「リドさん!」
「なっ!? ベルっち!?」
スピネルが魔石の補充から戻ってきた時、既に物語は始まっていた。
クノッソス内のイケロス・ファミリアが専有する区画に、ベル・クラネルがいる。
多くの喋るモンスター達と共に。
どう見ても、彼らの味方をするような立ち位置で。
「ベル……!」
久しぶりに手を伸ばせば届く距離で見た少年の姿に、スピネルは思わず殺したくなってしまったが、どうにか堪えた。
まだだ。まだスピネルが手を出すには早すぎる。
最高の舞台はまだ整っていない。
「『迷い込め、果てなき
そして、戦いが始まる。
クノッソスに全てを捧げさせられたダイダロスの血族、ディックス・ペルディクスの
あの【
ディックスの呪詛の効果は『狂乱』。
食らった相手は理性を失い、目につく者を片っ端から襲うバーサーカーとなる。
ベルは協力者っぽい黒ローブの魔術師に庇われて無事だったが、怪物達は全員が餌食となって、本来のモンスター同様の化け物と化した。
それでも彼らを助けようとするベルに向かって、ディックスはニヤリと笑い、
「いいぜ。お前の目を覚ましてやる」
「ベル!!」
「ウィーネ!!」
スピネルの会った怪物の少女、ウィーネと呼ばれた
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
暴れる少女
人の言葉を喋れるだけの知性も、愛らしい人の似姿も失って、ダンジョンで見かける
「ウィー、ネ……だい、じょうぶ、だよ」
「!!」
それでも、ベル・クラネルは彼女を救おうとした。
弾き飛ばされ、叩きつけられ、噛みつかれ、引っ掻かれ。
ボロボロの体で、なおも怪物に寄り添う。
そんな彼に感化されたかのように、少女の成れの果ては、己の衝動に抗うように、涙を流しながら抵抗を始めた。
「……白けたぜ」
「ッ!?」
そんなベルを、ディックスが
「何やってんだよ、テメェは。期待外れもいいところだぜ。
そのナイフで怪物の腹を捌けば良かっただろうが。
化け物を助ける義理が、価値がどこにある!?」
「ッッッ!!」
「なっ!?」
ベルのナイフが、ディックスの槍の穂先を斬り飛ばした。
「誰かを救うことに、人も怪物も関係ない! 助けを求めてる! それで充分だ!」
ベル・クラネルが咆える。
実に英雄的な台詞を。
それに怪物達が感化されて呪詛に抗い、レベル3のベルが、レベル5のディックスに抗うための力となった。
千年に渡ってドロドロに煮込まれた呪いの派生が、たった一人の少年の叫びに負けた。
「相変わらず、ふざけてるなぁ」
それを見学していたスピネルは、人間だった頃から何度も何度も見せつけられた
なんだそれは? 想いの強さが生んだ奇跡だとでも言うつもりか?
それならディックスの方が上回っていたはずだ。
スピネルは知っている。負の感情の強さを。
魔法の亜種である呪詛は、魔法と同様に、本人の資質や想いから発現する。
強すぎる負の感情が呪詛となるのだ。
クノッソスの創始者、作品完成のために、子孫達に恐ろしいほどの労働と犠牲を強いてきたダイダロスの呪い。
それに苦しめられて発現したのがディックスの呪詛。
それに染まり切って発現したのが、かの【勇者】を殺しかけた呪道具の作り手の呪詛。
スピネルが抱く幼稚な呪いですら、我が身を焼き滅ぼすほどの壮絶な苦しみがある。
そんな苦しみと、代償と引き換えにすることで、呪詛は魔法よりも強力で凶悪な力となるはずなのだ。
呪道具の呪いは、オラリオの双頭とまで呼ばれる男を殺しかけた。
なのに、それと根源を同じくする呪いが、あんなちっぽけな少年の叫びごときで破られた。
「ふざけてるなぁ……!」
ベル・クラネルに、派生した一部とはいえ、千年の呪いに勝るほどの強い想いがあるか?
穢れた精霊という神性の欠片を有する存在の触手となったスピネルには見える。
呪道具やディックスの呪詛に込められた呪いの強さが。
狂おしいほどの感情の重さが。
なのに、ベル・クラネルはそれを粉砕する。
ディックスより、よほど軽い気持ちしか持っていないくせに。
人も怪物も、全てを救う覚悟?
違う。あれはそんな大層なものじゃない。
ベルは守るという覚悟を決めたんじゃない。
ベル・クラネルの魂は白い。
穢れを知らないかのように白い。
だからこそ、綺麗事以外のことができない。
泥にまみれる覚悟が無い。
全てを救うべく、残酷な現実に抗う覚悟を決めた英雄なんかじゃない。
ただ、あの喋るモンスター達に恨まれたくないだけ、責められたくないだけだ。
なのに、その程度の想いで千年の呪いを打ち破る。
見えている側からすると、見上げるほどの巨大な竜に子兎が当たり勝っているかのような光景だ。
ますますもって、ありえない。
あいつは全てを踏みにじる。
想いも、努力も、相手よりもよほど薄い積み重ねで追い抜いていく。
本当に、腹が立って、腹が立って、仕方が無い。
「ぐはっ!?」
やがて、ディックスが負けた。
けれど、彼は最後の抵抗をする。
怪物の衝動に抗う少女だったものに幻影を見せ、更に地上への直通ルートを開いて、彼女を地上へと誘導した。
怪物を拒絶するオラリオへ。
それを囮にして、ディックスは逃げていく。
「ウィーネ!!」
そして、当然のごとくベルもまた少女を追いかけて地上へ。
「ディックスさん、ナイス」
今のは、ディックスがやらなければ、スピネルがやろうとしていたことだ。
手間が省けた。
今度、何か差し入れでも持っていこう。
「さあ、どうなるかな」
ベル達を追いかけて、スピネルも地上へ。
見届けよう。この物語を。
果たして、ベル・クラネルは人類に石を投げられてでも怪物を救う異端者になるのか。
それとも、また何か奇跡が起きて、彼に都合の良いように世界が回るのか。
スピネルはそれに興味があった。