2025-03-15

嬢が死んだ

夜の帳の降りるころ、何時ものソヲプへ向かはうとした我は、店の前にて一人のボヲイと顔を合はせたり。

その男は、我を見るなりさも何氣なき風に言ひたり。

オマヘサンのお氣にの孃、死んだらしきよ。

その言の葉が耳に入るや、我が心はふと宙に浮きしやうなり。されど、驚くほど冷靜なる己に氣づきたり。

はえ?と小さく聲を洩らせしが、それ以上の言の葉は續かざりき。

そのまま店の扉を開けることなく、踵を返し歸路につきぬ

何時もの通りの燈火の下、何故か胸の内は静かに澄み渡りたり。

歩みつつ考へぬ。彼女とは馴染みなれど、親しき間柄とは言へざりき。

ただ、店に通ふうちに幾度か口を交はし、身体を重ねるうちに、それなりの親しみを覺えたり。

彼女は常に穩やかに微笑みたり。仕事愚痴も厭な顏一つみ見せず献身的に乱れ、「さうですねえ」と相槌を打ちたり。

その姿は、まるで店の燈火と同じく、そこに在るべきものとして我が目に映りたり。

されど、その自然さ故に、彼女人生が如何なるものであつたのかを、我は何も知らざりき。

何處に生まれ、如何なる道を歩み、この店に至りしや。

家族はありしや、愛せし人はありしや。我は彼女の微笑みばかりを覺えてゐて、その向かふにあるものを何一つ知らざりき。

人は何處まで親密になつても、結局は他人に過ぎぬのだらうか。

涙が流れぬ己を省みつつ、さう思ひたり。

悲しみといふものは、果たして如何にして形を成すものか。或ひは、我が内なる悲しみは、まだ形を成すこと能はざるものに過ぎぬのやも知れぬ。

さう考へつつ、さらに歩みたり。

人生とは、何ぞや。生きる意味とは、如何なるものぞ。それは答へなき問ひなれど、さうして問ひ續けることこそが、彼女を偲ぶ行為に繋がるならば、それもまた意義あることかと思ひたり。

家に歸ると我は布團のなかに落ち着き、暗闇に耳を澄ませ、我は眠りに落ちたり。

夢の中にて、我はソヲプの扉を開きたり。部屋には、何時もの燈火が燈りたり。ベッドの上には、嬢がゐたり。

彼女は静かに笑ひ、

いらつしやい

何時ものやうに、彼女は微笑みたり。

その微笑みは、何も變はらぬやうに見えたり。されど何かが違ひたり。

彼女は確かにそこにゐるのに、我にはその姿を掴むこと能はざりき。

我は彼女に抱き着き、何度も名前を呼びかけたり。されど、彼女は何も言はざりき。

ただ微笑みたるまま、我と身体を重ね続けたのみ。

目が覺めたとき、我は不思議と冷静なりき。

胸にぽつかりと穴が開きしやうな氣はしたれど、未だ涙は流れざりき。

彼女の死を知りし日から、幾月が過ぎたり。我は未だに、涙を流すことはなかりき。

されど彼女の夢を見る度、我の陰茎ばかりが彼女の温もりを憶え、会えぬ悲しみに白い涙を流してゐるのだった。

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