「おい、スピネルって……」
「ヘスティア様の、最初の眷族……!?」
「ま、間違いありません……! 前に会った時と同じ顔です……!」
「そんな!? どうして!?」
肉の柱に磔にされたヘスティア・ファミリアの団員達が、ベルの呟いたスピネルという名前を聞いて混乱した。
同じく磔にされたウィーネは彼女を知らないので困惑し、エイナはとうとうこうなってしまったと絶望に満ちた顔をする。
「なんで……。え? なんで? スピネルさんが、敵……!?」
アステリオスを殺し、ベルを焼いたのも。
シルとエイナを攫ったのも。
ウィーネを囚えたのも。
竈火の館を吹き飛ばしたのも。
フレイヤ・ファミリアを壊滅させてしまったのも。
全部、スピネル。
脳の処理が追いつかない。
シルが光の柱になって、つまり彼女が神様だったことすら仰天ものなのだ。
キャパオーバーなんてレベルではない。
「どうして……? どうして、こんなことを!?」
「君とこうして向き合うためだよ」
「!? い、意味がわかりません!?」
本当に、意味がわからない。
なんで、自分と向き合うことが、こんな悪夢のような状況を作ることに繋がるんだ。
意味がわからない。
わけがわからない。
「そうだね。まあ、一応説明はしてあげようか。腐っても先輩だし」
皮肉しか籠もっていない言葉。
けれど、何も知らないまま殺すなんてダメだ。
だから、スピネルは説明を始めた。
どうせ理解できないだろうけど。
「私はね、ベルのことが嫌いなんだ」
「!」
「本当に本当に、ヘドが出るほど、吐き気がするほど、殺したくて殺したくて仕方ないほど嫌いなんだよ」
「ッ!? な、なんで……!?」
思わずそんな言葉が出てきてしまった。
これまで、人に愛される人生を送ってきたベル・クラネル。
人に嫌われることもあったが、身近な人達はいつも自分を愛してくれた。
祖父、ヘスティア、ファミリアの仲間達。
エイナやウィーネ、豊穣の女主人の人達に、仲の良いファミリアの先輩冒険者達。
彼は愛に満ちた人生を送っている。
穢れの無い透明な魂を持つ少年。
だからこそ、身近な存在であったスピネルに殺気の籠もった目を向けられているという事実を、すぐには飲み込めなかった。
「君は私からヘスティア様の関心を奪った。ズルしてステイタスを上げて、あの
君が変な成長を始めてから、ヘスティア様は私のことを『凄い』って言ってくれなくなったんだ。
私にはヘスティア様しかいなかったのに、そのヘスティア様に褒められることだけが存在意義だったのに。
……自分の存在理由がどんどんわからなくなっていく感覚。
それがどれだけ辛かったか、どれだけ苦しかったか、きっと君にはわからないんだろうね」
忌々しいものを見る目で、スピネルはベルを睨む。
怖気が走るような視線に、ベルは身を震わせるしかなかった。
彼女の怒りに満ちた目が、恨みに満ちた声が、どんな怪物よりも恐ろしい。
「ヘスティア様にまた褒めてほしくて、私は無茶をした。
頑張って、頑張って、頑張って、強くなろうとした。
なのに、ベルには全然追いつけなかった。
私が寝る間も惜しんでダンジョンに行って、毎日毎日死にかけてる間、ベルはサポーターを見つけただの、そのサポーターの事情がどうだの、戦い以外のことに頭と労力を使ってたのに。
ねえ、おかしいと思わない? 恩恵は経験値を溜め込んで力に変えてくれる。
なのに、私の数百分の1しか戦いの経験を積んでないはずのベルが、なんで私の数百倍のスピードで強くなるの?
おかしいでしょ? おかしいよね? どんなズルを使ったの? どんな卑怯な手を使ったの?」
「ぼ、僕は、ズルなんて……」
糾弾するような目で見られ、ベルは気圧されて一歩後ろに下がってしまった。
「おい、ちょっと待て! つまり、あれか! お前がこんなことした理由は、ただの嫉妬ってことか!?」
「そうだよ」
そこで口を挟んできたヴェルフの言葉を、スピネルは肯定した。
その瞬間、ヴェルフは頭に血が上るのを感じた。
嫉妬? そんなことで、ここまでのことをやらかしたのか?
