英雄(ベル・クラネル)を嫌いになるのは間違っているだろうか


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作:カゲムチャ(虎馬チキン)
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33 完全否定


苦しい。辛い。
わかってる。
こんなことをしても意味なんて無い。どうしようもないってことくらい。
それでも、骨の髄まで焼いてくる炎が熱くて熱くて、苦しくて苦しくて、のたうち回らずにいることなんてできない。
壊れてしまうようなこの痛みを、頭がおかしくなるようなこの苦しみを、きっとあなたはわからない。


 本当は純粋な努力で超えたかった。

 正々堂々、真っ当な手段で上回って、胸を張って褒められたかった。

 でも、努力(スピネル)じゃ勝てない。

 努力(スピネル)はもう死んだ。

 ここにいるのは、ただの残骸。ただの怪物。

 醜く残った、恨み辛みのガンコ汚れ。

 

 だから、もういい。もうなんでもいい。

 かつての努力(スピネル)を踏みにじってでも、忌み嫌ったズルい存在に自分がなってでも、否定してやりたい。

 

 幸運によって舗装されたレールの上を突き進む宿敵。

 呪いが絡め取った因果の糸に強引にしがみつき、引きずられるようにしてここまで来た。

 同じ反則をして、同じ外付けの力で強くなって、同じ条件で戦ったのなら、きっと最後に残るのが『本当の自分の実力』だから。

 本当のお前は、こんな醜くて、小さくて、誰の目にも留まらない端役の成れの果てにすら勝てないんだと言ってやりたい。

 

 もう純粋な努力で勝てなくていい。

 もう褒められなくていい。

 もう本当の望みなんて叶わなくていい。

 ただ、ただ──目にもの見せてやりたいだけなんだ。

 

 見てほしいんだ。

 英雄を欲しているこの世界に。

 踏み台にされる無力な端役のことなんて見てもいないこの世界に。

 踏みつけられた側の怨嗟を、憎悪を、苦痛を、涙を、絶望を、思い知ってほしい。

 きっと、それだけが、ほんの僅かな──

 

「あああああああああ!!」

 

 絶望に満ちた顔で、ベル・クラネルがナイフを振るう。

 助けなきゃ。

 助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ。

 彼の頭にあるのはそれだけだ。

 そのために、立ち塞がるスピネルを突破するべくナイフを振るう。

 しかし……。

 

「弱い」

「がっ!?」

 

 全て避けられ、防がれ、受け流され。

 反撃がベルの体に突き刺さる。

 牽制に振るったナイフを避けて、スピネルは前に踏み込みながら、ナイフではなく拳を使って、ベルの顔をクロスカウンターのような形で殴って吹き飛ばした。

 回避と攻撃を同時に行う動き。

 かつて、彼女がベルに教えた動き。

 

「ッ……! 『ファイアボルト』ォォ!!」

「『ファイアボルト』」

 

 殴り飛ばされて距離が開いた場所から放った炎の矢を、同じく炎の矢で相殺される。

 飛び散った炎を目眩ましにして仲間達のもとへ走ろうとすれば、瞬時に後ろに下がって視野を確保したスピネルに捕捉され、魔法を撃ち込まれながら接近される。

 

「それ」

「ぐぅ!?」

 

 回避も迎撃もし切れなかった魔法に体勢を崩され、接近してきたスピネルに腹を思いっきり蹴られた。

 吹き飛ばされて地面を転がり、苦しむ仲間達のところから遠ざけられる。

 

「まだ闘志を燃やせてない。戦おうとしてない。早く本気を出した方が良いよ」

「スピ、ネル、ちゃん……」

「ッ!? エイナさん!?」

 

 そうこうしている間に、人質の中で唯一恩恵を持たないエイナが限界を迎えた。

 お世話になったことへのせめてものお返しとして、彼女だけは苦しまないように、特殊な毒で意識を朦朧とさせて痛覚を切っていた。

 そんなエイナが、終わる。

 

「ご、めん、ね……」

 

 最後まで救えなかった子への後悔と罪悪感を抱えながら、エイナ・チュールは逝った。

 

「あ、あああああああああああ!!!」

「……ごめんね、エイナさん。でも、おかげでベルが少しやる気になったよ」

 

 滂沱の涙を流しながら突撃してくるベル。

 スピネルを倒さなければ皆死んでしまうと、ようやく理解したのか。

 さっきまでのような、どうにか彼女を躱して仲間達のところへ走ろうとする動きではなく、スピネルを倒しにきている動きだ。

 ……だが。

 

「はぁ……。やっぱりね。さっきより弱くなった」

「ごはっ!?」

 

 ベルの振るうへなちょこナイフを避け、反撃の拳が彼の鳩尾を貫いた。

 

