『ベースボール不要論』

[副題]~大マスゴミと野球(よきょう)/現代日本の致命傷~
[副々題]~がんばれ日本! なくなれ読売!!~

第13章 時代の流れには逆らえませんよ![3]

2005年06月10日 | 第13章
[3]

〈もはや「たかがスポーツ」の時代ではない!〉

 スポーツというものは所詮、ただの「遊び」(プレイ、play)です。そうとらえてもいっこうに構いません。
 ところが、「たかがスポーツ」などと言い切れる時代はもうとっくに終わっています。このことを私たちはもうすでに……(ちょっと不安、いや、かなり不安ですが)知っていますよねぇ?
 近年、メディアの発達もおおいに手伝って、スポーツはわれわれ地球社会の「重大事」になってきました。諸外国との友好関係を深めるのにスポーツは一役も二役も買ってくれますし、また国際政治や経済などといった重要事項にもスポーツは深くかかわってくるようになっています。
 スポーツはもはや、単なる「遊び」ではなく、きわめて重要な「文化」と言えるのではないでしょうか?

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 わが国とお隣韓国との最近の関係は、とても身近でわかりやすい例だと思います。
 両国はきわめて不健全、かつ陰気な隣国関係をつづけてきました。もっとも、隣国関係というのはいつの時代もあまりよろしくないことが多いのですが、最近の日韓関係の変わりようはいったい何でしょう?

 国際サッカー連盟(FIFA)主催のワールドカップ第16回大会が2002年、日本と韓国で共同開催されました。これは当初、日韓どちらかでの単独開催が前提でした。日本でやるか、韓国でやるか──。
 ところが、FIFA理事のおじさんたち(決定権者)が最後の最後にルールを勝手に変更し、日韓共催としてしまいました。当時、みんなブーイングでしたね。私はよく覚えていますよ。
 ところが、このFIFAのおじさんたちの「勝手」をきっかけに、日韓関係は一気に良い方向へ向かい始めました。韓国のテレビドラマが日本で流行ったり、韓国語を学ぶ日本の若者も急増しています(私もその一人だべ)。
 一昔前なら、たとえば韓国の人たちが電車のなかで大声でじゃべっていたら、「なんじゃ、お前ら?」といった感じで日本人はジローッと睨みつけていましたよ。でも、いまなら「アンニョンハセヨ、韓国語教えてちょうだい!」てなもんです。ものすごい変化だと思います。

 むろん、私は日韓関係をきわめて単純に楽観視しているわけではありません。まだまだ両国間には問題が山積しています。でも、若者たちの文化を中心に両国の交流が盛んになるのはとてもいいことだと思います。FIFAのおじさんたちの「勝手」は、「お前ら、もういい加減仲良くやったらどうなんだ、ん?」という温かいメッセージだったのではないでしょうか? 私はそう思っていますよ。ありがたや、ありがたや。

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 このようなスポーツの持つ「パワー」を目の当たりにすると、スポーツをいかに大切に、いかに正しく扱うかが、きわめて重要だということがよくわかってくると思います。スポーツは、この地球上のありとあらゆる人々を結び付ける、無形の「文化財」です。もはや、単なる「遊び」ではありません。
 スポーツの第一目的を親方大企業の広告宣伝や、子どもたちへのチンプンカンプンな教育とするような誤った形をいっこうに改めようとしない国は、きっといつの日か世界から取り残されてしまうでしょう。
 幸い、ジャパニーズ・ベースボールは内輪のマージャンみたいなもので、世界の関心事ではありません。だからまだまだ安泰なのですが、もし今後もこの重大な過ちがが改められないのなら、わが国の国際的地位低下にもつながりうる由々しき事態と言えるのではないでしょうか?(つづく)

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第13章 時代の流れには逆らえませんよ![2]

2005年06月08日 | 第13章
[2]

 ようやく「あるべき姿」に向かって日本のスポーツ界は動き出しました。もう後戻りはしませんよ。この先、「とてもゆっくり」ということになりそうですが、「地域スポーツクラブ」を中心に日本のスポーツは発展していきます。
 たとえば将来、こんなことが起きたら御の字です。

  ある街のスポーツクラブのママさんバレー部門が、ある日突然、ということはなさそうですが、何かをきっかけにグングン強くなっていく。そして、当初はお気軽にママさんバレーを楽しんでいたチームがメキメキ実力をつけ、やがて日本のバレーボールの最高峰Vリーグに参戦する──。

