「なんの騒ぎだ……?」
リリと改めて友人になってから数日。
数日の間に、ベル君たちと共同探索したり、神様達も誘って一緒に晩御飯をとったりと、ファミリアぐるみでの交流を重ねていた。
昨日も突然俺たちのホームにヘスティア様が飛び込んできた。妙に荒れた様子で小脇に抱えた酒を飲んでいたヘスティア様を宥め、ベル君に迎えに来てもらっていたところだ。
探索を広げるため9階層の情報をもらおうとギルドを訪れると、掲示板の前に人の壁が出来上がっていた。
全員が何かしらの情報に感嘆の声や嫉妬の籠った恨み言、悲喜交々と言った様子で掲示板を見上げて居た。
入口へ微かにかかってしまうほど広がった人垣を迂回し、受付カウンターまで向かう。
カウンターではエィラさんが忙しなく書類を整理し、後方のピンク髪の人に指示を出していた。
一段落したのか、溜息と共に顔を上げると、俺のことに気づいたのかいつもの笑顔を浮かべてくれる。
「おはようございますズィーヤくん。今日はどうしましたか?」
「おはようございますエィラさん。今日は下の階層へ探索の足を伸ばそうと思って、9階層の情報を貰いに来ました」
「9階層ぅ……?」
エィラさんの笑みが固まり、声が1つ2つ低くなる。放たれた威圧感は、日々ダンジョンで戦っている俺をして体を固めてしまうほどだった。もうこの人が冒険者でいいんじゃないだろうか??
エィラさんの正論による口撃に身構えるが、高速詠唱並みの小言が来ることはなく、大きな深呼吸をする音だけが聞こえる。
「ふぅ……まぁ、ズィーヤくんの事ですから無茶はしないでしょうし、ステイタスも基準には達しているんでしょう?であれば、私から言うことはありません」
呆れながらも優しく言ってくれるエィラさんに、そこはかとない罪悪感が去来する。
無茶……してるんですよね……定期的に決死の戦場に身を置くなどしているから、無茶しないなんてことは全くないわけで……騙してるわけじゃない、騙してるわけじゃないけど……胸が痛いっ
「あ、ありがとうございます……!」
「?なんでそんなに苦しそうなんですか……?」
「いえ、ちょっと色々とありまして……はい」
「無理はなさらないでくださいね?では、9階層の説明ですが──」
その後、9階層の基本的な構造や攻略に使われる道、出現する魔物の種類や強さの目安を教えてもらった。
探索進度を上げる時、担当アドバイザーに情報を聞けるというのは凄まじいアドバンテージだ。
弱小ファミリアやソロを基本としている人間……つまり俺にとって彼女からの情報は探索における生命線と言っても過言では無い。
エィラさんからの情報を地図に書き込みながら聞き零しがないようにする。聞きこぼした情報が俺を殺しかねない。ダンジョンでは、徹底した準備でも準備不足になりうるのだから。
「──以上が9階層の基本と気をつけるべき点です。分からないところはありましたか?」
「……問題なさそうです。いつもありがとうございます」
「いえいえ、これが担当アドバイザーの仕事ですから」
そう言って、むんっと力こぶを作ってみせるエィラさん。
力を入れるために胸を張ったせいか、エィラさんのたわわな胸部装甲が弾む。その艶やかな揺れ姿に、周囲の男連中から感嘆の声が上がる。同時に受付嬢と女性冒険者からの目線が冷たくなる。
目の前でたわんだソレを見た俺といえば、背筋を駆け回る壮絶な悪寒でそれどころでは無い。え、今日ダンジョン行ったら死ぬとかないよな?
「ん?どうしましたズィーヤくん。凄い汗ですが……」
異様に汗を流している俺を心配してくれるエィラさん。しかし、彼女が前屈みとなって俺に近づいた時、悪寒が増したような気がする。いや、元が強すぎて分かんないまであるけど。
「いや、なんでも……あ、そうだ。エィラさん、あの掲示板前の人壁って何なんでしょうか?」
悪寒から意識をそらすため、咄嗟に出した質問として中々いい線を行っているのでは無いだろうか?
