ヴィーブルがクノッソスから飛び出し、オラリオの区画の一つ、ダイダロス通りへと出る。
ベルもそれを追い……はち合わせた。
クノッソスに痛い目に遭わされ、その入り口を徹底的に洗い出そうとしていた派閥に。
オラリオ二大派閥の片割れに。
「アアアアアアアアアアアアッッッ!?」
飛来した黄金の槍が、ヴィーブルの肩を貫く。
それを成したのは小人族の勇者。
突然のモンスターの出現にパニックになっていた民衆に希望を与える、オラリオの英雄。
「ロキ・ファミリアだぁ!!」
「やった! やったぁ! 冒険者様ぁ!!」
民衆達は歓声を上げて、彼らがいてくれたことに感謝する。
良かった。これで助かる。
命の危機を前にした時、味方となる強者が現れてくれれば誰でも思うことだ。
一方、ベルは……揃い踏みした最強派閥の幹部達を見て絶望の表情になった。
「あれが今回の騒動のもと、ということでいいのかな?」
完全にウィーネがロックオンされている。
ロキ・ファミリア団長、【
「団長、どうするんですか?」
「無論、早急に処理する」
死刑宣告を放った。
冒険者がモンスターを殺さない理由など無い。
まして、こんな民衆の眼前ともなれば、倒さなければロキ・ファミリアの名声が失墜するだろう。
名声が無くなるというのは、自尊心以上の問題がある。
いざという時に味方になってくれる者が減るというのは、あらゆる派閥にとって死活問題。
ゆえに、ロキ・ファミリアは目の前の怪物を必ず殺す。
「ふぁ、『ファイアボルト』!」
「「「!?」」」
そんなロキ・ファミリアに向けて、ベルが魔法を放った。
威嚇射撃。
手を出すなと言わんばかりの行動。
暴れるモンスターを前に、そんな行動をすれば……。
「あァ?」
「ッ!?」
当然、こうなる。
ロキ・ファミリアから、そして民衆から、凄まじい感情のうねりが膨れ上がる。
なんのつもりだと、無数の非難の眼差しがベルに注がれ、
「ぼ、僕の、獲物だ……!」
己の行動の重さをようやく自覚したかのように震えるベルは、この場を凌ぐために、そんな言い訳を口にした。
「このヴィーブルは僕の獲物だ! だから、手を出すな!」
ベルがそう言い切ったと同時に、ヴィーブルが肩に刺さっていた槍を引き抜いて逃走。
彼はそれを追いかけるも、今の言い訳で観客達が納得するはずもなく、納得したとしても今の姿は『意地汚い冒険者』にしか見えず、大量の負の感情がベルに向いた。
「……意外とあっさりこうなった」
ヴィーブルとベルを囮にするような形で、クノッソスからコッソリと出てきたスピネルは、建物の陰に隠れながら、ポツリとそう呟いた。
英雄を目指してると言ってたくせに怪物を助けようとしたベルの姿を、白日の下に晒してオラリオと敵対させてやろう。
その目論みが、スピネルが何かするでもなく叶ってしまった。
ベルのデタラメな幸運を考えれば、相当お膳立てしても難しいかもと思っていたのに。
(とうとう運が尽きた? 今までのが偶然だっただけ? ……それとも)
ここから巻き返せるだけの
「「「オオオオオオオオオ!!!」」」
そんな予想が即座に裏づけられたわけではないが、クノッソスからベル達に続いて、さっきベルに味方していたモンスター達が現れた。
彼らは自らを囮とするように、ロキ・ファミリアに向かっていく。
その隙に、ヴィーブルを追いかけるベルは遠くへ。
スピネルは当然、隠れながらベルを追った。
「いたぞ! ここだ!」
「『ファイアボルト』!!」
「なっ!?」
「【リトル・ルーキー】、テメェ!?」
狂乱しながら逃げ回るヴィーブルを討伐しようとした冒険者に、ベルが魔法を発射。
当然ながら妨害目的の弱めの魔法だが、やらかしたことに変わりはない。
明日のオラリオが楽しみだ。
「アアアアアアアアアアアアッッッ!?」
「ッーーー!!」
やがて、徒党を組んだ冒険者達によってヴィーブルは進路を誘導され、待ち構えていた大量の魔導士達による集中砲火を受けた。
更に、飛来した紅の槍の穂先がヴィーブルの体を貫く。
ディックスの持っていた、呪いの槍の穂先が。
「ははははははははッッ!!」
見れば、先の戦いで顔の半分を失った、イケロス・ファミリアの団員がいた。
彼は壊れたように嗤いながら、報復を果たせたことに歓喜し━━上空から急降下してきたガーゴイルに踏み潰される。
喋るモンスターの一体だ。
あのロキ・ファミリアを振り切ったのか。
「!」
同時に、魔法によってボロボロになっていた地面が崩れた。
下にかなり広い空洞があったらしい。
多分、ダイダロスがクノッソスの出入り口を設置するために作った秘密の抜け道。
ベルとヴィーブルはそこへ落ちていき、怪物を待ち伏せた冒険者達は、次々と現れる喋るモンスター達にやられて撤退していく。
そして……。
「ウィーネ!! ウィーネ!? ダメだ!! ダメだぁ!!」
落ちた地の底で、ヴィーブルの体が徐々に灰になって崩れていく。
魔石にヒビでも入ったのだろう。
呪道具の槍で貫かれた以上、回復もできない。
彼女の死は確定していた。
「ベ、ル……ごめん、ね……」
「大丈夫、だから! 僕は平気だから! だから、ウィーネ……!!」
ヴィーブルの体が崩れていく。
慈悲は無く、容赦も無く、負けた者の当然の末路として。
(今回はこれで終わりかな?)
