怪物の少女が奇跡の復活を遂げてからも、この騒動は続いた。
ベルを助けるために地上に出てきたモンスター達が、帰り道を塞がれて立ち往生してしまったからだ。
彼らは複雑怪奇な地形のダイダロス通りの各所に隠れながら、クノッソスを通ってダンジョンに逃げ込むチャンスを伺っている。
それを阻むのは、ロキ・ファミリア。
喋るモンスター……いや、喋れることは隠しているので『武装したモンスター』と呼ばれているが、彼らを取り逃がした失態を取り返すためにも、気合いを入れて捜索と討伐に乗り出している。
加えて、武装したモンスターには懸賞金もかけられ、多くの冒険者達が彼らを狙う。
一方、ベル・クラネルは民衆達から白い目で見られていた。
欲に駆られ、同業者の邪魔をし、街を危険に晒したクズ野郎。
それが今のベルの評価だ。
スピネルとしては『ざまぁみろ』って気分なのだが、どうせこれもすぐに良い感じに収まってしまうんだろうなと思うと、それほど嬉しくもない。
いっそ、ここで呪ってやることも考えたが、あれは派手だし、なんとなくだが、そう長くは保たない気がした。
ベルが民衆に排斥されて心折れるまで呪い続けるというのは、あまり現実的ではない。
(とりあえず、この騒動が終わるまでは見ていこう)
持ってきた大量の魔石を齧りつつ、スピネルはそう考えた。
そして、そうこうしているうちに数日が過ぎ、事態が動き始める。
モンスター達の逃走作戦が始まり、それを助けたいベル達及びその協力者達と、ロキ・ファミリアの激突。
やはりと言うべきか、モンスター達はロキ・ファミリアの陣形を突破したのだが……何故か数体が戻ってきて民衆を襲い始めた。
「んんん?」
スピネルは首を傾げた。
この状況で一般人に襲撃をかます理由がわからない。
しかも、襲撃とは言ったものの、手加減して暴れているようで、死者は一人も出ていない。
「何がしたいの……? って、ああ、そうか」
ベルの名誉回復か。
白兎のような白髪の少年が現場に現れ、モンスター達から民衆を守り始めたところで、ようやくそのことに気づけた。
つまり、あのモンスター達は自らベルに討たれることで、クズ野郎呼ばわりされているベルの名誉を取り戻すつもりだ。
随分と献身的なものである。
「けど」
ベル・クラネルは愚者だ。
モンスターを見捨てる覚悟すら持てない愚者だ。
それが今さら方針を変えるはずもなく、彼は一般人を襲っているように見えるモンスター達を討伐することを拒絶した。
両腕を広げて一般人(というか、エイナだあれ)を庇い、モンスターはそんな彼への攻撃を止めてしまう。
倒されることが目的であって、ベルを倒してしまっては意味が無いのだから当然だが、その行動はベルとモンスターが結託していると取られても仕方がない。
むしろ、そうとしか見えない。
……だが。
「ヴヴォオオオオオオオオ!!!」
もうベル・クラネルが排斥される未来しか見えない状況。
それを滅茶苦茶に荒らして全てをごまかすように、圧倒的な脅威がやってきた。
現れたのは、黒いミノタウロス。
ここ数日で集めた情報に出てきた奴だ。
あのモンスター達がロキ・ファミリアから逃げられた理由。
たった一体でロキ・ファミリア相手に暴れ回り、撤退の隙を作ったという化け物。
その時の戦いで剣姫に斬り落とされたという右腕はそのままだが、それでも凄まじい威圧感を放っている。
そんな化け物が登場し、針の筵になる一歩手前のベルをかっ攫うように吹っ飛ばして、戦いを始めた。
「…………あのミノタウロス、見たことあるなぁ」
彼女は、その正体を見抜いてしまって。
「ああ、ああ、イライラするなぁ……!」
過去の出来事のせいで刷り込まれた嫌悪感が噴き出してきて、心の中で黒い炎が暴れ回るのを感じた。
モンスターは死んだ後、その魂は母なるダンジョンへと還って転生を果たす。
最も自分を受け入れてくれる可愛い眷族に肩入れして、穢れた精霊がスピネルに貸し与えた僅かな神性。
それが、あの黒いミノタウロスの正体を、魂の真実を教えてくれる。
あいつは━━かつて、ベルが倒した片角のミノタウロスの生まれ変わりだ。
ベル・クラネルがレベル2に上がるための経験値となった、スピネルの破滅の決定打となった怨敵。
それがベルと一対一で向き合い、
「夢を、ずっと夢を見ている。たった一人の人間と戦う夢」
「!」
そんなことをのたまう。
たった一人の人間。
ああ、やっぱり、こいつの眼中にもスピネルの姿は無い。
「血と肉が飛ぶ殺し合いの中で、確かに意志を交わした、最高の好敵手」
ミノタウロスはベル・クラネルだけを見る。
まるで主人公とライバル。
そこに、端役が割って入る隙は無い。
「自分の名はアステリオス。どうか、名前を教えてほしい」
「……ベル。ベル・クラネル」
「ベル、どうか━━再戦を」
「!!」
そうして、ベル・クラネルとアステリオスの戦いが始まる。
邪魔は入らない。
またどこぞの誰かがお膳立てしているのか、ロキ・ファミリアが動かない。
「うわぁあああああ!?」
