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ホテル映像は「決定的証拠」なのか 『Black Box Diaries』議論に足りないもの

小川たまかライター
(写真:REX/アフロ)

「修正してから公開して」vs「見てから判断して」

 アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている伊藤詩織監督の『Black Box Diaries』に関する、映像の無断撮影・録音や未許諾問題は、2月20日に外国人記者クラブ(FCCJ)で、問題を明らかにした元代理人らと伊藤さん、両者が会見を開く予定となっている。

 これまでの経緯を簡単にまとめると、伊藤さんの性被害や名誉毀損についての訴訟で代理人を務めていた弁護団が記者会見を開いたのが2024年10月21日。これに対して伊藤さん側は会見内容は事実に相違していると反論した

 作品は海外ではすでに公開されているが、「許諾を取るか、取れていない部分については修正してから公開してほしい」と求めているのが元弁護団で、「映画を見てから判断してほしい」と日本の観客に求めているのが伊藤さん側だ。

 また伊藤さんが東京新聞の望月衣塑子記者を、記事による名誉毀損があったとして提訴したことが2月14日に報じられた。これは東京新聞が1月14日に掲載した記事を訴えるもの。1月14日記事は元弁護団の記者会見で話した内容とは別の点に対する指摘だった。(参考記事:伊藤詩織さん、監督映画巡る記事で東京新聞の望月記者を提訴「利己的な人との印象与えた」2月14日/産経新聞

 元弁護団と伊藤さんには海外公開までの経緯などについて主張の食い違いがあると見られ、これは20日の会見を待つことにしたい。

 この記事で書きたいのは、問題となっている映像が、被害の「決定的証拠」だったかのように一部で語られている状況についての個人的見解だ。伊藤さんが元TBS記者・山口敬之氏を訴えた民事訴訟を傍聴してきた者として、これらの映像が裁判でどのような役割を果たしたのかを書いておきたい。

 今回の問題に関する本筋の指摘ではないので、ご興味のある方だけ、裁判傍聴オタクの細かい早口のツッコミと思って読んでほしい。また、作品の内容にも多少触れるため、作品を見る前に読みたくない方はご注意をお願いしたい。

ホテル映像以外にもあった「証拠」

 まず、映画内で使われている、ホテル入り口の防犯カメラに映った映像は大変インパクトがある。ホテル前に止まったタクシーから先に山口氏が降りるが、伊藤さんはなかなか降りてこない。しばらくして山口氏は伊藤さんを引きずり出すようにしてから、抱えて歩き出す。ふらつく伊藤さんを肩で支えてリードするようにして山口氏がロビーを歩く姿も映っている。

 また、タクシー運転手やドアマンの証言は、タクシー内やホテルの入り口で伊藤さんが酩酊状態だったことや「駅で降ろしてほしい」と言っていたことを示すものだ。

 これらの証拠は、伊藤さんがホテルへ入ることに積極的であったわけではないと強く示すものである。伊藤さんは過去のインタビューなどで、このホテル映像を見てから警察は被害届を受け取ってくれたと語っている。

 ただし残念ながら、これだけでは性被害を証明することは難しかった。

 ホテルに入った時刻は、防犯カメラの映像から23時22分頃だとわかる。そして被害がこの直後であれば、映像や証言はかなり強い証拠となり得たかもしれない。しかし被害に遭った時刻について、伊藤さんは翌朝の5時頃だったと話した。その直後の5時50分頃に、彼女がホテルから出ていく様子がこれも防犯カメラで確認されている。

 この時刻については民事訴訟の一つの争点だった。山口氏は深夜2時頃だったと主張したからだ。さらに伊藤さんが翌日アフターピルをもらうために受診したクリニックのカルテにも「4/4 AM2時-3時 コンドーム破れた」という記載があった。

 このカルテは、伊藤さんの証言を揺るがしかねない存在だった。

実際の裁判で起こったこと

 飲食店で意識を失ってから被害までの記憶がない伊藤さんからメールで説明を求められた山口氏は、伊藤さんが室内でも嘔吐してそれを自分が片付けたとか、嘔吐物がついた伊藤さんの衣服を脱がせて洗ったと説明していた。裁判では、嘔吐したことを泣いて謝る伊藤さんに黙ってほしいと思い「なだめるような気持ちで(性行為に)応じた」とも話した。

 室内での記憶が伊藤さんにはないので、山口氏がどう話すかが原告・被告双方にとって重要だった。伊藤さんの弁護団は、室内で何があったのかについて、本人尋問で山口氏に質問を重ねた。そして、行為に及ぶまでの山口氏の説明に矛盾があることを尋問で明らかにした。

 この詳細については、当時の記事(記事リンク)の中で書いた。使われたベッドに関しての説明を促すくだりである。傍聴席が軽くざわつくほど、印象に残る尋問だった。弁護団はおそらく、伊藤さんの話や山口氏から送られてきたメッセージの内容を精査し、ここに核心があると踏んでいたのだろう。裁判を決定づけたのはこの瞬間だったと今も感じている。

 しかし、以上の内容は映画の中では語られていない。

 裁判の詳細を知らずに映画を見た人は、ホテル映像やドアマン証言が勝訴の理由だったと感じるのではないか。それは間違いとまでは言えないが、厳密に言えばちょっと違う。私にとってはそういった点が気になる映画である。

 なお、問題となっているタクシー運転手は法廷で証言していない。これは裁判前にこの方と連絡がつかなくなったからだそうだ。捜査官Aも当然、法廷には出ていない。

 伊藤さんは、裁判では出せなかった証拠も含め、たとえ未許諾であっても映像で見せたかったということなのだろうか。しかしそれは何のためなのだろう。民事裁判では勝訴していて、彼女の被害は認められている。これだけの証拠があっても刑事で不起訴となる現実を伝えたかったのであれば、カルテについても同時に見せなければフェアとは言いづらい。

