ベル・クラネルはどうしたものかと悩んでいた。
記憶の中の女性と再会できて、しかもそれが思っていた通り母だったことはすごく嬉しかった。
優しく抱きしめられたときは、涙がとまらず流れ続けた。
しかし、さすがに10分、20分と経つにつれて、高ぶった感情も収まり涙も引っ込んでくる。
それでもベルの母は、ベルのことを抱きしめ続けた。まるで手放したら消えてしまうかのように、頑なに背中に回した腕をほどかなかった。
「あ、あのー。そろそろ放してくれても……」
そう声を掛けるが、母は聞こえているのいないのか、むしろ抱きしめる手に力を入れ始めた。
(……困った。こういう時どうすれば)
心の中の家族や友達に助けを求める。
『諦めたら?』
(ボタお姉ちゃん薄情過ぎる!)
『母ちゃんに甘えられるときは、うんと甘えてもいいんだぜ!』
(そうだけど、そうだけどペパー! でもね、限度ってものがあると思うよ、僕は!)
『よし、そんな時はバトルだね!』
(ネモは黙ってて)
ダメだ、クソの役にも立つ気配がない。
ベルが絶望しかけると、頼りになるときは頼りになる父の特徴的な笑い声が頭の中に響いた。
『ダッハッハッ! そんならこっちも思いっきり抱きしめてやれ、ベル坊! そうすりゃオマエの母ちゃんも満足するだろ!』
(こっちも抱きしめる? ……うん、このままじゃ埒が明かないし、いい案かもしれない。ありがとう、お父さん!)
心の中の父に感謝し、ベルは目の前の母をぎゅっと抱きしめてみた。その瞬間、まるで電撃が走ったかのように、彼女の身体が一瞬痙攣した。
予想外の反応にぎょっとしたベルだが、ゆるゆると抱きしめる力が弱まっていき、ようやく解放される。
「お母さん、大丈夫?」
ベルが声を掛けるも反応がない。ただ、その顔はとても幸せそうに緩んでいた。
ヘラやその眷属たちが見たら爆笑間違いなしというくらい、それはそれはもう、とろけるくらい幸せそうな笑顔だった。
(こうして実際に見ると、本当に奇麗な人だなあ。それに、結構な年数が経っているはずのに、全然記憶と変わってないや)
母の笑顔をまじまじと見つめ、ベルはその美しさに感嘆する。
いくら母とはいえ、長年会っていないことを考えれば赤面一つでもしそうなものだが、姉が二人もいて、女友達も多いベルはこの程度で動じる神経を持ち合わせていなかった。
この辺りは育ての父の図太さを継いでいるのかもしれない。
「お母さんもなんだか嬉しそうだし、もう少しこのままでもいいかな」
そう一人ごちるベルであったが、無粋な乱入者がやってきた。
「…………どこで道草食ってるかと思ったら。なにやってんだ、アルフィア?」
顔に深い傷跡を持つ立派な体格をした大男が、目の前の状況が信じられないといわんばかりに目を見開いていた。
「まさかお前、あんまりにもベルのことを夢見てるから、現実と区別がつかなくなって、似た男の子で代償行為を?」
食事の時間になっても来ないので探しに来てみれば、まさかの
「さすがに引くわ」
その言葉に母の――アルフィアの幸せそうな笑顔が一転、真顔になった。
冷たい表情にびっくりするベルをよそに、アルフィアはいつもの力ある言葉を発する。
「
大男がオラリオの空を舞った。
「えっと、ザルドさん、大丈夫ですか?」
「慣れているから大丈夫だ、ベル」
誤解も解け、簡単な自己紹介を終えた三人は廃教会の中にいた。ベルが心配そうにザルドを見つめているが、手をひらひらと振ってかわす。
