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2021-08-13 (Fri) 09:11

高橋淡水(1872-1922)の初期作品『偉人と言行』

明治末~大正期にかけて史伝文学(講談本・修養書を含む)作品を数多く上梓したが大正10年に51歳で亡くなった沼隈郡松永町出身の作家高橋立吉こと高橋淡水の著書を最近新たに入手した(わたしの高橋淡水研究はすでに終了)。国会図書館のデジタルアーカイブでも公開されている明治43年刊の『偉人と言行』だ。


かなり痛みが激しかったので早速 現状を残す形でのハードカバー仕立てで改装

内容構成はこんな感じ。通俗的な講談本集成。大正2年に洛陽堂から出版した政治小説で確かな手応えが得られなかった淡水だが、当時は時流に身を任せつつ生活のためにこんな感じの書籍を書き続けていた訳だ。
・ (一) 陽明学派の中江藤樹/1
・ 勝海舟の見たる藤樹と蕃山/1
・ 藤樹と蕃山との奇遇/3
・ 聖教に感じて起ころ生涯/8
・ 藤樹の臨終及び著作/12
・ 藤樹の修養訓/14
・ (二) 古学派の山鹿素行/26
・ 文武兼備の麒麟児/26
・ 素行遷議の二大原因/30
・ 素行の晩年と其の著作/33
・ 素行の修養訓/34
・ (三) 朱子学派の貝原益軒/49
・ 近世通俗文学の唱首/49
・ 変化多き心的生活/50
・ 多幸なる益軒の家庭/53
・ 益軒の晩年と其の著作/55
・ 益軒の修養訓/58
・ (四) 陽明学派の佐藤一斉/72
・ 幾多の英才を出だしたる一斉/72
・ 林家の塾長としての一斉/76
・ 昌平◇◇官としての一斉/78
・ 一斉の修養訓◇/80
・ (五) 報徳教祖二宮尊徳/98
・ 報徳教とは如何なろ者ぞ/98
・ 二宮尊徳と藤田東湖/102
・ 野州聖人の酸風苦雨史/106
・ 経国清民の端緒/110
・ 報徳教の起これる桜町陣屋/114
・ 徳化高さ報徳教の活例/115
・ 尊徳の修養訓/124
・ (六) 松下塾の吉田松陰/132
・ 松陰の家庭/132
・ 海外雄志の志/136
・ 英才を出だしたる松下塾/151
・ 政論壇の獅子吼/158
・ 武蔵野に残したる留魂/166
・ 松陰の修養訓/172
・ (七) 薩南の西郷南州/183
・ 大西郷の青年時代/183
・ 薩摩渇の一悲劇/185
・ 維新前後に於ける大西郷/188
・ 東亜の経営と征韓論/194
・ 惨憺たる西南戦史/198
・ 征討諸将並に海舟の西郷評論/203
・ 南州の修養訓/215
・ (八) 氷川の達人勝海舟/221
・ 家庭生活の逆境時代/221
・ 海舟を認識したる偉才/224
・ 海軍に於ける海舟の位置/228
・ 所謂江戸城明渡/230
・ 忍ケ岡の大樹将軍/232
・ 局面の一大◇転/234
・ 海舟の修養訓/244
・ (九) 新文明の唱首福沢諭吉/253
・ 不覇独立の兆候夙に現る/253
・ 不覇独立と藩閥打破/255
・ 福翁の修養訓/258
・ (十) 同志社の新島襄/275
・ 明治基督教の三潮流/275
・ 新島の青年時代/276
・ 祖国の使節と会す/280
・ 熊本の青年同志社に入る/184
・ 新島襄の修養訓
晩年は高嶋平三郎編『精神修養 逸話の泉』洛陽堂刊のゴーストライターを努めた。
わたしの入手した古書は山形女子師範(寄宿舎蔵)の除籍本(教訓部⇒修養部)で、中に栞代わりに「昭和12年発売の英和辞典」パンフレットが挟んであった。女子師範の学生達が読者であったことが判る。
芥川は子供向けの説教文学作品「蜘蛛の糸」でも純文学的(言語芸術)な書法をとり、精神修養系の説教(=道徳)文学にはまったく組みしなかった。この辺りが鈴木三重吉や芥川と高橋淡水との大きな違い。淡水は樋口一葉世代の人で有り、芥川とは一回りも違う訳だが、文学的作法や世界文学に対する教養の面で開きがあった。

【追記】Repost
洛陽堂刊の「逸話の泉」は大正4~10年に刊行された洛陽堂の21巻のシリーズものだが、第二巻の前書きをみるとこう記載されていた。


ゴーストライターとして活躍したのが高橋立吉だ。田中英夫氏によると大正8年6月『国民教養 知識の泉』高島平三郎監修、河本亀之助編で刊行される。このシリーズの執筆者は思想方面は関寛之、政治経済:河本哲夫、地理歴史:高橋達吉が担当し(『河本亀之助小伝』、552頁)、執筆。その前に企画されたのが今回紹介の高島編『逸話の泉』、大正4-8年刊というわけでややこしい。
たくさん売れたと見え20版という表示も・・・。


大正12年8月に洛陽堂から甲子出版社に版権が譲渡され、譲渡先より大正13年10月に刊行されたもの。12巻までの総頁5000頁、逸話3000話所収。第一巻は大正4年刊で高島平三郎著、資料集めは河本亀之助を通じて天野藤男・佐藤恭次・伊藤良蔵が担当。大正7年刊の第二巻以後(12巻まで)は高島平三郎編、資料集めは加藤一夫の斡旋で瀧田秀吉が行い、高橋淡水が加筆、高島は全部の体裁の統一と校訂を行った。学校における修身教材、青年会での社会教育用、企業での従業員教育用として購入されたようだ。
雑誌「まこと」10-6、大正9年に記載された『逸話の泉』の大半を高橋が執筆(正しくは瀧田秀吉が執筆したもと原稿に補筆)したという話(・・・・西村の立神正夫の号は淡水ではなく、淡星が正しい)を掲載。この時期の高橋は下村書店からいろいろ講談小説風の書籍を出しており、多忙を極めていたはずだ。

高島平三郎編『道話の林』、大正8 序文 高橋淡水が集めた資料を高島編で上梓。出版社は岡部甲陽堂。こう言う形の出版は高橋に対する生活支援という側面が強かったものと思われる。『逸話の泉』の延長線上での出版物とはいえ、48歳にもなろうという史伝作家高橋に下働きをさせ、自分の名前だけを編者として表立たせるやり方というのは出版社の事情か、さもなくば著名人としての高島平三郎の性分を反映だろ(^-^)/

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最終更新日 : 2021-08-22

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