「私を傷つける覚悟ができてない。そんな手抜き同然の攻撃、怖くもなんともないよ」

「あ、嫌……!? 嫌ぁあああああ!?」

「春姫さんッッッ!!!」

 

 そうして、次は唯一のレベル1である春姫が限界を迎えた。

 グチャ、バキッ、プチュッ。

 そんな音を立てて、彼女もまたもの言わぬ肉塊へと変ずる。

 

「ほら、見なよ、ベル」

「あ、あ……」

 

 鳩尾を強打されて蹲るベルの髪を掴んで顔を上げさせ、春姫だったものを直視させる。

 彼は真っ青を通り越して土気色になった顔で、カタカタと震えていた。

 

「ベルが覚悟を決められなかったから、中途半端なことをしたから、エイナさんもあの人も死んだんだよ」

「僕の、せい……!?」

「そうだよ。女の子を助けられないなんて『英雄』失格だね。……さて、残り三人だ」

「ッッッ!!」

 

 残った三人。

 ヴェルフ、リリルカ、ミコトの体も、徐々に壊されていっている。

 三人ともレベル2だからこそエイナや春姫よりは耐えているが、それも時間の問題だ。

 

「う、うううううううう!!!」

 

 掴まれた髪を引きちぎりながら脱出し、ベルは今度こそ、本当の意味でスピネルに刃を向けた。

 彼女を、倒す。

 大怪我を負わせてでも動きを止めて、その隙に皆を!

 

「あああああああああああ!!!」

 

 ベルは走った。

 自慢のスピードでスピネルに突撃する。

 

「『ファイアボルト』!!」

 

 牽制に炎の矢を飛ばす。

 

「『ファイアボルト』」

 

 当然のように、スピネルはまたしても同じ技で相殺。

 ベルは炸裂する炎を目眩ましに、今度は炎を突っ切ってスピネルに接近した。

 彼女の足を狙ってナイフを振るう。

 

「!?」

 

 しかし、振るった腕はスピネルに掴まれて、彼女はそのまま回転してベルに背中をつける。

 腰を落とし、身長の低さを活かし、ベル自身のスピードを逆に利用して、スピネルはベルに綺麗な背負い投げを食らわせた。

 

「うぐっ!?」

「『ファイアボルト』」

「ッ〜〜〜〜〜!?」

 

 投げられて地面に叩きつけられたところで、顔を掴まれてゼロ距離で炎の矢を叩き込まれた。

 顔が抉れて焼ける。

 

「アハッ! 可愛くなったね♪」

「う、ぁ……」

 

 痛い痛い痛い。

 熱い熱い熱い。

 『耐久』のアビリティも高いからこそ、顔面が吹き飛んだりはしていないが、鼻から下が大火傷。

 傷が残ったりしたら、もう外見に関係なく愛してくれる女の子以外は振り向いてくれないだろう。

 

「ほら、まだまだ踊れるでしょ?」

「がふっ!?」

 

 顔を押さえて蹲っていたところで、脇腹を蹴り飛ばされて、吹き飛ばされた。

 またしても距離が開く。

 

「それにしても弱いなぁ。私程度に良いようにやられるなんて、『幸運』が無ければこの程度なんだね」

 

 スピネルは本当に嬉しそうに嗤った。

 ようやくだ。

 ずっとずっと声を大にして言いたかったこと、証明したかったことを証明できる。

 

「せめて殺す気で来なよ。そうじゃないと私は倒せないよ?

 仮に大ダメージを与えられたとしても……この通り」

「!?」

 

 スピネルはナイフで自分の首を斬り裂いた。

 噴水のように血を噴き出した血管が、肉が、皮が、回復魔法もポーションも無しに治っていく。

 この程度なら、まだ普通に直せる。

 

「私はもう人間じゃないんだ。今の私は人間と怪物の混合種『怪人(クリーチャー)』。

 高位のモンスターと同じで、この胸の中に埋まってる魔石を砕かない限り再生する」

 

 薄い胸の中心を指でトントンと叩きながら、彼女はそう言う。

 

「そして、君がまた中途半端なことしたから、残り二人だ」

「ご、ぇ……!?」

「ミコトさん!!!」

 

 【絶†影】ヤマト・(ミコト)がミンチになった。

 彼女のステイタスは残り三人の中では最も高かったが、前に偵察した時に見た感じ、ベルに対して気があるような様子も無かったし、重要度が低そうだからリリルカとヴェルフの前に退場してもらった。

 

「くっ、そ……!?」

「ベル、様……!」

「! あ、あああああああああ!!!」

 

 残ったヴェルフとリリルカの苦悶に満ちた、助けを求めるような声を聞いて、ようやくベル・クラネルは遅すぎる決断を下した。

 なんとしても二人を助ける。

 スピネルを、殺してでも……。

 

『ごめん……! ごめんよ、スピネルくん……!』

 

