江﨑文武のBorderless Music Dig!

~“新しい”音楽は、常にジャンルの狭間で生まれている~ 様々なジャンルの音楽を、ボーダレスにDigっていく音楽番組です!

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《第2夜/後半》魚豊(漫画家)とBorderless Talk!

異なるジャンルのクリエイターをお招きして、創作と音楽について語りつくす『Borderless Talk』のコーナー。ゲストは、MCの江﨑文武さんが「どうしても会いたかった」という漫画家の魚豊(うおと)さんです!

【出演者】

MC:江﨑文武(音楽家)

ゲスト:魚豊(漫画家)

  <プロフィール>
1997年、東京都生まれ。2018年『ひゃくえむ。』で連載デビュー。2020年から連載した『チ。―地球の運動について―』にてマンガ大賞2年連続ランクイン、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞など数々の漫画賞を受賞。  

漫画家・魚豊をDigる

江﨑:魚豊さんは、2020年から『チ。―地球の運動について―』を連載。この作品が手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞されるなど、大きな話題を呼びました。『チ。』は15世紀のヨーロッパを舞台に、異端とされていた地動説を命懸けで研究する人たちの生き様と信念を描いた作品で、僕、実は高校の時の親友から「めちゃくちゃ面白い漫画が出たから絶対読んだほうがいい」って言われてすぐ読んだんです。

魚豊:恐縮です。

江﨑:どうして地動説をテーマに漫画を描こうと思ったんですか?

魚豊:まず「知性と暴力」に関する漫画を描きたくて、それには地動説が一番合うのかなと思って選んだんです。知性と暴力が単に相克しているんじゃなくて、実はものすごい近いところにある表裏一体のものだ、っていうテーマにも地動説を使ったら迫れるかなと思って選んだって感じです。

江﨑:「知性と暴力」というキーワードを考えると、かつてはインターネットって集合知な意味でユートピアのすごい空間になると思われていたのが、実際は言葉で刺し合うような世界が誕生してしまっているし、今の社会の中で、「知性と暴力」というのはかなり身近なテーマだなと、思いながら作品を拝読したんですけれども。

魚豊:ありがとうございます。

江﨑:哲学を勉強されていたと伺いました。

魚豊:哲学は個人的に好きだったんですが、大学2年までしか行く金がなかったんで、就職に役立つというより好きなことやろう、みたいな感じで決めて。一方で漫画家になりたいっていうのは既に考えていたので、漫画のためにもなりそうだな、って。

江﨑:僕、浅いところしか知らないんですけれども、魚豊さんの作品は画のインパクトとストーリーのバランスがめちゃくちゃ美しいなと。音楽は抽象的な表現だし、ある種小さい頃から積み上げたものをちょっとずつ吐き出していくっていう部分もあったりするので、ストーリーテリングだったりそれを視覚化していくところがすごい、と。

魚豊:僕からしたら、逆に音楽にまさに同じような感想を抱きますね。ものすごい神秘的というか、何をどう操作すればそれができるのかみたいなことが、ずっと謎で。でも音楽はものすごく感動するし、好きだし。

執筆作業と音楽

江﨑:魚豊さんは漫画を描く作業中って、音楽お聴きになったりしますか?

魚豊:聴く方だと思います。ただ、脚本作っていたり、「ネーム」という下書きみたいな作業、コマを割っていく作業の時は全然聴けなくて。たぶん左脳的な作業をしている時はあんまり聴けないんですよね。邪魔になるっていうか、どっちにも気が散っちゃって集中できなくて。なので、絵を描くとか、線をなぞるペン入れ作業をやっている時はものすごく聴けて。(音楽と作業が)ぶつかり合わないでスムーズにどっちにも集中できるので、本当に楽しい時間ですね。

江﨑:最近どういった曲を聴かれているんですか?

