薄暗いダンジョンの中を、一人のパルゥムが歩いていた。
ダンジョン、6階層。手慣れてきた下級冒険者達の狩場であるこの場において、そのパルゥム…少女は浮世離れしていた。
肩口で切りそろえたプラチナブロンド。作り物の様なシミ一つない素肌。パルゥム特有の未成熟に見える筈の肉体は、完成された美を思わせた。
均整の取れた身体を包むのは、今の時代には似つかわしくない古い布の軽装備だった。染色すらしていない亜麻色の布を、胸の部分で巻き付けて、背中の方でリボンのように結んでおり、余った布が背中から腰のあたりまで流れている。腰にも同じ布をぐるりと巻き付けて、革のベルトで固定している。素足に革のサンダルを履いて、軽やかな印象を与えている。
肩、ヘソ、太ももをさらけ出しており、ダンジョンにおいては無防備というほかない。
実際、ダンジョンに潜る彼女を見た他の冒険者は、自殺志願者かそれに類する何かとしか思えなかっただろう。
そんな少女の武装は、片手剣と盾だった。
無骨な鋼色の片手剣に、同じく鋼の盾。どちらも良く使い込まれた痕が多く残っており、しかしそれでも鈍い輝きを失っていない。よく手入れされている。
これが、少女、リーリアの武装の全てだった。
「…」
ガラスの様な瞳で周囲を眺めながら、散歩でもするかのようにダンジョンを歩くリーリア。そんな彼女の眼前で、不意に洞窟の壁が一部、ぼこりと浮き出始めた。
ダンジョンはモンスターの母体である。この迷宮の中においては、目に映るものすべてがモンスターを生み出す為の胎盤となる。
『…』
瓦礫と共に生まれ落ちたのは、影がそのまま実体を得たような、奇妙な人型のモンスターだった。
更に一体、二体…数は全部で3体。初級冒険者にとっては、死の危険もある不運この上ないエンカウントである。
ウォーシャドウと言ったか。リーリアは無感情に学んだばかりの知識を思い浮かべる。初心者殺しの異名を持つ厄介なモンスター。情報を精査し、思い浮かべ…しかし、無感情に片手剣を構える。
本能に従い、まず先に生まれた2体のウォーシャドウが、リーリアに襲い掛かった。
『ッ!』
風を切る指刃。だがリーリアはそれを半歩横にずれ、紙一重で避けた。そして一気に地面を踏み、前方へ加速する。
腕、首、胴体を切り落とす。そしてそのまま流れるような動作で、2体目のウォーシャドウの横なぎの攻撃を掻い潜り、返す刀で胴体を切り裂いた。
「次」
冷たくつぶやかれた声にこたえるように、最後に残ったウォーシャドウが、遅れてリーリアに襲い掛かった。
化け物の膂力による、力任せの一撃。それを、リーリアは盾を構えて受けに回った。
ガギィン!、と火花が散る。近すぎず遠すぎず、完全なタイミングと打点で爪の一撃を盾で受けきり―――リーリアは一切揺らぐことなく、代わりにウォーシャドウは勢いのほとんどを殺され、無防備な状態を晒した。
その隙を逃すわけもなく…ウォーシャドウは頭から両断された。
「…」
チリとなって消えていくモンスター達。その場に残された魔石は、リーリアが一目見た瞬間に消え去った。
そして、リーリアは何もなかったかのように再度歩き出す。
もしこの様子を他の冒険者が見ていたのなら、戦慄せざるを得ない光景だろう。見るからに装備の整っていない駆け出し冒険者が、複数のウォーシャドウを相手取り瞬殺するなど本来ならありえない。
さらに、それがもし少しでも目が良い冒険者なら、リーリアが何をやったかを理解できるかもしれない。リーリアはステータスではなく、純粋な技術でウォーシャドウを打倒したのだ。その技量は、恐らくステータス無しでも同じことができそうなほど洗練されており…。
しかし、そんな事誰が信じられるものか。ただのパルゥムが、このオラリオの外でそれほどの技術を得られるものか。恐らく、ここでほとんどの冒険者がただの気の所為だと断ずるだろう。
もちろんこの場を見る者など誰もおらず。リーリアは人知れず、一人ダンジョンを進み続ける。
これが、リーリアの2度目の攻略(セカンド・アタック)の一幕である。
朝から潜り始め、数時間後。リーリアは最終的に10階層まで到達し、その後、夜更けの頃になり…無傷のまま帰還したのであった。
◇
「リーリアさん、いらっしゃーい!さ、入って入って!」
深夜2時。ダンジョンから帰ったリーリアは、とある宿の一室に出向いていた。
リーリアを出迎えたのは、高校生ほどの少女だった。艶やかに腰まで伸びた黒髪と端正な顔立ちは、一目見て普通の人間ではないことが分かる。つまり、神の一柱である。
神ウカノミタマは、今日も今日とて無口無表情のリーリアの肩に手を置き、ニコニコと部屋の中に招き入れた。