エィラさんは未だ消える様子のない人壁を見て溜息を一つ付いた。まぁ、冒険者なら管巻いてないで早くダンジョンへ行くなり、帰って休養を取れなりとは思わなくは無い。
「【ロキ・ファミリア】の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン氏がLv6になったんですよ」
「へぇ、それはめでたい」
成程、都市で最大級の人気を誇るヴァレンシュタインさんのLvが上がったともなれば、掲示板に人集りができるのも納得だ。
話し終えた頃には悪寒は収まっており、ようやくダンジョン探索へと行くことができそうだった。
「情報ありがとうございました。それじゃ、俺は探索へ行きますね」
「無理せず、生き残ることを第一にして下さいね!」
「もちろんですよー」
ギルドを出れば、快晴の空が出迎えてくる。
誰にも遮られることなく天頂で輝く太陽の光を目一杯浴びて、光の届かない暗いダンジョンへと向かう。
今日も命大事に冒険と洒落込むとするか!
「やりすぎた……」
日が沈み、夜の帳が都市を包んだ頃に、ようやく地上へと這い上がってきた。
入る前は燦然と輝いていた太陽も、今は淡白に人々を見守る月へと置きかわっており、俺が如何に探索に夢中になっていたかが分かる。
9階層の事前知識、8階層との比較、戦闘を多少抑えていた。それら全てを加味しても足りないほど新しい階層を歩き回ってしまった。
俺らしくない……ということもなかった。割としょっちゅうあるし、その度にこの思考を繰り返している気がする。
「腹が減った……」
普段の探索では気にもならない空腹が集中を阻害するほど強くなって、探索を切り上げてみればこの夜空。あ、流れ星。
じゃが丸くんでもなんでもいいから腹に収めたい……いや、欲を言うならガッツリ肉を食べたい。
とはいえ、夜となればやかましい酒場も多少の落ち着きを見せる程度には夜中らしく、今から入って肉を食べさせてくれる酒場なんてあるかどうか……。
「……行ってみるか?」
一度思考が過ぎれば、体は空腹に耐えかねて自然と目的地を目指し始める。
「ついてしまった……『豊饒の女主人』」
未だに暖かな光が外に漏れ出て、中からは微かな話し声も聞こえる。
店じまいだった時には、材料費を渡してキッチンを使わせてもらえればいい……図々しいことこの上ないが、俺の飢えも限界なんだ。許して欲しい。
覚悟というよりは正当化をしてから、扉を開く。
「にゃ?今日はもう店じまいにゃっ!」
「そうにゃ!今更出せる飯なんてないにゃっ!」
「そろそろ店じまいってだけでまだ閉めてないでしょバカネコども……」
「アーニャ、クロエ、あまり適当なことを言うとミア母さんが怒る。そして、私達まで怒られてしまう」
中では酔い潰れた冒険者がポツポツと倒れており、奥ではリオンさん含める4人の美しいウェイトレス達が片手間に片付けをしながら駄べっている様子だった。
色々とツッコミたいところはあるが、今は空腹の方が酷い……あ〜机の残飯すら美食に見える。末期かな?
「……すいません。死ぬほど腹減ってるので、肉ください」
「なんにゃコイツ、顔色悪すぎにゃ」
「ホントにゃ、どんだけ腹減ってるにゃ?」
「リュー、ミア母さんってどのくらいで帰ってくると思う?」
「調味料を倉庫に取りに行ったのでそろそろ戻ってくると思いますが……」
腹が、減った。
都市に響いているんじゃないかと思ってしまうほど低く唸る腹の虫。今なら都市の食料を全て食べ切ることができそうだ……
誰もいない綺麗なカウンターに体を突っ伏して、空腹に耐える。突っ伏した方が空腹が楽になる気がするんだよな。
「うわ、本格的にヤバいやつにゃ?」
「腹の音がここまで聞こえるにゃ……どんだけ腹減ってるにゃ?」
あ〜辛い。空腹でいっそ気持ち悪いとすら感じる。
やりすぎは良くない……というか、俺ってこんなに腹減るんだな。普段じゃが丸くんばかり食べてたからか?いや、多分集中する必要がある探索を長時間行った結果か……
「なんだい坊主。えらく腹が減ってるらしいじゃないか」
頭上から力強い声がかかる。
人によって圧を感じ恐怖すら覚えかねない力を持った声は、今の俺にとって神の福音に近かった。