エイナやウィーネを攫い、シルを殺し、フレイヤ・ファミリアすら壊滅させて……。
「ッッ!! ふざけ……」
「あなたにはわからないよ、ヴェルフ・クロッゾ。
『クロッゾの魔剣』の唯一の継承者。
嫉妬する側じゃなくて、される側のあなたには」
「!?」
その言葉に、ヴェルフは押し黙った。
偏執的なまでに、ベル・クラネル周辺の人物の情報は調べた。
ヴェルフ・クロッゾ。
強力な武器である『魔剣』の中でも、特に別格の代物と呼ばれる『クロッゾの魔剣』。
没落し、それを造れなくなってしまった一族の中で、なんの因果か、唯一クロッゾの魔剣を造る能力を継承した男こそが彼。
良くも悪くも、特別な才能に恵まれた人間。
自分だけの役割がある、ベルの劣化にならなくて済んだ人間。
スキルも魔法も無い、ランクアップの見込みも無い、特別を何一つ持たなかったがゆえに苦しみ抜いたスピネルとは、根本的なところが違い過ぎる。
「良いよね。特別な何かを持つ人は。私も何か、私にしかできない特別なことの一つでもあれば、ベルに負けてもここまで苦しむことは無かったかもしれないのに」
彼女は寂しそうにそう呟いた。
どうあがいてもベルの超下位互換。
自分より遥かに薄い努力しかしていないベルに、必死に積み上げてきた自分の力を、役割を全てを奪われる気持ち。
努力という自分のアイデンティティをこれでもかと否定され、踏みにじられる気持ち。
それを味わわなくて済むヴェルフが、心の底から羨ましい。
「ヴェ、ヴェルフ様にはわからなくても、リリにはわかります! リリもずっと冒険者に嫉妬してきました!」
ここでヴェルフに代わって口を開いたのは、リリルカ・アーデ。
ついこの前までレベル1で、荷物持ちが精一杯だったサポーター。
「リリは
昔いたファミリアでは、どうやっても追いつけない冒険者達に搾取され続けてきました!」
その言葉に嘘は無い。
スピネルは彼女の情報も集めた。
元ソーマ・ファミリア所属。
主神が作る依存性の高すぎる神の酒、それを買うためなら、その金を稼ぐためなら手段を選ばない、闇派閥寄りとまで言われたロクデモナイ派閥の出身。
その中でどうあがいても強くなれない、才能の無いサポーター。
確かに、少しはスピネルと境遇が似ている。
「だから、嫉妬を抱く気持ちも、劣等感を抱える気持ちも、よくわかるんです!
あなたの気持ちはわかります! わかりますが……それをベル様にぶつけるのは間違いです! ベル様は何も悪くない!!」
涙目でそう叫ぶリリルカ・アーデ。
ああ、彼女の言う通りだろう。
普通に考えれば、ベル・クラネルは別に悪くない。
彼は自分の才能を活かして努力してきただけ。
そして、得た力でリリルカのような子を救ってきた。
彼女からすれば正義の
そんなヒーローに当たり散らすスピネルは、ただの逆ギレした悪役だろう。
そんなことはわかっている。
わかっているからこそ、
「あなたと一緒にしないでよ、リリルカ・アーデ」
リリルカは、何もわかっていない。
「あなたはベルに救われたんでしょ? そのまま幸せに笑ってるんでしょ?
