「にしても皆さん。良くあの堤防を登れましたね」
警視庁所有のヘリに揺られながら、高木刑事は怜子、コナン、宏一に話しかける。
運河に浮かぶ小船から引き揚げるつもりで急行してみれば、なんと中々に高くそして急な堤防を登り切っているではないか。
堤防の上で手を振る3人の姿を目視した時、高木刑事はもちろんのこと流石に佐藤刑事も驚いた。
「最近関係者が狙われてますから、もしかしたらと思い万一に備えてロープを車に積んでいましたが……大正解でした」
「えっ! ってことは皆さんロープ1本であの崖を!?」
「それよりも刑事さん。宏一が、堂本ホールが爆発してるって言ってるけど、やっぱり誰かが爆弾を仕掛けたんでしょうか?」
宏一の答えに、素で驚愕する高木刑事。
面倒な質問をされないよう、怜子は深刻な顔立ちで会話に割り込んだ。
高木刑事は生真面目な性格だからか、断定はしない。
しないのだが。
「爆破の原因はまだはっきりしてないので、現時点では何とも……ですが」
断言する佐藤刑事の顔に迷いはない。
「状況から見て爆弾による爆発とみて間違いないわ」
「しかも、ただの爆弾魔じゃないよね? 時限式かリモコン式かどうかは分からないけど。おそらく4人組を殺害したのと同じ犯人」
コナンがそう推測して言うと、佐藤刑事がコナンの発言に同意する。
「そうね。最初の事件も爆破事件だったものね」
直後、遠方から爆発音が聞こえてきた。
音の原因はもちろん、堂本音楽ホール。
コナンは血相を変えて、高木刑事を問い詰める。
「ねえ、中と連絡取れないの!? 中に蘭姉ちゃんとおじさんたちが!!」
「それが中と通じないんだ。犯人に切られてしまったのか」
「けど、携帯電話とかはーー」
「無理ね」
怜子はばっさり切り捨てる。
「上演中は電源を切っておくのがマナーだし、ホール内は一部を除いて圏外なの。……それにたぶん中は大丈夫だと思うわ」
「え!?」
怜子の発言に、コナンはぎょっとする。
宏一が怜子の発言の続きをしゃべる。
それは怜子と発言者本人を除く全員を驚愕させる内容だった。
「ホール内は完全防音・完全防寒になっておりますので。外部からの騒音は完全にシャットアウトされます。おそらく、そもそも爆発には気付いてないのかもしれません」
「「えぇえっ!?」」
「じゃ、じゃあ。コンサートを続けている可能性もーー」
「「えぇ、あると思います」」
佐藤刑事の言葉を、怜子と宏一はまったく同じタイミング同じ言葉で肯定する。2人の言葉は完璧にハモっていた。
その発言を1番深刻に受けて止めていたのはコナンだった。
コナンは何時になく真剣な顔になる。
「けど、爆発するのがいつまでも外側だけとは限らないよ」
コナンが脳裏に思い浮かべているのは蘭の姿。
「もしかしたら今も。いやもうすでに中で何か起きているかもしれない」
♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬
「ひどい」
ヘリの上から、爆発の惨状を見た佐藤刑事が思わずといった様子で零してしまうのも無理はない光景。
あちこちで火の手があがり煙がもくもくと立ち上る。
「出入口付近が見事に全部吹き飛ばされていますね」
ちらっと見えた惨状を見て冷静に宏一はそう述べた。
そんな宏一の発言に、コナンは頷く。
「これじゃあ救出は無理だよ」
「次にどの柱が爆発するか、わからないものね」
「外側の柱は全部で23本よ。もしかしたら全部爆発させる気なのかも」
佐藤刑事は爆発の惨状を見て、消防による救出が危険である原因を見抜き、怜子は最悪の可能性について言及する。
高木刑事はたいそう驚く。
「えぇぇ!? それじゃあどうやって」
焦る高木刑事を他所に、怜子と宏一のコンビは至って冷静だった。
ただ冷静というだけではなく、今後予測される全体の動きについて、怜子と宏一は話し込んでいた。
「――屋上から入るしかないんじゃない? ホールの屋根がヘリの重みに耐えられるかどうかは知らないけど、中に入るなら、あそこからしかないわ」
「まあ十中八九屋根が抜けるでしょうから、ヘリを限界まで下ろしてもらって、その後飛び降りるのが妥当でしょうね」
