走った。
同族すら襲うような好戦的なモンスターから身を隠しながら、全力でダンジョンを逆走して上へ上へと登った。
そうしているうちに、
もう少しだ。
もう少しで帰れる。
さすがに、広大なダンジョンを地図も無しにさまよったから、かなりの時間がかかってしまった。
それに一回死んだのが原因なのか、背中に刻まれていた恩恵まで消失している。
装着者が生きている限り修復され続けるはずの神の鎧も壊れたままだから、多分ヘスティアにも死んだと思われてる。
ひょっこり帰ったら、きっと滅茶苦茶驚かれるだろう。
そして、滅茶苦茶泣かれるだろう。
化け物になったと知ったら、頭を抱えさせてしまうだろう。
今から申し訳なくなってくるが、それでも……会いたい。
そうして、スピネルが辿り着いたのは、ダンジョン18階層。
別名『
モンスターが出現しない迷宮の『
地上から資材を搬入して、冒険者の街まで作られているという場所。
そこは何故か━━嫌に騒がしかった。
「ウゴォオオオオオオオオ!!!」
楽園とまで言われた階層で、一体のモンスターが暴れ回っていた。
暴れているのは、巨人だ。
身長7Mを越える巨人。
恐らくだが、一つ上の17階層の『階層主』ゴライアス。
階層主が守護する階層を離れるなんて聞いたこともないが、上層に出るはずがないミノタウロスが2回も現れたりしたのだから、ダンジョンでは何が起こるかわからないということだろう。
しかも、ゴライアスの姿は、エイナに聞いていた情報と違う。
体色が黒い。漆黒のゴライアスだ。
通常種とは違う変異種。あるいは強化種。
普通のゴライアスですら、冒険者で言えばレベル4相当の強敵という話なのに、その変異種ともなれば、どれほどの脅威かわかったものではない。
そんな化け物に、楽園に集った冒険者達は一丸となって立ち向かっており━━戦いは、既に終局間近だった。
「!」
ゴォォン、ゴォォン、という音がする。
まるで
音の発生源は、一人の冒険者だった。
白髪の少年、ベル・クラネルが、一本の大剣を構えていた。
その全身は光り輝き、そこから大鐘楼の音が鳴っている。
「ハァアアアアアア!!!」
少年が剣を振り抜いた。
他の冒険者達が隙を作ったゴライアスに向かって。
「なっ!?」
とんでもない威力の攻撃が放たれた。
その一撃は大地を抉り、爆風を生み出し━━ゴライアスの上半身を消し飛ばす。
レベル4を超えるはずのゴライアス亜種が、レベル2になりたての人間の一撃で消し飛ぶ。
それは実に奇跡的で、英雄的で……悪夢のような光景だった。
「!」
しかし、その一撃でさえもゴライアスは死なない。
上半身を完全に消し飛ばされ、体内の魔石が露出してなお、その体は再生を始めようとしていた。
だが、早熟の英雄はその隙を逃さない。
さっきの一撃の代償に砕け散った大剣の代わりに、神より授かったナイフを腰から引き抜いて、跳躍。
誰よりも早く、剥き出しの魔石に
「せゃああああああああ!!!」
ゴライアスの魔石が砕け散る。
再生しようとしていた体が灰となって崩れ落ちる。
ベル・クラネルが勝った。
他の冒険者達の協力があったとはいえ、レベル4以上の化け物を討ち取ってみせた。
「ベル様が……ベル様がやりましたーーー!!」
「うぇぇぇん! ベルくん! 無事で! 無事で良かったーーー!!」
「うわっ!?」
パーティーメンバーであるリリルカ・アーデと……ヘスティアが、大勝利を収めたベルに抱きつく。
特にヘスティアはわんわんと泣いていた。
眷族の死にトラウマがある女神は、滅茶苦茶ヒヤヒヤするギリギリの戦いに戦慄し続けていたのだ。
それが勝利で幕を閉じ、眷族が死ななかった安堵で涙腺が決壊してしまった。
けれど、彼女のその反応は━━致命的な間違いだった。
「なん、で……。ヘスティア、様……」
ベルに抱きついて泣くヘスティアを見て、スピネルは絶望に膝をついた。
なんで?
なんで私がいないのに、そんなに喜んでるの?
もう私のことなんて忘れちゃったの?
ベルがいればそれでいいの?
