75年前の図が大きな後押しに
広島・平和の象徴・原爆ドームの前にある路面電車の電停から歩いて6分ほどの場所にあるのが、街の新たなシンボル「エディオンピースウイング広島」。J1サンフレッチェ広島のホームスタジアムとして、こちらも2024年に完成した「まちなかスタジアム」だ。
広島に新スタジアム構想が持ち上がったのは、20年以上前のことだ。当時、サンフレッチェがホームとしていたのは、クラブのメーンスポンサー家電量販店の「エディオン」の名を冠した「エディオンスタジアム広島」。1992年のアジア大会のために建設された陸上競技場は、広島市の郊外にあった。最大のネックがアクセス面。中心部からは約50分、自家用車で来る観客も多く、試合後はいつも周辺で渋滞が起きていた。
転機は2003年、当時の秋葉忠利広島市長が「サンフレッチェと共同してサッカースタジアムを建設する」と公言。そこで、サンフレッチェがこだわったのが、場所だった。
「(エディオンが)店舗を出店するうえで、やっぱり立地というのが一番ポイント。スタジアムも同じ考え」。サンフレッチェ広島の森重圭史スタジアムビジネス部長は、ここだけは譲れなかったと振り返る。
そこで、サンフレッチェが希望したのが、街なかの中心部にある広島市民球場跡地。しかし、話はここから二転三転する。最終的に行政が提示したのが、広島港そばにある広島みなと公園だった。距離こそ、街なかに近くはなったものの、アクセス面では、従来のスタジアムと大差なかった。
すると、エディオンの創業者でもあるサンフレッチェの久保允誉会長は断固拒否し、「サンフレッチェは完成しても使わない」と宣言。そこで浮上した案が平和公園や県庁などにほど近い中央公園だった。
「ここは丹下健三さんの『平和公園計画』の中で、スタジアムを置くとされた場所。被爆して焼け野原になった後の広島の復興のあるべき姿、『平和の軸線』という形で描かれた図が75年前にあったことが(新スタジアム建設の)大きな後押しになっているのではないか」と森重部長も感慨深げだ。

この場所は、なるべくして、スタジアムとなった。サンフレッチェは20年以上の時を経て、念願の「まちなかスタジアム」を手に入れたのだ。名前にも、「平和」を意味する「ピース」が入った。