「エイナさん! シルさん! ッ!? ウィーネまで……!?」
決戦の場に駆けつけた『英雄』ベル・クラネルは、衰弱し切った様子の彼女達を見て悲痛な声を上げた。
同時に、こんな状況になるまで駆けつけられなかった己の不甲斐なさを恥じた。
ベルはチラリと、自分の左腕に意識を向ける。
(こんな時に限って……!)
その左腕は、ほんの少し前にイレギュラーからダンジョン『深層』に落ちてしまい、そこから命からがら脱出する際に、オラリオ最高の
今も戦闘なんてもってのほかと言われるような状態なのだが、それでもオラリオの危機、何よりエイナやシル達の危機なら、ベルに動かずジッとしているなんて選択肢は無い。
それでも無理なものは無理だと言うかのように、左腕は今朝から酷く痛んだ。
そこをどうにかしてくださいと、地上に残ったヒーラー達に頭を下げて応急処置をしてもらって、なんとかギリギリ戦闘ができる状態にしてもらったのだが、その結果、こうして出遅れてしまったのだ。
「ベル! まだシルさんもエイナさんも生きてる!」
「ウィーネ殿まで捕まってしまったのは心苦しいですが……それでも、まだ助けられます!」
「ベル様! ここからです!」
「絶対に助けましょう!」
「皆……! うん!」
ヴェルフ、ミコト、リリ、春姫。
頼れる仲間達の声で、ベルは気合いを入れ直す。
そうだ。
出遅れたかもしれないが、まだ間に合う。
勝って絶対に助ける。
その思いで、英雄は目の前の邪竜を睨みつけた。
「あの人は……!」
邪竜と一体化するかのように、竜の頭部と緑色の肉で接合された、フードを被った小柄な人物。
アステリオスとの決闘に横槍を入れてきた少女。
シルやエイナを連れ去ったという人物の特徴とも一致する。
倒さなければならない、敵。
「あれがシルを連れ去った痴れ者……!」
「ミア母ちゃんの仇ニャー!」
「いや、死んではいないでしょ。……昏睡状態だけど」
「どっちにしろ、ぶっ殺してやるニャ!!」
ベルの引き連れてきた強力な援軍、『豊穣の女主人』の店員達が気炎を上げる。
リュー・リオン、アーニャ・フローメル、ルノア・ファウスト、クロエ・ロロ。
レベル4の強者が四人。
他にも、戦える店員は全員集合だ。
仲間であるシルの救出と、恩人であるミアのお礼参りのために参上した。
そして、戦闘開始。
「『燃え移れ、怨嗟の炎。焼き尽くせ、焦燥の熱』」
「グォオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
歌い始めた少女の声をかき消す大音量で、邪竜が咆えた。
その口の中に魔力の塊が発生する。
再びのブレス。
「『燃え尽きろ、外法の業』━━『ウィル・オ・ウィスプ』!!」
「ギャオオオオオオオオオ!!??」
「何度やっても同じだ!」
さっきと同じく、ヴェルフの魔法がブレスを暴発させた。
邪竜の頭部は見るも無惨に破壊され……あっという間に再生していく。
そして、またしても口の中に魔力が充填された。
「くっ……!」
ヴェルフの顔が歪む。
いくらあの凶悪ブレスを暴発させられると言っても、彼の
あんな風に自爆を恐れず連打されたら、近いうちにマインドダウンで倒れる。
彼が倒れるまでに勝負をつけなければ、最強派閥を追い詰めた地獄絵図が再び描かれることだろう。
「今、助けます!」
「春姫様! 詠唱を!」
「はい! 『愛しき
ベルが飛び出し、リリの指示に従って春姫が詠唱を開始。
同時に、高速詠唱に集中する春姫をリリが、ブレスの迎撃に必死になっているヴェルフをミコトが担いで、シルを守りながら奮闘するフレイヤ・ファミリアのところへ走った。
「すみません! シル様と一緒に守ってください!」
「……良いだろう」
許可を得て、彼らは最強派閥の庇護を得た。
フレイヤ・ファミリアは協調性が無いことで有名だが、今は崇拝する主神の命に関わる緊急事態。
元々、この戦いが始まる前に、豊穣の女主人経由で一応の協定は結んであった。