ただでさえ限界を迎えていた彼女の精神は、化け物にされたことで更に追い詰められ、ヘスティアとの再会だけを希望に、どうにか持っている状態だった。
それが目の前の光景を見てしまって、希望は最高の絶望へと反転した。
自分は死んだと思われてるから。
もう一人の眷族まで失う恐怖から解放された安堵でああなってるだけだろう。
そんな冷静な考えを巡らせられる余裕など、今のスピネルには欠片も無かった。
「やるじゃねぇか、【リトル・ルーキー】」
周囲の冒険者達も、ベルに称賛の眼差しを送っている。
18階層に足を踏み入れられるということは、彼らはレベル2以上の上級冒険者達なのだろう。
シルバーバックの時といい、ミノタウロスの時といい、本当に観客に恵まれる奴だ。
いつもいつも、美味しいところを持っていく。
「やったな、ベル!!」
「ベル殿ぉ!!」
ああ、ちょっと見ないうちに、サポーター以外の仲間までできたのか。
パーティーメンバーと思われる者達に祝福され、ベルは嬉しそうに笑っていた。
先輩冒険者達に認められ、仲間達に祝福され、主神に抱きしめられ。
冒険者としての幸福の全てを得ている。
それに引き換え、自分はどうだ?
嫉妬に狂って、焦燥に焼かれて。
限界を迎えた精神で暴走して死んで。
それで終わることもできずに化け物になって。
恩恵も、せっかく貰った
それでも帰ろうと思ったら、主神の視線は完全にもう一人の眷族に向けられていて。
そのもう一人の眷族が、スピネルの破滅の元凶となった奴が、ヘラヘラ笑いながら、冒険者としての幸福の全てを噛みしめている。
「ア、アハハ。アハハハハハハ」
乾いた笑いが出てきた。
壊れた笑いが出てきた。
なんという格差。
なんという理不尽。
頑張って頑張って頑張り続けた自分が死より酷い末路を迎えたのに、大した努力もせずにヘラヘラしてた奴が最高の栄光を手に入れるなんて。
本当に、世界というのは理不尽だ。
「■■■■■■■■■■!!!」
そう思ったら、声にならない声が腹の奥から出てきた。
この声ですら、距離が離れている上に、祝福の声に包まれた英雄には届かない。
頭が痛い。
吐き気がする。
胸が苦しい。
黒い感情で全身が焼かれるようだ。
頭が、心が、グチャグチャの滅茶苦茶になっていく。
『彼ガ憎イノ?』
頭の中で声がした。
自分を殺した存在の声。
自分をこんな化け物にした奴の声。
「憎い……!! 憎いよ……!!」
真っ黒に色づいた怨嗟の炎が、胸の中で燃え上がる。
あいつさえいなければ。
ベル・クラネルさえいなければ。
自分はずっと幸せでいられた。
あいつが現れるまでの生活は満ち足りていた。
地位も、名誉も、財産も、強さも無かったけれど。
大好きなヘスティアが自分を見てくれて、褒めてくれて、愛してくれて。
人生で初めて幸せを感じていた。
それだけで充分だったのに。
「あいつの、せいだ……!! あいつのせいだ!!」
あいつが全て壊した。
ズルして得た力でヘスティアの関心を奪って、スピネルに劣等感を植えつけて、破滅に導いた。
そして今は、スピネルから奪った居場所でヘラヘラ笑って幸せそうにしている。
自分はこんなに辛いのに、あいつはとっても幸せそう。
ふざけるな……!! ふざけるな!!
『ジャア、力ヲ貸シテアゲル』
脳裏で悪魔が囁く。
心の傷につけ込んで、傷口から触手を忍び込ませて、完全な操り人形を作ろうとする。
『彼ニ復讐デキルダケノ力ヲアゲル。ダカラ、私ノ願イヲ叶エテ』
「願い……?」
『空ガ見タイノ』
ダンジョンの奥地に囚われている自分を、空の下に連れ出してほしい。
すなわち━━ダンジョンに蓋をしているオラリオを滅ぼしてほしい。
「……わかった。良いよ。あなたの願いを叶えてあげる」
もうなんでもいい。
ベル・クラネルに復讐できるのなら。
あいつが自分の幸福を奪った分、あいつの幸福を奪って踏みにじれるのなら、なんでもいい。
……ヘスティアに褒められたかったから、ベルに勝ちたかった。
闇に堕ちた少女は、とうとうそんな原初の願いよりもベルへの憎悪が勝り、目的と手段が逆転してしまった。
「その代わり、今の言葉はちゃんと守ってね」
『ウフフ。モチロン』
そうして、スピネルはダンジョンの深層に潜む災厄『穢れた精霊』の眷族となった。
以降の彼女は、大好きな女神に褒められるためではなく、理不尽な反則に努力で打ち勝つためにでもなく。
ただただ、その身と心を焼き尽くす黒い感情に導かれるままに、闇の道を進み続けることとなる。
ああ、間違っているだろう。
これはただの醜い嫉妬で、逆恨みで、正当性なんて欠片も無いのだろう。
それでも、どうしても許せない。
自分の苦しみの裏で、あまりにも過剰な『幸運』に恵まれるあの少年が、どうしても許せないのだ。
━━影を作らない光など、存在しない。