 その時、ベルの脳裏にヘスティアの姿が過った。

 彼女はよく廃教会にあるスピネルの墓に行って、泣きながら謝っていた。

 

『ボクが……! ボクがバカだったから……! どうしようもなくバカだったから……! 君を……!』

 

 ベル達に隠れて行っていた墓参りを、偶然見てしまった時の記憶。

 それだけじゃない。

 ベル自身の中にもある、目の前の少女との思い出。

 ダンジョンの基礎を、戦い方の基礎を教えてくれた、ツンケンしていたけど優しかった小さな先輩の記憶が、振るうナイフの刃先を致命的なまでに鈍らせる。

 

「0点」

「あ……」

 

 スピネルのナイフが、ベルの左腕を斬り裂いた。

 鎧の無い部分を正確に狙い、ベル・クラネルの左腕は二の腕のあたりから切断されて、地面に落ちた。

 

「あ、あああああああ!!?」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い!

 少し前の戦いでも腕を斬り飛ばされたことはあったが、何度経験しても痛いものは痛い。

 

「情けないなぁ。みっともないなぁ。

 私を殺す覚悟が持てないから、穢れと痛みを背負って前に進む覚悟が無いから、腕も仲間も失うんだ」

 

 スピネルは楽しそうに嗤う。

 ああ、心が洗われるようだ。

 ベルの悲痛な声を聞けば聞くほど、我が身を焦がすどす黒い炎が浄化されていくような感じがした。

 

「が、はっ……!?」

「あ、ぁぁぁ……! ヴェ、ルフ……」

「あーあ。また一人死んじゃったね。可哀想に。ベルがこんなに弱いせいで」

 

 スピネルはベル・クラネルを嗤う。

 彼の全てを踏みにじる。

 完全否定する。

 

「『本物』はこういう時、苦渋の決断を下してでも何かを守るんだ。

 【超凡夫(ハイノービス)】も【貴猫(アルシャー)】もそうだった」

 

 思い出すのは、ロキ・ファミリアの二軍を率いていた二人の冒険者。

 自らを犠牲にしたラウルと、彼を見捨てる決断をしたアナキティ。

 大切なものを失ってでも、別の大切なものを守ろうとした強い人達。

 

「君にはそれができてない。前の時もそうだった。

 『人も怪物も救う』だっけ? 

 あんなの『幸運』が無きゃ、今頃君達は民衆に石を投げられる異端者になってたし、あのヴィーヴルだって死んだままだった。

 ううん。それ以前にディックスさんに殺されてた。

 決断できなきゃ両方失うんだよ、普通は」

 

 願って頑張るだけで望みが全部叶ってしまう。

 頑張っても頑張っても報われず、今だって本当の望みは失い続けるばかりのスピネルは、そんなベルのことが虫酸が走るほど大ッッッ嫌いだ。

 

「ほら、せめて最後の一人くらい、ちゃんと決断して守ってみせなよ」

「ベル、様ぁ……!」

「ッッッ!! う、うぁあああああああ!!!」

 

 体と心の痛みを堪えて、ベルはナイフを振るった。

 もう頭の中が滅茶苦茶だった。

 だが、今に限ってはそれが良かった。

 オーバーヒートした頭は、ベルから余計なことを考える余裕を奪い去り、目の前の()を打倒してリリを助けることだけを体に命じた。

 

「おおおおおおおお!!!」

 

 ナイフを振るう。

 憧れの【剣姫】や、他の強い人達に教えてもらった『技と駆け引き』を総動員する。

 しかし……。

 

「弱いなぁ。薄っぺらい太刀筋だ」

「ッ!?」

 

 スピネルにはまるで通じない。

 振るったナイフは避けられ、防がれ、叩き落され、いたぶるような軽い反撃がベルの体を打ちのめす。

 

「かはっ!?」

「ちぎれた腕が痛くて動きが鈍ってる? それは言い訳にならないよ。私だって体中が痛いもん」

 

 ミア・グランドと戦い、ニーズホッグと合体するなんて無茶をし、シル・フローヴァを仕留めるために命削りの全力まで出した。

 もう彼女の胸に埋まる魔石はヒビだらけだ。

 感じている痛みは、ベルの比ではない。

 

「ああ、左腕が無いからバランスが狂ってるって言いたいの? じゃあ、これで対等だ」

「!?」

 

 そう言って、スピネルは自分の左腕を斬り落とした。

 怪人の再生能力もあえて使わない。

 だが、ここまでしても……。

 

「ほらほら! どうしたの英雄様! 隙だらけだよ!」

「あぐっ!? がはっ!?」

 

 ベルの攻撃は、スピネルにかすり傷一つ付けられなかった。

 

 一万時間の法則というものがある。

 何かの分野で超一流になるには、最低でも一万時間の努力が必要であるという話だ。

 仮に飲まず食わず眠らず休まずで頑張り続けることかできたとしても、一年以上。

 当然、努力量だけが全てでは無い。

 才能、効率、密度、指導者の存在、死地での開花。

 そういうところでも大きな差が出る。

 

 だが、それを加味しても、ベル・クラネルの積み重ねは圧倒的に足りていない。

 彼は数ヶ月前にオラリオに来るまで、最弱のモンスターであるゴブリンすら倒せないほどのド素人だった。

 

 そこから彼は何時間努力したのか?

