢。
斬り飛ばされた腕は宙を舞い、怪人の被る獣骨の兜がいくつもの切傷を作り砕かれかけている。
攻撃も防御もままならないそんな状態で、足掻くように従えた己の手足たる人喰いの怪物の名を搾り出す。
『ガアアアアアアアア!』
瞬間、横合いから飛来する食人花の頭がアルノを目掛けてその蕾の口を開ける。
蒼い剣士が避ける気配はない。
先のような目配せはなく、魔法による迎撃も防御の構えも取ることはない。
その専心の意を、リューはこの即興の円舞曲において理解する。
「ハッ――――!」
気勢が音速となって風に乗る。
食人花の軌道を阻むように後方より構えられた彼女の木刀の上を食人花の茎が鞭のように奔り、受け流す。
木刀による打撃は有効打となり得ない。
どういう理屈かこの怪人と怪物は、人体構造と蛇に近しい動きを阻害しない柔軟性とLv5の斬撃を浴びせられ続けてなお顕在しているという埒外の堅牢さを誇っている。
だがその大樹が如き重量。
竜を思わせる長く巨大な体躯。
この暗闇において高速展開する敵を確実に捕捉する感知能力。
かの妖精の技量であれば、それを利用することも活用することも容易い。
蕾の向かい先は、主たる怪人の元だ。
「ぐおおおぉぉっ!?」
食人花による怒涛が氾濫を引き起こし、怪人を巻き込む。
アルノの魔法と空中による追跡劇を繰り広げていたモンスターが威力を殺さずに展開されたままの蕾が伸びきった
その質量攻撃により石床が砕け、その破片をまき散らす。
天井を支える極太の柱をいくつも破壊しながら、貯水槽の奥へと破砕音を立てて奥へ奥へと吹き飛んでいく。
「見事な援護でした、リューさん」
「それは此方の台詞です」
称賛が重なる。
空間把握とその認識能力にモノを言わせて発生させられた自滅。
戦況を一息後ろで見据え、戦場に利用できるものは利用する冒険者としての経験に長けたリューの手腕によるものだった。
「俺に合わせて動いてくれる人なんて久しぶりだ……スゴイ動きやすかったです」
「レンリさんこそ、無詠唱魔法による並行詠唱をこれだけの練度で……一体、どれだけの
「生き急ぐ理由があったので」
仕切り直される戦場の盤面を認識する。
同時に、この戦闘の幕引きが間もないことも。
この余白とも言えるやり取りも長くは続かないというを両者は理解している。
恐らく、次の立ち合いで最後になることだろう。
盤面は、既に大詰めへと突入している。
「おの、れぇええええぇえ!!」
『『『オオオオオオォォォ!!!』』』
それを示すように、空間が憤りという毒に支配された。
屈辱と焦りによる激情に応じて鳴り響く怪人のものと思われる怒号。
貯水槽全体から内臓の一片に至るまで振動する咆哮には嘗てないほどの力が込められている。
先程の焼き直しのような食人花による黄緑の大河。
その体に
塵芥を巻き上げ、柱がいくつも砕かれていく。憤りに支配される主人に呼応しこれだけの戦闘を続けてなお喰われることのない獲物に向かって邁進する。
その奥にはアルノの魔法が刺さったまま、華たちを従える憤怒に震える白き怪人の姿があった。
「俺の魔法では決定打に欠けます」
「では、どうしますか」
轟音が迫る。
物理的距離を
それでもなお、静かに問いかける。
短く、簡潔に。
リューはもう、目の前の剣士をダンジョンに潜り始めて一年の、レベルのみが上がってしまった駆け出しとは思わない。
一人の冒険者として、この戦場を支配する指揮者として。
何より、知らぬとは言えこの穢れた身のうえの自分を無条件で信頼してくれている相方として。
ただ静かに、その命を待つ。
「リューさん、エルフということは」
「回復魔法を一つ。そして広範囲に渡って面攻撃を行う攻撃魔法が」
「なら、それで」
それだけのやり取りで、互いに何をすべきかを察した。
他のファミリアにステイタスの一部である魔法について話すなど本来であれば御法度ではあるが、たった数時間の邂逅なれどリューがその程度の事を気にするような男ではないと断じる。
そしてそれは、アルノ・レンリという冒険者も同じだ。
「……ふ」
「……レンリさん。この状況で笑えるのは冒険者としてはある意味美徳ですが、抑えて」
