端的に、結論だけ言うのであれば俺はアルテミスファミリアへと無事、正式に加入することとなった。
というか、別に小難しい話も言い合いもなく「ファミリアに加入? あー……まぁ良いんじゃね? もう恩恵あるんしょ?」くらいのスピード感だった。
それで良いのか、というところはあったがまぁ、他の誰でもないアルテミスが肯定側にいるのだから、そうなるのはある意味、自然であったようにも思える。
俺自身が彼女らとある程度の交流を持っていて、受け容れられやすかったというのもあるのだろう。
アルテミスを生きて帰したことから、多少以上の信用もある。
それに、彼女たち団員からすれば「これでやっと恋愛を許される……!」と言った心持ちなのだ。
まぁね、年頃の女の子だもんな。
興味が無いと言ったら嘘になる子たちばかりなのだ。
ランテとか大はしゃぎしてレトゥーサに滅茶苦茶睨まれてたし。
とは言え、いきなり乙女の花園のど真ん中に飛び込んで「はい! 共同生活スタート!」とするほど誰も考えなしということもなく、取り敢えず色々ルールが追加された。
色々と言えば色々なのである。
いやね、思いのほか項目多いねん……。
寝泊まりするテントとか、その位置とか、泉で身体を洗う時間帯だとか、食事の時間だとか。
それはもう事細かく決められた用紙を渡され、目下それに従って生活することになっていた。
今はまだ、多少の息苦しさはあるが、それでも新鮮味と面白みがある。
直に慣れていくんだろうなぁ、といったところだ。
あぁ、あとついでに、村へ宛てた手紙をサッと書く羽目になった。
ファミリアに加入する以上は村を抜けなければならない、かといって無断で「はい抜けた!」が出来るほど簡単な立場でもないのである、俺は。
いや、そんなこと言ったら手紙で済ませて良いものでもないのではあるのだが……。
ちょっとのっぴきならない事情がやってきたことと、俺が手間を惜しんだことによって手紙で済ませることと相成った。
アルテミスなんかは「一度くらいは足を運ぶべきだっ」とかなり粘ったんだけどな。
普通に却下された。
だって竜狩りの村……遠すぎだし……。
そんな辺境に住んでじゃねーよってレベルの場所にあるせいで、行くには時間がかかりすぎるのだ。
今のアルテミスファミリアにはそんなことより──そんなこと、等とと言ってしまえばそれこそアルテミスに「むっ」とした顔をされそうだが──重要なことが出来てしまったのである。
これまでも言ってきた通り、アルテミスファミリアは狩猟と探索を主としているファミリアであるが、重きを置いているのは狩猟の方だ。
狩猟──あるいは、駆除と言った方が的確なのかもしれない。
アルテミスは、自然を愛している。
ゆえに、それを荒らすモンスターを許さないし、また困っている人も見捨てておけない性質だ。
アルテミスファミリア自体が、一つの街に拠点を作らずこうして巨大な野営地を作り、暫く居座ったら移動……といったように場所を転々としているのはそこが理由である。
あちこちを旅し、行く先々で人々を救う流浪のファミリア。
そんな彼女らは、俺とアルテミスを捜索している間に一つの話を聞いたという。
曰く、『この辺りには月女神──つまるところ、かつてアルテミスを信仰していた古い神殿があり、そこがモンスターの巣窟となっているらしい』と。
アルテミスの眷属であるアルテミスファミリアがそんな緊急事態を見過ごせるわけがない、ということで休暇もそこそこに、早速出発することとなったのであった。
アルテミス自体は「後でも良いだろう」と言ったのだがそこはアルテミスファミリア。
アルテミスに心酔し、アルテミスを愛する冒険者が揃っているため、全員に「何よりも最優先されることです」と押し切られていた。
ま、善は急げって言うしな。
早くて悪いことは特にない、あらゆることにおいて、大体はそうだ。
それはそれとしてもうちょっと休みたかったところではあるが。
こればっかりは文句を言っても仕方ないだろう。
「はぁ……」
「どうしたオリオン、ため息なんて吐いて。もう疲れてしまったか?」
「アルテミス……んー、まあ、上手く言えないんだけど、嫌な予感がするなって思ってさ」
隣に並ぶアルテミスが、「嫌な予感?」その言葉に少しだけ首を傾ける。
そんな些細な仕草でさえ、絵になるのだから流石と言わざるを得ないだろう。