 彼は様々なイベントを経てここまで来た。

 ヒロインを救い出す喜劇を筆頭に、色んなことに首を突っ込んできた。

 普段のダンジョン探索でも、最優先していたのは強くなるための冒険ではなく、あくまでも『探索』だ。

 レベルで劣る仲間達も引き連れていた以上、彼らを巻き込んで毎日のように死地に赴いて強くなる、なんてことはしてこなかった。

 強さを求める(パワーアップ)イベントが発生したのは定期的で、常時死ぬ気で頑張っていたわけではない。

 指導者と呼べる存在から学べた時間も、総合すれば、せいぜい百時間に届くかどうかだろう。

 

 試練(イベント)は乗り越えてきているが、圧倒的に基礎を学ぶ時間が足りていない。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の効果である『早熟』により、技量の方も凄いことになってはいるが、目に見える数値として伸びるステイタスと違って、技能の方には『早熟』ではどうしようもない部分がある。

 

 ━━学んでいないことはできない(・・・・・・・・・・・・・)

 

 【剣姫】などに百時間弱の即席鍛錬で叩き込まれた技術と、今までの戦いで学んできたこと、気づいたこと。

 スキルを通すことによって、それを反則としか言えない速度で吸収して自らの血肉に変えているが、逆に言えばベル・クラネルの中にはそれしか詰まっていない。

 

「うぅ……!」

 

 斬り落とされた左腕が痛む。

 片腕が無くなってバランスの狂った体幹、そんな状態で戦った経験はベルには無い。

 前に一度右腕を斬り落とされたことはあったが、『幸運』にも凄まじい治癒効果のある血液を持つマーメイドが近くにいて、そのマーメイドは喋るモンスター達の仲間で、己の血液を迷いなく使って助けてくれたため、斬り落とされた腕はすぐに繋がった。

 

「う、ぁ……!」

 

 そして、何よりも経験が無いのは、大切なものを失って、失って、失って、ボロボロになった心で戦うこと。

 ウィーネ、エイナ、春姫、ミコト、ヴェルフ。

 大切な人達を目の前で殺されて、心がグチャグチャだ。

 倒すべき敵はかつてお世話になった先輩で、冷静になんてなってしまったら絶対にナイフを振るえなくなるだろう。

 

 ベル・クラネルには、喪失しながら戦った経験が無い。

 かつて月の女神(アルテミス)を殺したことはあったが、それはもう彼女がどうしようもない状態で、殺したというよりは介錯したと言った方が正しい。

 皆にも、アルテミス自身にも、そうすることを望まれていた。

 介錯によって戦闘が終わり、戦い続けることも無かった。

 

「う、ぁぁぁ……!!」

 

 だから、ベル・クラネルは知らない。

 痛みを堪えて、喪失に涙して、倒したくない敵を相手に、それでもなお戦い続けることの辛さを。

 穢れを知らない真っ白な魂は、その負荷にとても耐えられずにボロボロになり、彼の動きを致命的なまでに鈍らせる。

 

「アハハ!」

 

 そんな『早熟』の天才が見せた綻びを、今のスピネルは突くことができた。

 モンスター、ロキ・ファミリア、そして何より時間さえあれば相手をしてもらっていた絶対強者(レヴィス)

 才能の差を覆さんと、怪人の体を活かして、殆ど飲まず食わず眠らず休まずで、誇張抜きに死ぬ気の努力を続けてきた。

 

 スピネルとの鍛錬で錆を落とし、レベル7級の肉体に釣り合うだけの技量を取り戻して攻め立ててくれたレヴィス。

 容赦の無い彼女に、魔石以外で壊されなかった部分は無いってくらいにボコボコにされながらシゴかれ続けた。

 スピネルの対応限界ギリギリの攻撃が無限に飛んでくる鍛錬を延々と続け、ズタズタのグチャグチャにされながら、あの地獄に体を慣らした。

 『殺意』という最高の集中力を引き出す秘薬を使いながら、ベルがヒロイン達とイチャコラしている間も、延々と強者から学び尽くしてきた。

 ベルよりも遥かに濃密な努力を、人間時代、怪人時代合わせて、一万時間の半分、五千時間は続けてきた。

 