魚豊:最近すごいハマっているのは、東京を中心に活躍しているラッパー、ミュージシャンのMaphieさんとJoe Cupertinoさんの『Forum』っていう曲です。

♪Maphie『Forum』feat. Joe Cupertino

江﨑:めちゃくちゃ面白い曲ですね。まず冒頭の音がすごく面白い。これ、たぶんピアノのサンプリングをしているんです。現代音楽の領域で割と使われる「内部奏法」という、ピアノの鍵盤ではなく、中に張られた弦を直接指で触ったりして音を出したものを継ぎはぎしてこのサウンドを作って、その上に「どういうサウンドがのってくるんだろう」と思ったら、すごい四つ打ちの割とポップなメロが乗ってくるっていうのが、すごく裏切られた楽曲で。

魚豊:僕もほんとうに一聴してすごくよかったというか。今おっしゃったように絶妙なギャップ感がとても心地いい。ベタにくるんじゃなくて、裏切られながらも気持ちいいみたいな、享楽的な面白さがあるなと思って。しかも『Forum』ってアルバムが、「コロナ禍が明けつつある今」みたいなものをテーマに作っていて。この曲が表題曲で、まさに夜明けっていうか、イントロから暗いのが徐々に徐々に明るくなってくるような感覚や、鼓動が速くなっていく感じがあったり。で、その中には希望や期待だけじゃなくて、「これでよかったのか、この先大丈夫なのかな」みたいな不安も確実にある。でも、そこでそっと背中を押すみたいな優しさもすごく感じて、トラックもリリックも、ものすごくいいなと。

サンプリングは過去と現在をつなぐ「友情」

江﨑:この曲はヒップホップっていう枠組みだけで語っていいのか分からない楽曲だとは思うんですけど、ヒップホップがすごくお好きだっていう話を…。

魚豊:ずっと好きだったんですけど、ちゃんと聴き始めたのは高校ぐらいですね。90年代くらいはアングラヒップホップがかっこよかったと思うんですけど、2000年代くらい、僕が小学生とか中学生の頃って、日本語ラップはすごくダサいという社会的な空気感があって、でもずっと僕的には「この独特の技法めちゃくちゃかっこよくね?」と思っていて。それが高校生、大学生の頃に『高校生ラップ選手権』とか『フリースタイルダンジョン』で、MCバトルを中心にヒップホップが特殊な形で、でもある意味、まっとうな形で再発見されて、「やっぱり間違ってなかった」みたいな、すごい勇気が出ましたね。あとはやっぱりサンプリングの面白さとかにも、惹かれて聴いていましたね。

江﨑:音楽でサンプリングって呼ばれる技法は、美術の領域だとコラージュ、もうちょっと哲学に寄るとブリコラージュみたいなことが出てきますけれども。そういった手法で作品を紡いでいくこともあるんですか?

魚豊:ありますね。しかもそれは意識しようがしまいが入ってきてしまう、自分が見たものを再編集して違うパッケージにして出す感じです。結局は何をサンプリングするかっていう、編集の力と出力方法で「同じことを言っているんだけど、でも新しく感じる」みたいなものが生まれる気がして。僕、目指したいなって思っている言葉があって。哲学者のメルロ=ポンティが「天才っていうのは新しいものを作る人じゃない。新しいものなんて存在しないからだ。だから天才っていうのは、誰も注目してないある部分に注目してスポットライト当てる人のことだ」みたいなことを言っていて。再発見とか、そこに逆に新しさがあるっていうか。しかもそれをメルロ=ポンティは「友情だ」って言うんですよね。時を超えた作家同士の友情だって。昔の偉人が、「お前、俺のそこに気づいてくれたんだ」みたいな。そういう表現もめっちゃ素敵だなって。

江﨑:そうですね。ポップスとかの領域だとすぐにパクリだと言われるんですけど、ヒップホップの領域ではサンプリングっていう作り方が当然なので、何か引用することがリスペクトを示すものとして存在しているっていうのが、引用文献をちゃんと示すみたいな感じですごく学術的でもありますよね。

魚豊:あと単にサンプリング的な面だけじゃなくて、リリックの「韻」がリズムとかメロディーを作っていくというのも、ものすごく面白いじゃないですか。日本の哲学者の九鬼周造が「韻は本来関係なかったものをつなげるってことだから、自分が出会ってない可能性に出会えるんだ」みたいなことを言っていて、すごい良いなと思って。

