できない僕が、繰り返す


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3.なれないわたしが繰り返す


とてもとてもお待たせしました。
きっと忘れている方も多いでしょうが覚えている方がいらっしゃれば、読んでいただければ幸いです。

悩みに悩んで久しぶりに手をつけたらあっさり書けた、"できない僕が繰り返す"の3話。
(なりたい自分に)なれないわたしが(間違いを)繰り返す。
つまり、ベル君がリリを助けようと頑張るお話です。
最初あたりは原作を踏襲してるので流し読みでよろしいかと。

個人的には読んでてあまり納得できない出来なのですが、しかしこれ以上には仕上がりそうも無いので投稿します。
できれば前話から読んだ方がいいと思います。

では、お楽しみください。


あの怪物祭での騒動から数日が経った。

 

アイズさんからの提案を僕は考えた末に受けることにした。

僕の戦い方は我流だ。特に誰かに教わったことはなく、今までモンスターと戦ってきた中で覚えた拙い我流。

彼女が何を考えて僕を鍛えてくれるのかわからないが、そんな僕にとってその提案は渡りに船だった。

 

彼女は毎日その日の午前中の間僕を鍛えてくれるらしい。

実際は、毎日と言ってもアイズさんがダンジョンに数日潜るときもあるのでその間は鍛えられない。彼女がレベル5の冒険者で僕が レベル1であることを考えると、明らかに過大なものだと思う。だが、彼女はこれでいいようだ。

むしろ、ダンジョンに潜っている間は訓練が休みになることに申し訳なさそうだった。

 

ミノタウロスやトロールから助けて貰ったことやここ数日の訓練でのやり取りから考えると、アイズさんは随分と人が好い。ミノタウロスを逃がしてしまったことへの謝罪も受けたし、訓練も彼女なりに真摯にやってくれている。

 

……最初の訓練ではいきなりの模擬戦、そのまま一撃でノックアウトさせられたが。

それも次の日から改善されて、模擬戦そのものは同じだが、今では僕より少し強いくらいまで手加減してくれている。

模擬戦なのは彼女は言葉で伝えるのが苦手で、模擬戦が一番教えやすいかららしい。

 

そんなわけで、今日もアイズさんからの訓練が終わった僕はダンジョンに向かおうとバベルへ向かっていた。

 

 

「そこの白い髪のお兄さん」

 

その時、ふとそんな声で呼びかけられたのが聞こえた。

わりと近くから聞こえた気がするけど、周囲を見渡しても他の冒険者が通り過ぎて行くだけで、僕に声をかけたらしき人は見当たらなかった。

 

白い髪といったら僕かと思ったけど、違ったのだろうか。自意識過剰というやつかもしれない。

 

そう思って、再び歩き出そうとすると今度は袖を引っ張られた。

 

「ちょっと待ってください。お兄さん、下ですよ、下」

 

引っ張られた袖とその声に従って視点を斜めに下げると、フードを深く被った小さな少女の姿があった。

どうやら、僕を呼んだのはこの子らしい。

 

「どうかしたの?」

 

そう少女へと声をかける。小さい子だし、迷子かもしれないと思ってのことだ。

 

「初めまして、お兄さん」

 

「突然ですが、サポーターなんかお探しではありませんか?」

 

「えっ……?」

 

少女の言葉に一瞬思考が追いつかなくなる。見た目10歳くらいの子だ。サポーターという言葉にその外見が合わなかった。

だが、すぐに考え直す。サポーターでなくとも10歳くらいの冒険者もいないわけではない。実際、アイズさんは年齢が一桁のときからダンジョンに潜っていたそうだ。

この子も幼くしてサポーターをやっているのではないだろうか。

 

「サポーターがいてくれたら嬉しいけど……。そのサポーターは、君?」

 

サポーターがいればドロップや魔石を大量に運べる。魔石等の剥ぎ取りもしてくれるから体力の温存もできるし、稼ぎの効率はかなり上がるはずだ。

 

「む、こんな姿ですが立派なサポーターですよ。それで、どうですか?」

 

ちょっと口をへの字に曲げたあと、すぐににこりと笑う少女。フードに顔が隠れて口元くらいしかわからないが、それでも表情の変化はわかった。

 

「うん、できればこちらからお願いしたいくらいだよ」

 

僕自身、彼女がサポーターになってくれるのはありがたい。

 

「本当ですかっ!では、お願いします、お兄さん!」

 

ぴょんと跳ねて嬉しさを身体で表す少女。

跳ねた拍子にフードが少しずれてその円らな瞳と目が合った。

 

「リリの名前はリリルカ・アーデといいます。よろしくお願いします!」

 

そう言って笑う少女に何故か既視感が走る。

今の嬉しそうな笑顔とは似ても似つかない、死に逝く少女の諦めの滲んだ笑みを幻視して、その笑みが目の前の少女に重なった。

 

微かに覚えた胸の痛みを抑え込んで、僕は言う。

 

「僕の名前はベル・クラネル。よろしくね、リリ」

 

何故か、初めて会ったはずのこの少女を、僕は確かに信じられる気がした。

 

 

しばらく迷宮に潜った結果、リリはサポーターとして極めて優秀だとわかった。

魔石の回収だけでなく戦闘のサポートまで行うことで、とても戦いやすく、収入も大幅に増えた。

 

そうして、僕はリリをサポーターとして継続的に雇うことを決めた。

 

 

リリと一緒に探索をし始めて、一週間ほど経っただろうか。

その間、僕が神様にもらったナイフを無くして慌てて探し回ったり、リリが冒険者に絡まれたり、とあったが迷宮の探索は非常に順調だった。

ちなみに、ナイフは酒場の店員リューさんが見つけてくれた。

 

リリもこの一週間で大分打ち解けてくれた様子で、ある程度自分の事情なども話してくれるようになった。

そう、探索は順調だった――はずだ。

 

 

その日、いつものようにリリと迷宮に入った。特に何か特別なことはなかったと思う。

強いて言うならリリが少し挙動不審だったことくらいだ。

 

しかし、現在、僕はオークの群れに囲まれていた。リリはここにはいない。

足元には血肉と呼ばれるアイテムがばら撒かれていた。血肉とは冒険者が狩りの効率を上げるためのモンスターを引き寄せるために使うものだ。

 

つまるところ、僕はリリに嵌められたのだろう。

 

刃が閃いてモンスターが肉塊に変わる。即座に剣を返して、再び一閃。そのままの勢いで身を低くしてモンスターの群れの隙間に体を割り込ませる。

それからも剣が振るわれる度にモンスターが倒されていく。

 

だが、モンスターは遅々として減ることは無い。

おびき寄せられるモンスターと倒されるモンスター。それぞれの数がほぼ拮抗しているためだ。

故に僕はひたすらにモンスターの群れを切り開いて出口を目指していた。

 

ここは迷宮の10階層にあるルーム。僕の強さから考えるとまだ余裕はあるが、それでも油断はできない。オークはシルバーバックより弱いから苦戦することなく倒せるけれど、この血肉でおびき寄せられた数が問題だ。

これだけの数の10階層のモンスターを相手に戦うのは今の僕では少々分が悪い。

 

とはいえ、それもあと少しで終わる。

逃走できる通路までもう一息でたどり着けるだろう。そうすればリリの――。

 

リリ――あぁ、そういえば僕はリリに嵌められたのだった。

 

ふと、戦闘に集中していたせいで半ば忘れかけていた事実を思い出す。

リリはどうやら僕のナイフを狙っていたようだ。去り際に僕のナイフを盗んでいったから、多分間違い無い。

思い返せば、数日前に僕がナイフを無くした時も、落としたのではなくリリが盗んだのだろう。

 

裏切られたという思いはあるけれど、不思議と怒りや恨みは湧いてこなかった。むしろ、今僕はリリのことを心配している。

リリはあまり強く無い。ここで僕と別れて地上にたどり着けるだろうか。

 

そう思うと、心のどこかで焦りが生まれる。

リリが危ないと思うと、なぜか居ても立ってもいられなくなる。一度裏切った相手の安否がどうしてこんなに気になるのか、僕自身疑問ではあるけど。

 

それでも。

 

すうっと息を吸う。

そして、もう少しまで迫ったルームの出口を見据えた。

 

僕にとって、まだ彼女は仲間だ。リリは強かだから逃げ切れているとは思うけど、万が一のことがある。

彼女が死んだら、きっと僕は後悔するだろう。

 

それに。

何より僕の心の深くから声が響いている。

"しあわせに、なりたかった、な"って静かに胸を引き裂くような声が。

 

決断しろ、ベル・クラネル。

最初から答えは決まりきっているはずだ。

僕は――

 

「――ファイアボルトォ!!」

 

リリを助ける。

そう決めた。

 

緋色の閃光が通路までのモンスターを一掃する。

僕は開けた活路に向かって飛び込むように疾走した。

 

 

10階層から道中の邪魔なモンスターの首を刈りながら、7階層に到達する。

ここに来るまでリリらしき人影は見かけなかった。戦闘音も全く聞こえてこなかったので、恐らくリリは無事に進んできたのだろう。すれ違っている可能性も無くはないが。

 

少しだけ、安堵する。

7階層を越えられたのならリリはちゃんと地上に戻れるはずだ。

7階層には仲間を呼ぶモンスターがいるため、6階層よりも危険度が格段に大きい。だが、その7階層を突破して6階層にたどり着けたなら、リリの実力で問題無く地上に帰れるだろう。

 

疾走を少し緩める。

リリは大丈夫そうだ。そうなると、盗られたナイフはどうしようか。

あのナイフは神様から頂いた大事なものなんだけど。

 

走りながら無意識のうちにすれ違ったキラーアントの首を落として、考える。

そこで、一瞬疑問を抱いた。先ほどからキラーアントとばかりすれ違う。しかもそのキラーアントは僕に興味を示さず、全ての個体が一つの方向へと向かっていた。

 

キラーアントは危険になると救難信号としてフェロモンを出すモンスターだ。

そいつらが一つの方向へ向かっているということは、つまり――

 

背筋にぞわりと悪寒が走る。

一度緩めた疾走を、緩める前よりもさらに速めて、キラーアントの流れを追った。

 

 

果たして、僕は間に合ったらしい。

 

進むにつれてどんどん密度が高くなっていくキラーアントの群れを切り開いてルームへ飛び込むと、地面に倒れたリリとその周囲を囲って今にも襲おうとしているキラーアントが視界に映った。

 

「ファイアボルト!!」

 

半ば反射的に魔法を放って、リリの周りのモンスターを牽制する。最も、その牽制で三分の一くらいが吹き飛んだが。

そして疾走の勢いのままに回転しながら、残りのモンスターたちに斬撃を叩き込むと、リリを背後に庇った。

 

リリの周りは片付いたが、未だにフェロモンの名残があるせいか、通路から続々とキラーアントが入ってくる。

 

10,20と増えていくモンスター。きっと戦っている間にもどんどん増えていくはずだ。7階層のモンスターといえど、それほど大きな群れとなれば今の僕でも油断はできない。

