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報告忘れてましたが、読み終わりました。とくに前半ほぼ中日ドラゴンズの思い出話なので、懐かしかった。ガンについては終わり頃の数ページだが、言いたい事が、ぎゅっとまとまっている感じだった。〜〜〜〜〜〜このブログでの大島さん記事の最初。『がんばれ!大島!!』ふと、もうじきWBCが始まるのに、なんか足りないな〜。なんか忘れてるだろ?と思っていたところでした。。。アメブロのニュースに、あの元ドラゴンズの大島さんが、闘…ameblo.jp『負くっか魂!』憧れのスターが大病から再び立ち上がり、職場復帰。もう喜びしかないでしょ〜〜!!今週も週刊ベースボール連載の「冷静と情熱の野球人大島康徳の負くっか魂!!」(負く…ameblo.jp「大島」のブログ検索結果。違う内容も含まれます。【大島】のブログ記事検索結果|Ameba検索Ameba(アメーバブログ)内に存在する、【大島】に関連するブログ記事の検索結果です。search.ameba.jp私が高校生まで過ごした板倉町には本屋は無く、まったくの情弱であったので、野球関係の雑誌の存在も知らなかった。館林で買ったレコード(たぶん実家のどこかにある)のジャケットを下敷きに入れていた。画像は拾ってきました。いやー星野さんも田尾さんカッコいいけど、やっぱり大島さんだったな。勝利の叫び/燃えろ若竜www.ichihara.com中日が優勝した1974年は、まだウチの弟が野球に興味が無くてテレビで見てなかったのだが、見るようになってからは、母と弟が巨人を応援するので「巨人に強い」中日を応援するようになった。という話は前にも書いた。ただのアンチがスタートだった。当時SNSがあったなら!女子美の寮に入ってからはテレビが見られず(テレビあるにはあったが「テレビ室」の鍵はほぼ先輩方のもの)課題をやりながらのラジオ観戦。しかし、東京には本屋が山ほどあり、何と「月刊ドラゴンズ」なる雑誌まであるとは!東京バンザイ!至福の時であった。1982年の優勝の日は母校の中学に教育実習に来ていた。実習に就いていたクラス担任の先生は巨人ファンだったため機嫌が悪かったのを思い出す。グンマーは圧倒的に巨人ファン。誰とも喜びを分かち合えなかった。ああ、せめて雑誌が買えたなら。相変わらず板倉町には本屋が無かった。当時SNSがあったなら!そうしているうちに、就職、一人暮らし。バタバタしてるうちに大島さんは、テレビにあまり映らないパリーグ日ハムに移籍。それと前後して私はプロレスにドハマりしていった。プロレスではアンドレ・ザ・ジャイアントのファンであった。アンドレが亡くなった日、仕事から帰って遅い時間のニュースで知って、たった一人で悲しんだ。当時SNSがあったなら!あったなら!!あっ話それた。〜〜〜〜〜〜次に大島さんを見かけたのはNHKの野球解説でだったか、WBCのコーチでだったか、その頃、ブログも見つけて読んだ。(Amebaよりも前)あった。旧ブログ残してくれてた。大島康徳公式ブログ■バレーボールに情熱を燃やし活躍していた中学時代。高校に入りある人との出会いで、その情熱の矛先はバットを握る手へ。 ■”自分で決めたことは絶対やり遂げる”彼の強い信念は、中日/日ハムでの20年以上にわたる現役生活での結果に集約される。 ■2006年WBCでは、日本代表熱血打撃コーチとして参戦。選手以上に悔しがり・歓喜する姿は、皆様の記憶にも新しいところ。 ■…ohshima-yasunori.at.webry.info学生の頃持ってたイメージと全然違っていた。なんつー面白いおっさんやないか!と。WBCではベンチで記念写真ばっかり撮ってたんじゃないか?とネット炎上しかけていたが、お構いなしだ。面白過ぎ!(あっそうそう、本には、あの時のイチロー選手とのやりとりもあって胸熱)そして、ある日突然、ブログのお引越しとともに、衝撃のガン公表。。。2019年、なぜか、私までガンになってしまい、こりゃ親近感しかないっす!パイセン!という気持ちで毎日読んでいた。大島さんの本の話に戻る。最後の最後に「緩和ケア」についての文章も少しあり、それについては、きっともっと話したかったのかもしれないなあ、と。それを奥様が引き継ぐための新規ブログ開設なのかなあと思った。ナオミ姐さんが元気になるまで見守ろう、という気持ちで読み始めたが、逆に元気付けられる事が多いんだよね。
