20年ほど前だったか、爆笑問題の2人がテレビでこんな掛け合いをしていました。
「志村けんって、高校生の頃にビートルズの来日公演を武道館の客席で観てんだぜ。その時の前座にドリフも出てたんだよな。ってことは、志村けん、一歩間違えたらビートルズに入ってたかもしんない」
「入るわけないだろ!なんだよ、『一歩間違えたら』って!どういう一歩なんだよ!」
志村けんがビートルズのファンだと知ったのは、1990年代に入ってからだったように思います。ビートルズを特集したムックの記事で読みました。
それよりも先に、彼がソウル・ミュージックやジャズのマニアであることを友達から聞いた際には、かつて私が無邪気にマネをしていた「ヒゲダンス」や「ドリフの早口言葉」などとの結びつきに深く肯いたものでした。
ビートルズを武道館まで観に行った少年が、やがてソウル・ミュージックに傾倒する。これは音楽愛好家の辿る道筋としては王道の一つです。ビートルズはアメリカのロックンロールやリズム&ブルースに強い影響を受けているうえ、ポール・マッカートニーという天才ベーシストとリンゴ・スターという天然のファンキー・ドラマーをリズム・セクションに擁したバンドだったので、その方向へ歩いていけばソウル・ミュージックに繋がる道とも自然と交わります。
『8時だョ!全員集合』のコントを今見ると、そのスラップスティックのテンポを強調するビート感に驚きます。
誰かがボケて、それにツッコミが入る。と、そのツッコミで場が収まるか収まらないかのうちに、べつの誰かがボケを入れる。いかりや長介がさんざん振り回されて、セットを破壊したり上から物が落ちてきたりの激しいアクションが増えていき、最後はシッチャカメッチャカな状態で撤収となる。この一連のパターンにメンバー各人から繰り出される強弱のアクセントがハッキリとしています。それはもう、テンポというよりもビート感と呼ぶほうが適当でしょう。最盛期のドリフのコントには、8ビートから16ビートへと移っていった時代にふさわしかったこのビート感が息づいていました。
彼らの笑いはお下劣なギャグを含んでいたので当時の大人たちの顔をしかめさせましたが、そこにはドリフのコントのビート感に対する大人からの苦手意識もあったのだろうと私は想像しています。70年代から80年代にかけて、大人(戦前~戦中生まれ)と子供との間に横たわるそのギャップは非常に大きかったのです。
ところで、私が幼少期を過ごした長崎県では、なんと『8時だョ!全員集合』は放送されていませんでした。たしか九州の大半では同番組の全国ネットのエリアから外れていたと思います(番組末期の1984年から放送)。私が『全員集合』を見れるようになったのは1977年秋に小学4年生で京都に引っ越して来てからです。
それでもギャグの数々は知っていたのだからドリフの人気は凄かったのですが、たとえば「東村山音頭」の♪イッチョメ、イッチョメ♪の振りをリアルタイムで見たおぼえがありません。つまり、志村けんが荒井注に代わって正式メンバーとなり、ドリフのエースだった加藤茶を凌ぐ人気を得る過程をほとんど実体験していない事になります。ドゥービー・ブラザーズで言うと、マイケル・マクドナルドの出世をフォローできなかったようなものです。
そもそも、お披露目されてからしばらくの間、志村けんの印象は薄かったんです。前任の荒井注は強面でインパクトがあったし、なによりも当時の子供たちには加トちゃんの人気が絶大でした。「チョットだけヨ」とか「ウンコチンチン」とか「すんづれいしました」とか、子供が口にせずにはおれないパワー・ワードを連発し、ギャグの瞬発力も冴えていて、見た目も仕種も何から何までキュートでコミカルな加トちゃん。面白いお兄さんといえば、当時は加トちゃんとマチャアキが両巨頭でした。
それに比べると、正式メンバーになったばかりの志村けんはヒョロッとしていて頼りなかった。あくまで『全員集合』を見れなかった私の記憶の範囲ですが、腰のすわったドリフの面々にあって、どこかオドオドしているように映ったし、親しみを持ちにくかったというのが幼かった私の実感でありました。
ところが、そのオドオドした雰囲気とヒョロッとした体から絞り出す奇声が、やがて志村けんをコントで輝かせていくことになるのだから、わからないものです。
『犬神家の一族』や『八つ墓村』のパロディなども含めた”肝試し”コントでの怯えた所作、そして恐怖の絶頂で発せられる奇声は、ほかのドリフのメンバーにはない志村けんの個性でした。同じ悲鳴でも加トちゃんのそれは「ウワ~~ッ!!」というストレートなシャウト。手足をバタバタさせて、いつでも飛び出して壁をぶち抜いて逃げ出す力がみなぎっていました。
志村けんの場合は、「ウワ~~ォ!」に近かったり、もっとブレスが多めの「フ、フワァァ~~」だったりと、今にも腰を抜かしてヘタりこみそうな無力な悲鳴。顔つきも、加トちゃんが大口を開けての形相で、志村は白目をむいてプルプルと震える失禁寸前の表情。
私なりの比喩をすると、加トちゃんの悲鳴はミック・ジャガーで、志村けんはマーク・ボランだったのです。私は現在にいたるまで加トちゃんがずっと好きですが、ある時期から子供心に志村けんの怯えた芝居と奇声を楽しみに待つようになっていました。