「今日もダンジョンに行って来たんですよね?昨日が初めてのアタックだったのに、無理しませんでした?」
「してない」
「そっか~…あ、じゃあ、何階層まで潜ったんですか?」
「10階層」
「じゅっ…」
ウカノは衝撃で言葉を失った。だが、すぐに笑顔を取り戻す。冷汗はかいたままだ。
「…そ、そうですかぁ。あははは…あ、じゃあもう夜も遅いし、早速ステイタス更新と行きましょうか」
「…はい」
ウカノの声に、リーリアは小さくうなずき、服を脱いで椅子に座る。
小さく細い、しかし同時に女性的な柔らかさを持つリーリアの背中に、ウカノは自身の指に針を刺し、神の血を垂らしてリーリアの背中に刻まれたステイタスを更新する。
そして、リーリアの背後でその端正な顔を大きく青ざめさせた。
(この子は…たった一回の攻略でどんだけ成長してるんですかぁ…)
リーリア・ロンウェル
Lv1
力 H120→G221
耐久 I72→H168
敏捷 H111→G204
器用 I98→H191
魔力 I87→H166
耐異常 I
耐悪夢 I
《魔法》
【ルーン魔術】
・ルーンを用いた術を行使可能
【悪月を堕とせ、祈りの矢】
・詠唱式『束ねるは夢、希望、未来への渇望。悪夢を払い、月を堕とすは我が刃。我が身は放たれた一筋の祈りの矢。赤き夜を穿て』
・解放鍵『アスペセト・フェンガリオン』
・魔剣を媒介に発動
《スキル》
【夢結晶】
・過去の経験が獲得経験値に共鳴すると発動
・早熟する
【悪夢断絶】
・耐異常の常時発現
・耐悪夢の常時発現
・任意発動(アクティブトリガー)効果:
・魔剣を媒介に光属性魔力の放出権付与
【救世主】
・世界の脅威と敵対時、ステイタスを高域強化
・戦闘続行中、精神力の常時再生
・戦闘続行中、肉体の常時再生
・戦闘続行中、意志の強さにより魔法を高域強化
【魔剣使い】
・魔剣の正規使用不可
・魔剣の強度を魔剣の性能と自身の耐久分強化
(これだもの!)
ウカノは心の中で悲鳴を上げた。
神ウカノミタマ。彼女は豊穣を司る神である。そんな彼女が地上に降りてきて早1世紀。彼女は他の神と同様、下界に娯楽を求めてやってきた。
そんな彼女が憑りつかれた娯楽。それは眷属を募ってファミリアを形作ることでも、ダンジョンの攻略に躍起になることでも、噂集めに奔走してスキャンダルにヤジを飛ばすことでもなかった。
労働。彼女は労働の楽しさに憑りつかれたのである。
豊穣の神とはすなわち豊穣に至るまでのあらゆる作業も司る。豊穣と労働は切っても切れない関係なのだ。そんな一面が、豊穣の神の中でも特に露骨にウカノミタマの気性にあった。
下界に降りて過ごしたこの100年とちょっと。ウカノは眷属を1人も作らず、オラリオで労働に従事し続けてきた。
リーリアがダンジョンを攻略していた今日とて、日の出すらない早朝から新聞配り、朝から夕方まで屋台のバイト、夕方から日付が変わるまで酒場のウェイトレス…とどこぞの世界線の労基が青ざめる位の労働に勤しんできた。
ちょっと視界がかすみ始めてからが本番。ウカノの座右の銘である。
他の神々は『ブラック戦士』『24時間戦えますかビジネスウーマンゴッド』『労働をキメて悦に浸るHENTAI労働者』『経営者も泣いて逃げ出すエグイ奴』等の異名を付けて、一心不乱に労働に従事するウカノを畏怖している。
そんな彼女が、初めての眷属…リーリアと出会ったのはつい一週間ほど前のことである。
雨の中を、呆然と突っ立っていたのを見たのがウカノが初めて見たリーリアの姿だった。
丁度休憩時間なこともあり、基本は善神であるウカノが流石にうら若き乙女が一人雨に打たれているのを見て放っておけなかったこともあり、とりあえず話を聞くことに。
オラリオに辿り着いたのはつい先日のこと。そこから冒険者やダンジョンの存在を知り、そこでなら新たな使命を得られると思い、ギルドの助言に従いファミリアを探すも全滅。途方に暮れていた…とは本人は言わなかったが、ウカノからすれば間違いなくリーリアはその時途方に暮れていたように見えた。
こういっては悪いが、パルゥムにはありがちの話だった。体格も才覚もどの種族に劣る小人族…しかも女ともなれば、素直に受け入れてくれるファミリアは中々少ないだろう。
どこにでもある不運。本来のウカノであれば、知り合いの友神にでも当たってみようか、などと距離感を保って提案したかもしれない。どこまで行ってもウカノはファミリア運営に興味が無い。そんな状況で希望を持たせるようなことを言うのを憚るはずだった。
だが、その時のウカノは何をトチ狂ったのか、『じゃあ、私が恩恵をあげましょうか?』と提案してしまったのである。
(あの時はそれが最善手だと思ったんです…!こんなことになるはずじゃなかったの…!)
