沖縄で生きるジレンマ 「誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて」

<イチオシ詩歌>『KOZA』以外に選びようがない

玉城デニー沖縄県知事が参加した大規模集会(大竹直樹撮影)
玉城デニー沖縄県知事が参加した大規模集会(大竹直樹撮影)

今月はこの一冊以外に選びようがない。『KOZA』(ながらみ書房・2750円)だ。著者の屋良健一郎さんは昭和58年、沖縄市の生まれ。東京大大学院を経て、現在は沖縄県名護市にある名桜大で日本史や琉球史などを講じている。

第1歌集である本書に収められているのは、屋良さんが21歳から32歳にかけて詠んだ380首。タイトルの「KOZA」とは、言うまでもなく極東最大のアメリカ空軍基地があるコザ市(現沖縄市)のことだ。

《誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて》

人は誰も自分が生きる時代の支配的な価値観に左右される。自分もそうだ。そんなジレンマから生じる精神の軋(きし)みが聞こえてくる。

《スタバにて辺野古の話題にふとなりぬ畿外を語る貴族のごとく》

おそらく学生時代の経験だろう。故郷を語るとき、当事者性や被害者性から距離をおこうとする自分。複雑に屈折した心のありようがにじむ。

だからといって祖父や父の世代の人々が体験によって醸成した本土やアメリカに対する複雑な感情をないがしろにするわけではない。むしろ大切に思いながらも、屋良さんは自分の感受性を頼りに歌を詠んでいく。

歌集『KOZA』
歌集『KOZA』

《KOZAの街に上がる暴徒の焔見ゆ復帰前後を語る目の奥》

沖縄がまだアメリカの施政下にあった昭和45年、コザでは米軍の車両や施設に対する焼き打ち事件が起こった。そのことを父が語ったに違いない。しかし自分に誠実であろうとして、騒乱を起こしたコザの人々をあえて「暴徒」と表現する。詠み手の心の痛みが伝わる。

《暴動を騒動と言い換える父 われをぶつことすらなくなりて》

子供だった屋良さんに手を上げてまで自分の見方や考え方を押し付けようとした父もすっかり老いてしまった。

沖縄の声は被害者性を帯びた声になりがちだ。それに対して屋良さんはこんな歌をそっと差し出す。

《侵略者の裔として読む八重山を奄美を討てと詠うおもろを》

琉球王国も侵略者の顔を持っていた。「おもろ」とは沖縄に伝わる古謡のことだ。本書に添付されているしおりの中で、歌人の吉川宏志さんは「つねに賛成か反対かを迫られる沖縄の中で、屋良はあえて宙吊りの立場に身を置こうとするのだ」と評している。宙吊り状態ほど苦しいことはない。しかし沖縄を愛するがゆえ、自分に誠実であろうとするがゆえ、その痛みを引き受けようとする。その覚悟が歌にエネルギーと翳(かげ)りと深みを付与している。

忘れてはならないのが、恋の歌だ。とても純粋ですてきだ。

《ぬばたまの黒髪に降る花びらをとらんと君に初めてふれつ》

《二十七センチと二十四センチを雪に刻んで行くローソンへ》

《観覧車の中でのはずが帰り際路上で好きと言ってしまった》

いずれも解説は不要だろう。こうした素直で初々しい歌は、読む者を恋をしていた過去へと連れ戻す。胸が痛くなる。関係が深まったことをうかがわせる次の2首もよい。

《僕のあげたネックレスが揺れている君の怒りの最前線で》

《湯上りの女(ひと)はこけしの顔をして安納芋の皮をむきおり》

技巧に走ろうとしない率直さと誠実さが屋良さんの最大の魅力だ。上滑りすることがない。それはもちろん沖縄を詠んだ歌にも共通する。

(桑原聡)

=次回は4月13日掲載予定

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