そんなやり取りをしてから、どれだけ経ったのだろうか。
最近は随分と戦闘ばかり続いていて、大雑把とは言え計算していた筈の日数すらも分からなくなってしまった。
と言っても、言うほど時間は経っていない……のだと、思う。
曖昧だ、けれどもそんな曖昧さにすら縋らないと、そろそろ限界が近かった。
初めて蠍型のモンスターと遭遇、撃退をしてから戦闘頻度というのは格段に、目に見えるレベルで跳ねあがった。
倒しても倒しても倒しても、蠍は湧いてくる。
湧いてくるたびに倒す、倒す度に湧いてくる。
いたちごっこさながらで、もうどれだけ倒したのか分からない──と、思わず弱音すら吐きそうになるくらい戦えば、ようやっと少々の休憩が取れるくらいだった。
そんなんだから、当然食料は無いし、水も無い。
ほとんど無傷であり続けていたアルテミスも細かい傷だらけで、俺も肩以外は同様の有様だった。
癒える暇がない、ポーションもう半口分くらいしかない、なんの気休めになるか分からんくらいだ。
魔力とか言うやつも、あの日から碌に休んでないせいで特に回復もしていない。
毒が無かったのが唯一のラッキーだな、あったら多分もう死んでる。
そんな状況が──体感的にはもう、一週間は経過していた。
お陰で気持ち的にはもう、二十日近くもこんなところにいる感じだ。
それは当然ながら俺だけでなく、アルテミスもだろう。
最近は軽口のたたき合いもなくなってきていた、どちらも体力的に喋ってる余裕が消え失せてきているのが良く分かるというものだ。
なるべく早く出なければ、というのは分かっているのだが、しかし現実は理想には追い付かないものだ。
どうやらこの洞窟というのは螺旋的構造をしているらしい。それも恐らく、上に行けば行くほど螺旋が狭くなっている。
自然的なものなのか、人工的なものなのか──まぁ、そのどちらもな気がするが、少なくともそういう仕組みだったから、進むべき道を迷うことは無かった。
だがその反面、どうしても通る難易度が高い場所が増えてきていた。
それがまぁ、今直面している蠍地獄って訳だ。
何度か強引に押し通ってきたが、それでも道は随分と続いているらしい。
構造的にどうにも、横にひたすら長く、時折上に上がるって感じなようだ。
後はまぁ、舗装されてないから普通に歩きづらい。
一周ごとの間隔がかなり短いから、出口がもう少しだろうな、という感覚だけがある。
ただ、あと少しが、尋常じゃないくらい長かった。
岩壁に出来た、狭い窪みに身を寄せ合うようにして隠れて身体を休める。
アルテミスの目の焦点が、微妙にブレているように見えた。
「アルテミス……おい、アルテミス、聞こえてるか、アルテミス!」
「んっ……あ、あぁ、大丈夫。少しばかり、意識が飛びかけていただけだ」
「そうか……此処はそれなりに安全っぽい。まだ奴らの気配もしないし、寝てても良いぞ」
「オリオンは……?」
「俺は眠くなったら寝る派なんだよ──つっても、納得しなさそうだから、そうだな、アルテミスが起きたら寝るよ、交代で見張ろう」
だから今は寝とけ、と手を重ねて言えば、しかしアルテミスはそれを払うことは無かった。
「オリオン……オリオンは、何処にも、いかないよな? 私を置いて、何処にも……」
「何だ、ビビっちまったか?」
「……ふ、そうだな、どうにも私も、もう随分と弱ってしまってるらしい。だから、オリオン」
──言葉にしてくれ、とアルテミスは小さく言った。
彼女の細い手を優しく握る。
「大丈夫だ、俺はどこにも行かない──俺達は一蓮托生だ」
「本当か……?」
「ああ、もちろん。お前が死ぬ時は、俺が死んだ後だよ。まあそんな時が来るのはもうずっと後になるだろうけれども」
そう言えば、アルテミスは僅かに頬を緩めてから、かくん、と意識を失い俺の肩に頭を預けた。
これを、珍しいというべきでは無いんだろうな、と思う。
生きるのに精一杯になればなるほど、他の余裕は消え失せる。
プライドを一つずつ捨てて、互いに縋り合って、俺達は生き延びている。
「ふー……」
長く、長く息を吸って、同じくらい長く息を吐く。
リセットだ、頭を切り替えろ。
アルテミスはもう正直言って戦力には数えられない。