「ま、勘でしかないんだけどさ。その遺跡に出るモンスターって蠍型って話だろ? お互い、蠍にはいい思い出が無いからさ」
「──ふふ、何だオリオンは怖いのか?」
「は? 全然怖くなんてないが?」
十匹だろうが二十匹だろうが余裕ですけど? とかなりの早口で言ったが、若干手が震えていることに気付いた。
うーん、自覚はしてなかったが、どうやら結構俺はビビっていたらしい。
情けないもんだな、と思えばそっと頭を撫でられた。
「よしよし、大丈夫だ。オリオンのことは私が守ってあげるからな」
「いやそれ俺の台詞だから……」
恥ずかしいからやめろよな、と振りほどけば不意に前を歩いていた金髪猫目の女性──ランテと目が合った。
むむむ、と彼女の眉が顰められた。
う、うわー、面倒なことになるぞ。
「じぇ、ジェラァ……またオリオンさんがアルテミス様とイチャついてるぅー!」
「誤解を招く言い方やめない? いや誤解でもないかもしれないんだけど……声がでかいんだよ」
「うわーん、イチャついてるって暗に認められたー!」
「お前はもう何なんだ……」
別に良いじゃん……とぼやけば「良くないですけど!? アルテミス様は私のなんですから!」と捲し立てる。
仮にも神を所有物扱いするんじゃないよ……や、言いたいことは分かるんだけど。
「ふっ……」
「しかも鼻で笑われた!? 私が先輩だってこと分かってます!?」
「でもランテはレベル1じゃん、俺レベル2になったけど」
「はっ、はぁぁあああああ!? ランクアップ!? もう!?」
「お前は一々声がでかいな……」
キーン、と響く耳を片方塞ぎながら、ランテの額をパチンと弾く。
あぅっ、と額を抑えたランテを見ながら、結構力加減が難しいものだな、と思った。
そう、ランクアップ。
元々鍛えていたというのもあってステイタスはかなり高かったらしいのだが、先の遭難事件でどうやら一定以上の
お陰で今朝がたステイタスの更新したら目出度くランクアップした。
ただでさえ恩恵を受ける前と受けた後ではかなり違ったのに、ランクアップはその比ではないな、というのが素直な感想になるだろう。
異常なまでの万能感が全身に満ち満ちている。試してはいないが多分、全力でジャンプすればそれだけで一軒家の屋根くらいには届く。
恩恵を受けることにより、人の枠を外れたのだと考えるのならば、レベルが上がったというのは己の限界を拡張させられた、といった感覚だ。
明らかにこれまでと立っているステージが違う。
慣れるにはちょっと時間がかかりそうだな、と思うと同時に、俺よりランクが一つ上──つまり、レベル3である団長:レトゥーサは本当に強かったのだな、と再認識した。
アルテミスファミリアでは彼女が唯一のレベル3で、レベル2も俺を含めて五人しか存在しない。
他は全員レベル1という訳だ。
それだけ、ランクアップするのは難しいという話である。
アルテミス曰く、『冒険』をしなくてはならないのだとかなんとか。
あの遭難もどうやら冒険扱いだったらしい、判定ガバガバか? ……というのはまた違うか。
色々な意味を込められたうえでの『冒険』なのだろう。
「ま、ランテも精進することだな」
「ぐぬぬうぅぅぅぅぅぅぅ……!」
ほら前向け、前。
シッシッ、と手を振ればランテは暫く獣のように唸った後に「うわーん!」と他の団員たちに絡みに行った。
や、絡みにっていうか慰めてもらいにいった感じではあるが。
ランテは、アルテミスファミリア内でもムードメーカーの立ち位置だ。
あるいは、ただの賑やかしとも言うのだが。
こんくらいの扱いがちょうどいいのである、と考えながらアルテミスの手を取った。
ごく自然に、そうすることが当然であるようにその小さな手を握り──
「あれ?」
ミスったな、と思った。
暫くの間手を引いたり、背負ったり抱いたりして移動していたせいで思わず手を握ってしまった。
完全に癖になっている。
これはダメなやつだ。
反射で握った手を、そのまま振りほどこうとして──けれども離れない。
どころかスルリと腕に腕が絡まってきた。
「どうしたオリオン、何を逃げようとしている」
「俺はお前のその積極性に驚きを隠せないよもう……」
つーか腕まで絡まれると普通に歩きづらいんだわ。
恥ずかしさも尋常じゃないし離れてくれない?