恩恵を刻めば、今後1年は改宗ができなくなる。だがそのデメリットを押しても、今のリーリアには稼ぐ手段が必要だとウカノは思った。
流石に労働に忙しい身であるからファミリアの結成とまでは行かないが、このオラリオには恩恵を刻むだけ刻んで後は全て冒険者個人の裁量に任せる神も他にいる。それくらいならいくら多忙の自分でもできるはず、と楽観視していた。
それに、朝の5時から夜の0時まで埋まっていたウカノのスケジュールだが、もう1時間くらいなら恩恵を刻むために時間を取る程度の余裕があると思ったのも事実だ。これも労働だと思ったら、正直ウカノはWINWINとすら思っていた。
だが、いざステイタスを刻んでみたらどうだ。リーリアのあまりに常軌を逸したステイタスに、ウカノは卒倒しそうになった。
あまりにも厄種。あまりにも非常識。そもそも、初っ端から魔法かスキルどちらか一つ発現するだけでも天才の領域なのに、それが魔法二つ、スキルに至っては四つというのがまずおかしい。
それにスキルの影響で発展アビリティまでついてきていて、レベル1、という文字さえ見なければ、もはやそのステイタスの内容は熟練の第一級冒険者とそん色がない。
その上、魔法やスキルの内容が言い訳できるはずもないくらいおかしい。
まずスキル。これがあり得ない。
【夢結晶】は前代未聞の成長促進系のスキル。レアどころの話ではない。外にバレたらまず間違いなく大騒動になるだろう。
【悪夢断絶】と【救世主】は、一体彼女の過去に何があったのかと頭を抱えたくなった。胃が痛い。特に【救世主】ってなんなのなの。まさか本当に無いとは思うけど世界の脅威と戦ったり世界を救ったりしたことあるのこの子?
相対的に、魔剣に関与するという特性だけでレアスキル確実だろう【魔剣使い】が色あせて見えるほど他のスキルが特異すぎる。
そして魔法。
まず【ルーン魔術】。これが万能すぎる。聞けば攻撃にも防御にも使えるうえ、収納魔術などの便利この上ない術も使用できるのだそう。ルーン文字、という特殊な文字を刻めば無詠唱でどこでも使えるというのも非常に利便性が高い。これ一つだけで食っていける程のものだ。
【月を堕とせ、祈りの矢】については、こっちはある意味ほっとする。何せごく普通の魔法だ。ちょっと意味深なのが気にかかるが、まあ問題はない。そもそもレベル1のパルゥムが持っていいものではないというのが問題ではあるのだが。
(…どうしてこうなってしまったの…)
頭を抱える。
決して誤解してほしくないが、後悔をしているわけではないのだ。ただ、下界の子どもに深く触れる機会はこれが初めてで、しかもその相手…リーリアが、どう考えてもあまりにも壮絶な過去を抱えているということに、途方に暮れているのである。
(1年後の改宗がどうとか言ってる場合じゃないですよね…これ…知っちゃった以上、放ってはおけないですよぉ…)
しかしウカノはただのバイト戦士である。ファミリアのイロハなど知る由もない。
どう守ればいいか分からないのだ。
(とりあえずステイタスのことは他言無用なのは絶対守ってもらうとして、とにもかくにも強くなってもらいましょう。私じゃ絶対守り切れない。まずはどんどん鍛えてもらって、自分を守る術を身に着けてもらわないと…)
ウカノは、リーリアのステイタスを書き写しながら、更に思考を続けた。
(それから…折を見て、過去のことについても話してもらえたら…いやでも、最初に『私は恩恵を刻むだけですからね、ファミリアとしての活動はできませんからね!』って線引きしたの私だしなぁ~!言い出しにくいな~…!)
いや、と首を横に振る。そして、かっ、と目を開けた。
(でも、差し当たっては…まず、10階層に潜った事を叱るべき!)
ウカノにとっての苦悩の日々はこうして始まったのである。
「あ、あのー、リーリアさん!良かったら今日は泊っていきませんか?え?私に悪いからいい?そ、そんな、私全然気にしませんよ?リーリアさん…リーリアさーん!」
労働漬けの毎日が、どこか変わりそうな予感がしていた。