 

けれど。

キラーアントの群れに相対しながら、背後のリリを意識する。

 

――背後のリリはあのときと違って生きている。あのどうしようもなく絶望した時とは違って、まだ取り返しがつく。

 

ノイズが走って、自分の顔にどこか不敵な笑みが浮かぶのを感じる。

 

なぜだろうか、負ける気がしなかった。

そして実際に、それほど時間はかからずルーム内のキラーアントは殲滅された。

 

 

その後は、まぁ――色々とあった。

何故か助けたリリに"ベル様は頭がおかしいんですか"と怒られたり、それからお互いに罵声を上げて言い争ったり。

 

最終的にリリは泣きながら僕に魔石を投げつけて――けれど、確かに僕に心を許してくれたようだった。

 

 

 

 

リリの怪我がある程度治るまで休んで、数日後。

僕とリリは再び迷宮に来ていた。

 

あの後、リリは自分の事情を僕に教えてくれた。

彼女がソーマファミリアに所属していること、本当は犬人族ではなく魔法で変装した小人族であること。

そして、リリがどうして罪を犯してまでお金を必要としているのかということも。

 

あの時リリが窮地に陥っていたのは、所属するファミリアの人に嵌められたかららしい。

もともと魔法による変装についてバレて脅されていたそうだが、ダンジョン内で罠に嵌められてお金を強請られ、その上囮にされたとか。

 

これからどうするのか聞くと、リリは自分を死んだことにして、僕のサポーターとして活動するといった。

 

"迷惑ですか?"と不安そうに瞳を揺らすリリに、僕は笑って彼女を受け入れることを伝えた。

僕の言葉にリリも嬉しそうだった。

 

リリを連れて、ダンジョンの11階層を歩く。

モンスターの強さもちょうどいいし、ここが今の僕の適正階層だ。

 

出会うモンスターを尽く切り裂いて、倒したモンスターからリリが魔石を回収していく。

 

 

そうして迷宮を進んで行く先で、前方のルームから冒険者のパーティーが出てきた。

 

彼らとすれ違う瞬間、ふと首筋に粘ついた何かを感じた。

既知感を感じて、それが何なのか歩きながら思い出そうとする。

 

けれど、僕がそれを思い出すことはなかった。

 

そのまま進んで彼らが出てきたルームに足を踏み入れた瞬間、目に入った光景に頭の中が真っ白になる。

 

それは数日前にも見た光景。

地面に置かれたいくつもの血肉と通路から続々と入ってくるモンスターたち。

違うのは置かれた血肉の数が段違いであることか。

 

即座に我に返ると、リリの腕を引いて反転しようとする。

 

しかし。

振り返って目にした光景に今度こそ体が硬直した。

 

通路にはニヤついた笑みを浮かべた冒険者たち。

彼らのうちの一人から放たれた魔法が、僕らが入ってきた入り口を破壊して塞ぐ。

 

背後に向き直れば大量のモンスターの群れ。

それでも、一人ならなんとか向こう側の通路から逃げ出せる可能性はある。

――ひとりなら。

 

けれど、僕の隣にはリリが居て。

リリを庇いながら戦って生き残れる確率はゼロに近い。

 

神様の短剣を握りしめる。

 

それでも僕は背後にリリを庇って、押し寄せてくるモンスターたちを相手に短剣を振るった。

 

――時計の針が、巻き戻る。

 

 

 

リリを助けてから数日後、リリの怪我が治るのを待って迷宮に潜る。

 

そうして、僕らが探索する11階層に辿りついたとき、僕を微かな違和感が襲った。

初めての11階層なのに、いつかの5階層のように既視感がよぎる。嫌な予感が脳裏から離れなかった。

それを振り払うようにモンスターを切り裂けば、昨日と比べて明らかに刃の滑りが鋭くなっている気がした。

 

その疑問は11階層を進むに連れて大きくなる。

 

ふと迷宮の通路、その先の闇を見つめる。

背筋がぞわりと逆立った気がした。ひどく明瞭に感じられる嫌な予感。この感覚を僕は知っている。

――この予感は、ミノタウロスと戦った日に迷宮の闇へと感じた激しい悪寒、それに似ている。

 

その悪寒がこのまま進んではいけないと喚いていた。

 

何となくこの感覚に従うべきだと思って。

リリに一言告げると、迷宮の正規ルートを外れた。

 

モンスターを倒しながら、迷宮の中を進んで行く。リリが精力的に働いてくれているのもあって、楽々と11階層を探索できていた。

道を変えたのが良かったのか、あれから特に嫌な予感はしていない。

 

そうして11階層を歩いていると、冒険者のパーティとすれ違った。

普段なら気にも留めないが、しかし彼らから向けられた視線が僕に違和感を抱かせる。

 

粘ついた嫌な感じの視線。

 

――ふと脳裏に、子供を殺したと自白して嘲笑する男の姿が映った気がした。

 

立ちくらみを感じて頭を振る僕の袖を、青ざめた表情のリリが隣から引っ張った。

リリが僕に向けて小声で囁く。

 

「ベル様、あの人たちはリリを脅していたソーマファミリアの人たちです」

 

つまりあの冒険者たちは先日リリを罠に嵌めた連中であるそうだ。

 

「さっきこちらを見ていましたから、もしかしたらリリが生きていることがバレたかもしれません」

 

少しだけリリの声は震えていた。

リリを安心させるように、彼女の頭に手を置いて考える。

 

リリはフードをかぶって変身しているとはいえ、背格好はほぼ元のままだ。

連中がリリの変身について知っているなら、確かにバレた可能性はある。

 

けれど。

彼らはリリの方は見ていなかった。

むしろあの冒険者たちが粘ついた視線を送っていたのは、僕に向けてだった。

 

 

リリがモンスターから魔石を剥ぎ取っていくのを横目で見ながら、周囲を警戒する。

不安そうなリリを宥めた後、僕らはもう少しだけ探索を続けることにした。このモンスターたちの剥ぎ取りが終わったら地上へ帰る予定だ。

 

リリも今は機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、素早い手つきで魔石を集めている。

たぶん、今日集めた魔石の換金額を考えているからこんなに機嫌が良さそうなんだろう。

 

リリは少し現金だなと思って、僕の顔に苦笑が浮かんだ。

 

「ん?」

 

そのとき、恩恵によって強化された感覚器官が僅かな変化を捉える。

地面から微かに伝わってくる揺れ。徐々に大きくなっていくそれはひどく不吉だった。

 

「リリ――」

 

逃げよう、撤収の準備を、或いは何と続けようとしたのか。どちらにせよ僕の言葉は既に手遅れだった。

 

僕らがいるルームの入り口が吹き飛ぶ。

実際にはそう見えただけだが、そう表現するのが正しいと感じるくらい、それは突然で激しいものだった。

 

土煙を突っ切ってこちらに向かってくる数名の冒険者。

その背後に続くのは大量のモンスターたち。あまりにも強い勢いとその数によって、一瞬爆発かと錯覚したのだ。

 

その冒険者たちは、少し前にすれ違った冒険者たちであり、リリを嵌めたというソーマファミリアのメンバーだった。

彼らの顔には一様にニヤついた笑みが張り付いている。

 

それは怪物進呈。

迷宮で起こる最悪の人災であり、忌むべき行いでありながらも決して減らない悪魔の誘惑。

時に自らが助かるため、時に敵対者を消すため行われるそれに、多くの冒険者たちが命を落としてきた。

 

今度は、僕らがそれに巻き込まれようとしている。

 

魔石の剥ぎ取りをしていたのはルームの中央であり、出口は遥か後方。

逃げるのは、間に合わない。かといって、何らかの対応を取ることもできない。

僕らは為すすべなく、モンスターたちの波に取り込まれた。

 

 

「グゥッ!」

 

モンスターの一撃を食らって思わず呻く。

それでも痛みを堪えて反撃し、そのモンスターを倒した。

 

見渡す限りのモンスターの群れ。

どのような手段を用いたのか、僕らへ怪物進呈を行った冒険者たちは尋常ではない数のモンスターを集めていた。

僕らは全方位を完全に囲まれ、モンスターの群れに飲まれるのも時間の問題だった。

 

僕一人なら突っ込んで道を切り開くこともできる。

しかし、リリがいる以上彼女を無視することはできず、サポーターであり戦闘能力のないリリを守らなければならない。

 

だが、たった一人で全方位の敵からリリを守り続けるのは本来できるはずがない。

僕は無茶を重ねて、リリの周囲を動き回りながら、接触するモンスターを倒し続けるしかなかった。

 

いつもなら回避のために使われる僕の敏捷は、その全てをリリの周囲を駆け回るために使われ、回避ができない僕はモンスターの攻撃を受け続ける。

何度も攻撃を食らった身体は徐々に動きが鈍り、もはや攻撃の回避どころかリリを守るのも難しい。

 

それでも僕は戦っていた。無茶に無茶を重ねて、ペース配分なんて全く考えることもなく、ただ意地になって戦っていた。

 

僕がリリを守れなくなるか、それより先に僕の体力が尽きて諸共に死ぬか。

 

もうこの戦いの結末は、そのどちらかしかなかった。

 

「ねぇ、ベル様」

 

そんな時、背後のリリが声をかけてくる。

リリは先ほどまでボウガンを使って援護してくれていたが、今はもう全ての矢を使い切っている。

 

僕は聞こえていても返事をする余裕が無かったが、リリの声は続く。

 

「この怪物進呈は私のせいです」

 

声は少し震えていた。それでも、はっきりと僕へと響く。

 

――だから、ベル様。

 

「私を見捨ててください」

 

……一瞬意味が分からなかった。

リリを、みすてる?見捨てる。それは――。

 

――ノイズ。

下半身のないリリが地面へと倒れ、僕がそれを抱き上げている。

どうしようない絶望が胸を破いて、現実感が失われた悪夢のような光景。

 

それが、再び、起きる。

 

「できない!リリは僕の仲間なんだ!」

 

ほとんど反射的にそうリリへと叫び返していた。

リリを見捨てるなんてできない。そんなことをするくらいなら、死を選ぶ。

そう形のある思考が過ぎったのは、叫んだ後だった。

 

声を出したことでできた隙に、モンスターの攻撃が僕の身体を打つ。

 

「仲間を見捨てるなんて、僕にはできない!」

 

そのモンスターの首を刎ねて、僕は再び背後のリリへと叫んだ。

叫ぶことで体力が減ることよりも、攻撃を食らってダメージを受けることよりも、今は叫ぶことが重要だった。

 

だって。

 

「……そうですか。ねぇ、ベル様――」

 

「――最期にそう言ってくれて嬉しかったです。貴方の仲間になれてよかった」

 

背後を振り返る。

リリは僕の傍から一歩だけ離れていた。たった一歩。けれど、その一歩はひどく致命的なものだ。

僕と目が合ったリリは、悲しみと恐れが入り混じったような顔で――それでもどこか澄んだ笑みを浮かべていた。

 