彼女はもう歩くので精一杯な上に、そもそも弓矢がもうゴミと化した。
まあ、武器の話をしたらこの短剣も大分ガタが来ているのだが。
そこはそれ、蠍の死体から残った針で代用できる。
身体だってまだ全然動く、流石に初日程のキレは無いが、それに言及したって仕方が無いだろう。
まだ戦えるっていう事実が、今は何よりも重要だった。
「さて、と……アルテミス?」
ぺちぺちと頬を軽く叩いて完全に意識が落ちているのを確認する。
もうずっと浅く短い眠りが続いてたから、そろそろ深く意識が落ちるころかなと思ってたんだ。
こうなればそうそう目が覚めることもないだろう、何せ失神にも近い。
それを確認してから、よっこらせとアルテミスを背負った。
いや、その、なんだ。
多分こうやった方が進むのが早い──というよりは、もうこうするしかない。
アルテミスにもう、これ以上自力で進めるような体力はほとんど残っていない。
それに、ここにはもう、それほど長居できなさそうだしな。
さっきからちょいちょい気配自体は感じてるから、あっちも探ってきてる気がするんだよな。
だから、悟られる前にさっさと出る。
背負ってる代わりに攻撃はできないが、回避と防御に専念すれば問題は無いだろう。
いい加減、こんな生活はさせられないし、していたくない。
少しだけ焦っているな──という思考をかぶりを振って打ち消した。
そんな訳で残りのポーションもアルテミスに飲ませてから立ち上がる。
これでまあ、起きた時には体調が幾らかマシになっていることだろう。
うーん、うん、重みもほとんどない。マジで紙みたいな体重してんな、アルテミス。
まぁ、この生活が元より無い体重を更に削いでるってことなんだろうが。
「ん……」
窪みから少しだけ顔を出して周りを伺う。
視覚ではなく聴覚とそれから後は気配、勘だけで探る。
何だか、こうして字面にすれば人外じみている気がするが、こっちの人は結構当たり前にやってることだ。
特に冒険者とか、狩人とかは必須なところがある。
誰だって自分の命は大切なものだ。
「まさか、暗闇に不気味だと心底思う時が来るとはな」
どうにも俺も結構精神が参ってきているらしい。
や、慣れてるって言っても辛いものは辛いし……。
痛みに慣れているということが、痛みに平気ということとイコールでないのと一緒だ。
まだ壊れないけど、それは壊れてないだけなのである。
そんな言い訳を並べ立てながら、そっと地を蹴り飛ばす。
なるべく揺らすことは無いように、けれども速度は一定以上を保ち続ければ、直に──というか、思っていたよりも直ぐに蠍の群れにぶつかった。
けれども、それに動揺することは無い。
神経を、研ぎ澄まさせる。
意識を、限界まで尖らせる。
ここに来てから随分と隠密行動が上手くなったもんだなぁ、と自分に感心しながら隙間を縫うように駆けた。
──とは言え、それが完璧に上手くいくならばここまで来るのも苦労はしなかったのだが。
蠍の目が──アレが目にあたる器官なのかは知らないが──俺を見た。
冷や汗が流れ落ちて、尾がゆらりと揺れる。
「──っ」
瞬間、速度を急激に上げた。
地を踏みしめ砕くかの如く弾き飛んでそれを躱す。
ガッ! という尾が地面にぶつかる音を契機に、周りの蠍も気付き始めた。
それでも慌てるな、と自分に言い聞かせた。
真っ当にぶつかり合わず、全部すり抜ける。
出来るはず──いや、できる。問題はない。
「ふっ──」
足取りは軽く、力むことは無く、姿勢は低く、リズムは一定にしない。
その上で、蠍たちの呼吸を読む。
実際の時間はともあれ、感覚的にはもう随分と長い付き合いだ。
多少は読めてくる──これは多分、神の恩恵のお陰ってのもあるんだろうが。
俺は元々正面からの戦いとかあまり向いていない人間だ。
基本ジョブが戦士じゃなくて、狩人なのだ。何だかんだ、探索家と言っても良さげな気はするが。
ワイワイガヤガヤ、だなんて可愛らしい擬音で誤魔化すには無理過ぎる程の音が渦巻いている。
四方八方からは尾やらハサミやらが飛んでくるのを、全て紙一重で躱して尚進んだ。
右上から左下への振り落とし、直上からの尾、尾の薙ぎ払い、返す刀のように振るわれるハサミ──あぁくそ多い!