ほら見てみろお前の団員を、キャーとかワーとか言ってこっち見てんぞ。
「私だって恥ずかしいに決まっている、甘んじて受け入れろ」
「めっちゃ強気に来るじゃん……受け入れろって何?」
受け入れるにしても場所とタイミングが最悪すぎるだろ。
そういうことは二人だけの時にしてくれ。
いや、先に手を取ったのは俺なのだから言えたことでもないのだが。
かなり抵抗するアルテミスの腕を振り払い──それから、もう一度その手を取った。
「せめて今くらいは、これで勘弁してくれ」
「ふむ……そうだな、今"は"これで良い」
「一々圧が強いんだよ……」
お前メールとかライン、滅茶苦茶長文で返すタイプだろ。
想いが強いのは良いが、重すぎると大体の場合は引かれるから気を付けような。
最悪生き遅れとかいう最悪の罵倒が飛んでくることになる。
悠久の時を生きる神にそんな言葉は無縁なのだろうが。
「これくらいがちょうど良いんだって、これ以上は守りづらくなる」
「今度は私が、オリオンを守ってあげると言ったはずだが?」
「前だって片方が片方を一方的に守ってた訳じゃないだろ。これまでも、これからも守り合う関係だったと思うけど」
「──これは、一本取られてしまったな。あぁ、私の命はお前に預けるよ、オリオン」
「俺の命もな」
精々大切に取り扱ってくれ──だなんて言っていたら、
それ──つまり、アルテミスを祀った古い神殿。
それは巨大な塔が幾つも寄せ集められたような形で──有体に言ってしまえば、城のようですらあった。
古い、と一言で言い表しては来たが、どれくらいかと言えばもう大分風化してしまっていると言っても良いだろう。
あちこちに罅が入り、穴が空いているところも多々見られる。が、それでも崩れる様子は見せない堅牢さを感じさせる。
それと同時に、うっすらとではあるがモンスターの気配も。
巣窟になっているというのは間違いではないらしい。
神殿の入り口に全員が到達し、レトゥーサが振り返り、一度俺達全員を見た。
「準備と覚悟はできているか」
静かな声だった。
けれどもよく通る声で、鼓膜を心地よく打つ。
誰も言葉を返すことは無く、全員がそっと頷いた。
「アルテミス様も、よろしかったでしょうか」
向けられた声に、アルテミスもまた前へと踏み出した。
レトゥーサに並び、俺達全員へと目を配る。
「言うまでもなく、この先には困難と苦難が待ち受けているだろう──だが、臆するな、怯えるな。しかして、油断はするな、侮るな。我々に必要なのは最終的な勝利のみだ、それまでには幾らでも敗北を重ねて良い」
だから、とアルテミスは言葉を紡ぐ。
その翡翠の眼で全員を見て。
美しい青の髪を揺らして。
「潔く戦って死ぬくらいならば、逃げろ。命だけは守れ、生きてさえいれば、次がある。次がある限り、私たちに敗北は無い。どうかそれを、肝に銘じてほしい」
うぉー! というランテの歓声を皮切りに、全員が声を上げる。
ある者は武器を掲げ、あるものは拳を掲げる。
まぁ言うまでもなくやる気満々というやつだ。
「では行くぞ、各々、警戒は必ず解くな」
レトゥーサが背を向けて全員がそれに続く。
当然ながら俺もそれの後を追ったのだった。
神殿内部は、当たり前と言えば当たり前なのだが、光の一つすらもない暗闇の空間だった。
時間的には真昼間であるはずなのだが、内部だけは異常なまでに暗く、それがある種の不気味さを醸し出している。
──それはもしかしたら、俺だけが勝手に感じているだけのものかもしれないが。
いやね、暗闇×蠍のコンボはもう滅茶苦茶味わってきてるんだわ。
普通に嫌に決まってんだろ。
何人かが松明で照らしているとは言え、苦手意識は刷り込まれたなら中々消えないものだ。
帰っても良い? と思っていたらそっと誰かが俺の手を握った。
……いや、誰かというか、そんなことをするようなのは一人しかない訳なのだが。
「これで少しは怖くなくなるか? オリオン」
「怖がってんのはそっちだろ……絶対傍から離れるなよ、アルテミス」
「ああ、決して離れるものか」
私の居場所は此処だからな──と恥ずかしがることも無くアルテミスが言う。
あるいは、顔くらいは赤く染めているのかもしれないが。
残念ながら俺も顔が赤くて目を背けていたため分からなかった。
この神、歯の浮くことばっかり口にするんだよな……等と、そんなことを考えてれば、ようやくというか何というか。
モンスターはやってきた。
あの洞窟で見たのと同じタイプのモンスター。
黒の甲殻に、怪しく光る赤のラインが入った蠍。