「モンスターがぁああああ!?」
二人の戦いを、多くの者達が目撃し、
「行くぞ!」
「全員でたたみかけろ!」
「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「「「がはぁ!?」」」
動かないトップ層以外の
「が、頑張れぇ!! リトル・ルーキーィィ!!」
「お願いだ!! 頑張ってくれぇ!!」
唯一抵抗できているベル・クラネルに、民衆は声援を送る。
自分達が助かるために。
ああ、そうだろう。
圧倒的な力を振りまく絶望が目の前にいて、助けてくれる相手がいたら、それがさっきまで白い目で見ていた相手でも、掌大回転させて応援するだろう。
「……すげぇ」
誰かがそんな声を上げた。
消えていく。消えていく。
ベル・クラネルへの非難が、彼を見ていた白い目が消えていく。
人類の裏切り者として処断されるべき人間が、全部ひっくり返って『英雄』になっていく。
彼を見る周囲の目には、酷く見覚えがあった。
シルバーバックを倒した時の民衆。
片角のミノタウロスを倒した時のロキ・ファミリア。
漆黒のゴライアスを倒した時の冒険者達。
英雄になりたいと語っていた少年の望み全てを聞き届けるように、世界が彼に全力で忖度する。
「ふざけるな」
だから、彼女は
呪いの歌を、怒りを込めて。
特別扱いが過ぎる『主人公様』に、一杯食わせてやるために。
「『燃え移れ、怨嗟の炎。焼き尽くせ、焦燥の熱。
我が身を滅ぼす忌々しき呪いの力よ。
因果の糸を辿り、伝い、誰よりも裁かれるべき
穢れた
穢れを知らずにいられることを許された少年に向かって
「『過ぎたる幸福は大罪なり。忘れるな。汝の幸福は誰かの不幸。汝の笑顔は誰かの苦痛。
罪を自覚せぬまま笑う、この世で最も罪深き咎人よ。
無知もまた罪と知れ。
知らぬ
穢れの象徴のような、ドロドロの黒い感情が煮詰められた声で歌う。
「『我が身に巣食う嫉妬の蛇よ、牙を剥け。
その
許すな、許すな、許すな、許すな。
穢れを遠ざけ、白きを守る見えざる
代償は既に支払われた。
天秤を正し、奪われし幸福を、
超長文詠唱。
死者蘇生の奇跡に匹敵する『闇の
「『ヘスティアー・フェアリーレン』」
影からこっそりと世紀の一戦を見守っていたスピネルから、黒い魔力の奔流があふれた。
真っ黒い炎のような、悍ましい魔力の奔流が。
それが一瞬にして、ベルとアステリオスを飲み込む。
「え!?」
「ッ!!」
ベルは驚愕し、アステリオスは無粋にもほどがある横槍に怒り狂う。
……この
目に見える範囲では何も変わらない。
だが、その時、ベルは確かに感じた。
今まで自分を包み込んでいた温かい何かが、焼かれて消えていくような感覚を。
そして━━
「ヴォ?」
「………………え?」
怒り狂っていたアステリオスが、崩れ落ちた。
その灰が散って視界が開けた先には、フードを目深に被って顔を隠した小柄な少女の姿。
彼女は、その小さな手に一つの魔石を持っている。
どう考えても、その魔石の本来の持ち主は一人しか考えられない。
「アハハハハハハ。やっぱり、私のことなんて見えてなかったね」
ベルの目の前で音も無く好敵手を屠ってみせた少女は、唇を三日月のように歪めて、喜色と憎悪の滲んだ声で嗤った。
どこかで聞いたことのある声だった。
あまりにもドロドロの感情が溶け込んで濁り切ってしまった声で、ベルはその正体に気づけなかったけれど。
「あーん」
「!」
バリボリと、少女はアステリオスの魔石を食べ始めた。
ベルは唖然とするしかない。
頭がついていかない。
アステリオスに全神経を集中していたのだ。
その相手が更なるイレギュラーに唐突にやられて、集中していた全神経が行き場を失って呆然としてしまった。
「『ファイアボルト』」
「あ……ぎゃああああああああ!?」
少女が、突然炎の矢をベルに放ってきた。
自分の魔法そっくりの炎が彼の体に引火し、なんとか消そうと苦しみながら地面をのたうち回る。
「ゴホッ、ゴホッ。
その声は、肌を焼く炎に悶え苦しんでいるベルには聞こえない。
火力が高い。
しかも、この炎、ベルをできるだけ苦しめるのが目的なんじゃないかってくらい、体に絡みついてくる。
「これはただのアドリブ。本番の時に邪魔になりそうな駒を一つ潰しただけ。本当の苦しみは、まだ始まってすらいない」
炎に焼かれるベルに背を向けながら、少女は捨て台詞のようにそう言った。
「じゃあね、ベル・クラネル。次に会う時は、君に最高で最悪の
そうして、少女は去っていく。
ロキ・ファミリアと、それを止めるほどの力を持った連中が向かってくる気配があった。
今はじっくりとベルを料理している時間が無い。
幸い、ロキ・ファミリアに把握されていないクノッソスの出入り口が近くにある。
そこまで早く逃げてしまおう。
「ああ……! でも、ほんのちょっとだけど、ベルの悲鳴を聞けたのは、とっても嬉しいなぁ……!」
焼かれて苦しむ少年の悲鳴が頭から離れない。
まるで愛しい人の声でも思い出すように、少女はしばらくその余韻に浸り続けた。