「ゴホッ! ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!!」
緑肉に覆われたクノッソス内部にて、ヒロイン達を攫ってくることに成功したスピネルは、苦しみながら咳き込んで血反吐を吐いていた。
魔力に満ちた緑肉に体を接続させ、治癒の魔力を流し込まれると少し楽になる。
それでも、完全に苦しみが消えることはない。
「……思った以上にダメージを受けているな」
「ええ。少しとはいえ、魔石にヒビが入ってますからね。
まあ、元々数年も無かった寿命が更に削れただけです。
この一戦さえ戦い抜ければ、それで良いですよ」
お見舞いに来てくれたレヴィスに向かってそう言う。
現在、クノッソスは緑肉に覆われて侵入不能だ。
体を休める時間は稼げる。
休んだところで削れた寿命が戻ってくるわけではないが、最後の戦いに向けてコンディションを整えることはできる。
ただ、休むというのは冒険者になって以来初めてだったので、どうにも落ち着かない。
「というわけで、レヴィスさん。リハビリに付き合ってくれませんか?」
「どう考えてもリハビリで済むはずがない。寝ていろ」
「あう」
起き上がろうとしたら、額を押されて、緑肉のベッドに戻された。
「で、準備とやらは終わったのか?」
「地上でやるべきことは終わりました。残りは当日の作戦に組み込みます。
できれば剣姫も譲ってくれたりすると最高なんですが……」
「あれは私の獲物だ」
「ですよねー」
剣姫はかなり重要なピースなのだが、致し方ない。
「せめて、殺すなり生け捕りにするなりした後に、ズタズタになった剣姫を持ってきてくれませんか?」
「……まあ、それくらいなら良いだろう。どうせ最後は奴に食わせる。その前に連れ回しても何かが変わるわけでもない」
「ありがとうございます」
優しい先輩に感謝だ。
「とにかく、お前は戦いが始まるまで、そうして休んでいろ。休んで力を温存するのも戦いだ」
「……わかりました。それじゃあ、冒険者達の監視でもやってますね」
「この仕事中毒が」
レヴィスが「はぁ」とため息をついた。
しかし、監視は体を使わないことではあるので、文句は言ってこない。
そんな先輩を尻目に、スピネルは接続している緑肉の感覚を伝って、クノッソス全体を覆う緑肉を相手に奮闘する冒険者達の姿を捉える。
「……なんか、こっちの抵抗が激し過ぎて、入り口の確保とか全然できてませんね。
これ、本当に向こうは攻められる状況まで持っていけるんですか?」
「六円環の魔法が完成に近づけば近づくほど、そちらに魔力が必要になる。
そうなれば必然的に緑肉の抵抗は弱まり、奴らは侵入してくるはずだ」
「あ、なるほど」
どうやら、このまま何事もなくオラリオ消滅エンドなんてオチは無いようだ。
「まあ、向こうにはベルがいますからね。あれが一切関われないまま、何もできないまま詰みなんてありえないか」
「……それに関しては、お前から話を聞いた今でも信じられんな。
神なり精霊なりに愛された奴が加護を持つというのはわかるが、世界全体を一個人にとって都合が良いように動かすなど、規格外にもほどがある」
レヴィスが訝しそうに目を細めた。
具体例を出して説明したので信じていないわけではないようだが、それでも半信半疑といった様子だ。
まあ、スピネルだって逆の立場だったら信じないと思うので無理はない。
「私もふざけてると思いますけど、あるものはあるんだから仕方ありません。
レヴィスさんも気をつけてくださいね?