それが今、群れをなして大量の声──のような音を立て、同時にレトゥーサの号令が響いた。
──のは良かったのだが、何というか戦闘自体は本当にあっさりと全て終わってしまった。
いや本当に一言でこんなことを言ってしまって良いのか、という気持ちはあるのだが、しかし本当に苦労することも無く蠍はその姿を露と消していた。
考えてもみればそれも当然の出来事であった、ということなのだろうが。
なにせあの時とは状況が全然違う上に、俺より強いのが(飽くまでステイタス上の話ではあるが)少なくとも五人以上はいる訳だ。
しかも人数自体も二十人以上いるし、その連携がまた完成され尽くしているのだ。
何か俺が手を出す前に終わった、というか前衛の五人と真ん中に固まっていた魔法使い軍団の火力で一瞬だった。
魔法ってやっぱり滅茶苦茶凄いんだな……と実感した瞬間である。
アルテミスファミリアの場合はメインの魔法使いとして五人固まっているのだが、全員が炎系の魔法を使うようで合わせて放てばそれはもう物凄い火力である。
お陰でパッと光ったと思ったら後は炭と化した蠍が出来上がっていた。
つえーなおい、本当に。
俺の苦労とか不安とか何だったの? と思うと同時にアルテミスの余裕は此処からか、と思った。
そりゃ安心するという訳だ。
そういうことなら早く言えよ、見た方が早いだろう、だなんて段々と楽になってきた気持ちで軽口を言い合っていれば、不意に全体の進行が止まった。
最奥──という訳ではない。
そこにあったのは、一つの扉だった。
三日月と、それに向かって
ここが、アルテミス所縁の場所であるはっきりとした証拠。
「ここ、本当にお前の神殿だったんだな」
「逆に此処は何だと思っていたんだ、オリオンは」
「いやだってでかいけどめっちゃ廃墟じゃん……この先は、そうでも無さそうだけど」
「──分かるのか?」
「まぁ、流石にな。多分、モンスターの根城ってのが、この先なんだろ」
「恐らくは、な」
アルテミスが、言葉と共に首肯する。
同時に、腰に差していた短剣を静かに抜いた。
「魔法隊、詠唱を」
レトゥーサの声が響き、五人の魔法使いが前に出る。
同じ炎系の魔法と言っても、当然ながら詠唱は別々だ。
こんがらがったりしないのかなぁ、と何となく思った。
いや歌うたってる時に他の奴が違う歌うたい始めたら分かんなくなるじゃん。
そういうアレ。
「何を暢気なこと考えているんだ」
「いやだから脳内盗み見るのやめろって……」
「オリオンが分かりやすすぎるんだっ」
何て、そんなやり取りをすると同時に扉は開け放たれた。
他でもない、レトゥーサの手によって、静かに扉は開き──そして。
炎は放たれた。
炎──あるいは焔と称した方が良いのかもしれない。
一人分の魔法だとしても蠍くらい焼き尽くすには充分すぎる程の火力。それが今五つ重ねられて、扉の先の全てを蹂躙し尽くした。
赤、青、黄、緑、紫。
それぞれの色をした焔が混じり合って、あらゆるものを焼き、焦がし、嘗め尽くす。
拮抗するように飛び出してきた蠍の軍勢のその全てを、真正面から叩きのめ──焔が消えたころには、すっかり綺麗な道が出来上がっていた。
多少焦げ臭くはあるが、それほど焼き尽くしたということだろう。
「え? こんなあっさりなのか?」
「そうでなければ安易に踏み込むなどしない、お前は少々、私の子供たちを侮りすぎだ」
コーン、と頭をアルテミスに叩かれる。
それ自体は痛くなかったが、微妙に言葉が痛かった。
──侮る、か。
それは、確かにそうなのかもしれない。
そもそも恩恵なんて無くてもモンスターと充分やっていける、と思っていたから俺は今まで村で狩人をやっていたのだ。
そこらの冒険者となら十全に渡り合えると思っていた。
傲慢と言えば傲慢だったのかもしれないな、と思いながら、狭くなった道を全員で歩いていけば巨大な広間に出た。
ここが神殿だと言うのなら、まあここは祈りを捧げる場所だったりしたのだろうか。
これだけの規模の神殿だ、相当の人数がいたのだろうし、可能性としては無くはないのではなかろうか。
「ありゃ、道別れてますねぇ、どうするんですか? 団長」
ランテの言葉通り、円形になっているこの広間には俺達が通ってきた道以外にも通じている道があったようで、先の方に幾つも出入り口が設置されていた。
グルリと見回してみれば、俺達の通った道を覗いて七つ。つまり八本の道が存在するという訳だ。
何かいきなりRPGの面倒くさいダンジョンみたいになってきたな、と思う。
これ絶対それぞれの道の先に宝箱あるし、ボスのところに向かう道だけ奥に鍵付きの扉あるだろ。
