「20分でわかるエマ・リーランド」と切り抜きの魔法

実在しない切り抜き映画の考察

2025年2月24日の夜、渋谷ユーロスペースの上映イベントで映画「20分でわかるエマ・リーランド」を観た。大変面白かった。しいて分類するなら短編アニメ映画……になるのだろうか? 映画はほぼ全編、Live2Dで動くVTuberの生配信動画を編集して字幕をつけたもの━━つまり、VTuberの切り抜き動画である。

20分でわかるエマ・リーランド

「20分でわかるエマ・リーランド」は、西暦1320年ごろにイギリスで活動をはじめたニンゲンVTuber、エマ・リーランドによる、700年以上にわたる配信の歴史を20分に切り抜いた(フェイク)ドキュメンタリー映画である。

youtu.be 予告

kirinuki.booth.pm BDが販売されているので買って観てください。

「(実在しない)切り抜きチャンネル」とは何か?

「20分でわかるエマ・リーランド」は、YouTubeチャンネル「(実在しない)切り抜きチャンネル*1」の劇場版である。

(実在しない)切り抜きチャンネルとは何かというと、これが少々ややこしい。普段はVTuberの切り抜き動画を公開しているチャンネルなのだが、チャンネル名で謳っているように、切り抜き元の動画も、切り抜かれているVTuberも現実には存在しない。このチャンネルにある切り抜き動画は、アニメーション作家・沼田友による切り抜き動画の体裁をとった、架空のVTuberを主人公としたオリジナル映像作品である。 ぼくは監督が文学フリマに出展していたのをきっかけにチャンネルの存在を知ったのだが、ここでさらにややこしいことに、(実在しない)切り抜きチャンネルは、即売会では「(実在しない)切り抜き動画の切り抜き前の音声素材」のCDを販売している。

どの動画も配信の切り抜きのフォーマットで、時間もの・パラレルワールドもの・ファンタジー・ホラーなど、現実のVTuberではとても起こり得ないような奇想的なしかけを試みている。

youtu.be 海老名あるくの凸待ち配信中に「未来の自分」が凸してきて……という作品。

youtu.be ゲーム配信中に大きな地震が発生した瞬間、豪徳寺にゃにゃの雰囲気が一変し……という作品。

そんな(実在しない)切り抜きチャンネルが、文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業に採択されて製作したのが、「20分でわかるエマ・リーランド」である。

上映イベント

上映イベントは、前半部が

  • (実在しない)切り抜きチャンネルのセレクション(+新作)の上映
  • 沼田監督と「(実在しない)切り抜きチャンネル」演者VTuberトーク

で、休憩を挟んで後半部が

  • 20分でわかるエマ・リーランド
  • 沼田監督、やみえん、エマ・リーランドのトーク
  • あいさつ

の構成で行われた。イベントが機材トラブルでなかなかはじまらなかったので、実はこのイベントも実在しないのでは……?と少し不安もあったが、本編がはじまると後は特にトラブルもなく、大変楽しめた。

上映イベントは演者VTuberトークゾーンと最後のあいさつの瞬間を除き、700年間活動しているVTuber・エマが実在しているメタレベルで進行した*2。特に前半のはじめのはじめに流された動画が、映画の起源ともいわれるマイブリッジの「動く馬」モチーフのものだったのには、これから気合の入った虚構の世界が展開されるぞ……!とワクワクさせられた。

映画本編については後述する。映画本編のあとのトークゾーンでは生配信でイギリスのエマ・リーランド本人と中継がつながり(映画と同じメタレベルなので監督は「切り抜いた人」扱いである)、監督とやみえん、エマによる制作秘話や妖精の伝承、歴史の話が展開された。エマが監督に対して「本当はもっと日常的な配信が多いのに、感動的に見える部分だけ切り取っていて偏向報道だ!」という旨のクレームを言うのはセルフでドキュメンタリー批判をやっている感じで面白かった。また、エマがやみえんの黒歴史*3を暴く、という形式で「ずっとニンゲンを見てきた隣人(グッドフェロー)がそこにいる」という映画のテーマを生で実演していたのもよかった。

切り抜きの魔法

そのメディアであることに自覚的な作品は、そのメディアの特性を浮き彫りにする。特にこの性質が顕著なのは、メディアの黎明期の実験的な作品や、メタフィクション、モキュメンタリーといったジャンルである。では、(実在しない)切り抜きチャンネルによって浮き彫りにされる、「VTuberの配信切り抜き動画」の特性とは何か?