江﨑:面白いですね、それ。めちゃくちゃ。

魚豊:確かにリリックには音が同じっていう理由だけで言葉が入ってくるじゃないですか。でもそれで、言葉同士が関係し合っているようにも見えるっていう、新たな可能性に気付ける。そういうのって本当に素敵だなっていう。

江﨑:めちゃめちゃ素敵ですね。

AIアートとクリエイター

江﨑:ここで一曲、魚豊さんの漫画観と合う音楽があるということで、ご紹介いただきたいと思います。

魚豊:はい。yanagamiyukiさんの『おえかきジュモナー』です。

♪yanagamiyuki『おえかきジュモナー』

江﨑:これもまた特徴的なトラックですね。初音ミク的な、ボーカロイド的なラップというか。発音もはっきりしないところもあって、独特の作り方ですね。これ、ラップの内容は全部聞き取れるものですか?

魚豊:ちゃんとすばらしい歌詞があって。去年、2022年は生成系AIの爆発した年で、AI系アートがめちゃくちゃ出てきてたじゃないですか。これはその作られた「AIアートの側」の曲なんです。バズんなかった、気持ち悪い、失敗しちゃったAIアートの絵の気持ちの歌で。

yanagamiyukiさんって人工音声、ボーカロイドを使う方なんですけど、初音ミクでも「一時期流行ってたのに忘れられちゃったよね」「私、忘れられたけど、まだ歌えるけどね」みたいな歌を歌ってたり。常に人工音声が歌う意味があるリリックを書く方で。

で、この曲はまさに「自分は愛されないけど何でこんな不用意に生まれてるんだろう」みたいな内容で。粗製乱造された自分の存在意義みたいなものを問うてる、しかもめっちゃノリノリで。単に聴いててもなんか、すごく心地いいんですよね。「気持ち悪い心地よさ」というか。

江﨑:音響的な部分でいうと、ミックスとか割とラフなところもまだ残ってるな、という印象はあるんですけど、それ以上にコンセプトがすごく面白いなって思いました。Chat GPTとかいろいろ出てきて以降、特に生成系のAIが我々の生活に近いところまで来ている、次の産業革命みたいなものが起きているな、とすごく思うんですけど、漫画の領域でも何か考えることあったりしますか?

魚豊:それに関して言うと、漫画はまだなのかなと。漫画の漫画たるというかメディウム・スペシフィシティ、固有の特徴はたぶん「コマ割り」だと思って。で、「コマ割り」っていうのはまだAIがどこまで理解できるんだろうと。音楽と一緒だと思うんですけど、「コマ割り」にはリズムっていうのがかなり重要な要素のひとつで、そのリズムみたいのは多分学習可能だと思うので、それをAIにめちゃくちゃ読ませて理解させたら、ある方面の漫画も作れるようになるんだろうなとは思いますね。

江﨑:なるほど。我々モノを作る人たちからしたら、「どんなに生成系のものがすごいって言ったって自分が作りたくて作っているんだから、まあ知ったこっちゃねえ」みたいな気持ちになるな、と僕は思うんですけど。

漫画のリズムと音のキャラ化

江﨑:「コマ割り」は、やっぱり漫画においてすごく重要な要素なんですね。読者に、リズムとかテンポを提示するってことなんですか?

魚豊:僕は一番重要だと思っていますね。コマが、かなり読者の感情や読み味っていうものをコントロールしていると思うので。オーセンティックなコマ割りもいいんですけど、奥深いのは、微妙に外れていたり、よれていたりするコマ割りにも、奇妙なノリ方がある。ディラビート的な、よれたりへたったりしてるビートの方が逆に乗れるみたいな。しかも「何かかっこよくね?こっち。」みたいな。僕は音楽に対してもそういうことを思ったりしますが、漫画のコマ、絵にしても、ちょっとへたってる方が逆に魅力的に見えることがあるような気がして。そういうものも含めて読者さんをコントロールしつつ、コントロールの範疇を読者さんが出て、さらに面白がるみたいなところもあると思うんです。