め、めんどくせ~……。
そんなことを思ってたらレトゥーサと目が合ってめっちゃ睨まれた。
多分あの女も人の脳内読み取る機能持ってるんだよな。
子は親に似るってやつかもしれない。
「また変なことを考えているな?」
「いやそのやり取りもうさっきやったから──」
ドッ、と音が鳴った。
音と共に、目の前で血飛沫が上がった。
同じアルテミスファミリアの団員であるエルフの戦士が一人、頭から容赦なく砕き潰された。
原形が分からなくなるほどの質量で、押しつぶされている。
何に? と問う必要はなかった。
見覚えのある漆黒の尾、それでいて、見たことの無い程に巨大。
「──!」
「散開!」
アルテミスを引き寄せ地を蹴るのと、レトゥーサが指示を出したのはほとんど同時だった。
ワンテンポだけ遅れて他の団員が地を蹴り飛ばす。
それに追従するように、
既に地に突き刺さった尾を起点にするように、巨大な体躯の何か──いいや、蠍が。
さながら撃ち出されたかの如くの速さで天井から地面へと落ちてきた。
「っ、下がれ、アルテミス!」
「無茶だけはするなよ、オリオン──全員、戦闘態勢! 落ち着け、いつも通りにやればいい!」
伝播する動揺を、アルテミスの声が振り払う。
同時に各々の武装を手に持って、全員が
黒の甲殻に、怪しく光る赤のライン。そこまでは良い──というか、概ねの特徴は今までの蠍とは何一つ変わらない。
違うのは、その大きさと、溢れ出す禍々しさだけだ。
まだ、誰も戦意は折れていない、出鼻は挫かれたがアルテミスの声で全員立て直した。
「総員攻撃開始! 前衛は後衛から気を逸らすように積極的に前に出ろ! 後衛はいつでも放てるように詠唱を!」
レトゥーサが、その綺麗な赤髪を揺らしながら声を張り上げて、全員が自分の配置へと着いた。
その中で、ランテと俺が同時に飛び出す。
「私が合わせます、オリオンさんは好きに動いて!」
「良いのか!?」
「もっちろん、派手にかましちゃってください!」
数回の短いやり取り。
レベルが上ということは総合的に──ステイタス上の話ではあるが──俺の方が力が高い。
ついでに言えば、冒険者における集団戦闘の経験自体が俺よりランテの方がずっと上だ。
だからこその提案、拒む理由は無かった。
静かに息を抜き、トン、と小さく地を蹴って──そして。
「がっ、あ──?」
嵐のような一撃が放たれた。
一撃、そして一瞬。
豪速にして豪快、かつ効果的な蠍の尾。
超大な質量の尾が、広間をごっそり抉り抜くように放たれて。
滑り込ませた両手のガードごと、自分の壊れる音が鼓膜にこびりつくように響いて──一瞬、意識が飛んだ。
「ぎ、ぃ……ぁあ?」
痛みで飛んだ意識を取り戻す。
慢性的に生まれる全身の痛みを握りつぶして目を見開けば、広がっていたのは地獄絵図だった。
原形をとどめている団員が、ほんの数人しかいない。
それも全員がレベル2以上で、ランテに至っては──アレを、本当にランテだと断ずるのであれば、だが──上半身は消し飛び、痙攣した下半身だけ、無様に地に落ちていた。
詠唱していた筈の魔法使い組も、同じように飛び出していた筈の前衛たちもみな、一様に身体の半分以上を失っている。
死した人間は戻らない、一瞬で、十五人が死んだ。
どこまでもあっさりと。
恐ろしい程あっけなく。
ドラマ性も、何もなく。
ほとんどが一瞬にしてその命を落とした。
俺が助かったのは、ひとえにレベル2としての肉体があったからに過ぎない──そこまで考えて更に目を凝らした。
アルテミス、アルテミスはどこだ!?
「────ぁ」
声が出ない。
けれどもいた、他の団員に守られたのか、あるいは奇跡的に回避ができたのか。
それは分からないが、それでもアルテミスは地に伏すことでその五体を留めていた。
良かった、と思った。
思うと同時に、マズイと察した。
蠍が、アルテミスの方を向く。
──あぁ、私の命はお前に預けるよ、オリオン。
交わしたばかりの言葉が、脳裏をよぎる。
アルテミスの安心したような顔を、俺のことを本当に信用してくれている眼差しを思い出す。
まともに動かない腕を無理矢理動かして、持ってきたポーションを叩き割った。
血のように赤い液体が、腕と足を急速に癒し──それも待てずに地を駆けた。
蠍がアルテミスの方を完全に向く──間に合え。
蠍の尾が、余裕そうに宙で揺らぐ──間に合え。
アルテミスが逃げようと立ち上がる──間に合え。
間に合え、間に合え、間に合え! 間に合え!! 間に合え!!!