そこまでは昔の私と同じだよ。
辛いことと、痛いことと、苦しいことしかない人生から逃げ出して、逃げた先でヘスティア様に助けてもらえた。
人生で初めて幸せを感じた」
スピネルの唯一の救い。
リリがベルに救われたように、スピネルはヘスティアに救われた。
そして、
「その人生唯一の幸せが、ベルのせいで壊れた。
嫉妬に狂って、劣等感に焼かれて、ヘスティア様が言ってくれた
必死に積み上げてきたものは、どうあがいても反則野郎のベルの劣化にしかならない。
役割を全部取られる。圧倒的に上回られる。
それが苦しくて、苦しくて、いつからかヘスティア様の愛情すら上手く受け取れなくなった。
ベルさえいなければって、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も思ったよ」
脳裏から離れない鮮明な苦しみに、スピネルは胸を掻きむしった。
肉が抉れて骨が裂け、血が服を真っ赤に染めるほどに。
そんな光景を見せられて、リリは息を呑む。
「幸せを与えられたあなたと、幸せを与えられた後に奪われた私じゃまるで違う。
正しいとか間違ってるとかじゃない。
『苦しい』んだよ。
どうしようもなくベルのことが憎くて、憎くて、憎すぎて、頭と心がおかしくなるくらい苦しいんだよ。
この苦しみをどうにかしないと、他に何もできなくなるくらい苦しいんだよ」
「ッ……!?」
涙と狂気を滲ませたスピネルの眼に見据えられて、リリは息が詰まって、怖気が走って、何も言えなくなってしまった。
かつての自分も抱えていた苦しみを何十倍、いや何百倍にも何千倍にも膨れ上がらせたような苦痛。
ドロドロに煮込まれたそれが、こんな小さな少女の瞳に宿っていた。
一人の人間を壊して、狂わせて、暴走させて余りあるほどの絶望が。
「ああ、そうだ。ここでベルを殺すから、そうしたらあなたにもきっとわかるよ。
唯一の救いを奪われる苦しみが。
まあ、ベルよりあなたの方が先に死んでると思うけど」
「「「ッ!?」」」
その言葉に、リリだけでなく、この場の全員が戦慄した。
ベルを殺す。
その前にリリも死ぬ。
この壊れた少女なら必ずやると、確信できてしまったから。
「じゃあ、やろうか、ベル。殺すから、頑張って抵抗してね」
「や、やめてください、スピネルさん!? か、神様だって、こんなこと絶対に望まない!!」
「……そうだろうね。ヘスティア様には本当に、心の底から悪いと思ってるよ。
でも、しょうがないんだ。私に火をつけたベルが悪いんだから。
私が全てを踏みにじられたように、君の全てを踏みにじって、全否定して、私と同じように苦痛と絶望の中で殺さないと、熱くて熱くて、苦しくて苦しくて堪らない私の中の黒い炎が、消えてくれないんだよ!!」
「!?」
黒曜石のようなナイフを構え、スピネルが飛びかかってくる。
彼女はベルとの戦いでは命を削る全力を出すつもりがなく、その身体能力はレベル4相当。
時間経過で春姫の魔法が解けたベルと、決定的なまでの差は無い。
つまり、ステイタス以外の要素が勝敗を分ける。
「『ファイアボルト』!!」
「うっ……!?」
スピネルの魔法モドキがベルを襲う。
相当練習したんだろう、正確な射撃。
一発目をあえて避けさせ、避けたところに二発目、三発目が飛んでくる。
だが、それ以上に、
「そ、その腕……!?」
戦闘開始に伴い、スピネルが脱ぎ捨てたローブの下から出てきた彼女の腕に、ベルは驚愕してしまった。
「これ? 苦労の跡だよ。君の魔法とスキルを再現するのは大変だった!」
『対価』と『代償』を支払い、穢れた精霊に刻んでもらった、神性を貸し出す加護を含んだ恩恵モドキ。
その容量の全てを呪詛と命削りの限界突破に持っていかれたスピネルが、それでも欲して手に入れた魔法モドキ。
炎の矢を撃っていた彼女の両腕は……鱗、毛皮、羽根、岩石のようなものが緑色の肉の繋ぎ目で強引にくっつけられ、両肩には魔石が埋め込まれ、掌には小さな口が付いた異形の姿に成り果てていた。
ヴァルガング・ドラゴン、ヘルハウンド、ファイアーバード、フレイムロック。
