「2代目じゃけえ、ダメなんよ」
事業で上げた収益を、地元への貢献に充てる。久保氏がこう考え始めたのは、'98年にサッカーJ1・サンフレッチェ広島の社長に就任したことがきっかけだったという。
「サッカーを通じては本当にいろいろなことがありました。'02年にJ2降格が決まったときは若いサポーターから『2代目じゃけえ、ダメなんよ』と、触れられたくない痛いところを突かれたことも。翌年にJ1復帰が決定したら、そのサポーターから『2代目、言うて悪かった』と頭を下げられ、一生懸命やってよかったなと心から思いましたよ。
その頃からですね、私の地元への貢献の行き着く先が、スタジアム建設だと強く意識するようになったのは。私は広島の新しいシンボルとして、スタジアムを街の中心部に作ろうと決めたのです」
ところが、当初は反対意見の大合唱だったという。野球ならともかく、サッカースタジアムは費用対効果が悪い。カネがかかりすぎる。
だが、サンフレッチェが'12年、'13年とリーグ連覇を果たすと、地元の雰囲気が徐々に変わり始めたという。
「ところが、松井一實・広島市長がスタジアム建設に向けていい返事をくれない。そんななか、当時のサンフレッチェ広島の社長が市長選に立候補したいと相談にきました。職を辞して戦う彼を応援しましたが、結果は大負けでした。当然、スタジアム建設の機運は一気に冷え込みます。どうすればいいか考える日々が続きました。
'15年にサンフレッチェが3度目の優勝を果たし、再び盛り上がると、翌年、市長がようやく街中スタジアム構想に賛同を示してくれたのです。その後、広島財界の集まりで『カネも出すが、口も出す』と啖呵を切ってしまい、個人的にもおカネを出すことになってしまった。いくらかって? 個人で2億円、会社からは30億円を出しました」
後編記事『「資産運用に興味がない」…それなのにスクエニ名誉会長が資産を日本円から外貨に替えた「驚きの理由」』へ続く
「週刊現代」2025年3月15・22日合併号より