短剣で受け流す、軽く飛んでから屈む、地に片手だけつけて無理矢理胴を傾けた。
「──おっと」
落としかけたアルテミスを拾って抱え直す。
背負ってるより片手で抱えてた方が良いなこれ……と無駄な思考を挟みながら、それでも止まらない、止まらない、止まらない。
決して歩みは止めない、全部躱して、全部受け流して先へと足を付ける。
アルテミスを抱きしめるように抱き寄せて、決して離さない。
これはカッコつけた割には起こしちまうかもな、と思ったがアルテミスはこんな中でもすやすや寝息を立てていた。
まぁ、そうだろうと考えて連れ出したのだから、当たり前と言えばそうなのだが。
鋭く振るわれた尾を逸らして、ハサミの薙ぎ払いとぶつけ合わせる。
そうしてできた空間に踏み入れその度に躱し、弾き、ぶつけ合い、を嫌になるほど繰り返した。
音がする、音がする、音がする。
金属音、歪で高音で、気が狂う程連続してぶつかり合う金属音。
それに混じる不快な蠍の声、俺の荒い息遣い、確かに感じられる、アルテミスの小さな吐息。
全部かき消すような、地面が砕ける音がする、彼らの天然の武装が空を切る音がして──不意に。
気のせいだったかもしれない、あるいは、幻覚か。
つーかそもそも風の音ってなんだよ、という突っ込みが後から湧いてくるが、それでも、それが持つ意味が何なのかくらいは分かった。
前を向く、蠍ばっかりだ。
でももう少し目を凝らす、やたらでかい段差が見えた。
段差というか、階段?
一段一段が馬鹿みたいにでかいが、少なくとも五つ以上は連なっていて、見ようによっては階段だ。
随分厳かな感じである、あそこだけやたら人の手が入れられた、といったような見た目。
あそこまで辿り着けば、蠍共も登っては来れない──そう思うと同時に、洞窟内が随分と明るいことに気付いた。
いや、そうは言っても全然暗くはあるのだが、それでも今まで比べれば随分と明るい。
何故だ──? と思うのと、答えを見つけるのは同時だった。
階段の上に、小さな光が見える。
外だ、と直感した。
跳ね上がった心臓を、湧き上がった興奮を、しかし抑える。
やれるか? 一瞬だけそう思った。
「違うな、やるんだよ」
言葉に出して、自分を鼓舞する。
アルテミスを見て、少しだけ深呼吸。
落ち着いて、熱くなり過ぎず、かといって冷めすぎず。
常に最適を保って駆け抜ける。
俺は──俺の名はオリオン。
かつて、ここに生まれる前に生まれた地球という星の神話で語られた、最高の狩人と同じ名前を与えられた男。
オリオンって、幾ら何でも身にあまり過ぎる名前だろ、と思ったのが懐かしい。
まぁ、もうかつての自分の名前なんて忘れてしまったけれど。
結局後追いのように狩人になって、しかもアルテミスと親交を持つようになるなんて。
何だか運命じみたものを感じるな、と今まで目を背けてきたことを見つめて思う。
しかも蠍に追い詰められるとかどこまで因果関係があるんだよ、と一言だけ愚痴を吐き捨ててから前を見た。
オリオン──人と神の間に生まれた半神半人の男。