ゆっくりとその唇が動いて――

 

「生きてください、ベル様」

 

次の瞬間、モンスターの集団から伸びた太い腕がリリを掴み、まるで人形でも連れ去るかのように、モンスターの波へと引きずり込んだ。

僕の視界から、リリの姿が消え去る。

 

悲鳴も、断末魔も、聞こえなかった。

 

……。

 

心は呆然としていても、身体は動く。

 

短剣を振るってモンスターと戦いながら、心がどうしようもなく沈んでいく。

なんで、どうして、そんな疑問と後悔ばかりが胸を占めて、狂おしいくらいに心が重く冷たかった。

助けたかったのに。

救いたかったのに。

 

なのに、できなかった。

行き場の無い感情が、魂を焦がすように胸を灼く。荒れ狂う感情は、行き場所を探すように八つ当たりの対象を求めて暴れ続ける。

 

 

――あぁ、いや。

 

――そうだ、八つ当たりではなく、確かに憎むべき敵がここにはいる。

 

視線を全ての元凶へと向ける。

僕らへモンスターの群れを擦り付けた冒険者たちは、ルームの出口を背に戦っていた。

時折僕の方をちらりと見て、口元を歪めて悪意のこもった笑みを浮かべながら。

 

よく見れば、彼らのうち一人が他の冒険者たちに守られながら口元を動かしていた。

 

魔法の詠唱。

高威力の魔法で、僕ごとモンスターの群れを殲滅するつもりなのだろう。

 

リリ曰く、彼らは常に金に飢えているらしい。

これだけのモンスターの群れだ。魔石も当然大量に手に入る。

加えて僕たちが持っている装備と集めた魔石もある。

 

彼らの後ろ暗い部分を知っているリリを消して、その上でお金を稼ぐこと。それが彼らの目的だったのだろうか。

 

唇を強く、強く噛み締める。痛みと共に口の中に血の味が広がった。

 

……そんなことのために僕らは襲われたのか。

 

……そんなことのためにリリは死んだのか。

 

そして今、リリがその身を(なげう)ってでも生かそうしてくれた僕自身の命もまた、彼らに奪われようとしている。

 

許せない。

許せるわけが無い。

彼らに報いを受けさせるべきだ。

たとえこの身を犠牲にしたとしても。

 

詠唱している冒険者を見やる。

覚悟は、決めた。

 

どうせこのままでは僕は助からない。

モンスターの攻撃を幾度も受けて動きが鈍り、動かすたびに痛みが走る身体ではこの状況から生還は難しい。

 

――ごめんね、リリ。

 

小さくリリに謝る。

そして、深く息を吸って――下から掬い上げるようなモンスターの攻撃に乗って、跳んだ。

 

自身の脚力とモンスターの攻撃の勢い。

それらを利用して高く舞い上がる。かなりの距離を稼いだが、まだ足りない。

ゆえに、モンスターの頭の上に着地して、そのまま軽業師のようにモンスターの頭を足場に駆ける。

 

不安定な足場。揺れる視界。

そんな中で、冒険者たちの驚愕の表情が映った。

 

殺意を込めて――咆哮。

 

「ファイアァァァボルトォォォォ!!!」

 

紅蓮の閃光が走った。

 

爆発による轟音が鳴り響く。

だが、それは僕の期待したものではなかった。

詠唱中の魔法使いを狙ったにも関わらず、爆発は一度だけ。詠唱を邪魔されれば、魔法は暴発するはずなのに。

それが無かったということはつまり――

 

煙が晴れる。

 

やはり冒険者たちは健在だった。

どうやら僕の魔法が当たる直前に、モンスターを盾にした冒険者が魔法使いを庇ったようだ。

灰まみれとなった冒険者が吹き飛ばされて地面に転がっているが、他は無傷。

庇った冒険者は灰を落としながら、立ち上がろうとしていた。

 

――だったら!

 

「ファイアボルト!!」

 

再び閃光が、僕の手から放たれる。

しかし、これも同じように防がれた。魔法使いの前に立って防いだ一人の冒険者が吹き飛ばされる。

 

無駄な足掻きと嘲笑うような魔法使いの顔が視界に映り――そのニヤついた顔のすぐ下、喉元に短剣が突き刺さった。

 

一瞬、驚愕の表情を浮かべ、しかしその表情も魔法の暴発によって生じた爆発に飲み込まれて見えなくなる。

爆発は周囲の冒険者たちをも飲み込み、彼らをモンスターの群れの中へと吹き飛ばし孤立させた。

 

それを見た僕は僅かの間気を抜いて……その刹那にモンスターに足首を掴まれて地面へと叩きつけられた。

ルーム内で幾つもの断末魔が上がる。それを意識を朦朧とさせながら聞き、それを最期に、僕はモンスターの大群へと飲み込まれて何も分からなくなった。

 

 

――時計の針が廻る。

 

 

「リリはリリルカ・アーデと言います。よろしくお願いします!」

 

――!?

 

サポーターの子の声が耳朶を叩く。

何かが手のひらから零れ落ちた気がした。激しい焦燥感が胸を灼く。

 

「冒険者様?」

 

気づけば彼女が不思議そうな顔をして僕を見上げていた。

 

「――ううん。何でもないよ。僕の名前はベル・クラネル。よろしくね、リリ」

 

何となく、わかった。

僕はこの子に手を差し伸べなければならない。

この子を救うこと、それが僕に課せられた試練だ。

 

くずおれそうな程の虚無感と奇妙な安堵の中、ノイズ混じりの思考が僕を急かしていた。

 

 

 

――拙い。非常に拙い状況に僕は陥っていた。

 

視線を地面に走らせながら、中央通りを駆ける。

 

どうやら僕は神様にもらったナイフを迷宮からの帰りに落としてしまったらしい。我ながらとんでもない失敗をしたと思う。

ナイフを落としたのはダンジョンからホームまでのどこかのはずだ。リリとダンジョンを探索した後、ホームに戻ってから気づいたので恐らく間違いない。

 

しかし、どれだけ探してもナイフは見つからない。もしかして誰かに拾われたんだろうか。

それならナイフはもう戻って来ない可能性が高い。オラリオの治安はお世辞にも良いとは言えない為だ。ヘファイストスファミリアの銘は鞘に刻まれているので、鞘が僕の手元にある以上は金目のものと思われない可能性も無くはないけれど。

結局、ホームからダンジョンまで走ってもその間にナイフは見つからなかった。

 

しょうがなくホームまでの帰り道をとぼとぼと歩く。神様になんて言えばいいんだろう。もらった大事な武器を一週間と経たずに無くしてしまうなんて、合わせる顔がない。

 

そんなとき、ふと視線をあげると狭い路地への入り口が見えた。

何となくその路地に既知感を感じて、その路地へと向かう。見覚えがある以上、もしかしたらその路地にナイフが落ちているかもしれないと思ってのことだ。

 

視線を下へと向けて、ナイフを探しながら曲がり角を曲がる。

 

その瞬間、前を良く見ていなかった僕は、小柄な人影とぶつかった。

僕はその影を咄嗟に受け止めると、そのまま顔を覗き込む。

 

どこかから突き飛ばされるように僕へとぶつかったその顔は最近毎日のように見ているものだった。

と言うか、リリだった。

 

だが、既知感の中に一つの違和感が混じる。

間違っているのが正しくて、正しいのが間違っている。

混乱しながらリリに声をかけて、そして、気づいた。

 

「大丈夫、リ――リ?」

 

ぶつかった拍子に外れたリリのフードの下。

そこに見慣れたはずの犬耳は、存在しなかった。

 

 

「……なるほど」

 

固まった僕らに対して、近づいてきた人影が呟くように声を投げかける。

 

「最近、手癖の悪い小人族の噂を聞きますが――」

 

"つまり"、と間に言葉を挟んで、人影は断罪するかのように言葉を続けた。

 

「――この短剣は、その噂の主である貴女がクラネルさんから盗んだ、ということですか」

 

足音を立てながら通りの奥から現れたのは、酒場の店員であるエルフのリューさん。

彼女は、その手に見せ付けるように、僕が神様から貰った短剣をぶら下げていた。

 

沈黙が落ちる。

どこかで、ああそうか、と納得しながらも、どうすればいいか途方に暮れた僕と。

顔を俯かせて、肩を震わせるリリ。

 

しばしの沈黙の後、リューさんが見かねたように僕へと言葉を投げかけた。

 

「クラネルさん。貴方はシルさんの大切な友人です。それゆえ忠告しますが――」

 

リリを冷たく一瞥して。

 

「――付き合いは選んだほうがよろしいかと」

 

一拍置いて、言葉の意味を理解する。

その理解した言葉に、思わず大声で反論しようとして――

 

  "貴方の仲間になれてよかった"

 

――ノイズ。悲しそうな笑みと共に魔物に飲まれていくリリの姿を、幻視した。

 

「……っ」

 

静かに、開きかけていた口を閉じる。

……言おうとしていた言葉は何だったのだろうか。

ふと、僕がその言葉を思い出すことはきっとないだろう、そんな思考が過ぎった。

 

リューさんは、口を閉ざしながらもリリを責めようとしない僕を見て、微かに目を細めたものの、しかし何も言わなかった。

そのまま短剣を僕に押し付けて去っていくリューさんの後姿を見ながら、ゆっくりと視線を下ろす。

そこには、まだ俯いて肩を震わせているリリの姿があった。

その肩に手を伸ばし、また何か声をかけようとして。

 

しかし、先ほどノイズと共に過ぎった思考が再び浮上して、僕は行き場を無くした手を下げた。

 

――本当に僕の仲間であることが、リリにとっていいことなのだろうか。

 

 

数日後。

僕とリリは、パーティーを組んでダンジョンに潜っていた。

 

「……」

 

会話は無い。

お互いに声を掛け合うことなく、ただ黙々とモンスターを倒し、ただ黙々と魔石を拾う。

 

地上に出て魔石を換金し、そのお金を分け合った。

その額は、前のように山分けではなく、8:2。僕が8でリリが2だ。

この分け方を言い出したのは、リリだった。

 

「それじゃあ、また」

 

「……はい」

 

僕は先日過ぎった思考からリリに声をかけるのを躊躇し。

リリもまた、僕を騙した罪悪感からか、僕に何かを話しかけることはなかった。

 

今日も、僕とリリは、何も話さなかった。

 

或いは、このまま現状を維持したならば何らかの変化で、時間と共に解決したかもしれない。

しかし、それは無意味な仮定でしかない。

 

 

とある日のこと。

その日、待ち合わせ場所に来たリリに、僕は違和感を覚えた。

 

「リリ?」

 

「……何でしょうか、冒険者様」

 

リリの目は、どこを見ているのかわからないくらい虚ろで、声には一切の感情が入っていない。

その様子に、思わず今までのことも忘れて声をかける。

 

「――今日はお休みにしようか?」

 