まあ、主神誘拐という情報の流出を恐れた消極的な同盟であり、ベルが左腕の痛みに悶え始めたことで、待っていられるかと先走って自分達だけで解決しようとしたのだが……こうなってしまっては致し方なし。
「『我が身を滅ぼす忌々しき呪いの力よ。
因果の糸を辿り、伝い、誰よりも裁かれるべき
「やぁあああああああああ!!!」
ベルが走る。
その凄まじいスピードは、最強派閥の猛者達をして驚愕させられた。
「速」
「どうなってる?」
「レベル4に上がりたてじゃないのか?」
【
現在のベル・クラネルのレベルは4。
決着がつく前に邪魔されたとはいえ、それでも圧倒的脅威であった
所要期間は二ヶ月。
それだけでもうおかしいが、今のベルは更におかしい。
「ハァアアアア!!」
今の彼は、どう見てもレベル4の最下位どころか、レベル6でも上位に入るほどの超スピードで動いている。
その理由は二つ。
一つは彼のスキル『
通常、アビリティの限界値は『S999』である。
しかし、ベルのスキルはその限界を突破し、数値にして1000を超える『SS』、1200を超える『SSS』などというぶっ飛んだ領域まで彼を連れていく。
そして、ランクアップ前のアビリティはリセットされるわけではなく、貯金としてストックされ、潜在値として現在のアビリティにプラスされる。
つまり、ランクアップの度に全てのアビリティを限界突破させてきたベルは、同レベル帯の冒険者達と比べても凄まじく強いのだ。
特に『敏捷』に関しては元々の才能もあり、毎回『SSS』に到達してからランクアップするため、少し成長すればレベルが上の冒険者すら追い抜くほどの俊足になる。
「『
我が名は
我が名は
鳥のごとく羽ばたく御身のために、この身、
そして、もう一つの理由がこれ。
超長文詠唱によって紡がれる春姫の魔法。
対象者を15分の間だけ擬似的にランクアップさせるという
ここに到着する前に、ベルは仲間達と共にこの魔法をかけてもらった。
つまり、今のベルは疑似レベル5。
そこに彼自身の圧倒的なステイタスが加わり、オラリオ最高峰のレベル6とすら、ある程度以上に渡り合えるだけの強さへと至っていた。
「『過ぎたる幸福は大罪なり。忘れるな。汝の幸福は誰かの不幸。汝の笑顔は誰かの苦痛』」
「『響け
全てを喰らい、全てを叶えし、
「うぉおおおおおおお!!」
「参る!」
「やったるニャー!」
ベルが邪竜の体に飛び乗り、彼をサポートするように豊穣の女主人の店員達が立ち回った。
店員達が遠距離攻撃で竜頭の上の少女を狙い、少しでも邪竜の注意を逸らし、その隙を縫うようにベルが飛び跳ね、一筋の矢となって竜の右肩を穿った。
へばりついていた緑肉を抉り、囚われていたエイナとウィーネを救い出す。
何故か邪竜の動きがフレイヤ・ファミリアだけを相手にしていた時より雑になっていたおかけで救出できた。
「ベル、くん……」
「ベル! ベルぅ!」
「二人とも! 無事で良かった!」
彼女達を取り戻せたことに安堵し、ベルは歓喜の表情を二人に向けた。
ウィーネは無邪気に喜んでベルに抱きつく。
だが、
「皆! 二人をお願い!」
「わかりました!」
二人をリリ達に託し、ベルは再び邪竜に向かっていく。
モンスターであるウィーネを守ってもらえるかは気がかりだが、少なくとも強敵を前にして問答を始めるほど、フレイヤ・ファミリアにも豊穣の女主人にも余裕は無い。
ウィーネは顔も体も隠すローブを纏っているので、『幸運』にも正体に気づかれないか、あるいはそれを口実にスルーしてくれるかもしれない。
そうであってほしいとベルは祈った。
「待っ、て……! あの、子は……!」
そんなベルにエイナが何かを言おうとしたが、精神的にも肉体的にも衰弱した彼女の弱々しい声は。
「『罪を自覚せぬまま笑う、この世で最も罪深き咎人よ。無知もまた罪と知れ』」
「『大きくなれ。
詠唱が進んでいく。
春姫の魔法は、一度使うと10分のインターバルがいる。
そのインターバルは、ちょうどピッタリこの場に駆けつけた時点で終わった。
インターバル10分に対して、効果時間は15分。
