何度、避けたろうか?
「ヴォォォ!!!」
「アァァァッ!!」
何度、吹き飛ばされただろうか?
「チィッ!ベル君っ!」
「ファイアボルトォ!」
何度、打ち付けただろうか?
「はぁ……はぁ……うっ……ゔぉえ……!」
「ズィーヤさんっ!?」
「前見ろっ!次来るぞっ!」
「ブモォォォ!!!」
数時間のようにも数秒のようにも感じられる時間の流れの中で、生き残るために武器を振るう。
パキンという軽い音を立てて、ベル君に迫るミノタウロスの大剣を打ち逸らした槍が砕ける。
武器のなくなったことを好機と見たか、大剣を持たない左腕が俺の側面を殴り飛ばす。
「かっ!!?!」
バキリという骨の砕ける音が全身から聞こえる。
鼓膜ではなく骨を通じて脳に届く粉砕音の直後、視界が白黒に点滅し思考が吹き飛ぶような痛みが全身を支配する。
「ズィーヤさんっ!?」
「……ぅ……ゲホッ!ゔぇっ」
砕けた骨が内蔵でも傷つけたのか、口からは濃く黒ずんだ血の塊が大量に溢れ落ちる。控えめに見ても致命傷だ……。
「ん、ベル……ベル、様……っ!ミノタウロス!」
リリが目覚めたようだが、逆流した血が邪魔で声が出ない。
指一本も動かせないし、声も出せない。魔法を使うために精神力を練ることも出来ない……マズイ、ベル君が、押され気味だ。
「っ!ズィーヤ様っ?!!」
クソ……俺の事はいいから助けを呼んでこい。
ここにリリが居ても、足でまとい以外の何者にもなれない。早く、速く、援軍を……
「……リリっ!逃げて!」
「で、ですが……」
「いいから、速く行けぇ!!!」
「っ!……くぅぅ!!」
掠れた視界には、広間を走り去っていくリリの後ろ姿と、両手にナイフと短剣を構えミノタウロスに肉薄するベル君の姿が映る。
痛いな……死ぬ、のかな……
「はぁ……はぁ……」
ズィーヤが倒れ、リリの去った広間では、ベルとミノタウロスの死闘が続いていた。
正確に言うのなら、死闘を演じているのはベルのみでありミノタウロスにとっては普段と何ら変わらない戦いであり、狩りであった。
「(ズィーヤさんが倒れてから、凄くやりずらい……!体力の消耗も、激しすぎるっ!)」
ステイタスではベルに劣るズィーヤであるが、駆け引きのセンスと技、戦闘サポートの手腕は卓越しており、圧倒的格上であるミノタウロスとの戦いに大きく貢献していた。
致命的な攻撃を逸らし、意識を逸らし、時には危険な橋を渡ってでも隙を生み出す。
戦場を操作していたズィーヤが離脱してしまったことはベルにとっても致命的であり、戦いの流れは完全にミノタウロスに握られてしまっていた。
「(リリは逃げられたかな……僕も、逃げていいかな……)」
視界の端に、壁にもたれかかり血塗れになりながら意識を失っているズィーヤの姿が映る。
「(いいわけないだろっ!僕が逃げたらズィーヤさんはどうなる、逃げたリリはどうなるっ!)」
疲労の中で生まれた弱気な自分を振り払い、大剣を振るうミノタウロスの懐へと潜り込む。
二度三度とナイフを振るうが、硬い皮膚と密度の高い筋肉によってかすり傷にしかならない。
攻撃の通りの悪さ、戦況の劣勢、負担と責任の重さに改めて絶望し、次の行動が一瞬遅れる。
「あっ」
「ブモォォォ!!!」
苛立った様子のミノタウロスは剛腕を振るい、懐に居座る無礼な冒険者を空中に吹き飛ばす。
避けることも攻撃することも叶わないベルに向けて、頭上にて鋭利に輝く剛角を突き上げ、新緑の篭手を打ち砕きその腕を貫く。
腕を貫かれ、痛みに喉を引くつかせるベルを強靭な筋肉を持って振り回し、地面へと叩きつける。
「がぁぁぁっ!?ぐぅぅ」
地面を転がり、倒れ込んでしまったベル。
貫かれた腕からはドクドクと血が流れ落ち、罅の入っていた鎧は完全に砕け落ちて無防備な姿を晒していた。
「っあぁ……!」
