下へ下へと続いていく石造りの螺旋を超えると、迎えたのは会話も
歩を進めれば進めるほどに水音は大きく、元から無いに等しかった光源はいよいよ消えかけの魔石灯による蝋燭めいた弱々しい光だけが頼りとなってくる。
だが、そんなものはダンジョンで日常茶飯事。
すぐさまポーチから携帯用の魔石灯を取り出し、手元の光源を手にした。
「リューさん、一応足元に気を付けて」
「……」
「あの、リューさん?」
「いえ、なんでもありません。それよりも、だいぶ深いところまで来ましたね」
「はい。先程まで調査していたのは新設された区画です。此処からは、いわば旧区画」
ぼう、と辺りが静かに照らされ、光がじわじわと手前から奥まで暗闇を押し退けた。
所々黒い水苔に覆われた水路の床と壁。
水路特有の生臭さや腐敗臭は不思議と感じられず、滞留する淀んだ空気を感じ取る。
暗がりの奥の奥、遠くまで轟く水音を頼りにリューさんと歩を進める。
両名は足取りは淀みなく、下水道の奥へ奥へと目指しながら調査を進めていき――場所は旧式の地下水路へとたどり着いた。
「ここに来るまでの道中にも、僅かに人が入った痕跡がありましたね」
「隠せてもいませんでしたが」
光源が手元のみと限られてるとはいえ、冒険者にとって夜目を利かせる技術は基本中の基本。
暗くて見えずに痕跡を見逃すことなどがあれば、一瞬でその命を刈り取るのがダンジョンというものだ。
敵もそれを見越して最低限の隠蔽のみでやり過ごしてるようだが、少なくともリューさんや俺からしてみれば杜撰そのものだった。
「…………あの、ところで」
「何かほかに気づいた点が?」
水路の地図と周囲の風景を記憶し、手元の羊皮紙に印を書き込んでいきながら応じる。
「なぜ水路側にこだわる?」
「……いえ、特に意識したつもりはないのですが」
「……」
視線が、辛い。
痛いではなくツライ。
それが我慢できなくて、つい余計な言葉を口が先走る。
「俺、嘘ついてないです」
「私は何も言っていません」
ぐぅ、と唸りそうになるのを歯を食いしばって堪える。
リューさんの指摘通り、今の俺の言葉は半分が本当、半分が嘘である。
で、それを見抜いているであろうリューさんから飛んでくる疑念の眼差しを、手元の羊皮紙に視線を落とすことで誤魔化した。
さり気なく動いたつもりが、聡い彼女には見え見えだったか。
これに限って言えば意地というか、拘りのようなものなので理解をいただきたいところだ。
それに、今回に限って言えば明確な理由がある。
「ミアさんからリューさんの身に何かがあったら『ただじゃおかない』と言われてるので。そして何より――」
直後――水流からの気配を感じ取る。
水棲系モンスター『レイダーフィッシュ』。
用水路が汽水湖に繋がっているため、こうして水棲系モンスターが水路を通じてここまで上がってくることがままある。
雑魚とは言えモンスターはモンスターだが、いずれにしてもこの場においては互いにとっても脅威ではない。
飛来する魚にリューさんが腰の木刀を抜こうとしてるのを見て――鯉口を切る。
「――こういう事もあるので」
――その反応よりも速く、魔石ごと一閃する。
核を両断され、灰に還ったモンスターが水面に溶けて漂う。
納刀すれば、そこには彼女の瞳が僅かに驚きに見開かれていた。
「と、納得いただけたでしょうか」
「……私を侮っているわけではないのは、わかります」
「はい」
「であれば……私にこのような扱いは似合わない」
その言葉に俺は思わず苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「そんなことありませんよ」
むしろ多くの男がほっとかないだろう。
見た目もそうだが、何よりその言動、仕草、佇まいが。
会って間もないが、そう思わせる程のものを目の前のエルフは持っていた。
「クロエやルノアが調子が狂うと言っていた理由がわかりました」
「?」
「急ぎましょう――それに、レンリさんの推測は間違いではなかったようです」
先を歩くリューさんの言葉に首を傾げつつも追従するも――そこで足を止める。
羊皮紙が示す地図によると最終目的地はすでに一歩手前。
そこは他の用水路を隔てる壁行き止まり、のはずなのだが。
そこには――食い破ったように何重にも貫かれた石壁が存在していた。
「レンリさん」
「ええ、手がかりでしょうね」
掛け合った声を合図に意識が切り替わる。
探索から戦闘に。周囲に向けていた認識を、敵の打倒に向けたものへと塗り替えていく。