つまり、今の彼女が一度に疑似ランクアップさせられる事実上の限界人数である『4人』を、5分の間だけ超越できる。
「『知らぬ
「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」
邪竜が暴れる。
フレイヤ・ファミリアへの的確な攻めを捨てて……いや、操縦者が他のことに意識を割いたがゆえに捨てざるを得ず、代わりに邪竜自身を狂化させて、肉体もブレスも滅茶苦茶に使いまくって暴れさせる。
どうせ動きが雑になってしまうなら、とことん乱暴に。
そんな開き直りの戦術。
「うっ……!?」
「なんて凶暴な……!」
「モンスターにしても品が無さすぎるニャ!」
ジタバタと言うべきか、それともドッタンバッタンとでも言えばいいのか。
膨大な魔力を注入され、推定レベル9相当の領域に至った化け物に滅茶苦茶に暴れられては、さすがのベルでも足場にできず、さっきのように跳躍して上への攻撃ができない。
「だったら!」
その代わりに、ベルはもう一つのスキルを使った。
レベル2になった時に発現したスキル『
彼の右手が光輝き、リン、リンという鈴のような音が鳴り始めた。
力をチャージし、一度の攻撃に限って威力を跳ね上げるスキル。
漆黒のゴライアスを葬ったスキル。
「グォオオオオオオオオオッッッ!!!」
当然、黙ってチャージを進めさせてくれるはずもなく、邪竜の攻撃がベルを襲う。
爪で、脚で、尾で、ブレスで。
オラリオ最強の男達すら苦戦させた化け物の攻撃。
ベルにこれを耐えられる道理は無い。
もし、彼が一人だったのならば。
「『燃え尽きろ、外法の業』━━『ウィル・オ・ウィスプ』!!」
「『掛けまくも
尊き天よりの導きよ。
卑小のこの身に
救え浄化の光、破邪の刃。
払え平定の太刀、征伐の
今ここに我が
天より
ヴェルフの魔法がブレスを暴発させ、ずっと詠唱を進めていたミコトの魔法、強烈な重力の魔法が邪竜に降り注いで、その動きを鈍らせる。
「『今は遠き森の空! 無窮の夜天に
汝を見捨てし者に光の慈悲を!
空を渡り荒野を駆け、何物よりも
「『灰の空、消えた家、降るは黒、廃墟の雨、首なき瞳、尋ねし
なりや、なりや? 貴様は仔猫、迷子の車輪、私は涙、嗚咽の
定かでなく。だから私は泣くのです。たった一人、
更に、豊穣の女主人の強者達も魔法を使う。
リュー・リオンの広範囲殲滅魔法。
そして、
「『レミスト・フェリス』!!」
元フレイヤ・ファミリア所属、アーニャ・フローメルの怪音波の魔法。
その真髄は
彼女の
敵味方問わずに巻き込む扱いの難しい魔法だが、今回に限ってはヘスティア・ファミリア、フレイヤ・ファミリア共に共闘することが決まっていたので、対策アイテムを全員が装備している。
だが、
「グォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「ギニャー!? ミャーより音痴ニャー!?」
邪竜の咆哮に怪音波がかき消され、思ったような効果が出なかった。
この魔法は強烈な効果の代わりに、一度使うと半日のインターバルを必要とするため、この戦いではもう使えない。
「『
「『 永伐せよ、不滅の雷将』━━『ヴァリアン・ヒルド』!!」
「らぁああああああ!!」
「「「「おおおおおお!!」」」」
一方、アーニャの古巣であるフレイヤ・ファミリアの強者達は、ひたすらに我が身を盾にして、邪竜の攻撃から主神(と、ついでにオマケ達)を守り続けた。
余波すら通してはならないというのは、恐ろしく体力気力を消耗させられる。
ブレスが封じられ、邪竜が狂化し、ベルにも矛先が向いて攻撃が緩んだのは良いが、それ以上に自分達の消耗が激し過ぎる。
頼みの綱のヒーラー達も、既に限界まで回復魔法を使ってしまい、マインドダウンで気絶した。
食いしばった歯が砕けるほど悔しいが、自分達は攻勢に出られない。
自分達だけでは、あの邪竜を倒せない。
最優先すべきは、シルの姿をしたフレイヤの無事だ。
彼らはプライドを捨てて、
「『我が身に巣食う嫉妬の蛇よ、牙を剥け。
その
