人造迷宮クノッソス。
千年前のとある名工が『ダンジョンを超える作品を造りたい』という妄執を抱き、建設が始まった人造の迷宮。
本家ダンジョンをぐるりと囲むような形でオラリオの地下に造られており、横幅はオラリオの街と同等、深度はダンジョンの中層である18階層にまで及ぶ。
内部は天井も壁も床も全てが
更に出入り口などの要所は、オラリオ最強の冒険者にして唯一のレベル7、『
始祖が己の血筋に呪いをかけて作品の完成を強い、子孫達の尋常ならざる労働と犠牲を糧として、千年に渡って形作られてきた、禍々しい想いの結晶。
ここが怪人達の協力者である、かつてオラリオを震撼させた悪の象徴『闇派閥』の残党達のホームだ。
スピネルはレヴィスに連れられて、そこに足を踏み入れた。
前々から話には聞いていたものの、まずは自らの強化に集中していたため、実際に訪れたのは初めてだ。
「やあ。君が新しい怪人ちゃんだね。はじめまして、俺はタナトス。闇派閥残党の主神だ」
「はじめまして、タナトス様」
スピネルはローブを目深に被って顔を隠した姿で、闇派閥残党を率いる神と会った。
顔を隠しているのはサプライズのためだ。
ベルと再会する時は、どうせならビックリさせたい。
覚悟を決める時間なんて無い方が、きっと絶望を深めてくれると思うから。
「先に名乗っていただいたのに大変申し訳ないのですが、私には名乗るに値する名前がありません。
なので、どうぞ怪人ちゃんでもなんでも、お好きにお呼びください」
随分スラスラと言葉が出てくる。
レヴィスと話す時もそうだったが、前ならヘスティア以外の相手に、こうも流暢に喋れはしなかっただろう。
頭のネジが全部ぶっ飛んでしまったからか、人見知りの原因となった『怖い』という感情がどこかへ行ってしまったような感じがする。
「……ふーん。まあ、一応嘘ではないね」
神に嘘は通じない。
つまり、彼女は本心から名乗るべき名前は無いと思っている。
スピネルとは、既に死んだ少女の名前だ。
名に込められた意味である『努力』を汚した。
今の自分にはもう名乗る資格が無い。
ここにいるのは怨嗟に取り憑かれた、ただの亡霊だ。
「わかった。深くは聞かない。それじゃあ、小さな怪人ちゃん。これからよろしく頼むよ」
「はい。お任せください」
死神タナトスは、ニッコリ笑って
「おいおい、そいつが新しい用心棒かぁ? 随分小せぇが、使えるのかよ?」
「お、ヴァレッタちゃん」
その時、タナトスとの話し合いに割り込んでくる女が現れた。
毛皮付きのオーバーコートを羽織った、目つきの鋭い女性だ。
なんとなく、全身から不吉が漂っているように感じた。
あの娼館で自分を虐げていた者達から感じていた醜悪な気配、それを数十倍、数百倍に濃くしたような『悪意』を彼女から感じる。
それでも怖いとは思わなかった。
恐怖心がもう完全に麻痺している。
「紹介するよ。この子は【
レベル5の実力者で、闇派閥全盛期から頑張ってくれてる幹部で、ウチの司令塔だよ。
基本的には俺か彼女の指示で戦ってもらうことになるかな」
「レベル5ですか。とてもお強いんですね」
レベル5。
つまり、あの【剣姫】と同等の強さということだ。
ああ、いや、剣姫の方もベルと同時期にランクアップして、レベル6になったのだったか。
それどころか、最新の情報ではロキ・ファミリアの他の幹部も軒並みランクアップして、レベル6が七人もいるという話だ。
さすがに、今のスピネルが幹部以上と戦ったら瞬殺される。
そっちはヴァレッタやレヴィスに頑張ってもらうしかない。
拝み倒して修行の相手をしてもらった時に知ったが、レヴィスは化け物みたいに強いし、クノッソスという地の利もある。
やってやれないことはないだろう。
「お恥ずかしいのですが、私はせいぜいレベル3程度の力しか持っていません。