江﨑:「コマ割り」って、デザインとして視線誘導的な、心理学的な側面で重要だっていう話なのかと思ったら、そこからちょっとはみ出るものが面白いと。そこが表現の領域だなと思いました。芸術的なものとデザイン的なものの狭間みたいなところにコマ割りがあるのかもしれない、ってことなんですね。

魚豊:本当にそうだと思いますね。コマを割ったらそれが動いていて、空間が見えることに気付くってすごいことだと思うし、しかもそれが読めるっていうのも、「人間にそんな機能あったんだ」みたいな、そういう驚きはすごくあるんですよ。

江﨑:なるほど。そしてさらっと「ディラビート」という言葉が出てきて、僕は音楽の人として非常にびっくりしているんですけど。J・ディラもお聴きになるんですか?

魚豊:10年代後半にそういう曲も馴染みが増えた印象です。チチッ、チッ、チチってハイハットがよれるみたいな、「めっちゃいいじゃん、これ」って思って調べて、ディラビートっていうんだ、って知って。

江﨑:僕はWONKってバンドをやっているんですけど、まさにJ・ディラのビートをバンドで表現するっていうのがコンセプトなんです。J・ディラ本人も、MPCっていう機械で音楽を作る時代が訪れたタイミングで、「機械で均整の取れた音楽を作るのではなく、人間ならではのゆらぎは残して音楽を生み出すことこそが心地よさにつながるんだ」みたいな、まさに均整の取れたコマ割りではなく、ちょっと外しがあるみたいなことをやっていて。本当に同じですね。

魚豊:そうですね。表現とか面白さについて個人的に思っているのが、常に「反復」と「逸脱」っていうふたつの面白さがあって、それを行ったり来たりする「反復」と「逸脱」の境界線上が一番いい表現じゃないかと。

江﨑:漫画では、読者はコマ割りの部分ですごくテンポを感じる、リズムを感じる瞬間がありますよね。それと、漫画って音表現が文字によって行われていて、オノマトペをたくさん使ってるところが面白い。文字と感情が視覚化されていて。テレビ番組でキャプションだけで笑えるのって、そういうところに由来しているんだろうな、と思うんです。魚豊さんは漫画を描く上で、オノマトペについて考えることってありますか?

魚豊:僕自信はどっちかっていうと、オノマトペを操作するのが得意ではないっていう意識があるんですけど、すごく重要なものだと思います。乾いた銃声のときは「パキンッ」って書いてあって、重い銃声のときは「ドン」みたいな、そういう違いみたいなものが。漫画で、どこにどの大きさでどういう配置で文字を置くかっていうのは作品全体をコントロールするものですよね。例えば、白抜きされてる「ド」なのか、黒くベタ塗りされた「ド」なのかで、重みとか乾きとか湿度みたいなものも変わってくるなっていう。

江﨑:なるほど。僕、大学院で幼児の音表現支援の研究をやっていて、そこで扱っていた大きなテーマがオノマトペだったんですよ。人って「オノマトペとして表現された時に面白い音」にすごく興味を抱くんです。そもそもオノマトペっていう文化自体が日本では海外に比べてかなり豊かで。「雨が降る」っていう描写ですら、ポツポツとかザーザーとかみんなが共通で認識できる、いろんな言い方があるじゃないですか。

魚豊:音のキャラ化みたいなものが行われているんでしょうね。それが日本っぽいのかな。

江﨑:だから音が軸にあって、それを視覚化していく表現が豊かになるのもすごく合点がいくというか。

魚豊:なるほど。ブーバ/キキ効果じゃないですけど、ブーバって言ったら丸っこい感じで、キキって言ったらちょっと尖っている感じ。そういう音、確かにそっちだよな、みたいな感覚的な傾向があるのもまた面白いですよね。