僕の言葉に反応して、リリの瞳がゆっくりとこちらへ向けられる。

その空っぽの瞳に、一瞬悪寒が背筋を走った。

 

「……いえ、大丈夫です。早く迷宮へ行きましょう、冒険者様」

 

しかし、すぐさまリリの視線は僕から逸らされ、そのままリリは先導するようにダンジョンの方へ歩き出した。

 

 

ダンジョンの中に入って、幾つもの階層を越えた頃。

僕は足を一歩踏み出すたびに膨れ上がる違和感と戦っていた。

 

ミノタウロスと戦ったときにも感じた悪寒、憎悪、加えて悲しみ。

それらが僕へと訴えかけてくる。ここで、誰かが死んだ、死ぬ、と。

 

だからだろうか。

徐々に大きくなる震動を感じ始めたとき、僕は即座にそれに反応した。

リリの腕を引っ張って、狭い通路を探す。ちょうど近いところにそれらしいものがあった。

その通路にリリを押し込んで、僕自身は通路の入り口近くに陣取る。

 

準備が終わったその瞬間。

 

――モンスターが、僕らが入った通路へと雪崩れ込んできた。

 

 

怒涛の勢いで通路へと駆け込んでくるモンスターを、殺す。

囲まれれば厄介どころではないだろうけど、進入路は一方向だけである以上、僕が一度に相手にするのはせいぜい5体がいいところだ。

問題はない――あの時と違って――と判断して作業的にモンスターたちを刈り取っていく。

 

どれくらいのモンスターを倒したのだろうか。

最後の一体を倒した時、周囲には屍の山が築かれていた。

 

モンスターから魔石を剥ぎ取ろうと前に出たリリを押し留めて、逆に背後に押しやる。

 

モンスターは倒した。

でも、この異常を引き起こした元凶が、きっといるだろう。

そう思って。

 

パチパチパチと場違いな拍手が辺りに響き渡る。

間抜けた音を鳴らしながら現れたのは、ニヤニヤと笑う数人の冒険者。

彼らこそが、今回の怪物進呈を引き起こした、元凶だ。

 

彼らを視界へ映した瞬間、僕の中から沸々と出所がわからない殺意が湧き出す。

 

「これを引き起こしたのは、あなた方ですね」

 

自分の口から出たとは思えないほど冷酷な声。

冷たく、酷薄に、研ぎ澄まされた殺意だけが、その声には乗っていた。

 

「そうだな、やったのは俺たちだ。最も、こんな簡単に乗り越えられるとは思っていなかったが」

 

リーダーなのだろうか。冒険者たちの中から、一人が進み出てきて答える。

策を潰されたにも関わらず、彼らはニヤついた顔を収めることはなかった。余裕――なのだろうか。

僕の殺意には間違いなく気づいているはずなのに。

 

「にしても動揺もなしとは、意外と悪意に慣れてるんだな。酒場で聞いた話からして、もっと純粋そうなやつを想像してたんだが」

 

思考を走らせている僅かな間に、再び男が口を開く。

酒場で聞いた情報? 聞き込みでもしたのだろうか。無名である僕の情報が酒場で聞けるとは思えないが。

 

感じた疑問を後回しに、思考を戻す。

 

「……余裕そうですね。貴方たちは見たところ全員レベル1だ。にも関わらずこの数を倒した僕と戦うつもりですか」

 

辺りに築かれた屍の山に視線をやってから、一拍おいて、聞く。

 

「――それとも、何か隠し玉でもあるんですか?」

 

一瞬の沈黙。

僅かの間を空けて、冒険者たちのニヤニヤとした笑みが、深まる。

声に出して笑っているものもいた。

 

「クハハハハ!敵にそれを聞くやつがあるかよ。まぁ、その図太さに免じて答えをやろう――もちろん、あるぞ」

 

彼らの隠し玉。なんだろうか。

何らかの魔法か、それとも強力な魔剣でも持っているのか。

 

「内容は自分で確かめるんだな。それじゃ――そろそろ始めるとするか。逃がすなよ、お前ら(・・・)

 

冒険者たちのリーダーがそう言った直後、彼らは剣を構えだす。

魔法を詠唱する気配は、ない。

 

警戒を緩めることなく、むしろ強くして、僕も短剣を構える。

どうしてか、これから初めて人間と戦うというのに動揺はなかった。

 

「どうして僕らを狙うのか知らないけれど――逃がすつもりがないのは、こちらの方だ」

 

声へとありったけの殺意を込めながら、足に力を溜める。

そして、開放の瞬間に、背後のリリへと逃げるように言おうとして。

 

――背中に鋭い痛みが走った。

 

「――っ!?」

 

――驚愕。

 

咄嗟に前へと体を倒して、背後の存在から逃れようとする。

自分でも出来すぎなくらい素早い反応だった。

 

けれど。

それよりも早く、二回目が来た。

 

背中を二度刃物か何かで突かれた。

そう理解できたのは、力が抜けて倒れ込んでからだった。

心臓付近を二度も刺されては、立っていられないのも当然か。

 

それでもどうにか、下手人の姿を確認しようと、もがきながら見上げるようにして背後を振り返る。

 

そこに見えた姿に、今度こそ僕の思考は、止まった。

 

 

――小柄な少女(リリ)が、血に染まったナイフを手に持っていた。

 

 

どうして、とか、なんで、とか。

そんな形ある言葉は一切浮かんでくれなかった。

止まったはずの思考は、ただぐちゃぐちゃに絡まって、言葉になる前のイメージだけがひたすらに氾濫する。

騙されたこと、かつて過ぎったイメージ(守れなかったこと)、そして――何も言えなかったこと。

それらのイメージに随分と昔に聞いたような、"しあわせになりたかった"という言葉が絡まる。

 

――あぁ、そうか。

 

荒れ狂う思考の中、その先に唯一浮かんだ意味ある言葉に、氾濫していた思考がピタリと止んだ。

静かに解けた思考が答えにたどり着いて、形あるものを紡いでいく。

 

――こうなるのも、当然、だよね。

 

だって。

 

――僕はリリを救えなかったんだから。

 

強い後悔が胸を打った。

それでも、最後に何かを伝えようとして、口内に溜まった血を吐き出す。

伝えるべきなのは、唯一つで。

恨み言でも、疑問でもなく。

 

「――ご、め、ん、ね、リリ」

 

――それだけ。

 

 

視界がどんどん霞む中、リリは僕の手にあった短剣を蹴飛ばし、身体を跨いで冒険者たちへと歩み寄る。

もはや碌に機能しなくなった聴覚がリリと彼らの会話を断片的に捕らえていた。

 

「――神酒――飲――って――何でも――――」

 

ほとんど聞き取れない会話が、何を意味しているのか考えるだけの思考力も既になく。

けれど、リリの言葉を聞いた彼らが全員で大笑いしたことだけは、それでもわかった。

 

ごろり、と何かが転がる音がして。

 

最後に何故か、リリの顔が見えた気がした――。

 

 

――時計の針が巻き戻る。

 

 

 

突然ふっと我に返ったような気がした。

一瞬自分が何処で何をしていたのかわからなくなる。何故かわからないけど、ひどく胸が痛くて、心がショックを受けて麻痺でもしたかのように錯覚した。

 

見慣れたホームの天井。

たぶん、僕はさっきまで寝ていたのだろう。神様も近くのソファで寝入っている。何か幸せそうに寝言を呟いているようだ。

 

「……はぁ」

 

何となく息をついた。

さっきまで眠っていたはずだったのに、どうしようもなく心が疲弊している気がする。何もかも投げ出したい気分だ。

 

気分を変えるために寝なおそうと一瞬だけ考えたが、全く眠気が差さない頭に、再び眠るのを諦める。

 

しょうがないから明日の予定を考えよう。

そう考えて具体的に何をするか考えようとして――僕の思考は、止まった。

 

――リリ。

 

ノイズ、ノイズ、ノイズ。

雑音で思考が荒れる。

途方に暮れた心がどうしようないと諦めを囁く。決して諦めないと吼える鼓動が、僕を衝き動かそうとする。

 

しばらくの間、荒れる思考に流れを任せて。

 

トロールと戦った時のことを思い出す。あのとき神様にもらった勇気のことも。それが僕を諦めから遠ざけて、荒れた思考が静かに収まっていく。

僕はどうしたいのか。僕はどうすべきなのか。

 

考えて、考えて、考えて。

そして僕は、幾つかのことを決めた。

 

少しだけすっきりとした思考に、僅かの満足感を得て、目を閉じる。

先ほどまで全く訪れる気配の無かった眠気が、ゆっくりと僕をくすぐった。

今なら、眠れる気がした。

 

 

朝起きて、一番にギルドを目指す。

そうして、僕を担当してくれている受付のエイナさんを見つけた。

いつものようにエイナさんと軽く話をして――そして、尋ねた。

 

「エイナさん、ソーマファミリアについて教えてもらえませんか?」

 

 

ギルドでの用事を済ませて、今度はオラリア郊外、都市を囲う外壁へと向かう。

そこで行われるのは、少し前から習慣となっているアイズさんとの鍛錬だ。

 

一通り模擬戦を終えて、合間に少し休憩を取っている間。

僕はここでもアイズさんへと問いかけた。

 

「アイズさん、トロールについて知らせてくれた小人族の女の子って、どんな子でした?」

 

返ってきた答えを吟味して。

僕は今度こそ決断した。

 

 

リューさんが、リリを冷たく一瞥する。

どこかで全く同じ景色を見たような――。そんな既視感とともに、僕はリューさんの続きの言葉を待った。

 

「――付き合いは選んだほうがよろしいかと」

 

リューさんの口から放たれた言葉はひどく冷たい響きを伴っていた。

その内容と声音の冷ややかさに思わず怯んでしまいそうになる。

 

微かに視線を落とせば、リリの後姿。

顔を俯かせて、肩を震わせるその姿は実際より更に小さく見えた。

 

 

その姿を見て、僕は。

 

リリを庇うように、前に一歩踏み出していた。

 

 

「忠告には感謝します。ですが、余計なお世話です。リリはかけがえの無い仲間だ。少なくとも僕は――」

 

一度言葉を区切って、リューさんと真っ直ぐに目を合わせる。

覗き込んだ翠の瞳が、言葉の続きを促している気がした。

 

「――リリを信じている」

 

「えっ……」

 

背後からリリの驚いたような声が聞こえた。

まるで、予想もしなかったことを言われたために思わず漏れてしまったような声が。

 

それを気に留めることなく、僕とリューさんは互いに視線をぶつかり合わせていた。

睨むのではなく、ただ訴えるようにリューさんと見詰め合う。リューさんの瞳もまた、リリを庇う僕を責めるようなものではなく、幾つもの感情が浮かんでは消える不思議な色合いをたたえていた。

 

 

果たして、先に視線を逸らしたのは、リューさんの方だった。

彼女は逸らした視線をそのままに、何かを言葉にしようとする。

 

「……私も、」

 