「ぁぁぁああああああ!」
叫びを上げた。
意図してものではなく、自然に声が出ていた。
威嚇するように、こっちを向けというように。
全身を以て、全霊を以て雄たけびを上げながら駆け抜け──尾は放たれた。
スローモーションのようだった。
鋭く研がれたかのような尾が、何よりも速く、何よりも強く。
情は無く、考慮は無く、躊躇いは無く。
全てを無視してアルテミスを狙い放たれ──
「こっちだ、アルテミス!」
「オリオン!」
彼女の腕を掴んで引き寄せる、引き寄せながら身体を無理矢理回す。
激しい摩擦が靴を通して感じられ、尾が肩を掠めるように通り過ぎて地を穿つ。
ただそれだけで、爆発のような衝撃が起こった。
激しい風圧に晒されて、それでもアルテミスを離さず二人纏めて吹き飛ばされる。
「ぐっ……づぅぅ!」
「オリオン! 怪我が!」
「もうポーションはない! それよりさっさと──」
逃げるぞ、という言葉は発せられなかった。
発することができなかった、息つく暇もなく地を蹴った。
突き刺さった尾を起点に、蠍は跳ねる。
「くっ、そ──」
レトゥーサ達に頼むしかない、と思って一瞬だけ目をやるが、しかし広間で動いているのは俺とアルテミス、それからあの蠍しかいなかった。
絶命、あるいは気絶している。
助けは、求められない。
状況は最悪だった、一瞬にして、最悪に陥った。
──どうする? 違う、問うまでもない、逃げる。
どうやって? どのように? アレをどう、かいくぐる?
自問自答は、答えが出ない。
ただ今だけは、全力で走るしかない、とだけ思った。
アルテミスを抱き抱える。
「だい、じょうぶだ、大丈夫。アルテミスだけは、俺が守るから」
「オリオン──オリオン、オリオン。ダメだ、私を置いてでも、逃げて……」
「お前がいなきゃ、この先を生きたって仕方ないだろっ!」
アルテミスがいるからこそ、意味がある。
それは、アルテミスがいなければ意味が無いのと同じだ。
「私だってそうだっ、だけど、それでも!」
「良いから捕まってろ!」
──走る。
ただただ、ひたすらに。
どこまでも地を駆ける、適当な道にさえ入れば、ある程度は逃げやすくなる。
そう信じて、前を見る、走る。
限界があるのならそれを超える、限界以上を無理にでも引き出す。
刹那、蠍のノイズのような奇声がひと際鋭く空間を劈いた。
耳に障る──どころではない。
全身が一瞬だけ固まった、気迫によるものなのか、それとも
何も分からないが、駄目だ、って思った。
この刹那の停止だけで、全てが終わったと直感した。
尾を、避けきれない。
アレをまともに喰らえば一撃で死ぬ、俺はまだしも、アルテミスだけは駄目だ。
覚悟を、決めろ。
「アルテミス」
「ふぇ……?」
「これが最後だ──最初で、最後になるんだけど」
「オリオン……? なにを──」
「愛している、できれば一生、忘れないでくれ」
アルテミスの返答を聞くことは無かった、聞く前にアルテミスを、全力で投げた。
できるだけ細い道の近くへ、なおかつ怪我はしないように。
尻餅をついたアルテミスが俺を見る、同時に、激しい衝撃が俺を襲った。
鳩尾をぶち抜くように、巨大な蠍の尾が顔を出して貫いていき──しかし、止まらない。
「──ざっけんなぁぁああ!」
もう力の抜けきっていた腕に力を入れなおす。
根性の見せどころ、気合の入れどころ。
俺の全てを以てでも止める。
手が削れ落ちていくのも構わず尾を握った、けれども尾は止まらない、止まらない、止まらない!