 それでも、彼女はどうしようもなく凡人で、これだけ己を削り落として研磨し続けても、反則的な『早熟』を持つベルの技量には追いつけていない。

 かつて己のアイデンティティだった努力を致命的なまでに濁らせてまで同じ反則をしたのに、その反則(チート)ですらベルの『憧憬一途(クソチート)』に及ばない。

 こっちは大き過ぎる代償を支払って、向こうはノーリスクなのにだ。

 だが、腕の喪失にも心の喪失にも慣れていない『未熟者』の見せた綻びに付け込めるくらいの力は得た。

 

 ━━たった一つ、痛みと喪失にのたうち回りながら戦ってきた経験で、スピネルはベルを大きく上回っている。

 

「遅い! 甘い! ぬるい! 弱い! レヴィスさんの攻撃に比べれば止まって見える!」

「あぁぁぁッッ!?」

 

 スピネルのナイフが、ベルの耳を削いだ。

 ……普段なら、それでもベル・クラネルが勝っただろう。

 『幸運』が彼に今の自分にできる最善手や勝ち筋を見つけさせ、思考を誘導して精神を『葛藤』と『成長』を演出する良い感じの塩梅に整え、それでもダメなら助けが入っただろう。

 『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』の唯一のリスク、少しでも憧憬を疑えば効果が発揮されないという脆さ。

 その脆さが表に出ないように、彼が憧憬(アイズ・ヴァレンシュタイン)への疑いなんて持たないように、憧れや夢が砕け散らないように、純粋培養のごとく思考も状況も誘導し続け、リスクを有名無実化させ続けてきたように。

 しかし、そんな幸運も今は無い。

 

(このままじゃ……!?)

 

 勝てない。どうにもならない。最後に残ったリリを助けられない。

 強気になれる要素が一つもなく、弱り切ってしまった少年の心は、敗北の未来を強くイメージしてしまった。

 

「うわぁあああああああ!!」

 

 そんな状況でベルが頼ったのは、いつも、いつだって格上を倒してくれたスキル。

 ベルの残った右手が淡く発光し、リンリンという音が鳴り始める。

 

「さっきニーズホッグを倒した技だね。いいよ。打ってみなよ」

 

 その瞬間、スピネルの左腕の残った二の腕部分が歪に膨らみ始めた。

 形は違えど、ベルの『英雄願望(アルゴノゥト)』と同じチャージ。

 徹底的に同じ条件で叩き潰してやるという強い意志が、そこにはあった。

 

「あああああああ!!!」

「アハハハハハハ!!!」

 

 互いにチャージを進めながら斬り結び、やはりスピネルの攻撃ばかりが当たる。

 それでもスキルの発動だけは途切れさせず、ベルの手から響いてくる音が、リンリンという鈴の音から、ゴォォン、ゴォォンという大鐘楼の音へと変わっていく。

 格上殺し、一発逆転のスキルの準備が進んでいく。

 

 

「『聖火の英斬(アルゴ・ウェスタ)』ァァァ!!!」

 

 

 そして、放たれた。

 邪竜ニーズホッグを葬った技が。

 精神も肉体も魂も限界まで追い詰められ、スピネルを殺せないなんて葛藤すら置き去りにされた一撃が。

 きっと、これが決まって勝てたとしても、あとで後悔に苛まれて精神を病むだろう一撃。

 それに対して、スピネルは……。

 

「よっ」

 

 ベルが技を繰り出すタイミングを完璧に読み、その直前に、歪に膨れ上がった左腕にナイフを差し込んだ。

 黒曜石のようなナイフが、一瞬にして炎系モンスターの素材と混ざった緑肉に覆われていく。

 自分で弄り尽くした体だ。

 何ができるのかは、自分が一番よくわかっている。

 彼女はそれを、鞘から刀を抜刀する剣士のように、下から上へと勢い良く振り抜いた。

 

 

「『憎炎の怨斬(アルゴ・ウェスタ)』」

 

 

 二つの炎の斬撃が交差する。

 ベルの大振りの一撃が振り抜かれる前に、スピネルの研ぎ澄まされた一撃が━━彼の右腕を焼き斬った。

 左腕に続いて、ベル・クラネルの右腕までもが宙を舞う。

 

「あ……」

 

 ベルは一瞬、何が起きたのかわからないような顔をした後、

 

「ああああああああああああ!!!??」

 

 悲鳴を上げた。

 両腕を失い、傷口を手で押さえることもできず、ひたすら激痛にのたうち回る。

 そんな彼を見て戦闘不能と判断し、公平の証として斬り落としたままにしていた左腕をゆっくりと再生させながら、スピネルは苦しみにもがくベルへと近づいた。

 

「弱いなぁ。腹立たしいくらい弱いなぁ、ベル・クラネル。

 君がそんなに弱いから━━何も守れなかったよ」

「う、ぁ……」

 

 最後の緑肉の柱が、中に埋め込まれていたものを圧縮する。

 リリルカ・アーデが、パァンと音を立てて破裂した。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

「リ、リ……」

「おめでとう! 何もできなかったね! 何も守れなかったね!