劇伴の魅力

江﨑:漫画でリズムやオノマトペを用いて、ある種、読者をコントロールしているように、実は音楽も意識的に聴き手をコントロールする瞬間っていうのはいくつかあります。ポップスの領域でも、サビの前にちょっと隙間を作ればより感動につながるとか、一瞬無音を挟むことで緊張感を与えて、その後それを解放してあげるとかいう手法があって、特に映画音楽の領域では、感情をコントロールする表現がたくさんあるんですね。実は魚豊さんは劇伴(音楽)もよくお聴きになると伺いました。

魚豊:超詳しい訳ではないですけど、大好きで。まさしく感情をまんま持ってかれるというか。劇伴ってものすごい力があるというか、それ聴きながら街を歩いてるだけで、なにか事件が起こるんじゃないか、そう感じる時間がとても好きですね。

江﨑:中でも好きな曲は?

魚豊:クリストファー・ノーラン監督の映画『インターステラー』の劇伴、ハンス・ジマーの『Mountains』が大好きで。

江﨑:ハンス・ジマーは『パイレーツ・オブ・カリビアン』などでも知られる、おそらく今、映画音楽界で一番売れている作曲家なんですけど。聴いてみましょう。

♪ハンス・ジマー『Mountains』

魚豊:映画の中で、未知の惑星に着陸した時に遠くに山が見えていて、それが実は超巨大な津波だったってことに気づく一連のシーンがあるんですけど、この曲はそこで流れるんです。その様子がそのまま音楽になっているというか。

江﨑:緊張感がめちゃくちゃある訳でもないし、でも何かが迫り来ているみたいな、その微妙な塩梅のところを狙っている音楽。

魚豊:聴いていて「何かに気付いちゃう怖さ」みたいなものがある。でもそれって、逆説というか、「既に気付いている」んですよね。(曲中)今ここで津波がバーッと来ましたけど、ここの表現も本当にすばらしいですよ。「もう気付いているんだけど、でもそれを直視したくない」感覚が描かれている気がして。その不安感と、でも同時にテンション上がっちゃってアドレナリン出ちゃっている感じで、しかもそれが美しいっていう。これ聴くとそんなふうに思って、すごいなって。

江﨑:(劇伴などでは)一般的に恐怖と対峙する時とか、必ずこのあと恐怖が来る、みたいなことを示すためには、低音をたくさん入れるんですよ。それは音響心理の分野でも納得のいく説明がされていて。そもそも生物って低音を聞くと、自分よりも大きな生物が接近している感覚に陥るようで、低域音が鳴ると、やばい、なんか逃げなきゃいけないかもと。サバンナの動物は未だに、地鳴りから外敵の襲来を感じ取って逃げているらしいです。

魚豊:めちゃくちゃ面白いですね。

江﨑:魚豊さん位いろいろ音楽をお聴きになっていると、ご自身の作品がこれから映像化される時には、すごく細かな指示が出せそうですね。

魚豊:いやいや。僕は素人ですし、でもめちゃくちゃ楽しみにしたい部分ですね。映像作品を観るときに(音楽を)本当に重視しちゃう。っていうか重視せざるを得ないというか。一番(観客を)コントロールしている部分ですよね。

託されて、つないでいく

♪ヴィンチェンツォ・ガリレイ『6つの舞曲による組曲』

江﨑:ここからは魚豊さんの漫画『チ。―地球の運動について』について伺いたいと思います。実は今流れている曲、『チ。』に少し関係があるんですけど、お分かりになりますか?

魚豊:優雅ということ以外は何もわかりません…。

江﨑:これ、地動説を主張したガリレオ・ガリレイのお父様、ヴィンチェンツォ・ガリレイの曲です。実はお父さんは作曲家だったんですよ。

魚豊:いや、これすごいですよね。まさかのつながりです。今日このために来たんじゃないかっていう。

江﨑:15世紀のヨーロッパを舞台に、異端とされていた地動説という真理を様々な登場人物が命をかけて後世に託してつないでいくストーリーっていうのが『チ。』なんですけども、劇中何度も主人公や時代が移り変わっていくっていうか、1巻目、主人公だと思って感情移入して読んでいたら「あれ?」みたいなね。このような構成をとったのはどういう理由からですか?

