ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
康男前社長が、子供の頃に身体が弱く、一時期、関西で静養してたというエピソードはこんな関係があるからなのです。 そして現在の隆太社長が親戚である小林製薬に行かされた時は、身分を隠して、大阪府へ。これは康男前社長と当時の側近しか知らなかったが、先方には直ぐにバレていたと言います。
1945年3月10日は東京大空襲があった日。東京が焼け野原となりました。 東京龍角散は、関東大震災の時の教訓を生かし、戦後に大阪府の親族(小林製薬など)を頼り、いち早く業務を再開しました。 ※今回のポストは、龍角散の過去の資料、藤井康男前社長の本・コラム、週刊誌での発言によるもの。
1
1
ネット上で力をつけたアカウントが発信したことが正しいのか? 誰かがそう言ったら正しいことなのか? 大多数の意見が正しいのか? 自分ではどう思うのか? などなど、物事の判断力が劣る連中にはご注意ください。 #SNSの功罪
ネット上で力をつけたアカウントが発信したことが正しいのか? 誰かがそう言ったら正しいことなのか? 大多数の意見が正しいのか? 自分ではどう思うのか? などなど、物事の判断力が劣る連中にはご注意ください。 #SNSの功罪
まず、龍角散一家の嫡流とされる秋田市にあった家は、今も残っているのか不明です。 jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who… 東京側は正太郎氏(得三郎の第二子、姉は千代)の子孫です。一方、得三郎は正亭治の長男となっていますが、実際には三男。 本来の長男は明治期に秋田市で店を開いていたとされます。
この地域、または大曲・仙北、横手地区に「藤井」姓は沢山いると思いますが、当家と関係あるかどうかは分かっていません。 また、六郷の北のくらし研究所にも来たことのある高橋さんのあきたいざたんのアカウントが、龍角散について、何だか怪しい動きをしますので、くれぐれもお気をつけください!
Replying to @harukasumi1874
栗林社長、龍角散と縁者にあたるのが、この春霞家と聞いておりました。 インスタで何度も名前を出されていますが、小原洋様とはお知り合いですか?龍角散が六郷村(町)・東根の出身か?発祥の地であるか?には所説(諸説)ありますので、注意してください! 六郷東根に藤井という親戚はおりません。
1
国替時、出羽入りした藤井家初代から数えて何代目で、その藤井家と水戸藩へ遊学した玄信(字は篤、武士名は忠貞)という医者がどう繋がるのか?などは明らかになっておりません。 なお晩年に康男社長が秋田市に文献調査に来た時は、どこに何が書かれているのか探せずに終わったと聞いております。
見ました。正確には玄信、玄淵と名乗った藩医がいたということであり、これが何人いたか?は確認されておりません。そして大曲には利庵という当家の関係者が住んでいたとされます。 便宜的に7代目と名乗っていたのは隆太社長の父なので、本来は東京側の何代目にあたるのかはまだ研究の余地ありです。
1
目をパチパチしているのが気になりますが、「江戸時代の親子の物語」としてお芝居の話であれば問題ないのですが、お芝居を本当とし、六郷出身の親子が龍角散を作ったのだと広める人がいますので、お気をつけください。
Replying to @maytheater
マキノ先生のコメント拝見させていただきました。 目をパチパチしているのが気になりますが、「江戸時代の親子の物語」としてお芝居の話であれば問題もありません。 が、問題なのは、お芝居を本当とし、六郷出身の親子が龍角散を作ったのだと広める人がいますので、お気をつけください。
繋がりました。以前、龍角散は六郷の歴史なんだ!とオレは聞いたんだと暴れた人らの仲間です、この人は。 そう聞いた! あたしが聞いたのは〜 程度でいいのなら、龍角散には複数の説が存在するのです。六郷関係者にご注意ください! その犯人は、その投稿(ポスト)のすぐそこ!