立ち上がろうと腕に力を込めるも、貫かれた腕や蓄積した痛み、疲労から満足に体を起こすこともままならない。
「(立たなきゃ……立たなきゃ、立たなきゃ立たなきゃっ!)」
どれだけ焦ろうとも、どれだけ意志を持とうとも、体は無情に崩れ落ちる。
無様に蹲り続けるベルへミノタウロスは悠々と近づいていく。
鈍重な足音を響かせながら鼻息荒く近づい来る姿に、ベルの顔から血の気が引いていく。
「ブモォ!」
一息の裂帛と共に振り下ろされる大剣。
嫌にゆっくりと見えるその太刀筋に思わず目を瞑り、目の前に迫る死から逃れようとする。
「モ?」
しかし、振り下ろされた大剣はベルの目の前スレスレに落ち、ベルを軽く吹き飛ばすに留まった。
大剣の傍には短槍が転がり、軽やかな音と共に崩れて泥に変わる。
「ゴボォッ!……に、げろ……」
「ズィーヤさん……!」
意識が朦朧としながらも魔法を発動し、ミノタウロスの一撃を逸らしたズィーヤ。しかし、負荷が大きすぎたのか幾度も咳き込み、血を吐きながら崩れ落ちる。
崩れ落ちてなお意識こそあるものの、これ以上の戦闘も手助けも不可能な様子だった。
意識こそ取り戻したものの、戦況は全く良くなっていない。ベルもズィーヤもこれまでの戦いによって満身創痍。対してミノタウロスはかすり傷や疲労こそあれど、致命的なものは何ひとつとしてない。
ミノタウロスは苛立たしげに息を吐き出すと、ベルへ向けて再び大剣を振り下ろそうとする。
ズィーヤの魔法も間に合わず、ベルが避けるには足りない物が多すぎる。
「ブモ?」
「……え」
軽やかな足音と共にベルの目の前に青いブーツと華やかな金色が揺れる。
「大丈夫?今、助けるから」
瞬間、ベルの脳裏に様々な景色が駆け巡る。
ミノタウロスに追いたてられ、ズィーヤと共に逃げ、アイズに助けられ、彼女の仲間たちによって愚かな自身を突きつけられ、駆け抜けたダンジョン。
「……いかないんだ」
「?」
揺らぐことなく、自らの足で立ち上がる。
かつて助けられた憧れ。再び彼女に助けられてしまえば、今度こそ
「もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられる訳には、いかないんだっ」
少年は憧憬を押しのけて、怪物と向かい合う。
彼は今日、初めて冒険をする。
友であり仲間である彼を置いて。
掠れた視界で白が踊る。
振り下ろされる黒を押しのけ、強大な影へと立ち向かい一進一退の攻防を繰り返す。
2人の戦士が戦う姿は泥臭く、不格好で、鮮烈で、目を惹いて止まない。
「アルゴノゥトみたい……」
遠くなった耳に誰かの声が届く。
アルゴノゥト。父と母の好きだった物語。そして、俺の愛した物語。
牛頭の怪物と人の戦い。そこに華やかさはなく、猛者たる強さはなく、賢者の知恵もない。
だが、誰もの目を惹き、心を震わせる英雄的な輝きがあった。
「……い、いな」
暗いダンジョンの中で、そこだけは目が痛くなるほど輝かしい。
その姿が、その勇姿が、その強さが羨ましい。
俺よりも強く、俺よりも速く、俺よりも鮮烈で、俺よりも輝いている。
「……羨ま、しい……」
「ズィーヤ様っ!」
ベル君とミノタウロスの戦いを邪魔しないように迂回して、リリが俺へと近づいてくる。
瀕死の俺へ大量のポーションをかけてくる。おかげで、掠れた視界と意識を飛ばしそうだった痛みが緩和され、より戦いに集中できる。
「ファイアボルトォ!」
戦いは佳境に入っている。
ミノタウロスはベル君に大剣を奪われ、四足の構えを取り一切を吹き飛ばす突進をもってベル君を打ち倒さんとする。
向き合うベル君は大剣を構え、その覚悟を決めた表情からミノタウロスの突進と真っ向勝負するつもりなのが伺える。
「ヴォォォ!!!」
「はァァァっ!!」
気合いの咆哮を上げながら互いへ肉薄する。
圧倒的質量の突進と共に剛角を振るうことでベル君を打ち砕こうとするミノタウロス。