「……えっ? お母さんって、いつもこんなひどいことをザルドさんにしてるんですか?」
「ベル、こいつは嘘つきだ。私は侮辱さえされなければ、
「そ、そうだよね。あんなひどいことを日頃からお母さんがするわけないよね」
「ああ。私は優しいからな」
アルフィアは平気な顔で大嘘をついた。
それをザルドはなんともいえない表情で見ていたが、もうすぐ尽きそうな命でも惜しいので、ノーコメントを貫いた。代わりにベルに話しかける。
「そうだ、ベル。俺にも敬語はいらないぞ。俺はゼウスの子どもで、お前は孫だ。気軽におじさん呼びでいい」
「わかりまし……わかった、ザルドおじさん!」
「……おおう、そう呼ばれると、なんかじんとくるな」
「そうだろう」
したり顔でアルフィアが頷く。正直その顔に、ザルドは少しだけイラッとした。
「ところで、ゼウスさんって僕のお爺ちゃんなの?」
「ん? ああ、そうか。あの爺、身バレを避けるために名前を隠してたな? お前が大穴に吸い込まれる前に一緒に住んでた爺がゼウスだ。実の祖父じゃないが、まあ実質お前のおじいちゃんだな」
「…………ごめん。実は僕、ウルトラホールに吸い込まれた直前のこと以外、こっちの記憶を全部なくしちゃって」
「マジかあ……」
結構ハードな事情を暴露され、ザルドも絶句してしまう。
「大丈夫だ、ベル。思い出なんかまた新しく作ればいい」
「うん、そうだねお母さん!」
アルフィアが柔らかな笑みでそういうと、ベルが嬉しそうに頷く。
しかし、ザルドはそこで違和感を覚えた。ベルが叔母に対して、素直に母と呼び過ぎていないか?
「……なあ、アルフィア。お前まさか、自分が実の母じゃなくて、その姉だってことを伝えてないんじゃ」
「なにをいっている。ベルは私の実の息子だ。メーテリアとの間に生まれた、大事な子どもだ」
「あいつの存在が抹消されてる!? いや、どこに出しても恥ずかしい奴だったが、さすがに可哀想過ぎるだろう!?」
まさかの両親枠を乗っ取りに掛かったアルフィアに戦慄するザルド。そんな事情も知らずにベルはのんきにアルフィアに尋ねる。
「ねえ、メーテリアさんって人が僕の実のお父さんなの?」
「いや、メーテリアもお前の母親だ。お前は私とメーテリアの間の子なんだ。メーテリアは私の双子の妹でな、もうすでに亡くなってしまったが、とても優しくてお前に似た良い妹だった」
「……そっか。もう一人のお母さんは亡くなってるのか。会ってみたかったな」
落ち込むベルの頭を、アルフィアがそっと撫でる。予想以上にふわふわとした感触を楽しみながらベルを励ました。
「大丈夫だ。あいつも天でお前のことを見守ってくれている。思い出だってたくさん話してやる」
「……うん、ありがとうお母さん」
「いやいやいやいや、ちょっと待て。なんで女同士、しかも姉妹の間で生まれたってことに疑問をもたないんだよ!」
ザルドが盛大にツッコむが、ベルはさらっと言葉を返した。
「えっ? だってウルトラホールで色々な異世界見てきたけど、女同士で子どもを作ったり、兄弟姉妹で結婚してる人も見かけたよ?」
「マジかよ。異世界って進んでるんだな。……いや、待て異世界だと!?」
なんでもないかのように、とんでもないことを暴露されたザルドが驚愕する。
異世界? 本当にあるのか? いや、あの時の大穴がそれに繋がっていたとか?