 プライベートに見える捜査官Aとの会話含め、これらの映像について公益性を主張するのが私にとっては疑問で、公益性というよりも映像作品におけるインパクトを狙ったためと感じる。しかし許諾が取れていないのであれば、それ以外の見せ方を検討するべきだったのではないか。この点の議論がほとんど行われていないのが残念だ。

 補足すると、判決でカルテは誤りの可能性があると判断された。コンドームが使われていないことは双方が認めていたこともあり、医師が時間についても不正確な記述をした可能性があるという判断だった。本人尋問の「成功」がなければ、このような判断にはならなかったかもしれない。

ドアマンの証言は必要だったか

 映画の中では、結審間近のギリギリのタイミングでドアマンから証言を得ることに成功した伊藤さんが、それを弁護団に伝えたところ「今から証言を出すと裁判が延長される。そうすると(判決までに年度末を挟むことになり)本人尋問を聞いた裁判官が交代してしまう可能性があるため、やめた方がいい」という趣旨で反対される場面がある。

 伊藤さんは悩んで、その日のうちに再度ドアマンに電話をかける。ドアマンは名前を出して証言してもいいと言ってくれる。伊藤さんは彼の優しく真摯な言葉を聞いて涙を流す。この映画の中でもっとも感動的と言って差し支えない場面である。

 この場面を入れることが作品の完成度を高めていることはわかる。ただ、少しミスリードだとは感じる。

 伊藤さんの話を聞いた電話の相手(弁護団ではない人物)が「それは重要な証言じゃないですか」と驚く場面が使われているので、見た人にそのような印象を与えるのだが、実際はこれまでに述べた通りだ。ドアマンの供述は陳述書が提出されたが、控訴審での証人申請は却下されている。また、上記の通り本人尋問が非常に成功していたのだから、弁護団は本人尋問を聞いた裁判官のまま判決を得たいと思うだろう。

 これまで映画を見た人から何度か「散々尽くしてきた弁護団が伊藤さんと対立しているように見える場面だけ使われている」という感想を聞いたが、この指摘の背景は、説明するとこういうことである。

 弁護団は適切なアドバイスをしただけだった。映画を見た人には、おそらくそれが伝わらない。しかもこの部分の弁護士との会話は、無断録音されて使われている。何重にもやるせないだろう。

 『Black Box Diaries』はナレーションなどによる説明が逐一入るわけではなく、映像を重ねていくことで見る人にストーリーを読み取らせようとするタイプのドキュメンタリーだ。「ホテル映像やドアマンの証言が決定的な証拠となった」とか「不起訴の背景には当時の安倍総理の陰があった」と、言葉で説明されるわけではない。ただ見る人にとっては、そのように受け取る作りにはなっている。

 このドキュメンタリーで伝えようとするものは実際の内容というよりも、伊藤さん本人の視点から見た数年の状況であるのだと思って見た方が良いとは思う。裁判を追った者としては、実際の方が複雑なだけに濃密だった。わかりやすさを優先した構成なので、物足りなさはどうしてもある。

 ただ、日々たくさんのニュースが流れる中で、この事件についてあまりよく知らない人は日本にもいるだろう。性暴力や性犯罪のニュースに特に関心を持ったことがない人も少なくないだろう。そのような人たちが、警察の捜査含め被害者の前に立ちはだかる苦難を知るきっかけとしては優れているのかもしれない。

余談

 私が伊藤詩織さんと最初に出会ったのは、彼女が2017年5月に最初の記者会見を開く数カ月前だった。アルジャジーラの記者とともに日本の公共交通機関での性暴力被害について取材していた彼女から取材を受けたのだった。

 事務所までの階段を上がってきた彼女たちはなんだか楽しそうで、私は直前の取材が実りのあるものだったのだろうと感じた。

 彼女が記者会見を開いたあと、同業者の中には「ジャーナリストとしての実績はあるのか」と怪しむ人もいた。私は初対面の印象が強かったので、伊藤さんのジャーナリズムに対する姿勢をそのときから疑わなかった。

 今回の問題を初めて聞いた際は驚いたが、これほど揉め続けるとは思わなかった。

 伊藤さんは最近、雑誌『世界』への寄稿で「性暴力は必ずと言っていいほど、力関係の強いものから弱いものに対して行なわれる」と書いた。その通り、彼女の受けた性被害は、社会的に力を持つ年長者から職を探す20代へと向けられたものだった。

 その被害から10年経ち、伊藤さんはアカデミー賞にノミネートされる映像ジャーナリストとなった。世界的に有名な彼女は、今や社会的な権威を持つ存在だと私には感じられる。海外ではほとんど報じられず、日本国内でしか話題になっていない「小さな問題」は、国際的評価には関係ないだろうか。会見では監督としての説明を聞きたい。

2019年12月18日、一審勝訴後の記者会見の様子(筆者撮影)
2019年12月18日、一審勝訴後の記者会見の様子(筆者撮影)

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ライター

ライター/主に性暴力の取材・執筆をしているフェミニストです/1980年東京都品川区生まれ/Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット大賞をいただきました⭐︎ 著書『たまたま生まれてフィメール』(平凡社)、『告発と呼ばれるものの周辺で』(亜紀書房)『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)/共著『災害と性暴力』(日本看護協会出版会)『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』(合同出版)/2024年5月発売の『エトセトラ VOL.11 特集:ジェンダーと刑法のささやかな七年』(エトセトラブックス)で特集編集を務める

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