関東土木保安協会です。
旧DDIが築いたネットワーク網の無線通信施設「リレーステーション(R.S.)」。
数ヶ所紹介しましたが、その遺構は全国各地にまだまだ点在しています。
ここ、埼玉県さいたま市の荒川と新大宮バイパスの間くらいにもその鉄塔が建っていました。
この鉄塔は旧大宮リレーステーションになります。
先すぼまりな鋼管の四角鉄塔。
基地局としてはやけに広い敷地と、立派な通信設備用の建屋。
その不自然に立派な造りが一目で遺構のそれと探し求めている者にヒントを示してくれます。
▲旧大宮リレーステーション外観
今では少し役不足な大きな建屋が目立ちます。
現役時代は遠距離通信を担うネットワーク網の一部でした。
対向局は、東川口方面と所沢方面だったかと思います。
▲明らかに基地局ではない建屋が彼らの痕跡となる
頭が切り落とされたような不格好な姿。
何基か見ていますが、段々と油田か温泉の掘削鉄塔のように思えてきました。
▲鉄塔外観。上部は撤去済だ
今では例に漏れず携帯電話の基地局として活躍する鉄塔。
無線通信の衰退から、無線が一人一台当たり前の時代へ。
時代の波のなか残ることができた、生き証人なのです。
▲今では立派な基地局として運用されている
先端はフランジでバッサリと撤去されています。
この上に円形のアンテナプラットフォームがあるはずでした。
主材一部が赤いのは、当時の障害塗装の朱色の跡でしょう。
▲主材のバンドを外した箇所で旧塗装が確認できる
道路の脇に堂々と建っています。
一見は携帯電話の基地局にしか見えないですね。
一本ポツンと建っている高い電柱が、当時は通信ケーブルを大量に束ねていたのかな、と想像させてくれます。
▲使われていない電柱には、かつて通信ケーブルが支持されていたのだろう
導波管を載せている立派なラック。
この部分だけみれば立派な無線中継所ですね。
広めの敷地は、枯れ草に覆われていました。
▲建屋から続く導波管のラック
そんな中にあるのが、小型伝送函を設置していたような基礎です。
他社の通信設備などはこちらに置かれていたのでしょうか。
マイクロ波通信が現役だった当時は、建屋も目一杯で携帯電話用設備が置ききれなかったのかな?とも思いました。
▲小型の収容函の基礎跡だろうか
階段のところをよく見てみると、鉄塔の銘板が見えました。
「DDI 第二電電株式会社 大宮リレーステーション」
「高さ 70m」
「1989年6月」
というような記載がうっすらと読み取れました。
電電公社民営化の革命が起こったのが1985年。
そして新電電各社が生まれたのが30年以上前。
もうかなり前の歴史になってしまいました。
▲銘板からその名前がうっすらと読み取れた
DDI。第二電電株式会社。
200超の企業が株主となり1984年に出発した会社です。
束ねた京セラの稲森氏は、当時市場を占めていた日本電信電話公社の長距離通話料金が高いことに疑問を感じていたといいます。
専門の技術者もいないなか、コケたらどうなることか。
そんなリスクを背負いながら、国民のためにという信念のもと、当時旗を立てたのです。
同じくしてできた新電電はインフラの母体がありネットワーク構築上も有利に働く側面がありましたが、DDIにはそれがありませんでした。
そのため、ネットワーク網の整備を急務として構築し、このリレーステーションらを建設し、その基盤を確保しました。
稲森氏は、事業参入の当時「通信事業を始めようとする動機は善なのか、そこに私心はないのか」と自分自身に厳しく問い詰めたといいます。
「売るだけ」「取引だけ」「数字だけ」
単に利益が目的なのか。
インフラネットワークを扱う上では、もっと上の思想が要求されるはずです。
大衆の生活の営みには何が必要か。そして健全な価格とは何か。
何もない白地図に立派な青写真を描いた企業人のその姿に、インフラネットワークの持つ熱い大切な何かを思い起こさせるような、そんな遺構なのでした。
〈参考〉
・京セラ株式会社 : 稲森和夫officialsite エピソード