「架空のVTuberの」「配信の」「切り抜き動画」であるという三点について、それぞれの特性を検討してみよう。

VTuberのレイヤーは背景の現実を曖昧化する

架空のVTuberを用いることによって浮き彫りになるのは、VTuberは一般に人間を虚構の存在にするが、その虚構のレイヤーによって「その先が虚構か現実か」を曖昧にし、無意味化する作用がある、ということだ。卑近な言い方だと「中の人などいない」というやつである。

映像としての虚構のレイヤを一枚かぶせることでその先を想像しにくくする/想像の余地を残す点では、アニメもそうだといえるが、キャラクター性にまつわる状況を加速させたのがFaceRigやモーションキャプチャといった、演者の感情をリアルタイムにキャラクターへと反映させる技術の発展だろう。

以前、3Dモデルをステージ上に投影するタイプのアイドルマスターのMRライブに行ったときに感じたのが、それまではシナリオとして収録された音声を話すのみだったゲームのキャラクターが「モーションキャプチャと声でリアルタイムに反応する」だけでこんなにも生き生きとして見えるのかという驚きだった。動きと声の対話的応答によって(演者によるアドリブ性は強まっているはずなのにかかわらず)背景の演者の存在は意識から離れ、キャラクターとしての実在性が高まってしまう。この現象は、動きと声の対話的応答こそが本コンテンツであるVTuber(の配信)により顕著と言えるだろう*4

現実世界における妖精を説得力のある映像的で描写することは困難である。ここで、VTuberというレイヤの存在は、「中の妖精」を直接描写することを回避しながら生き生きとした妖精を描くことを可能にする。「直接描写しない」ことは、ある意味で最もリアルな妖精の描写の方法と言えるだろう。

配信画面は観客との対話を内蔵した一人称視点の語りである

配信というフォーマットは、演者が観客に一人称視点で語りかけるメディアの形式である。配信画面と語り口の似たメディアとしては、一人称視点の一人コントや音声作品の形式が近いだろうか。

お笑い芸人のルシファー吉岡は、一人コントの強みとは「周りが見えないこと」であり、見えないことによって二人コントや三人コントよりも客に想像させる自由度が大きい利点があるという*5

www.youtube.com

この動画では、「自分がお父さんで、息子が自分にどうしても聞きたいことがある」設定のコントで、息子の質問が「お父さんってオネエなの?」だとしたとき、この(発声されない)息子の声を父のセリフでどう説明するかが重要で、「え?お父さんがオネエだって?」とオウム返しするのは筋が悪く「うん、うん、うん、うん、なるほど あの~、質問を質問で返すようで悪いけどさ、なんでお父さんのことをオネエと思ったんだい?」のほうがウケるという例で、セリフによって周囲の空間を想像させることや、会話の流れの自然さの重要性について言及している。*6

一人コントや音声作品と違って、配信画面というメディアは視聴者コメントの中から気になるものを拾って読み上げることがあるので、形式的にはオウム返し的な「コメント読み上げ」に不自然さがないのは面白い違いだろう。また、配信画面は「選ばれた視聴者のコメントを配信者が代読する」フォーマットで対話を進めるため、我々は「コメントをしていない/読み上げられなかった視聴者」の気持ちで(時間を超えて)そこにいるかのような空気で配信を聞くことができるのである。 上述のVTuberというレイヤが「妖精を描かないことによってリアルに妖精を描写している」とすれば、こちらの架空の配信画面は「観客を描かないことによってリアルに観客を描写している」と言えそうである。

切り抜きとは編集による価値の創造である

本題、切り抜きとは何だろうか?

ぼくはこのメインビジュアルが好きだ。手前から奥に向かって、森、古城、田園、煙突のたくさんある工場地帯、高層ビルという順に並べた景色は、エマという妖精の700年の(時間軸上の)活動を空間的に配置したものと解釈でき、歴史を俯瞰する構成になっている。

長大な時間の出来事をダイジェスト化して俯瞰できるようにする切り抜きの営みは歴史と呼ばれる。歴史の語りはダイジェスト化される前の長大な実時間を想像させるが、今作は歴史と同じ「700年を20分に切り抜いた」体裁を用いることで、切り抜かれなかった部分である(実在しない)原典の長大さを感じさせる*7

切り抜きの魔法

まとめると、この映画は

  • VTuberのレイヤーによって)配信者の妖精を直接描かない
  • (コメント読み上げによって)視聴者の人間を直接描かない
  • (切り抜きによって)配信の歴史そのものを直接描かない

という三重の間接性によって、実在の形式をとりながら想像の余地を最大限に広げることで、逆説的にエマ・リーランドに実在を与えることに成功しているように思う。

(ここから作品の解題)

「20分でわかるエマ・リーランド」はVTuberの配信画面なのか?

