かつて、迷宮都市オラリオを支配した最強のファミリアがあった。ゼウスとヘラの眷属たちだ。彼らは三大クエスト――陸の王者ベヒーモス、海の覇王リヴァイアサン、そして隻眼の黒竜の討伐に挑んだ。最初の二体は順調に倒したものの、黒竜との戦いで全滅。以来15年、彼らを超えるファミリアは現れなかった。
やがて、1人の少年が英雄の都を訪れた。その少年は世間知らずで、泣き虫だった。育ての親に変なことを吹き込まれ、身の程知らずな願いを持ってはいたが、何者にもなれずにおわるはずだった。
ただ1人の、
そこから、少年は変わった。憧憬に取り憑かれ、その想いを叶えたいなんていう馬鹿みたいな理由で、雷より速く、
その少年は1人では何も出来ぬことを知っていた。他人に手を差し伸べて、救い、その繋がりを広げた。そうして
パタッ
「さて、物語はこれでおしまい。面白かっただろう?ということで、早く家に帰るんだぞ、きみたち!」
「「「えぇ〜」」」
子供たちがそんな分かりやすい不満の声を垂らした瞬間、読み聞かせていた人物は、困ったような顔を浮かべた。
「そんな如何にも不満ですって声を出されてもなー⋯僕にはどうしようもないよ。それに、今はバイト中で帰れないから少し早く
「「「やだ〜!まだ英雄譚きかせてもらう〜!」」」
「う〜⋯そういわれても⋯」
と子供たちをどうやって諌めようか考えていた時、ふと
「そんなに聞きたいなら、本人たちに聞いてきたらどうだい?」
と、爆弾を投下した。
「「「というわけで、来ました!」」」
「いや、というわけって言われても⋯」
その後少年少女は、善は急げとばかりに急いで目当ての人物がいる
「今ベル家にいないよ⋯」
と、告げられた。
「「「え〜なんで〜?」」」
と子供たちと問われると、その金の双眸もつ少女は少し寂しげな表情を浮かべながら、
「わかんない⋯」
と答えた。
「なにー?!ベルくんが消えただってー?!」
少し夜が更けた後家に訪れた
「やっぱり、何かあったのかな⋯」
と
「「「お兄ちゃんがいないってどういうこと?!」」」
と子供たちは騒ぎ散らす。
「頼むから落ち着いてくれ⋯」
となんとか場を収めようとしているのは、子供たちにお兄ちゃんと慕われている少年の、兄貴分と呼ばれる
「これがどうして落ち着いていられる?!ベルくんが、ベルくんがぁぁぁ!」
「今のベルなら、そうそうやられませんし、そもそも、消えたって言ったって、居なくなったの今朝じゃないですか」
「つまり、このままだと朝帰り⋯ベルが、浮気した⋯」
「ダンジョン行ってた可能性全然あるだろ?!なぜネガティブな方向に持ってく?!」
「「「お兄ちゃんに捨てられた⋯?!」」」
「あぁぁぁもう!!!」
その場が収まることは、ついぞなかった。当然である。どれほど言葉を選んでも、誰かを諌める発言が誰かの不安を募らせ、そもそも発狂で声が通じず、心ここに在らずといったようにブツブツと言い続ける者たち。ヴェルフは小一時間で諦め
「⋯なにこれ」
「つまり?」
「うん。暇だったから手頃な
「寝ぼけてた⋯全然記憶にない⋯」
「と、いうことです。」
みんなの視線が一斉にアイズに向く。すると
「⋯お騒がせしました⋯」
と、謝罪の言葉を口にした。
「はぁ〜⋯とにかく、なにもなくてよかったよ。それじゃ、僕はこれで帰らせてもらうね。昨日から起きてたから、もう眠くてね⋯。子供たちは置いて言っていいかな?話を聞くの楽しみにしてたからさ」
「はい!わかりました」
「またね、ベルくん。偶には帰って来るんだぞ!」
「はい。おやすみなさい、神様」
そう言いながら見送るベルとヘスティアは、傍から見れば親子となんら変わらなかった。
「さて、」
「⋯ごめん、なさい」
「いや、大丈夫だって謝らなくても!心配してくれてありがとね」