そして突入せんと水に足を踏み入れた直後、リューさんが踏みとどまった。
「……? まさか何か罠の類でも?」
「……それは確かに警戒して然るべきですが、突入前に聞いておきたいことがある」
変化しない声音の中に隠し切れない真剣さを感じ取って、俺も彼女に倣って彼女を見据えた。
フードと覆面で隠れた空色の瞳が、この暗がりの中でも妙なくらいはっきりと俺を見つめてる。
さながら、夜天に蒼く浮かぶ一等星の様に。
「『闇派閥』の所業によって、癒えない傷を負った人は少なくありません」
「……引退した冒険者も数多く居たと記憶しています」
「それだけではありません――彼らは恩恵を持たない女も子供も利用し、冒険者と戦わせていた」
「――それが、件の『火炎石』による特攻ですか」
剣呑な気配がその声に乗る。
件の『闇派閥』と幾度もなく相まみえてきた、とリューさんは言っていた。
それはつまり、その光景を何度も見てきたということだろう。
爆散する子どもの姿を。
燃え上がる女の姿を。
爆炎と共に巻き上がる、人々の断末魔を。
そして、それによって命を散らす冒険者として同志たちの姿を。
成る程――馬鹿にしやがって。
「だからこそ聞きたい。レンリさん」
「なんでしょうか」
「――――かの美神の眷属であるあなたが、どうして『闇派閥』を追っているのか」
リューさんの言葉に、止まることのなかった脚を止める。
水流が遠ざかり、人っ子一人いない二名の冒険者だけの空間に無音にも近しい静けさが訪れる。
物騒な気配はない。
武器を抜く様なこともなければ、殺気を出すようなこともない。
この問いに、俺が答える義理はないだろう。
単純に、話す結果によるリスクが大きすぎる。今日あったばかりの女性を、俺の問題に大いに巻き込む可能性だって生じかねないのだ。
「――――」
だけど。
だけれど、緑の覆面に隠された顔に浮かぶ空色の瞳が正面に、ただただ真っ直ぐと俺の方へ向けられている。
それがどこか、
「どうしても――殺したい相手がいます」
――今まで口にすることのなかった、心情を吐露していた。
「復讐、ですか」
「いいえ、そんな高尚なものじゃありません。義務もなく、大義もなく、裁くための正義なんてない。ただただ俺が
例えば、親しい人間を殺された。
例えば、大切な物を奪われた。
例えば、信頼していた人間に裏切られた。
それは正当であると共に、都合が良いのだろう。
自分が同じ立場だったら同じことをする。自分にとって死んで良い人間じゃなかったから、相手に同じことをするのを許容できる。
そうやって、自分がされたことと同じ目に合わせることを俺は容認したのだ。
「なんで、あの時俺の家族は殺されなきゃいけなかったのか。なんで、よりにもよってあの時俺が生き残って、
今でも、覚えている。
燃え盛り、炎に包まれる街。
紅蓮の爆音と共に響き渡る、数え切れないほどの断末魔と悲鳴は、未だに沁みついて離れない。
どうして。
なんで。
なぜ――。
「――なぜ、
そして記憶はいつも、そこに終着する。
俺の手を握ってくれた両手は腕ごと粉々になって。
共に街を歩んだ脚は執拗に切り刻まれて。
生気の消え去った首が、槍に貫かれ燃え残った街の広場に掲げられていた。
「そんな自問の為に誰かを殺すと、俺はずっと考えているんです」
だからこそ、これは八つ当たりなのだ。
俺の家族に手を掛けた者と、
そして、手掛かりが見つからない現状が。
こうして本来であれば俺の目的とは無関係なリューさんを巻き込み、武装までして暴力で訴えようとしている。
「俺は人でなしです」
「そんなことはない。本当に人でなしなら、アーニャに対してあのような言葉をかけられない」
「……それこそ深い理由なんてありません」
むしろ今の俺こそ唾棄すべき姿勢だ。
これまでコレを打ち明けてくる度に、同じ事を何度も言われてきた。
女神に。
ファミリアの団長に。
ファミリアの幹部に。
あるいは軟弱なその姿勢を、『半端者』の烙印を押しつけ吐き捨てる者も居た。
「――――ただ、好きじゃなかった」
けれど、だからこそ――俺はそんなのは嫌だ。
「笑っている筈の人が笑えていない。救われるべき人が救われていない」
俺が泣いていたあの日、誰かに手を差し伸べられたのなら。
大事なものをくれた人を失ったことを憎むというのなら。
俺は、自分と同じように目の前で迷い、泣いている人を見捨てるわけには行かないのだから。
そして、何よりも――。
「俺と同じ目に合うかもしれない人が居るってことが、許せないってだけなんです」