「肉……いっぱい、ください!」
突っ伏していた体を起こし、目の前に立つ強大な存在感を放つ女主人を見上げる。いや、いっそ睨みつけると言ってもいいかもしれない。
不遜な俺の態度を気にした様子もなく、ミアさんは力強く笑みを浮かべた。
「任せな!満腹で動けないくらい食わしてやるよ!」
ご機嫌なミアさんが台所で動き始める。
炎を吐くコンロに使い尽くされ黒くなった歴戦のフライパンをのせ、素早く油をしく。
フライパンを熱している間に肉や野菜を手早く切り、フライパンにぶち込んで一気に焼き上げる。
豪快かつ快速。雑に焼いているだけかと思いきや、コンロの勢いを操作することで焼き加減を調整し、しっかりと肉が焼けながらも決して焦げない一瞬の完璧を目指している。
肉の焼ける食欲を誘う匂い、味付けの調味料が放つ空腹を刺激する香り。この瞬間、俺の腹の虫は最も飢えている。
「あいつ、腹の中に魔物でも飼ってるにゃ……?腹の音が魔物の唸り声と変わらないにゃ……」
「ミアかーちゃんも妙に生き生きしてるにゃ……そんなにあの少年を気に入ってるにゃ?」
「まぁ、自分の料理に今にも食らいつきそうな目をされたら、料理人としては心も揺さぶられるってもんなんじゃない?」
完璧と言って相違ない焼け具合の肉を大皿に乗せ、上から塩と胡椒で味付けする。
これで完成かと身を乗り出すと、ミアさんが俺に目を向けてくる。そこには、こちらを試すような意思が宿されていた。
まさか……"まだ"あるのか?この上に……。
焼かれた焦げ茶色の表面は油と溢れた肉汁によって照り返し、立ち上る湯気が鼻を抜ける度に空腹が加速する。正直、今すぐに食らいつきたい。
だが、だが!俺の知る中で最も腕の立つ料理人であるミアさんがこちらを試している!
「今、これで満足して食らうのか?」そう問いかけている!
空腹は最高潮。食欲に際限無し。我慢も理性もかなぐり捨てて欲望のままに貪りたい!
が、故に。
「…………」
「ふっ、それでこそさ」
席に深く腰かけ、待つ。
料理人が完璧だと。胸を張って俺の前に料理を出してくるまで、俺は暴れ回る欲望を抑えるのみ。
いっそう笑みを深めたミアさんはフライパンに残った肉の油にワインと調味料を加え、弱火でじっくりと煮始める。
焦げない程度に掻き混ぜ、とろみが出るまでフライパンを満遍なく暖める。
そして、肉の焼ける匂いに勝るとも劣らない、食欲の枷を外す香りを放つソースが完成した。
湯気が収まり、照りも落ち着きを見せる肉に、できたて熱々のソースを回しかける。
焼きたての肉よりも輝き、吹き出す湯気だけで満足してしまいそうになるほど美味な香り。
「お待ちどうさま。アンタを満足させる一品さ」
遠目からしても輝いていたその姿は、近づいたことにより益々輝いて見えた。
調理方法はシンプルに焼くのみ。調味料も特別なものは使っていない。肉自体も、大きさこそ普通のステーキの二倍ほどあれど特別なものには見えない。主食となるパンさえ、冷えたものを炙っただけの代物だ。
だからこそ、良い。
単純、シンプル、故に強い。
特殊な力も異常な特性も無く、ただその潜在能力を全て出し切ったこの肉は、ダンジョンに潜む歴戦の強化種にすら勝るだろう。
「……いただきます」
理性の枷を外す挨拶。この瞬間より、俺は喰らうだけの怪物になろう……
肉へ、かぶりつくっ!
血のように吹き出した肉汁は瞬く間に口内を満たし、俺の喉を潤した。
焼かれた香ばしさはあれど焦げ臭さも苦味もなく、ひたすらに肉の旨みだけを突き詰めたような焼き加減。その旨味を邪魔することなく、さりとて存在しない訳では無い完璧なサポートをしているソース。
ワインと調味料をふんだんに使い濃いめの味付けにしたのが良かったのか、肉汁の海においてもその存在を確かに感じさせる。
食事中に喋るのは無粋だ。だが、あえて言わして貰いたい。
「ウマいっっ!!!」
「ったりまえだろう!」
いい笑顔のミアさんが眩しいぜ……。
早く腹に納めろと煩い虫共を黙らせ、炙りパンとソースを絡め、削いだ肉を乗せて一口に頬張る。
肉だけでも美味かった。ソースをかけたらもっと美味かった。であれば、肉と相性のいいパンまで加えてしまったら?