「そうね。2、3メートルくらいにまで降りてもらえるなら、何とかなるもの」
「どれくらい長く滞空できるのか……それが未知数ですので、降りるとなれば早くしなければ」
だが2人の会話の内容はまるで、2人も降りること前提のようで、……当たり前のように降りることが許可されると思っているらしい。
だから、佐藤刑事は、思わずといった様子で確認をする。
「もしかして……2人とも降りるつもりなの?」
「ええ。そうですよ?」
「それに何か問題でも?」
きょとんと首を傾げる怜子と宏一。
「だっ、駄目に決まってるじゃないですか!」
高木刑事は怒る。
とても正義心が強く、そして市民思いの良い警察官だ。
しかし、高木刑事の思いやりは怜子・宏一には通じない。否、通じてはいても、2人はあえてそれを無視して主張を続ける。
「屋上から4階の通路は入り組んでいるのよ。案内が必要じゃない?」
「それにドアは電子ロックシステムで、それを開けるには関係者スタッフのIDとパスワードが必要です。僕がいないと中にすら入れませんよ」
流れるように垂れ流される2人の嘘。
明らかに嘘であると察したコナンは、余計な藪を突いて大蛇に噛まれたくないので、空気を読んで黙っていた。
2人を敵に回す恐ろしさを身に沁みて痛感したから故。
「い、いや。しかしですね」
「議論している暇はないんじゃない? ちょうど爆発が収まっている今のうちに早く!!」
「刑事さん! 事態は一刻の猶予もありません。ここはどうか、柔軟なご判断を」
渋る高木刑事を、怜子は目を吊り上げて、宏一は語尾を荒げながら決断を差し迫る。
決断の時は近い。
――そして。
高木刑事の誘導のもと、ヘリはギリギリまで降下した。
だが。爆発の爆炎で猛烈な上昇気流が吹き上げ、そしてヘリ自身のローターが作る下へと吹き荒ぶ気流の乱れダウンウォッシュが合わさり煽られて安定せず。
操縦士は早く降りてくれと叫ぶ事態。
揺れる機体。佐藤刑事より先に、宏一が真っ先に飛び降りる。その直ぐ後、佐藤刑事が後に続いた。
「秋庭さん!」
宏一はそう言って、怜子に左手を差し伸べる。
怜子は何も言わずに宏一の手を握り締めると、ふんわりと飛び降りた。その怜子の腰に、宏一はさっと手を回す。
着地し終えたことを確認すると宏一はパッと手を離し、怜子と距離を取る。怜子はジトっとした目で宏一を見た。
怜子の咎める視線に気付いた宏一は、首をこてんと横に傾げる。
「……僕になにか?」
「何もないわよ馬鹿」
地上での宏一・怜子のやり取り何ぞ露知らず。
高木刑事は、コナンに残るよう言うのだが。
「じゃあ、コナンくん。君はこのままヘリで……って、コナンくん!?」
コナンはそんなことは知るかと言わんばかりに黙って勝手に飛び降りてしまった。
「僕もここに残るよ!」
コナンは高木刑事の目を見ながら叫ぶ。
「蘭姉ちゃんを、皆を助けるまではね!」
「コナンくん!!」
「それに犯人の顔を見てるんだ!」
「えぇ!?」
咎めようとした佐藤刑事に、コナンは先制口撃を放つ。
犯人の顔を知ってる。このワードの持つ威力は痛烈だ。特に警察官に対しては。だから佐藤刑事も無視できない。
「爆発の犯人かは分からないけど、僕たちを殴った犯人は見てる! このホール内にいるんじゃない!? だから――」
また柱が1本爆発した。
これ以上はヘリが留まることは不可能。
なし崩し的にコナンの同行も許可され、全員ヘリから降りた。
屋上の扉を開けて、一同は非常階段を駆け降りる。
♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬
「ここが4階のうち廊下」
怜子はそう言って、堂本音楽ホールの広い廊下を高木刑事、佐藤刑事の2人に案内する。
だが2人は困惑顔だ。それも無理はない。なにせ、怜子が案内した道筋はどう考えても……しかもさっき入り口だって、
「って、ただまっすぐ降りてきただけじゃないですか」
「それに扉も普通に開いたわよね?」
どう考えても怜子と宏一が言ったことが嘘だったからだ。
嘘がバレた2人は開き直り、さも当然のことのように言い訳を垂れる。
「ああ言わないと降ろしてくれなかったでしょ」
「中々のリアリティのある嘘だったでしょう」