あらゆる獣を狩り、荒れ狂う獅子すらも容易く仕留めた超級の狩人。
俺は別にそんな大層な人間じゃあないけれど、そんな素晴らしい狩人じゃないけれど、それでもせめて、その名に恥じないくらいの活躍は、やはりしないとならないのだろう。
他でもない、俺がそう思うのだ。
尾が頭の上を通り抜けると同時に、ひと際強く踏み込んだ。
勝負はほとんど一瞬だ、限界を無視してあそこまで辿り着く。
筋肉と骨が悲鳴を上げる。どうでも良いから全部無視した。
「うっっざい!」
降ってきたハサミを短剣でいなす、同時に軽く跳躍して地を這うように振るわれた尾を避けた。
着地しながら姿勢を下げる、尾とハサミがぶつかり合って火花が散った。
弾き合って、空間ができる。迷わず飛び込んだ。
視界が歪んできた──いや、あるいはもうずっと歪んでいたのか。
分からないけれど、どうでも良い。
蠍の背中を踏み駆ける、あと少し。
ハサミを躱すついでに飛び降りる、スピードは緩めず滑るように駆ける、もう少し。
三方向から同時に振ってきた尾を一本だけ弾き──バキリ、と音が鳴った。
短剣が、砕けて散っていく。
即座に短剣を捨てて飛び込めば尾は背を掠るように地を抉り、目の前に来たハサミが勢いよく振りかぶられた。
「──っ」
反射的に右腕を盾にすれば、次の瞬間今度は腕が折れるような音が響いた。
衝撃、激痛、それでも上げそうになった悲鳴を殺す。
叫べば痛みから思考を遠ざけられるが、その分頭が回らなくなる。
回せ、思考を限界まで回せ。
視界に入る蠍、四体。
階段はもう目の前、左手にアルテミス、右手は大分痺れてる。
けど、足はまだ動く。
「ふぅ……」
息を小さく吐き出して、力を抜いた。
前向きに、よろめき倒れるようにして姿勢を倒してハサミを躱し──加速。
一歩、二歩と飛び出て蠍を踏んで、跳ぶ。
まずは軽く、そうして振り抜かれたハサミを足場にして更に跳んで──追ってきた尾の薙ぎ払いを足裏で受け止めた。
グッと膝を曲げて、衝撃をそのまま跳躍へと転換させて──そして。
想像以上にぶわっと吹き飛び、ドサッとあっけなく階段の上へ辿り着いた。
一段目どころか随分飛ばされて一番上まで来ちまったらしい。
一瞬だけ宙に浮かんでいたアルテミスが上から降ってくる。
「ぐぇっ……とぉ、あぶねぇ、落とすところだった」
まだ声を出せるだけの元気は残っているらしい、と自分を確認してから立ち上がる。
右腕は未だにダメそうだが、もう仕方ないと割り切った方が良いだろう。
そう考えながら、立ち上がる。
いやね、ほら、気になるじゃん。
ちょうど背を向けている、出口の部分。
そこが本当に出口なのか、気になってもう仕方がない──と振り向けばそこにあったのは
「は、はは……」
口から出たのは、乾いた笑い声。
──けれど、それは別に落胆したから
そこにあったのは、黒と言っても、別種の黒。
太陽が沈み、月が上るころにやってくる、夜空の黒だった。
「あー……外だぁ、脱出せいこー……」
何か、そんなことを言ったのか、言おうとしたのかは分からないが。
そこで一気に気が抜けて、俺の意識はストンと落ちた。