「『大きくなれ。
━━大きくなぁれ』!」
だが、ここで完成した。
春姫の魔法が。
引き立て役を、一つ上のステージへと連れて行ってくれる
「『ウチデノコヅチ』━━『舞い至れ』!!」
春姫の背中に出現した金色の狐の尾。
そのうちの4つが彼女のもとを離れ、フレイヤ・ファミリアの4人の上に、祝福の光となって降り注ぐ。
【
上へ行く資格を得たのは、全員がレベル6以上のこの4人。
「なんだこれは……!?」
「力が……!?」
体の奥底から湧き上がってくる力に、彼らは少し困惑した。
春姫の魔法はあまりにもデタラメ過ぎて、それが原因で古巣のファミリアには命まで狙われた。
ゆえに、彼女の情報は徹底的に秘匿されてきた。
事前情報無しの超強化。
困惑するし混乱する。
だが、それもほんの少しだ。
この土壇場で、力が増すのは好都合以外のなんでもない。
崇拝する女神をお救いできるのなら、その他の全てが些事だ。
「「「うぉおおおおおお!!!」」」
疑似レベル7。
オラリオ最強と同等の高みに至った三人が、凄まじい力で邪竜の攻撃を退ける。
変わらず主神を守っているがゆえに攻勢には出られないが、もはや邪竜の攻撃は、彼らという鉄壁の守護騎士達を打ち破れない。
「ふぅぅぅぅ……!!」
そして、勝敗の鍵を握るのは、やはりこの男。
オラリオ最強、【猛者】オッタル。
誰よりも強かったがゆえに、誰よりも剣を振るって消耗し切った男。
彼は最後の力を振り絞る。
春姫の魔法に加え、消耗が激し過ぎる自らのスキルまで上乗せし、疑似レベル9という、冒険者の歴史上最強の領域へと一時的に足を踏み入れた。
「ベル・クラネル、決定打はお前に託す」
「!」
【猛者】はベルに向かってそう言った。
情けなくも既に限界である我が身。
今の自分では、異常な防御力と再生力を誇るあの邪竜を滅するほどの一撃はもう放てない。
主神の前から動くわけにもいかない。
ならば、崇拝する女神を守るため、すべきことは一つ。
「あの怪物を滅し、『英雄』になってみせろ」
「はい!!」
可能性のある者に託し、自らは道を切り開くことにのみ徹する。
最強の男に想いを託され、ベルは凄まじい高揚感を感じた。
あの【猛者】が自分を見てくれている。期待してくれている。
これに応えなければ男じゃない!
「オオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
オッタルが剣を振るう。
その剣撃はフレイヤを守る盾以上の戦果を叩き出す。
彼の漆黒の大剣から飛び出した衝撃波が邪竜を打ち据え、暴虐の竜を押さえつけた。
チャージを進めるベルには、指一本触れさせない。
「グォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「『許すな、許すな、許すな、許すな。
穢れを遠ざけ、白きを守る見えざる
「!!」
そして、ベルの右手から鳴り響く音が、ゴォォン、ゴォォンという
当時レベル2の身で、レベル5相当の力を持っていた漆黒のゴライアスを葬った時と同じ現象。
4分。
今のベルにできるフルチャージ。
それが完了しようとしていた。
「行け!!」
ブレスを封じ続けているヴェルフが叫ぶ。
「「ベル様!!」」
「ベル殿!!」
リリ、春姫、ミコトの声も背中を押す。
「ベル!」
「少年!」
「白髪頭!」
強力な助っ人、豊穣の女主人の人達の声も力をくれた。
「ああ、なんて美しい……!」
そして、ベルの魂が放つ純白の輝きに、
そんな女神の様子を感じて、オッタルもまた微笑みを浮かべた。
「ハァアアアア!!!」
チャージを終えたベルが跳ぶ。
誰よりも速く、誰よりも高く飛躍する。
「『
彼の振るう
それを見て、女神は確信した。
フレイヤが彼にかけた期待は間違っていなかった。
彼女が事故を装って渡した
シルバーバックをけしかけ、片角のミノタウロスをけしかけ、ベルの試練を演出した。
フレイヤが用意した試練も、それ以外の数多くの試練も乗り越えて、『英雄』ベル・クラネルはこんなにも強く……!