2021-10-27 21:28:21
コメント(40)
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おはようございます。
アメンバー記事の公開、ありがとうございます。
とてもいい写真です。
私も1年前、抗がん剤の効果がでなければ手術はできない、あとは緩和ケアに、と告知されていましま。ちょうど1年前です。
それから自分でも緩和ケアのことをいろいろ調べています。
体験からくる疑問などこれからお話ししていただけるととても参考になります。
ガン告知からいちねん。
私も癌に負けたんじゃない、自分の人生を生ききったんだ、と思えるように、後悔しないように精一杯やっていきます❣️ゆき
2021-10-28 10:01:46
34
いいお写真ですね。
あたたかいものが流れているような感じがします。
拝見していて、涙がでてきました。
緩和ケアは、患者の気持ちのケアや、痛みをやわらげるものだと思っていました。
これからの人生、何が起こるかわかりません。奈保美さんのブログで、緩和ケアについて学びたいと思います。あっこ
2021-10-27 13:41:26
30
まずは公開ありがとうございます。
とてもいい写真。
主人も大腸がんで9月に旅立ちました。
コロナ禍でホスピスでも面会が制限されていたため、また本人の希望で在宅にて看取りました。まだ気持ちの整理もできぬままブログ拝見してました。主人も生前ブログを一緒にみて
4年を超える闘病すごいと言ってました。
主人は告知から1年3ヶ月それでも懸命に頑張ってくれました。緩和ケアまだまだ治療との両立では病院の判断が難しく、緩和ケアをうけれたのはわずか亡くなる1ヶ月前でした。
幸い主人も在宅で過ごし最期は家族友達に看取られとても穏やかに眠るように亡くなりました。これからもブログにて応援します。マユママ
2021-10-27 08:58:35
29
公開して頂きありがとうございます。アメンバー記事、読むことができなかったので。
コロナ禍の中の闘病で大変だったと思いますが最後の数日をご家族寄り添って看とることができたのですね。大島さんお幸せでしたね。みちこ
2021-10-27 07:38:03
27
とてもイイお写真です。。
悲しい現実を超越して、全てを受け止めておられる、とても優しい表情のナオミさんの お顔に胸を突き上げられますが、もうすぐ来る別れを悲しむ とかを超越した ご夫婦ふたりだけの静かで穏やかな空気感を感じます。。
医療関係の雑誌に掲載するエッセイか 対談かな❔などと、勝手に想像してます。
いずれにせよ 良いお仕事には変わりないと思ってますので ご報告 楽しみに お待ちしてます🍀ジルママ
2021-10-27 06:12:33
24
父は緩和ケアというわけではありませんでしたが、自宅でヘルパーさんや母のお世話で自分の思う通りに過ごして亡くなりました。
娘の私も最期には立ち会えませんでしたが、亡くなるまでの一週間毎日顔を見に実家に通う事ができました。
ワガママいっぱいで大変でしたが(笑)
対して同居していた義理の父は入院していたので食べたり飲んだり動いたり、全て自分の思う通りには行かなかったです。
毎日義母を病院まで連れて行きましたが、義父を不憫がる義母が不憫でした。
自宅でみとるのは難しい…せめて病院でももう少し長生きさせるだけではないみとりをできたら良かったのにと思いました。
緩和ケアの事は知識が少ないですが、もっと身近に緩和ケアのような施設があればいいのにと思います。2021-10-26 23:16:01
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お写真を拝見し、53歳で亡くなった父を思い出しました。
大島さんと同じく、大腸ガンの肝臓転移でした。
もちろん、最後は寝たきりでしたが、最期まで意識がありました。
35年前のことですので、まだ「緩和ケア」はありませんでした。
何故か思い出して、涙が出ますね。
ここのコメント欄に書かれ方は、みんな共通の想いをされたと、思います。hana0002
2021-10-26 23:08:16
16
はじめましていつも拝見しています