もういない筈の家族を求め、まともさを捨てて剣を持つ。
だからこそ、憎む。恨む。裁く。
その『誰か』を殺し、俺への報いではなく
だが同時に。
俺は俺こそを、こうした想いを掲げて生きることを良しとする自分が。
どうしても――■くて堪らないのだ。
「……レンリさん、あなたは」
用水路の暗がりと、無常に流れていく水の音に、リューさんの息遣いが入り交じる。
そして俺のそんな吐露を耳にしてリューさんはどう思ったのかだろう。
幸か不幸か、この暗さとリューさんの外套のお陰であれだけ綺麗に見えた空の瞳は今ではよく見えない。
目は口ほどモノを語るというのに、彼女の場合は覆面が口を覆っているから余計にタチが悪い。
だから何もわからない。
それがどうにも気まずくて、彼女から顔を背けた。
「……ほら。面白くない」
「そんな尺度で測れる話ではないでしょう」
リューさんの空色の瞳が揺れていた。
そこに微かな動揺が見て取れる。
それは、かつて同じ光景を見たからか。あるいは俺を通じて誰かを思い出しているのか。
それを遮る様に、口は言葉を紡ごうとなお開く。
「測れてしまうんですよ。自分の都合で誰かを殺す――バカバカしい。そんなの俺の家族を奪った『誰か』とどう違う」
だから止まれない。
止まることが出来ないから、こうして都市で動き続けている。
居るかどうかもわからない『仇』が
それどころかこうして無関係の筈の、それどころかあの平和な酒場からこの人をこんな暗くて辛気臭い場所に連れ出して、戦いに巻き込もうとしているのだ。
この場における『悪』など言うまでもなく――。
「それでもあなたは、誰かを憎みながらも誰かを慈しむ生き方を選んだ」
――俺こそが■むべき『悪』だと断じようとした、その直後に。
そんな生き方を自分がしているという指摘に、言葉を継げなくなった。
揺れていた筈の瞳は、今はただ真っ直ぐと。
手元の魔石灯など及ぶべくもない、この暗闇を跳ねのける気高い意思を宿した光を放っている。
「あなたは自分と同じ境遇になることが許せないと言いました」
「……はい」
「なら、その歩みを無意味にしては駄目です。少なくとも、今はまだ」
「……」
その言葉を、黙って聞いている。
懺悔に嘆く罪人を前にその罪を赦されるのを待つ、
目の前に居るのは『神』ではない。
紛れもない、下界に根を下ろし俺と同じ世界に生を受けた人のもの。
ただ真っ直ぐと。
凛々しく構え俺の悪行へ正しさを見出そうとしているソレを、何と言うべきか。
「命を奪う重みを、奪うことに正しさを見出していないからこそ――貴方から大切な物を奪った人達とはまた別の答えが出せる筈です」
静かに灯る魔石の光が端正な彼女の輪郭を描く。
その言の葉は畏れを抱くほど厳しかった。
その想いは嫉妬を覚えるほど強かった。
その在り方はある意味で残酷で――どこまでも優しかった。
啓示か。
神託か。
否、どれも違う。
「憎悪を抱こうとも、目の前の誰かを見捨てようとしなかった貴方は、アーニャにかけた言葉は少なくとも――私には眩しかった」
弱気を助け、強気を挫く。
人を『助ける』という綺麗な想い。
人を『救ける』という眩しい願い。
言うなれば――その姿はまるで、『正義の味方』の様だった。
「あなたは尊敬に値するヒューマンだ」
「――――」
初めて口にされたその言葉に、暗がりの地下に華が咲いたのを錯覚する。
口にした言葉はもちろん、表情も、声音も、どこか焼き付いて離れない。
そして、それが俺の見間違いじゃなければ。
影に覆われたこの場所を弾き返す光を幻視したその覆面の下には――紛れもない笑顔があった。
「なんというか……シルさんが気に入った理由がよくわかりました」
「……そう、でしょうか」
「ええ、俺はあなたが大変好ましい」
真っ直ぐでひたむき。
俺の所属するファミリアの人員は必ずと言ってよいほど人格部分が捻れているので、彼女のようなのはまず接することのない人柄である。
いっそ脆く感じてしまうほどの真っ直ぐさ。
思わず表情も綻んでしまうくらいには、今はその誠実さが気持ちよかった。
「……………………」
リューさんが押し黙ったのを見てすぐに、その本題を思い出す。
仕切り直すが如く咳払いを一つ行う。
「行きましょう。鬼が出るか蛇がでるか、なんにせよ此処が最後です」
浸水するその場所へ足を踏み入れた。
背後のリューさんは俺の言葉に応えるでもなく、返すでもなく、俺の歩みに合わせて追従した。
「ええ――貴方は、私とは違う」
――――漏れ出す様に口にされたソレを耳に聞き届けて。
――――緑の影が