対するベル君は自分から突進に飛び込み、その剛角へ大剣を振るう。
ミノタウロスの剛力に振るわれ、幾度も俺の武器に側面を叩かれた状態で、圧倒的な強固さを誇るミノタウロスと真っ向から撃ち合えば、確実に折れるだろう。
「……若い」
「ちっ!バカが」
「ベル様ぁっ!」
「大丈夫」
「問題ないだろ」
撃ち合った大剣と剛角は一瞬の均衡を見せた後、大剣が半分に折れることによって終わった。
だが、一瞬の均衡と振り上げられた頭の下を潜り、そのまま懐へと入り込む。
大剣によって腹部に刻まれた切り傷に神のナイフを突き刺し、速度と体重を持って刀身を深く差し込む。
「ファイアボルト」
「ヴモっ!」
体内から爆炎を打ち込まれ、体を膨張させるミノタウロス。外皮と筋肉がどれだけ頑強だろうと、体内から爆発させてしまえば関係ない。
「ファイアボルト!」
「ヴッボォ……!」
大剣によって深く刻まれた切り傷から炎が湧き出る。二度目の爆炎は堪えたのか、全身の傷口と口からドロリとした血が溢れ出る。
しかし、流石の耐久力、致命的な傷に体内で爆炎が起きようと、密着しているベル君へと剛腕を振り下ろそうとする。
「だが、もう間に合わねぇよ」
「ファイアボルトォ!!」
裂帛の気合と共に放たれた魔法はミノタウロスの体を風船のように膨張させ、強靭な上半身を爆破する。
周囲には爆風とミノタウロスの灰が舞い、中心でベル君が棒立ちとなっている。
圧倒的な格上に一人で立ち向かい、持ちうる全てを使って勝利した英雄の姿に、思わず歯を食いしばってしまう。
「あぁ、クソ……羨ましい」
緊張が解けたのか、分からないが、意識が……
ベルとミノタウロスの死闘、レベルの劣る彼が恐らく強化種であるミノタウロスに勝利した事実に、【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者であっても驚愕を隠せなかった。
強者たる彼らからすれば稚拙な技術や泥臭い戦い。だが、確かに目を惹き、英雄を見出さざるおえない戦闘に、熱いものが込み上げていた。
「ズィーヤ様っ!?」
そんな想いも、広間に響くリリの悲鳴によって断ち切られる。
リリの方を見てみれば、意識を失ったズィーヤが自身の血の海に沈んでいた。
誰が見ても致死量の血、ポーションによって傷は塞げたのかもしれないが失った血は戻らない。
すぐさまリヴェリアがズィーヤに近づき容態を確認する。脈は薄く、呼吸も浅い。顔は青白く貧血の症状が伺える。
「マズイな……このままでは失血で死んでしまう」
「……ベート、アイズと一緒にこの二人を【ディアンケト・ファミリア】に連れて行ってくれ」
「あぁ?なんで俺が」
「君とアイズがこの中では最も速い。2人の状態は見るからに危うい。一刻を争う状況なら君達が適任だ……分かるね?」
「……ちっ!おい、アイズはあの白髪のガキを背負え、俺はあっちを背負う」
「うん」
「サポーター、テメェはアイズに抱えてもらえ。俺は一足先にこいつを持ってく」
「は、はい!ズィーヤ様をお願いしますっ!」
こうして、アイズがベルとリリを抱え、ベートがズィーヤを背負うことで地上へと向かっていく。
残された面々は先程のベルとミノタウロスの戦いを振り返り、ベルの異常性とズィーヤの安否について口々に話していた。
「……そういえば、ミノタウロスと戦っていた彼の名前はなんだったか」
「む?確かに……誰か、あの白髪の少年の名前を知っている者はいるか?」
「アイズなら知ってるんじゃない?なんか、妙に仲良さげだったし」
「知らなかったら倒れてた方の男かサポーターの娘に聞けばいいんじゃない?」
「ふむ……まぁ、今は置いておこうか。改めて、僕らは深層をめざして探索を続ける!」
フィンの号令の元で団員達は深層を目指して歩き始める。その足取りは勇み足であり、早く戦わせろという各々の戦闘意欲を感じさせていた。