怜子は腰に手を当て得意げな顔で、その隣に立つ宏一は悪戯が成功した子供の様にニカッてピースサインを掲げ、2人は各々の嘘を誇った。
「それにこの子と一緒よ」
「「え!?」」
驚く警察官コンビを他所に、怜子は腰を折ってコナンの目線に自分の目線を合わせた。
「犯人の顔、ほんとに見たのかしら?」
意地悪な顔付きをして、からかうような口調でコナンを問い詰める。そんな怜子の顔はキラキラしていた。
キラリと光る鋭い観察眼。
コナンは頭に手を当て笑って誤魔化すのだが、額に浮かぶ冷や汗は誤魔化しきれていなかった。宏一はクックックッと含み笑いをしていた。
スカートの裾を持ち、迷うことなく疾走する怜子。
そんな怜子の傍を追走し、周りを警戒しながら走る宏一。
少し遅れてコナンと佐藤・高木刑事が走っていた。
とある扉の前で立ち止まり、宏一は怜子の顔を見る。
怜子は頷き、宏一は扉を開け放つ。そして、怜子と宏一の両名がカーテンを開けると――。
満席の劇場。
スポットライトを一身に浴び、ステージに立つ3人。
雄大なヴァイオリンの響きと、荘厳なパイプオルガンの音色、怜子に劣るが祈るように紡がれる歌がホールいっぱいに木霊している。
爆発のことにはまったく気付かず、粛々と行われるコンサートの光景がそこにはあった。
「まさかとは思ったけど本当に爆発に気付いてないのね」
「……ええ」
「とにかく爆弾を探しましょう。この人数を一度に動かすのは無理だし、何より。このホールを爆発させることが目的なら、このホールの中にも爆弾を仕掛けてるはずだから」
「わかりました」
佐藤刑事の提案を、高木刑事は受け入れる。
爆発が起きているとは露知らず、コンサートをただ寡黙に鑑賞しているだけの大量の観客たち。
彼らを一度に避難させることが不可能であることは、考えずとも直ぐに分かることだ。
それに下手に動員して、犯人に気付かれたらホールを爆発させられるかもしれない。犯人が誰で、どこにいるか分からない以上、表立って動くにはリスクが大き過ぎる。
「コナンくん。貴方と秋庭さん、冬森さんはじっとしてて」
「分かった」
佐藤刑事に、返事したのはコナンだけ。
佐藤刑事は高木刑事を引き連れて爆弾の捜索に向かった。
残されたのはコナン、宏一、怜子の3人。
コナンは思考の海に沈んでゆき、宏一と怜子はずっと無言になる。
犯人はおそらく、3年前に亡くなった相馬光の父親。詳しい動機は分からない。しかし、今回の事件の根幹に在るのは復讐だろう。だから4人は殺され、そして秋庭怜子は害されるだけで殺されはしなかった。
何故なら秋庭怜子とは、亡くなった息子『相馬光』が愛した婚約者だから。
秋庭怜子と冬森宏一は、最初から犯人に狙われることを予知していた。理由はおそらく、2人が犯人と親しかったから。相馬光の死にまったく関係のない河辺奏子が意識不明の重体に陥ったことで、宏一と怜子は怜子が狙われる可能性に気が付いた。
――なぜ? 一体、何の繋がりがある。
しかも、何故宏一だけは狙われなかったのだろう?
コナンはずっと黙ったまま、思考をより回転させる。
先に口を開いてのは、宏一だった。
「今気付いたのですが……時間的に爆発が停まったタイミング、あの時は堂本さんが挨拶をしていたのではないでしょうか?」
ずっと違和感しかない例の一音が気になって仕方なかった怜子は閃いた。
「そうよ! あの音。あの音と爆弾が連動してるのよ!」
「堂本さんの挨拶の時に爆弾が止んだのは、観客に爆弾の音を気付かせたくなかったんじゃない。ということだよね、怜子さん」
コナンの発言を受け、宏一はなるほどと合点ポーズをする。
コナンではなく怜子が先に閃いた事実にニヤける口元を必死に引き締めながら、白々しくならない様に、努めて宏一は口を開く。
「なるほど。あの音が鳴らないと爆弾は爆発しない。……となるとパイプに何か仕掛けがあるんでしょうね。それで、あのパイプだけが一音低い……あぁ、それでミューラーさんが行方不明なのか」
宏一の呟く様な独り言を聞きながら、怜子は指を折りある音を数え始めた。
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