(実在しない)切り抜きチャンネルの動画は、多くが「導入部は普通の切り抜き動画に見えるが、見ているうちにだんだんと異質性がわかってくる」演出で構成されている。

 と考えると、この映画は外観の時点ですでに虚構のレベルが高い、セオリーから外れた建て付けであるとも言える。(常識の想像力では)700年前にYoutubeはないし、700年活動し続けている不死の配信者もいないわけで、「700年活動しているVTuberの切り抜きまとめ」は設定の時点で異質そのものに思える*8。しかし、本当にそうなのだろうか?

映画は暗闇のなか、次のセリフから始まる:

ハロー、私の声が聞こえるんだろ? お気の毒さま お前もそっち側の人間ってことだな?
嘘つき、怠け者、お人好し、夢想家
変わり者、見栄っ張り、悲しみに耐えきれない弱っちいやつ…
そういう人間じゃないと 私の声は聞こえないはずなんだ
ほら、私を見てみろよ
どんな姿だと思う?
(ここではじめてエマ・リーランドの立ち絵が表示される)

エマ・リーランドの声を聞くこと(=生配信の視聴≒映画の鑑賞)の適格条件を「嘘つき、怠け者、お人好し、夢想家、変わり者、見栄っ張り、悲しみに耐えきれない弱っちいやつ…」、つまり現実におけるはみ出し者であることとして定義し、「どんな姿だと思う?」という問いをトリガーにして映画の本編であるVTuberの配信画面を表示する。この構成は、配信画面こそが「妖精のささやき」であることを暗示する。

この配信画面(映画)は妖精のささやきを現代の我々が聞くときの観念的な形式であるという導入を汲むと、そもそも14世紀〜のイギリスという設定なのに中英語ではなく日本語で話しているという飛躍も、700年前にYoutubeはないというツッコミも棄却される。実は、この映画はエマ・リーランドという妖精がいるという前提(ここが一番大きいのだが)を置くだけでよいようにエクスキューズされているのである。ある意味でこれはVTuberの配信画面であり、ある意味でこれは「そういう形で認知しているだけ」という理屈である。

エマ・リーランドの配信

エマ・リーランドの配信(妖精のささやき)は、ほぼ現代のVTuber配信に則った形式で行われる。tale/雑談配信、musike/音楽、study/勉強、inn/飲み、morning/朝枠、play/ゲーム配信(バックギャモンやナイン・メンズ・モリス、チェスなど)、newe garnement/新衣装お披露目などは初期から行われているのに加えて、スパチャのような形で牛乳がプレゼントされるし、メディアが発達した後半はfan talk/ファンとの通話企画、ジャックザリッパーの正体の考察配信、appreciate fan arts/ファンアート鑑賞、radio hear along/ラジオ同時視聴、モンティ・パイソンや女王の戴冠式、結婚式を見るwatch along/テレビ同時視聴など……

これらの配信が行われるうちに、エマの背景の「庭」には謎のタペストリーや肖像画、お墓の落書き、ゲーム盤、盾、ティーセット、黒板など、過去の配信にまつわるのであろう、思い出のアイテムが増えていく。庭に置かれる数々のアイテムは映画では特に経緯が語られることなくいつのまにか増えていて、切り抜かれなかった部分(=本チャンネルの配信)の存在を強烈に暗示する。

中でも印象的なアイテムは、妖精パックをあしらった木製の青い盾飾りだろう。エマが「他の妖精が姿を消すなか、なぜ私だけが生かされているのか?」を自問自答するシーンで、なぜかこの盾が動くのである。VTuberの配信においては、配信ソフトウェア上に配置したオブジェクトが勝手に動くことは考えられない。では、なぜ盾は動くのか?

なぜ盾は動くのか?

言うまでもなく、チャンネル登録者数が10万人に達すると銀の盾、100万人に到達すると金の盾が贈られるように、盾とはYouTubeの象徴であり、また視聴者がいることの象徴である。

また、青い盾飾りはテート・ブリテン美術館にある妖精パックの彫像の構図をもとにデザインしたもののようだ(エンディングでオフィーリアの絵とともにこの像が映っている)。

www.tate.org.uk

テートの解説によると、この彫像はThomas Woolnerによるもので、妖精パックが腹ペコなヘビから寝ているカエルを助けようとしているシーンで、パックの”想像上の伝記”の一場面として作られたという。

(先述したように観念的な形式ともとれるとはいえ)本来は配信画面に置かれた物体が自然に動くということはあり得ないが、盾が動くことの象徴的な意味を考えることはできるだろう。
まず、この盾飾りは、元となった彫像が「パック(=エマ)の想像上の伝記の一場面を切り取った作品」という点で作品そのもののシンボルともとれる。
また、「食べられそうなカエルを助けるために今にも足でつっつこうとしている妖精の像」は、危機的な状況にあるものを妖精的ないたずらごころ助けるシンボルでもあり、この像が実際に動き、消えそうになっていたエマ(=カエル)に気づきを与えるのは道理とも言えそうである。