 もしこんなことが起きたら万々歳です。そして、そんなトップレベルの選手たちの傍らで、地域の子どもたちもバレーボールを楽しんでいる。もしこんなことになったら最高です。
 で、それはバレーボールでも、ビーチバレーでも、水泳でも、バスケットボールでも、卓球でも、ラグビーでも、サッカーでも、柔道でも、スキーでも何でもいいのです。(野球はダメよ!!!)
 わが国のスポーツ界は各競技ごとにバラバラですが(野球界は野球界のなかでもバッラバラ。そもそも「日本野球協会」というものがない)、この地域スポーツクラブを中心にまとまればいいのです。そして、地域が主体となってこの国のスポーツを興し直すのです。これが日本のスポーツ界が向かっていく方向です。

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 それでは、企業・学校を中心とする従来のスポーツ振興はどうなっていくのでしょう?
 考えるまでもありません。徐々に縮小ですね。
 高校野球のみならず、高校サッカーや高校ラグビーなどの「学校スポーツイベント」は、まだまだそこそこの隆盛を保っているようです。また企業スポーツの残骸もまだまだそこかしこに残っています。が、学校は勉強をするところです。企業は利益を追求するところです。わが国のスポーツは今後、地域・住民が主体となり、企業は一歩下がって、各地域スポーツクラブのパトロンになっていただきます。
 ということは? つまり、どういうこと? いまだに企業の論理が「剥き出し&最優先」で、また子どもたちへの奇々怪々なる教育をいまだに第一目的としている日本の野球界は、今後どうなっていくのでしょう?
 はい、立派な「抵抗勢力」とあいなります。おそらく野球界はシラを切って逃げ切ろうとするでしょう。ですから、みなさん、どうか先取り、先回りをしてください。お願いします。いまのうちから野球を弾き飛ばす。突き放す。それがカッコイイですし、また日本スポーツ界の今後の健全な発展のためだと思います。日本スポーツ界にとって、もはや野球は邪魔者。ザックリと置き去りにしましょうよ。(つづく)

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第13章 時代の流れには逆らえませんよ![1]

2005年06月06日 | 第13章
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〈地域に根差したスポーツクラブで真の豊かさを!〉

 
  「この国はスポーツ文化がなかなか育たない」──。

 などと、眉間にシワを寄せて議論している評論家の方々がよくいらっしゃいます。が、育つも育たないも、わが国には「スポーツ文化」なんていう上等なものはそもそもなかった、と私は思っています(日本スポーツ界の中心に“その気”がまったくない野球界がドシリと居座りつづけているわけですし)。その認識は正しいとも、また思っています。

 行政の“無策”が原因なのですが、いままでこの国にあったのは、学校の「体育」(という奇々怪々なる教育)、そしてスポーツの形をした「企業広告」、この二つでした。行政が学校と企業に下駄を預けてしまい、「スポーツ行政」というものがこの国にはまったく存在しなかったわけです。
 この国の学校というのは何だかヘンテコリンなところですし、また企業はあくまで利潤追求を第一に考えるところです。おかげで、この国のスポーツはおかしなことになってしまいました。
 学校の「体育」も「企業広告」のためのスポーツもともに、少し大げさかもしれませんが、スポーツに対する「侮蔑行為」、もっと言えば「冒涜」であります。スポーツを楽しむ、というきわめて純粋な目的(何よりも優先されるべき第一の目的です)が後塵を排しているわけですから。真の意味での「スポーツ文化」は最近始まったばかり、これからなのです。

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 最近、「総合型地域スポーツクラブ」なるものが全国各地に次々と設立されていますね。これです。これが「あるべき姿」です。私が住む街にも、小規模ながら、地域住民のだれもが気軽に参加できるスポーツクラブが発足しました。
 日本には各地域ごとに独自のお祭りがありますね。老若男女、貧富の差など一切関係なく、だれもが気軽に参加し楽しめるお祭りです。
 これと同じようなものだと考えればわかりやすいのですが、行政、地元企業、そして地域住民が三位一体となって総合スポーツクラブを各地につくり、「地域社会に根差したスポーツ振興」を目指すわけです。
 これが待ちに待った「あるべき姿」で、地域・住民が学校・企業からスポーツを取り返し、「みなさん、豊かな人生を送ってくださいね」「ついでに地域社会の活性化にもつなげてちょうだい」という寸法なのです。詳しくは文部科学省のホームページをご覧ください。(つづく)

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