それを隠れて見物しながら、スピネルはそんなことを思った。
守りたかった者を守れず、悲しみに暮れる英雄は痛みを糧にして成長する。
まあ、王道の英雄譚といったところか。
「ベル……大好き」
「あ、あぁ……!?」
怪物の少女の体が崩れ落ちる。
灰となって、その魂がこの世から去る。
人は死んだ後、天に登った魂が天界にて漂白され、遥か未来にて記憶を失って転生を果たすらしい。
穢れた精霊曰く、怪物が死んだ時は、天界ではなく全てのモンスターの生みの親であるダンジョンへと魂は還り、こちらも転生を果たすという話だ。
きっと、来世で再会とかベタな展開になるんだろうなと、スピネルは白けた気持ちで悲劇を見て……。
「『未踏の領域よ、禁忌の壁よ。今日この日、我が身は天の法典に背く』」
「ん?」
声が聞こえた。
見れば、ディックスの呪詛からベルを庇っていた黒ローブの魔術師が、魔法の詠唱を始めていた。
(この状況で何を……?)
「『ピオスの
王の審判、断罪の
(! 光が……)
光の柱が天に昇る。
まるで神が送還される時のような、神秘の塊のような光が満ちる。
「『開け
止まらぬ涙、散る
光の道よ。定められた過去を生贄に、愚かな
嗚呼、私は振り返らない』」
詠唱が長い。
魔法や呪詛の詠唱の長さは、そのまま効力の強さに直結する。
詠唱が長ければ凄まじい力を持った奇跡となり、詠唱が短ければ取り回しの良い武器となる。
詠唱のいらないベルの『ファイアボルト』などが後者で、今行われようとしている魔法が前者。
超長文詠唱。
「『ディア・オルフェウス』」
そして、奇跡が起こる。
光の柱が砕け散り、代わりに地下空間が無数の白光に包み込まれた。
眩い光が視界を奪い、目を開いた時には━━ベル・クラネルの腕に抱かれる、灰になったはずの少女の姿があった。
「……………………は?」
思わず間の抜けた声が出た。
なんだそれは? 死者蘇生?
穢れた精霊以外にそんな真似ができたのか?
しかも、対象はモンスターだ。
穢れた精霊に見初められたスピネルのように、人間からモンスターに堕ちるリスクも無ければ、穢れた精霊に生殺与奪を握られることも無い。
あまりにも都合の良すぎる力。
何か他のリスクはあるのかもしれないが……。
「……初めて、成功したよ」
この奇跡を成した魔術師が、ポツリとそう呟いた。
スピネルはそれを、ハッキリと聞いていた。
「八百年、か……。まったく、
心底嬉しそうな声で、囁くようにそう語る魔術師。
……初めて成功した?
こんな奇跡が、ベル・クラネルのいる場所で、都合良く?
「アハハ……! アハハハハ……!」
スピネルは全力で口を押さえて、頬や顎を砕くほどの力で押さえつけて、嗤いそうになるのを必死に堪えた。
ああ、本当に嗤える。
なんて素晴らしい
あんな魔法を使える奴が都合良くこの場にいて、一度も成功していなかったはずの魔法を都合良く成功させて。
それだけじゃない。
地面が崩落してこの地下空間に落ちなければ、怪物の少女を抱きしめることもできなかっただろう。
たまたま偶然、冒険者達が秘密の抜け道の上を待ち伏せ場所に選んだから。
千年間崩れなかった場所が、今この瞬間に崩れたから。
そこに、あのロキ・ファミリアを振り払ったモンスター達がやってきて、冒険者達の追撃を阻止したから。
「ウィーネ……! ウィーネ……!」
少年が涙を流しながら、奇跡の再誕を果たした少女を抱きしめる。
いったい、どれだけの奇跡的な確率の上に成り立った光景だ、これは?
ベル・クラネルは、歴代の英雄達が偉業を成す過程で経験してきた悲劇すらも退けるのか?
スピネルから全てを奪っていったこの世界で、彼だけが何も奪われないのか?
この世の全てが彼にとって都合の良いように回るとでも言うのだろうか?
何かに守られているとしか思えない。
誰かにお膳立てされているとしか思えない。
スピネルはこの瞬間、その疑いを確信に変えた。
……だからこそ。
(ああ、私に発現した
スピネルは嗤いを堪え切れない。
神の恩恵を失い、穢れた精霊の加護を土台として発現した力。
普通に生きている者には何ら影響を及ぼさない。
目に見えるものは何一つとして変えられない呪い。
だが、それがベル・クラネルに対しては有効であると、この光景を見て確信できた。
(やっぱり、この物語を見学して良かった……!)
世界に壊され、世界を壊さんとする少女は、喉の奥からせり上がってくる嗤い声を、必死で堪え続けた。
まだだ。まだその時ではない。
彼女は待っている。
そう遠くないその時を待っている。
内に秘めた感情の全てを解放し、この嗤い声を響かせられる、その瞬間を。