リューさんは一瞬だけ、口を開くのを躊躇った。

 

「私も数年前、大きな過ちを犯しました。きっとあのままなら、自分はどこかで野たれ死んでいたか……或いは堕ちるところまで堕ちていたでしょう」

 

”けれど”、とリューさんが言葉を区切った。

深く息を吸って続けられた言葉が、人寂れた夕暮れの路地裏に響いていく。

 

「――けれど、そんな私をミアさんは拾ってくれました」

 

リューさんの視線がふと遠くを見遣る。当時の光景を思い出しているのだろうか。微かに緩んだ口元と共に、そのエルフらしい美貌に懐古の色が満ちる。

言葉を切ったリューさんの視線が、再び僕らを捕らえた。

 

「ミアさんが拾ってくれたからこそ……私は救われた」

 

"だから"

 

 

「――その娘にとってのあなたが、私にとってのミアさんのようであれることを願っています」

 

 

言い終えたリューさんは少しだけ気恥ずかしそうに目を伏せた。

 

「すみません、何となく言わなければならない気がして……」

 

"でも、きっと蛇足でしたね"

リューさんはそう付け加えると、僕とリリに向けて柔らかく微笑んだ。それはふわりと花が咲くような、ひどく柔らかくて、暖かな笑顔。

 

彼女にどこか怜悧な印象を抱いていた僕の認識が、僅かの間に塗り変わる。

……彼女は自身が大きな過ちを犯したと言ったけれど、こんな笑顔を出来る彼女が悪人だと、僕にはとても思えなかった。

 

彼女はやがて笑顔の色を薄くすると、僕へと拾った短剣を差し出した。

それをゆっくりと受け取って――何かを訴えるような彼女の瞳に、力強く頷き返す。

 

それを見た彼女は再び静かに微笑して。

そして、それ以上は何も語ることなく、静かに元来た道を戻っていった。

 

 

残された僕とリリの間に、沈黙が落ちる。

僕は何を言うべきか迷っていて、リリはただ俯いていた。

 

けれど、先に口火を切ったのは僕ではなく、リリだった。

 

「……ベル様は」

 

リリが顔を上げて僕を見上げた。

その表情は、様々な感情が複雑に入り混じったもの。

 

「ベル様はどうして、わたしを庇ったんですか?」

 

「……さっきも言ったけど、リリのことを僕は仲間だと思ってるからだよ」

 

「そう、ですか……」

 

先にリリの方が口を開いてしまったことに、少しだけ苦笑して告げる。

その言葉にリリは全くと言っていいほど納得した様子を見せなかった。

再び俯いて相槌を打っただけ。

 

だから、言葉を続ける。

 

「それに、リリには大きな――本当に大きな借りもあるしね」

 

「借り……?」

 

リリが戸惑ったような声を上げて、顔を上げる。

 

「そうだよ。少し前であった怪物祭での借り。アイズさんに僕がトロールと戦ってることを知らせたのはリリだよね?」

 

「――っ」

 

そうして続いた僕の言葉に、リリは息を呑んで、目を見開いた。

 

「あのときリリがアイズさんに知らせたお陰で、僕は命が助かった」

 

本当はそれだけでなく、命よりも大事な誰か(かみさま)をこの子は助けようとしてくれた。

リリを一瞬でも疑ってしまった僕が言うことではないけど――この子には確かに誰かを想う心があるんだ。

 

――ノイズと共に知らないはずの景色が過ぎる。天を貫く巨大な光の柱と、それが発生した場所で倒れ伏したリリ。二つの光景が、リリがただ悪人なわけではないということを僕に訴えかけてくる。

酷くそれはおぼろげで、捕まえようとしても擦り抜けてしまうような記憶だけど。それは確かにいつかのどこかであった出来事なんだってわかってる。

きっと今この瞬間の思考もどこかへ消えていくんだろうけど、それでも今だけはわかってるんだ。

 

だから

 

 

「今度は僕にも、リリを助けさせて欲しい」

 

 

それだけが、僕の胸に刻まれた想いだった。

 

 

翌日の夕方。

 

「……♪」

 

リリが機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、僕を先導するように歩いていく。

何の憂いも無く楽しそうなその後ろ姿に、僕はそっと笑った。

 

「ベル様、ベル様。11階層は楽に踏破できましたし、明日からはもう少し下まで行ってみますか?」

 

それを聞きとがめたわけではないだろうが、リリは鼻歌を中断して振り向くと、笑顔で僕へと話しかける。

 

「うーん……12階層までは行ってもいいかもしれないけど、13階層からは中層で危険が大きいんじゃないかな」

 

リリの問いに対して、僕はそう答える。

また、続けて言った。

 

「早くお金を稼いで、ファミリアを脱退したいのはわかるけど、焦りは禁物だよ。死んだら元も子もないんだから」

 

昨日のリューさんとの件のあと、僕とリリは言い争いとそれに対するお互いの擁護――僕はリリを、リリは僕を擁護していた――を重ねた。

その後、なぜか泣き出したリリを宥めてから、もう一度話し合って。僕は泣き止んだリリと改めてパーティを組むことを決めた。

 

そして、僕へと打ち解けてくれたリリは、自分の事情を話してくれた。

すなわち、自らの所属するファミリアの異常性と彼女の目的であるファミリアの脱退。

その目的のために金銭が必要であることも。

 

「わかってますよ、ベル様。大体、危険なのはリリよりも戦っているベル様なんですから。むしろ、ベル様こそ無茶しちゃ駄目ですよ?」

 

リリの心配そうな言葉に、笑いながら了承を返す。

するとリリは、ジト目で疑うように僕を見つめてきた。……トロールの件があるからだろうか、僕のことを仲間として信じてくれているリリも、こういったことには懐疑的だった。

 

それからも会話を重ねて、終始朗らかに春の陽気のように暖かな空気が、僕とリリの間を漂う。

それは疑う余地もないくらいに、打ち解けたもので。

 

だから、僕はもう少し、もう少しだけこの空気に浸っていたかった。

 

ノイズと共に思い出す悪意が動き出すのはまだ先だと思っていたから。

 

悪意へと何を返すべきか。

何度考えても最後に辿りつくそれ(殺意)から目を逸らして、答えを先延ばしにしていたかった。

 

そして、そんな僕の思考を読んだのか。

胸元で一瞬、残酷に輝いた光に、僕は気づくことなく。

 

翌日。

ダンジョンに潜るために、待ち合わせ場所で待っていた僕の元に、リリは来なかった。

 

 

「……」

 

降りしきる雨の中。

今日もいつもの時間、いつもの待ち合わせ場所でリリを待つ。

 

昨日はいつまで待っても待ち合わせ場所に来ないリリを探すために、僕はオラリオ中を探し回った。

しかし、路地裏からダンジョンの中まで、心当たりの有る場所を片端から探したにも関わらず、リリは見つからなかった。

 

リリを待ちながらも強い焦燥感が僕の心を覆う。嫌な予感、背筋を走る悪寒が、どうしようもなく僕を駆り立てていた。

 

前髪を雨水が滴り落ちる。

どれくらい待っただろうか。暗く重苦しい曇天と土砂降りの雨が、正しい時間感覚を僕から奪い去っていた。

 

ただ、わかることもある。

きっと――このまま待っていても、リリは、来ない。

 

雨の中で冷え切って鈍く重たくなった身体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。

昨日と同じように、リリを探すために。

 

そうして、俯いていた顔を上げると、ふと少し先から一人の男が歩いてくるのが見えた。

雨具代わりだろうか、その男は分厚い黒のコートを着込んでフードを深く被っている。

 

強い雨のせいで全く人通りのない通りを、男は真っ直ぐに僕へと向かってくる。

まるで――僕が目的であるかのように。

 

果たして、その男は僕の目の前まで来ると、立ち止まった。

 

僅かに上げられた視線、フードの影から覗くその顔に、なぜか既視感を抱く。

それに思い至る前に。

 

男の口が裂けた三日月のように吊り上がる。

ひっそりとした不吉な笑み。その三日月が蠢いて、ゆっくりと悪意の糸を引いて、言葉が零れ落ちる。

 

「――ベル・クラネルだな?」

 

何故、それを――。

その言葉を僕が紡ぐより先に、男が続けた。

 

「アーデを探してるんだろぉ?」

 

「――っ!?」

 

予想外の言葉に息が詰まった。

跳ねる様に上げた視線の先に、男の悪意に歪んだ貌を見て――既視感。

そして、その既視感と共に心の何処か奥深くから、強烈な殺意が噴出した。

 

――殺せ、その男を、殺せ。

 

そう喚き散らすように押し寄せる感情をどうにか抑え込み、僕は口を開いた。

 

「――リリを、どうした?」

 

洩れたのはひどく低い声。自分でも驚くほどドスの効いた声だった。

 

僕の言葉に、男が微かに目を見開く。

そして、やはりニタニタとした笑みのまま言葉を紡いだ。

 

「察しがいいな。……ついてこい、会わせてやるよ」

 

 

土砂降りの雨の中、先導する男の背を追って歩く。

ただでさえ大雨のせいで少ない人通りが、その背を追うにつれ減っていき、やがて零になって。

 

オラリオの街外れ、長い歴史の中で廃れた街並みの只中で、男は足を止めた。

 

落書きされてあちこちが欠けてしまっている街壁と、その隙間から見える、風化して半ば朽ちた石造りの街並み。

それらを背負って、彼らは、いた。

 

見た目からして素行の良くない冒険者たち。

彼らのうち全員に貌には、ニヤニヤと下卑た笑みが一様に浮かんでいる。

一度も見たことが無いはずの彼らにはどうしてだろうか見覚えがあった。

 

先導した男が集団へと入って紛れる中、僕は先ほどとは比べ物にならないほどに溢れ出す殺意を抑えるのに必死だった。

 

恐らく、リーダー格であろう男が僕を見て、笑みを深めると共に口を開いた。

 

「よぉ、ベル・クラネル」

 

「……」

 

その言葉に僕は無言を貫いた。

会話など無駄だと、今にも彼らに襲い掛かろうとする自分を抑え込むために。

 

「……、つれないなァ、おい。ところでテメェは自分の立場がわかってんのか?」

 

そんなもの、最初からわかっている。

先ほどから周囲を見回しても、どこにも人質(リリ)の姿は無い。どうやらこの場にはいないようだ。

 

「……リリをどうした?」

 

出来る限り感情を凍らせた静かな声でリリについて聞く。

 

「……ふん、まぁ後で会わせてやるよ」

 

リーダー格の男は僕の問いに一度だけ鼻を鳴らすと、そう答えた。

なぜだろうか。その言葉に彼の背後にいる集団が、嘲笑うようにニヤニヤとした笑みを深めていた。

 

「にしても、お前も馬鹿だなぁ。あんな小人族の、クソの役にも立たないようなサポーターを人質に取られて、それでもノコノコと罠に嵌まりに来るんだからよぉ」

 