そうやって振り返ると、『ドリフ大爆笑』のシリーズの「もしも」のコーナーで志村が担当していた役にも同じことが言えます。そこで志村が演じていたキャラクターはおもに病弱な人、それも女性でした。幽霊と変わらない顔色で登場し、「う、う・・・ご覧のとおり体が弱いもので・・・」と上ずった声で話しながら、長さんをヒドい目に遭わせます。
それとはべつに、桜田淳子やいしのようこを相手にした夫婦コントでは夫役にまわりましたが、そこでも妻の言動に振り回されて、柱や障子にしがみついて泣きそうな顔を見せたり、妻と一緒になってハンカチを噛んだり。ボケに対してエクストリームな泣きのあるツッコミを入れるのが最高におかしかったのです。
こうした被虐性は、1987年にスタートした『だいじょうぶだぁ』では演じるキャラクターのスパイスにもなっていたように思います。「ひとみ婆さん」は年寄が傍若無人の言動で周囲を困らせるコントで、志村の演じるひとみ婆さんは常に「ぇ、ぇ、ぇ、ぇ」と声を震わせ手も震わせた弱者として現れました。「変なおじさん」は変態中年男の役で、「なんだチミは、ってかい?」と問いながら相手の裾をつまんで意味不明に体を揺らすなど、これも強迫的な態度よりマゾヒスティックなニュアンスを伴っていました。弱者や変態などのマイノリティが笑いの場で勝利をおさめる図はコントやギャグ漫画ではおなじみですが、志村けんのそれは被虐的なビブラートで小刻みに震えていました。
70年代のお笑い界のトップに君臨していたドリフの人気に翳りが差したのは、1981年に『全員集合』の裏番組で『オレたちひょうきん族』が始まってからです。漫才ブームの中から生まれた『ひょうきん族』はそれまで土曜の夜8時を制していた『全員集合』をジワジワと追い込み、ついに1985年に終了の引導を渡します。
その頃、中学生だった私も『全員集合』から『ひょうきん族』へと乗り換えた一人でした。これにはいろんな理由があったと思いますが、少なくとも最初期の『ひょうきん族』には、作り込まれた『全員集合』にはない斜め上の角度から物事をスケッチする笑いがあって、端的に言ってそれは80年代のセンスと波長が合っていました。また、アクセントの利いたドリフのビート感とは異なる、もっと細かいポイントをくすぐるノリが新鮮でもありました。
その『ひょうきん族』がマンネリに陥っていくなかで始まったのが、先述した『だいじょうぶだぁ』です。毎度のパターンと予想外の展開とを巧みに織り交ぜたコントは、アドリブによる演者の笑いも活かして『ひょうきん族』のファンにもフィットする部分を備えていました。また、ここでドリフの強力なアンサンブルから離れた志村けんは、いしのようこ、田代まさし、松本典子といったお笑いが本職ではないタレントと組んで、キャッチーな華のあるコントを成功させました。これは志村にとってのポール・マッカートニー&ウイングスだったのです。
私が志村けんの番組を日常的に見ていたのは、この『だいじょうぶだぁ』のレギュラー枠が終わった90年代前半まで。それ以後はチャンネルを合わせて追いかけるほどではなくなりました。志村けんもバラエティのゲストとして出演する機会が増えていって、そうなると大御所として丁重にもてなされます。子供の頃に『全員集合』を見ていた世代が番組に迎えるのだから、これは自然な時の流れでもあります。
志村けんはコメディアン、コントの作・演者であって、その才能はトークなどに馴染むようで馴染まなかったと思います。むしろ、タモリのようにマニアックな趣味の世界との相性が良かったのではないか。でも、そこを拡大して自分を見せるには彼は頑固だしシャイだったのでしょう。だから、『志村どうぶつ園』が15年間も続いて、ドリフの頃とは違った形で子供にも親しまれるきっかけとなった──そこには寂しさよりも安堵をおぼえたりします。
志村けんの訃報が流れて、それが現在進行形で世界を脅かす問題の一例となってしまい、私はショックで暗澹たる思いでいます。
ただ、彼の残したものがすべて笑いであるということには救われます。YouTubeにあがっている動画を見続けていると、爆笑につぐ爆笑で、とても悲しみに浸っていられません。「バカ殿」での由紀さおりとのやり取りなんか、何度見ても同じ箇所で吹き出してしまいます。私の高齢の母親も、文字通り体を二つ折りにしてお腹を抱えて笑い転げていました。
私たちは音楽や笑いを生み出す人たちに救われてきました。その人たちは大きな悲鳴や小さなビブラートで私たちに杖をくれました。彼らの存在を隅に追いやれば、その杖はポキンと折れて、世界は今以上に荒れ果てた場所へと姿を変えます。いや、こうしている間にも生活は不安に包囲され、バカ殿も呆れるような政策がまかり通ってしまいます。
本当は私も泣きたいくらい悲しいのだけど、今は涙よりも笑いで力をつけねばなりません。そして、最高のコメディアンの去り際には、陽気な笑いと拍手喝采のほうが似合います。
たぶん彼も少年時代に聴いたであろうキンクスの、Death Of A Clownという曲の歌詞でこの記事を閉めましょう。志村けんの冥福を祈って。でも、世界は解決しなければならない事を山ほど抱えています。
占い師の婆さんが床に倒れて死んでいる
もう誰も占いなんてアテにしなくなった
昆虫の調教師はしゃがみこんで
逃げたノミを必死になって探している
ラーララーラーララー
みんなで死んだ道化師に乾杯しよう
一緒にこの王冠をぶっ壊してくれないか?
みんなで死んだ道化師に乾杯するんだ
(Death Of A Clown by The Kinks)