ダンジョンに出現する炎を使うモンスター達の素材を、緑肉を接着剤にして、自分の腕と合成させたもの。
ベルの使う『ファイアボルト』と似た形の炎が出せるようになるまで、それをチャージして放てるようになるまで、大分試行錯誤した。
自分の腕をグチャグチャに弄り回すのは痛かった。
そんな思いをしてまで、こんなことをした理由は、ただ一つ。
「ハッ!」
「!?」
スピネルの左腕が歪に膨らんでいく。
まるでベルの『
あれを思いっきり悍ましくしたら、こうなりそうだ。
「『燃え尽きろ、外法の……うぐっ!?」
ヤバいと見てヴェルフが横槍を入れようとしたが、彼を磔にしている緑肉が口を押さえつけてきた。
邪魔は許されない。
「『ファイアボルト』!!」
「うわっ!?」
チャージによって強化された炎の矢、爆炎の砲撃がベルを襲う。
自慢のスピードでどうにか避けるも、地面に当たって炸裂した余波を食らっただけで体勢が崩れる。
そこへスピネルが踊りかかった。
「フッ!」
「ぐっ……!?」
スピネルの振るうナイフを、ベルもまたナイフで防ぐ。
力でも
しかし、決定的なまでの差は無いため、崩れた体勢では完璧な防御はできず、スピネルの一撃を食らって更によろめいたところで、足を引っ掛けられた。
そのままベルは地面に倒れ、スピネルに思いっきり胸を踏みつけられる。
「かはっ!?」
「動きが鈍いね。そりゃそうだ。混乱してるし、闘志も上手く燃やせてないんだから」
彼女はそう言って……パチンと指を鳴らした。
「だから、やる気を出させてあげるよ」
「あ、ぎゃあああああああああああああ!?」
「ッ!? ウィ、ウィーネ!?」
その時、ウィーネを埋め込んで磔にしていた緑肉の柱が、彼女を圧縮し始めた。
バキボキと、彼女の体が潰されて、へし折れて、壊れていく音が響き渡る。
「ウィーネ!?」
「ウィーネ様ぁ!?」
「そ、そんな……!?」
「やめてぇええええ!!」
他の仲間達も悲鳴を上げる。
彼らが何もできないまま、『幸運』にも都合良く助けなんて来ないまま……。
「あ……」
ウィーネは、ブチュッと音を立てて、もの言わぬ肉塊へと成り果てた。
「…………………え?」
滅茶苦茶な体にされて、光を失ったウィーネの虚ろな目。
その光景が信じられなくて、理解できなくて、誰もが絶句するしかなかった。
「頑張って私を倒さないと、こうして一人ずつ殺していくよ」
「ッ!?」
絶望するベルに、スピネルは嗤いながらそう告げる。
「守ってみなよ。助けてみなよ。『英雄』になりたいんでしょ?」
「ぐぁ!?」
「あぐぅぅぅ!?」
「ぎっ!?」
「ああああああああああ!?」
「皆ぁ!?」
他の磔にされた仲間達にも少しずつ圧力がかけられていき、体が変形していく。
「う、うわぁああああああああ!!」
「えい」
「がはっ!?」
踏みつけてくるスピネルの足を渾身の力で押し返し、彼らを助けに走ったベルは、完全に起き上がる前にスピネルに蹴り飛ばされた。
「私を倒さなきゃ助けには行けない。さあ、頑張れ頑張れ、ベル☆ 英雄なら苦難に立ち向かわなきゃ☆」
「あ、ああああああああああ!!」
ベルは絶望の叫びを上げながら、スピネルに向かってきた。
得物は同じナイフ。
魔法とスキルも無理矢理再現したし、ステイタスも同レベル帯。
絶望に心が悲鳴を上げているのも同じ。
運命にお膳立てされてここまで来た者と、穢れた精霊の駒の一つとして配置される形で舞台を与えられた者。
どっちも同じ操り人形で、ズルい
そして、彼を守っていた最強最悪のクソチートにしてバランスブレイカーである『幸運』は一時的に燃え尽きた。
ここまでやって、ようやく条件はほぼ互角。
なら、ここから先の勝敗を分けるものこそ、反則によらない本人の値打ちだ。
ようやく……ようやく、イカサマをイカサマで相殺して、本当の『ベル・クラネル』との真っ向勝負ができる。
これが、これこそがスピネルの望んでいた状況。
「来なよ、ベル。君を完全否定してあげる♪」
三日月のように唇を吊り上げて、穢れた半妖精はベル・クラネルを迎え撃った。