今日は、椎名林檎の「Between Today and Tomorrow」を聞いている。
清家章は、「卑弥呼と女性首長(学生社)」(以下清家論文という)の第3章「卑弥呼と女性首長の権能」の「1はじめに」で以下のようにいう。
清家論文では、「卑弥呼は、女性首長が出現し、かつ一般的に存在する時期に登場した」ということを前提にして、「それまでは男性が主張に就任するのが一般的であったにもかかわらず」、「なぜ女性首長が弥生時代後期後半から登場し、古墳時代前期まで存在するのか」と、問題提起し、以降の論述で、「男女の役割分担を明らかにする」ことで「それを解き明か」そうとする。
清家論文の前提には、先述したように異論があるが、とりあえず、以降、清家論文の論述を確認してゆく。
清家論文では、続いて「2性的役割分担の研究」の「①女性と戦争」で、以下のようにいう。
清家論文では、まず、「副葬品からみた戦争と男女」について検討し、「熊本県野田古墳」や「滋賀県雪野山古墳」の副葬品配置や「殺傷人骨」などの分析から、「弥生時代から古墳時代にかけて、女性が軍事にたずさわったことは考えがた」く、「女性首長は軍事権をもたず、女性兵士は基本的に存在しなかったと考えられる」という。
清家論文では、次に「文献史からみた軍事権と女性」について、関口裕子や溝口睦子などがいう「女性が戦争に係った記録がある」という主張を検討する。
清家論文では、その検討の結果、「女性が軍事にかかわった記載はあまりに少な」く、「女性が軍を直接指揮したことを示す事例は」、日本書紀の崇神天皇の記事に書かれた、「吾田媛一人」で、この記事に「どの程度の史実が反映されて書紀に記載されたのかは不明である」という。また、日本書紀の記事に書かれた「女軍」という記載も、兵士の「性別に関係なく精鋭と弱兵という二区分を男・女という言葉で表現した」という。
清家論文では、それらに加わえて「人類学のG=P=マードックの研究」に依拠して、世界的には、「戦争と密接な関係を有」す「金属加工・武器制作と交易は、いずれも男性優位労働であ」り、そこから「戦争も男性優位労働の一つである」という。
清家論文では、これらの検討の結果、「考古学的にも文献史料的にも、さらには殺傷人骨のあり方から人類学的にも女性首長が軍事権に関与した可能性は低く、女性兵士も存在しなかった可能性が高い」という。そして、「戦争は基本的に男性が担って」おり、「軍事権に関しては男性がより優位にあり、かつ実際の戦闘は男性が指揮を行い、男性が兵士となっていた」という。
清家論文は、魏志倭人伝では、「軍事的象徴の旗である黄幢は難升米に授けられている」ので、「邪馬台国の軍事権は男弟あるいは難升米がより積極的に掌握していた」という。
清家論文の、ここまでの論述には、とりあえず、異論はない。
「とりあえず」というのは、「女性が戦争に係った記載」は、日本書紀などの記録で、古墳時代から見れば後世のものであるということと、「実際の戦闘は男性が指揮を行い、男性が兵士となっていた」状況でも、「女性首長が軍事権に関与」することは、卑弥呼と難升米の例のように、可能であると考えることからである。
清家論文では、続いて「②女性と祭祀」で、以下のようにいう。
清家論文によれば、弥生土器の絵画に描かれた鳥装の人物を検討すると、「頭に羽根状の飾りを付け」「戈と盾を持つ」人物は、「祭祀における武器使用」が「武器副葬は男性に限られ」ていたことに準じれば、男性であると考えられる。
そして、「羽状の袖を持つタイプの鳥装は」、「その下腹部に女性器が記されていること」から、女性であると考えられる。
だから、弥生土器の絵画に描かれた鳥装の人物から、女性も男性も祭祀に係っているので、「男性首長は積極的に儀礼=祭祀を執行していた」と考えられる。