「いや失礼。なんだか、嬉しくて」
「……そうですか」
これまでの生真面目な様相からは感じ取ることのなかった、どことなく弾んだ声。
思わず此方の表情も緩みそうになるのをリューは得意の鉄面皮で堪え、敵を見据えた。
波濤を見据え、蒼い剣士は抜刀し前方へと繰り出す。
剣士を見据え、深緑の妖精は小太刀を納刀し木刀を抜いて後方へと飛ぶ。
「――――行きますよ、リューさん。背中は任せます」
「――――真っ直ぐに、レンリさん。前方を頼みます」
――――二つの風が突貫する。
氾濫する緑肉の大河を前に、二つの小さな嵐と化した二者はもう止まらない。
剣士は正面から刀を構えて突撃を開始し、妖精は一息後ろから彼に追走する。
伸びる茎と共に打ち出される触手。頭数一つに対して複数。
二〇を優に超えるそれは一瞬で数にして頭数の数倍もの物量と化した。
此処に来て繰り出される新しい攻撃手段は怪人の策略か、
それを判断する頭はこの突入劇が始まる際に二人は置いて来た。
投入のタイミングとして最高だが――なんて愚か。
そんなヤケになった時点で、この勝負は既に決している。
「【
瞬間、嵐氷が猛る。
怪人に、食人花に突き刺さり未だ消えず顕在であった嵐氷の鏃は主の命に応えて――氷の飛礫をまき散らして爆散する。
一部の魔法にのみ使用を許された
決められた詠唱を追加で唱えることでその魔法が持つ追加効果を発揮することを可能とする神々から賜った恩恵の一つ。
肌を突き刺す冷気が妖精の頬を撫でる。
爆発の光と共に緑肉も、体液すらも、飛来する永久凍土を前にその周囲に居たものを風と共に巻き込み、凍てつかせていく。
その光景は、天を駆ける凍て星そのもの。
「【今は遠き森の空。無窮の夜天に鏤む無限の星々】」
目算にして約四〇
彼女を中心に高まる魔力。本物の凍土と化した貯水槽に、輝かしい緑光が満ちていく。
それに引き寄せられた食人花の頭と触手が彼女に向かうが――格子状にバラバラにされたことに気づくのは絶命を控える僅かな時間より後のことだ。
「【フレスベルク】」
「【愚かな我が声に応じ、今一度星火の加護を。汝を見捨てしものに光の慈悲を】」
無数の尾羽が飛翔する。光を散らす言霊が紡がれていく。
斬撃、刺突、爆散。切断、回避、詠唱。
視界が映す景色が早送りになる絶速の最中、斬り飛ばされる食人花の頭が後方へ飛ばされる。
剣士の背後を取ろうとした食人花を木刀によって吹き飛ばし、その妖精の背後を取り足を掬おうとした茎を剣士の魔法が地面に固定し、爆散させた。
そして間もなく、緑肉の先に埋もれる怪人と邂逅する。
「キサマ、ら……! いい加減、止まれ! 止まれっ!! 止まれえぇぇぇぇぇええええ!!!」
「【来れ、さすらう風、流浪の旅人】」
人喰いの木々をかき分ける氷と風の伐採師。
白き雪原と化した貯水槽を駆ける二名の狩人を前に、獲物と化した怪人が表情をとある感情に
奇しくもそれは。
怪人が食人花に喰わせた冒険者と同じ顔であった。
「【空を渡り荒野を駆け、何者よりも疾くと走れ――】」
一陣の風が、最大瞬間風速を迎える。
まるで、吹雪が入り交じる北風の協奏曲。
たった四十
その速度と勢いに押された怪人が、ついに食人花の根っこ――植物で言うところの球根にまで辿り着いた。
「【――星屑の光を宿し、敵を討て】!」
まもなく詠唱が完成する。怪人は妖精が唱える詠唱により己の末路を彷彿し再び姿を消した。
だが見ずともわかる。探すでもない。
此処に来て後退は在り得ない。その時はどちらが敗北するか、此方が死んでいるかだ。
剣士が構えを取る。
刀身を鞘に納めて、鍔より鯉口を覗かせる抜刀の構え。
その意。その気配。その感情。
肉眼で捉えられぬのなら感じ取るまで。
「ハァ――ッ!!!!」
逃れようのない斬撃の
それはまごうこと無き道標。
この極限において例外はなく、阻むものは無きに等しい。
振り下ろされた刃は石を、肉を、蔓を、茎を両断し――。
「――ぐぅぅうううううぅぅぅ!!!???」
――――
「――――【ルミノス・ウィンド】!」
緑風を纏った星屑の魔法が起動する。
それは食人花を、怪人を呑み込み。
光の奔流を以て、全ての敵を吹き飛ばした。