利用者文芸:Wikipedia的記事の方が執筆執筆が行いやすい
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本項では、Wikipedia的記事の方が執筆執筆が行いやすい現象について解説する。
前提[編集 | hide all | hide | ソースを編集]
前提として、知木ペディアでは大きく分けて3つのジャンルで執筆を行うことができるのはご存知であろう。
- Wikipedia的記事
- アンサイクロペディア的記事
- 妄想記事
この中で特に異質とも言える妄想記事に関して、アンサイクロペディア的記事を執筆している際に派生として生まれたものが多い印象である。
妄想記事は自身の中にある理念を膨らませ、文章として書き起こす作業が必要とされる。 この作業は個人差も有るが比較的自身の思想のの赴くままに書くことが容易いと推測される。 だがWikipedia的記事、アンサイクロペディア的記事に関してはこの「自らの書きたい内容をわかりやすく文章化する」という行為が著しく難しい。
特にアンサイクロペディア的記事ではこの部分を意識しないとただの自己満足になってしまう。 実際にそのような記事を見た経験はあなたにも有るだろう。
筆者のユーモアセンスも大事では有るが、それよりもまずは読み手側に伝えやすくするために語彙力である。 アンサイクロペディア的記事では語彙力が欠如している場合、逆に滑稽になってしまう。
アンサイクロペディアはWikipediaのパロディーであり、真面目な文調でユーモアを伝えるということが重要視されるのもわかる。 もちろんこれは例外もあるが、それは砕けた文章で筆記することによって何かしらのユーモアを伝えられる場合でないと悪手となる。
ここで伝えたいことをまとめると「アンサイクロペディア的記事の執筆はとても難易度が高い」ということだ。
本題[編集 | hide | ソースを編集]
前提ではアンサイクロペディア的記事の執筆難易度について記述したが、ここでは本題である「Wikipedia的記事の方が執筆執筆が行いやすい」について持論を述べていく。
まずアンサイクロペディア的記事の執筆に取りかかる際必要なものはなにか、「思いつき」である。 中には記事を書き始めればアイデアが浮かんで来るような玄人も居るだろうが筆者は凡人である。
それに対してWikipedia的記事は事実を列挙するだけである。 「だけ」というと少々誤解を生むかもしれないが、今までの経験から事実を述べ理解しやすく記述するだけである。
また、「物事を調べながら書く」という点は実はアンサイクロペディア的記事も同じで、アンサイクロペディア的記事は主に事実の上に嘘やユーモアを混ぜることがおおい、だがWikipedia的記事はどうか、事実を調べて出典元と検証可能性をチェックしそのまま書くだけである。 これは記事の執筆において非常に簡単であり、アンサイクロペディア的記事との労力の差は明白である。
事実として知木ペディアで執筆をしているユーザーはネタが無くなるとWikipedia的記事に走る傾向がある。 これはWikipedia的記事を真面目に執筆している他筆者を煽っているわけではない、アンサイクロペディア的記事に比べて労力が少ないだけでWikipedia的記事も執筆に時間と手間がかかるのは確かである。
結び[編集 | hide | ソースを編集]
本記事を執筆し、分類を行う際に気をつけたことがいくつか有るので記述していおく。
- なるべく文章を引き伸ばし、分量を稼ぐ。
- 同じことを表現を変えて記述する。
- 自分の主観を全面に押し出す。
- 手癖で書く。
もちろん文脈の破綻などは避けなければならないが、基本的に一 度述べた物事+事実 の組み合わせで記事は完結させることができる。 これは執筆においてとても有用な手立てである。
何が言いたかったか[編集 | hide | ソースを編集]
- どんな記事でも知木ペディアの記事数増加のために執筆しよう!
- その際にWikipedia的記事だと自論をぶちまければいいよ!
- 上質なWikipedia記事の執筆にはそれにプラスして出典をつけたりできるといいね!
このように三行でまとめられる文章であっても引き伸ばすことで一つの記事にできるのである。
関連項目[編集 | hide | ソースを編集]
- この記事は投稿者の妄想に基づいて執筆された妄想記事です。そのため、このテンプレートと同様に、非常にカオスで読みづらい可能性があります。
- それでも、ここは知木ペディアです。よって、面白ければこのような記事があっても問題はないのです。きっと。