魚豊:「知性と暴力」とか、地動説に関する「人々の話」を書きたかったので、一人の天才が一代で変えるっていう話にはしたくなくて。現実でも何かが変わる時は、いろんな時代と場所で大勢の人が関わってゆっくり、でも大きく動いてくところがあると思うので、いろんな登場人物を出したかったんです。

江﨑:なるほど。世の中の大きな考え方が変わる瞬間とか、あるいは優れた創作物を目の当たりにすると、どうしても「この人は天才だからできるんだ」と考えてしまいがちですけど、実は小さなことの積み重ねや、人と人との関わり合いの中、また時代を超越した関わり合いの中で、全てのものは生まれているんだよなっていう事を感じられる作品だったなと思います。

魚豊:そう言って頂けて大変ありがたいです。

江﨑:これ、音楽も視覚芸術も全く一緒ですよね。

魚豊:そうだと思います。音楽を作っている時、意識せずに、でも何かを引き継いでいるという感覚はありますか?

江﨑:ありますね。かなり意図的にヒップホップのサンプリングみたいに「これは誰々風のやつを持ってこよう」とか、すごく考えるので。完全なるオリジナリティーなんて、そんなものはないんだと。ちょっと先ほどのお話にも重なりますけど。

魚豊:そうですよね。しかもそれは創作する上での「希望」になるというか。今僕が書いているセリフはもしかしたらめっちゃいろんな偉人が関わっている、みんなで協力して作っているって自分で思い込めるのが楽しいというか。

江﨑:先人たちから託されてつないでいくみたいなところが、我々クリエイターにも使命としてあると思うんです。

魚豊:しかもそれを勝手に、託されている気になれるのが僕らの特権で、一番楽しいところだと思うんですよね。どんな駄作でも、何か超偉大な過去の作品たちと自分が面白いと思ったものの流れの中に自分を置いちゃう、ある種のナルシシズムというか。それをやりたいっていう純粋な気持ちっていうのは、創作のいいところだなと思う。

実は褒められることじゃないっていうか、単に勘違いなんですけど、だけどそれをやっている時、すごい生きている、命や魂が充実している感じがするし、そういうことを思えるのは人間の理性の良さなんじゃないかなと思ったりするんですよね。

江﨑:素敵ですね。確かに脈々と受け継がれてきたその文脈の中に、自分を位置づけるという行為こそがクリエイターの生きがいみたいなところはありますね。

魚豊:その傲慢さみたいなものが生きがいなんじゃないかなと。

Borderlessなアートの楽しみ方

江﨑:番組の前半で美空ひばりさんを取り上げたんですが、彼女もお父様から口で伝えられた音楽と、師匠(川田晴久)との関係性が今の自分を作っているとお話しされていたみたいなんです。リスナーの方にも読者の方にも、美術を見るにしろ漫画を読むにせよ音楽を聴くにせよ、「文脈」を理解しながら楽しむっていうのを、ぜひやってほしいなと思います。作り手のみならず全ての人がそれをやると、とても楽しくなるはずなんですよね。

魚豊:そうですよね。全てが確実に開かれているっていうか、参加できるし、されるのを待っている。

江﨑:『チ。』の中に出てくる星座のように、点と点を線で結ぶ、関係がないと思っていたところに線を紡ぐのは、意外と作り手じゃない。リスナーさん、読者の方がそういった線を引く存在になり得ますからね。

魚豊:読者さんの何気ない、例えば昨日うまいラーメン食ったっていう個人的な経験と、今日読んだ作品や聴いた音楽が結び付くっていうのもすごい醍醐味だと思うし、しかもそれによって人生や毎日が豊かになると思うので。

江﨑:ぜひ『Borderless Music Dig!』を通じて、さまざまな領域のものの点と点を線で紡いでみる。あるいは、この点はどこから来た点なんだろう、この線は誰が引いたものなんだろう、ということを考えながら、いろんな芸術を楽しんで頂ければと思います。ゲストは魚豊さんでした。ありがとうございました。

魚豊:ありがとうございました。とても楽しかったです。