 きっと運命は、一回くらいはお守りが無くたって、君ならなんとかすると思ったんだろうけど、甘かったね!

 あれだけお膳立てされて完全敗北とか、本当に存在価値ゼロだね!」

 

 スピネルは良い笑顔で、ベルに拍手を送った。

 否定する。否定する。

 ベル・クラネルの全てを完全否定する。

 

「君はこんなに弱い奴だった! そんな君が今まで活躍できたのはなんでだろう?」

 

 思わず体が踊り出す。

 妖精が可憐なステップを踏む。

 

「答えは『幸運』と『反則』のおかげ!

 今までベルが成してきた『偉業』は、全部全部全部ぜぇぇぇんぶ、運の良さと反則のおかげ!

 その『幸運』を失って、ズルして上げたステイタスでも並ばれて、『ベル・クラネル』っていう人間の本当の値打ちが表に出た!」

 

 まるで演劇のように、大袈裟な動作と美しい声で、憎悪に染まった言の葉を紡ぐ。

 

「君の本性は、優しさと甘さを履き違えた、辛い決断ができない『愚者』!

 世界のエコヒイキと運命のお守りが無いと何もできない、何も守れない『弱者』!

 たった数ヶ月のぬるい努力と、お守りと反則ありきの薄っぺらい積み重ねしか持たない、上っ面だけの『英雄モドキ』!

 同じ条件で戦ったら、私程度の端役にすら負けるような弱っちい奴だったんだ!」

「あ、ぁ……」

 

 スピネルは歌い踊りながらナイフを振るう。

 言葉のナイフでベルの心を抉る。

 

「アハハハハハハハハハハ!! 君は『英雄』なんかじゃないよ!

 ズルして反則的な力を手に入れて、やること成すこと『幸運』のおかげで上手くいって、凄い人達に褒められて、可愛い女の子達にチヤホヤされて、とっても幸せだったでしょ!

 羨ましいなぁ! 羨ましいなぁ!

 相応の努力も時間も対価も代償も支払ってないのに、反則(チート)で分不相応な幸せを貰えるのは、さぞ良い気分だっただろうね!!」

「あぐっ!?」

 

 蹲るベルの頭を踏みつける。

 何度も何度も踏みつける。

 

「ふざけるな!! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな!!

 お前にそんな資格なんか無かった!! お前は凄い奴なんかじゃなかった!!

 同じ条件で戦ったら、私にすら負けるようなザコだった!!

 貰った力が無きゃ、誰も救えないような奴だった!!

 なんで弱いお前だけがそんなに幸せで、お前の百倍も千倍も頑張ってきた私が不幸のドン底に落ちるの!?

 なんで全部与えられたお前が、何も与えられなかった私から唯一の幸せまで奪ったの!?

 なんで!? なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?」

 

 気づけば歌い踊る時間は終わり、スピネルの瞳からは涙があふれ出ていた。

 泣きながら、叫びながら、彼女はベルを踏みつける足に力を込める。

 

「お前なんかいなければ良かった!! お前が私の唯一の幸せを壊した!!

 地獄みたいな娼館で奴隷の娘として生まれて、痛くて辛くて苦しくて気持ち悪いことばっかりされて生きてきた!!

 死ぬ思いでそこから逃げて、ヘスティア様が拾ってくれて、ようやく幸せになれたと思ったのに!!」

 

 踏みつける。踏みつける。踏みつける。

 どうしようもない憤りを、黒い感情を、ベル・クラネルにぶつける。

 

「ヘスティア様は私の名前に『努力』の意味をくれた!!

 今までよく頑張ったねって言ってくれた!! 頑張ってヘスティア様に褒めてもらえることが私の幸せだった!!

 なのに、お前は私の努力を踏みにじった!!

 私の数百分の1の努力で、数百倍のスピードで強くなった!!

 恩恵は経験値を力に変えるはずなのに!! 頑張れば頑張った分だけ強くなるはずなのに!!

 お前はその法則を無視してズルをした!!

 たった一ヶ月半でアビリティオールS? ランクアップ? しかも今ではレベル4?

 なんの代償も支払わずにそれだけ強くなって、夢を全部叶えて、栄光に満ちた英雄人生?

 ふざけるな!! 才能って呼ぶにも無理があり過ぎる!!

 お前は真っ当に頑張ってきた全ての人達の敵だ!!