小原洋さんは六郷出身。朝日新聞社、岩手朝日テレビに在籍していた模様。 まさに報道の闇。新聞や報道に関わる人の中に、こういう人がいたとなると問題ですね。 龍角散は六郷のものであるという根拠なきエピソードを広める方々にご注意ください! #美郷包囲網 #疑惑の本拠地 #疑惑の総本山
美郷町が主張しているように、当家が六郷東根地区の生まれであると裏付けるものは何もありません。 証拠もなしに、繰り返し美郷町出身を宣伝している連中にご注意ください。 龍角散の社長と似ている? 他人の空似です! 東京側は、今の小林製薬や関西に行った方の人の子孫とされる。
康男前社長が、子供の頃に身体が弱く、一時期、関西で静養してたというエピソードはこんな関係があるからなのです。 そして現在の隆太社長が親戚である小林製薬に行かされた時は、身分を隠して、大阪府へ。これは康男前社長と当時の側近しか知らなかったが、先方には直ぐにバレていたと言います。
当家には、利庵(としあん?)という医者もいたそうですが、この人についての詳細は不明です。 利庵は、現在の #大仙市(大曲)に住んでいたようです。 #龍角散 #秋田県 #花火の街大曲
当家には、利庵(としあん?)という医者もいたそうですが、この人についての詳細は不明です。 利庵は、現在の #大仙市(大曲)に住んでいたようです。 #龍角散 #秋田県 #花火の街大曲
なお、株式会社としての東京側の社長は、 得三郎(初代) 得三郎(2代) 康男 隆太  で4人。 3代得三郎(勝之助)の時代には、同族経営からの脱皮を図るため、父を飛び越し、康男氏が社長に就任しています。 初代得三郎の前の経営者は、藤井正亭治です。
Replying to @maytheater
マキノ先生のコメント拝見させていただきました。 目をパチパチしているのが気になりますが、「江戸時代の親子の物語」としてお芝居の話であれば問題もありません。 が、問題なのは、お芝居を本当とし、六郷出身の親子が龍角散を作ったのだと広める人がいますので、お気をつけください。
1
他のことでも思うのですが、AIや有名人のbotと称し、自分達の思っていることを最もらしい理由をつけて、言わせているフシがあるので気をつけてください。 こちらとしては、何を言われようとめげずに、ひたすら真実をポストし続けるのみです。
これぞ、まさにタイムラインの 直ぐそこ! というものでしたが、フォロー、フォロワーさんが多い人には難しかったかもしれませんね。 例によって、関係のない方々すみません。
以前にも堂々とデマ流しているアカウントが、当方に対して、「ネットにわけわからんことを発信している」と食って掛かって来たのありましたが、この人も何が正しいのか分からずに噛み付いてきたパターンでした。 何度もポストしていますが、不審な情報発信源にはくれぐれもご注意ください!
以前にも堂々とデマ流しているアカウントが、当方に対して、「ネットにわけわからんことを発信している」と食って掛かって来たのありましたが、この人も何が正しいのか分からずに噛み付いてきたパターンでした。 何度もポストしていますが、不審な情報発信源にはくれぐれもご注意ください!
1
1
grok 3に根気強く、原南陽とはなんぞや、水戸藩とは〜、岩根村は〜と教え込んで行けばちゃんと学習し、話題を拾っていました。 そうなると酷いのはグーグルのAIでした。騙った場所から拾った話題を表示し、一時期のgrok 3状態で、美郷町と龍角散とは、松田さん、佐藤博昭さんが〜、加藤組合長が〜状態
1945年3月10日は東京大空襲があった日。東京が焼け野原となりました。 東京龍角散は、関東大震災の時の教訓を生かし、戦後に大阪府の親族(小林製薬など)を頼り、いち早く業務を再開しました。 ※今回のポストは、龍角散の過去の資料、藤井康男前社長の本・コラム、週刊誌での発言によるもの。
1
2
グーグルのAIはさらにひどい物があります。 龍角散は美郷町六郷の出身で、美郷町の〜と出ますが、そういった事実はありません。 繰り返しとなりますが、しつこく龍角散は六郷が、美郷町が〜と主張している人は誰ですか? それが犯人です! 答えは見えております。
grokで龍角散について語りかけてみたところ、「美郷町の龍角散が〜」とまるで中の人(美郷町の関係者たち)がいるみたいな怪しい会話になりました。 試しに違う話題をふったのに、龍角散と六郷は〜、龍角散と美郷町は〜と出たので笑えました。 歴史を捏造しないでください!
この人も同様。 秋山高志 茨城県史の研究の195ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の水戸市) 原南陽の門人 かていやく第12号より 龍角散は藩医の処方ではない 幕府の医者の処方だ よその土地の薬を飲むなんて不見識でいかん その処方を明かしてもらって本家で作れ ↑これが真実。
15℃-6℃ ☁ 世界平和🌍🌏🌎🌿🕊️ お早うございます 昨日は、のどの痛みで激不調 炎症か 家族が、龍角散を買って来てくれました 💚感謝 📄龍角散 同社HPより 江戸中期 出羽国久保田藩の典医 ―藤井玄淵・玄信父子が 漢方に蘭方(西洋生薬)を加味して 家伝薬を創始 *薬名は、生薬の成分にちなむ→