「あああああああああ!!!」
「グギャアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!????」
『
英雄の一撃は、邪竜の内側で暴れ回る膨大な魔力が肉体を破壊し、修復されるまでの瞬きの間をピンポイントに捉えて━━ギリギリ邪竜の魔石にまで届いた。
「カッ……!?」
魔石を失い、邪竜ニーズホッグが灰となって崩れ落ちる。
その英雄的な光景に、誰もが目を奪われた。
あの【猛者】ですら、新たな英雄の輝きに魅せられて、ベル・クラネルに目を奪われて、ほんの僅かに『敵』を見るための目をベルに向けてしまった。
……その、瞬間。
「『代償は既に支払われた。
天秤を正し、奪われし幸福を、
完成してしまった。
狂化したニーズホッグに対する『頭を下げるな』『ブレスを撃ち続けろ』『私を守れ』というような最低限の命令・制御と同時進行で進め、未熟な並行詠唱のせいで時間がかかってしまった詠唱が。
呪いが、放たれる。
「『ヘスティアー・フェアリーレン』」
「「「!?」」」
黒い炎があたり一帯を覆い尽くす。
凄まじい魔力と禍々しさを感じるのに、熱くも痛くも苦しくもない黒炎。
再びあの嫌な感覚を味わうベル以外にとっては、壮大な目眩まし以上の意味を持たない呪詛。
フレイヤ・ファミリアや豊穣の女主人の強者達は、即座にこれを吹き飛ばそうとしたが、彼らには一切干渉しない黒炎は、逆に彼らからの干渉も一切受けつけない。
強者達は、対応を誤った。
「……………………………………え?」
そして、黒炎が晴れた時、彼らは見た。
あってはならない光景を見た。
シル・フローヴァが、クノッソスの壁に叩きつけられている。
敵は黒炎に紛れながら接近して、彼女の護衛についていた疑似レベル7達の間をすり抜け、一瞬にしてシルを攫った。
絶対に失ってはいけない『キング』に手をかけてしまった。
そして……。
━━天に向かって光の柱が立ち登った。
神の送還。
下界にて致命傷を負った神は、死を避けるために自動的に『
結果、下界でのルールに違反して、天界へと強制送還させられる。
その神は、二度と下界に戻ってくることはできない。
つまり、この瞬間━━オラリオ最強のフレイヤ・ファミリアは壊滅した。
「なっ!?」
「フ、フレイヤ様ぁ!?」
残党達が混乱し、狂乱する。
崇拝する神の消失。
恩恵が消え、自身の能力が一般人に戻ってしまったことよりも、そちらの方が遥かに耐え難い。
「ゴホッ! ゴホッ! あーあ、やっちゃった。本当はもっと凝った殺し方するつもりだったのに」
神殺しを成した少女が、今の一瞬のために使ってしまった切り札の反動ダメージをどうにか癒やしながら、残念そうにそう呟く。
……そんなリアクションをしていいことではないはずだ。
神殺しは大罪である。
邪竜にやらせたならまだしも、直接的に手を下すなど、来世以降の悲惨な運命が決定づけられるほどの大罪。
なのに、彼女が思うのは、殺すシチュエーションを変更せざるを得なかったことへの後悔のみ。
「き、さま……貴様ぁあああああ!!!」
崇拝する神を殺されて、フレイヤ・ファミリア残党が凄まじい形相を浮かべながら襲ってくる。
遅い。悲しいほどに遅い。
恩恵が消えてしまえば、最強の冒険者達も、無辜の民衆と大して変わらない。
「『ファイアボルト』」
「「「ぎゃあああああああああ!?」」」
そんな彼らを、少女は連射される炎の矢で焼き殺した。
【猛者】も【
「……残念です。本当に残念ですよ、フレイヤ・ファミリア。
あんな偽りの光に惑わされて、ベルに目を奪われて、私を見なくなった。
そのせいで、黒炎に紛れた最高速の奇襲に対応できなかった。
自分達だけで戦っていれば、こんなバカみたいなミスは絶対にしなかったのに」
命を大幅に削って叩き出す彼女の最高速度は、元フレイヤ・ファミリア団長が目で追うことすらできなかった神速だ。
そんな切り札を持つ彼女を前に、ほんの僅かであろうと気を緩めるなんて言語道断。
なのに、何故こんなことになってしまったのか?