 お前の薄っぺらい努力モドキが、(スピネル)の全てを踏みにじって、殺して、こんな醜い化け物に堕としたんだ!!」

 

 踏みつける。踏みつける。踏みつける。

 怨嗟を、憎悪を、苦痛を、涙を、絶望を、ベルに叩きつける。

 ……だが、その時。

 

「!?」

 

 ドゴォオオオン! という音がして、緑肉に覆われたクノッソスの壁が吹き飛んだ。

 吹き飛んだ壁の向こうから、二つの人影が現れる。

 

「…………レヴィス、さん」

 

 その片方は、散々お世話になった先輩怪人のレヴィスだった。

 ボロボロの体にされていて、胸の中心をヒビだらけの細剣で貫かれている。

 魔石のある場所を、貫かれている。

 

「……すまん、負けた」

 

 彼女は最期に、この後輩からまた奪うことに罪悪感でも感じたような目でスピネルを見て━━灰となって崩れ落ちた。

 また、スピネルは失った。

 残ったのは、もう一つの人影。

 レヴィスを殺した、彼女と戦っていた冒険者。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだけだった。

 

「!? ベル!!」

 

 彼女は満身創痍の体で、両腕を失ってズタズタにされたベルを守るように動いた。

 スピネルに牽制の剣撃を振るいながらベルをかっ攫い、彼を守るような位置で剣を構える。

 

「あなたは……!」

 

 一目で人間じゃないとわかる異形の腕を隠すことなく晒しているスピネルを見て、アイズは彼女がラウル達の仇である『子供の怪人』だと悟った。

 

『うわぁあああああああああ!!!』

 

 脳裏に、涙を流して絶望する【貴猫(アルシャー)】アナキティ・オータムの顔が思い浮かぶ。

 

『許さない……!! あいつら、絶対に許さないッッッ!! 殺してやる……!! 殺してやるッッッ!!』

 

 昔の自分と同じような憎悪に囚われたアキの悲痛な声が脳裏に蘇る。

 

『アイズさん!』

『アイズ』

『アイズちゃん!』

 

 殺された仲間達の笑顔が思い浮かぶ。

 父と母と同じように、奪われた笑顔が。

 もう二度と帰ってこない笑顔が。

 

「ッ!!」

 

 怒りを糧に、アイズは握る剣に力を込めた。

 

「アイズ、さん……」

「ベル、もう大丈夫。大丈夫だから」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインがベル・クラネルを守る。

 まるで、あの日みたいだ。

 運命の歯車が狂った日。

 ベル・クラネルの飛躍と、スピネルの破滅が始まった、あの日のよう。

 

「『起動(テンペスト)』━━『復讐姫(アヴェンジャー)』!!」

 

 アイズが魔法を使い、風を纏う。

 かつて、食人花からスピネルを守ってくれた魔法。

 しかし、あの時と違って、今の彼女の目に、スピネルは倒すべき敵としてしか映っていない。

 その証明のように、彼女の風はスキルの力まで上乗せされ、スピネルの呪いのように黒く染まっていた。

 

「『リル・ラファーガ』!!」

 

 アイズが風を纏った刺突を繰り出す。

 彼女の必殺技。

 数多のモンスターを葬ってきた一撃。

 

 ……レベル7級のステイタスと穢れた精霊による支援、スピネルとの特訓に付き合って錆を落とした技術、更には『幸運』に対する心構えまで兼ね備えたレヴィスとの戦いで、アイズは既に限界。

 レヴィスの攻撃、及び自分自身のスキルの反動で体も武器もボロボロ。

 万全の時と比べれば、彼女の動きは見る影も無く鈍い。

 正直、立っているのが不思議なくらいの状態だ。

 それでも、目の前の敵だけは確実に……。

 

「『命削代償(リミット・ブレイク)』」

「…………え?」

 

 二人が交差した後、そこには━━剣を砕かれ、首筋を深く斬り裂かれたアイズだけがいた。

 スピネルの一閃がボロボロの剣をへし折って、そのままアイズの首を斬ったのだ。

 ベルと違って、痛みと喪失に慣れ切った彼女は、仲間を失った直後でも最善の動きをした。

 代償としてナイフを振るったスピネルの腕もグチャグチャに壊れ、胸の奥の魔石に更なる致命的なダメージが入ったが、もはや、どうでもいい。

 

「なん、で……」

 

 アイズの首筋から、噴水のような勢いで血が噴き出す。

 彼女が知っている『子供の怪人』の情報は、レベル3くらいの強さという仲間達の証言で止まっている。

 レベル4のベルがやられている以上、魔石を食らって当時よりは強くなったのだろうが、さすがにレヴィスには及ばないだろうと思ってしまった。

 

 だが、今スピネルが見せたナイフの一閃は、明らかにレヴィス以上。

 命を削り、魂すら代償として差し出すことで得た、一瞬限りの超強化。

 『ベル・クラネルの完全否定』。

 ただそれだけのために、ぶっ壊れてるとしか言えない努力を積み重ね、命も、魂も、幸せも、全てを代償として差し出した怪人の力を侮っていた。

 レヴィスとの戦いで体力気力を殆ど使い果たしていたのもあり、アイズはそれを警戒することができなかった。

 目の前の敵の本質が『見えていなかった』。

 