男が、小馬鹿にしたようにこちらを見遣る。

 

「リリは、僕の仲間だ」

 

彼女に対する侮辱は許さない。

そう、殺意と共に睨みつけることで、彼らへと告げる。

 

「へぇ、ところで知ってるか? あいつ、ガキの頃からずっとサポーターをやってるが……コソ泥と兼業でやってるんだぜ?」

 

「……」

 

そんなことは知っている。

リリがちゃんと話してくれたから。怖かっただろうに、それでも僕を信じて。

 

そして、彼女がそれを話してくれたよりももっと前から、彼女が悪人ではないと知っていた。彼女には誰かを想う心が在ると。ただ、辛い環境の中で隠れてしまっているだけで。

 

だからこそ、僕は彼女を助けたいと思ったんだから。

 

「……。なんだ、知ってんのか。知っててあいつとつるんでるとは――俺たちと同じ穴の狢ってわけだ」

 

動揺の欠片も見せない僕を見て、つまらなさそうに男が言った。

 

僕はそれに対して口を開こうとして、しかし、閉じた。

リリがこんな連中と同じなわけがない。そう言おうとしたが、どうせ彼らにはわからないと思ったのだ。

 

それにこれから口にすることを考えれば、僕が彼らよりの存在だと思わせた方が都合がいい。

 

「貴方たちの目的は、リリの口封じと僕らの持つ金銭でしょう?」

 

一度だけ唇を舐めて湿らせると、話の口火を切る。

 

「僕の主神はヘファイストス神と懇意にしています。主神が頼み込めばその子供に武器を作ってくれるほどに」

 

ナイフを鞘ごと抜いて前に突き出す。紫紺の輝きを放つ鍛冶神の紋章が良く見えるように。

目の前の彼らは、その輝きに息を呑んだ。

 

「リリを無事に帰してくれるのなら、これを差し上げましょう」

 

「少なくともあなた方の当初の目的よりはずっと巨額の金銭になるはずだ」

 

本当ならこんなやつらに、神様からの贈り物を渡したくなんて無い。

でも、リリの無事には代えられない。

 

それに。

神様から貰った一番の贈り物は、僕の胸の奥に宿っているから。

 

「――どうか、僕とリリを見逃してください」

 

全ての感情を押し込めて、僕は彼らに頭を下げた。

 

 

少しの間、沈黙が降りる。

僕は頭を下げて、それでも警戒は怠らずに、彼らから反応が返ってくるのを待った。

 

「ク」

 

まるで呼吸を漏らすようなその音は、土砂降りの雨の中でもよく響いた。

それを皮切りにして。

 

「クク、ハハ」

 

「ハーハッハッハ!」

 

全員が、まるで合唱でもするかのように、揃って大笑いをした。

10を越える人間の笑い声が、寂れた街並みに響いていた。

 

「……」

 

頭を上げて、笑い続ける彼らの方を見遣る。

先ほどまで蓋をしていた真っ黒の何かが胸の奥から零れだしてくる。

それでも、僕は待った。

 

「くくく、いや、悪いな。お前があんまりにもおかしなこと言うからよ」

 

やがて、笑い声は収まって、リーダ格の男が嘲笑うような笑みを浮かべたまま、話し始めた。

 

「ところでよ、お前、この人数を見てみろ。何人いる?」

 

僕は、彼らを見渡した。少なくとも10人以上はいるだろう。

 

「お前とアーデを襲って金を奪ったところで、この人数で分け合えば大した額にはならねぇ。端金だ。幾らアーデのやつが少しくらい溜め込んでいてもな」

 

そう言った男は僕の持つナイフを見て、"まぁ、お前のその武器には驚いたけどよ"と付け足した。

そして、続ける。

 

「お前、そんな端金のために、オラリオから追放されかねないような真似を俺らがやると思ってんのか?」

 

 

……確かに、言われて見ればそうだ。

明らかにリスクと得られる利益が釣り合っていない。

 

だが。

それならば、どうして――。

 

「どうして俺たちがお前とアーデを襲うのか、疑問だよなぁ?」

 

僕の思考を先取りするかのように、リーダーの男は言葉を発した。

ニヤニヤと、張り付いたような笑みで。

 

――ふと、違和感を感じた。

 

何故だろうか、先ほどから彼らはニヤニヤと笑ってはいても、そこから表情が一切動いていない。

何より、表情は笑みの形に歪んでいても、彼らの目は少しも笑っていなかった。ただ、ドロドロと粘ついたような黒いナニカがその瞳の奥で蠢いていただけだ。

 

「優しぃー先輩が、後輩のお前に教えてやるよ。アーデなんざ、どうでもいい。お前らを襲ったのはなぁ」

 

「お前を殺すためだよ、ベル・クラネル」

 

その言葉と共に、男から、彼らの表情から、笑みが消えた。

 

「それともこう言えばわかるか? ミノタウロス殺しのベル・クラネル」

 

 

思いも寄らぬ言葉に僕は目を見開く。

しかし、そんな僕の心境など意に介さず、リーダーの男は表情を消したまま、話を続けた。

 

「ある日のことだ。俺たちは冒険の終わりに酒場で打ち上げをしていた」

 

「そんときは潜る階層を更新した日でな、そこそこ奮発して騒いでたわけだ。美人のウェイトレス、美味い飯、高い酒。それはもう気持ちよく楽しんでた」

 

「それがよ、ふと耳を傾ければ胸糞悪い話が聞こえてくるじゃねぇか」

 

――それは。まさか。

 

「たった二週間迷宮に潜った新人がミノタウロスと渡り合ったってなぁ」

 

リーダーの男は思い出すように彷徨わせていた視線を僕に向けた。

それに対して、取り巻きの男たちは、不気味なほどに沈黙を保っていた。ただ、その瞳だけが異様なほど爛々として僕に向けられている。

 

「そう、お前のことだ、ベル・クラネル」

 

男は、僕に視線を向けたままはっきりと言い切った。

その言葉に、僕は自身の呼吸が微かに乱れるのを感じた。

 

「冒険者がミノタウロスと渡り合えるのは、普通はレベルが2に上がってから。つまり、冒険者になってから最低でも1年は経ってからだ」

 

"だが"、男は続ける。

 

「2、3年でレベルが上がる冒険者なんて一握りだ。ほとんどの連中はレベル1で足踏みする」

 

男は言葉を区切ると、何かを抑え込むように深呼吸をした。

それでも抑え切れなかったナニカが男の表情を歪め、それに飽き足らず、じわりと漏れ出していく。

 

それはリーダーの男だけでなく、他の取り巻きたちも同じだった。

 

「なぁ、お前。俺が冒険者を何年やってきたと思っている」

 

「6年だぞ。6年だ!その間ずっとレベル1だった!」

 

俺は5年だ、俺は8年だと声が続く。

僕が向ける冷たい殺意とは違う、煮えたぎるような憎悪が、粘つくような嫉妬が、この狭い空間をある種の異界へと変えていた。

 

「それに対して――お前は何だ?」

 

「冒険者を2週間やっただけで、ミノタウロスと渡り合っただと――ふざけんじゃ、ねぇ」

 

感情の激発を抑えるように、語尾が切れる。

 

「だったら」

 

 

「だったら俺たちは何なんだよ!」

 

 

かつて貼り付いていたニヤついた笑みは、彼らの激情を抑えるための仮面であり。

今となって全員の仮面が剥がれ落ちていた。負の感情によって極限まで醜く歪みきった鬼面が立ち並ぶ。

嫉妬と憎悪に狂った殺意が、僕に向けて殺到する。

 

「殺して、やる」

 

どうやら、僕は勘違いしていたらしい。

彼らの狙いはリリではなく。

 

――僕だった。

 

 

とっくの昔に腰へと戻していた神様のナイフに手をかける。

彼らは既に利害で動いてはいない。言葉を幾ら()ったところで、戦いを回避することは不可能だった。

 

――ただ、気がかりなのは。

 

そこで、リーダーの背後にいた男が、リーダーを肘で小突く。

その男は何故か明らかに彼らの装備にそぐわないずた袋を片手に提げていた。

 

どうしてだろうか。リーダーはそのずた袋を見て多少の冷静さを取り戻したようだった。

再び、その顔にニヤニヤとした笑みが蘇る。

 

「あぁ、そうだ。忘れてたぜ。お前、アーデを探してるんだったなぁ?」

 

悪意。悪意。悪意。

どうしようもないほどに、その言葉には邪悪が宿っていた。

 

「いやぁ、そのアーデなんだがな。本当はこっちに引き込んで、ダンジョンに潜ったお前を後ろから刺してもらう予定だったんだ」

 

「幸い、あいつを説得するための手段もあったしな」

 

そう言って、男は懐から手のひらに隠れるほどの瓶を取り出した。

調子を取り戻してニヤニヤと笑う男の笑みが、ひどく不吉だった。

 

「神酒っていってな、まぁ簡単に言えば人を洗脳する麻薬みたいなもんだ」

 

「神が造った分、その効果は折り紙つきだ。コイツを一滴だけ飲ませてやったんだが、それでもベル様ベル様うるさいもんだから――」

 

男は、やれやれと示すように、両手を広げ、肩をすくめた。

 

「――殺しちまったよ」

 

 

――……………………………………………………。

 

 

「いやー、でも実際すげーぜ?何せあの誰も信用しないアーデを、神酒を越えるレベルで惚れさせたんだからな」

 

「だからよ。アーデも喜ぶと思ってな。ほれ、サプライズだ」

 

……。

 

思考を止めた僕の足元に、ごろりとずた袋が投げられた。

 

それは、ちょうど人の頭くらいの大きさがあって。

もう予想できているけれど。それでも、そのずた袋を拾い上げる。その袋の中からは――

 

 

――リリの絶望に歪んだ顔がのぞいていた。

 

憎悪が、憤怒が、心の中で荒れ狂う。だが、頭の中は凪いだように静かで冷静だった。

 

形容できない感情で震える身体を押さえ込んで、転がったリリの頭を拾い上げる。

そして、それを、ゆっくりと、慈しむように抱きしめた。

 

――怖かったよね、苦しかったよね。よく神酒に耐えたと思う。頑張ったね。

 

そうやって抱きしめると。

リリの絶望に歪んだ顔が、少しだけ和らいだ気がした。

 

……。

リリの頭を丁寧に足元に置く。そうして、未だこちらをへらへらと笑いながら見遣る男たちへと、向き直った。

 

あぁ、仲間を失った時、あの男(・・・)もこんな気持ちだったのかもしれない。自分の思考に微かな疑問を感じるが、それもすぐに堰を切ったように溢れ出す殺意に押し流された。

 

短剣をゆっくりと持ち上げる。男たちに突きつけた短剣には赤黒いオーラが纏わりついていた。

 

笑っている男たちの声が止まり、彼らも剣を構える。

 

――そうだ、この男たちだけは必ず、必ず、必ず、――殺す。

 

どうにもならない邪悪に対する、氷のような殺意を込めて、男たちへと突貫した。

 