「(やれやれ……みんな当てられているな。分からなくは無いけれどね)」
団員の姿に苦笑いを浮かべるが、フィンとしても少年の鮮烈な戦いには胸を熱くされてしまったため諌めることも出来なかった。
「(あぁ、どうせならズィーヤ・グリスアの戦いも見てみたかったな)」
ふと過っただけの、ついでのような考えでしか無かった。だが、ベルの戦いを見た後だと、彼の仲間であるズィーヤの戦いにも興味が湧いてしまった。
「(……それに、あの血塗れの姿と瞳……)」
かつてダンジョンで見かけた【死願者】の姿を思い出す。
血塗れになりながらも青の瞳からは一切諦めが見えず、悉くを灰燼に返さんとするほど熱く強い意思が宿っていた青い瞳。
死にかけ、見ることしかできていなかった彼の瞳にも、同じものが宿っているようにフィンは感じた。
「……いや、止めよう」
今は遠征に集中すべきだと意識を切り替え、やいやいと騒がしい後方を諌めながら、彼はダンジョンの深部を目指す。
「……あ?」
何処だ?布団、白い天井、夜、地上?何処だ?カーテン、薬の匂い……治療院か。何処の?賑やかな喧騒……人が多い、ディアンケトのところか?
「あら、起きたのねズィーヤ」
「……神様っつぅ……!」
全身痛い……そういえば、ミノタウロスの攻撃をモロに受けて骨が砕けてたんだったな……思い出してきた。そうだった。
ベル君は勝ったんだな……そうか……そうか。
「ふふ、ふふふ……」
「どうしたんですか、神様?」
「いい、良いわよズィーヤ……今の貴方は最高に輝いているわ」
寝っ転がる俺に覆い被さるように神様が布団にのりあげる。長く滑らかな髪が、帳のように落ちてくる。
「……神様」
「なぁに?」
「俺、ベル君が死ぬほど羨ましかったです」
思っていたよりも、ポロリと口から溢れた。
あの戦いを見て、胸には羨望と嫉妬の感情がずっと渦巻いている。
強く、輝かしく、人を惹き付けて止まない、彼の力が羨ましくて仕方がない。
俺では手も足も出なかったミノタウロスに単身で勝ってしまった彼への嫉妬が止められない。
憧れを目指して立ち上がり、積み上げてきた己の力で勝利を勝ち取ったその姿に羨望が終わらない。
「俺も、彼のようになりたい……彼のように強くなりたい」
黒く暗く深く湧き出てき続ける嫉妬の感情が止まらない。止められない。
「ふ、ふふふ!良いわ、良いわよズィーヤ!貴方の嫉妬は素晴らしいわ……良いのよ、嫉妬してもいいの。羨んでもいいのよ」
優しく、蕩けるような甘い声で俺の嫉妬を許してくれる。
「嫉妬の女神たる私が許すわ。嫉妬を冠する私が認めるわ。
神様の細くしっとりとした手が頬を撫でる。
黒髪の帳から入り込む月光によって、微かに見えた神様の瞳は光がないにも関わらず、見つめられる身体が燃えるような熱が灯っていた。
熱っぽい神様の顔が近づいてきて、俺の額に接吻される。
「さぁ、ズィーヤ。今は眠りなさい。今すぐにでも飛び出したいでしょうけど、貴方は今眠らなければならないのよ」
「……そうですね。神様、ありがとうございます」
「ふふ、良いのよ。私は貴方の神様だもの」
月光に照らされた神様の笑顔は艶やかで、優しげで、疲労と痛みが体を蝕んでいても、安心して眠ることが、できそう、だ……。
「ふ、ふふふふふ」
眠るズィーヤの髪を撫でる。
眠る彼の魂は紫の炎が燃え盛っており、その内側には純白の輝きが灯っている。
「ようやく、ようやく貴方の炎が見えるわ……あぁ、私の愛するズィーヤ。貴方はそのまま、思うがまま、望むがままに生きていきなさい」
眠る彼の唇に柔らかな唇を添える。
軽く、ソフトなキス。だが、そのキスに含まれた愛の熱量は、触れた箇所が焼け爛れる程のものだった。
それを知るのは、無情に輝く月と淫靡に唇をなぞる女神だけだった。