 剣姫が血をまき散らしながら崩れ落ちる。

 ベル・クラネルを反則(チート)足らしめてきた憧憬までもが、散った。

 

「……あなたも、(端役)のことなんか見てませんでしたね」

 

 グチャグチャになったまま再生しなくなった右腕を尻目に、スピネルはアイズの死体に向けて、無表情にそう言った。

 ベルと同じようにミノタウロスから助けて、その後にも一応接点があったのに、彼女はスピネルのことを『仲間達の仇の怪人』としてしか見ていなかった。

 きっと、人間時代のスピネルのことなど覚えていないのだろう。

 聞けば思い出したかもしれないが、少なくとも顔を見ただけで気づいてはくれなかった。

 同じ境遇のベルには稽古をつけて、膝枕すらしたのに。

 

 いや、本来ならスピネルのような扱いが普通なのだ。

 天下の第一級冒険者様が、助けた相手の顔をイチイチ覚えている方がおかしい。

 例によって例のごとく、『幸運』によってベルが優遇されただけ。

 英雄を欲しているこの世界は、スピネルのような英雄の光に焼かれて苦しむ者達のことなんて見ていない。

 そんな、どうしようもない話だ。

 

「アイズ、さん……? アイズさん!?」

 

 その優遇され続けた少年が、悲鳴を上げながらアイズに駆け寄ろうとした。

 両腕が無いので立ち上がれず、イモムシのように這って、愛しの少女のもとへ向かおうとする。

 

 だが、その前に、クノッソスを覆う緑肉がアイズを捕食した。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 ベルが壊れたような絶叫を上げた。

 同時に、スピネルの頭の中に、もう一つの声が響いてくる。

 悍ましさを感じる女性の声だ。

 

『アリガトウ! アリガトウ! アナタノオカゲデ、アリアト一緒ニナレタ!』

 

 穢れた精霊の声だ。

 古代の精霊を何体も捕食してきた彼女は、大精霊の血を引いているらしいアイズを捕食できてご機嫌の様子だった。

 

「殆どレヴィスさんのおかげだよ。……もう少しで終わるから、邪魔しないで」

『フフ。ワカッタ』

 

 声が遠ざかる。

 スピネルは壊れたベルに近づいていって……満面の笑みで、ボロ雑巾になったベルを抱きしめた。

 

「ああ、今のベルはとっても可愛いよ。初めて、君のことを好きになれた」

 

 苦しんで、壊れて、絶望の声を上げるベルは、こんなに愛おしい。

 そんなベルを抱きしめる力を、少しずつ、少しずつ強めていく。

 

「ベル。生まれ変わったら、また幸せになってね。

 来世でも英雄になりたいとかほざいて、夢を追って叶えて、可愛い女の子達に囲まれてチヤホヤされててほしい。

 そうして、君が幸せを感じた時に━━私が全部ぶっ壊しに行くから」

 

 ビクリと、ベルの体が震えた。

 恐怖でカチカチと歯を鳴らしている。

 

「来世でも、その次でも、その次でも、必ず私が君の幸せを壊してあげる。

 転生の時に魂を漂白されても消えないくらいの傷を、毎回毎回刻みつけてあげる。

 君の魂が限界を迎えて砕け散るまで」

 

 ベルが顔色が土気色を通り越して真っ白に染まった。

 

「逃げられるとは思わない方がいいよ。

 私の魂は加護の『対価』として彼女に捧げて、『代償』として縛られて酷使されるから、次は多分、寿命の無い精霊系のモンスターとして生まれ変わる。

 だから、君がどんな時代に生まれても見つけられる」

 

 抱きしめる力を強める。

 グキッ、バキッという音が聞こえ始めた。

 

「神殺しの罪過として、私の来世以降の人生は悲惨になる。

 まあ、それは今と大して変わらないけど、今回みたいにベルも悲劇に巻き込んであげるよ。

 君の喜劇を、私の悲劇で塗り潰してあげる。

 ━━一緒に地獄に落ちよう、可愛い可愛い後輩くん♡」

「ひっ……!?」

 

 抱きしめる力を強める。

 恐怖に染まったベルの背骨が砕け、肺が潰れ、口から血を吐いた。

 

またね(・・・)、ベル。次に会った時は、またその絶望に染まった可愛い顔を見せてね」

「あ、ぁ……!?」

 

 グシャッ。

 そんな音を立てた後、ベル・クラネルの体から力が抜けた。

 世界に、運命に愛された英雄が、死んだ。

 

「ああ……! やっと、やっと消えてくれた……!」

 

 その時、スピネルはようやく、ようやく心を焼き焦がしていた黒い炎が鎮火してくれるのを感じて。

 涙と笑顔を同時に浮かべながら、天を見上げた。

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