それから数日後。ソーマファミリアでも素行が悪かったメンバーの多くが殺害され、神ソーマが天界に帰ったとの報がオラリオを駆け巡った。

さらに数日後、ギルドから放たれた刺客に殺された白髪の少年の死体が路地裏に転がっていた。

 

 

――針が、廻る。

 

>>スキル取得

 

【無垢なる刃】

・切なる叫びあるいは無垢な祈りをトリガーに発動

・抱いた感情を理性で繋ぎとめる限り効果継続

・感情の大きさに従い、攻撃力に極大補正

 

 

 

 

ふと、我に返った。

目の前には不思議そうなリリの顔。

何故かその顔を見て涙が出そうになった。

 

「ベル様、どうかしました?」

 

リリの声を聞いて、さらに強くなる胸の痛み。

それでも、どうにかその痛みを振り払う。

 

そして、それが表情に出ていたのか、心配そうな上目遣いで僕を見つめるリリに向き直ると、安心させるように微笑んで見せた。

それを見たリリも、心配そうだった表情を緩める。

 

「えーと、ごめんね、リリ。何の話をしてたんだっけ?」

 

「もう、ベル様。大事な話なんですよ。リリの今後の身の振り方についてです」

 

ごく普通のやり取りが、どこか懐かしくて、ひどく嬉しかった。

……リリの今後について、か。

 

「そうだったね。うーん……」

 

そもそもどうしてそんな話になったのだったか。

確か、さっきまでリューさんが此処にいて、僕はリリを庇って、それからリリと和解して……。

 

それでリリの身の上話を一通り聞いた後、話の流れで今の状況になったんだっけ。

何で忘れていたんだろう。幾らなんでもぼんやりし過ぎだ。

 

真面目に考えようと、さっきまで聞いていたリリの身の上話を思い出す。

何をどうすれば、最善だろうか。胸元の時計を弄びながら考えると、僕の思い違いを咎めるかのように、時計が幾度か光を反射して瞬いた気がした。

 

しばらくそうするうちに、ふと思い当たることがあった。

 

「そういえば、リリはファミリアを脱退したいんだよね?」

 

リリへと問いかける。リリはソーマファミリアで手酷い扱いを受けていて、それで脱退したかったらしい。

そして、そのためにお金を貯めていたみたいだけど……。

 

「それで、脱退の条件がお金なの?」

 

「はい、そうです」

 

「あっ、でも……」

 

何か思い当たったことがあるようだが、リリは言葉にするのを僅かにためらった。

しかし、少しだけ間は空いたものの、続きを話し出す。

 

「最初脱退したいとソーマ様に言ったとき、ほんのちょっとだけ神酒が入ったコップを渡されたんです。それで、」

 

「"これを飲み干してなおそれを言えたなら、構わない"って言われたんですよね」

 

「私は神酒を飲むともう抗えなくなるとわかっていたので、お金を貯めるしかなかったんです」

 

「……なるほどね」

 

静かに瞳を閉じる。

それだけで、かつて聞いた悲痛な声が、どこまでも鮮明に僕を苛む。

 

 

”堕ちる所まで、堕ちて死ぬ、よりは――”

 

”――こうして、死ねた方が、良かったのかも、しれませんね”

 

”あぁ、しあわせに、なりたかった、な”

 

 

「……ふぅ」

 

深く沈んでいた水底から水面まで浮き上がるように、追憶へと浸していた意識を、現実まで戻す。

再び開いた視界に、リリの不思議そうな顔が映った。

 

――どうやら僕は思い違いをしていたらしい。

そうだ。僕の目的はリリの命を助けることではない。そんなのはそもそも前提に過ぎない。

今、はっきりとわかった。

 

――僕は、リリの命を守りたいのではなく。

 

――僕は、リリそのものを救いたいのだ。

 

必要なのは、堕ちていくリリを掬い上げることであって。

リリの敵を幾ら倒したところで、何の意味も無い。

 

強く握り締めた手の中で、我が意を得たとばかりに時計が輝くのと、同時に。

胸の中を強い確信が走った。

 

 

それからも話は続いたものの、リリの今後についてはっきりとしたことは決まらなかった。

その後、宿屋へと帰ろうとするリリを引きずって、ヘスティアファミリアのホームへと帰る。リリには他の冒険者に狙われているかもしれないからと言って、何とか説得した。

ホームに戻ってからは、多少神様がうるさかったものの、事情を話すとそのまま不貞寝した。

 

なんだかんだでリリに出て行くように言わないのは、神様らしいと思う。

 

 

それから、翌日。

僕はソーマファミリアの屋敷の前に来ていた。

 

ノックと共に、その扉を開く。

ファミリアの屋敷の中には誰もおらず、ただがらんとした空虚な空間が広がっていた。

 

目指すのはその奥。

屋敷の地下で作業をする、この屋敷の主神のみ。

 

 

そして、半ば強引に一階のソファまで連れてきた神ソーマは、その子供であるリリの名前を覚えてすらいないようだった。

 

憤りと遣る瀬無さを胸に隠して、僕は始めから事情を説明した。

しかし、神ソーマは話をしている間、全くこちらを見ることなく、僅かも顔色を変えなかった。

 

恐らく彼は、僕たち地上の人間に何の興味もないのだろう。

彼が興味があるのは、酒造りのみで。必要なのは、それを支える金銭だけ。

 

聞いていた通りの事情。

だからこそ、僕は彼に一つの賭けを挑んだ。

 

果たして神ソーマの答えは……是、だった。

 

 

賭けたのは、僕の腰に輝くヘファイストス様が手がけた短剣。

勝利の報酬は、リリのファミリアからの脱退。

 

そして、賭けの内容は。

 

今、僕の目の前に置かれた、コップ一杯の神酒を飲み干して、もう一度勝利の報酬を要求すること。

 

 

神ソーマは、勝つと決まった賭けをするようにつまらなそうに、このコップと神酒を用意すると、言った。

 

この神酒は自分が地上で作った最高傑作だ、レベル1の人間に耐えられるはずが無い、と。

そして、"今ならば無礼を忘れてやるから、その短剣を置いて去れ"とも。

 

それでも、僕は決して退くわけにはいかなかった。

 

 

だから僕は。

静かに、目の前のコップを掴むと、祈るように顔の前に持ち上げて。

それから、一息に飲み干した。

 

 

*********

 

 

それを飲んだ瞬間、あまりにも強い感動が胸を塗り潰す。

感動が氾濫して胸の中で荒れ狂っていた。ちっぽけな僕を侵略して染め上げようとしている。あらゆる感情を駆逐して、"僕"を押し流していく。

 

渾身の気力を込めて、残った感情をかき集め、リリのことを思い出す。笑った顔、怒った顔、泣きそうな顔。

 

感動以外の僕の全てを一箇所に集めて、それらを腹の奥で固める。ミノタウロスやトロールとの戦いの中で、幾度となく感じた後悔や無力感や絶望の残滓が、僕の心を強くして芯を固めていくのを感じる。

だがそれだけのことをしても決して神酒を凌駕することはできない。ひたすらに強力な"酔い"が全身を支配していく。このままでは、遠からず僕は神酒に囚われてしまうだろう。

 

それでも、抗い続ける。

絶対に逃げない。迷いもしない。

 

少し前には逃げたことも迷ったこともあったけれど。

その覚えていない過去の中で、僕は後悔したはずだ。どうしようもなく後悔して、自分を責めた。

だからもうしない。

 

リリを助けると決めたんだ。

 

でも、そう決めたのに。

感動に思考が染まっていく。確かにあった決意が漂白されて、自分を構成する全てが少しずつ真っ白になっていく。

 

そんな中で、僕は無意識のうちに胸の時計を強く握り締めていた。

既に覚悟は決まっている。ならば、どうすればいいのかもわかっているはずだ。

 

そうして僕は。

何かを拾い上げるように、自らの奥深くへと心の手を伸ばした。

 

 

――諦めの滲んだ笑み。零れるように紡がれた"幸せになりたかった"という言葉。

 

――僕の背後で守られていた彼女が自ら離れていく。"嬉しかったです、ベル様"と残して、モンスターに飲まれるその姿。

 

――最後に見えたのは、首だけになって絶望に歪んだその顔が、僕の腕の中で、少しだけ和らぐ光景だった。

 

 

…………あぁ。

 

――ふざけるな。たかが酒程度に、この光景が塗り潰せるものかよ。

 

 

僕を塗り潰そうとした感動が覆る。

 

胸の奥深くから溢れ出した激情が、感動を押し流して拮抗する。

 

悲哀、悲哀、絶望。時に裏切られたことへの疑念と悲哀が。時に邪悪への憤怒と憎悪が。遂げられなかった想いが濁流の如く押し寄せてくる。

 

――けれど。

 

それら全ての感情は僕の心にぽっかりと空いた穴にただ吸い込まれていく。

その穴の名前は虚無感、あるいは喪失感と呼ばれるもの。仲間を幾度も失って、重ね続けた想いが生んだ穴。

どうしようもなく胸をかきむしりたくなるような哀しみと切なさが、胸を貫いて穴を穿っていく。

 

全ての感情が吸い込まれた後。

最後に残ったのは、どうしようもない遣る瀬無さだけだった。

 

――こんなもののために、リリは苦しまなければならなかったのか。

 

 

最悪の後味と共に、神酒を飲み干した。

そして神酒が入っていた杯を叩きつけるようにテーブルに置くと、神ソーマへと深く頭を下げて、言った。

 

「リリを脱退させてください。お願いします」

 

飲み干す瞬間、僕の方を見ることすらしていなかった彼は、その言葉に怪訝な顔をした。

 

「……確かにコップは空だが、本当に飲んだのか?」

 

疑うような視線に対して言い切る。

 

「確かに飲みました」

 

神は人の子の嘘を見抜く。

だからだろうか、その言葉が真実だとわかった彼は、絶句していた。

 

「馬鹿な、俺の作った最高傑作だ。レベル1が克服できるようなものじゃない」

 

最高傑作。確かに凄まじいお酒だった。神の名を冠するだけあって、心を塗りつぶされかねないほど美味しかった。

恐らく普通なら、その味に感動して押しつぶされてしまうのだろう。

 

――でも。

 

「――僕のリリを助けたいという想いは、この感動程度で押し流せるようなものじゃない」

 

神ソーマはしばしの間、僕の心を見透かそうとするかのように、僕の目を見たまま黙り込んだ。

どれほどの間そうしていただろうか。2分か、3分か、5分は無いくらいの時間だったはずだが、僕には1時間にも2時間にも感じた。

 

神ソーマは僕から目線を外して、ため息をついた。

 

「わかった。リリルカ・アーデの脱退を認めよう」

 

あまりにもあっさりと彼は言い、恐らく脱退に関するであろう書類を持ってくると、サインして僕に手渡した。

そして書類を受け取った僕を見ながら、彼はゆっくりと迷うように口を開く。

 