ザルドの思考で疑問符が飛び交う中、アルフィアがベルに問いかける。
「お前が帰ってきた時、空の穴から白獅子に乗って出てきたな。詳しい話を聞かせてくれるか、ベル」
「そうだね。長くなるけど、僕にどんなことがあったか聞いてくれる、お母さん?」
そうして、ベルが長い長い昔話を始めた。
ベルが長時間に渡って自分の過去を語り終えたあと、アルフィアとザルドの二人は思わず唸った。
「モンスターが当たり前のように人と共存する世界か……。にわかには信じられんなあ」
「だが、事実であろう。ベルの乗っていた白獅子――ソルガレオだったか。アレはよくいうことを聞いていたからな。推定レベル8超えのモンスターだ。モンスターボールとやらで捕獲して、絆を結んでいなければあんな芸当不可能だ」
「なるほど、そうか。…………いやまて、推定レベル8超え!? なんだその化け物!?」
「ベルの相棒だぞ。化け物呼ばわりするな」
アルフィアがたしなめるが、ベルは気にしないでと申し訳なさそうに謝るザルドに苦笑いした。
しかし、そこでザルドはある可能性に気づいてしまう。
「……なあベル、ソルガレオ以外にもたくさんポケモンがいるといっていたな。そいつらもソルガレオ並みに強いのか?」
「んー、ポケモンってタイプ相性やメガ進化とかもあるから、一概に強さを比べるのは難しいんだけど……。いっぱいいる中で
「ぶふぉふぉ!!」
ベルのとんでもない発言にザルドが吹き出す。
なんだそのとんでもない
「ベルのポケモンはみんな強いな。凄いぞ、ベル」
「いやいや、僕じゃなくてみんなが強いだけだから」
「だが、ベルの向こうのお父上もトレーナーの才能が凄まじいといっていたのだろう? こんなにも立派に育ってくれて、私は誇らしい」
「えへへ、そうかな」
ほのぼのとした母子のやりとりにザルドが吠えた。
「いや、お前少しは驚けよ!!」
「なにをいう、ベルは私の息子だ。この程度の偉業など容易いものだろう」
ダメだこの親バカ……はやくなんとかしないと。
頭を抑えながら、ザルドは盛大にため息をつく。しかし、以前の能面のような無表情をしているよりもか遥かにましかと苦笑いを浮かべた。
「なあ、アルフィア。もう
ベルに悟られないよう言葉をごまかしながら、ザルドが問う。
「ああ、しない。それよりも大事なものができたからな。だが、貴様がまだ続けるつもりなら、私が叩きつ――」
「俺ももうやらねえよ。やるべき理由も、ベルが来たおかげでなくなったものな」
二人の視線を浴び、オラリオ全てのファミリアを上回る戦力を持つベルが首を傾げた。
「しかし急にやることがなくなっちまったな。まあ、俺もアルフィアも先は長くないんだ。このままベルとゆっくり過ごすのもいいかもしれんな」
「えっ!? お母さんとおじさん、死んじゃうの!?」
唐突に放たれた残酷な真実に、ベルの目にみるみるうちに涙がたまる。
そんな純朴なベルにザルドの胸がかすかに痛んだが、この事実は変えられない。だが、伝えるにはさすがに早すぎたかと顔をしかめる。
沈痛な空気が漂う中、傲慢な女王の眷属が気にすることなく空気をブチ破った。
「いや、私は死なないが?」
まるでなんでもないかのように、さらりといい切った。
ベルの顔に笑顔が戻る。逆にザルドが頭を抱えた。
「……アルフィア。ベルを泣かしたくないのかもしれんが、いっていい嘘とそうじゃない嘘があってだな――」
「ベルと再会した途端、身体の痛みも重さもなにもかも吹き飛んだ」
「……は?」
「死の病にかかっていたことが信じられないくらい身体が軽い。今なら黒竜だって殴り飛ばせそうだ」
「いやいやいやいや」
「今度久しぶりにヘラの元へステータス更新に行くつもりだが、あの忌々しいスキルも消え去っているだろう」
「ちょっと待て。お願いだから待て」
「私の病は完治した。だからベル、これからもずっと一緒にいられるぞ」
「お母さん……!」
「おかしいだろ!! なにがあったんだお前!?」
喜ぶベルを尻目に、アルフィアがにやりとニヒルな笑みを浮かべた。