あのふざけた幸運の加護は、ベルの大切な人まで自動で守る性質があります。
ベルは剣姫に惚れてるので、剣姫にも間違いなく理不尽な幸運の補正が乗るはずですから」
「気をつけておこう。……しかし、その話が正しいとすると、昔のお前はベルとやらに大切な人認定されていなかったということになるな」
なんか、レヴィスが哀れむような目で見てきた。
スピネルはそんな視線に対して鼻を鳴らして、
「私も嫌いなので一向に構いません。
まあ、もしかしたら、私の存在が『英雄』ベル・クラネルにとってマイナスになると、加護が勝手に判断したのかもしれませんけど。
……あるいは、虫唾の走る話ですけど、怪人になって敵対したヒロインを『英雄』が救って惚れられる物語をやりたかったのかも。
私の感情が彼女の加護と混ざって、因果の糸で繋がってた幸運に干渉できるくらいの『呪い』にまで膨れ上がっちゃったのだけが計算外、みたいな」
「……ふむ。無い話ではないな。この世界は昔から英雄を欲している。
加護を使って
レヴィスはその説明に納得した。
古代から現在にかけて、英雄神話なんてものが腐るほど存在する世界だ。
その中にいくつか『やらせ』が混ざっていたとしてもおかしくはない。
存外、今のは説得力のある言葉だった。
「だが、それもお前の呪い、向こうにとっての計算外とやらがあれば対処できるのだろう?」
「……楽観はできません。確かに、私の呪いはあれを一時的に抹消できるし、呪いを常に魂に内包してる私自身は、向こうの影響を無視して動ける」
けど、とスピネルは続け。
「抹消はベルに直接呪いをぶつけないと発動しないし、私一人が事態を引っかき回すように動けても、呪いの発動中じゃないと決定打は与えられない。その上、世界全部がベルを守るんじゃ、簡単に行くはずがない」
例えば、何かしらの理由をつけてベルの参戦を遅らせ、その間にオラリオ最強の【
向こうは呪いを抱えるスピネルを偶然によって害せないので、シルやエイナを助けるための補正を流用して。
そういうことをされるだけで、かなり辛い。
そして、あのふざけた幸運はそういうことができると知っているから、決死の覚悟を決めているのだ。
「世界全てが守る、か。それだと、今この場で私がお前を殺すという可能性もあるんじゃないか?」
「いえ、それは多分大丈夫です。一回噛みついてみて、あのふざけた幸運にも制限があるってわかりましたから」
あくまでも物語を都合良く転がすための『幸運』であって、物語的にありえないことは引き起こせない。
登場人物の思考を極端に歪めることも、前後の流れを無視して奇抜な展開をぶち込むこともできない。
それをしたら物語が『破綻』するか、最低でも『駄作』に成り下がるから。
そして、向こうは意地でもベル・クラネルを『面白い英雄神話の主人公』にしたがっている。
より劇的な展開を望んでいる。
だから、シルやエイナを攫う時に妨害が無かった。
取り返しのつかない『死』ならともかく、取り返しのつく『ピンチ』であれば、幸運による守りは弱くなる。
そういう性質なのだ。
そこに付け入る隙がある。
やはり、呪いを一回試運転したのは正解だった。
あの時、黒いミノタウロスと戦うベルに呪いをかけた時。
呪いの炎がベルを守っていた力を燃やして、その燃えカスが呪いの中に入ってきた。
穢れた精霊に貸し出された神性がそれを解析して、敵の詳細情報を随分と知れた。
……とはいえ、制限や付け入る隙があるのはこちらも同じ。
ベルを殺すだけなら、前回不意打ちで呪いを浴びせた時に、
けど、ただ殺すだけじゃ足りない。
呪いの源となった真っ黒な怨嗟の炎は、あいつの全てを奪って、壊して、踏みにじって、可能な限り苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、苦しめて、その上で絶望に満ちた死を与えろと命令してくる。
そのくらい強い想いじゃないと、この呪いは発現しなかった。
本懐を遂げなければ、誰よりも自分自身を苦しめる、この熱くて熱くて苦しくて苦しくて堪らない、禍々しい熱は消えてくれない。
それがこちらの隙。
お互いに効率重視の最善手は打てない。
神々の言葉を使うなら、お互いに『縛りプレイ』と『魅せプレイ』を強制されている感じだ。
「面倒な戦いをしているな、お前は……」
「レヴィスさんだって、剣姫を直接対決で倒すことにこだわってるじゃないですか」
「……言われてみれば、そうだな」
長い長い年月を、惰性となってしまった穢れた精霊のお守りに費やし、壊死してしまった感情。
それが剣姫と戦う時だけは蘇っていた。
あの少女との戦いに『生き甲斐』を感じていた。
けれど、レヴィスの感情を刺激したものは、もう一つ……。
「まあ、なんでもいい。互いに互いの目的を果たすのみだ。せいぜい励むとしよう」
「はい! 頑張りましょう!」
怪人達は待ち構える。
緑肉に覆われ、魔城と化したクノッソスにて、間近に迫った決戦の時を待っている。