幹部のいる場所に突撃、なんてイジワルな指示はしないでくださいね、指揮官様」
「あぁ? レベル3ぃ? ザコじゃねぇか。使えねぇな」
「申し訳ありません。何分、新米なもので。
一応、モンスターに対する指揮権は与えられているので、幹部以外に対してはそれなりに立ち回れるかと」
「ほー。ま、適当な仕事を振っとくぜ。せいぜい役に立ってくれよ、オマケ用心棒」
ヴァレッタはヒラヒラと手を振りながら、どこかに行ってしまった。
大分軽んじられているが、そこに不満も不快感も無い。
当たり前だ。
レベル3相当の力も、モンスターへの指揮権も、穢れた精霊に与えられた力であって、スピネルの力ではない。
一応、努力して得た力も混ざってはいるが、八割以上がズルして得た借り物の強さ。
そんな奴が尊重されないのは当然だと彼女は考えている。
「それで、作戦開始はいつ頃の予定ですか?」
「お相手次第かなー。ま、餌はまいといたし、向こうは罠とわかってても攻めるしかないんだから、そう時間はかからないと思うよ」
タナトスは確信を持った様子でそう答える。
ロキ・ファミリアは罠とわかっていても攻めるしかない。
まあ、確かにそれはそうだろうなと、作戦概要をレヴィスから軽く聞かされただけのスピネルでもそう思った。
怪人、闇派閥残党、そして両者を結びつけた『エニュオ』なる謎の支援者。
三者三様の思惑を持つ者達が互いを利用し合い、現在進めているオラリオ崩壊計画。
こちらの切り札は、スピネル達を操る穢れた精霊の分身体。
ダンジョン深層の階層主に匹敵する力を持つ『
合計七体の精霊の分身のうち、六体を触媒にした大魔法で、オラリオを周辺一帯ごと消し飛ばす。
……と見せかけて、真の目的を達成する。
ロキ・ファミリアは恐らく、裏の計画どころか表の計画の全容すら掴んでいないと思われるが、それでも既に精霊の分身と一回ぶつかっているので、それがただ地上に出るだけでもヤバいという認識は刷り込まれているそうだ。
ならば、向こうはこちらの計画が成就する前に、何がなんでも潰しにくるだろう。
突っ込んでくる獲物をクノッソスという蜘蛛の巣で絡め取り、仕留める。
今回の作戦はそういうものだ。
「来い。お前には分身どもの居場所も教えておく。それと、アリアについてもな」
「アリア?」
「穢れた精霊が執着している女だ。今は【剣姫】と呼ばれている」
「……へー」
ちょっと意外な名前が出てきた。
二度に渡ってスピネルを助けてくれた恩人であり、ベル・クラネルの想い人。
心苦しいけれど、ベルを苦しませるための生贄として使おうと思っていた女性。
穢れた精霊が彼女に執着しているというのなら好都合だ。
あの滅茶苦茶強い剣姫をどうにかするのに、穢れた精霊の力を利用できるかもしれない。
「言っておくが、奴は私の獲物だ。手を出すなよ」
「……それは残念」
できれば最高のシチュエーションで料理してベルに提供したかったのだが、先輩命令では逆らえない。
まあ、剣姫が穢れた精霊の手に落ちるだけでも、ベルからすれば発狂物の絶望だろう。
ひとまずは、それで満足しておこう。
それに……。
(なんとなく、大丈夫な気がするし)
レヴィスは強い。化け物のように強い。
多分、まともにやり合えば剣姫にも勝てる。
それでも、あの運命に愛されたような少年が想いを寄せる相手が、そう簡単に死ぬとは思えなかった。
ただの勘だが。
(もし、本当にレヴィスさんを退けたのなら……)
その時は、スピネルの手で劇的な最期をプレゼントしよう。
今は無理でも、状況を整え、戦力を整え、最高のタイミングでベル・クラネルへのプレゼントにしよう。
だから、叶うことならどうか、その時まで生き残ってほしい。
スピネルはいつか殺すと決めている恩人に、悪意に満ちたエールを送った。