伸びて、伸びて、伸びて。
進んで、進んで、進んで。
尾は、アルテミスへ向かう。
駄目だ、やめろ。
声にならない叫びが響き──急激に、視界が傾いた。
グラリと落ちる。
何で? と思うと同時に理解する。
尾が、俺の身体を完全に両断したのだ。
ゴボリ、と血が吐き出され続けて、俺の身体はあっけなく落ちて。
そして、蠍の尾はアルテミスの胸を貫いた。
尖りきった尾の先端が、辛うじてアルテミスの胸を貫ききっていた。
間違いなく心臓。
俺が、もう少しだけ頑張っていれば、抵抗していれば。
あるいは、遠慮もせずに投げていれば、届かない距離だった。
その辛うじての差が、アルテミスの命を落とす結果へと繋げた。
守ると誓ったのに。誰よりも、自分自身に誓ったのに。
彼女に似合わない、真っ赤な血が吐き零されて、尾は彼女ごと軽々しく振られた。
ふわり、と高々とアルテミスの身体は宙を舞い、どうしてか、俺のちょうど真横へと受け身も取れずドシャリと落下した。
背負っていた、彼女の金の弓矢が転がり落ちる。
「ぁ、アルテ、ミス……」
声を、絞り出す。
それしか出来ないのが悔しくて。
涙を流すのも許されないほどの罪なのに、勝手に流れだす。
「オリ、オン……?」
アルテミスが、朧げな瞳で掠れた声を出す。
慈愛の眼差しを以て、俺を見る。
心臓に穴を開けられながら、それでも。
「ご、めん……俺の、せいで、守れなかっ、た……守るって、誓ったのに、ごめ、ん、アル、テミス……」
「ふ、ふ──泣くな、オリオン……」
「で、も──」
絞り出し続ける声を、しかし遮られる。
その華奢な腕で、震えながら、俺の涙をアルテミスは掬う。
「こんな話を、知っているか? オリオン。下界に降りた神々は、一万年分の恋を、楽しむそうだ」
「いち、まんねん……?」
「私たちは、無限を生きるが、子供たちは、そうではない。けれども子供たちは、生まれ変わる。生まれ変わった子供を見つけ、また、恋をする。一万というのは、比喩──言うなれば、悠久の恋だ」
「それ、が、なんだっ、て……」
「まだ、分からないのか? きっと、私も生まれ変わる。オリオンも、生まれ変わる。そうしたら、また会おう。何年後か、何十年後か、何万年後かは、分からないけれど。それでも、私は、オリオンのことを忘れない。また出逢って、また手を繋ごう。また、抱きしめ合おう。また、恋をしよう」
「そりゃ、また……ロマンチック、な話、だ。絶対、にみつける。アルテミス、のこと、忘れない。何度生まれ、変わっても、また、アルテミスのこと、好きになる」
「ふ、ふ、私も、だ……」
──愛しているよ。
言葉が重なり合う。
アルテミスが、儚げに笑って、俺にの手に、手を重ねた。
渾身の気力を以て、それを握れば、アルテミスは嬉しそうに笑って、そして。
その目を安らかに閉じた。
閉じると同時に、それはやってきた。
巨大な蠍が、口に当たる部分を震わせながら、静かに歩み寄ってきていた。
今更、何の用だよ、と思う。
思うと同時に、それは
──は? ちょっと待てよ、おい、待て、待てって。待ってくれ、駄目だろそれは、ふざけんな、おい!
「────!」
声がもう出ない。
蠍はその醜悪な口を以て、
骨が砕け、肉が潰れる音がする。
それにふざけるな、と叫ぶ声は、もう出なかった。
「────────ぇ」
しかし、次の瞬間、血を吐き出しながらでも声が出た。
いや、出さざるを得なかった。
何故なら、なぜならば────アルテミスが、結晶のようなものに閉じ込められて、現れたからだ。
蠍の甲殻の内側に、まるで一体化したように。
アルテミスの死体が、取り込まれていた。
──なんでだよ。
おかしいだろ、そんなのってないだろ。
アレでは、アルテミスは一生あのままだ。
生まれ変わることも無く、誰かに助けられることも無く、一生あのまま。
けれども、蠍はもう俺に目を向けることは無かった。
悠然と離れて行く、それを見ているしかない。
意識が遠退いていく、自分の情けなさに涙がまた出始めて、けれども次の光景は、俺の目を覚まさせるには充分だった。
ありえないほど発達したハサミが、レトゥーサ達を挟み潰す。
まだ死んではいなかったであろう団員たちが、ご丁寧に一人ずつ、潰されて死んでいく。
どうやらあの蠍は完璧主義らしい、くそったれが。
くそ、くそ、くそ……!
どうして俺は何も出来ない、どうして、何も為せない。
家族になった人たちを殺されて、愛する神は死体をなお取り込まれ。
俺はただ、ここで死んでいくのか?
恩恵が薄れていくのを感じながら、そう考える。
ふざけるな、と思った。
こんなのは認めない、と思った。
何か──何かまだ手はないのかと、そう思って。
そして、金の弓矢目に入った。
アルテミスの使っていた、アルテミス専用の武具。
それを見ると同時に、思考が急に回転し始めた。
弓矢──矢、魔法、月の一矢。
そうだ、俺には魔法がある。
神々からもたらされる、超常の奇跡。
腕はまだ動くか? いいや、動かなくとも動かす。
「ぁ……ぁぁぁああああ!」
もうボロボロで、指なんて原型もないのに金の弓と矢を手に取った。
身体を起こすことはできない、だとしても、矢を放つくらいはできる。
「【我が主神、我が月女神への愛を以て、我が主神、我が月女神より奇跡を賜う】」
詠唱を、吐き出すように紡いだ。
何度も何度も血が溢れてきたが、それでも。
掠れ切って、声になっていないところもあった気はしたが、それでも。
紡ぐ、言葉を。
愛した女への、愛を紡いで矢を引き絞った。
目なんてもうほとんど見えない、意識だってもう落ちそうだ。
だから、これに全てを懸ける。
代償──必要なのだというのなら、全部持っていけ!