第一に、周辺一帯を覆い尽くした黒炎に視界を塞がれたこと。
更に、彼らは呪いの黒炎を『黒いミノタウロスを葬った攻撃』だと認識していたため、間違ったタイミングで、間違った対処をしてしまったこと。
あれで一手を無駄にした。超スピード相手には致命的な一手を。
そして何より、ベル・クラネルの光に目が眩んで、『英雄譚の見届け人』という役割を運命に押しつけられて、ほんの僅かでも思考がそちらへ割かれたこと。
光と闇の両方に惑わされて、最強の冒険者達は散ったのだ。
「やめろ……やめろぉおおおおお!!!」
そして、残されたまだ戦える者達。
豊穣の女主人の店員達が、混乱を振り払って飛びかかってきた。
ベルの一撃を最後に、ちょうどピッタリ春姫の魔法の効果時間が切れたので、レベル5以上はいない。
レベル4が数人……それだけでも充分に脅威だ。
「……さすがに、あなた達の相手をする余裕は無いですね」
さっきの無茶で、再生が更に遅くなった。
恐らく、次に切り札を使えば限界がくる。
本当に、これ以上の強敵を相手にしている余裕は無い。
幸い、彼女達はフレイヤ・ファミリア残党を庇っていて動きが鈍い。
ここは
少女は懐から、球体の魔道具を取り出した。
クノッソスの仕掛けを自在に操る鍵『ダイダロス・オーブ』。
それによって、地面がパカリと開く。
同時に、その上を覆っていた緑肉も、波が引くように退かされた。
「「「!?」」」
落とし穴。
なんとも原始的なトラップだが、フロアの大部分の床が一度に無くなれば、対処できる者はまずいない。
ニーズホッグの大暴れで床も大分ボロボロになっていたのだが、仕掛けが無事な部分に彼女達がいてくれて助かった。
向こうばかりをエコヒイキする『幸運』が消え失せ、ようやくこちらに運が向いてきた。
全員が下のフロアに落ちていく。
この階層に残れたのは、いや残されたのは、触手のようにうねる緑肉に捕まった者達だけ。
「なっ!?」
「ぬぉ!?」
「きゃ!?」
「うっ!?」
「ひっ!?」
「…………!」
「!? 皆!?」
少女が激痛を堪えながら操作した緑肉の触手は、自分自身とヘスティア・ファミリアの五人、それとウィーネとエイナだけを正確に捕らえた。
「ベル!!」
「リューさん!?」
そして、触手が彼らを引き上げると同時に、床が閉じた。
この下は広間ではなく通路だ。
ニーズホッグがこの戦いでぶち抜いた無数の穴に、落ちた場所からでは行くことができない。
【猛者】のような
それどころか、クノッソスから脱出できるかも怪しい。
掘り進められていた侵入経路まで辿り着ければワンチャンといったところか。
「ッッ!?」
そして、そちらを心配する余裕のある者もいない。
緑肉の触手はピンと一直線に伸び、緑肉の柱となった。
それに捕らわれた者達は、肉の中に埋め込むようにして拘束された。
その拘束を引きちぎれたのは、レベル4のベルのみ。
時間経過で春姫の魔法も解けてしまった今、レベル2以下の力しか持たない他の仲間達に、邪竜が使い残した潤沢な魔力を含む緑肉の拘束をどうにかする術は無い。
「今助け……」
「『ファイアボルト』」
「ッ!?」
一人だけ拘束を引きちぎったベルは、当然仲間達を助けるべく走ったが。
少女に炎の矢を連続で撃ち込まれ、それを避けるために後退させられた。
緑肉の柱とベルの間に、少女が立ち塞がる。
ベル・クラネルとの一対一。
ついに、ついに望んでいた状況を作り出せた。
「……ようやく、ようやくこの時が来た。
長かった。本当に長く感じた。
こうやって向き合える日を、本当に本当に本当に本当に楽しみにしてたんだ……!」
そうして……少女は被っていたフードを取り払った。
美しい金の髪に、宝石のような紅の瞳、中途半端に長い耳。
背丈に違わぬ幼い顔立ちの少女に、ベルは凄まじく見覚えがある。
「スピネル、さん……!?」
「そうだよ。やっとまた会えたね、ベル」
ニッコリと嗤うスピネルに、死んだと思っていた歳下の先輩の姿に。
ベルはただただ呆然とするしかなかった。