とても良いお写真ですね
私も父を6年前に肺癌で亡くしていまして…6ヶ月の緩和ケアでした
お写真で父の事を思い出し涙しながら思わず「うんうんうん」と頷いてしまいました
語らずともわかると言う想い?でしょうか
忙しい日々の中父の事をあの6ヶ月の日々を死に1歩づつ近づいているのにあの穏やか1日1日を思い出しました
奈保美さんありがとうございます
どうかその日その日の自分の気持ちに素直にゆっくりゆっくり…
時には大きなため息と
時にはポロポロ涙を流して
時には美味しいもので笑顔になって
毎日毎日を大切に☺️
長くなりましたね🙇
大切なお写真ありがとうございましたyasu
2021-10-26 22:07:47
14
こんばんは
始めて書きます。
私も胃がんで3年前に主人を亡くしました。
このお写真わかります。
変な言い方ですけど
私も同じような写真撮りました。
お別れまでの1週間は
いろいろと表情の変化わかります。
何かこの写真であの頃の事を思い出しました。かぐら
2021-10-26 21:44:56
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緩和ケア、うちの母を看取った時は、ホントにもう亡くなる人が行くトコだと思ってました。母がいなくなった今、もっと苦しまないようにお世話してあげれたんじゃないか?残された時間を楽しく生きさせてあげれたんじゃないか?など、後悔ばかりです。
今も正直、そんな詳しく知ってるわけではないですが、緩和ケア科の方に行ってあげたらそれができたんじゃないかな?と思います。
ホントに母が死ぬなんて夢にも思ってなかったバカ娘ですよ。受け入れられなかったんですけど。
なので、大島さんが発信して下さいね。
私の様な後悔は皆さんにしてほしくないですから!
長々とすみませんでした。2021-10-26 21:39:15
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奈穂美さんこんばんわ。
この 写真は 少し前に なおみさんのブログで 見たような記憶がありますその時に確か私も同じ経験をし したのでそのことを話ししたように思います パパさんのこの姿 なおみちゃんの そばで寄り添ってる 姿 私も同じ状態でした 主人が パパさんと 同じように 酸素マスクをして 穏やかに 眠りについて いました この写真を 少し前に拝見した時に 自分の家の事を主人の事を思い出したような気がします 緩和病棟 確かに 誤解をされている方も多いと思いますでも私は 少しだけ 緩和病棟の 緩和ケアの先生ともお話をして 看護師さんとのやり取りもしたり して 考え方が変わったような気がします また なおみさんの この時のお話をブログにて 書いてくれることを 見れることを お待ちしております 今日はありがとうございました🙇♀️2021-10-26 21:35:40
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誤解や抵抗する方々と、優しさに包まれて過ごされる方 様々ですが、親友はナースとして働き、叔父や知人 母は感謝してかつて過ごした緩和ケア病棟💞がん意外の難病も入れてもらいたい私の意見です いずれはですが✨2021-10-26 20:58:45
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今は元気な父もいつかはさよならの時がきます、その時この写真の兄さんと姐さんのように穏やかな時間が過ごせるように、今を一生懸命生きて行きたい.2021-10-26 20:54:57
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奈保美さん、こんばんは。
お写真公開していただき
ありがとうございます。
明るい日射しの中、お二人が
暖かくて、優しい空気に包まれて
いるのが良く分かりますね。snow snow
2021-10-26 20:54:44










40
今から緩和ケアにはいります。
ぱんだ
2021-10-30 11:34:14
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