ベルは申し訳なさそうに瞳を閉じているアイズに、優しく言葉を投げかけた。ただひとつ、ベルには疑問だった。
「──どうして、忘れてたなんて嘘言ったの?」
そう、アイズは嘘をついていた。
「──どうして、忘れてたなんて嘘言ったの?」
ベルの言葉に、アイズは一瞬、瞳を閉じたまま動かなかった。まるで時間が止まったかのように、静寂がその場を包む。ベルはアイズの表情をじっと見つめながら、彼女の答えを待った。少し離れた場所では、子供たちが「お兄ちゃん、アイズお姉ちゃん、どうしたの?」と首をかしげているが、ベルはそちらに気を配る余裕もないほど、アイズの反応に集中していた。
「……ごめん、なさい」
アイズがようやく口を開いた。彼女の声はいつもより小さく、どこか震えているようにも聞こえた。ベルは慌てて手を振る。
「いや、謝らなくても大丈夫だって! ただ、アイズが嘘をつくなんて珍しいなって思って……。何か理由があるんじゃないかなって」
アイズはゆっくりと目を開け、ベルの顔を見た。その金色の双眸は、普段の落ち着いた彼女とは違い、複雑な感情が渦巻いているように見えた。彼女は一瞬、口ごもるように唇を動かした後、意を決したように言葉を続けた。
「……ベルが、ダンジョンに行くって言ったとき……ちゃんと聞いてた。でも、黙ってた」
「ど、どうして?」
ベルはますます困惑した表情を浮かべる。アイズがそんなことをする理由が、彼にはさっぱりわからなかった。アイズは少し視線を落とし、まるで自分の気持ちを整理するように、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「……ベルが、ダンジョンに行くって言ったとき……私、不安だった。すごく」
「不安?」
ベルは目を丸くした。アイズが自分を心配してくれるのは嬉しいが、彼女ほどの剣士が、なぜ自分のダンジョン行きをそこまで気にするのか理解できなかった。アイズはさらに言葉を続けた。
「ベルは、いつも無茶をする。……私が知ってるベルは、誰かを助けるためなら、自分の身を危険に晒すことも平気でする。だから……もしそれでまた何かに巻き込まれたら、今度こそ、お母さんたちみたいにもう帰ってこなくなっちゃうんじゃないかって⋯」
ベルは一瞬、言葉に詰まった。確かに、アイズの言う通りかもしれない。ヘスティア・ファミリアでパーティを組んで潜っていた時も、リリ達から同じようなことを言われたことがあった。
「だから……黙ってたの。ベルがダンジョンに行ってる間、怖くて……ヘスティア様やあの子たちにそのことを言ったら、騒ぎが大きくなると思ったから、『寝ぼけてた』って嘘をついた」
アイズの言葉を聞きながら、ベルは胸の奥が熱くなるのを感じた。アイズが自分の行動に関してそこまで思っていると考えていなかった。思えば、アイズは前に自分のことを父親と重ねていた時があると言っていた。その時に、少しでも気づくことが出来ていたら。
「アイズ……」
ベルは一歩近づき、優しく微笑んだ。
「ありがとう。心配してくれて。でも、僕だって、アイズがそんな風に悩んでるなんて知ったら、心配になるよ。もし次に何かあったら、ちゃんと教えてほしい。僕、アイズの気持ちを知りたいから」
アイズは一瞬、驚いたようにベルを見上げた。彼女の頬がほんのり赤くなり、すぐに視線を逸らしてしまう。
「……うん。わかった」
そうして、2人は見つめ合い、唇を重ね合わせようとして──
「「「あー!キスしようとしてるー!」」」
「「えっ?!」」
その瞬間、子供たちの一人が我慢できなくなったように声を上げた。誰かがいると思ってもいなかった2人は、一気に顔を赤く染めていく。
「お兄ちゃん!!アイズお姉ちゃん!何! 何の話してるのー?」
「そ、そうだ!お兄ちゃん、アイズお姉ちゃんに何か用なのー?」