「……君の名前を聞いても良いか?」

 

彼の疑問に僕は自分の名前をそっけなく答えた。

 

「では、ベル・クラネル。……俺のファミリアに入ってくれないか?」

 

突然の勧誘に思わず面食らう。だが、すぐに我に返って首を横に振った。

 

「そうか、まぁそうだろうな」

 

僕の返答に対して、諦めるようにため息をつく神ソーマ。

その彼の姿に、沸々と湧き上がるような感覚が腹の底に生まれる。

これは……怒り、というよりも苛立ち、だろうか。

 

その、僕へと訴えかけるような感覚を、神ソーマへと伝えるために口を開いた。

 

「ファミリアに誘うということは、このお酒に耐えた僕を認めたということですよね?」

 

「ならば、心に刻んでください。そんな僕が心底仲間にしたいと思う眷属があなたの下にいたのだと」

 

いつかのどこかで耳に届いた言葉が過ぎる。神酒を飲まされてもそれでも抗った誰か(リリ)

思い出すと同時に、はらわたが煮えたぎるかのような黒い感情が生まれる。しかし、それでもその言葉はその誰か(リリ)の輝きを示す言葉だった。

 

「そして、心に刻んだなら自らの眷属にちゃんと目を配ってあげてください。きっと中には僕の仲間に負けないくらい輝きを放つ子供がいるはずです」

 

「何より――認めてください。曇っていたのは眷属の心ではなく、あなたの瞳なんだと」

 

その言葉を最後に、僕は神ソーマに頭を下げると彼のホームを去った。

 

――それから数日後。

ソーマファミリアの中でも素行の悪いメンバーが全員、オラリオから追放されたと噂が流れた。同時にソーマファミリアの素行が段々良くなってきている、とも。

そして、神々が二つ名を決める次の神会に、今まで一度も姿を見せなかった神ソーマの姿があった。

 

 

*******

 

 

「ベル様ー!」

 

ギルドの前で待ち合わせしていたリリが、僕を見つけて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っていた。

僕はその姿に苦笑しながら、紙を見せびらかすように握って手を振った。

 

「はい、リリ」

 

近くまで走り寄ってきたリリに握った紙を手渡す。

リリは不思議そうな顔で首をかしげた後、ゆっくりとその紙を上から下まで眺め――そして固まった。

 

少しの間のあと、ギギギと音が聞こえてきそうなほど、やたらとぎこちない動きでこちらを見遣るリリ。

その姿がなんだか面白くて、僕は吹き出した。

 

それから――もちろん怒られた。

 

 

ひと悶着をはさんで。

今となってはそれも一段落し、ギルドで手続きを終えて――その結果は、脱退のサインに押されたギルドの判が示していた。

ギルドからの帰り道を歩く僕とリリの間を、軽やかな笑い声と共に会話が交わされていく。

 

――そういえば、リリはこれからどうする?サポーターは続けるの?

 

――はい!もちろん続けますよ。リリがいないとベル様は無茶ばかりするんですから!

――……それで、なんですけど。ベル様のファミリアにリリを入れて貰えませんか?

 

――どうだろう?神様に聞いてみないとわからないけど、帰ったら聞いてみようかな。

 

――まぁ、いざとなれば私にはファミリア脱退のためのお金があります。

――これはもう使い道がありませんし、ヘスティアファミリアの共有資産にしちゃいましょう。

――それなら、ヘスティア様も快く受け入れてくれるでしょうし。

 

――リリ、それは駄目だよ。だってそれはリリが僕らのファミリアに入る前に貯めてたお金でしょ?

――なら、そのお金はリリのものだよ。神様の説得は僕ががんばるさ。

 

――リリは今まで脱退のためにお金を貯めることばかりだったって言ってたね。でも、今君は自由になった。だから今まで我慢してたことを好きにやっていいんだよ。

――そういう自分の楽しみのためにお金を使わないと。じゃないとリリが報われないじゃないか。

――ほら、何かやりたいこととかないの?

 

――やりたいこと……。

――うん、ベル様、今度どこかに遊びにいきましょう。

 

――へっ?

 

――リリはベル様と一緒に時間を過ごせればそれが一番嬉しいです。私はそれで十分なんです。

 

――リリは無欲だね……。

 

――そんなことありませんよ。

――ベル様と一緒に過ごせるなんて、リリにとっては、とっても、とっーーても贅沢です。

 

――……それと、ベル様。私はもうこれまでの分は十分過ぎるほど報われています。

――だって、――ベル様が私を救ってくれましたから。

 

 

そう言ってリリは幸せそうに、お日様のような笑みを浮かべた。

 

 

その幸せそうな笑みが、いつか見た諦観を含んだ笑みに重なって、上書きしていく。

どこかで聞いた"しあわせになりたかった"という言葉さえ、僕の中から霞んで薄れていく。

 

かつて胸を過ぎった切なさと心を引き裂くような哀しみは、もう、どこにも感じられなかった。

 

それがまるで、大事な何かが無かったことになってしまったみたいに、少しだけ寂しくて哀しい。

 

――でも。

 

「……ねぇ、リリは今、幸せ?」

 

僕の言葉にリリが一瞬きょとんとした表情を見せる。

けれど、次の瞬間には、リリの顔が柔らかく微笑む。そして明るく朗らかな声で、大きく答えた。

 

リリの口が動くのが見えて、僕の耳がその音をとらえる。

 

「……そっか」

 

静かにその言葉の尊さを噛み締める。ようやく何もかもが終わった気がして、胸中に安堵がこみ上げてきた。

 

――たとえ、この子が何も覚えていなくても。

――たとえ、僕が全て忘れてしまっていても。

 

今、この子が幸せなら、きっと報われるはずだ。

 

これで、良かったんだよね?

胸の深くに問いかける僕の言葉に、何かが満足気に笑って、すぅっと溶けるように僕の中へ消えていくのだった。

 

 

 

*****

 

 

ホームに帰ってからのこと。

 

神様へのリリの加入のお願いはすんなりと通った。

いや、神様としては警戒して新しい眷属の加入に物凄く慎重になっていたのだが、リリの一言ですごく微妙な表情になって、そのままリリの勢いに押されて受け入れてしまったのだ。

 

ちなみにその一言とは"ベル様の為なら死ねます"というもの。まぁ、リリは微笑みながら言ったわけだし、ちょっと大げさに冗談を言っただけだと思う。リリに冗談のセンスはないのかもしれない。きっと神様が変な表情になったのもそれが理由だ。

 

リリの加入を受け入れてくれたのも、たぶんその熱意をわかってくれたからじゃないだろうか。何せ、神には人の嘘がわかるらしいしーー

 

「ちょっと、ベルくん、聞いてるのかい!?」

 

そうして、つらつらと綴られる僕の思考を、神様の大声が遮った。

 

「さて、ベルくん。今度は一体どんな無茶をしてきたんだい?」

 

神様が正座した僕の前で仁王立ちして、そう問いかけた。その表情はとてもにこやかなのに目が全く笑っていない。

 

こうなった理由は僕にもわからない。

ただ、ホームに帰ってきてステイタスの更新をしてもらったら、しばらく神様が固まって、そのあと僕に正座するよう申し付けたのだ。

 

ちなみに、神様にファミリアに入れてもらえるように頼みに来たリリは、一瞬戸惑ったような表情をしたあと、神妙な顔で僕の横にちょこんと正座した。仕草が見た目相応で、とても可愛らしい。それと、正座するように言われたのは僕だけなのでリリは正座しなくていいと思う。

 

「ちょっと、聞いてるのかい、ベルくん!」

 

再び思考を邪魔された僕は、神様に胡乱げな視線を向けた。

ところで、まだ正座させられた理由を聞いていない。

 

ステイタスの更新後、なぜか無茶をしたと決め付けられているだけだ。

僕が神様に胡乱な視線を向けるのも、さもありなん。

 

対して、そんな僕に向けて、神様は処置なしとでも言うようにため息をついた。

 

「……はぁ。もうベル君のステイタスには驚くまいと思ってたけどね、これは無理だ」

 

そう言って見せられたのは、ステイタスの紙。

なんだか前に見たものと比べてやたら伸びている気がする。

 

そして、一番下には乱雑に書いたと一目でわかる、大きな文字が綴られていた。

すなわち、"ランクアップ可能"と。

 

「で、この原因に心当たりはあるかい」

 

そう問いかける神様に、僕は思考を沈める。

前回ステータスを更新したのは昨日の夜だ。つまり、レベルアップしたのは今日ということになる。

 

僅かの間、目を瞑って今日あったことを思い出す。神の名を冠する酒と、その時に過ぎったはずの、今となっては思い出すこともできない強く激しい感情。それらが閃光のように、一瞬で思考の中に閃く。

 

「そうですね――」

 

どう言うか少し考えたあと。

結局僕はその日の出来事を適当で投げやりな一言にまとめた。

 

「――ものすっごく後味が悪いお酒を飲みました」

 

その一言を聞いて真面目に話すよう怒り出す神様と、目を丸くしたあとキラキラとした尊敬の眼差しで僕を見つめてくるリリ。

その二人を尻目に、僕は少しだけ騒がしくなって戻ってきた日常を感じて、ひっそりと笑みを浮かべた。

 

******

 

ベル・クラネル

 Lv.1 (ランクアップ可能)

 力 :SS 1082

 耐久:SSS 1199

 器用:SSS 1121

 敏捷:SSS 1199

 魔力:SS 1025

 

《魔法》

【ファイアボルト】

・速攻魔法

 

【 】

 

《スキル》

【因果収束】

・因果を集める

・基準線を基準に回避した因果に応じた報いを受ける

 

【死ニ臨ム者】

・死を感じると発動

・発動する度に永続的にステイタスが向上

 

【死線超越】

・絶望に挑む覚悟を持つとき発動

・発動すると失った感情を払い戻される

・払い戻される感情の大きさに応じて一時的にステイタスが向上する

 

【無垢なる刃】

・切なる叫びあるいは無垢な祈りをトリガーに発動

・抱いた感情を理性で繋ぎとめる限り効果継続

・感情の大きさに従い、攻撃力に極大補正




ソーマを飲んでレベルアップ。
ソーマは神酒。はっきりわかんだね。

たぶん神の方のソーマは神会で神酒を持ってきて、ベルに良い二つ名をつけたやつには報酬として与えるとか言うはず。そしてロキがすっごいはりきる。
今回で信者(リリ)とファン(ソーマ)を得たベル君でした。

それと今回の話を書くのにめちゃくちゃ苦戦したのはある意味当然なんですよね。何せ原作では小説一冊分の話を短編一話に纏めてるんですから。なので大分はしょってるのは許して。

この小説を書いたきっかけはRe:callだけど、テーマに合うのはget the regret overだと思う。こっちもめっちゃ好き。

>>スキル無垢なる刃の取得をループ後のところに書き加えました。
一応最後のステイタスに入ってましたけど、自分でも気づかないだろうなぁと思ったので。
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