この命、この肉体、この
俺の全部を懸ける、くれてやる!
だから、だから!
ここに、奇跡を────月の一矢!
そうして、矢は放たれた。
見たことの無いくらい、暖かくて、凄絶な蒼の光が視界を全て埋め尽くして───そして。
俺の意識が、身体は、精神は、魂は──存在は。
いとも容易く、崩れ落ちた。
──かくして、奇跡は起こる。
一人の青年、オリオンが放った矢は彼の魔法【月の一矢】によってコーティングされ。
彼の肉体を、彼の精神を、彼の魂を、彼の存在を代償に。
不可能を、可能に覆す。
オリオンという戦士が刻んできた歴史を帳消しにすることで、まだ死んでいない団員は神殿の外に放り出される。
オリオンという狩人が積み上げてきた功績を取り消すことで、死に、取り込まれたはずのアルテミスは、その意識の主導権を、一時的に握る。
『オリ、オン……?』
声にならない声を、アルテミスはあげる。
目の前でその肉体を塵と化す、愛した男を視界に収め、流せない涙を流す。
そして──その男のことを、段々と思い出せなくなっていくことに、アルテミスは気付いた。
月の一矢、代償によって奇跡を起こす魔法。
オリオンは、存在そのものを
それはつまり、彼の記憶も、記録もどこにも残らない。
オリオンという男が、歩んできた足跡をまっさらにすることで、アルテミスは、己の顕現を一部的に取り戻した。
『──ぁ、ぁぁ、ぁああああああ!』
音にならない慟哭を上げる。
アルテミスは敏い女神だった、オリオンという男が、何もかもを自分の為に捨てたのだと理解していた。
全てを捨てた上で、アルテミスが──後に、アンタレスと呼ばれるこの化け物から解放することは叶わなかったのだと、理解した。
理解した、理解してしまったからこそ、アルテミスは最適解を選んだ。
彼女の前に、一本の槍──否、矢が召喚される。
それは、神の手によって作られた武具。
神をも殺せる──つまり、神を取り込んだこの化け物すら殺せる【
アルテミスは、それに新たに名前を付けた。
『オリオン、私の愛する人──何千年、何万年経とうとも忘れない。その誓いの証拠に、私はこの矢に
オリオン──神々の言葉で、それは【射抜くもの】。
ちょうど良い、とアルテミスは思った。
いずれ、私を射抜いてくれ、と。
アルテミスは想う。
愛する男の名を持った矢で、私を貫き────そして、また出逢う。
悠久の約束を刻み、自分の魂の欠片を矢に埋めてから、処ではないどこかへと転移させた。
いずれ、誰かが見つけてくれる。
そうすれば、私の魂の残滓がそれを導き、そしてここに来るだろう。
この矢で射抜けば、この化け物も一撃だ。
重い荷を背負わせることになるが──神とは元来、我儘なものだ。
未来に、全てを託す。
そうすると同時に、またアルテミスの意識は薄れ始めた。
オリオンの起こした奇跡が、終わろうとしている。
奇跡は終わり、現実という名の地獄が戻る。
『その前に、もう一つ──!』
まだ終わらない、とアルテミスは自分の意識をつかみ取った。
そうして、本来自分のもつ、神々の権能を発動させる。
『此処は、この場所は、私を奉るために作られた神殿──であれば、私の力がまだ
神々の権能。
それを使うにはもう、オリオンの魔法によって辛うじて保っているだけにすぎないアルテミスには荷が重い。
それでも、アルテミスは諦めない。
最後に、これだけで良い、と。
アルテミスは全霊を以て、
あの矢を携えるものが来るまで、私の魂の残滓が此処に来るまで。
決して解かれぬように、と願いを込めて。
アルテミスは封印を成し遂げた。
彼女の髪色と同じ、そしてオリオンが最後に放った魔法と同じ、青の光が全てを埋め尽くし──そして。
アルテミスの意識も、また落ちた。
もう、顔も思い出せない。けれども、名前だけは刻み込んだ男の名を呼びながら、アルテミスはそっと目を閉じる。
────オリオン、また出逢ったら、今度は一万年分の恋をしよう。
そう、願いを込めて。
これは、一万年前に一人の男と、一人の女神を恋をした物語。
どこの記録にも残らず、誰の記憶にも残らない──消え去った、男の話。
愛した女神に、その愛を以て、名前を刻んだ男の、物語。
──あるいは、それでも名前を刻むことしかできなかった、男の物語。