まとめると、像を象った盾飾りには

  • エマ自身のシンボル(妖精パック)
  • トリックスターが危機を救うことのシンボル(ウールナーの彫像)
  • これまでニンゲンと交流してきた歴史の蓄積のシンボル(Youtubeの盾)

といった多重の意味がこもっており、盾が動くことは、「これまで配信してきた歴史が形づくった自分自身によって、自分自身の存在理由(ニンゲンを知るのが楽しいから続けられること)に気づかされる」ことを意味する。
「観ている人がいるから」ではなく「楽しいから」ニンゲンと交流する妖精として存在しつづけられているのだ、と自分自身で気づくシーンは、妖精としてのあり方であると同時に、配信者やクリエイターとしてのあり方を問う創作論としても読める非常にいいシーンであると思う。

隣人《グッドフェロー》というテーマ

長々とオタクみたいなことを書いたが、結局のところ、ずっと人間を眺めてどうしようもないやっちゃな~と思いながらもどんなにどうしようもないやつでも見捨てずに面白がり続けてくれる不滅の隣人《グッドフェロー》、という存在は直球で好みである。自分の一部に人類代表みたいな謎の自我があって、ものを忘れることのない存在が数百年も人間を眺めてなお諦めないでいてくれることの救いって絶大というか、人類ってまだいていいんだみたいな気持ちになって、いいよね

落穂拾い

  • おまけ:「20分でわかるエマ・リーランド」のここがすごい!
    • 実は30分ある
  • 切り抜き動画が存在すること自体が、その原典の面白さを発信したいファンがいる事実を示している、というのは面白いかも
  • メタレベルの高いトークゾーンのあと、最後の最後のあいさつで実際の演者(赤咲アタリ)のクレジットが明かされて、演者が報われてよかった……という安心もあった*9
  • しなりき動画第一号の船乗ちとせの銀河鉄道回、最後サーバーに繋がらないし、作中に言及のある一人ラジオの発展で、「銀河鉄道で孤独に耐えかねて存在しない視聴者に語りかけているVTuber」と解釈できて、(現実に)存在しないVTuberが(架空に)存在しない視聴者に語りかけているのが第一号なのだな……と思った。
  • ↑のように思っていたら、続編で元気にマイクラ実況していて元気そうだったのでよかった━━と思いきや、読み上げる長文コメントが、孤独すぎて無機物に恋する話、一人坑道を掘り進める話、認知症の話……という感じで全然安心できないのだった。
  • しなりき動画、コメント欄で「元動画を見ていた」視聴者がなりきりコメントしている面白みがある。

en.wikipedia.org

画像は(実在しない)切り抜きチャンネルのBOOTHから引用しました

*1:しなりき、と略すらしい。

*2:幕間に流れていた麻雀トークは実在のVTuberとエマの存在が同居している特殊なメタレベルだった気がする

*3:破壊神ケットシーとしての活動

*4:アドリブ性の裁量が大きい一方で認知されるキャラクターとしての実在性は高くなってしまうことは、演者にとっては必ずしも歓迎すべきことではなく、強いストレスの原因にもなっていると思う

*5:ここで注意したいのが、周りを想像させる自由度の利点を使えるのはあくまで「架空の配信」というメディアであって、現実の配信では周りは実在する。

*6:プロよりもうまくなるためのバイノーラル音声作品文章教室』にて、音声作品ライター・毛ガニは「基本、バイノーラル音声作品は聴き手のキャラクターに対してしゃべるのに、聴き手のキャラクターは発話できません。かといって、一方通行的にしゃべりかけられるだけですと、それはそれで違和感がありますし、展開も進めにくくなってしまいます。ですから、聴き手以外のキャラクターの発話だけで、聴き手も含めた会話が成り立っている必要があります」という文脈で、この最も簡単な方法としてオウム返しがあるが、日常の会話ではオウム返しはほとんどないため、不自然で違和感のある文になってしまう、と奇しくもルシファー吉岡と似た批判をしている。

*7:切り抜き動画は演出過剰になることを許されるメディアである、と見てみるのも面白いかもしれない。切り抜き動画は元動画の特徴的な部分を恣意的に切り取るので、世には失敗シーンや絶叫シーン、感傷的になるシーンなど、ある特定の方向性に限定して編集するので、動画単体では演出過剰に見える傾向がある。

*8:設定の類似性としては、NHKの番組「義経のスマホ」を思い出す。平安時代スマホやインターネットがあったものとして歴史の流れを翻案したもの。

*9:もちろん映画のスタッフロールでもちゃんとクレジットはされていた