子供たちが一斉に騒ぎ出し、ベルとアイズは慌てて顔を見合わせた。
「いや、なんでもないよ。 ただ、ちょっと話してただけで……」
「えー! 絶対何かあるー!」
「アイズお姉ちゃん、顔赤いよー!」
「そ、そんなことない!」
アイズが珍しく声を荒げると、子供たちはますます盛り上がり、ベルは頭を抱えた。
「はぁ……もう、どうしてこうなるかな……」
そのとき、遠くから聞き慣れた声が響いてきた。
「みなさまー!大丈夫ですかー!」
外を見ると、ヴェルフやリリ、春姫、リューといった仲間たちも続いていた。どうやら、騒ぎが収まらなかったときに、ヴェルフがファミリアのメンバーに連絡してしまったらしい。
「ベル様の行方が分からないって、本当でごさいますか?!って、あれ?ベル様?行方知れずのはずでは⋯」
「おお、ベル。帰ってたのか。そんで、どこほっつき歩いてやがったんだ?」
少し怒りを滲ませた表情でヴェルフが言うと、
「実は⋯」
「私が、ベルがダンジョンに行ったことを黙ってた。みんなに、心配させたくなかったから」
ベルが答えようとする前に、アイズが答えた。
その言葉に、リリが呆れたようにため息をついた。
「剣姫様ったら……ベル様のことになると、妙に過保護になりますよね。まあ、ベル様が無茶するのも事実ですけど」
「僕、そんな無茶してるかな⋯」
「「「してるわ!」」」
子供たち、ヴェルフ、リリが一斉に声を揃えると、ベルはがっくりと肩を落とした。リュー、春姫が静かに微笑みながら口を開く。
「しかし、彼女の気持ちもわかります。ベルは、仲間を思う気持ちが強い分、自分を顧みないことが多いですから。彼女が心配するのも無理はありません」
「ええ。私がもしそちらの立場なら、常に布団に潜って、ベル様の帰りを枕を濡らしながら待っていたでしょうし⋯」
「リューさん達まで……」
ベルはますますしょんぼりしたが、アイズがそっと彼の袖を引いた。
「……ベル。ごめん、なさい。でも、これからはちゃんと話す。約束する」
ベルはアイズの真剣な表情を見て、少し照れながらも笑顔を返した。
「うん。僕も、アイズやみんなを心配させないように気をつけるよ。約束する」
その言葉に、子供たちから「やったー!」「お兄ちゃん、約束だよ!」と歓声が上がり、ヴェルフは「まあ、こういう騒ぎも悪くないな」と笑い、リリは「まったく、ベル様ってば……」と呆れ顔。春姫は、「英雄様の告白のようでございます!」と興奮気味でしっぽを振り、リューは静かに微笑みながらその様子を見守っていた。
そして、アイズはベルと並んで歩きながら、そっとつぶやいた。
「……ベル。ありがとう」
「え?何が?」
「……私の気持ちを、聞いてくれて」
ベルは一瞬驚いたが、すぐに優しく笑った。
「当たり前だよ。アイズは僕の大事な仲間なんだから」
アイズは一瞬、顔を赤らめて視線を逸らしたが、すぐに小さく微笑んだ。
「うん……私も、ベルを大事に思うから」
その言葉に、ベルもまた顔を赤らめ、子供たちから「何!何!また何か隠してるー!」とからかわれながら、騒がしい一日は終わりを迎えた。
だが、この小さな出来事が、ベルとアイズにとって、さらなる絆を深めるきっかけとなったことは言うまでもない。
ちなみに、この騒ぎは神々の耳にも届いていた。酒場では「ヒュー!かっこいいベルくん、普段とのギャップがいいねえ!」と盛り上がる神々がいたが、「でも、あのダンジョンジャンキーがアイズちゃんを不安にさせたなんて許せねえ!」「カチコミに行くぞ! !」と騒ぎ出した瞬間、酒場の空気が凍りついた。
「あらあら、そんな騒ぎを起こすなんて、ベルが可哀想じゃない?」
銀色の髪をなびかせた町娘が微笑みながら現れると、神々は一斉に口をつぐみ、震え上がった。彼女の名を口にする者はついぞ現れなかったが、一体何フローヴァだったのだろうか⋯。