「なにって? これが
「誰だよお前!? もはや別人だろ!?」
ザルドのツッコみは、もはや無敵の人と化したアルフィアには通用しなかった。
いや、アルフィアのいうことが事実なら、文字通り冒険者の中で無敵であろう。この女は病にかかっていた時でさえ、女帝と戦えばワンチャン勝てたのだ。レベルが二つも上の相手にである。
「…………はあ。もう無茶苦茶だな。しかし、ここはおめでとうというべきか?」
「でも、ザルドおじさんは……?」
一件落着となりそうだったが、ザルドの問題が解決していないことに気づいたベルが、不安そうな顔で見つめてくる。
「ああ、俺はいいんだ。もうどうしようもない。昔倒したモンスターの毒を食らってな。色々手を尽くしたが、どうやっても治療できなかった」
「それなら、僕の世界にあったモモンの実や毒消しを使えば!」
文字通りその毒を食らったことを知らないベルは、自身のできることでザルドを延命しようとした。急いでリュックから毒に効きそうな道具を取り出し、ザルドに与える。
しかし、その程度で治る
「悪いな、ベル。せっかくよくしてもらったのに」
「……そんな。向こうじゃどんな猛毒でも治せたのに」
「アレの遺した毒は今も大地を蝕んでいる代物だ。もはや人に治せるものではないのだろうな」
アルフィアが遠回しに慰めつつも諦めるよういってくるが、それでもベルは諦めきれなかった。
このままだとせっかく会えたおじさんが死んでしまう。
何か手段はないかとひたすら考えに考え抜いて、ベルは一つの閃きを得た。
「――そうだっ!! お願い、力を貸してキノガッサ! ヤドラン!」
携帯型のボックスからモンスターボールを取り出し、二体のポケモンを呼び出した。
「キノー!」
「やぁぁん?」
いきなり現れたポケモン――キノコを擬人化したようなモンスターと、尻尾を貝に噛まれた間抜けそうな顔をしたモンスターに、アルフィアとザルドは目を丸くする。
いったいなにをするつもりだと声を書ける前に、ベルが二体に指示を出した。
「ヤドラン! キノガッサにスキルスワップ!」
ベルの号令にのろまそうな外見に似つかない機敏さで、ヤドランがキノガッサに向き合った。するとキノガッサから不思議な光が飛び出し、ヤドランに当たったかと思ったら今度は跳ね返るかのようにキノガッサに返っていった。
「続けてザルドおじさんにも、めいっぱいでスキルスワップ!」
「うお!? 俺か!?」
戸惑うザルドだが、ベルが悪いことをするとは思えないのでヤドランのするままに任せ、さきほどと同じ現象が起こった。
「……何かが抜けて、入ってきたようか感じがしたが、なにが起こって――」
自らの身に起こった怪現象に疑問を抱くザルドであったが、その答えはすぐにわかった。
「なんだ? 身体が急に熱くなって……うおおっ!! なんだこれ!? どうなってる俺!?」
歴戦の戦士とは思えない、みっともない叫びを上げているが無理もないだろう。
ぐずぐずに腐り落ちていた肉体が、まるで時が遡っていくかのように元に戻っていく。それどころかずっと消えなかった顔の傷跡すら、何もなかったように奇麗になった。
「これはいったい……」
呆然とするザルドに代わって、アルフィアが疑問を口にする。
「ああ、よかった。人間には初めて試したけど成功して」
アルフィアの疑問に答える余裕がなく、ベルは自身の目論見が成功したことに安堵して座り込んだ。
――ザルドたちはまだ知りようもなかったが、ポケモンはそれぞれ特別な力を秘めた特性を持っていた。いうなれば、冒険者でいう発展アビリティやスキルのようなものだ。
そして先ほどヤドランが使った技は、その特性を入れ替える技である。
キノガッサの特性を交換し、得た特性をさらにザルドと交換する。
たったいまザルドが得た特性の名は『ポイズンヒール』。
毒、猛毒状態のときにそのダメージを受けず、逆に身体の傷を癒す特性である。
ベルがオラリオに立って初めて見せた、ポケモンの力の一端であった。