美味くないわけがないだろうっっ!!!
炙りパン、偶に食べていたがここまでのポテンシャルがあったとは……いや、炙りパンが真価を発揮するのは、常に
「な、なんにゃアイツ……叫んだと思ったら泣きながら食ってるにゃ……頭おかしいにゃ?」
「にゃーの勘が言ってるにゃ、アイツに関わってはにゃらないと……」
喰らい、飲み干し、食いちぎり、絡めて飲み込む。それだけの単純作業。
しかし、その作業すら感動的な行動に変えてしまう料理と料理人に、俺は最大限の敬意を払おう。
最後の一片を飲み込み、空となった食卓を眺める。
腹の虫は収まり、乾ききった欲望も満たされた。今ならば、どんな理不尽が襲ってこようとも穏やかな心で反撃することができそうだ。
「満足したかい?」
「……えぇ、お見逸れしました。これほどの美味、この先どれだけ味わえるか分からない程の美味しさでした」
「そうかい。それなら、腕を奮った甲斐があったってもんさ」
腕を組みニヤリと笑うミアさん。その姿が異常なほど様になっていて、思わず両手を上げ降参してしまう。
この人に適う気がしないな……力でも技術でも、何より心でも。
「ご馳走様でした。料金はどうしましょうか」
「アタシは片付けがあるし、そこのバカ猫2匹には店仕舞いさせなきゃだからね。そこのエルフに渡しときな」
「「にゃっ!?なんでにゃ!??」」
「店を勝手に閉めようとしてたのはどこのどいつだい?」
「「喜んで店の片付けしますにゃっ!!」」
「……では、グリスアさん。料金をいただきます」
「はい……というか、ミアさん。これいくらですか?」
「あん?あ〜500ヴァリスだよ」
どこか面倒くさそうに言い捨ててから、のしのしと裏に入っていく。後ろ姿が完全に見えなくなった頃に、猫さん達の大きな溜め息が広がった。
ミアさん、明らかに今値段つけたな……そして大分良心的だ。
腹を満たすためなら50ヴァリスもあれば十分だが、あれ程の一品にパンまで付いていたんだ、十倍くらいなんてことない値段だ。寧ろ、申し訳なさすら感じてしまうな。
「じゃあ……リオンさん、お願いします」
「えぇ、確かに500ヴァリス受け取りました」
彼女が手に持ったプレートの上に硬貨を置いていく。改めて美味しい料理だった……毎日は来れないが数週間に一回くらいは来たいな。次は神様も誘おう。
「そういえば、クラネルさんが貴方のことを
「え、ベル君が?」
「えぇ、良き先輩であり友人。自分では敵わない凄い人だ、と。随分、彼から好かれているようだ」
微かに微笑みを浮かべ、良いものを見たとばかりに噛み締めるリオンさん。俺としては、褒められるというのは悪い気はしないが、少し気恥しいものに感じる。
「……まぁ、ベル君なら誰だって好意的にとらえるんじゃないですかね?」
「かもしれない。ですが、貴方はそれでも別格だ。それこそ、シルが嫉妬してしまいかねないほど」
「えぇ……別に恋敵になった訳でもないのに……?」
「シルにとっては重要なことだったのでしょう」
2人で声を上げないよう小さく笑う。目の前で笑うリオンさんの顔は、思わず見惚れてしまう美しさだった。
さて、そろそろ周囲で仕事する猫さん達の目も痛くなってきたところだし、お暇するとしようか。
「それじゃ、俺は帰ります。美味しいご飯、ありがとうございました」
「またいらしてください。ミア母さんも貴方を気に入っているようだから、きっと喜ぶ」
リオンさんと他の方々に見送られ、暗い道を歩く。街頭や月明かりに照らされているとはいえ、人気のない道は実際の明るさとは違う暗さがある。
明日も探索するつもりだし、さっさと帰るか。
人のいない夜の道を駆けていく。誰にも邪魔されず、ひたすらに走る時間は、妙に開放的で悪くないものだった。