また、副葬品からみた祭祀と男女については、「鏡や腕輪型石製品などの祭祀具の種類や配置に違いは認められない」ので、「副葬品からは、祭祀に対する男女のかかわりに差はなく、両社ともに祭祀にたずさわった」と考えられる。
さらに、「女性首長が港や航海にかかわっており、とくに航海における女性の祭祀的側面を重視すべきだという見解」について、「海辺の古墳においても男性首長が認められるので」、「成り立つ余地がない」という。
なお、文献史料にみる祭祀と男女を検討すると、岡田精司や義江明子が指摘するように、文献史料からみると「古代においては男女がともに祭祀にかかわっている」と考えられるという。
また、斎宮・斎院・聞得大君の例は、後世のもので、この存在から「卑弥呼の性格を類推することは正しいことではない」と考えられるという。
清家論文では、以上の検討の結果、「女王や女性首長は例外であるという決めつけ」を説明するために女性の「特殊な理由や能力を探」そうとした結果、「女性の祭祀的役割を過大に評価して、祭祀的能力をもって女性が王や首長になり得たと考えるのは間違いである」という。
そして、「女性首長は弥生時代後期から古墳時代前期にかけて一般的に存在するので、特殊な理由を求める必要なはい」という。
ここまでの論述は、「弥生時代後期から」を除けば、異論はない。
清家論文では、続いて「③農工具の副葬と男女」で、以下のようにいう。
清家論文によれば、「人骨と副葬品の対比において、農工具における性別の偏りは認めにくい」ので、「女性首長も多様な生産活動を統括していた」と考えられる。
だから、ここでも男性首長と女性首長の差は考えられない。
清家論文のここまでの論述に異論はない。
清家論文では、続いて「3ヒメヒコ制批判」で以下のようにいう。
清家論文によれば、清家章自身の研究成果に加えて田中良之の研究成果も援用すると、「古墳時代前中期の埋葬人骨を調査するとキョウダイと判定できる埋葬事例が圧倒的に多い」という。
また、「副葬品から被葬者の性別を判別する」と「一つの古墳に埋葬された被葬者がすべて同性から構成されている」「同性婚埋葬」の「事例が少なからずあ」り、「古墳被葬者がキョウダイを中心とする血縁者であり、夫婦ではない」と考えられるという。
そして、こうした「同性婚埋葬と考えられる古墳は、非首長墳においても認められる」という。
なお、清家論文では、「祭祀的能力を持つ女性と軍事・政治を担う男性が共同統治を行う、というヒメヒコ制」について、発掘資料からは、キョウダイ「の中で男女ペアの場合のみヒメヒコ制として特筆することはおかしいこと」であり、「男女にかぎらないキョウダイが首長権や王権を分担していた」と考えられる、という。
そして、「男性首長と女性首長の役割」については、「基本的に祭祀的役割には両性に違いは認められない」が、「女性首長は軍事権を持たないか、少なくとも男性より劣位にある」ことから、「男性首長はすべての首長権を執行しうる」が、「女性首長の場合には性的役割分担に基づく男女による共同統治の必然性が生じる」という。
清家論文のここまでの論述に異論はなく、田中良之や清家章が、古墳時代前中期に一つに古墳内に夫婦が埋葬されることはないということを明らかにしたことは、重要で貴重な成果であると考える。
また、そうした視点からの「ヒメヒコ制」への批判も、そのとおりであると考える。
清家論文の、ここまでの論述に異論はない。
清家論文では、続いて「4まとめ」で以下のようにいう。
清家論文では、男弟が、「「佐治国」という役割を果たした」「卑弥呼の統治形態は、このような性的役割分担から合理的に理解できる」という。
先述したように、清家論文の主張とは異なり、弥生時代後期では、墳丘墓の副葬品からみると、女性首長の存在は明確に確認できない。だから、卑弥呼の例は、墳丘墓の副葬品からみる限りは、例外であると考えられる。
清家論文の、この点には異論がある。